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大野修一(日本財団)
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10日目の帰国 [2016年07月29日(Fri)]
7月29日(水曜日) 
0729Hotel.jpg
<ホテルの部屋の前は滑走路>

空港に隣接したホテルに泊まっているので、ホテルの部屋から滑走路が見えた。今朝のシンガポールは快晴。
市内のホテルに泊まっている時は、交通渋滞の危険はほぼ皆無のシンガポールとはいえ、一応念のため出発時刻の2時間半くらい前にはホテルをチェックアウトすることにしている。
しかし、今回はギリギリの時間まで部屋で作業することが出来る。コンピューターを使って、メールを書いたり、稟議の処理をする。日本の新聞も、今は電子版で読むことができるので便利だ。
9時半すぎにになって、ようやくホテルの部屋を出てフロントへ。チェックアウトのあとは、10分ほど歩いただけで、空港ターミナル内のチェックインカウンターに着いてしまった。
0729PortofSingapore.jpg
<空からシンガポールの街が見えた>

定刻に飛び立った飛行機は滑走路を超えて一回転。上空からシンガポールの海岸線に沿った街並みをが見えた。昨日、屋上に登ったばかりのマリーナベイサンズも望める。その先に見える白い丸いものがエスプラネードのドリアン屋根だ。
2018年の3月には、ここでアジア太平洋障害者芸術祭が開かれるのだと思うと感慨深いものがあった。それまでには片付けないといけない課題が山積しているが、きっと、UNESCOやVSAシンガポールのメンバーと組んで乗り越えて行けるだろう。
ほぼ定刻に羽田に到着。東京の気温は30度。夕焼けの地平線の向こうに富士山のシルエットが見えた。そろそろ、2020年の日本での全世界障害者芸術祭にも取りかからなければ、、、。
0729MtFuji.jpg
<夕方の羽田、富士山を望む>

09時45分 ホテル出発
11時00分 シンガポール発
19時10分 羽田着
国際障害者芸術祭関係者会議第2日目 [2016年07月28日(Thu)]
7月28日(水曜日)
朝8時、朝食を食べにホテルの食堂に行くと、英人弁護士のジョンハニーさんがいた。我々の求めに応じて、昨日の夜にロンドンからシンガポールに到着してくれていたのだった。
彼は日本財団が、カンボジアでの義肢装具士養成学校事業で長年お付き合いのあるエクシード(旧称カンボジアトラスト)でカンボジアの障害者基本法制定支援事業に従事していた時に知り合った。彼自身も片足は義足という身体障害者である。
彼には、今度、Bmaps事業を始めとする日本財団の障害者事業の海外での窓口をお願いすることになり、今回シンガポールで契約書を交わすことになっている。この後は、日本に帰国する私と入れ違いに桔梗君や二ノ宮さん、佐野さんらと一緒にジャカルタに行き、ASEAN本部のセミナーでBmapsのプレゼンを手伝ってもらうことになっている。
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<国際障害者芸術祭関係者会議第2日目>

朝9時になった。国際障害者芸術祭関係者会議の第2日目が始まった。今日のテーマは、昨日までの会議で積み残した芸術祭に参加する障害芸術家の選抜基準、広報戦略、招待者リスト、セミナーの内容など。
会議の合間のコーヒーブレイクで出されたスナックに驚かされた。それは、「ウナギ卵サンド(Eel Egg Sandwich)」と書かれていた。クロワッサンサンドの一種だが、その中身が蒲焼のうなぎと、すしネタのような卵焼きだった。シンガポール側のメンバーも我々の側も誰一人としてこれまでに食べたことのない初めてのものということであった。
さて、国際障害者芸術祭関係者会議は12時前に終わった。そこで、インドラジットさんと昼食をとりながら、今後の作業分担について確認し合うためのミーティングを持つことに。その前に、APCDのお二人に桔梗君を交えて、来年に予定されている障害者太鼓フェスティバルに向けた作業工程の確認。
0727Sandwitch.jpg
<ウナギ卵サンド???>

その後、軽い昼食をとりながらインドラジットさんと、今後の作業分担について確認しあった。昨年の12月3日の国際障害者デーにパリのUNESCO本部で、笹川会長とボコバUNESCO事務局長との間で、障害者支援で共同事業をやっていこうという覚書を調印してからまだ一年も経っていないが、既に、5つの共同事業が具体化しようとしている。
この内、日程や手順などが固まりつつある4つの事業について、今年の12月3日の国際障害者デーにパリのUNESCO本部で記者発表をしようということになった。この2018年のアジア太平洋障害者芸術祭、ミャンマーで始まろうとしている障害者用ICTトレーニングセンター、来年に日本で開催する予定のICTと障害者の就労をテーマにした国際会議、そして、傑出した障害者を毎年100人選抜し顕彰する制度の4つである。一年目で4つもの事業の発表に漕ぎつけるということで、インドラジットさんもご機嫌であった。
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<Enabling Villageを見学>

昼食の後、これから知人と会うというインドラジットさんとは別れジョンハニーさんと合流、APCDの佐野さんに桔梗君も加えた4人でタクシーに乗り市内に出かけた。シンガポール政府が民間の有力企業などと組んで最近立ち上げたという障害者の就業支援施設Enabling Villageを見学するためだ。
広々とした敷地に、障害者用の様々な支援器具などの展示のあるスペースや、実際に彼らが就業している様子を覗くことのできる見学用の通路などが並んでいた。大勢の子供達が引率者の先生らしき人たちに連れられて見学に来ていた。
就業支援施設そのものというよりむしろ、見学者への配慮が目立つ。なるほど、シンガポール政府による障害者雇用支援政策の充実ぶりをアピールするための施設ということか、と我々は感心する。
その一角にあるカフェでは知的障害のある従業員たちが一生懸命働いていた。飲み物を頼むと、一人一人の名前を聞いて紙コップにサインペンで書いて注文を処理してくれた。
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<マリーナベイサンズの屋上に登る>

しばし小休止の後、マリーナベイサンズに行くことにした。桔梗君のために一番シンガポールらしいところに案内しようと考えたのだ。
直行のエレベーターでマリーナベイサンズ57階の屋上へ登る。ここは、私にとっては2011年の3月11日、東日本大震災が発生したその当日に、当時、IDPP(障害者大学院大学)事業を手伝ってもらっていた全盲の才女、堀内佳美さん達と一緒に登った思い出深い場所である。ところが驚いたことに、これまでに何度もシンガポールに来ている佐野さんも、ハニーさんも屋上は初めてだという。
屋上から、先ほどまで議論していた2018年に予定している障害者芸術祭の会場にしようとしているエスプレネード劇場のドリアン型の屋根が見えた。
市内のレストランで夕食を取った後、8時前にホテルに戻ってハニーさんの顧問契約書に署名を交わす。そこで、夜の便でジャカルタに行くハニーさん、佐野さん、桔梗君の3人と別れた。
0728Esplanade.jpg
<会場に予定しているEsplanadeが見えた>

09時 国際障害者芸術祭関係者会議
11時45分 APCD打合わせ
12時半 インドラジットさん打合わせ
15時 ホテル出発
15時30分 Enable Village訪問
18時 夕食
19時45分 顧問契約署名
マイクロソフトと会議 [2016年07月27日(Wed)]
7月27日(水曜日) 
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<シンガポールの朝>

UNESCOのインドラジットさん、日本財団の担当者の桔梗君の3人で、9時すぎにホテルの前でタクシーを拾って市内の中心部に向かった。マイクロソフトのアジア本部での会議に臨むためである。約束の10時より、15分ほど早く着いてしまったが、すでに、ゲナシュティム社のトマス社長の姿があった。マイクロソフト社の受付のある22階へ。
マイクロソフト社でアジア全体のチャリティー活動を統括するダイアナさんと話し合った。もともとは、法務部門の責任者であるアストリッドさんからの誘いで同社を訪問することになったのだが、トマス社長に彼女を紹介したのは私。
トマスさんは、障害者を中心に60人あまりの社員を抱えて、ITを活用した教育などのサービスを提供する会社を経営している。彼のすごいところは、その会社が完全にバーチャルでオフィスをどこにも持っていないこと。そして、社員の大半50人ほどが世界10カ国以上に散在し在宅勤務している障害者だと言うこと。
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<マイクロソフト社アジア本部受付>

現在、ゲナシュティム社はマイクロソフトから業務を請け負う形でアジア各国の障害者に対するICTトレーニングに乗り出そうとしており、そこで、ミャンマーのICTトレーニングセンター事業でもで彼の方から日本財団の計画していたトレーニング事業と連携しようという話になったのだ。
ダイアナさんに先週のミャンマーでの政府との話し合いの様子や、その他の進展について報告したところ、マイクロソフト社と、UNESCO、日本財団の3者で業務提携書を締結して進めていくことになった。
さらに、彼女は、日本財団のことを事前によく調べてくれており、熊本地震など天災や人災による大きな災害時での提携についても日本財団と協力し合える余地がないか、検討することになった。
マイクロソフト社での会議の後、市内中心部のショッピングモール内のタイレストランで昼食をとったあと、我々は空港に隣接しているホテルに戻った。
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<マイクロソフト社アジア本部からの眺め>

そして、午後2時から、このホテル内の会議室で、国際障害者芸術祭関係者会議が始まった。司会者は、VSAシンガポールの会長で元銀行マンのアンドリュー・リューさん。VSAの担当者は3人とも女性。対するにこちらは、日本財団側の我々二人、UNESCOのインドラジットさんと、バンコクにあるAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)の二ノ宮所長と、佐野部長のお二人。
初日は、メンバーの自己紹介の後、VSAが事前に用意した議事次第に従って、この会議の位置付けについての話から始まり、予算を中心に、フェスティバルの実現に向けて会場の手配、などロジスティックを中心に方針を確認していった。
東南アジアを広く知る二ノ宮さんはとテキパキと進んでいく様子を見て、さすが、シンガポールと喜んでいた。バンコクではこうは以下ないらしい。
夕方6時前に第一日に予定していた議事は総て終了。全員で夕食懇談会になった。
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<ホテルには国際障害者芸術祭関係者会議の掲示が出ていた>

09時15分 ホテル出発
10時 マイクロソフト社アジア本部訪問
14時 国際障害者芸術祭関係者会議
18時半 VSA主催夕食会 
シンガポールで蟹を食らう [2016年07月26日(Tue)]
7月26日(火曜日)
朝8時前に、日本財団の秘書室から電話。会長からの電話だという。ところが、何べんも話してみようとするが、先方の声は聞こえど、こちらの声は聞こえず。ミャンマーのインフラの遅れは深刻な問題。電話がうまく繋がらないのはここではしょっちゅうあることではあるのだが、、、。結局、ホテルの部屋の電話機を使って国際電話をすることに。
何とか電話をかけ終えて、ホテルをチェックアウト。チョースワーミンさんの車で、空港に向かう。幸いにして交通渋滞はなく、スムースに車は進む。車中で、チョースワーミンさんと色んな話をした。
ヤンゴンの最新交通事情に始まり、スーチーさんの新政権への期待、軍事政権だったときのこと、周辺国とミャンマーの違い、等など。彼はまだ20代の若者だが、まだ、外国には行ったことがないという。彼は、大学を出てある国際NGOに入り、イヤワディ州の地方都市で活躍していた由。私の語るアジア周辺国とミャンマーとの比較話に素直に耳を傾けるところが初々しい。
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<巨大な新ターミナルビルが青空を背景に聳え立つ>

今日は快晴。雨季の真っ只中のはずなのに、この天気は一体なぜ。
昨日も、一昨日も雨は結局降らなかった。大雨による洪水対策に追われている社会福祉大臣もきっとほっとしていることだろう。しかし、雨季に雨が降らないと、農民は困るのかも。ヤンゴン周辺の農家は気を揉んでいるはず。しかし、我々旅行者には暑すぎず過ごしやすいのに雨は降らないというとても有難い天気なのだった。
シンガポールに到着。空港のターミナルに入って、メールをチェックすると、一足先にシンガポール入りしたインドラジットさんからのSOS。ホテルのチェックアウトが出来ないという。やれやれ。
今回の会議の事務局である現地NGOがとってくれていたのはシンガポール空港内のホテル。スーツケースをもってホテルへの連絡通路を歩いていると、クアラルンプールから着いたばかりの日本財団の担当職員である桔梗君とばったり。ホテルチェックインの後、彼はインドラジットさん救出に。
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<快晴のヤンゴン空港を出発>

夕方5時半、桔梗君と一緒にタクシーに乗る。市内のチャイナタウンのはずれにあるシーフード中華の店へ。暫くして、トーマスさん、少し遅れてインドラジットさんが合流。これで全員がそろった。
今夜の食事は、明日のマイクロソフト訪問に備えて、インドラジットさんにトーマスさんを紹介するのが目的。
全員が揃ったところで、名物のマッドクラブのチリソース煮を注文。カニ用のハサミを使いながらかぶりつく。この店を予約してくれたのはシンガポールに親戚や友人の多いトーマスさん。これまでは彼のいとこが経営する中華料理店が多かったのだが、今回は、地元の人しか知らないというカニ料理の店を予約しておいてくれたのだ。
と言うのも彼は中国系マレーシア人でペナンの出身だが、彼の会社「ゲナシュティム」はバーチャルな会社というユニークなものでオフィスというものを一切持たないのだが、登記上はシンガポール法人なのだ。
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<シンガポールのカニ料理レストラン>

08時 ホテル出発
10時35分 ヤンゴン発
15時10分 シンガポール着
17時半  ホテル出発
18時半 関係者夕食会
MILI幹部との打ち合わせ [2016年07月25日(Mon)]
7月25日(月曜日) 
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<ヤンゴンの街角には日本語の名前の店舗が目につく@>

今日は、今回のヤンゴン滞在の事実上の最終日。明日のフライトでシンガポールに移動する。
今回の出張で、ヤンゴン滞在を月曜日まで伸ばしていたのは、ネピドーでの社会福祉大臣との面談のスケジュールが月曜にずれ込む可能性があると言われたことが一つ。最終的に先週の木曜日にネピドーでの面談が固まったのは、出張の直前になったため。その時点では、シンガポールでの水曜日からの日程が決まっていたので、ヤンゴンにそのまま滞在するか、早めにシンガポール入りするかの決断を迫られたわけだが、障害者奨学金事業のパートナーである現地の財閥、エデングループ幹部との面談が月曜日に実現する見込みになり、ヤンゴンに残ることにした。
ところが、エデングループ幹部の韓国出張と重なったと言うことで、最終的に面談は実現しなかった。そこで、私は、この機を捕らえてMILIの組織問題を片付けてしまおうと考えた。
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<ヤンゴンの街角には日本語の名前の店舗が目につくA>

朝一番の面談者は、Ednaグループを主宰する女性起業家のチチニェインさん。MILIの抱える組織上の問題点を説明し、経営コンサルタントでもある彼女にMILIの統治体制の刷新に力を貸して欲しい、と頼んだところ、前向きに検討してもらえることになった。
その後、引き続いての面談者はティンニュントさん。彼とはUNESCOとのICT案件の進め方、特に、旧社会保健省跡地の建物を無償で借りる件での、ミャンマー国内での手続きなどについて彼の知恵を借りた。保健省元局長のティンニュントさんは、ネピドーに首都が移転したあとの、中央政府の各省保有の不動産の問題を扱う省際会議の事務局長を務めていたというキャリアを持つ。ウィンミャッウェー大臣とは昵懇の間柄の彼が、この物件のことを知っていたことが今回の無償供与に繋がったと言うことが出来る。
昼食をとりながらティンニュントさんのアドバイスを受けた後、医師でもある彼に、一昨日、ニームの錠剤を入手したことを報告。
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<本の虫書店という名前の本屋を見つけた>

ただ、ニーム軟膏は見つからなかったと訴えると、私が行ったことがない薬局の名前を口に出した。住所がよくわからないというと、自分の車でそこまで送ってやるから帰りはタクシーで帰れば良い、と言う。
午後3時からのMILI幹部との打合せまで時間があったので、彼の好意に甘えて連れて行ってもらうことに。果たせるかな、無事、ニーム軟膏を入手し、流しのタクシーを拾ってホテルに戻った。
往復の途中、"Bookworm Books"(=本の虫書店)という名前の面白い本屋を見つけたので写真をぱちり。いかにも本が好きな店主の店と言う感じがする。確かに、ミャンマー人には、他のアジア諸国に比べて愛書家が多いように思える。街のあちこちに本屋があってしかも、賑わっているが、それ以上に、道端に本を広げる形で店開きする古本屋の多いこと。
ホテルに戻って午後3時からはMILIの3人の幹部全員と一緒に会って、チーチーニェインさんとの相談の結果について説明。その方向で、組織刷新に向けてみんなで協力していくことになった。
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<路上にも本屋が多い>

10時 チチニェインさん
11時45分 ティンニュントさん
15時 MILI幹部との打ち合わせ
静かな一日 [2016年07月24日(Sun)]
7月24日(日曜日) 
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<大きな薬局に行ってみたが、、、>

今回の出張に出た当初から、私は日本財団の稟議書処理オンラインシステムで問題を抱えていた。パスワードの変更をした途端、システムに接続できなくなってしまっていたのだ。
東京の担当部門と連絡を取り、指示が入る都度、それを試してはみるもののうまくは行かない。そこで、昨日、日本財団ヤンゴン事務所の間遠さんに頼んで、今日の朝は、日本財団のヤンゴン事務所に行き、そこから再度接続を試みることにしていた。
ところが、昨日の夕方入った日本からの連絡で、原因は月曜正午までの日本でのメンテナンスにあることがわかり、ヤンゴン事務所に行くことは中止。しかし、せっかく約束を取り付けていたので間遠さんには今朝の朝食に付き合ってもらうことに。
朝食の席で、昨日ホテルの近くの薬局で手に入れたニームを原料にした薬のことを説明。彼がさらにカタログを調べてくれると、フェーム社の製品にはニームから出来た消炎作用のあるスキンクリームもあることが判明。
彼と、朝食を終えた後、一人で昨日の薬局に再び出向いてみる。
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<日曜日、映画館の前には人だかり>

その薬局では、ニームの錠剤は呼吸器疾患に効能があるとして売られていたが、消炎作用のあるというニーム軟膏はなかった。そこで、大型スパーにも足を伸ばしてみたが、そこにも、軟膏はなかった。あちこちを歩き回り、思いつく限りの薬店を当たってみるが、軟膏は無し。
ホテルの周りをかれこれ2、3時間、軟膏を求めて歩き回ってみたが、無駄足だった。ミャンマーは物流が発達していないせいか、一般にスーパーなど大型小売店でも品揃えは貧弱。ある店で置いてある商品が、別の店ではないというのはザラ。しかも、ストックが少ないのか、品切れも珍しくない。
午後3時、MILIのCEO、ネイリンソーさんと二人だけで会い、MILIの将来についてサシで話し合う。元々は、先週の木曜日の朝一番でやろうとしていた会議。彼の高層アパートの停電騒ぎで流れていたもの。
夜は、今日も近所で買ったサンドイッチで。ミャンマーのローカルの食事は油っこくてカロリー過多。サンドイッチが一番。ホテルのサンドイッチは、9ドルもするので、外で買った3ドルのサンドイッチを冷たいビールと一緒に、シャワーの後、テレビを見ながら食べるのが定番になった。
0725Begger.jpg
<物乞いをする人の姿も決して珍しくない>

09時  ヤンゴン事務所間遠さん
15時 ネイリンソーさん
買い物 [2016年07月23日(Sat)]
7月23日(土曜日) 
今日は土曜日。朝8時に一足先にシンガポールに向かうインドラジットさんをホテルの玄関で見送ったあと、日本財団のヤンゴン事務所駐在員の間遠さんと会う。
彼は農業が専門で現在はカレン州での薬草園事業の責任者。間遠さんには、今年11月の尾形理事長のミャンマー訪問の際の通訳の手配をお願いしている。ついでに、彼のパソコンを借りて、先日来不調のオンライン稟議システムへの接続を試みるがうまくいかない。明日、ヤンゴン事務所に行き、再度、トライしてみることにする。
間遠さんと会ってしまうと、あとはやることがなくなってしまった。
本来は、今日、幾つかの面談を予定していたのだが、そのうちの一部は日曜日にずれ込み、キャンセルになったものもあったりで、最終的に今日の午後からは何もすることがなくなった。
そこで、買い物に出てみることに。ホテルの外に出てみると、土曜日なのに昼間の道路は大渋滞。急増した車のせいだ。
0723Traffic.jpg
<土曜日でも道路は大渋滞>

前政権は、急ごしらえで市内のあちこちで立体交差や横断歩道橋を作ったりしたが、焼け石に水だったようだ。
さて、今日の買い物の目的は、ネピドー行きの車中で話題になった、インド亜大陸発祥で今注目の生薬、ニームの薬。UNESCOのIT部門の責任者でインド人のインドラジットさんによれば、インド古来の伝統医療であるアーユルベーダの中核をなす薬用植物がニームであるという。昔からインドでは万病に効くとされてきたが、最近、ニームの驚くべき有効性がアメリカの研究によって明らかにされたことで、ヨーロッパでも爆発的ブームが始まっているのだとか。
インドに隣接するここミャンマーでも、ニームはそこらじゅうで自生。一昨日、遅い昼食をとったネピドーの蔵の庭先でも、昨日のMILI本部の玄関脇でもニームの木が生えていた。病理学専門のティンニュント博士によれば、ミャンマーでもニームの消炎作用は古くから知られていると言う。
間遠さんに調べてもらうと、ミャンマーを代表する生薬メーカーのフェーム社でも、ニームの錠剤が発売されていることがわかったので、早速、買いに行くことにしたもの。
0723OfficeforRent.jpg
<オフィスビルが続々と誕生、過剰供給に?>

最初に出かけたのは、ホテルの周辺では最も大きな商業ビルの1階に入っている大きなスーパー。しかし、そこにはニームの錠剤は売っていなかった。
そこで、今度は、夕食を一人で食べるときにパンやサンドイッチを買っている香港資本のモダンな商業ビルへ。その地下1階の小さなスーパーの前に化粧品やサプリのような薬系のものが売られているドラッグストアで尋ねてみる。しかし、ここにもなし。ニームの木はそこらじゅうに見られるミャンマーだが、ニームの万能薬としての有用性はまだ十分認識されていないようだった。
そこで、一旦、ホテルに引き返し、作戦変更。今度は、ホテルの近くにある大きな薬局へ行くことに。
ロビーから外に出ようとした途端、雨がぱらついてきた。昨日の土砂降りの経験があったので、ホテルのコンシエルジュでホテルのロゴの入った大きな傘を借りて出かけた。
ホテルの隣で建設中だったオフィスビルは完工。借り手を探す大きな看板が出ていた。ミャンマーは建設ブームの行き過ぎでオフィススペースは過剰気味。果たして、借り手は見つかるのだろうか。その隣で、高層ビルの建設がストップしている姿が目に付いた。
0723Stppage.jpg
<工事のとまったビルが目につく>

五月中旬から、ヤンゴン市政府が突然、9階建以上の建物の合法性をチェックする方針を打ち出し、その間の工事の停止を命令。何と、合法性の検討がこれらの工事の着工許可が出された時点の建築基準法と照らしてのチェックではなく、現在審議中の改正案を基にしたものであるというから呆れる。しかも、チェック作業は短時間で終わるものとされていたが、100棟以上のビルで工事が2ヶ月以上ストップする事態に。
ようやく、第一次の立ち入り検査が実施された数十棟につき結果が公表されたが、階数の大幅削減や、駐車スペースの追加、果ては、工事の停止など極端な修正命令が出されたため、建設業者が悲鳴を上げている、という信じられない話。
新政権でヤンゴン市の建設監査部門のトップに就任した人物が張り切りすぎたことのようだが、民衆の盲目的信仰とも言えるNLDへの性急な期待が、大衆迎合的な誤った政策にNLDを駆り立てるのではないかという危惧の念を抱かせるエピソードではある。
結局、大きな薬局でニームの薬は入手することが出来た。傘を持ち歩いたものの、雨は降らずじまい。

08時 インドラジットさん出発見送り
10時 ヤンゴン事務所間遠さん
完璧な立地予定地 [2016年07月22日(Fri)]
7月22日(金曜日)
今朝は、UNESCOのIT部門の責任者であるインドラジットさんを案内してMILI(ミャンマー自立生活運動)の本部に行き、昨日の社会福祉大臣との面談で合意された障害者に対する情報通信技術訓練センター設立に向けた打合せを行うことになっていた。当初の予定では8時にホテルを出て、ミャンマーは今回が初めてのインドラジットさんのために、道すがらシュェダゴンパゴダ(黄金寺院)などを見物してから、MILIに行くことになっていた。
ところが、7時半頃私の部屋ににインドラジットさんから電話がかかってきた。体調がすぐれないので出発を1時間ほどずらしてくれないかという。昨日の波乱だらけのネピドー往復の旅が体にこたえた上に、パリとの時差に悩まされて昨夜は良く眠れなかったらしい。
そんな訳で、出発は9時半すぎ。MILI本部に直行。しかし、道路が混雑していて、本部到着は11時前になってしまった。
0722DBIC.jpg
<MILI本部でトレーニング>

MILI本部では、ネイリンソー、アウンコミン、ユヤトゥーの3人の幹部とプロジェクトについて2時間近く話し合った。そして、出前で取ってもらったミャンマー料理で昼食。
その後、本部に隣接した場所にあるビジネスインキュベーションセンターへ。コンピュータートレーニングの様子を見学した。そうこうしているうちに、空が俄かに掻き曇り、土砂降りになった。雨季特有のスコールだ。
激しい雨の中をMILI本部を出た我々は、セドナホテルの近くの一等地にある国立老人デイケアセンターに向かった。昨日の社会福祉大臣との話し合いの際に、ICTトレーニングセンターの立地予定地として提案を受けた場所だ。ここは、ネピドーに引越しするまで社会福祉省の本部があった場所。今も広い敷地の中に建物が残されており、その幾つかは使用されずに放置されている。その一つを、我々のプロジェクトのために無償で提供してくれるという有難い申し出だった。
0722Rain.jpg
<激しい雨が降り出した。スコールだ>

デイケアセンターに入ってみると、先に着いていたらしいティンニュント博士が中年の女性と談笑していた。所長のケイティーチョーさんだった。彼女は、ティンニュント博士の教え子に当たるという。激しい雨だが、もうそろそろ、小止みになるだろうとしばらく様子を見ていたが、一向に雨脚は弱まらないので、大きな傘を借りて、その建物に向かうことにした。デイケアセンターの敷地の裏手にある200平米ほどの建物であった。真ん中の部分は壁が取り払われがらんとした吹き抜け状態になっているが、躯体そのものはまだしっかりしているようだ。一部は屋根裏部屋のような2階造りになっている。あちこちを覗いて回っていたインドラジットさんが頷いて言った。「これなら合格」
現場を見て、そろそろ引揚げようと外に出た途端、一段と雨脚がひどくなった。
ミャンマーは今が雨季の真っ只中。昨日、ウィンミャッエー大臣が言っていたことを思い出す。今年のミャンマーの雨季は例年より降雨量が多く、河川の水位が上昇、局地的だが洪水が深刻なのだそうだ。
0722Inspection.jpg
<雨の中、建物を見に向かう>

デイケアセンターで借りた大きな傘でも、この激しい雨では濡れてしまう。しばらく、雨が小止みになるのを待っていたが、一向に収まらない。そこで、車を呼んでもらい建物に横付けしてもらってようやく、この場所を後にすることができた。
今朝、断念したシュェダゴンパゴダ見物へと思っていたのだが、雨の中では黄金寺院の見学も無理。そこで、急遽、近くにある宝石博物館へ向かうことに。一階部分は、宝石店が並ぶ専門店コーナー。ルビー一個が数万ドルと言われてたじろぐインドラジットさん。そのあと、二階にある博物館に男二人で入ってはみたが、興味が続かず早々に退散。
博物館の建物の外に出てみると、ついに雨が小止みになっていた。そこで、シュェダゴンパゴダ見物を決行。
そのあと、ホテルに戻って小休止したあと、7時前にレストランに行こうとチョースワーミンさんに電話。すると、すでに自宅に帰ってしまっていた。仕方がないのでタクシーで往復。
0722Inspection2.jpg
<これが大臣が提供してくれた建物>

09時半 ホテル出発
11時 MILI本部訪問
14時 社会福祉省付属老人デイケアセンター訪問
18時半  ホテル出発
19時 夕食会
波乱万丈のネピドー行き [2016年07月21日(Thu)]
7月21日(木曜日)
0721bonnet.jpg
<フロントグリルが落ち、ヘッドランプもずれ下がった車>

今日午後は2時から、保健省の局長OBで今は日本財団のミャンマー事業のアドバイザーになってもらっているティンニュントさんと、新首都のネピドーで社会福祉大臣に会うことになっていた。なんと、ミャンマー北部で起きた水害の現場視察からわざわざ我々のために本省へ帰って来てくれるという。これも、総て大臣の先輩に当たるティンニュントさんのおかげだ。
5月にも彼に同行してもらってネピドーに行き、大臣に会って、日本財団がUNESCOと調印した覚書の説明をし、今月、UNESCOから責任者を連れてくるので会ってほしいとお願いをしておいた。
そこで、決して会見に遅れてはいけないと言うので、本来よりはかなり早めの時間だったが、午前6時半にホテルを出発して、350キロ離れたネピドーに向かうことにした。
飛行機ではなく車にしたのは、アウンコさんも入れて5人で行く以上、その方がずっと安く済む上、時間的にも、現地で動き回る上でもずっと便利と考えたためだ。
0721accident.jpg
<出発していきなり交通事故とは、、、>

MILIには前回のような小さな乗用車ではなくワンボックスカーを用意しておくよう念には念を入れて頼んでおいた。こうすれば、長い車中でも足を伸ばしたりできる。
ところが、チョースワーミンさんの運転するワンボックスカーで、インドラジットさんと一緒にホテルを出発して、最初のロータリを回り切ろうとした時だった。我々の車の前に小さな貨客車が強引に割り込んできた。ブレーキをかけるが間に合わない。ガッシャーンという大きな音。
出発していきなりの交通事故だ。警察官がやって来た。先方が悪いのは明らか。
何と、雨がぱらつき始めた。車での移動なので傘は要らないと思い、スーツケースのなかに置いてきてしまったことを後悔する。
仕方がない、小雨の中で、代替車が来るのを待った。
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<ラジエーターをチェックする運転手>

8時過ぎになって漸くやって来た車は、何と乗用車。まず、ティンニュントさんの家に向かい、彼をピックアップ。
しかし、これでは全員が乗って行くわけにはいかない。するとそこへ、連絡が入った。代わりの車を見つけたので、乗り換えることにしたいというのだ。MILIの事務所に向かった。ところが待てもど暮らせども車が来ない。いつもは超楽観的なティンニュントさんもさすがに心配し出す。
漸く、黒いワンボックスカーが到着。前のと比べると、少し小さいがまあ仕方がない。9時半にMILI本部前を出発。
ところが、90マイル地点で我々の乗った車から異様な匂いと煙が出ているのを発見。急停車してチェックすると、ラジエーターから煙が出ているではないか。
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<ぎりぎりの時間に社会福祉省にたどり着く>

万事休す。もうこうなったら、大臣との約束はキャンセルもやむを得まい。事情が事情なだけに、メッセージだけでも伝えてもらうことにしよう、と私は覚悟を決めた。
ところが、運転手はなにやら調べた後で、これはあるスイッチを入れたままにしていたのが原因だとかで、走るのは大丈夫だという。そこで、少しゆっくり目のスピードで再び出発。
大幅に出発が遅れたので、途中での休憩所でも、トイレに行っただけ。いつものように朝食をとるどころか、コーヒーも飲まず、ひたすら先を急ぐ。
結局、社会福祉省に到着したのは、約束の2時の5分前。大臣は、水害の現場から我々のアポイントに間にあわせるためにわざわざ帰ってきて、この後、再び現場に戻るというではないか。キャンセルしなくて良かったとほっと胸をなでおろす。
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<社会福祉省での会議を終えて>

早速、ウィンミャッエー大臣に、UNESCOと共同でアイデアをまとめた障害者の雇用促進のための高度な情報技術訓練センターの建設構想について説明。
すると、大臣は、新政権の政策方針ともぴったり一致すると、省をあげて歓迎する表明。そこで、じつは、政府がヤンゴンに保有する社会福祉法跡地にある建物を提供願えないかと要請したところ、快諾してくれた。しかも、明日、ヤンゴンで現場を見るよう同席した担当局長に指示してくれた。
大臣との会議を終えて、3時半に漸く昼食。4時過ぎに帰途につく。
天気は快晴。さあ帰りを急ごう。のんびりしていると、ヤンゴン到着が遅くなってしまう。車は快調に飛ばす。
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<漸く本日初めての食事にありついた>

中間地点のレストエリアのある115マイル地点ではトイレ休憩のみ。今回も、コーヒーブレークは無し。ヤンゴン方面の空には黒い雲が覆い始めた。スコールの兆し。激しい雨が降りだすとスピードを出すのは危険だ。急ぐに越したことはない。
往路でエンコしそうになった100マイル地点も無事に過ぎ、帰りはどうやら何事もなさそうだと胸をなでおろしていると、午後6時半、80マイル地点(ヤンゴン市内から130キロ)で、突然、車の下から大音響。何かが折れたか壊れたしたに違いない。車は緊急停止。
路肩に停めた車を覗いていた運転手が、お手上げと言ったジェスチャーをした。今度は本当に動けなくなってしまったようだ。運転手は、携帯電話を取り出し、どこかと話をしだした。代わりの車の緊急手配をMILIに頼んでいるようだ。今日だけでなんと4台目の車になる。
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<車が立ち往生>

高速道路を出てヤンゴン市内に入ってからならまだしも、こんなところでは、流しのタクシーがあろうはずもなく、長距離バスの停留所は遥か先。しかも、この空模様で、この時間。間もなく日暮れだが、日が暮れてしまうと街灯もないので真っ暗になってしまう。 真っ暗闇に包まれた中で、スコールがやって来たら、代替車を見つけることもできないのではなかろうか。
どうしよう。今度こそ、万事休すだ。
さすがにいつも楽観的なティンニュントさんも、これは大変だと深刻な表情で運転手を見守る。
そうこうするうちに、スコールの到来を告げる生暖い風が吹いてきた。しかも、辺りが急に青みを帯びてきたではないか。時間は7時前、夕闇が迫っているのだ。
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<路線バスが止まってくれた>

すると、ティンニュントさんが駆け出した。前方の路肩に大型バスが急停車した。なんと、定期運行の長距離バスが止まってくれたのだ。車掌さんが降りてきて、ティンニュントさんの話にうなづいて、我々を手招きする。
半信半疑で運転手脇の入り口から中に入る。バスに乗り込んだ途端、スコールがやって来た。土砂降りの中をバスは進む。
何を思ったのか、喜劇のビデオを大音響で流し出した。話もできないと閉口するが、バスの中は爆笑の渦。気がつくと窓の外は真っ暗闇になっていた。
こうして、高速を出たところでバスを降りた。ところが、車の姿がない。その中のタクシーを捕まえてホテルに戻ることに。インドラジットさんがつぶやいた。「もう、二度とネピドーには行きたくない」、ごもっとも。今日の食事はネピドーの一回だけで終わったのだった。

06時半 ホテル出発
14時 社会福祉大臣訪問
15時半 昼食
電話もパソコンも繋がらない [2016年07月20日(Wed)]
7月20日(水曜日) 
今日の午前中は、MILIの管理体制について突っ込んだ話をするために、MILIのCEOであるネイリンソーさんと会うことになっていた。約束の朝9時の前に朝食を済ませておこうと、部屋を出ようとした時に、彼から電話がかかってきた。
なんと、昨日から停電で、アパートのエレベーターが使えないので外に出ることができないというのだ。彼の部屋は9階。確かに、車椅子では難しい。そこで、無理しないで部屋で待機するよう、私の方は、午後1時半に到着するインドラジットさんを迎えに空港に行く必要があるが、12時過ぎまではホテルにいるから、それまでに電気が戻ったら来れば良いと伝えた。
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<現地英字紙トップをスーチーさんの写真が飾る>

そこへ、ユヤトゥさんから深刻な内容のメール。そこで、彼女の携帯に電話しようとして気がついた。私のiPhone6がなぜか「圏外」になっている。
昨日は使えたのに。一方、こんな時に備えて、念のためと持ち歩いている古い方のiPhone5にはミャンマーの携帯会社に繋がっていることを示す表示が出ていた。良かったと、この電話でかけてみる。しかし、こちらも繋がらない。
通信インフラが未整備なヤンゴンでは、雨季には携帯事情が悪化することは珍しくない。しかし、昨日今日は、大した雨は降っていない。それなのになぜだろう?
仕方ないので、ホテルの部屋の固定電話を試してみると、何回目かにやっとユヤトゥさんの携帯に繋がった。
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<ヤンゴン空港の新ターミナル>

空港へ一緒に行ってもらい、インドラジットさんを待ちながら話をしたいと持ちかけた。ところが、ユヤトゥさんは、3時半まで外部で会議中だとか。そこで、一旦電話を切り、今度はアウンコさんに電話。
昨日約束していた4時半ではなく、彼には今日の昼過ぎ、空港へ一緒に行ってもらい、シンガポール経由でパリから到着する予定のインドラジットさんを待ちながら、二人で話をすることに変更してもらった。一方、ユヤトゥさんには4時半にホテルに来てもらって話をすることに。これで、この二人とはそれぞれ個別に会うことができる段取りがついた。
ところが、ネイリンソーさんからは連絡は入らない。そのうち、12時過ぎアウンコさんがチョースワーミンさんの車でホテルにやってきた。一緒に空港へ向かう。その道すがら、彼から色々報告を受ける。
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<怪しい雨季の空模様だったが、雨は降らず、、、>

午後1時半過ぎ、予定通り無事UNESCOのインドラジット部長が到着。彼を乗せて、一緒にホテルへ向かう。雨季なので、怪しい空模様だったが、結局、雨は降らず交通は順調。
彼には部屋で少し休んでもらうことにして、私は午後4時半からユヤトゥさんとホテルのロビーで会った。彼女もMILIの3台幹部の一人、企画人事部長だ。
彼女との話を済ませて外を見ると、アンコさんが立っているのが見えた。そこへ、ネイリンソーさんも登場。漸く、電気が復旧し外に出ることができたのだった。
何とか全員がそろったところで、ホテルのラウンジへ。インドラジットさんが合流して、彼の歓迎夕食会となった。お互いを紹介しあうとともに、明日のネピドーでの社会福祉大臣面談に向けてプレゼンテーションについて確認。

12時15分 ホテル出発
13時25分 インドラジットさん出迎え
16時半 MILI企画部長ユヤトゥさん
17時半 インドラジットさん歓迎夕食会 
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