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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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14時間の空の旅 [2016年06月15日(Wed)]
6月15日(水曜日)
615cloud.jpg
<今にも降り出しそうな成田の空>

14時間の空の旅を終えて、成田に帰ってきた。
成田の天気は曇り。今にも降り出しそうな気配だ。
果たせるかな、空港を出て車が高速道路に入った途端、雨がぱらつき始めた。今回の出張は、出発の時から、雨の間隙を縫っての旅だったような気がする。それでも、ここまでは雨に濡れることなく、傘もささずに済んできたが僥倖もついに尽きたか、と思ったのだが、自宅に着く頃には雨も止み、幸いなことに最後まで傘は差さずに済んだ。
こうして、約30年ぶりのエクアドル出張が終わった。無事、垣内さんらと一緒にキトでビーマップのお披露目をして、10月の国連ハビタット(人間居住計画)会議に向けての地ならしをすることが出来たし、ワシントンではG3iCTとの覚書の調印もすることができた。
考えてみれば、これら全てを可能にしてくれたのはIDPP事業で出会い、日本財団のアドバイザーに就任してくれたガレーゴス大使のおかげ。大使に感謝。
615rain.jpg
<高速道路に入ると雨が降り出したが、、、>

15時25分 成田着
一足先に帰国へ [2016年06月14日(Tue)]
6月14日(火曜日) 
M-Enabling Summitは今日も続く。二日目の今日は、垣内さんによるビーマップのプレゼン、石井君による防災と障害問題に関するプレゼンが行われる。
彼らはさらに、今日の夕方の便で、ニューヨークに向かうことになっている。国連のCOSP会議のサイドイベントでもBmapsの発表が行われるのだが、私は、彼らを残して一足先に帰国させてもらうことになっているのだ。
一方、垣内さんたちは午後の便で、ハニー弁護士や日本から昨日着いた石井さんらと一緒にニューヨーク。国連で行なわれている障害者の権利条約締約国会議の再度イベントなどに参加してプレゼンしたり、ここでもビーマップの紹介をする予定。
私は、今朝は暗いうちから起きていた。帰国に向けて時差調整の準備のため。夜中の3時に起きて、メールのチェック。
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<明日からは天気は下り坂>

そして、早朝6時からは、ハニー弁護士と打合せ。ちょっと早い時間だが、ハニーさんも、イギリスから着いたばかり、まだ、時差が残っているはずなので苦にはならないはず、と考え誘ったのだ。
打合せの後、M-Enabling Summitに向かう垣内さんや、ハニーさんらを見送ってから、私はひとり、空港に向かった。
今日も素晴らしい天気。
結局、今回の出張は、キトのように場所によっては雨の予報が出ていたり、ヒューストンのように実際に飛行場の窓からは、結構激しい雨を見たりした場面があったにもかかわらず、一度も、外では雨に降られることなく、傘も使わずじまい。「晴れ男」のジンクスが戻ってきたのかも。
車の中では、モンゴル出身の運転手さんと雑談をしているうちに、ダレス飛行場に着いてしまった。正午過ぎ、ワシントンを飛び立った。
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<Summitの会場に向かう一行>

06時 ハニー弁護士打合せ 
09時45分 ホテル出発
12時20分 ワシントン発
G3iCT主催M-Enabling Summit [2016年06月13日(Mon)]
6月13日(月曜日)
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<会場となったホテル>

今日はM-Enabling Summitの第1日。早めに会場入りしておこうと、全員一緒に8時前に出発、道路の渋滞も無く8時過ぎに会場となるホテルに着いた。
まだ、がらんとした会場に、主催者のG3iCT(Global Initiative for Inclusive Information and Communication Technologies)の代表理事のルブロワさんの姿も見えた。ボランティアのユニフォームでにこやかに案内している人がいると思ったら、ルブロワさんの奥さんだった。何と、息子さんも含めて家族総出で手伝っているのだった。
9時になった。M-Enabling Summitが始まった。G3iCTが5年前から毎年開催しているこの国際会議には地元米国が中心とはいえ、ヨーロッパ、やアジア、中東も含む30カ国以上の企業、政府、国際機関の関係者と、障害者当事者団体の人たちが参加するという。
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<G3iCT主催M-Enabling Summit>

主催者のG3iCTは、障害者にとっての情報通信へのアクセスを改善するために官民が共同で立ち上げたユニークな国際組織。ルブロワさんとは、昨年のニューヨークでの国連で、障害者の権利条約に関する分科会を日本財団が主催したときに、日本財団の障害者問題のスペシャルアドバイザーでもあるガレーゴス大使に紹介されて知り合った。
参加者は400人くらいか。Microsoft、Amazon、Facebook、IBMと錚々たる名前が続く。ルブロワさんによると、Appleも常連メンバーなのだが、今年は自分たちの行事と日程が重なってしまい、初めて欠席なのだとか。メーカー以外にも、国連や国際電気通信連合(ITU)などの国連機関、米国連邦通信委員会 FCCのような政府機関、日本の企業ではCanontや、Panasonicの名前があったが、日本人らしき姿はない。各社の北米子会社の現地幹部が来ているようだった。
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<G3iCT主催M-Enabling Summit>

欧州からも参加があり、Credit Suisseのような銀行まで参加していたのには驚いた。最近話題のタクシー互助システムのUberまでも。
ガレーゴス大使はG3iCTの会長である。彼の挨拶を聞いていると、突然、日本財団のことを話し出した。そして、私の名前を挙げて、立ち上がるよう促した。わざわざ、今回の会議に日本財団からも参加者がいることを紹介してくれたのだった。
引き続き、今日のメインテーマ、パネル討論会が始まった。会議に耳を傾けていると、私の肩をたたく人がいる。振り向くと、UNESCOのインドラジットさんだった。
10時半少し前に、私は、桔梗君と会場を抜け出した。世界銀行の障害問題顧問であるシャーロットさんと会うためである。道路は渋滞もなくスムース。
10時45分には着いてしまった。11時に会うことになっているので受付で待つ。
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<世界銀行の内部>

シャーロットさんとの打合せを12時ちょうどに切り上げ、急いで、M-Enabling Summitの会場のホテルに引き返した。
12時半から予定されているG3iCTと日本財団との覚書調印式に臨むためである。今後、5年間両者はICTを使った障害者の支援で、協力していくことになる。先ず第1号は、来年に予定しているUNESCOと共催の国際会議になりそうだ。サインしたあと、ルブロワさんに求められて、簡単にスピーチ。
覚書の調印式の後は、イギリスから駆けつけてくれたハニー弁護士と打合せ。そこへ、日本から着いたばかりの日本財団の職員で障害者問題の担当部長である石井君も合流。
午後4時半に分科会が終わると、我々はM-Enabling Summitの会場を後にした。
そして、夕方6時、ホテルのレストランでIFCの増岡局長と猿田さんに来てもらって打合せ。
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<みんな一緒にホテルで夕食>

07時45分 ホテル出発
09時 M-Enabling Summit
11時 世銀障害問題顧問 シャーロットさん
12時半 G3iCTとの覚書調印式
13時15分 ハニー弁護士打合せ 
14時半  M-Enabling Summit分科会傍聴
18時 IFC増岡局長
19時半 夕食
ヒューストン乗り継ぎでワシントンに到着 [2016年06月12日(Sun)]
6月12日(日曜日)
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<キトは坂ばかりの町>

今日は、ヒューストン経由でワシントンに向かう日。ただ、問題はキトから出発する飛行機の時間が朝の6時と早いこと。空港までの時間を一時間と見て、我々は夜中の3時のホテル出発を予定していた。
ところが、フェルナンドさんが3時間前には空港に着いている必要があるので、3時のホテル出発では心配だと言うので、夜中の2時半にホテルを出発することに。そして、何と、フェルナンドさん自身がホテルに来てくれると言う。恐縮して断ろうとすると、実は彼自身も
我々と同じ便でヒューストン経由、ニューヨークに向かうというので、それならと納得。
ところが、フェルナンドさん、ホテルに来ないかもしれないと言い出す。ひょっとすると、空港に直行するかもしれないので、時間になっても来なければ空港に向かうように、という(???)。
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<朝霧の中の空港を飛び立つ>

2時半近くになった。ホテルの前の道路に目を凝らしてみるが、一向に来ないので、定刻にホテルを出発。全員で空港に向かう。
300メートルの谷に向けて、急な坂道を一気に下る。この傾斜が信じられないほど急。しかも、延々と続くのだ。
キトはボリビアのラパスに次いで、世界で二番目に高地にある首都だとはよく言うが、恐らく、キトは世界の首都の中で一番、急な坂が多いところ、とも言えるのではなかろうか。
朝が明け始め、6時になった。外は霧が出たようで真っ白。飛行機は、ほぼ定刻にキトを出発。少し上昇したたけで、雲海の上に出た。高度が高いので雲の上に出るのも簡単なのだ。
しばらくして、険しい山々が眼下に見える。アンデス山脈の北端だった。
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<アンデスの山々を越える>

ヒューストンには、丁度、昼前に到着。外は、雨が降っていた。それも、かなり強い雨脚だ。
往路に使ったのと同じラウンジに入る。あの時と同じように、席に着いたとたん全員がパソコンを取り出し、黙々と、仕事を始めたのにはびっくり。しかし、今回の乗り継ぎ時間はたかだか2時間半。あっという間に、ワシントン行きの搭乗時間になった。
そして、出発。ただ、ほぼ定刻にドアは閉まったはずだが、機体は動かず、そのまま待機。随分そのままの状態でかなり時間が経ってから漸く出発したが、今度は、滑走路の脇で待機。悪天候のせいか、なかなか飛び立たなかった。
漸く飛び立った後も、やっと雲海の上に出たと思った途端、再び窓の外は雲に覆われてしまった。
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<ヒューストン空港のラウンジにて>

積乱雲だ。これは悪天候のサイン。気流が乱れ、機体は激しく揺れては治まり、また、すぐに揺れが大きくなる、というパターンを繰り返す。
結局、ワシントン到着は1時間半遅れの8時過ぎになった。笹川平和財団米国(SPF-USA)の
岩竹さんがわざわざ出迎えてくれていた。ワシントンでの車の手配を彼に頼んでいたのは事実だが、わざわざ迎えに来ていただいているとは知らなかった。長い間待たせてしまい、ひたすら恐縮。
夏の間の夜の訪れは遅いワシントンだが、さすがに、夕闇が迫りつつあった。岩竹さんによれば、ワシントンは今日の昼間はとても暑かったのだとか。
夕食には若干遅い時間帯だったが、皆さんを案内して、ホテルから徒歩圏内にあるタイ料理店で全員でディナー。

02時30分 ホテル出発
06時05分 キト発
11時25分 ヒューストン着
14時31分 ヒューストン発
20時05分 ワシントン着
21時15分 夕食会

観光を兼ねたバリアフリー状況視察 [2016年06月11日(Sat)]
6月11日(土曜日)
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<とても、良い天気だが、、、>

朝10時、昨晩、空港に迎えに来てくれたフェルナンドさんとホテルのロビーで落ち合う。ガールフレンドのカテリーナさんも一緒だ。
垣内さん、井原さん、東井さんらミライロ社の3人と日本財団の担当職員の桔梗君にガイドさんも入れて、全部で8人。Setedisが差し向けてくれたバンに乗り込む。
これから、キト市内のバリアフリー状況の視察に向かうのだ。
良い天気だが、とても涼しい。少し肌寒いほど。今の気温は15度くらいか。ガイドさんによると、日が昇ってくれば23度くらいにはなるそうだが、、、。
ガイドさんは我々を通常の観光客と思っているらしく、早速、観光地としてのキトの「売り」を滔々と説明し始めた。それによると、キトはユネスコの世界文化遺産、それも第1号なのだという。
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<市内のバリア状況を視察>

キトは、新市街と旧市街に分かれているが、このうち、教会や修道院などの古い街並みが残る旧市街が「キトの市街」という登録名で、1978年にユネスコの世界文化遺産が始まった時に、最初のグループとして指定を受けているのだそうな。
また、エクアドルの独立やシモン・ボリバルにまつわる話もしてくれたが、ずいぶん複雑な話だった。我々にはシモン・ボリバルの大コロンビア計画と言っても、そこにエクアドルが占める位置などはなかなかピンと来ないのだが、エクアドルはもともとは、大コロンビア計画の中では「南部地区」(Distrito del Sur)と呼ばれていた地区。そして、キトは原住民によって作られた古都をルーツとする「南部地区」の中心地だったのだ。
現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマを一国にまとめたグラン・コロンビアの一部にすぎなかった。しかし、1830年に、フローレス大統領の下で赤道直下という地理的な理由から「赤道」という意味を持つエクアドル共和国として独立。キトが首都となったのだという。
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<盲導犬を発見>

そんな訳で、キトは歴史の詰まった美しい街である。しかし、今回、車椅子の垣内さんと動き回ってみて初めて気がついたのは、この街が車椅子ユーザーにとって極めて住みづらいところであるということ。
古都の例に漏れず、市内の至る所に、古い石畳み。表面が凸凹で車椅子には難儀な代物。荘厳あ建物の前は、階段や段差があるのが普通。フェルナンドさんが盛んにバリアフリー化の遅れを恐縮する。
しかし、それ以前にキトにはバリアフリー化を推進する上で、基本的な問題があることに気がついた。これは、私が35年前に初めて来た時には全く気がつかなかったことである。
それは、ここが、非常に急な坂の多い街である地いうこと。それも、坂の急峻さが並大抵ではない。車が登れる限界スレスレと言って良いほどの傾きなのである。
我々が最初に向かったのは旧市街の中心地に建つバジリカ教会だった。
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<信じられないほどの急な坂道>

バジリカ教会はネオゴチック形式の立派な教会だが、実はそれほど古いものではなく、100年ほど前に出来たものに過ぎないということで、ガイドさんは先を急ごうとした。
ところが、カテリーナさんが教会の中はバリアフリーだというので、急遽、中に入ってみることになった。しかし、入口には、チケットを買った人がバーを押して入る形式のゲートが設置されていた。カテリーナさんは、「こんなのは前はなかったんだけど」と困惑。しかし、戸惑う我々を尻目に、係官が垣内さんを車椅子ごと軽々と抱え上げてバーを跨ぐことで、この問題を解決(?)。
旧市街で、カトリーヌさんお勧めのアイスクリームを食べにカフェに入ったり、エクアドル名物のチョコレート屋さんに入ってお土産を買ったりした後、遅い昼食をとってからホテルに戻った。
ホテルに戻る途中、垣内さんの様子がおかしいのに気がついた。急な坂を自分で車椅子を動かしての移動をあまりにも長い間、それも、極めて急な傾斜を移動しているうちに、疲労困憊してしまったのだった。
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<人力でバリアーを乗り越える>

しかし、今日の夕方は、昨日、ガレーゴスさんのご自宅での昼食会でご一緒した野田大使から、公邸での食事にご招待いただいていたのだ。明日の早朝というよりも、今夜の深夜遅くといった方が良いようなタイミングで、我々は、ワシントンへ出発することになっており、ご辞退することも一時考えたのだが、それも失礼かと思い、伺うことにしていたのだ。
垣内さんの様子を見て、やはり、ここは断って出発まで体を休めておくべきだった、あるいは、せめて午前の市内視察をもっと早めに切り上げておくべきだったと反省したのだが後の祭り。我々は、ホテルに戻って少し休んだだけで、再び、車に乗り込み、日本大使公邸に向かった。垣内さんはまだ疲れが取れていないようだった。
しかし、野田大使は素晴らしい方だった。真剣に、垣内さんの話や、Bmapsのことに耳を傾けていただき、大いに話が弾んだ。そのせいもあったろう、垣内さんも少しずつ元気を取り戻し、公邸を辞する頃にはいつものパワフルな笑顔が戻った。とても充実した時間だった。
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<野田大使と記念撮影>

10時 ホテル出発 市内視察
14時 昼食
17時20分 ホテル出発
18時 野田日本大使主催夕食会
ビーマップの発表会 [2016年06月10日(Fri)]
6月10日(金曜日)
朝8時。早朝にも拘らず、わざわざホテルにエクアドルの元国連大使で今は日本財団の特別顧問を委嘱しているガレーゴスさん、昨晩のフェルナンドさんらが来てくれて、全員で一緒に朝食を取りながら、これからの2日間の段取りについて説明を受ける。
今日は、先ず、ビーマップの発表イベント。10月にキトで開かれる国連会議(ハビタット3)の際にスペイン語版をテスト使用することになっているのだ。
そのあとは、キト市長の表敬、ガレーゴス氏邸での昼食会などが予定されている。明日は、ビーマップの導入に向けて、ちょっぴり観光を兼ねた市内視察。
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<Bmaps発表会には170名以上の人々が集まった>

ビーマップについては、今日の発表会場となるカトリック大学の学生たち30人のボランティアがデータ入力に動員されており、既に、入力済み情報は400。今後、ハビタットまでに凡そ4000件になる見込みとか。
また、ガレーゴスさんによると、エクアドル政府、キト市政府は、日本財団が1億円以上の開発費を投入して作ったビーマップを、わざわざスペイン語に翻訳し、それを10月にキトで開かれる国連会議(ハビタット3)のために、エクアドル側に無償で利用をさせてくれると言うことで大変感謝している由。
そうこうするうちに、9時半になった。我々一行は、ホテルを出発してビーマップの発表会会場のカトリック大学に向かった。
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<私はスペイン語でスピーチ>

天気予報によれば、今日のキトの気温は、最高23度、最低9度。
キトは赤道上だが、高度が2800メートルもあるため一年中爽やかな気候。空は抜けるように青い空。とても気持ちがいい。
気圧が低いために、慣れない人は頭痛に悩まされることがあるらしいが、私は大丈夫だった。
我々の乗ったワンボックスカーはビーマップの発表会会場のカトリック大学に到着。発表会が始まった。出席者は全部で170名ほど。
私は、昨日、ヒューストンから頻繁にメールで問い合わせてチリの日系人ウチムラさんの指導を受けながら推敲して作ったスペイン語の原稿を読み上げる形で挨拶した。
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<垣内さんの周りには美女が集まる>

そして私は、垣内さんを次のスピーカーとして紹介。「若くてハンサム、そして有能な若手経営者」表現すると暖かい視線が彼に集まった。
そこで、垣内さんが登場、英語で挨拶。ビーマップ開発における思いを語った。
次いで、政府機関Setedisの担当者がビーマップの機能を詳しく説明。
発表会が終わると、私と垣内さんは記者の取材を受けた。その後、取材が終わるのを待っていた若い女性たちが、垣内さんを取り囲んだ。一緒に写真を撮ろうと言うのである。
その後、キト市役所へ。市長を表敬した。まだ若い市長だが、エネルギッシュな印象。ハビタット3に向けた協力を約してくれた。大統領の所属する政党とは異なる野党出身とか。
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<美しい町だが、坂ばかり>

ガレーゴス大使が市長顧問のエスピノーサさんを紹介してくれた。
何年も前に、日本財団がガラパゴス島周辺海域のパトロールのために船舶を寄贈した時に在京のエクアドル大使館に勤務していたと懐かしそうに語り、この10月の来訪時には笹川会長をガラパゴスに招待したいと言ってくれた。
市長表敬の後、ガレーゴス大使のご自宅へ伺った。奥さんのファビオラさんが迎えてくれた。
大使の家の中は至る所に、絵や、写真、美術品が飾ってある。ちょっとした美術館の雰囲気である。
しかし、世界中の美術品よりも何より一番驚かされたのは、窓からの眺めの素晴らしさ。全面ガラス張りの窓からの眺めを楽しんだ後、奥様手作りの美味しい昼食をご馳走になった。
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<ガレーゴス大使邸からの眺め>

キト市を取り巻く火山の山並みに囲まれて、高低差300メートルという谷底に向けての雄大な景色が、部屋の突き当たり一面に設けられたシネラマ映画のスクリーンのように大きな窓の外に広がっていた。
ガレーゴス大使邸を辞した我々はホテルに戻った。
その後、市長訪問の際に同席していたキト市の女性職員の娘さんで垣内さんと同じ骨形成不全症で車椅子生活の女子大生との面談に立ち会った。
7時からは自分たちだけでホテルの近くのレストランで夕食。この日はミライロ社の学生社員東井さんの誕生日ということで、レストランからケーキのサービス。
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<ホテル内はバリアフリー>

08時 朝食打合せ
09時半 ホテル出発
10時 Bmaps発表会
11時 キト市長表敬
13時15分 ガレーゴス大使邸
17時 骨形成不全症の女学生面談
18時45分 夕食
エクアドルへ垣内さんらと一緒の旅 [2016年06月09日(Thu)]
6月9日(木曜日)
朝、起きてみると雨が降っていたが、家を出るときには幸いにも雨が止んでいた。
品川から成田エクスプレスに乗り込む。成田エクスプレスは品川から東京へは、殆ど地下を通る。東京駅を過ぎて漸く、地下から地上に上がってみると、再び、雨が強く降っていた。どうやら幸運にも、雨と雨のわずかな合間の短い時間に雨に濡れることなく出発できたもののようだ。
さて、私の今回の出張の目的地は、中米エクアドルの首都、キトと、帰りに立ち寄るワシントンの2箇所。ミライロ社社長で車椅子の若手経営者として有名な垣内さんら4人の若いメンバーと一緒の旅だ。
日本財団は彼の会社に委託して、障害者や老人、ベビーカーを押すお母さんなどが広く利用することを前提にしたバリアーに関する投稿マップアプリを開発している。このアプリの名前は「ビーマップ(Bmaps)」。
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<N’Exの窓の外は雨>

成田空港では、我々5人は車椅子の垣内さんを取り囲むように搭乗口のところで待っていた。すると、車椅子の垣内さんだけではなく同伴する我々も、一般の乗客より一足先に飛行機に乗り込むよう案内された。その時に、垣内さんがにっこり振り返って言った「これも、バリアバリュー!」。
垣内さんは、かねてから障害をネガティブに見て嘆くのではなく、障害者の立場でこそ出来ることの意味をポジティブに捕らえようという考えの持ち主だ。そして、そのような発想から生み出させる価値を「バリアバリュー」と名付け、それを実践すべく障害問題専門のコンサル会社であるミライロ社を立ち上げたのだ。彼は自分の半生をまとめた本をつい最近出版したばかり。そのタイトルも、「バリアバリュー」。
今回の旅行中、「バリアバリュー」は我々の合言葉になった。何度この言葉を聞いたことだろう。
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<成田空港は雨>

キトへは直行便は無い。今回、我々はヒューストン経由の便を選んだ。
ヒューストンまでのフライト時間は約12時間。ところが、現地と日本の間には14時間の時差がある。そのため、ヒューストン到着は日本時間では深夜だが、現地では、同じ日の朝の9時半。何と、出発時間より1時間以上早い時間に到着と言うことになった。
ヒューストンでは、8時間もの乗り継ぎ時間。幸い、全員ラウンジに入れてもらったので、そこで各自がパソコンを持ち出し、黙々と仕事に励む。
私も、持参したパソコンを開いてみたら、電子稟議が40本近く届いていた。日本財団ではつい最近始まった稟議書の「電子化」なのだが、ところ構わず、稟議書類が届き、処理が滞ると督促される。やれやれと観念して、一件一件のファイルを開いていった。
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<フェルナンドさんが空港に出迎え>

そのうち、垣内さんが、明日の式典での挨拶をスペイン語でやるのは断念したいと言い出した。以前の打合せではスペイン語でやることを勧めておいたのだが、文章が長く複雑な単語も多いので確かに負担は予想したより大変そうだ。
そこで、急遽、私のスピーチの原稿をスペイン語で完成させることにした。
日系人奨学金のOBで、今はチリに戻っているウチムラさんにSOSのメールを発信、サポートを頼み込む。何度もメールで教えてもらいながら推敲する。
幸い、彼からの返信は迅速で、何とかギリギリ、キト行きの出発までの時間にスペイン語のスピーチ原稿を完成させることが出来た。
キト到着は夜中の11時前。深夜にも拘わらず、障害者問題を扱うユニークな政府機関Setedisの国際課長、フェルナンドさんと通訳が空港に出迎えに来てくれていた。

11時15分 成田発
09時30分 ヒューストン着
17時35分 ヒューストン発
22時55分 キト着

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