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大野修一(日本財団)
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日没迫る羽田に到着 [2016年08月23日(Tue)]
8月23日(火曜日)
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<バンコクの朝>

朝7時、昨日、到着時に往復割引を使って予約していた空港リムジンタクシーでホテルを出発する。
平日の朝のバンコクは、いつも渋滞の危険と背中合わせ。一応、時間的には十分な余裕を見て出発するようにしているのだが、ヒヤヒヤさせられることが多い。だから、本当は車ではなく、電車を使うようにしたいところ。
今回のバンコク経由の帰国にあたっては、もともとの計画では、スーツケースはヤンゴンから羽田に直行させ、私は、機内持ち込みの小型キャリーバッグだけで、バンコクのホテルとの間を往復するつもりであった。
そうすれば、リムジンタクシーではなく、割安で交通渋滞に巻き込まれることもない電車(ARLやBTS)を利用することができる。
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<眼下に大きく蛇行する川が見えた>

ところが、今回初めて利用したタイ航空系のバジェットエアラインでは、タイ航空以外の航空会社へは荷物のスルーチェックインが出来ないという。そこで、バンコク空港で受け取ることを余儀なくされた。そのまま、出発階に移動し、日本に向かう便を運営する航空会社のカウンターを探したが、開いているところはなかった。
そこで、已む無くリムジンタクシーでの往復となった次第。一般のタクシーより割高だが、タクシーは使いたくない。バンコクで空港とホテルを往復するタクシーは、猛烈なスピードで高速道路をぶっ飛ばすのが常。にもかかわらずタクシーには後部座席の安全ベルトが整備されていないのが普通。危険この上ない乗り物なのだ。実際に、死亡事故が多発しているにもかかわらずなのである。
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<上空1万メートルに達しても雲があった>

幸い、一般道の段階では渋滞が結構ひどかったのだが、高速道路は反対側の車線こそノロノロ運転ではあったが、市内から空港へ向かう方向は空いていた。無事、予定の時間帯に空港に到着。余裕を持って帰国便に乗りこむことができた。
バンコクも今は雨季。今回は、幸いにして地上では雨に降られることはなかったが、上空はどこまでも雲が垂れ込めていた。通常は、200−300メートルも上がれば雨雲を抜けて青空に到達するのだが、今回は、どこまで上昇しても雲がある。ついに、雲のうえに達した時は、高度1万メートルの巡航速度に達していた。
しかし、そこからは幸いにして大きな揺れもなく、飛行を続け、ほぼ定刻に夕方の羽田に到着。のべ4カ国、9日間の出張が終わった。
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<夕方の羽田に到着>

07時 ホテル出発
09時45分 バンコク発
17時55分 羽田着
カンボーザ銀行幹部と会う [2016年08月22日(Mon)]
8月22日(月曜日)
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<カンボーザ銀行の店頭風景>

今日は、ミャンマーでの最終日。午後の便でバンコクに移動するのだが、その前に二つ会合が入っている。最初は、KDDIのミャンマー現地法人の山田さんとのミーティング。その後、ミャンマーの商業銀行最大手、カンボーザ銀行の幹部との面談だ。午前9時前にホテルをチェックアウトし、ロビーで山田さんと会う。
その後、そのまま、チョースワーミンさんの車に乗りカマユート地区にあるカンボーザ銀行本店へ向かった。昨日の雨もすっかり上がり、今朝の気温は既に35度になっていた。
道路がすいていたので予定の時間より少し早く着いたので、銀行の窓口にある長椅子に座って、ティンニュント博士とネイリンソー君が到着するのを待った。
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<カンボーザ銀行の幹部と記念写真>

すると、そこへキャリーバッグを引いて現れたまだ若いビジネスマンがテキパキと自己紹介をした。彼が今日の面談相手のアウンチョーミョー常務だった。彼は中国出張からさっき戻ってきたばかりという。
ほどなく、ティンニュント博士とネイリンソー君が到着。全員が5階の会議室に通され、彼の部下の担当部長らも加わり、会議が始まった。
障害者の雇用促進のために、ICTトレーニングセンターを設立することになった経緯や、UNESCO、Microsoftやミャンマー政府社会福祉省との合意事項などについて説明、ミャンマーの法律に基づく財団法人を設立するというアイデアについて話したところ、非常に好意的なコメントをもらった。さらに彼の上司の専務取締役を紹介される。
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<ヤンゴン空港のカフェはバリアフリーではなかった>

カンボーザ銀行本店を辞して、ティンニュント博士と別れた後、私とネイリンソーさんは、一緒に昼食を取ることにした。銀行の近くで探したが、適当なところが見当たらなかったので、結局、ヤンゴン空港のカフェで取ることに。最近できたが、これまで入ったことのなかった小綺麗なカフェがあることを思い出したのだ。ここなら、渋滞などを心配せずに、出発時間ギリギリまで粘ることができる。
このカフェはシンガポールで有名なブランドだが、入り口に数段のステップが設けられており、バリアフリーへの配慮は全くされていなかった。確か、ミャンマーの外資法では消費者向けサービス業の分野では、まだまだ資本規制があったはず。おそらくはこのカフェは現地資本が所有するフランチャイズではなかろうか。
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<バンコクに着いたが、、、>

ひとしきり、ネイリンソーサンと喋った後、バンコク行きの飛行に駆け込んだ。
飛行機がヤンゴンを飛び立って間もなく、とんでもないミスに気がついた。前の会社の大先輩たちと今夜、東京で会食の約束をしてあったのだ。
なぜか、それがコンピューター上のスケジュールシステムに入れ忘れており、そのため約束していたのがまさに今日だったということにずっと気がつかなかったのだ。
この飛行機のバンコク到着は現地時間の夕方5時。これは、日本時間では夜の7時。とっくに、約束の夕食が始まっている時間だ。冷や汗を感じるが、空の上ではどうしようもない。ひたすら、バンコク到着に備えて、お詫びの仕方を考える。着陸してすぐさま国際電話。
夜は、施工管理を専門にする会社の社長である内藤さんと。日本料理店で夕食をとりながら、ヤンゴンのICTトレーニングセンターに関する打合せ。

09時 KDDI山田さん
10時半 ホテル出発
11時 KBZ打合せ
15時00分 ヤンゴン発
16時55分 バンコク着
19時半 内藤さん夕食打合せ
MILI新戦略方針を話し合う [2016年08月21日(Sun)]
8月21日(日曜日) 
朝メールをチェックすると、何と社会福祉大臣ご本人からの返事が届いていた。12月のパリのUNESCO本部でのイベントへの招待に感謝する言葉とともに、参加に同意するとの内容だった。ありがたい。それにしても、大臣が直接、返事をくれるというのは驚き。これまでの政権では、面談一つにしても、書面での申請をしなければならないなど、時代錯誤とでも言うべき大仰な様々な手順が必要だったのだ。
大臣からのメールに返事をした後、私は、散歩を兼ねて、久しぶりに中央駅近くのスーパーに買い出しに出かけ流ことにした。駅に向かう大通りを歩いていると、いつの間にかBRTの停留場が出来ていることに気がついた。BRTというのは、最近運行が始まった冷房完備の綺麗な大型バスである。
今でも、ヤンゴン市内を走る路線バスの大半は、日本製の中古バスだが、それらの凄まじいほどのオンボロバスと比べると眩いばかり。
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<冷房完備の黄色いBRTバスは中国製と韓国製>

モダンなBRTバスの姿は、近年、急速な発展を遂げるヤンゴンのシンボルそのもの。さらに、スーパーの前にはATMの機械が据え付けられていた。これも以前にはなかったものだ。
スーパーの中に入って、今夜の夕食用の食べ物を物色する。昨日は、ホテルのサンドイッチを食べた。ただ、それだと割高だし、ケンタッキーのバーガーも食べ飽きたので、今日は、久しぶりにこのスーパーのパンを買ってきて食べようと考えたのだ。
バンコクでも一人きりで夕食を食べるときは、ホテルの近くのスーパーのイートインコーナーや、路上の屋台で済ませたりしたものだが、ミャンマーでは屋台の食べ物は質の悪い油を使っている可能性が高いので避けるよう知り合いの医師たちからはアドバイスを受けているので屋台のものは買わないようににしている。また、油っこいミャンマー料理は胃にもたれるので夕食には禁物。シンプルなサンドイッチが一番だ。
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<ATMが出現していた>

その代わり、スーパーのイートインコーナーのサンドイッチや、パン屋さんのピザやおかずパンを買って食べている。最近は、KFCなど外資系のファーストフード店も増えたので選択肢が増えたが、大概はサンドイッチ。これが意外と美味しい。
スーパーでは、ビールの棚に日本の大手メーカーのものが並んでいるのに気がついた。この国でも、中産階級が生まれつつあるということか。
バナナは一房が約100円。一本は10円ほどの勘定だ。そば焼酎はシャン州コーカン地区で麻薬栽培に代わる作物として日本政府の支援のもとで栽培されている日本由来の蕎麦を原料にしたものが数種類発売されている。今回初めて、度数が18度と比較的低くためか、330ミリリットル入りの小瓶が140円と格安のものを発見。割るためのジュースと一緒に、夕食時のドリンク用にと試しに買ってみる。
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<日本のビール会社が進出>

スーパーからの帰り道、キリストや仏様の絵を並べて売っている露店の前を通った。そこに、スーチーさんの肖像画も売られているのを発見。なるほど、スーチーさんはミャンマーの庶民にとっては単なる政治家ではなく、キリストや仏様と並ぶ神のような存在なのだと得心。
午後からは、11月に予定している尾形理事長とミライロの岸田さん母娘の訪緬の際の通訳をお願いしようとしているモンさんと面談。彼女とは初対面だが、以前、日本財団がファンドレイジングのプロモーションビデオ制作の件で、養護学校のNew World Shoolを訪れた際に通訳をお願いしたのがモンさんだった。
岸田さんがミライロ社で講師を務めるに至った過程や、社長の垣内さんと岸田さんのお嬢さんの奈美さんの出会いなどを説明したところ、モンさんは大変感動、11月のマンダレーとヤンゴンでの通訳を快諾してくれた。
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<露店ではスーチーさんの肖像画がキリストや仏様と並んで売られていた>

夕方からは、MILIの幹部3人全員にに集まってもらい、昨日の個別面談を踏まえての経営コンサルタントのチチニェインさんとの話し合いについて説明。その結果、改革に向けた基本的な方向性については、3人の間で合意することが出来た。そして、その方向に沿って、来月末までに、来年から始まる新5カ年計画、来年度分の予算原案を用意してもらい、それを元に最終案を作成することになった。
MILIの幹部3人との話を終えて、彼らを送るべく、ホテルの外に出ると、雨が降っていた。今回、ヤンゴンに来て初めての雨。
部屋に戻り、昼前に買っておいたサンドイッチを食べる。ホテルの高いサンドイッチとの違いはあまりない。今日はビールに代えて焼酎サワー。これが意外と美味しかった。
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<夜はついに雨になった>

13時 モン通訳
14時 間遠職員
17時 MILI幹部3人全員と面談
一難去ってまた一難 [2016年08月20日(Sat)]
8月20日(土曜日) 
朝起きて一番にメールをチェック。すると、ユネスコのインドラジットさんから返事が丁度、届いていた。12月のイベントは、当初予定の3日ではなく2日にすることになったとの連絡。そこで、早速、ウィンニャッエー社会福祉大臣のメールアドレス宛に直接、参加依頼のメールを入れる。
朝10時、ロビーでユヤトゥーさんと会う。MILIの組織改革に向けた意見交換。さらには、前回、経営コンサルタントのニェインニェインさんから提案のあった、幹部職員や一般職員の研修や、職員数の見直しなど、来年度から始まる5年間を、さらなる飛躍に向けた第2期の5カ年として、長期的な戦略を策定することを提言する。
彼女との打ち合わせを済ませて、部屋に戻ってメールをチェックすると、経営コンサルタントのニェインニェインさんからもメールが届いていた。
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<携帯は「圏外」の表示>

今日の夕方の彼女との面談の時間を5時半ではなく、5時にしてほしいとの連絡。その前のアウンコさんとの面談を少し、前にずらせば良いだけなので、OKの返事をする。
ところが、アウンコさんに連絡を取ろうとして、昨日は繋がった方の携帯がなぜか「圏外」表示になっているのに気がついた。そこで、昨日はなんどやっても繋がらなかったもう一方の携帯を念のためチェックすると、今度はこちらは正常表示。そこで、こちらを使ってかけてみるが、話し中。しばらく置いてかけ直してみると、英語で「out of service area」とのたまう。
ミャンマーでは珍しいことではないが、それにしても使いづらいことはな甚だしい。そこで、ホテルの部屋にいるのを幸いに、部屋の固定電話を使って彼の携帯にかけることにした。これが一番確実なのだ。果たせるかな一発でかかったが、本当に話し中だった。
そうこうするうちに、ネイリンソーさんとの約束の時間になってしまったので、再び、ロビーへ。
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<ホテルのロビーにはここでも中秋の節句の月餅を販売するための特設コーナーが出来ていた>

将来の政治の世界への転出に向けて、来年からは、故郷でコミュニティー活動に従事する予定の彼には、来年からはMILIでは非常勤役員の立場で手伝ってもらう予定。彼にも、ユヤトゥーさんと話し合った内容を伝え、引き続きの協力を頼んだ。
その時、思いついて彼の携帯からアウンコさんにかけてもらうことに。すると、「圏外」のメッセージだという。駄目元と思いつつ私の携帯を試してみると、なんと繋がった。ところが、「話し中」のメッセージ。どっちが本当か。どっちも嘘か。
彼はこれから社会福祉省でのヒアリングのためにネピドーに行くというので、これ以上引き止められない。私は、部屋の固定電話を使うので大丈夫と、彼と別れる。部屋に戻り、もう一度携帯でかけてみようとすると、今度はこれまで繋がっていた方の携帯も今「圏外」になっているのに気がついた。
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<外のサンドイッチなら1ドルからあるのだが、、、>

すると、部屋の電話が鳴った。出てみるとネイリンソーさん。アウンコさんの電話にやっと繋がっ他ので時間の変更について伝言してくれたとのこと。やれやれこれで一安心。それにしても、何という電話事情。
こうして無事に、アウンコさんとのミーティングは3時半からに繰り上げ、5時前には終了。そして、5時からはチチニェインさんと会ってこれまでの一連の個別面談について報告、今後のMILIの新5ヶ年戦略の策定に向けた、経営改革の進め方について相談することが出来た。
チチニェインさんとのミーティングを終えて、彼女を車寄せにまで送りロビーに戻ると、顔見知りのレセプショニストの女性従業員に「土曜日なのに、お忙しいんですね」と声をかけられた。
そう言えば、今日は一日中、ホテルから外に出ることもなくロビーと自分の部屋だけを往復していたのだが、本当に疲れた。外に夕食を買いに出る元気も無くなっていたので、ロビーの前の売店で売っている割高なサンドイッチを買って部屋に戻る。時計を見ると7時になっていた。
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<ホテルのサンドイッチは7ドル>

10時 ユヤトゥさん 
13時 ネイリンソーさん
15時半 アウンコさん
17時 チチニェインさん
国立老人デイケアセンターへ [2016年08月19日(Fri)]
8月19日(金曜日) 
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<何と野生の猿が屋根の上に>

朝6時半、目覚ましの音で目を覚ます。今日はヤンゴンに移動する日だ。
天気を確認しようと窓の外を見ていて、隣の建物の屋根の上になにやら動くものがいることに気が付いた。鳥かな、それにしても大きいな、と思ってよく見ると、なんと猿だった。野生の猿が3匹。屋根の上で日向ぼっこでもするかのように朝日を浴びていた。
7時半、ソルヤ君運転の車に乗り込む。昨夜レストランからの帰り道、彼と相談の結果、交通渋滞に備えて、今朝は早めにホテルを出発することにしたのだ。万が一にも、飛行機に乗り遅れてはならない。
空港へ行く道がなにやら物々しい。道路沿いのあちこちに、また交差点の辻々に、多数の警察官。さらに、憲兵や、兵士の姿まで見られるではないか。
運転手のソルヤ君は、ケムレイ氏の暗殺事件以来、警察官が増員されているからではないかと言うが、それにしても数が多い。
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<外遊するフンセン首相一行の警備に配置された警官と軍隊>

そういえば、一昨日、会った官房副長官といった立場にあるブンサンボ氏が言っていたのを思い出した。そうだ、今日はフンセン首相が東チモールへ出発する日だった。
そうこうするうち、サイレンをけたたましく鳴らして疾走するパトカーに先導された車列が我々を追い越して行った。フンセン首相の車列だった。
首相一行を通すための交通規制にもかかわらず、今日の交通事情は順調。8時10分頃には空港に着いてしまった。新しいターミナルが朝日を浴びて聳えていた。ソルヤ君によると、今年の9月には全日空の直行便が成田プノンペン間に就航の予定とか。
果たして、十分に客は集まるのだろうかと心配になった。シエムレアップのような観光都市ではないプノンペン行きでは、ビジネス客が中心にならざるをえないと思うが、果たして、2018年を控えて、カンボジアのビジネス環境は大丈夫なのだろうか。
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<新装なったプノンペン国際空港>

無事にバンコクでヤンゴン行きに乗り継ぎ、ほぼ定刻にヤンゴンに到着した。
ところが空港には、いつも出迎えをお願いしているMILIの運転手チョースワーミンさんの姿が見えない。電話をしたが繋がらない。そこで、MILIの担当者のユヤトゥーさんにかけようとするがこちらも繋がらない。ミャンマーでは携帯電話事情が悪く、なかなか繋がらないことは決して珍しくない。そのため、私は機種の違う2台の携帯を手放せない。だが、今回は両方を試してみても繋がらない。こんな時は本当に困ってしまう。
何度か試した後で、ようやく、MILI幹部の一人、アウンコミンさんへの電話がつながり、彼からチョースワーミンさんに話してもらうことに。間もなく、チョースワーミンさんと電話が繋がった。私が日本からの直行便に乗ってくるものと勘違いしていたらしい。しばらく空港で待って、やっと彼の車に乗り込む。
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<国立老人デイケアセンターへ>

車の中から、3時に会って一緒に国立老人デイケアセンターに行くことになっていたティンニュントさんに電話、約束の時間に遅れそうだと詫びる。ならば、直接、国立老人デイケアセンターに向かうようにとの指示。
デイケアセンターで所長のケイティチョーさんに会う。数分遅れて、ティンニュント博士も合流。一緒にICTトレーニングセンターの設立に向けての手続きなどを話し合った。
12月のパリのユネスコ本部での発表記者会見に社会福祉大臣を招待するアイデアについて話すと、ティンニュントさんからは、大臣への連絡を急いだ方が良いとのアドバイス。
日程が今ひとつ不確かだったので、ユネスコのインドラジットさんに確認を求めていたが返事がなかったので、ホテルに着いてチェックインしてすぐにパソコンを開き、督促のメールを送る。
夕食は、ホテルの近くのケンタッキーで買ってきたチキンバーガーをホテルの部屋でビールと一緒に味わう。
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<ヒンズー寺院の隣にケンタッキー>

07時半 ホテル出発
10時10分 プノンペン発
11時15分 バンコク着
13時15分 バンコク発
14時10分 ヤンゴン着
15時半 ケイティチョー博士
「夢の貯金箱総選挙」のおかげで、、、 [2016年08月18日(Thu)]
8月18日(木曜日) 
朝8時半、ソルヤ君の車でホテルを出発、郊外にあるカンボジア義肢装具士学校(CSPO)に向かった。
診療所や寄宿舎を併設したここの校舎と事務所は、総て、日本財団の寄付によって6年前に完成したもの。当時は、畑や野原に過ぎなかったCSPOの周辺には、今や住宅や商店が立ち並び、結構賑やかな場所になった。
約束の時間の5分ほど前に到着して、診療所から入ると校長のシサリーさんが、患者たちとなにやら話し込んでいた。
壁の横に掛かったテレビには陸上競技に取り組み障害者の姿が。よく見ると、パラリンピックのロゴ。思わず、「えっ、リオですか」と聞いてしまった私に、シサリーさんは答えた。「いいえ、これは4年前のロンドンでの記録映像です。ビデオです。障害者たちの励みになると思っていつも流しているんです」
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<カンボジア義肢装具士学校のシサリー校長と患者たち>

なにやら患者たちに声をかけると、シサリーさんは直ぐに立ち上がり、私を校長室に案内してくれた。彼女のスタッフも交えて、打合せが始まった。テーマは、CSPOからの提案で始めた障害を持った大学生に対する奨学金。今年で5年目となるこの奨学金を受給しているのは50名ほどの大学生。と言っても、この学校の学生たちではなく、彼らの専攻は、教育学、情報工学や、会計学、法律学など様々だ。にも拘らず、CSPOがそれを担っているのには訳がある。
そして、そこには、シサリーさん自身の熱い思いも反映されているようだ。彼女自身は障害者ではないが、このCSPOの第1期の卒業生だ。当時、日本財団の支援により、授業料は免除。成績優秀で将来を嘱望されたことから、彼女は、日本財団を含む様々なドナーからの奨学金に支えられて、英国の大学に進み、その後、海外での指導員の経験を経て帰国し、今では母校の校長に就任したと言う訳だ。このように、この学校の教員の殆どはこの学校の卒業生によって占められている。
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<Bi-Salonで実習中の聴覚障害者たち>

私は、シサリーさんとの会議を終えると、市内にとって戻した。ケムラさんが営む美容スパ、「美サロンBi-Salon」へ。
そこでは、ニコニコ顔の若い女性たちが迎えてくれた。基礎コースのトレーニングを終えて、現在は実習中の聴覚障害者の女性たち5人のうちの4人であった。
彼女たちが所属しているDDP(Deaf Development Program)は、日本財団とは以前から長い付き合いの聴覚障害者支援組織。基礎教育を受けないまま就学年齢を過ぎてしまった聾唖の青年たちに、手話を通じてカンボジア語を習得させ、基礎教育を施してきた。最近ではさらに、理容技術などの職業訓練も実施している。
彼女たちは、最近、私の提案でDDPが始めた「美サロン」付属の美容トレーニングスクールでの聴覚障害者用コースに参加。それを終了し、このほどインターンを始めたと言う訳だ。彼女たちの活躍が聴覚障害者の若い女性たちの間で評判を呼び、間もなく、2期生の募集が始まるという。
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<生まれて初めて、ネイルとヘッドスパを体験>

今回、私が「美サロン」を訪れたのは、日本財団が「夢の貯金箱」と名づけた自動販売機を通じての寄付集めで得た資金を使って、この美容トレーニングスクールを支援することになり、経営者のケムラさんとその打合せをしようというもの。
ところが、「美サロン」に着いて間もなく、ケムラさんの勧めで、私は、このインターン生たちに、ヘッドスパとネイリングをしてもらうことになってしまった。
勿論、総て、生まれて初めての経験だった。あまりの気持ちよさに途中で眠り込んでしまい、小一時間後に揺り動かされて起きた時には、頭から爪の先までぴかぴかになっていたと言う次第。
その後、昼食をとりながら、ケムラさんと今後の支援事業の進め方について色々と話し合った。
食事の後、私はケムラさんと一旦別れ、DDPに向かった。
DDPでは、チャーリー神父とソクリ事務局長に会い、ケムラさんとの打合せの報告をした。
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<これが7月10日の惨劇の舞台となったコンビニ>

そして、DDPからの帰り道、すぐ近くのところにあるニョニュム編集部に責任者の山崎さんを訪問。少し、立ち話をしただけで別れ、シャワーを浴びて服を着替えるためにホテルに戻った。
途中、あるガソリンスタンドの横に併設されたコンビにの脇を通過しようとして、ソルヤ君が声を潜めて教えてくれた。「ここが、例の暗殺事件の現場です。警官がいます。カメラを向けないように。」
7月10日、この場所でジャーナリストのケムリーさんが男に銃で撃たれて死亡する事件があった。警察は犯人を検挙するとともに、動機が借金問題にあったと発表したが、市民の間には政府に対する不信感が高まっている。というのも、ケムリーさんが各方面からの再三の警告にもかかわらず政府批判のキャンペーンを続けていたからだ。彼の死の直前には、汚職問題告発で有名な国際NGOであるGlobal Witnessが、フンセン一族がカンボジア国内で総額2億ドル以上の資産を不正に溜め込んだ、という報告書を発表し、大きな話題になっていたという。
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<フンセン首相の親族経営企業による豪華マンション建設現場>

彼の葬儀には、何と200万人もの人が参加したと伝えられている。これまで、野党のジャーナリストが暗殺されると言うような事件はいくつもあったはずのカンボジアだが、今回は、市民の受け止め方は大きく異なるようだ。
カンボジアは来年からは政治の季節に突入する。来年の統一地方選挙の後、再来年は総選挙なのだ。外国資本にとって、投資先としてのカンボジアの魅力は第一に、フンセン首相による超長期政権という政治の安定であった筈だが、それが損なわれたら一体どうなるのだろう。
6時半からはDPPのチャーリー神父、ソクリさんも交えてケムラさんらと打ち合わせを兼ねた夕食。
ところが、途中の道路が大混雑。普段なら15分ほどの距離が30分もかかってしまった。10分遅れで到着してみると、他のメンバーも渋滞にはまり今着いたばかり。プノンペンの道路事情は悪化の一途をたどっているようだ。
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<一方で、庶民の生活は貧しい>

08時半 ホテル出発
09時 CSPO訪問
10時 MILI本部訪問
11時 Bi-Salonケムラさん
14時40分 DDP訪問
17時 ニョニュム編集部訪問
18時半 夕食会
久しぶりにブンサンボ官房副長官に会う [2016年08月17日(Wed)]
8月17日(水曜日) 
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<色とりどりの雨合羽が道路を覆う>

朝、7時半。私は、ホテルのロビーでVBSPのチーさんを待っていた。昨日、ホテルに送ってもらう時に、「今日の空港への送りもしますから」と言われ、有難く好意を受けることになった。ただ、ホテルの出発時間については、8時ではどうかと言われたが、朝のラッシュアワーでもあり、もし雨が降れば、渋滞の心配もあると考え、敢えて7時半にすることにしたのだ。
果たせるかな、今朝は雨。ホテルのロビーから見る外の通りはいつもに増して混み合っているようだ。やはり、7時半にしておいて良かったと思って20分頃にチェックアウトを済ませて待っていたのだが、7時40分になっても姿がない。雨のために遅れているのだろうが、あれだけ8時ではなく7時半にホテルを出発しようと取り決めていたのだ。7時45分を過ぎて思い余って彼女の携帯に電話したら、ちょうど着いたところだった。
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<雨の中、空港に向けて高速道路を進む>

「雨が降って道路が混んでたので」と言われてまたまた唖然。日本では考えられないベトナム人の大らかさに脱帽。
幸い、市内中心部こそ雨で道路は混雑していたものの、高速道路に入ると交通はスムーズ。無事、空港には遅れることなく到着。チーさんに「ほら、ちゃんと着いたでしょ」と言いう言葉に送られて、空港のターミナルに入る。
今日は、これからカンボジアのプノンペンへ。短い距離だが、ハノイからのベトナム航空機は直行便ではなく、ラオスのビエンチャンを経由する。前にも乗ったことがあるので要領はわかっている。ビエンチャンでは機内に留まることは許されず、しかも、荷物を持って、一旦、全員が飛行機を出て、小さな空港ターミナルに移動し、そこで出発の準備が整うのを待って再び、機内に乗り込むという形式だ。
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<ビエンチャンに着いた>

しかも、機内から空港のターミナルに出る際には、X線での荷物チェックがあるのが煩わしい。
ビエンチャン空港での出発までの待ち時間は30分ほどと言われて、空港の本屋などを覗いているとあっという間に時間が経った。ふと、指定されたゲート前を見ると、誰もいなくなっていた。慌てて、ゲートを通り機内へ。そう、30分ほどと言うのは出発までにお時間なので搭乗時刻はそれより10分以上早いので、実質的な待ち時間と言うのは殆どないに等しいのだ。危うく乗り遅れるところだった。そう言えば、前回も同じような経験をしたのだった。
ついでに言っておくと、このビエンチャンからの飛行機の行き先は、ホーチミン行きに変わっていた。そう、プノンペンは経由地に過ぎず、この飛行機の最終目的地はベトナムのホーチミン市。即ち、ベトナム発ベトナム行きの国際線と言うことになる面白いルートなのだ。それを知っておかないと、一瞬、パニックになりそうになる。
こうしてプノンペン空港に着いた。昨年末に開業したばかりの新しいターミナルだ。
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<空港の入国チェックで配られた宣伝パンフ>

カンボジアの近年の高成長を象徴するような大きくて新しいターミナルだ。そう言えば、しばらく前からカンボジアの入国時のビザは電子ビザになった。事前に、オンラインでビザの手続きを済ませておくと、現地での手続きは要らなくなった。カンボジアの税関では今でも海上荷物などの現場では賄賂を要求されることがあるという噂を聞いたことはあるが、少なくとも、入国管理の現場ではそんな経験はない。今も、入国カウンターには「Here, you don't need to pay」とかいう掲示がなされているが、それは過去の話になったようだ。
ただ、今回、入国管理のカウンターを去るときにパスポートに挟んで渡されたものを見て驚いた。何と不動産の宣伝パンフだった。対価として受け取る筈の金額は誰の懐に納まるのだろうか。
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<プノンペン空港にもタクシーが増えた>

税関を抜けると、いつもの運転手、ソルヤ君の姿があった。彼とは、15年にもなるだろうか。長い付き合いだ。私が日本財団に入り、国際部の事業を担当するようになってカンボジアに頻繁に出張するようになった2001年当時は、空港にはタクシーの姿はなく、殆どの到着客は、受け入れ先からの出迎えを受けるか、ホテルなどを通じて自分でチャーターしておいた車を使うしかなかったのだ。
今ではプノンペン空港にもタクシーが増えたので、チャーター車を使う必要はなくなったのだが、私のプノンペンでの仕事での行き先を大概承知しているので便利だし、何より、彼の失業対策と言う面もあって今も彼に送迎から市内での移動までまとめて頼むことにしている。
さて、彼の車で最初に、ブンサンボ官房副長官の自宅を訪問し、私が彼に名誉会長をお願いしている教育支援事業の担当を外れたことの挨拶。そのあと、ホテルにチェックイン。そして、その事業を担当するNGOの新旧事務局長と夕食。

07時45分 ホテル出発
10時00分 ハノイ発
13時15分 プノンペン着
15時 ブンサンボ官房副長官訪問
17時 北野さん
19時 ESC新旧事務局長夕食会
ベトナム版「政策研究大学院大学」 GASS [2016年08月16日(Tue)]
8月16日(火曜日) 
朝、目を覚まして時計を見ると5時だった。ベトナムと日本では時差が2時間あるので、日本時間ではもう7時だ。
ホテルの部屋の窓の外にはザンボー湖が広がる。いつも泊まるホテルなので見慣れた景色だが、近年、高層建築物が目立つ。遠くに、工事中の高層ビルも見える。今日は、曇り空。雨に備えて傘を持って出ることにしよう。
がホテルのロビーで、前回もお世話になった政策研究大学院大学(GASS)の研究員の若い女性、リンさんと落ち合う。GASSの車で政策研究大学院大学の本部事務局に向かう。
今日の天気予報を尋ねた私に対し、曇り空を見上げてリンさんが言う「ハノイは間もなく秋ですので、雨になるかも知れませんね」、「えっ、秋ですか?」、「そう秋です」。
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<ホテルの窓からの眺め、高層建築物が増えた>

政策研究大学院大学(GASS)とは、「ベトナム版政策研究大学院大学」とでも言えるのではなかろうか。通常の大学のような学部生はおらず、日本の政策研究大学院大学(GRIPS)と同じ様に、大学院生のみが修士号と博士号の取得を目指して研究生活を送っている。2010年の創設と新しい大学院大学だが、学生数は既に約3300人というから驚きだ。
間もなく、本部事務所のあるビルに到着。昨年の12月にも訪問した同じ場所だ。学長のヴォカィンヴィン教授らが揃って会議が始まった。
議題は、障害者の農業生産活動に関する共同研究事業の進め方について。
これは、予てから、障害者公共政策大学院(IDPP)の共同研究テーマとして我々が期待していたもの。GASSが名乗りを上げて、今学術年度から始まることになった。
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<ヴォカィンヴィン学長以下のメンバーと会議>

ただ、IDPPは、今年からASEANの大学間ネットワーク「AUN」の正式テーマ事業「DPP-net」として始まることになっており、事務局もアメリカン大学からマレーシアの国立マラヤ大学に移管される。移管に伴い生じてくる手続き上の問題と合わせて、マラヤ大学としても、DPP-netでの共同研究事業の扱い方に戸惑い、調整を依頼されたのだ。
この事業の責任者として、副学長のブービエンハイ教授を紹介される。バンコクのマヒドン大学以来のおなじみの、ドフーハイ准教授も加わり、総勢6人の幹部が顔を揃えて会議が始まった。
先方のアイデアと当方が期待するものとの相違点を指摘、議論の結果、ようやく新しい事業の骨格について合意、事業開始に向けて手続きを進めていくことになった。
会議の後、場所を移し昼食会となった。
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<雨が降ってきた>

この席でも、話題はもっぱら中国のベトナム領海侵犯騒ぎに始まり、最近の中国とベトナム関係など外交に関するもの。日中関係や、安倍政権の対中姿勢の話でも大いに盛り上がる。稲田防衛大臣の評価は、期待も含めてここでも異常に高いのが印象的。
ただ、話に盛り上がるあまり、なかなか食事会が終わらない。次のアポは2時からのベトナム国立社会政策銀行(VBSP)訪問だ。1時半を過ぎた頃に、私が腰を浮かしかけると、「VBSPの場所はここから30分もかからないし、そこまで送っていくから心配ない」とリンさん。
1時45分になったので、さすがに「もう行かねば」と、お開きにしてもらった。
連れてきてもらった時と同じ車で、VBSPに向かって出発した時はすでに1時50分を過ぎていた。それでも、リンさんは悠然と運転手と楽しく雑談。
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<ホテルの前の大きな看板>

ところが、2時を過ぎても到着しない。車は先ほどから同じところをウロウロ。この段になって何と、「VBSPの住所を教えて欲しい」と言われ唖然。東南アジアでは最も几帳面な民族だという印象のベトナム人だが、改めて南方人のおおらかさに驚かされた次第。
結局、約束の午後2時に遅れること15分でやっとこさ到着。玄関を入ったところで、立っていた若い女性が「お待ちしていました」と迎えてくれた。担当のチーさんだった。彼女とは初対面。
早速、会議室に通され国際局長のニャンさんらいつものメンバーと会う。真っ先に、約束の時間に遅れたことを詫びたが、ニャンさん達は、特に気にする様子はなく無事に会議がスタート。
帰りは、昨日の空港に出迎えてくれたVBSPの車でホテルに送ってもらった。
雨が降ってきた。担当のチーさんも、「もうすぐ秋ですから」とリンさんと同じ言葉を繰り返す。この暑さでもうすぐ秋とは、ちょっと違和感。
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<中秋の節句の月餅が販売中>

ただ、ホテルのロビーには月餅の販売コーナーが設けられていた。日本と同様に、中国文化の影響を強く受けたベトナムでも9月15日は中秋節なのだ。
夜は、NHKのハノイ支局長に就任したばかりの横田さんを誘って、日本財団とは長い付き合いの障害者支援などを行う国際NGOであるVNAHのハノイ代表のハイさんと一緒にベトナム料理店に。
私の好物はベトナム料理。しかし、今回の心残りは、一番好きなブンチャーを食べられなかったこと。しかも、私の定宿のホテルの目の前に専門店があるというのに、、、。
ハイさんによると、6月にオバマ大統領がハノイに来た時に、案内されたのは旧市内にあるブンチャー料理専門店だったとか。おかげでブンチャーが外国人観光客の間でも知られるところとなり、今ではその店は外人客で大混雑だという。今度は、ぜひ行ってみよう。

09時半  ホテル出発
10時 GASS訪問
12時 昼食打ち合わせ
14時15分 VBSP訪問
19時 NHK横田支局長
夕方の便で久しぶりのハノイ [2016年08月15日(Mon)]
8月15日(月曜日)
今日は、久しぶりのハノイへ。夕方の便なので、3時半までは日本財団で仕事をして東京駅から成田エキスプレスに乗ることに。
自宅から財団までは、出張用の荷物を持って電車に乗るので、ラッシュアワーを避けて、9時半過ぎに家を出る。
財団での会議は、9月末に行われる日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムに関連するもの。3時半に終えてすぐに出るつもりが、荷物をまとめるのに手間取り、財団前に待たせてあったタクシーに飛び乗ったのは3時40分。
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<ホームにはもう成田エキスプレス>

東京駅に急いだが、途中、渋滞こそなかったものの信号待ちや、東京駅まえの工事による迂回などで予想以上に時間がかかり、成田エキスプレスが出発する地下ホームに辿りついたのは、出発時間3分前の3時00分だった。
関東に接近しているという台風のせいか、空には雲が垂れ込め、風が強い。しかし、成田空港は混雑していた。そうか、学校は夏休み、勤め人はお盆休みということで海外旅行シーズンの真っ只中だったのだ。
ハノイへ飛ぶ。5時間半ほどのフライト。
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<成田空港は混雑していた>

以前は殆ど二ヶ月に一回くらいの頻度で通っていたこともあるベトナムだが、最近は日本財団が支援する事業が減ったことに加えて、私自身の担当する海外事業も障害者関連に限定されるようになったため、すっかりご無沙汰するようになっている。出発前に調べてみると、前回は、昨年の12月。と言うことは、半年以上の間隔を置いての出張ということになる。
今回のベトナム行きの目的は主に2つ。社会科学大学院大学(GASS)と、ベトナム社会政策銀行(VBSP)での会議。
定刻よりも30分ほど早いハノイ到着となった。
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<ハノイの空港も大混雑>

新しい国際線ターミナルは、日本の経済協力で2015年の1月にオープンしたばかり。それまでのターミナルはとてもこじんまりしたものだったが、今度のはガラスを多用した明るくて広大なスペースとなった。国際スタンダードだ。どこへ出しても恥ずかしくなくなったとも言えるが、その分、個性も無くなってしまったように思える。
新ターミナルの中は、夜の10時という遅い時間にも拘らず、観光客らしき団体などで混雑していた。どうやらその中心は中国系らしく、混沌の中で中国語が飛び交う。
国際線ターミナルの外に出てみると、事前の連絡通りベトナム社会政策銀行(VBSP)の職員の出迎えを受けた。
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<広々とした新ターミナル>

自己紹介してくれた若者の名前はアィン。
暗闇の中を、これも新ターミナル開業に合わせて日本の支援で建設されたばかりの市内へ向かう高速道路に入った。アィン君によると、ベトナムでは、防衛大臣に就任したばかりの稲田大臣の人気が高いのだとか。中国との間に領有権問題を抱えるベトナムでは、以前から安倍首相が対中強硬派ということで頼りにされているのは知っていた。だが、稲田大臣人気の事は初耳。
アィン君曰く、美人なのに中国に毅然としているからだとか。このように考えると、先ほど空港内で見かけた多数の中国系の人々、も中国ではなく台湾からの観光客かも。

15時半  日本財団出発
16時 東京駅発
17時25分 成田着
18時25分 成田発
21時55分 ハノイ着

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