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大野修一(日本財団)
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クーデターから今日で丸2年 [2016年05月22日(Sun)]
5月22日(日曜日) 
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<クーデターから今日で丸2年>

朝8時前にホテルをチェックアウトし、昨日空港から辿ったのと逆のルートで空港に戻る。途中、私がバンコクではいつも読むことにしている現地の英字紙「The Nation」の日曜版を開いて気が付いた。そうだ、今日は5月22日。2014年のクーデターから今日で丸2年。
軍事政権下で新憲法草案の策定を進めていた憲法起草委員会は、既に最終案を内閣に提出している。8月7日に実施予定の国民投票で承認されれば、来年7月に下院総選挙を実施する方針。
プラユット将軍が率いる軍事政権はこのところ、政府に批判的な論調に神経を尖らせており、言論弾圧という声も挙がっているほど。なのに、この記事の見出しは「クーデターがあって良かったのか?」という大胆なもの。記事の中身を読んでみると、さすがに、さほど批判的な内容ではなかったが、予想外に長引く軍事政権に対する反発もたまりつつあるように感じた。
予定通り、10時半バンコク発のフライトに乗り込む。8時間足らずの空の旅。定刻より少し早い午後6時過ぎに羽田空港に着陸した。空港を夕日が赤く照らしていた。
今年、6回目の海外出張が終わった。
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<夕方の羽田空港>

08時 ホテル出発
10時25分 バンコク発
18時45分 羽田着



バンコクでAPCD二ノ宮所長らと会う [2016年05月21日(Sat)]
5月21日(土曜日) 
朝8時、チョースワーミンさんの運転するMILIの車に乗り込む。
今日は、仏教のお祭りの日。ミャンマーではカソン月の満月と言われる日だが、スリランカなどミャンマー以外の仏教国でも同じように重要なお祭りの日。チョースワーミンさんによると、菩提樹に水をかけて、仏陀の生誕、悟り、入滅を祝うのだそうな。
朝早くからお寺を参詣する人が出ると聞いていたので、道路状況が気になっていたが、幸い、さしたる渋滞も無くスムーズに空港に到着。
10時30分発の飛行機でバンコクに向かう。
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<お寺の前は参詣する人で賑わっていた>

ヤンゴン空港でチェックインの際に、スーツケースは羽田までスルーの手続きを済ませていたので、バンコクへはキャリーバッグだけの軽装。
こんな時は、私はいつも電車を利用することにしている。即ち、空港の地下駅で45バーツの切符を買って、エアポートレイルリンクの電車で終点まで。そして、BTSに乗り換えれば、後は、最寄り駅で降りて徒歩5分でいつものホテルに辿り着ける。こうすれば、バンコク名物の大渋滞に巻き込まれる心配も無く、確実に、一時間で移動できる。
バンコクでの定宿のホテルに着くと、馴染みのホテルマンがドアを開けながら、私の名前を言って挨拶してくれた。馴染みとはいえ、今回の宿泊は数ヶ月ぶり。よく名前を覚えてくれているものだと感心する。
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<エアポートレイルリンクの電車のボディーにはドラえもん>

チェックインを済ますと、私は、すぐに出かけた。お土産のグミやキャンディーなどのタイ食品を買うためである。
スーパーの入っているビルの喫茶店の前を横切ろうとして何やら長い行列らしき人だかりを発見。喫茶店の入り口にはカキ氷のパネル。ああ、これだったのか。でも、タイにもカキ氷のようなデザートは以前からあったはず。よく見ると、パネルには「Kakigori」と日本語が使われているではないか。ニューウェーブのカキ氷として、この店では日本風を売り物にしているらしい。
夜は、APCDの二ノ宮所長と佐野さんの3人で久しぶりのタイ料理で夕食をとりながら、障害者芸術祭の打合せ。
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<日本風のかき氷が人気>

08時 ホテル出発
10時30分 ヤンゴン発
12時25分 バンコク着
18時 APCD二ノ宮所長 

本格的な雨季の始まり? [2016年05月20日(Fri)]
5月20日(金曜日) 
先ほどまで40度を指していた今日は金曜日だが、元々は、予定が最後まではっきりしなかったネピドーでの新大臣訪問に備えて取っておいた予備日のようなもの。二人の大臣との面談が昨日までに終わってしまったので、大きな行事はない。そこで、急遽、午後にMILIの本部に行き、UNESCOと計画中のICTトレーニング事業や、MILIの今後の運営方針などについて打合せをすることにした。
午前中は、日本財団のヤンゴン駐在の農業専門家の間遠さんと朝食。部屋に戻り、昨日までの2日間のネピドー滞在のために溜まってしまっていたメールの処理などをして過ごす。
午後1時前に、雷が光っているのに気が付いた。既に、雨が降り出している。雨脚は、益々、勢いを増す。久しぶりのスコールだ。ついに、ミャンマーでも待望の雨季が始まったようだ。
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<久しぶりのスコールが始まった>

野外のデジタル気温計がぐんぐん下がり始める。32度、そして、30度。そのうちに、29度に。絶え間なく稲妻が光り、雷鳴が轟く。激しく雨が打ち付けるので窓の外が見えにくい。遠くの方の景色は全くと言って良いほど見えなくなる。
その間も、雨脚は益々激しくなり、気温計は27度になった。あっという間に、13度も下がったことになる。次の瞬間、気温計は消えてしまった。落雷で停電したようだ。人通りはどんどん減り、そのうち、傘をさしている人の姿さえ絶えてしまった。
流石に、スコールだったと見えて、2時前には雨脚は正常に戻り、外が見えるようになり、普通に傘をさした人が行き交うようになった。
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<激しい雨で窓の外が見えにくくなった>

午後2時半、迎えの車に乗り込みMILIへ向かう。
外は雨もすっかり上がり太陽が照りつける。しかし、雨のお陰で屋外の気温はかなり下がったようだ。ミャンマー人たちが雨季の到来を待ち望んでいた気持ちがわかるような気がする。
MILI本部でネイリンソー代表らと協議。発足からわずか5年間で会員数2500人の組織へ急成長したMILIの今後の最大の課題の一つはマネジメント。たった7人のボランティアで始めたスタッフが今ではヤンゴン本部の常勤メンバーだけで59人。年内には30にもなろうという地方支部のスタッフを加える90人近くなってしまう。果たして、これが適切な規模なのか。生産性を改善する余地はないのか。日本財団に代わるドナーの開拓をどのようにして進めているのか。検討課題は尽きない。
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<MILI本部の前庭に出現した新たなプレハブ棟>

また、UNESCOとのICTトレーニング事業の進め方についても議論した。
元々は、マンダレーに新たなインキュベーション・センターを設立したいというのがMILI側の意向であったが、ヤンゴンでの原稿センターを元に、モデルとなるセンターを設けることを提言。彼らも同意。
そして、来月中にMILIとしての企画原案をまとめることになった。それをもとに、7月前半にメールベースで意見交換を進め、UNESCOのインドラジットさんが来るときにはその成案をもとにプレゼンテーションが出来るように準備しておくよう依頼した。
夕方までにホテルに戻り、梅村ヤンゴン事務所長代理と夕食。
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<常勤スタッフも急増した>

08時半 間遠さんと朝食
14時半 ホテル出発
15時半  MILI本部訪問
17時半 梅村ヤンゴン事務所長代理
新保健大臣の言葉に感激 [2016年05月19日(Thu)]
5月19日(木曜日) 
我々は朝7時半にホテルを出発、日本財団の森常務らと車二台に分乗して、保健省へ向かった。昨晩、ヤンゴンから駆けつけたエクシードのミャンマー代表のマイクさんが、ティンニュントさんと一緒に保健省で待っていた。
一時は、無理かと思われていた新保健大臣ミントゥエ博士との面談が、今朝の8時半から行なわれることになったからである。 
それを可能にしたのは、元ミャンマー保健省の局長で退職後は日本財団のミャンマー事業のアドバイーザーを務めてくれているティンニュント博士であることは間違いない。日曜日にヤンゴンでのパーティーで旧知のミントゥエ保健大臣に会って、直接頼んでおいてくれたのだ。
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<保健大臣を囲んで記念撮影>

しかも、彼は、今朝6時ころにホテルを抜け出し、保健大臣の自宅を訪問、前もって我々の訪問の目的やその背景、特に、これまでの日本財団のミャンマーでの活動について説明してくれていたのだという。
お陰で、国会開催中で超多忙な時期であるにも拘わらず、新大臣はわざわざ開庁時間である9時ではなく、それより30分早い8時半から我々と会ってくれることに。
お会いしてみると、新大臣はきわめて友好的。日本財団の活動を高く評価し、今後も全面的にサポートする、と言ってくれた。それだけでなく、我々の支援で始まった義肢装具士学科のある国立医療技術大学や、装着サービスのたのめクリニックのある国立リハビリテーション病院なども早速、視察してみると約束、その場で担当者に訪問をアレンジするよう指示してくれるほど。
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<後ろのバンパーが外れていた>

帰り道、空模様が怪しくなっているのに気が付いた。どうやら、ついに雨季が始まったようだ
途中で、車の運転手のチョースワーミンさんが盛んに首を傾げ始める。変な音がするのだ。車を止めて、チェックしてみるが原因がよくわからない。
スピードを出すと、音が強くなるのでスピードを落として気をつけながら運転。マイケルさんは心配そうだ。それというのも、このハイウェイでは死亡事故が多発していると聞いたからだ。ところが、カーソンさんは至って能天気。大丈夫だと運転手に言い続ける。
そのうち、タクシーが追い抜きざまに、車の後ろのバンパーが外れかけていると教えてくれた。幸い、既にヤンゴン市内に入っていたので、急遽、MILIに電話して代わりの車を手配。途中で、車を乗り換えることになった。
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<ヤンゴン市内に戻ってきた>

それやこれやで、予定時間よりだいぶオーバーしたが、夕方にはヤンゴンに帰還。
今日の夕食には彼らを誘うことなく、自分でホテルの部屋で軽くとることにして別れる。一晩、キープしたままになっていた部屋はむっとしていた。荷物を置いて間もなく、私はサンドイッチを買いに外へ。幸い、雨は降っていない。
路上の屋台や、スーパーを覗いた後、最近出来たばかりのケンタッキーフライドチキンの店内に。入口にはなぜかガードマン。大きなガラスのドアを開けて店内に入ると、そこにはミャンマーの伝統衣装ロンジーを着た女の店員さん。愛想よく、「ミンガラバー」と言われたのには驚いた。ミャンマーでも本格的なサービス業の時代が始まったようだ。
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<ケンタッキーフライドチキンの店内>

07時半 ホテル出発
08時半 新保健大臣ミントゥエ博士面談
11時半 昼食
ネピドーで新福祉大臣と会う [2016年05月18日(Wed)]
5月18日(水曜日)
朝7時、チョースワーミンさんが運転する車に乗り込み、ホテルを出発した。マイケルさんも一緒だ。
当初は午後1時に予定されていた保健大臣との面談が無くなり、今日は午後3時からの社会福祉大臣との面談だけというので、早朝6時出発の予定を7時半に変更。
マイケルさんとホテルを出発、途中で、マイクさんの事務所でカーソンさんを拾い、ティンニュントさんの自宅に立ち寄って、総勢、4人でネピドーへ。
ティンニュントさんは保健大臣との面談は無くなったのではなく、明日にずれ込んだだけで必ず実現するはずというのだが、、、。
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<115マイルの休憩所>

途中、いつものようにほぼ中間地点、いわゆる「115マイル」の休憩所でトイレ休憩を兼ねた昼食をとろうとレストランに入ったところ、MILIのメンバーを発見。
MILIには今回は総勢4人と大人数だと伝えていたので、てっきり、ワゴン車を用意してくれているものと思っていたのだが、チョースワーミンさんが運転して現れたのはステーションワゴンタイプの車。一番後ろに座席を作ったものの、足の長い欧米人の二人には窮屈そうだ。
115マイルの休憩所からは、ネピドーまではあと80マイルほど。もう少しの辛抱と慰める。115マイルの休憩所を出てまもなく、雨が降り出した。
ここ数日、テレビや新聞で、ベンガル湾にサイクロン発生とのニュースが流されていたとはいえ、ヤンゴンでは雲が出ていたものの雨はまったく降る様子がみられなかったのだが、、、。
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<ベンガル湾にサイクロン発生のニュース紙面>

ティンニュントさんによれば、遅れていた雨季が始まる兆しなのだそう。雨季は、通例では5月の12日から20日の間に始まるのだが、近年は、それがずれたりすることが多く、今年も雨季の到来が待たれていたのだとか。
ネピドーには2時前に到着。新福祉大臣ウィンミャッエー博士との面談は3時からなので、ネピドーは初めてのマイケル・アレンさんのために、市内案内。国会議事堂前の片側11車線の道路には彼も絶句。
それでも、少し時間が余ったので、最後はいつものレストランでティータイム。時間を調整して社会福祉省へ。ミャンマー事業全般を所管する森常務のほか、間遠さん、梅村君ら日本財団の3人も合流。そしてそこに、MILIの3人も加わった。
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新大臣とは初対面だが、冒頭から我々に対し極めて友好的な対応で臨んでくれた。それというのも、彼は我々が遺産相続の資金をもとに新校舎の建設を支援した養護学校The New Worldの創設者テインアウン博士の仲間だったというではないか。大臣に就任するまでは、The New Worldの建物の中に間借りしている社会起業Golden Senecaのメンバーとして、盲人マッサージでお世話になっている西垣さんとも懇意だったというではないか。
マンダレーで始まったばかりの盲人マッサージ学校の事業も、よく知っているし素晴らしい事業だと言ってくれた。また、私が、UNESCOとの間で検討中の、ICTを活用しての障害者就業支援の事業も、大賛成であり政府としても全面的にサポートする、と言ってくれた。
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<今日は、ネピドーのホテルで宿泊>

折角の機会なのでMILIも挨拶したら、と促すと、MILIの3人の幹部が一人ひとり順番に立ち上がり、それぞれに異なるテーマについて、堂々と陳情をしたのには感心した。
ウィンミャッエー大臣との面談を終えて、社会福祉省を後にした我々は、保健大臣との面談が明日に決まったというので、今夜はネピドーに一泊することになった。日本財団のヤンゴン事務所の方で予約してくれたホテルに、チェックインするべく向かった。
ホテルに着く頃には再び、空模様が怪しくなって来た。それでも、各自の部屋に入るまではなんとか持っていたが、夕食の頃にはついに雨が降りだした。ホテル内のレストランで、全員でにぎやかな夕食。
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<みんなで夕食>

07時半 ホテル出発
15時 新福祉大臣ウィンミャッエー博士面談
18時 夕食会
MILIの5周年記念式典でスピーチ [2016年05月17日(Tue)]
5月17日(火曜日)
ヤンゴンは、今日も朝から猛烈な暑さ。朝の9時過ぎに私が滞在しているホテルの隣のホテルに徒歩で向かう途中、いつもの野外気温計を見て驚いてしまった。なんともう40度に達しているではないか。いつもなら5月の中旬には雨季が始まり、気温は下がり始めるはずなのだが、今年は遅れているようだ。
MILI5周年記念式典の会場に入ってみると、100人は夕に超える席が用意されていた。私が着いた時は、時間が早かったせいか、席はさほど埋まっていなかったが、定刻の9時半を超える頃になると殆ど埋まっていた。式典が始まった。
冒頭にアメリカ大使館の担当官がスピーチ。アメリカ政府はMILIがミャンマーでの障害者の法的地位向上のための事業を支援している。先の総選挙をミャンマー史上初のバリアフリー選挙におけるMILIの貢献などについてしゃべったが彼のスピーチは英語だけで通訳はなし。
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<朝の9時に40度>

その後、私はドナーを代表して挨拶をした。私は日曜日にMILIの幹部の3人に会った際、彼らに頼まれたスピーチの英文原稿をその日の夜のうちに完成させ、月曜日の朝一番にMILIに送っておいた。そのため、彼らは事前にミャンマー語の翻訳を準備しておいてくれていたので、私のスピーチはユヤトゥさんが逐語通訳してくれた。私は、その中でこの5年間の出来事を回想した。
彼らに初めて会ったのはバンコクにあるAPCDの紹介を受けてのこと。MILI設立直後の2011年の5月。あれからたったの5年で、当時、メンバーは7人だけだった組織が今では、常勤スタッフ59人、全国に24の支部を持ち、会員数2500人ものミャンマー最大の障害者組織へ成長したのだ。
当時、3人の創立メンバーを中心にした7人は、ミャンマーの障害者自身の意識を変え、一般の人々の意識を変え、政府の政策を変えようという意欲に燃えていた。私は、彼らの熱意に打たれ、その場で、支援を約束。そうして、日本財団とのパートナーシップが始まった。
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<100人ほども集まった>

その後、私が提案したのは、二つの事業。すなわち、2014年のASEANサミット記念行事であるASEAN障害者芸術祭と、障害者の 経済的自立支援のための仕組みである障害者ビジネス・インキュベーションセンターだ。
障害者芸術祭は、2008年にラオス、ベトナムで助成したのがきっかけ。その後、カンボジアで一週間にわたる芸術祭を実施し好評を博したことから、日本財団とは親しい関係にあったスリンさんがトップを務めていたASEAN事務局と協力して、ASEAN障害者芸術祭の構想が生まれた。
そして、その事前準備としてASEAN障害者芸術家ネットワークの構築に取り掛かったが、スリンさんの退任などで思ったようには進んでいなかった。そこで、2014年のサミットがミャンマーに決まったことをきっかけにMILIにこの企画を持ちかけたもの。しかし、いきなりでは難しいので、2013年に準備と地ならしを兼ねて、ミャンマーでの国内大会を提案したもの。
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<MILIの女性スタッフたち>

結果的には、MILIは、大変な苦労をしながらも、2013年の国内大会,2014年のASEAN大会を見事にやり遂げ、2015には自分たちで第2回の国内大会を企画、成功させた。
我々がMILIに提案したもう一つのことが、経済的自立に向けた仕掛けつくりだ。そのため成功事例を学ぶことを目的にしたワークショップの開催と、ICTの活用による自活を目指すための組織である、障害者ビジネス・インキュベーションセンターだ。
そして、日本財団は日本財団のロゴのついた中古車両を寄付。それを使った運送サービス業への進出を促した。これも、大きな成果を上げて進んでいる。
今では、ミャンマー最大で唯一の全国規模の横断型DPOとしての地位を確立 政府にも、国際機関にも頼られる存在になった。
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<経済的自立のための障害者ビジネス・インキュベーションセンター>

MILIは我々の期待をはるかに上回る成果を挙げた。日本財団の各国での支援の中での最大の成功事例となったと言うことが出来る。
ただ、急成長の結果、様々な課題を抱えているのも事実だが、これからも、3人の幹部を中心に、しかし、彼らを超える新しいリーダー層が出てくることを期待している。
日本財団は、今後もミャンマーでの支援を継続していく決意であり、明日は、ネピドーで新大臣に会ってくる、と結んだ。
式典の後、私はカーソンさん、マイケルさんを伴って、MILIの本部に向かった。エクシードが技術支援をしている国立リハビリテーション病院の義肢装具クリニックと協働して車椅子の装着サービスを行なうという構想について協議するためである。
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<MILI事務所で打合せ>

MILI事務所での打合せのあと、我々はMILIが式典にあわせて全国の支部の幹部らも呼んで開催していたスタッフミーティングに顔を出すよう頼まれた。
真剣な講習会かと思っていたら、歌やくじ引きなどの余興も入った慰労会のようなものであった。そこで、私は簡単なスピーチの後、手品を披露。
それらを終えて、我々3人は、MILIを後にした。ネピドー行きを明日に控えて、打合せをすることになった。夕食には少々早めの時間だったが、私のホテルの近くのシャン料理の店で打合せを兼ねた夕食をとった。カーソンさんはシャン料理に感激。今までヤンゴンで食べた中では一番おいしいと、帰ってマイクさんに報告したらしい。その夜、彼からは、レストランの名前と住所を求めるメールが送られてきた。
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<余興大会のようなスタッフミーティング>

09時15分 ホテル出発
09時半 MILI5周年記念式典
12時半 取材対応
12時45分 出発
13時半 MILI打合せ
15時 スタッフミーティングに参加 
16時 出発
16時半 夕食
定例記者会見 [2016年05月16日(Mon)]
5月16日(月曜日) 
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<Genky Clinicの外装>

朝9時45分、ホテルのロビーで、昨日、まだレーから駆けつけてくれた視覚障害者マッサージ事業の責任者、アウンミン医師と合流する。MILIの車に一緒に乗り込み、西垣さんの経営するGenky Clinicへ向かう。
マンダレーで今年の初めに開校した視覚障害者用マッサージ学校では、初級コース一期生18人(男性11人、女性7人)が西洋医学の基礎理論とミャンマー伝統医学に基づく理論とマッサージ実践技術を学んでいる。学習期間は6ヶ月。来月末には修了試験が行われることになっている。
この事業の責任者でマンダレーで開業医としても活躍しているアウンミン医師は、前職がミャンマー政府保健省の伝統医療局長、その前は、国立伝統医療大学の学長も務めた問いう西洋医学と伝統医学に精通する専門家。
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<Genky Clinicのマッサージ師らにインタビュー>

今回は、明日の日本財団定例記者会見でマンダレー事業のプレゼンテーションをするためにヤンゴンに来てもらったものだが、この機会に、西垣さんの経営するGenky Clinicを訪問してもらうことになった。
それというのも、このGenkyで働くプロのマッサージ師に頼んで、卒業を控えているマンダレーの研修生たちに、マッサージ師としての実業の側面を出張事業してもらおうということになり、今日はその打ち合わせをしようというもの。
また、Genkyが指圧など日本のマッサージ技術を売り物にしているのに対し、マンダレー校の初級コースでは、ミャンマー式の伝統的なマッサージテクニックを学び、初級課程終了後に今後開設予定の中級コースで、日本やタイ式のマッサージテクニックを学ぶことになっている。そのためのカリキュラム作りのヒントももらおうというのがアウンミン医師の目論見だ。
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<日本財団の定例記者会見には50人近い人が集まった>

Genky Clinic訪問を終えると、我々二人は定例記者会見の行われる予定の別のホテルに向かった。記者会見前少し時間があったので、アウンミン医師と私はホテル内の日本レストランで昼食。
そして、午後一時から定例記者会見が始まった。ミャンマーのマスコミ7社から14名の記者やカメラマンが参加してくれた。マスコミ関係者の他、日本財団の現地事業パートナー団体からも参加してくれたので、出席者は総勢50人近くになった。
森常務理事を中心に、今年のメインテーマは新政権の発足を受けて、ミャンマーの国民和解を側面で支援する事業を日本財団がどのように展開していくかということを、現地マスコミに理解してもらうこと。その中では、私の担当する障害者分野は限られたものだったが、それでも、現地メディア1社からインタビューを受けることになった。
夜は、丸山公使ら大使館の皆さんと日本財団関係者で日本料理店で夕食会。
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<開店したばかりの大規模ショッピングモール>

09時45分 ホテル出発
10時 Genky Clinic訪問
13時 定例記者会見
15時 取材対応
18時半 丸山公使
有名漫画家の自宅訪問 [2016年05月15日(Sun)]
5月15日(日曜日)
今日は日曜日。今日も朝から太陽ば照りつける。外の気温計の温度表示は早くも34度だった。しかも、それがぐんぐん高くなっていく。
朝9時45分にホテルのロビーで、現地で活躍するビジネスコンサルタントで視覚障害者コンサルタント事業のことでも、色々、アドバイスをいただくなど大変お世話になっている西垣さんと合流。一緒にタクシーに乗りこみ、有名漫画家のティンアウンニーさんの自宅に向かう。
ドアを開けてくれたのは、日本語の達者な娘さんのイーさんだ。
彼女は、西垣さんの経営するコンサル会社のナンバー2、副社長。文字通り、西垣さんの右腕である。
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<ティンアウンニーさん自宅にて>

西垣さんを通じて彼女のお父さんのことを聞いたのが縁で、有名漫画家のティンアウンニーさんと知り合い、彼に学習漫画事業をお願いすることになった。昨年、その第一号として、ミャンマーが生んだ国際人、ウタント元国連事務総長の伝記マンガを描いていただいた。幸いにして好評で、彼の出生地のイヤワディー州の学校に配って作文コンクールを実施する計画である。
今後の事業のヒントを得るために、ミャンマーの漫画家事情を伺った。それによると、ミャンマーのプロ漫画家人口は約50人。しかし、漫画家協会のような全国組織もなく、漫画家たちはバラバラの状態。政府による支援もなく、漫画家の生活は楽ではない。国際交流も個人ベースではやっているようだが、まとまったものはまだない、という。
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<正午前なのにもう40度、酷暑のヤンゴン>

これまでの協力を謝すとともに、ミャンマー漫画家協会の設立に向けて協力の道を探ることにして彼の自宅を辞し、昼前にホテルに戻った。昼食のサンドイッチを買うために、ホテルの近くのスーパーの前でタクシーを降りる。
すごい暑さだ。野外気温計は、まだ12時前だというのに、既に40度を指していた。
午後からは、ミャンマー障害者自立生活運動(MILI)の幹部たちに、ホテルに来てもらって打合せ。
明後日のMILI設立5周年記念式典での私のスピーチの英語原稿をミャンマー語に通訳してもらうための段取りや、18日の水曜日に予定している、首都ネピドーでの新政権の社会福祉大臣との面談などについて打ち合わせ。
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<MILI幹部と打合せ>

その後、5時半にホテルのラウンジで水曜日からのネピドー行きについて、別のミーティングに参加。社会福祉大臣に加えて、保健大臣にも会って今後の事業について協力を求めることになっているのだ。
両大臣と親しく、アポ取りに側面から支援してくれている日本財団現地事業アドバーザーのティンニュントさんを中心に、このためにわざわざ英国本部から駆けつけてくれた義肢装具の専門NGOで長年の日本財団とのパートナー、ExceedのCEO、カーソンさん、ミャンマー駐在代表のマイクさん、今度からこの事業に加わることになった車椅子の専門家、米国人のマイケルさんら4人と打合せ。
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<マイクさんらと打合せ>

何年も前に手に入れたという日本財団のロゴ付きのタオルを愛用しているマイクさんに、今回、私は日本から財団のロゴ付きの新しいタオルを持参、彼に進呈したところ彼は大変喜んでくれた。打ち合わせを終えて、記念の写真を撮ろうと持ちかけたところ、彼は、早速、そのタオルを首に巻いてポーズをとった。
保健大臣との夕食会に出るというティンニュントさんが中座した後、6時すぎになってようやく、マンダレーから着いたアウンミンさんが合流。我々が全員揃っているのを見たアウンミンさんは、飛行機の延着で、合流するのが遅れて今になったとしきりに恐縮。

09時45分 ホテル出発
10時 ティンアウンニーさん
14時 MILI幹部と打合せ
17時半 カーソンさんらと打合せ
18時 アウンミン医師打合せ
4ヶ月ぶりのミャンマー [2016年05月14日(Sat)]
5月14日(土曜日)
今回の出張の目的地はのミャンマー。いつもは、品川駅から乗るNEXだが、今回は初めて武蔵小杉から乗ることにして、タクシーを呼んで武蔵小杉駅に向かう。
自宅からは品川駅より、武蔵小杉駅の方が近いのだが、電車で行くことはできない。タクシーで行くとそれに対し、品川なら電車を一本乗り継ぎさえすれば、
のミャンマーに行くのは、4ヶ月ぶり。一昨年まではほぼ毎月、昨年までは隔月のように行っていたミャンマーなので、すごく久し振りのような気がする。
成田空港11時発のミャンマー行き直行便に乗り込む。
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<武蔵小杉からNEXに乗る>

2012年に全日空がヤンゴンまでの直行便を再開するまでは、バンコク乗り換えで余計な時間と手間がかかったことを考えれば、羽田ではなく、成田発であることも苦にはならない。何より、飛行機につきものの延着の場合の乗り継ぎを心配しなくても良いのは気が楽だ。
ヤンゴンまでは7時間弱の空の旅。現地到着は午後3時半。日本との時差が2時間半あるので、日本時間なら午後6時だ。
いつものように、MILIでチャーターしている車のチョースワーミンさんの出迎えを受けてホテルへ。途中、車中から電話。日本財団の現地アドバーザーのティンニュントさんとスケジュールの確認。
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<ミャンマーでも母の日は5月8日だった>

今回のミャンマー出張の主たる目的は、定例になっている現地マスコミとの懇談会。過去1年の日本財団のミャンマーでの活動について報告するとともに、今年の活動計画を説明することがその内容だ。今回は、日本財団を代表しての説明は森常務に任せ、私は担当している障害事業についての調整役。障害分野では、日本からの遺産寄付を基にした養護学校のプレゼンをティンニュントさん、マンダレーで今年から始まった視覚障害者用マッサージ学校についてはアウンミン医師にお願いしている。今日の夕方にも打ち合わせの予定だったのだが、マンダレーからヤンゴン入りするアウンミンさんの到着が明日に延期されたということで、今日の予定は無くなったことを知る。
ヤンゴンは今が一年で一番暑い季節。ホテルの前の野外気温計によると、なんと42度だった。
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<ヤンゴンの気温はなんと42度>

11時00分 成田発
15時40分 ヤンゴン着
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