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『ころころろ』畠中 恵 (新潮文庫) [2011年12月17日(Sat)]

畠中恵の「しゃばけ」シリーズの第8弾です。

 神の国である日本国には八百万の神様がいらっしゃいます。そんなにたくさんの神様がいらっしゃるならちょっとばかりピントのずれた神様がいらしゃらないとも限らないと思いますよ。 事実、この「しゃばけ」シリーズには付喪神(つくもがみ)という神様か妖(あやかし)かよくわからない神もでてきます。

 さて本題。筋金入りの病弱若旦那は江戸でも有数の廻船・薬種問屋の離れで寝ているのだが、目が覚めたら漆黒の世界。若だんなの目が突然見えなくなってしまったからさあ大変。
 長崎屋はてんやわんやの大騒ぎが始まったが、どうも原因は生目神である品陀和気命(ほむだわけのみこと)の機嫌を損ねたからではないかというから話がこんがらがっちゃう。
 そのうえこの生目神はちょっとおかしい。
 どうも宮崎県人のようだが、鷹揚なのかお茶目なのか、ちょっと短気っぽいが根は善人(神)らしい。所在がわからなくて困った妖が仕掛けた、特注「神様用生け捕り罠」につかまったりしちゃう。その上罠に捕まって不貞腐れたりするのだが、目の神様の大本である日向の国の「生目八幡宮」に言いつけるぞと脅されると、とたんにオロロしてしまうのも宮崎県人らしい。

 相手が神様だから、齢い1000年を超える大妖怪の仁吉は見世物小屋で悪鬼と一戦交えたり、夢の世界に入り込んだ佐助は可愛い女房をもらったりと大騒動を繰り返す。

 今回の人間味たっぷりの妖たちが巻き起こす騒動の大きな流れは、日向の国の「生目神社」信仰です。読後は是非宮崎へどうぞ。
『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』土屋賢二(文春文庫) [2011年11月10日(Thu)]
 まず質問をしたい。一番感動した本が『民事訴訟法』(ついでに二番目は『手形小切手法』)だとのたまう法律家が推薦する本を買うだろうか?
 ちなみに著者は大学の哲学科の教授であり、ご本人は「在庫を増やす手腕には定評がある」と宣言している。再度問いたい。この著者のこの著作を誰が買うのだ?

 書名は有名な哲学書のもじりである。・・・であったと思う。誰でも知っている書名をこのようなパクリで借用するのは偉大な先人(だと思うが著者の名前がでてこない)を冒涜する行為であり、品性下劣である。

 目次に目を通してみた。何を言いたいのかわからない。
 一例をしめそう。曰く「胃カメラからの生還」ときた。著者は何を書きたいのだろう?素朴な疑問が湧いた。何を隠そう私は、胃カメラなら体験記を書けそうなほどの体験者である。1年に1度は胃カメラをのんでおり、半年に1回でも良いと思っているくらいである。
 まず病院に指定された時刻に行き、血圧等を測り簡単な問診を受け、検査室のベッドに横になる。点滴と一緒に麻酔を受ける。ここで私の記憶は途切れ、目が覚めたときは回復室のベッドに寝ている。これだけである。

 このたった3行の体験をどのように文章にしようというのだろうか?私には理解できない(読んでみようとは思わない)。でも書いてるんだよね。その視点の面白さ!!

 本文にも言及しよう。著者はミステリがお好きらしい。中でも本格物に熱中したらしいが「小説に書いてある答えが誤っていることに失望して」読まなくなったと書いている。
 「答えが誤っているから失望」とは哲学者としてあるまじき態度と言わざるを得ない。ロジック構成が間違っているのであれば、その専門家として正しい答えを導くのが正しい哲学者のすがたではないだろうか。これでは頭の良くない哲学教授(哲学者は偉大な頭脳と俗人が及びもつかない理論を構成できる人間であると私は信じる)として認知(ただしこの点は著者自身も認めており、他の項で自分よりも頭の良い学生は68.67%しかいないと告白されているので、その正直さは評価できる)されるだけで処理されよう。

 最後に問いたい。この本を誰が読むのだろうか? 私です!!

追伸:おいちゃんはまってしまって、土屋氏のエッセイ4冊目を熟読中。本気で面白いです。
都筑道夫の捕物帳 [2010年12月29日(Wed)]
 我が友人には立派なオタクが数多く存在する。以前にも登場した怪獣オタクだの、映画オタクだのちょっとみると普通の社会人なのだが、口を開くと「こいつヘン!」とたちどころに馬脚をあらわす。こやつ等はかわいいオタクなのだが、一人何処から見てもビジネスエリートの皮をかぶって、正体をあらわさない奴が居る。

 今日紹介したい本はこの読書オタクが「何故小生がこの本を知らないのか意味が分からない」と言いつつ、「絶対に読んでないだろうから、自慢しながら教えてやるもんね・・・ケケケ!」と口と心では正反対の事を露骨に表しながら絶賛した本である。

 なんでストレートに本の紹介をしないのか?実はこの本面白いのだが、微妙なのです。その証拠に最後の最後に編集部の注として「本書の作品中には、今日の観点からすると○○的と判断され、考慮すべき表現・用語が含まれています」と書いてあるのです。当然登場人物等を紹介するときにその倫理コードに触れるやも知れないのです。

 カンパン・ブログには結構使用禁止用語が自主規制されています。以前に小生普通の文章を挙げたのだが、どの単語が規制されているのかとうとう分からずじまいで投稿できなかった事が2度ほどあったので、今回はちょっと慎重(せっかく書いたのに投稿できないのはシャクですよ)なのです。

 「おいちゃん、江戸情緒好きでしょ?! ミステリーいっぱい読んでるでしょ?! 落語好きでしょ?! 三点セットっすよ! 黄金のトライアングルじゃないですか。たとえばっすね、「粗忽長屋」だの「花見の仇討ち」なんていう題の短編小説の捕物帳っすよ・・・ ほら、目つきが変わった・・・粗忽長屋なんて落語をどうやってミステリーに仕立てるか興味あるっしょ!読みたいっしょ!。」
 ここまで言われて読まなきゃ男がすたる!!

 でも、本が無かった。とっくに絶版になっていて、古本屋を回ってもシリーズ2冊しか手に入らなかった。それも中盤以降の本で最初に出た『ちみどろ砂絵』も『2冊目の『くらやみ砂絵』も無い!ないとどうしても1冊目から読みたいのが小生の性分。読みたいのを我慢しつつ本棚に仕舞い込んでいたのだが、先日偶然復刻されたんですね。見つけてしまいましたっすヨ!!

 読みました。ところがこれが読みずらい。蕃拉布と書いて(ハンカチーフ)と読ませたり(江戸の話ですよ)、植木店(うえきだな)というのは、いまの兜町二丁目へん。なんぞと書いてあるのです。どうも作中のリズムがつかめない。

 どうやって楽しんだかは次回。
『妖怪アパートの幽雅な日常』香月日輪(講談社文庫)] [2010年11月22日(Mon)]
 我が家の娘達にはどうも読書の習慣が少々少ないと遅まきながら危惧した親父は、手始めに次女のマキの介に本を読ませようと思い立った。そこで、親子で一緒に語れる小説が良いと、畠中恵の「しゃばけ」シリーズを選んだのだがこれがうまくいった。

 で、第二段を探していた時にであったのがこの本だった。もともとは子供向けに書かれたシリーズらしいのだが、なかなかどうして大人も充分読める。いや楽しめる。

 両親を交通事故で幼くして亡くした主人公は、親戚の家にやっかいになっているのだが高校進学を機に独立し、早く仕事に就きたいと思っている。
 
 高校の寮に入る予定がひょんなことから、妖怪とおばけ(この違いはようわからん)ととてつもなく変な人間が同居する、異次元空間のアパートだった。

 恥ずかしながら、1巻目を読んですぐに本屋に走り残りの文庫を買って(4巻まで文庫化)読んで楽しかったのだが、ちょっと考え込んでしまった。

 内容は、高校1年生の夕士君は親戚宅で肩身の狭い思いをし、心から笑うことをしなくなり、ちょっと社会を斜に構えてみるようになった少年だけど、それが妖怪や大人たちの社会と接して成長する物語。

 ここで、ちょっと困るのは、妖怪なのです。つまり並みの大人の中での成長談は今ではリアリティーがなくなったように思うのです。むかしむかしスポコンという言葉があったり、どこかの知事さんが「俺は男だ!」などと言っていたのが、今では通用しなくなったのだろうという事です。ファンタジーという非日常を語ることで日常を説くと言うことをしないと説得力が無い時代になったように思ってしまったのです。
 
 現代に「愛」とか「正義」とか「友情」言う言葉が説得力を持つのが、ファンタジーの世界だけだったら怖いものがあるけど、後ではちゃんとした大人も出てくるので普通のおじさんとしては安心もしたのです。

 そういえば、NHKの朝の連ドラ「ちゅらさん」も舞台が沖縄だったことが、リアリティーを保てた要員だったように思います(沖縄と北海道にしか精霊という豊かな文化を生み出す風土がなくなったように思うのです)。
『僕僕先生』 仁木英之(新潮文庫) [2010年06月19日(Sat)]
 最近というかここんとこというか、余裕が無いナァと自分でも思う。

 昨夜も我が家の同居人から「何が忙しいの?去年はこの時期はちょっとは余裕があったんじゃないの?」
 おっしゃる通り。ちなみに去年の6月には『面白南極料理人』を読んでいて、

 「小生、集団生活は苦手である。著者の西村氏も含めた越冬隊員にも相当なワガママ親父がいるみたいだけど、試しに小生の身近な人間と1年間越冬生活を想像してみた。 石田、コウヅマッチ、あおちゃん、ウッチー、ナダッチ(以上文化本舗スタッフ)、他は宮大のムーミンにゴジラ後藤に舎弟のジニアス、これで越冬隊員9名になった。隊長は本来代表の石田だろうがトラブルアーティストなのでここは除外。表面上は温和なムーミンかゴジラにしよう。最も大事な料理長は意外なセンスをみせる青ちゃんで決まり。 しかし、多分1ヶ月で大喧嘩が始まるだろう。」

 などと、のどかな事を考えていた。ところが・・・

 このところの自分が何からしくないなぁと思うので、今日は心温まる、ホンワカ小説を紹介。

 中国は唐の時代。さすがに悠久の時が流れる大地は違う。せちがらく、明日の事を考えるわが身を反省せねばならない。
 主人公が又良い身分。父親の財産(まだ生きているが)を枕にいわゆるパラサイト人生。ちょっとは小言も言われるが、安穏な生活に多少の薬味は必要だろう。

 小説はファンタジーというカテゴリーらしいが、通常小生絶対に手に取らない類なんだけど、なんか惹かれてしまった。
 いわゆるこの分野、美女は不可欠らしい。しかし、このお相手、齢○万年も生きているという大仙人。それが、姿形は美少女! 
 読めば分かるがこれだけ長生きすると性別は不詳になる(本当かなぁ・・・)らしい。だって本人が長すぎる年月で自分の出生の頃の事を忘れているらしいから、話は複雑?になるが、ファンタジーだからOK。
 そこで、主人公はこの大先生に弟子入りしたのはいいが、ほのかな恋心を・・・ところが、人生を超越しているはずの大仙人まで・・・。

 そんなこんなの奇妙な師弟の手に手をとっての大冒険。読後感が気持ちよい。一服の清涼剤。
 疲れた人には最適かも。お勧めです。

PS.早く続編が文庫化しないかなぁ〜。単行本を買うほどではないということかな。
『芸人お好み弁当』吉川潮+山藤章二 [2010年03月07日(Sun)]
 その昔、落語に関係する本を読み漁った時期があったのだが、そんな折に読んだ『江戸前の男』という春風亭柳朝の評伝で作家の名前は覚えていた。
 ごつい顔で江戸の職人(大工や左官の親分)を思わせる風貌で威勢のよい噺家だった記憶があるが、多分一般的には名人上手で名前の残る人ではない(まとはずれな感想かもしれないけど)と思うのだが、そんな芸人さんを愛情こめての書きっぷりに芸も芸人も好きな作家なんだろうなぁと思っていた。

 時々思い出したように落語のCDを聴いたりしているのだが、先日仲間の事務所で懐かしい名前を見つけて借りて読んだが面白かった。

 「熱狂的な志ん朝ファンにはなぜか談志嫌いが多く、ことさら談志をけなすことで志ん朝の素晴らしさを強調する人たちがいる。彼らは両師匠がお互いを認め合って、お互いの健康を心配していたことを知らない。志ん朝が入院後、<円歌・志ん朝二人会>の代演を談志に頼み、談志が快く引き受けたことも知らないだろう。そう。<談志・志ん朝二人会>は落語ファンの夢の顔合わせであった。」

 という談志・志ん朝の紹介。また、談志が志ん生襲名を促し、その際の口上は引き受けるなどという両名人の会話・エピソードを紹介するなど読みどころ満載の読み物だった。

 今、落語はブームだそうだが、こんな本で落語界の裏話やおかしな芸人達の生態を垣間見るのも楽しい。ちなみに小生、談志の話も好きだが志ん朝派です。

PS.ところで、先日お役人と雑談してて、落語協会の会長に柳家小三治がなったと聞きました。久しぶりに聞く落語の嬉しい話でした。
立川談志『談志映画噺』(朝日新書) [2009年11月04日(Wed)]
「あの話芸で、「銀幕」が甦る!立川談志、初めての映画の本」という紹介文を読んだけど、ほんとうかなぁ〜。
 1冊まるごと映画というのは初めてなのかな?談志のミュージカル好きは有名だし、アステアやジーン・ケリーについての文は読んだ記憶がある。

 先日、三遊亭円楽が亡くなって四天王と呼ばれた落語家の半分がいなくなっちゃたけど、家元は元気ですね。もともと殺しても死なないようなふてぶてしさは持ってたけど、その実最初に逝っちゃうんじゃないかと思ってたんですけどね。

 さて、その家元が好きな映画を語っていくだけの本。読んでる人間より書いているご本人が楽しんでる本。読者はそのおすそ分け。
 
第1章 ミュージカルは玉手箱;    
第2章 コメディの洒落と落げ;
第3章 ああ、職人の技;
第4章 エンタテインメントはすべての基本;
第5章 家元のお気に入り;
第6章 男が撮った男の世界;
第7章 フランス映画の甘きエスプリ;
第8章 「怖い」は苦手

 なんの仕掛けもないんだけれど、そこはそれ自他共に認める見巧者、『ウエスト・サイド物語』みたいな社会問題モノはキライ、群舞はキライと言い切り、卓見もチラホラ。

 曰く、ミュージカルなんぞ、ストーリーや映像がどうのこうのってことより、踊りのシーンとか、タップの素晴らしさに酔えばいいんです。

 ほんとに好きなんだ(好きな分野の映画は)というのが伝わってきます。
『面白南極料理人』西村淳(新潮文庫) [2009年06月30日(Tue)]
 なにが楽しくて南極なんてところに2度も行くんだろう。ましてこの本の越冬日記はマイナス70度というウィルスさえも生存しない世界だという。南極はペンギンさんやアザラシさんがコンニチハと時々挨拶に来てこその南極だろう。それが・・・これは白い地獄ともいうところだろう。

 小生、集団生活は苦手である。著者の西村氏も含めた越冬隊員にも相当なワガママ親父がいるみたいだけど、試しに小生の身近な人間と1年間越冬生活を想像してみた。
 石田、コウヅマッチ、あおちゃん、ウッチー、ナダッチ(以上文化本舗スタッフ)、他は宮大のムーミンにゴジラ後藤に舎弟のジニアス、これで越冬隊員9名になった。隊長は本来代表の石田だろうがトラブルアーティストなのでここは除外。表面上は温和なムーミンかゴジラにしよう。最も大事な料理長は意外なセンスをみせる青ちゃんで決まり。
 しかし、多分1ヶ月で大喧嘩が始まるだろう。

 無理、不可能、絶対に行きたくない!!

 でも、このこの南極越冬隊40年以上続いているんだから、仕事以上(学術的使命感だけではとても持たない気がする)のすさまじいなんらかのエネルギーがあるんだろう。

 で、感想だけど・・・、もともと変な人が多いのか、極限状態が人を変えるのか?微妙な部分はあるが、登場人物が妙に魅力的である。俗世間で常識人(多分エリート?)として評価されている人がつまらない。

 基本的にそれぞれがエンターティナーである。どこの誰が、零下70度の「グローブはカチカチになり、ボールもたちまち凍り付いて鋼鉄の塊りになり、金属バットは金属の剛柔性がなくなるせいか球が当たると「バキッ」と鈍い音がしてへこむ・折れる・ひびがはいる」という状況で三角ベースのソフトボールの試合を行うのだろう。(これは石田はやりそう)

 焼けた肉を皿にとったらすぐにカチカチの冷凍になる零下40度でバーベキューをするのは誰だろう。(これは小生トライするかも・・・)

 「雪って暖かいらしいよね・・・ここではどうか試してみよう」とマイナス66度で生き埋めを志願する輩の精神構造はどうなってるのだろう・・・(結構ジニアスあたりが志願しそうだけど・・・)
実際に埋めるのはいかがなもんか???

 とにかく変な親父達が大活躍。今は夏だからクーラーの効いた部屋でのんびり笑える1冊です。
『コラムの冒険』小林信彦(新潮文庫) [2008年08月11日(Mon)]

 副題がエンタティメント時評1992−95 となっている。僕の小林信彦体験はこのエンタティメント時評に会ったのが最初で、以来文芸時評や小説も読んだが、僕の好みには肩のこらないこの手の本が一番しっくりくる。

 さて、1992−95年という年は「金も100歳、銀も100歳」というとぼけた金さん銀さん姉妹のコマーシャルで明けたが、日本新党や細川首相の誕生など戦後の日本の体制が大きく変化を始めた年だった。
 
 でも当然といえば当然なのだが、そのような記事は全然無い。まだ、日本の政治をスラップスティックに置き換えて評価するほどの視点(ドタバタにも値しないと考えたのかもしれないが)も見えない。実際現在に視点を置き換えても「三文芝居」にも値しないと考えたくなるのはよくわかる。ただ、この間に青島幸男、横山ノックというタレント知事が誕生し、この流れが宮崎の知事にもつながっている。

 また、阪神淡路大震災が起こり、オウム事件など大事件が起きた時である。明るいニュースは野茂英雄の大活躍であったが、これだけはこのコラムに登場する。

 このコラムが書かれて13年以上が経過して野茂投手は現役を引退した。改めてコラムとは全然関係の無い話だが、2008年という今年に現れている現象の萌芽は、10年以上前にあったのだと強く思った一冊だった。
村上春樹・佐々木マキ『ふしぎな図書館』講談社 [2008年08月01日(Fri)]
 図書館という迷路に迷い込んでしまった主人公に羊男は「知識を貸し出すだけだったら、図書館はソンをするばかりじゃないか」と教えてくれた。

 僕も受験生の時代はよく図書館を利用してたけど、何も貸し出してもらってなかった(時間と場所は借りたけど)から図書館という知識の小宇宙に接することはなかったんだろう。
 当時の宮崎県立図書館はレンガつくりで、いかにも地下に迷路がありそうな雰囲気だったのだけれど、書庫にも入ったことがなかったのは結果的に良かった(どちらにしても「旺文社の試験に出る英単語を貸してください」と頼んだのでは羊男には会えなかったろう)のかもしれない。

 小宇宙に接しなかった僕は図書館を居心地の良い空間だと思っていた。でもそれは孤立した存在としての僕が居た空間が、知識という時間も距離も共存する広大な空間の一部であったことに気づかなかったからかもしれない。

 居心地の良さと悪さは隣り合っているかもしれないし、宇宙は秩序だった空間だそうだからバランスがとれているのかもしれない。宇宙に乗り出す勇気もなく、ちょっとかき混ぜてみる勇気もない僕は、ただ宇宙を外から眺めているだけのようだ。自分もその宇宙の一部であることに気づきもしないままに。

 そんな僕も主人公の「僕」と同じように、新しい革靴のこつんこつんという足音には居心地の悪さを感じる。妙に周りが気になり、周りから白い目で見られるような居心地の悪さ。そう、受け入れられないことに対するかすかな恐怖かもしれない。
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