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大野修一(日本財団)
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マラヤ大学での協議を終えてヤンゴンへ [2016年10月31日(Mon)]
10月31日(月曜日)
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<マレーシアの朝>

朝起きると雨は上がっていた。8時半、チェックアウトをしてから軽く朝食を済ませてロビーに戻る。すると、昨晩、日本から到着した日本財団職員の桔梗君と一緒に、マラヤ大学の担当者、ラスダン君と合流。彼らと一緒に、大学差回しの車に乗り込み、ホテルを出発した。
マラヤ大学に新設された事務局の部屋で、今年からマレーシアに移管した障害者公共政策大学院事業(IDPP)の責任者で建築学部長のヤハヤ准教授が待っていてくれた。ラスダン君と女性職員のアッティラさんも加わった。彼女は大学を出て働き始めたばかり、とか。
この事業は、元々、アメリカン大学の国際関係学部が中心になって始めたマスター・プログラム。ASEAN諸国の障害者で大学を出て学士号を持っている人たちに公共政策の修士号を取得させ各国や国際機関の幹部職員として、障害者政策の策定にかかわってもらおうと言うのが狙い。
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<AUN-DPPnetのプレートの前で>

今年の7月からは、ASEANの大学連合(AUN)の正式事業、AUN-DPPnetとして認定され、マラヤ大学が責任校となって再発足することになったもの。
つい先日、マラヤ大学で行われた卒業式には是非出たかったのだが、他の都合と重なったためにかなわなかった。今回、5人の卒業生のうちの一人が首席として表彰され、それが現地の新聞にも大きく取り上げられることになった、ことを知ってとてもうれしく思った。
今回のミーティングで、ヤハヤ学部長から、これまで行っていたIDPPからAUN DPPnetへの移行での最大の懸案事項であった未払い金の問題が最終的に決着した、との報告を受ける。また、研究論文コースに在学中の二人の盲人の学生をIDPP奨学金の対象に加えることについて相談を受け了承する。
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<マラヤ大学に新設された事務局で会議>

非常に効率よく、会議をすることができたので11時少し前にすべての議題を終了、合意点を確認して会議を終えることが出来た。朝、ホテルに迎えに来てくれたのと同じ大学の車で空港へ送ってもらう。
午後3時、クアラルンプール発のヤンゴン直行便でヤンゴンに到着。MILIのチョースワミンさんの出迎えを受け、MILIの乗用車でホテルに向かった。途中、彼と明日の尾形理事長一行の出迎えに使う車の種類など段取りを確認。
そして、車の中から日本財団のミャンマー事業顧問のティンニュントさんに電話。彼とも幾つか相談しないといけないことがあったのだが、今日は都合が悪いとのことで、結局、彼とは今日ではなくて明日、打ち合わせをすることに。
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<ヤンゴン上空は青空だったが>

ヤンゴン市内の今日の最高気温は38度。ミャンマーは本来ならそろそろ雨期明けの時期。そして、雨期の終了とともに、気温も涼しくなって来るはず。
ところが、チョースワミンさんによると、今年の雨季明けは少し遅れているようだ。先週は、サイクロンの影響で大雨の日もあったそうだ。
ホテルに到着する寸前、でも今日はもう雨は降らないよね、と言っていると、突然の雨。明日からの天気が心配だ。
夜は、軽くサンドイッチとビールでホテルの部屋で一人夕食。これが最近定着した感のある私のヤンゴンでの第一夜の定型パターン。油の多い食事中心になりがちなミャンマーでのカロリー摂取過多を避けるベストの方法である。
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<突然の雨!!!>

08時45分 ホテル出発
09時 マラヤ大学訪問
11時15分 マラヤ大学出発
13時55分 クアラルンプール発
15時05分 ヤンゴン着
バンコクから雨季のクアラルンプールへ [2016年10月30日(Sun)]
11月30日(日曜日)
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<ホテルのロビーに設けられた臨時の祭壇>

朝9時に、日本財団が海外での障害者問題についてオブザーバー役をお願いしている渋谷さんにホテルに来ていただき、ミーティング。
今日は、彼は上下ともにも黒づくめの衣装。タイの伝統的なボタンスタイルの長袖シャツに、名がズボン姿なのだが、上下とも黒尽くめなのだ。現在、タイに住んでいるとは言え、彼は長期滞在の外国人の立場なので、国王の喪に服する必要は無いわけだが、タイ人の気持ちを慮っても黒にしたのだとか。
渋谷さんにお願いして、現在、米国のワシントンで世銀と連携して進めてもらっている世界の主要助成財団と連携して障害者支援を進めようという事業などについて打合せ。
その後、ホテルの部屋に戻り、荷物の仕分けを行なった。
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<一般の商業看板もモノトーン>

これから、マレーシア経由でミャンマーに行くのだが、その後、帰国の途中にバンコクに一泊する行程になっている。パリやロンドンに持ち込んだ荷物の中には、帰国まで使うことの無い冬物の衣料もあるし、エジンバラでもらった大量の資料や印刷物もある。また、途中で買い入れた日本へのお土産もある。これらは総て、ここバンコクに置いていくことにしてひとまとめにして大きな買い物袋に入れ、顔なじみのコンシエルジュに預かってもらう。
ホテルをチェックアウトしようとして、ホテルの1階ロビーに臨時の祭壇が設けられているのに気がついた。
空港に行く途中の高速道路からは、バンコク一のノッポビルも巨大な黒白のリボンをつけていた。街角には国王の逝去を痛む大看板が目立つ。
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<ノッポビルにも巨大な黒白のリボン>

一般の商業的な看板の中には、カラー版に代えてモノトーンのバージョンにしているものもあった。
何と、空港内の衣料品のブテックも、黒色の衣服で覆われているではないか。誰が買うことを想定しているのだろうか。
バンコク空港でマレーシアの クアラルンプール行きの飛行機に乗り込んだ。出発の時になって飛行機を打つ雨の音で激しい雨になっているのに気がついた。
クアラルンプールの空港から乗り込んだタクシーの運転手によれば、マレーシアは年内一杯は雨季なんだとか。タイやミャンマーでは、これからは雨季が明けて比較的涼しい乾季が訪れるところ。マレーシアやシンガポールではこれからが雨季とは、同じ東南アジアでも違いが大きい。夜中、激しい雨の音を聞きながら眠った。
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<バンコク国際空港のブテックも黒色で覆われる>

09時 渋谷さん
13時15分 ホテル出発
16時45分 バンコク発
19時55分 クアラルンプール着
22時 桔梗君打ち合わせ
服喪中のバンコクへ [2016年10月29日(Sat)]
10月29日(土曜日) 
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<弔問に王宮まで足を伸ばした大群衆>

ロンドンからバンコクへは、11時間余りのフライトだ。
機内に入ったとたん、それまで着ていたダウンの防寒着とマフラーを脱ぎ捨て、手荷物のガーメントケースの中に押し込む。タイとイギリスの時差は6時間。こちらの夜10時は、タイでは明け方の4時と言うことになる。そこで、先ずは、ブランケットを被って眠ってしまった。5時間ほどで目を覚まし朝食。
機内でもらったタイの英字新聞を開くと一面に大きく、国王の弔問に集まった大群衆のカラー写真。
国民の熱烈な敬愛を受けていたプミボン国王が10月13日に89歳で亡くなってまだ二週間。最近までは、弔意を表すため敢えて総て白黒写真だったのだが、カラー写真解禁となったようだ。
新聞によると、弔問に王宮まで足を伸ばした人だけで既に100万人を超したとか。
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<デパートの中は黒い服の人で埋め尽くされていた>

ヒースローの出発は30分以上も遅れたのだが、それを取り戻しバンコク上空には3時頃に着いたのだが、上空待機となり、結局、バンコク・スワナプーム空港への到着は3時半。
バンコクの気温は31度、ロンドンとの気温差は15度ほど。
いつものホテルにチェックイン。内藤さんとの約束の時間まで少し間があったので、街の様子を見に出かけた。一週間後には車椅子の岸田さんを案内することになる。それまでに、下見をしておこうと思ったのである。
新聞報道によると、タイでは現在、家電などの耐久消費財の売れ行きが激減する一方で、弔意を表すための黒い服が飛ぶように売れている。便乗値上げが横行し、政府はを値上げを控えるようお触れを出すほど、という。確かに、いつもは派手な色の衣類を売っている駅前の屋台ですら、黒服の専門店に衣替えしていた。
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<町の屋台も黒服の専門店に衣替え>

電車に乗って市内中心部に行って見ると、デパートの中は黒い服の人で埋め尽くされていた。輸入物を扱うブティックまでもがショーウィンドウのディスプレイは黒服だけ、というのにはびっくり。
ざっと見たところ、上下ともに黒ずくめの人は、2割くらいかもしれないが、上着かズボンやスカートいずれかを黒にしている人を加えると、恐らくは7-8割かそれ以上の人が黒いものを纏っているようだった。
しない見物を終えてホテルに帰ると、ロビーに内藤さんが待っていてくれた。夕食を取りながらヤンゴンでの障害者用IT研修センターの建築計画について話し合う。
食事を済ませ、ホテルの部屋に帰ってテレビをつけると、テレビの画面も黒と白のモノトーンだった。政府によると、放送番組の通常化は11月の18日だという。
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<テレビの画面も黒と白のモノトーン>

15時30分 バンコク着
19時半 内藤さん
ロンドンでジョン・ハニー弁護士と会う [2016年10月28日(Fri)]
10月28日(金曜日) 
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<バッキンガム宮殿の前で>

昨夜は、ホテルに遅く着いた上、日本とのメールのやり取りなどをしていたので、眠りについたのは1時を過ぎてしまっていたが、これから向かう東南アジアでの時差調節のことを考えて、目覚ましは2時間後の3時半にセット。眠かったが目覚ましの音でむりやり起きて、今日の打ち合わせの準備や荷物の整理などをしていると夜が明けてきた。
8時少し前にジョン・ハニー弁護士から「今、ホテルに着いた」と言うメッセージが入る。彼は、日本財団のアドバイザーとして、先週までエクアドルの国連人間居住会議に参加して帰ってきたばかり。二人で朝食をとりながら、諸々の事業について打合せ。
約束の時間には少し早かったが、9時を過ぎてくるとホテルのレストランが朝食をとる客で混み合ってきたので、外に出て散歩しながら話を続けようとホテルを出る。ホテルの前の大きな公園を抜けてしばらく歩くとバッキンガム宮殿だった。名物の衛兵の交代式を見ようと、早くも観光客が集まって来ていた。
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<宮殿の前の大通りからタクシーに>

そして、宮殿の前で客待ちしていたタクシーに乗り込んだ。
約40分後、タクシーが停まった。音楽会社のオフィスというのでオフィスビルのようなところを想像していたが、タクシーが着いたのは、住宅街の通りを少し入ったところにあるタウンハウスのような家の前だった。ジョンさんが持っていた住所と照らし合わせてみるがここに間違いない。
約束の時間より30分近く早く着いてしまったので、ジョンさんと散歩しながら、どのように話を進めるかの打合せ。
実は、今日、ここにやってきたのはリオのパラリンピックのプロモーションビデオを制作したチームに会うため。アポをとってくれたジョン弁護士も彼らに実際に会うのは初めてだという。
時間になったので、入り口のゲートの前の呼び鈴を押した。責任者のエド・ベイルさんが出てきて愛想よく1階のドアを開けて中に案内されるとそこが音楽スタジオを兼ねる彼らのオフィスだった。
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<ここが音楽会社のオフィス>

ベイルさんの助手を含めた4人で庭の見える大きなテーブルを囲んだ。
最初に、ジョンさんが背景を説明し、私が最新の現状と具体的なリクエストの中身について話す。結局、2時間近く話しあった。先方は非常に好意的で、とてもうまく話しを進めることが出来た。
帰りにタクシーを呼んでもらうようお願いしたところ、しばらくの間、携帯電話を操作していたエドさんが、もう来ましたよ、と言いながら我々を外の道路まで案内してくれた。
やってきたのは白い乗用車。イギリスで一般的な箱型のタクシーとは違う。タクシーの標識も無い。果たせるかな、これが昨晩、グレッグさんが散々こぼしていた今流行の白タクサービスのウーバーだった。
ホテルに着いて降りるときに代金を払おうとすると、何と、音楽会社の方で支払い済みだという。
チェックアウトの最終時間ぎりぎりだったので、急いで、荷物を受け取りチェックアウト。
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<「日本のウイスキーあります」>

バンコクへの飛行機の出発は今夜9時半。ヒースロー空港へ向かうまでには時間がたっぷりある。そこで、今度は近所のパブに場所を移し、引き続き、今日の話し合いの総括と今後の方針について打合せ。
まだ、10月だというのに、ロンドンの街では、早くもクリスマスの飾り付けが始まっていた。しかし、パブに入ってよく見ると、ここにはハロウィーンの飾り付け。ハロウィーンブームは日本だけではないようだ。
4時半頃に彼と別れる。ヒースロー空港への出発まで、しばらく時間があるので、久し振りに、ホテルの周りを散歩して時間を潰す。
その途中で、見つけたウィスキー専門店の店先にはチョークで書かれた小さな黒板に何と「日本のウィスキーあります」の文字が踊っていた。さすがに、エジンバラのリカーショップには無かった風景。
夜9時半発の便だったが、30分ほど出発が遅れ10時頃にバンコクに向かって飛び立った。
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<市内には早くもクリスマスの飾り付け>

08時 ジョンハニーさん打合せ
10時15分 ホテル出発
11時 チャネンル4本部訪問
13時半  ジョンハニーさん打合せ
18時半 ホテル出発
21時55分 ロンドン発
デジタルオーケストラに出会う [2016年10月27日(Thu)]
10月27日(木曜日) 
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<これがスコットランドの郵便局 右手にポスト>

昨日から東京の情報システム担当のセクションと何度もメールでやり取り。稟議書システムがうまくいかないのだ。書類を回覧し捺印することで処理されていた稟議書が、携帯型のノートパソコンを使うシステムに変わって以来、時には、海外の出張先までも至急処理をしてほしいとのリクエストが追っかけてくるようになった。
つい最近も、海外出張中に、システムとうまく繋がらなくて、担当のセクションと何度もメールなどで相談のやり取りをする羽目になったばかり。今回の原因は前回とは別のものだが、
時差があるので、やりとりが大変。深夜、3時に目が覚めて起きたので、担当セクションからのメールを確認し返事をしたところ、今度は電話がかかってきた。結局、朝までかかって漸く一件落着。
朝一番、郵便局に行くことにした。今回の会議で入手した資料をパリのUNESCOのインドラジットさんに送っておこうと考えたからだ。ホテルの受付で頼めるかと尋ねてみたが、近所だからと郵便局に自分で出向くよう言われたのだ。
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<後ろの3枚がスコットランドの紙幣>

確かに、歩いて5分ほどのところに小さな郵便局があった。入り口の前の歩道には赤い郵便ポスト。日本のポストが赤いのは、明治時代の始めに日本の郵便制度を作った前島密が参考にしたのがイギリスの郵便制度だったから、という話を思い出した。
ヨーロッパ大陸の多くの諸国では、郵便のシンボルカラーは黄色が一般的。その昔、郵便馬車が鳴らしていた角笛のマークがシンボルマークだ。これに対し、英国だけは日本と同じ赤がシンボルカラーなのだ(これに王室を象徴する王冠がつく)。
しかし、今回驚いたのはおつりにもらったポンド紙幣。手持ちの50ポンド札を差し出したところ、戻ってきた3枚の紙幣は、どれもこれまで見たことの無い札ばかり。よく見ると、銀行の名前も3つとも違う。後で調べてみると、スコットランドでは3つの地場銀行が発行している紙幣が一般に通用しているのだとか。ただ、法的効力を保障されたいわゆるLegal tenderではないので、英国外では両替できないこともあると聞いてびっくり。
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<デジタルオーケストラ>

郵便局を出て、リハビリテーションインターナショナルの会議に戻り、会議場をウロウロしていると、私の名前を呼ぶ声がする。なんと、世界銀行の障害問題の責任者のシャーロットさんだった。今日の午後のセッションにパネリストとして参加するために来たのだと言う。
今回の会議では、顔の広いリハ協の松井副会長に色々面白い人を紹介してもらったのだが、今日もまたUCL教授のグロウス教授を紹介してもらった。農業に従事している障害者の現状調査の話でひとしきり盛り上がった後、彼女がシャーロットさんと親しいと知る。人のつながり。
午前の分科会では、デジタルオーケストラの演奏会場を覗いてみた。
脳性麻痺などで車椅子の人たちが8人で構成しているデジタルミュージックの演奏グループだった。早速、指導者のスパークスさんに自己紹介。2020年にUNESCOと共催で東京で計画している世界障害者芸術祭について説明する。そして、その前に2018年にシンガポールで開催予定のフェスティバルや研修会に参加してもらいたいと話したところ快諾を得た。
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<リハビリテーションインターナショナルの会議も最終日>

最後の分科会が終わると、私は閉会式をスキップして、会場を後にした。ロンドン行きの飛行機の時間には少し早いタイミングであったが、国際会議場入り口に待機しているタクシーがなくなってはいけないと思い、少し早めに出ることにしたもの。天気予報ではエジンバラは今日は曇り、風。最高気温は14度。今夜の最低気温は7度。
夜8時半出発予定の飛行機だったが、機材の到着遅れとかで出発は9時を少し過ぎていた。ロンドンの気温はエジンバラより1−2度ほど暖かいようだ。
ロンドンの空港には、笹川アフリカ協会の宮本さんにお願いして予約してもらったポーランド人の運転手グレッグさんが待っていてくれた。当初は、前回同様に、空港からの直通列車でパディントン駅に行き、そこからタクシーでホテルに向かおうかと考えていたのだが、今回は荷物が多い上、夜半の到着。空港と市内を結ぶ道路は空いているだろうし、深夜にパディントン駅でタクシーを捜すのも大変かと考えたのだ。
車内で、ポーランド移民のグレッグさんと、ブレックシット批判論。ウーバー論などをしているうちにホテルに到着。時間は、深夜12時少し前だった。
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<閉会式が始まるが、、、>

08時半 ホテル出発
09時 リハビリテーションインターナショナル総会
18時半 ホテル出発
21時15分 エジンバラ発
22時35分 ロンドン着


エジンバラは素晴らしい街だった [2016年10月26日(Wed)]
10月26日(水曜日) 
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<エジンバラ市内では、本当にキルトを履いている人がいた>

リハビリテーション・インターナショナル(RI)世界会議第2日。今日は8時半にホテルを出て会議場に向かった。
世界各地で4年に一回、持ち回りで開催されているRIの世界会議だが、エジンバラの今回の会議で何と23回目だという。RIの前身「障害児国際協会」が米国で設立されたのは、今から94年前の1922年なのである。
RIは障害当事者団体や、障害者の権利を擁護するための団体に加えて、障害者のためのリハビリテーション・サービスを提供する団体、研究機関、および政府機関などから構成されている。車椅子に座る人を図案化した世界共通の障害者ロゴマークを考案したのもRIだし、2006年に採択された国連障害者権利条約も、RIの提案が大きなきっかけになったといわれる。
現在、RIの加盟メンバーは、世界100カ国にのぼる。今回の世界会議には65カ国から総勢1200人が参加するという。
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<リハビリテーションインターナショナル総会第2日>

リハビリテーションインターナショナルは、障害分野ではよく知られた存在で、その世界会議は、世界中から障害当事者だけではなく、機器などのメーカーまで障害問題にかかわる団体と個人が一同に会する大規模なイベントとして有名だが、これまで私はその会議に参加したことはなく、ましてや、4年に一回の世界会議は全く初めての経験。
正直言ってどんな会議なのか、よく分からなかったのでパリでWHOのチャパルさんに聞いてみると、「確かに世界最大級の会合だが、欧米主導でアジアからの参加はあまりない」とのこと。確かに、昨日の登録時に渡されたパンフレットに出ていた来賓や登壇者の名前は殆ど欧米系の名前ばかりだったし、スポンサーとして掲載されていたのも欧米の企業や団体ばかり。参加者リストをみても欧米人の名前が目に付いた。
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<中国語のみ同時通訳の用意>

そうした中で、異常に目立っていたのが中国だ。
地下の展示場で数えてみると、37ほどのブースのうち、11ものブースが中国系企業や団体によるものだった。松井さんによると1200人の参加者のうち、中国人が300人近くに達するそうだ。そのうち数十人の香港のNGO関係者を除くと、大半が中国本土からの参加という。
とは言え、30余りのパネルに登場する150人もの登壇者の中に、中国人の名前は殆どなく、質疑応答に参加することもなかった。
英語は苦手な人が多かったようで、中国語(北京官話)のためだけに、特別に同時通訳が用意され、専用イヤフォンが準備されていた。会議中も固まって座り、数は多くとも静かなグループだった。
張新会長の就任を盛り上げるために中国政府が送り込んだ人たちだったのではなかろうか。
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<分科会 お供についてきた盲導犬もお疲れか>

数の上で目立っていた中国人と質疑応答で積極的に発言していた香港からの参加者を除くと、会場にはアジア人の姿は殆ど見られなかった。確かに、チャパルさんが言っていたとおりだ。存在感が無いのは日本人も同じこと。そう言えば、私自身も今回、RIの事務局から、ある分科会で2020年の東京パラリンピックの話をしてくれないかと頼まれながら、様子がわからなかったことに加えて、準備の時間も余り無かったので、断っていたことをちょっぴり後悔する。
今日も、現会長のモンスバッケンさんと会う。昨日、新会長の張さんと話が出来なかったと説明すると、彼女は体調を壊し今日は終日ホテルで休んでいるらしいとのこと。明日の最終日で就任演説をするので、そのスピーチの準備もあるらしい。
しかし、それにしても、モンスバッケン現会長があちこちの分科会にも顔を出して、誰とも気さくに話しているのとは対照的。彼とは気楽に何度も話せるのだが、、、。
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<昼休みを利用して、市内を少し歩く>

お昼休みになった。昨日の夜の印象が余りにも鮮烈だったので、昼休みを利用して旧市街地を少し歩いてみることにした。
中心部に高低差のある大きな公園があった。紅葉が始まっている木々の向こう、昨日とは反対の方向にエジンバラ城がみえた。本当にキルトを着て歩いている人がいたのにはびっくり。
会議場に戻ってみると、RIの技術委員会の委員長である香港の建築家ジョゼフクァンさんと経理部長のスーザンさんにばったり。キトでのUNHabitat3に参加してきたばかり。協賛事業として日本財団が企画提案して実施したフォーラムを絶賛してくれた。
ICEVIの前会長で盲人の貴族院議員のコリンロウ卿にも遭遇。先日のフロリダの会議欠席をお詫びする。
夕方、リハビリテーションインターナショナルの会議場を出ると雨の跡。どうやら会議中に随分降ったみたい。

08時半 ホテル出発
09時 リハビリテーションインターナショナル総会
18時 夕食会
リハビリテーションインターナショナル総会始まる [2016年10月25日(Tue)]
10月25日(火曜日) 
朝8時、ホテルを出て、徒歩数分のところにあるエジンバラ国際会議場に向かった。少し寒いがピリッとした空気が頬に気持ち良い。
今回、エジンバラまで出向いたのは、障害者関連では最大級の国際組織であるリハビリテーションインターナショナル(R)の世界会議に出ようと考えたからである。
今回の総会で新会長に就任するのは、中国の全国障害者連合会(中国残疾人連合会)の会長(主席)の張海迪さん。彼女とは、笹川会長にお伴して、今年の2月に北京でにお会いした後、その後来日した彼女を日本財団でお迎えしてもいる。
今回は、RIの会長就任のお祝いを申し上げるとともに、幾つか、事業上のことで相談したいと考えていた。そのため、事前に、日本リハ協の松井副会長のご好意で張新会長に個別面談を申し入れたところ、OKとの返事が届いていた。
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<エジンバラの朝>

国際会議場に着き、松井さんやリハ協の炭谷会長、村上課長らと合流した。
参加者登録を済ませ本会議場に座席を確保した後、張海迪さんがいる筈と言われて、地下の大きなスペースに設けられた展示場へ。展示場の外でも、会場のあちこちに障害者団体や支援活動をするNGOなどのブースが設け、思い思いに、自分たちの製品や活動内容に関する展示や説明を行っていた。
しかし、展示場に入ってみて驚いた。そこは、まるで中国物産展の趣きだった。入り口に近いスペースのほとんどが中国の車椅子など障害者用の機器やシステムメーカーなどに占拠されていたからである。
中国のブースの奥に、大勢の中国人関係者に取り囲まれて車椅子に座っている張海迪さんの姿を見つけた。挨拶に近づこうとするが、名刺を差し出して挨拶したり一緒に記念写真を撮ったりしている人が多く、なかなか近づけない。強引に入り込もうとすると、順番に並ぶよう言われてしまった。よく見ると、中国のテレビのクルーがビデオカメラを回している。中国から同行取材に駆けつけたものであろう。
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<4年に一回の年次総会が始まった>

まるで、大物の政治家か大臣級の人物に対するようなピリピリ押した雰囲気だ、と呆れつつ思い至った。中国の障害者は750万人と言われる。その頂点に立つのが政府主導で設立された中国残疾人連合会なのである。主席の張海迪さんは、それだけの重みを持った人物なのだ。
諦めて、展示場の外に出ると、入口のところで現会長のモンスバッケンさんとばったり。彼とは、ニューヨークでの会議などで何度かお話しした間柄。とても気さくな人物で、やあやあと握手の手を差し伸べてくれた。
そこで、彼に相談してみようかと、「ちょっと話があるんだけど」というと、困った顔をして「今、アン王女の到着をお待ちしているので後にしてくれない」と言う。「えっ、ここへ?」、「そう、間も無く着かれるはず」と言っているうちに、本当にアン王女が登場。唐突でびっくりしてしまった。お供の人もほんの数えるほどしかいない。護衛はどこにいるのだろう。
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<アン王女も来賓として参加>

アン王女は、しばしモンスバッケンさんと挨拶を交わした後、彼の案内で展示場の中へ入っていった。すると、今度は車椅子に乗った張海迪さんがアン王女に挨拶。彼女が王女の案内役を引き継いだ。そうか、このために張海迪さんは待機していたのだ。
これでは、今日は張海迪さんと二人で話し合うことはおろか、お祝いを言うこともできない。総会は明日も明後日も続くのだから、と考え私は展示場を出て、本会議場に戻った。
夕方、会議第1日のスケジュールが終わったので、一旦、ホテルに戻る。外は、素晴らしい天気。秋晴れの空が美しい。
部屋に荷物や書類を置いて間もなく、私は再び外出。日本リハビリテーション協会の炭谷会長らと市内のレストランで夕食をとることになっていたのだ。村上課長に頼んで予約していただいたスコットランド料理のレストランは、炭谷会長らが宿泊中の別のホテルの近くだという。集合場所はそのホテルになっている。
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<夕焼け空の下、エジンバラ城の威容>

もらった地図を片手に、時間的には十分な余裕を見てホテルを出たのだが、いきなり道を間違えてしまう。複雑に入り組んだ街並で、似通ってはいるが別の道に入り込んでしまったのだ。
しばらく進んでから間違いに気づき、後戻りしたので10分以上時間をロスしてしまった。約束の時間に間に合うためには早足で急がなくてはならなくない。おかげで、初めてのエジンバラの街をゆっくり味わう余裕もなく、息を切らせながらエジンバラ城を見上げる坂道をひたすら歩いた。
なんとか、時間ギリギリにホテルに到着。通りを隔ててすぐ向かいにある地下のレストランへ向かう。この時になってゆっくり周りを見回してみると、そこは歴史を忍ばせる重厚で美しい場所であった。
レストランの料理も美味しかった。ロンドンには何度も行っているが、あまり美味しいイングランド料理には出会った記憶はないが、スコットランド料理は違うようだ。
食事を終えての帰り道、坂道を下りながらつぶやいていた。「エジンバラは素晴らしい。」
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<落ち着いた雰囲気のエジンバラの街並み>

08時  ホテル出発
09時半 日本リハビリテーション協会松井副会長
10時  リハビリテーションインターナショナル総会
18時 夕食会
エジンバラの第一印象は最悪 [2016年10月24日(Mon)]
10月24日(月曜日) 
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<暗闇の中、照明に照らされて凱旋門が浮かんでいた>

昨晩はこちらの時間に合わせて10時過ぎに床に着いたのだが、やはり時差のせいで、3時半に目をさしてしまう。窓の外を見ると、暗闇の中、照明に照らされて凱旋門が浮かんでいた。
まだ時間が早い、もう少し、寝ようと横になるが目が冴えてしまった。ベッドの中でメールチェックや、今日の会議の準備などをして過ごす。昨晩のチャパルさんと7時半に朝食の約束をしていたので、6時半にベッドから出て着替えをする。
外はまだ真っ暗だ。気温をチェックすると、今日の天気は雨のち曇り。気温は最高16度、最低10度。
昨日より随分寒いが、さらに明日に向けて、7度か6度へと一層寒くなる模様。ふと気になって、今夜の到着地、エジンバラの天気を調べてみる。するともっと寒く、最高気温が10度、最低は5度と判明。暖かくして行かねば。
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<今日の天気は雨のち曇り エッフェル塔も霞む>

チャパルさんと朝食をとりながら昨日の続きの議論。
彼がWHOに設立した障害者用の機器をめぐる広汎なネットワーク、GATEから生まれた障害者用機器のミニマムセット配布事業をミャンマーで試験運用する件では、12月初めのUNESCOでのイベントの際に、ミャンマーの社会福祉大臣を紹介することに。
一方、今月、中米のキトで開かれた国連第3回人間居住会議(Habitat3)のサイドイベントで我々のグループが問題提起したバリアフリー環境実現に向けて世界共通の認定制度を民間主導で設定する件では、WHOとしては中核メンバーとなって全面的に関わっていきたいという意見。
こうして話しているうちに、G3ICTの事務局長のアクセルさんとの約束の9時になってしまった。慌てて、チャパルさんとの話を切り上げ、これからアクセルさんという人と会うのだと話してみると、二人は旧知の仲と判明。
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<幸い、雨は上がった UNESCOへ急ぐ>

アクセルさんの国籍はフランス。現在はアメリカ暮らしだが、パリ生まれでパリには年老いたお母さんがご健在とのこと。ただ、一人暮らしの母君の様子を見るべく、出来るだけ、頻繁にパリには立ち寄るようにしているのだとか。
今回も、先週から実家に滞在中。私がパリに滞在中と知って、来年度の事業についての打ち合わせをしようと、ホテルまで訪ねてきてくれたのだった。アクセルさんとの打ち合わせを終えて、荷物をまとめチェックアウト。
ただし、空港に向かう前に、今回のパリ訪問の主目的であるUNESCO本部の知識社会局長インドラジットさんとの打ち合わせが残っている。地下鉄でUNESCO本部に向かおうと、外に出てみると、幸い、雨は上がっていた。
UNESCO本部では、インドラジットさんの部下のイルムガルダさんも交えて三人で、3時間半かけて協議。12月の国際障害者デーに行うイベントの件ををはじめ、UNESCOと共催する予定の諸事業について打ち合わせ。
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<UNESCOでの話合いを終えて外にでる>

限られた時間であったが、懸案になっていた事業の様々な疑問点について確認することができた。
メールではこうはいかない。やはり、実際にあって見ることの重要さを痛感。
UNESCOでの話合いを終えると、急いで、ホテルに戻って預けてあった荷物を受け取る。WHOのチャパルさんはまだ待っていてくれた。彼と一緒にタクシーに乗り込み、空港に向った。
ジュネーブに帰るチャパルさんと別れ、夜9時前の便でエジンバラへ飛ぶ。
一時間半ほどのフライト。時差が一時間あるので、現地到着は夜9時半。
気温は7度。ターミナルを出ると雨の跡。どうやら随分降ったみたい。
大きなスーツケースを抱えて、屋外のタクシー乗り場まで延々と歩かされる。雨が止んでいたから良かったものの、雨が降っていたらどうするんだろう。
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<最悪のホテル>

ホテルに着いてみると、入り口には階段があるのに、ページボーイの姿はなし。仕方がないので、大きなスーツケースをウンウンと言いながら担いで入り、チェックイン。
すると、なんと、私の部屋は道路隔てて反対側の建物の中だという。やっとの思いで登ってきた階段を降りて、今度は向かいの階段を登れだと?ボーイが必要なら呼ぶのでしばし待つように、と言われて唖然。
断って、向かいの建物へ。古めかしいエレベーターで3階へ登り、降りてみると今度は、短いが下り階段とその先の登り階段を登らないと、部屋にたどり着けない構造だった!
文句を言いながら、部屋に入って、ドアを閉めようとするとそれが閉まらない。部屋が寒いのでスイッチをいじっってみるのだが、いつまで経ってもヒーターが入らない。文句を言おうと電話機を取りかけてやめた。疲れ切っているのに、これ以上、時間を無駄にしたくない。服を着たままベッドに潜り込んだ初めての街、エジンバラの第一印象は最悪だった。

7時半 WHO チャパルさん  
9時 G3ict アクセルさん 
11時半 ホテル出発 
13時 UNESCO
17時半 ホテル出発
20時45分 パリ発
21時30分 エジンバラ着
パリでは冷たい雨が降っていた [2016年10月23日(Sun)]
10月23日(日曜日) 
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<秋晴れの羽田を出発>

朝7時半に家を出る。
今回の出張は、今年に入って12回目。実は、当初は10月に一つと11月に一つと言う風に、別々に計画していた二つの出張だったのだが、それがくっついてしまった結果、16日間と異常に長いものになってしまった。
まずは、パリに行き、ついでエジンバラ。そして、ロンドンで、そこから、バンコク。さらに、クアラルンプール。そして、11月1日にヤンゴンで尾形理事長一行を出迎えて合流。マンダレーに行き、パガンへ行って、ヤンゴンに戻り、最後に、バンコクと言うスケジュール。
晩秋のエジンバラから、常夏のバンコクまで。気温差が30度ほどもあるので、コートやマフラーなどの冬物衣料とTシャツが入った大型のスーツケースを持っての移動を余儀なくされる。
パリ行きの飛行機は羽田をほぼ定刻に出発。東京湾で旋回、北を目指す。上空には秋の空が広がっていた。
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<羽田上空には秋の空が広がっていた>

早速、腕時計の針を7時間進め、パリの現地時間にしてしまう。これが私の時差克服方法。
すると、現地では今は夜中の3時半を過ぎたところとわかるので、機内では食事は断り、酒だけ飲んで眠ってしまう。昨日はわざと睡眠時間を短くしていたので、睡魔はすぐにやってくる。
そして、5時間ほど眠ったところで目をさますと、現地時間の朝の9時。今度は、コーヒーを注文し、新聞を読んだり映画を見たりして眠気を取る。そして仕上げに、軽く食事。
こうして、約12時間のフライトの後、飛行機は午後4時前にパリ上空に達した。機内のアナウンスによれば、パリの天候は曇り、気温は12度。
シャルルドゴール空港に降り立ち、愛想のいい係官のたどたどしい日本語に迎えられて、パスポートコントロールを抜ける。
空港の荷物受け取り場でWHOの障害者問題専門家のチャパルさんノ姿を捜す。事前のメールでは、チャパルさんとターンテーブルの前で落ち合うよう打ち合わせていたのだが、彼の姿がない。そこで、彼の携帯に電話すると、ジュネーブからの彼のフライトは別のターミナルだったので、構内ではなく外で待っているとのこと。
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<ホテルに着いたら冷たい雨が降っていた>

羽田でチェックインした大型のスーツケースを受け取り、まずは、破損がないかチェック。というのも、前回のパリ出張時にはスーツケースの車輪が壊れていたことを思い出したからだ。
外に出て、チャパルさんと合流。
一緒にタクシーに乗り込む。彼は、私に会うためにジュネーブのWHO本部からわざわざ同じフライト、同じホテルを予約して来てくれたのだ。
ホテルについて、タクシーを降りようとして雨が降り出しているのに気がついた。車の中で話に夢中で外の様子を見ていなかったのだ。ホテルに着いたら外へ夕食に行こうと話していたのだが、急遽、予定を変更。ホテル内のラウンジで話を続けることに。
しばし、話をした後、お腹がすいてきたのでやはり外に行くことに。雨は殆ど止んでいたので傘を持たずに出る。しっとりと湿気を含んだ冷たい空気を感じた。直ぐ向かいの小さなビストロで食事。
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<ホテルの窓の外、遠くにエッフェル塔が見えた>

10時35分 羽田発
16時10分 パリ着
17時 WHO チャパルさん 
19時半 夕食
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