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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ヤンゴンには予定より1時間も早く到着 [2016年07月19日(Tue)]
7月19日(火曜日)
0719Sky.jpg
<成田空港には夏空が広がっていた>

朝6時前に我が家の気温計は早くも25度を指していた。本格的な夏の到来を思わせる朝。
今朝のテレビのニュースでは、昨日の東京の最高気温は34度。都内だけで熱中症で救急搬送された人が68人と報じられていた。
7時過ぎに自宅を出て、品川駅から成田エクスプレスに乗り込んだ。11時発のヤンゴン行き直行便に乗り込むためである。
最近は、羽田からの国際便も増えたので成田空港を使う頻度も小さくなったとは言え、幾つかの目的地へは成田便を使わざるをえない。この便利なヤンゴン直行便も、成田発しかない。
ヤンゴン便は定刻に出発。このヤンゴン便で気をつけないといけないことは、向かい風である偏西風の状態によって、飛行速度が変化し、ヤンゴン到着が予想以上に変動すること。
0719route.jpg
<中国本土を通るルート>

一度は約1時間も到着が早まったことがある。その時は、出迎えの車が間に合わず、せっかく速く着いたにもかかわらず、空港で待つしかなかったことがある。
ふと気がつくと、今日の飛行機は、いつものようには東シナ海や南シナ海の上空を飛ばず、中国本土を通るルートを飛んでいた。
そして、タイ上空にさしかかると、飛行機が受けている風がいつものような向かい風ではなく、時速20キロと弱いものの、なんと追い風というコンディション。果たせるかな、ヤンゴンの到着は予定時間より、ちょうど1時間早い14時45分。
しかし、私が前もって1時間ほど早くなる可能性があると伝えておいたおかげで、空港にはMILI(ミャンマー障害者自立生活運動)の営業車の運転手、チョースワミンさんの姿があった。
0719Cloudysky.jpg
<ヤンゴンの上空には積乱雲>

ヤンゴンの天気は曇り、気温は29度。
車で移動中に、MILIの最高幹部の一人アウンコさんから電話。MILIのことで二人だけで話をしたいというので、明日の4時にホテルで会うことに決める。
明後日のネピドー行きについて、ティンニュントさんとも電話で打ち合わせ。やはり朝の出発は、激しい雨に備えて6時半に早めることで合意。
チョースワミンさんによれば、今日は火曜日だが、ミャンマーでは「殉職者の日」という休日。また、月一回の満月の日でもあり、寺院にお参りに行く日という。休日のせいか、道路は空いていた。
「殉職者の日」というのは、一般的な殉教者を対象としているのではなく、1947年のこの日に暗殺された、アウン・サン将軍を始めとする独立のリーダーたち9人を記念する日。
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<今日は殉職者の日>

しかし、1988年以降の軍事政権下では大々的に祝われることはなく、こじんまりと行われていた。ところが、今年は、ミャンマー各地で大規模な祝典が行われ、ヤンゴンでの式典ではミンアウンフライン軍事司令官とスーチーさんが揃って現れたという。
暗殺された時間に合わせて、今日の午前10時37分には黙祷が行われ、これまで禁じられてきた車のクラクションも鳴り響き、ラジオからはサイレンが流されたというのだ。
道理で、街中にスーチーさんの政党NLDの旗を立てた車を何台も見かけた訳だ。久しぶりに見る光景である。
赤地に金の星とクジャクをあしらったNLD旗は昨年の総選挙の頃には市内のあちこちで見かけたものだ。自家用車はおろか、バスやタクシーまで競うようにしてこの旗をつけていたことを思い出した。

07時 自宅出発
11時00分 成田発
14時45分 ヤンゴン着
16時 ホテルチェックイン
早くも帰国 [2016年07月10日(Sun)]
7月10日(日曜日)
0709cloudysky.jpg
<ヒースロー空港を飛び立つ>

ヒースロー空港を出発したのは現地時間の午後7時。これは日本時間では夜中の3時。そこで、私は飛行機に乗り込むと、早速いつものように時差調整に乗り出した。
食事も取らず直ちに就寝。しかし、長くは眠らず、4時間ほどで起き出す。日本時間では朝の7時前。これで良し。これ以上飛行機の中で眠ってしまっては、日本に帰った夜に眠れなくなってしまう。
何と言っても、日本ではもう朝なのだから、ここでは無理してでも起きてしまい、眠らないことが肝要。そのためには、ここで食事を取り、機内映画などを見て眠りに陥ることを阻止。眠くなると、トイレに行くなどして体を動かし、ひたすら眠らないようにする。
眠らずに頑張っている間に飛行機はシベリア上空を飛び続ける。こうして羽田空港に到着。12時間の旅が終わった。
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<羽田に到着>

15時00分 羽田着
ロンドンの休日 [2016年07月09日(Sat)]
7月9日(土曜日)
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<朝4時半の朝焼け>

昨夜、2時過ぎに床に就いたばかりだが、朝4時半には目を覚ましてしまった。日本時間では午後0時半だ。
帰国してからの時差調整のことを考え、寝直さずに、このまま起きてしまうことにした。
窓の外は、もう朝焼けが始まっている。天気予報をチェックすると、本日の予想最低気温は15度。確かに、窓を開けてみるとひんやりしていた。昼間の最高気温も20度どまりなのだとか。
もともとは、今日の朝、10時に予定されていたジョンハニー弁護士との打ち合わせが昨晩に繰り上がった結果、今日は夕方の帰国便に乗るまでたっぷりの自由時間が生まれた。
0709LDNstreet.jpg
<ロンドンの朝>

することもないので、外を散歩してみることに。
2時間ほどホテルの周辺を散歩してホテルに戻り、ゆっくりと朝食をとる。その後、睡魔が襲ってきたのでここで眠ってはならじと再び、外に出かけた。
デパートを覗いてみると、想像以上に大勢のお客さんでごった返していた。中国人を始め、外国人の客が多いと見え、英語以外の言語が飛び交う。Brexit騒ぎでポンドが急落したのを受けて、外国からの買い物客が増えたのか知らん。それとも、在ロンドンの外国人がショッピングのチャンスとばかりに買い物に繰り出した、ということだろうか。
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<本物の犬そっくりに砂の彫刻を作る>

外国人が多いせいか、大英帝国の先行きに対する悲観ムードのようなものは街を行きかう人々の表情からは窺うことはできなかった。
百貨店の歩道に赤いビニールシートを敷いてその上に砂の塊をおいたサンドアーティストと呼ばれる砂の彫刻を行なう大道芸人の姿があった。ゴールデンリトリーバーと思しき大型犬を本物そっくりに作り上げようとしていた。サンドアートの本物を始めて見た。
散歩を堪能したものの、他にすることもないので早めに空港に向かった。昨日買っておいた往復割引切符があったので、再び、パディントン駅から電車でヒースローに向かった。
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<ヒースローエクスプレスのパディントン駅>

16時 ホテル出発
19時15分 ロンドン発
ロンドンで深夜のミーティング [2016年07月08日(Fri)]
7月8日(金曜日) 
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<ホテルの前の歩道>

時差のせいで、朝早くから目を覚まし、ホテルの周辺を散歩した。ホテルの前の歩道は、まるで秋の落ち葉のように黄色い色で覆われていた。よく見ると、落ち葉ではなく歩道に並ぶ大きな街路樹の花が散ったものであった。
今日は会議の第2日目。朝9時前に会議が始まった。今朝のテーマは「Impact Investmentと難民危機」。さすがに、昨今のヨーロッパが直面している最大の問題は難民問題とあっては取り上げない訳にはいかないようだ。ただ、Impact Investmentとの関連は今ひとつ良くわからなかった。もう一つのテーマは、「Impact Investmentの今後の宣伝戦略」。最後に、この集まりを今後どう進めていくのかについての意見交換。今回の参加者に対するアンケート結果が報告された。
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<第2日目の会議では難民問題がテーマに>

午後1時からは、今回の会議のスポンサー、グルベンキアン財団の主催による限られたメンバーでの昼食会。
参加者のうちで財団関係の人にだけ集まってもらい、今後の取り組みについて話し合うとことで、参加要請があったもの。だが、出席してみると限られたメンバーによる雑談の場に過ぎなかった。
席上での話題はもっぱらBrexit。英国のEU離脱は2週間前の国民投票で決まったばかり。今日の会議のゲストにEU関係者がいたので、EUに与える影響などを巡って大激論。
私は、ホテルにはレイトチェックアウトを頼んでいたものの、その時間が迫ってきたので途中で退席。
急いでホテルに戻り、チェックアウトの手続きをする。
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<リスボンを飛び立った>

そこへ工藤さんが戻ってきたので、自分の部屋で作業していた藤田君も呼んでホテルの向かい側にあるカフェーに入り、3人で帰国後東京で行なうことになっている社会的インパクト評価事業についての説明会用資料の打ち合わせ。
それを終えて、ホテルに頼んでタクシーを呼んでもらい4時半にホテルを出発。私一人で空港に向かった。タクシー代は今度は16ユーロだった。
7時前の飛行機の搭乗券に書かれた搭乗時刻ぴったりにゲートに行ってみると、乗客の姿が見えない。どうやら、搭乗が予定より早く始まっていたようだ。
慌てて最後の乗客として搭乗。自分の席についてあたふたとしているうちに飛行機はリスボンを飛び立った。
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<ヒースローに着いた>

午後7時近いとは言えまだ明るい外の青空に気が付いて、リスボンの街を上空から見下ろして見ようと外を見たが、飛行機は既に岩山のような場所を飛んでいた。ピレネーに差し掛かっているのだった。
初めてのポルトガルだったが、殆ど、街を見ることもなく、慌しく過ごしてしまった。今度、いつかまたポルトガルを訪れるチャンスはあるのだろうか。
飛行機は順調に飛行、結局、ロンドン到着は予定時間より15分ほど早い、午後9時過ぎだった。
いつも混んでいる所しか知らないヒースロー空港の入国管理のゲートが、今日はなぜか空いていた。しかも、私は今回チェックイン荷物がなかったので、9時40分にはヒースローエクスプレスのプラットホームに到着。急行電車に乗ってしまうと、ほんの15分ほどでロンドン中央部にあるパディントン駅に着いてしまった。
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<ヒースローエクスプレスのプラットホーム>

そこからロンドン名物の黒色のタクシーに乗り込み、ホテルに向かった。
今夜は、これから日本財団の海外での障害者支援関係の仕事を手伝ってもらうことになっているジョンハニー弁護士との打合せをするのだ。彼は自分自身が片足は義足と言う障害者。
元々は、明日の朝、打合せをすることになっていたのだが、彼の都合が悪くなったと言うので、今夜のうちに会うことにしたもの。しかし、こんなことなら、彼との約束は11時ではなく、10時半にしておいても良かったかな、と思っていたら、ここでなぜか渋滞に巻き込まれてしまった。
結局、11時過ぎになってしまったが、ジョンハニー弁護士とホテルのレストランで会い、Bmapsのことや、今月末のジャカルタ出張のことで夜中の1時半過ぎまで打ち合わせ。
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<パディントン駅に着いた>

08時半  ホテル出発
08時 GII会議第2日
13時 昼食会
14時半 打ち合わせ
16時半 ホテル出発
18時50分 リスボン発
21時10分 ロンドン着
23時 ジョンハニー弁護士
GII会議パネルに参加 [2016年07月07日(Thu)]
7月7日(木曜日) 
意外に暑い。2日前にリスボン入りしていた藤田君によると、昨日までは爽やかな気候だったのだとか。
朝8時。2日前に現地入りして実務者会議に出ていた藤田君や工藤さんらと落ち合い、これまでの報告を受けるなど簡単な打ち合わせをした後、笹川平和財団の国際事業企画部長の小木曽さんも一緒に、4人で歩いて、今回の会議の会場へ向かった。
ホテルを出て5分も歩くと、緑の木立に囲まれた大きな公園の入り口のような場所に着いた。そこから、さらに都心の公園と言うより郊外の森や林の中にあるような場所を抜けて行くと、少し開けた広場のようなところに出た。そこでは、10人ほどの男女のグループが中国武術の訓練らしきものに打ち興じていた。
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<グルベンキアン財団の大きな建物>

その脇を通り、緑の遊歩道進んで行くと、漸く巨大なコンクリートの建物が姿を現した。ここが、今回の会議のスポンサー、グルベンキアン財団の本部であった。
建物の中に入ると、大きな会議場のロビーに看板が立てられていた。そこには、「Global Impact Investment Plenary 2016 Lisbon July 7th-8th Calouste Gulbenkian Foundation」とあった。
この財団はポルトガル最大で全ヨーロッパでも有数の民間財団である。石油王として知られたアルメニア人、カルースト・グルベンキアンの遺言により、1956年に設立された由緒あるもの。
私にとっては、グルベンキアンという名前は馴染みのあるものであった。
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<会議には約300人もの人がが集まった>

1970年代にベストセラーになった国際石油資本の歴史を描いた本「セブンシスターズ」では彼の縦横無尽の活躍振りが描かれていたし、ロッキード事件でアメリカ側で重要な役割を果たしたコーチャン氏もアルメニア人だったし、日本財団に就職してから間もなく、アルメニアを数回訪れた際にも、グルベンキアンの名前を聞くことがあった。
後で調べてみると、財団の本部のあるこの場所はグルベンキアン公園と呼ばれていた。
グルベンキアン公園は2つの湖を持つ美しい公園で、そこに財団本部のほか、グルベンキアンの膨大な美術コレクションを展示するグルベンキアン美術館などの建物が存在するという。その広さは7万5千平米。東京ドームは5万平米弱に過ぎないからそれよりも広く、小石川後楽園にほぼ匹敵する。
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<300人もの人が参加>

さて、午前9時を過ぎてしばらくすると会議が始まった。参加者は約300人。
グルベンキアン財団の会長による歓迎の言葉に続いてポルトガル政府の担当大臣が挨拶。その後、主催者を代表してポルトガルの組織Portugal Social Innovationのサントスさんの挨拶が続いた。
本来ならば、この後は、G8 Task Forceの発展形として今年組成されたGlobal Social Impact Investing Steering Groupの代表理事で、総てのSocial Impact Investment運動の中心人物でもロナルドコーエン卿が登壇するところだが、彼は、今回は病気のため欠席。代わってオドナヒュー副代表が挨拶した。OECDやEIFの担当者などが世界の潮流について概況を報告。
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<私はパネルに参加>

コーフィーブレイクの後、サントスさんの司会で、4つのグループに分かれて諮問委員会メンバー国での状況を報告、その後、質疑応答に答えるというパネルが行なわれた。私は、イタリアと英国のメンバーとともに1番目のグループに加わり、日本の状況について報告。休眠預金法案についての司会者からの質問に答えた。
夕方、会議終了後は、工藤さんと一緒にホテルを出て、徒歩10分ほどのところにあるレストランへ。夕方7時だというのに、日差しが強かった。
笹川平和財団の小木曽さん、慶応大学助教の伊藤さんが少し遅れて合流。4人で夕食をとりながら意見交換をした。藤田君は資料作りでホテルに籠っているのだとか。
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<午後からの分科会>

08時 打ち合わせ
08時半 ホテル出発
09時 GII会議
11時半 プレゼンテーション
13時 昼食会
14時 GII会議
19時半 夕食会
初めてのポルトガル [2016年07月06日(Wed)]
7月6日(水曜日) 
今回の4泊5日と短い出張の目的地はポルトガルのリスボン。
隣国のスペインには休暇でも仕事でも何度も行っているが、なぜかこれまでポルトガルに行くチャンスはなかった。従って、今回が初めてのポルトガル行き。考えてみれば、初めての国に行くというのも本当に久しぶり。
そんなポルトガル出張の目的は、G8社会的投資タスクフォースの年次総会への参加。G8社会的投資タスクフォースというのは、2013年にイギリスで行われたG8先進主要国サミットの際に、当時のキャメロン英首相の呼びかけで結成されたもの。ロシアを除くG8メンバーの7カ国にオーストラリアを加えた8つの国からの官民それぞれ1名ずつの代表からなる。私は外務省に頼まれて2014年から日本の民間代表を務めており、毎年、この会合に参加して日本の現状報告をしてきている。
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<パリ空港でリスボン行きの便に乗り継ぐ>

ただ、正確に言うと、今年からはG8タスクフォースは、ブラジル、メキシコ、ポルトガル、イスラエル、インドの5カ国が加わり、名前もGSG(Global Social Impact Investment Sterring Group)と改め、13カ国が正式メンバーの組織に衣替え。そして、今回がGSGとしては初めての会合だ。
朝8時に家を出て羽田空港へ。羽田空港にバングラデシュテロ事件の犠牲者の遺体が到着したのはつい昨日のこと。しかし、今日の羽田はそんなことはなかったかのように人々で溢れていた。
東京とリスボンを結ぶ直行便はないので、日本からはロンドンかパリ、フランクフルトなどでの乗り換えとなる。
今回の私の旅はフランスルート。午前のパリ行きの日航機で出発した。
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<リスボンに到着した飛行機のコクピット>

パリのシャルルドゴール空港で4時間半の待ち時間で乗り継ぎをしてリスボンへ。
リスボンへ向かう飛行機はエールフランスだったが、搭乗口の周辺で聞こえてきた言葉は、フランス語ではなく、むしろ、ブラジル出張の際によく耳にしたポルトガル語だった。
飛行機の出発時間は午後8時50分。ところが、ちょうどこの日の午後9時からが欧州サッカー選手権・準決勝、ポルトガル対ウェールズの試合が始まることになっていた。ポルトガル人のサッカーファンにとっては気もそぞろの空の旅だったに違いない。そして、着陸の30分ほど前、パイロットがわざわざ機内アナウンス。ポルトガルチームの勝利を告げた。機内は、歓声と拍手に包まれた。
こうするうちに、リスボンに着いたのは現地時間で夜の10時過ぎ。
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<遅かったので空港内は閑散としていたが、、、>

ポルトガル経済の不調のニュースから何となくシャビーな空港を想像していたのだが、リスボン空港はモダンで美しいデザインの空港だった。もう遅い時間からか空港の中の売店などは閑散としていたのだが、空港の外に出てみると、タクシー乗り場の前には120−130人もの長い行列が出来ていた。30ほど待ってやっとタクシーに乗り込んだ。
愛想の良い運転手だった。サッカー準決勝でのポルトガル勝利のことや、宿泊先のホテルの近くのオススメレストランのこととか、流暢な英語で盛んに話しかけてくる。到着して25ユーロを請求されたが、こんなものかと思い疑いもせず支払った。
ホテルの部屋に入り、今回の会議の案内メモに、「空港からのタクシー代は15ユーロ程度」と書かれているのに気がついた。調子の良い運転手に体良くぼられたのだった。
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<タクシー乗り場には長蛇の列>

10時35分 羽田発
16時10分 パリ着
20時50分 パリ発
22時20分 リスボン着
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