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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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二泊三日の出張、早くも帰国 [2016年04月26日(Tue)]
4月26日(火曜日) 
426rainyairport.jpg
<雨のシンガポール空港>

朝、激しい雨音に目を覚ました。5時半にセットしていた目覚まし時計を見るとまだ5時だったが、起きることに。着替えをしていると、窓の外に雷鳴が轟く。
事前の天気予報では、今回の出張中の天気は雨だったのだが、一昨日、クアラルンプールで通り雨に遭遇した以外は、幸いにしてここまで、雨には降られずに済んでいた。しかし、ここへ来て、遂に、雨に捕まったようだ。
しかし、実害の心配はない。それと言うのも、今回のホテルは空港と直結しているからだ。
チェックアウトの後、エスカレーターで二階に上がり通路を進むと、そこはもう空港だ。
朝8時10分発の飛行機に乗り込む。
426bluesky.jpg
<南シナ海の上空は爽やかだった>

シンガポールを飛び立ったときは、白い雲に覆われていた上空も、南シナ海の洋上に出る頃には晴れ渡った。
フライト時間は7時間ほど。快適な空の旅。日本との間の時差は1時間しかないので楽チンだ。
午後4時過ぎ、成田に無事到着。
短くも慌しい出張だった。初めてのシンガポール行きを楽しみにしていた新入職員の桔梗君には、殆どクアラルンプールもシンガポールも町を見る間もない旅で申し訳なかったね。でも、次回はもう少しゆっくり出来ると思うので、よろしく。
お疲れ様でした。
426narita.jpg
<成田空港は快晴だった>

06時半 ホテル出発
08時10分 シンガポール発
16時20分 成田着

マラヤ大学で会議 [2016年04月25日(Mon)]
4月25日(月曜日)
424plate.jpg
<マラヤ大学入り口の電子掲示板には我々の会議の案内が、、、>

朝9時前に、マラヤ大学からの迎えの車に桔梗君と二人で乗り込み、ホテルを出発。と言っても、ホテルの前の道路を越えると、そこはもうマラヤ大学のキャンパスだ。
大学本部の建物の前には、障害者の公共政策大学院大学(IDPP)事業の担当者のエヴェリン博士とカミラ教授が待っていてくれた。入り口の電子掲示板には我々の会議の案内が、麗々しく表示されていた。
エレベーターで4階に上がり、副学長室脇の会議室に案内された。
早速、マラヤ大学の教育部門の実質的名責任者であるアワン副学長の司会で、IDPP事業の担当責任者で建築学部長のヤハヤ教授らも加わり会議が始まった。
425meeting.jpg
<IDPP関係者と会議>

IDPPは来年度からマラヤ大学所管の下で、ASEAN加盟国の有力大学30校からなるAUN=ASEAN University Network の中のDPP-Netとして再発足することになっている。そのための移行プロセスの確認と、来年度予算について打ち合わせを行なった。
会議の後は、工事中の事務局に案内された。これからは、ここがIDPP改め、DPP-Net事務局として使われることになる。
11時半過ぎに新事務局の視察を終えると、我々二人は、マラヤ大学の車でそのまま空港に送ってもらった。2時半の飛行機でシンガポールに移動するためだ。
12時、空港に到着。
425airport2.jpg
<クアラルンプール空港>

午後3時半に シンガポールに到着した。現地の気温は31度。
シンガポール空港の出口では、一足先にバンコクから到着していた日本財団アドバーザーの渋谷さんが待っていてくれた。我々はそのまま荷物を持って、3人でタクシーに乗り、VSAの事務所に急いだ。空港から30分ほどの高層住宅街の一階にある。
会議室に案内される。と、そこには、会長のアンディさんが待っていてくれた。担当のビクトリアさん、事務局長代行のジョアンナさん、そして、英国人のウェンディさんも加わる、7人で打ち合わせ。
2018年初めに開催予定のアジア太平洋障害者芸術祭について協議
そのあと、タクシーでプラナカン料理の店へ。
425Singapore.jpg
<シンガポールに到着>

夕食を終えて、3人で空港内のホテルへ向かった。一足先に着いていた渋谷さんは、チェックイン済みだったが、桔梗君と私はようやくチェックイン。
この空港にしたのは、翌朝の帰国便の出発時間が朝の8時と早かったことと、クアラルンプールからシンガポールに到着してからVSAでの会議までの間に時間が余りなかったため。
そこで、空港直結のホテルなら便利と考えてこのホテルにしたのだったが、空港到着後、ホテルに立ち寄る時間さえ十分になかったので、結局、荷物を持ったまま空港からVSAの事務所に直行するはめになったのだった。
あー疲れた。そんな訳で、チェックインして部屋に直行。直ぐにシャワーを浴びて、体を拭くのもそこそこにベッドに倒れ込んだ。
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<現地の NGOVSAシンガポールの事務所を訪問>

08時40分 ホテル出発
09時 マラヤ大学で会議
14時30分 クアラルンプール発
15時30分 シンガポール着
16時半 VSA訪問
19時 夕食打ち合わせ
マレーシア、シンガポールへ短い出張 [2016年04月24日(Sun)]
4月24日(日曜日)
朝起きると、冷たい雨が降っていた。7時に家を出て、家人に駅まで送ってもらう。
今回の出張の目的地は、クアラルンプールとシンガポール。明日の朝には、マラヤ大学で障害者の公共政策大学院大学(IDPP)の来年度予算について打ち合わせ。その後、シンガポールに移動し、夕方、現地の NGOであるVSAを訪問し、2018年初めに開催予定のアジア太平洋障害者芸術祭について協議して、翌日の便で帰国、という短い出張だ。
クアラプール行きの飛行機は、成田からなので、品川から成田エクスプレスに乗り込む。途中、車窓から見えたスカイツリーの上半分は雨雲の中だった。
424bridge.jpg
<朝方は冷たい雨が降っていた>

世界の天気予報によれば、滞在予定の2日間の天気は、クアラルプールもシンガポールもずっと雨の予想。本来なら、五月の現地は乾季のはずで、雨は降っても一時的なスコールに過ぎず、一日中、雨と言うことはないはずなのだが、、、。
今月は前半に、ワシントンに行ったばかり。このところ、一月に一回のペースの海外出張パターンだったのだが、久しぶりに1ヶ月に二回目の海外出張だ。出発空港は羽田ではなく、前回に続いてまたしても、成田空港。
チェックインカウンターで、同行者の日本財団職員桔梗君と合流。彼は、今年の4月に財団に入ったばかり。彼にとっては初の業務出張だ。
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<クアラルンプールに着いた>

クアラルンプール空港に到着。曇り空。気温30度。入国審査のカウンターは長蛇の列。ようやくタクシーに乗り込んだのは、午後6時半頃。ホテルに向かって高速道路を走っている間に突然スコール。しかし、すぐに止んだ。午後7時10分頃にホテルに到着。チェックインしようとしていると、 IDPP奨学生のファドゥラー君が姿を見せた。部屋に荷物を置いてロビーに行くと、マルコ、タムの2人も加わり待っていてくれた。ファドゥラー君の赤ちゃんを連れた奥さんや聴覚障害者ジェームズ君の手話通訳者も加えて、総勢6人。ただ、ジェームズ君は別の会合に出ていて遅れてくるというので、8人でホテルのイタリアンレストランへ。
以外のIDPP奨学生たちで帰省中の二人を除く、ジェームズ、マルコ、タムの4人との夕食会。
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<IDPP奨学生たちと>

11時00分 成田発
17時45分 クアラルンプール着
19時半 IDPP奨学生たちとの夕食会


定刻通りに着陸 [2016年04月16日(Sat)]
4月16日(土曜日)
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<成田上空に到着>

帰りの飛行機は、金曜日の午後7時、h墓、定刻通りに成田に無事到着した。12時間足らず空の旅であった。好天に恵まれたワシントンとは一変、成田空港は曇り空だった。
こうして、笹川会長と一緒のアメリカ出張が終わった。
私にとっては、これが今年4回目の海外出張。以前は、ほとんど毎月のように、2回以上、海外に出張していたことと比べると、一月に一回ずつという出張ペースはずいぶん楽だ。
しかし、今月は、今年に入って初の2回出張。来週の24日から、 クアラルンプールとシンガポール行きが控えている。早く時差を克服して、次の出張に備えねば、、、。
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<成田空港は曇り>

14時55分 成田着
 帰国の途中、マッキンリーを臨む [2016年04月15日(Fri)]
4月15日(金曜日)
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<桜並木のそばをメトロの空港行きの電車が進む>

無事に、精神衛生国際会議と世界銀行での覚書調印式を終えて、我々一行は帰国の途についた。朝、9時に宿泊先のホテルを出発し、ダレス国際空港に向かった。
空港へ向かう途中の高速道路には一部、空港行きの地下鉄が地上に出て高速と併走する区間がある。そこでは、八重桜の並木があり、満開の桜並木を地下鉄が走り抜ける様子が見られた。空は快晴。青空に桜のピンクと地下鉄のシルバーメタリックのコントラストが美しく映えた。
定刻にワシントンを飛び立った飛行機の中で、私は直ぐに眠りについた。できる限り早く、日本時間に身体のパターンを戻してしまおうと考えたからだ。
しかし、数時間後に目を覚ましてしまった。ふと、窓の外を見ると、雲の向こうに雪を頂く山頂が見えた。北米大陸最高峰のマッキンリーだ。アラスカ州上空を飛んでいるのだった。
標高6,194メートル。アラスカ先住民の呼び名「デナリ」に変更すると昨年、米国政府が発表したばかり。
415mountain.jpg
<マッキンリー改めデナリ山の山頂が見えた>

09時 ホテル出発
12時20分 ワシントン発
世銀とのMOU調印式 [2016年04月14日(Thu)]
4月14日(木曜日) 
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<世銀精神衛生問題会議の看板>

朝9時に笹川会長以下全員でホテルを出発、ワシントン中心部にあるジョージワシントン大学に向かった。ここでは、昨日から精神衛生問題に関する国際会議が開かれている。
世銀がWHOと共催で開催することになったこの会議は、副題が"Out of Shadows"、「日陰から表へ」と名付けられている。すなわち、精神的な病気や障害は、社会の経済活動などの面において極めて大きなインパクトをもたらしているにもかかわらず、各国において様々なタブーから、これまで十分な対応がなされてきたとは言い難い、という問題意識から、タブーの払拭と取り組みの強化に向けて開催されることになったもの。日本財団は、共同スポンサーの一員として、開催費の一部を負担している。
そもそもは、昨年の9月、世界銀行でのこの会議の実務上の責任者で主任保健専門官のパトリシオ・マルケズ博士が、日本財団を訪ねて来たのが始まりだった。
その時に彼が強調したのは、この問題の重要性とともに、日本財団の笹川会長がこれまでWHOのハンセン病制圧特別大使として長年手がけてきた、ハンセン病制圧事業における役割。
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<世銀精神衛生問題会議が始まった>

官民総動員型のアプローチを高く評価するとともに、精神障害問題に取り組む上でも、この方法が大いに参考になるとして、会議への笹川会長の出席とスピーチを要請したのだった。
その時にもらった資料によると、精神疾患は世界人口の10%、青少年に限定するとその20%がかかる病気で、致死性ではない病気全体の30%を占めており、精神疾患による病欠などがもたらす経済損失はGNPの数パーセントにも及ぶという。ところが、様々な社会的、制度的問題から精神疾患には十分な治療費、対策費が払われているとは言い難い。中低位開発国の場合、医療支出全体に占める精神疾患に対する支出は1%に過ぎないという。
そこで、このような現実に警鐘を鳴らすとともに、官民あげて精神疾患に対する取り組みを強化し、予防や治療方法の革新と資金投入の増大に向けた機運を高めるために、世界中から財務大臣や中央銀行総裁が一堂に会する世界銀行の年次総会にあわせて、2日間に亘るこのハイレベル会議が企画されたのである。
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<分科会での質疑応答>

笹川会長の出番は、2日目の今日の午前11時からの「精神衛生の振興と予防、ケアと資金調達におけるイノベーション」と題されたパネル。エチオピアの保健大臣を始めとする保健大臣、次官などの政策当局者、精神科医などの専門家と、この分野で活躍している各国の財団関係者ら10人ほどのパネリストが壇上に並び、次々に意見を陳述。その後、司会者の求めに応じて、説明を補足。聴衆の質問に答える、という形で進められた。ただ、出席者が多いにもかかわらず、パネルの時間が1時間半ほどと短く、議論は煮詰まらないまま終了。
パネルを終えて、我々は世界銀行の本部へと急いだ。午後2時から日本財団と世界銀行との障害者支援の分野での共同事業に向けての覚書(MOU)の調印式に参加するためである。早めに着いて、世銀の食堂で昼食を取ろうと計画していたのだが、世銀でのセキュリティーチェックの手続きに予想以上の時間を取られてしまい、結局、昼食をとることなく調印式に臨んだ。
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<世銀本部でMOU調印式に臨む>

署名者は、世銀側はバスケス上級局長、日本財団側は私。笹川会長と、世銀の障害者問題顧問のシャーロットさんが陪席する下で調印式は無事終了。
調印式の後、私は精神衛生問題会議の会場に戻り、午後から開かれた「新技術の応用によるケアへのアクセスの改善と新しい治療法」というテーマの分科会を傍聴した。この分科会は、ガレーゴス大使の司会のもと、UNESCOのインドラジット博士ら7人のパネリストが参加。インドラジットさんは日本財団とUNESCOが昨年末、覚書を交わして共同事業に向けて取り組みを始めているとわざわざ紹介してくれた。
夜は、朝日新聞峯村記者との夕食会。峯村さんは、2005年から1年間、中国人民大学に留学の後、2007年5月から中国総局特派員として活躍。2011年には、中国の安全保障政策や情報政策に関する報道でボーン・上田記念国際記者 賞を受賞したという敏腕の新聞記者。最近出した『十三億分の一の男――中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』が極めて高い評価を集めている。
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<午後から開かれた分科会>

06時半 朝食
09時 ホテル出発
11時 世銀精神衛生問題会議
14時 世銀本部 MOU調印式
15時 世銀精神衛生問題会議
19時 朝日新聞峯村記者
ガレーゴス大使らと打ち合わせ [2016年04月13日(Wed)]
4月13日(水曜日) 
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<ここにも桜>

朝8時半に、石井部長と一緒にホテルを出る。日本財団のアドバイザーに就任いただいているガレーゴス大使に会って、今年の10月にエクアドルで開かれる国連のHabitat会議に向けて、事業の打ち合わせをするためだ。打ち合わせの場所は、メンタルヘルス会議が開かれるジョージワシントン大学の近くのホテル。タクシーで10分ほどの場所だが、時間に余裕があったので、徒歩で向かうことにする。爽やかな天気。気持ちのいい朝だ。所々に、八重桜の花が咲いている場所を見つけることが出来る。ハナミズキも咲き始めている。ワシントンの一番美しい季節が始まろうとしていた。35年ほど前にワシントンに住んでいた時のことを思い出しながら歩いた。
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<爽やかな天気>

ガレーゴス大使との打ち合わせの後は、同じ場所でUNESCOのインドラジット博士と打ち合わせの時間を持った。彼とは、3月にパリで会って以来の再会だが、仕掛けたのは私。明日から始まるメンタルヘルスと情報革新をテーマにしたパネルのモデレーターをガレーゴス大使が務めることになったのに気づいた私が、大使にインドラジット博士をパネリストに招くことを進言、大使が合意して実現したもの。
ちょうど良いチャンスなので、昨年末に調印したUNESCOとの障害者支援分野での共同事業に関する覚書の具体化に向けて、障害者芸術祭や、ICTを活用した障害者の就業支援事業などに関して、3月の打ち合わせ以後の進展などについて情報交換。
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<日本大使公邸を訪問>

インドラジットさんとの打ち合わせの後、ホテルの近くのカフェで簡単に昼食を済ませ、今度は、アメリカン大学の准教授で障害者公共政策大学院大学(IDPP)事業のプログラムディレクターをやってもらっているデリックさんと面談。
IDPPは今年の授業年度から、マレーシアのマラヤ大学に移管することになったので、そのための予算の作り方や引き継ぎなど諸々の手続きについて打ち合わせ。
デリックさんとの打ち合わせを終えた後、石井部長と私は、アメリカン大学に戻るというデリックさんの車に同乗、日本大使公邸まで送ってもらった。
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<大使公邸の前の庭にも桜の木があった>

大使公邸に着くと、会長一行の車が停まっていた。全員で大使公邸へ入り、笹川会長と佐々江大使との面談に同席する。
大使との面談の後、夜7時からの米国笹川平和財団ブレア理事長ご夫妻との夕食会まで時間があったので、ホワイトハウス周辺を散歩することに。
ホワイトハウスの前では観光客らしき人たちが思い思いに写真を撮っていた。警備のパトカーも見たが、オバマ大統領が不在中のためか、思ったほどの緊張感は見られなかった。
夕食は、ステーキレストランで米国笹川平和財団理事長で元米国太平洋軍総司令官のブレアご夫妻を囲んだ。笹川平和財団の茶野常務も加わり和やかな時間。
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<ホワイトハウスの周辺を警備するパトカー>

07時半 朝食
08時半 ホテル出発
09時 ガレーゴス大使
11時 インドラジットさん
12時半 昼食
13時 デリックさん
15時  佐々江日本大使
19時 夕食会
八重桜が咲くワシントンへ [2016年04月12日(Tue)]
4月12日(火曜日) 
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<快晴の成田を飛び立つ>

成田空港で、笹川会長らと合流。今日は、これからワシントンへ出張だ。
今回の出張の目的は3つ。世銀WHO共催の精神衛生問題会議への出席と世銀本部でのMOU調印、その他の事業についての関係者打合せ。
世銀IMF年次総会にあわせて開かれる世銀WHO共催の精神衛生問題会議二日目のパネルディスカッションに笹川会長が招かれてスピーチすることになっている。また、日本財団は世界銀行との間で障害者支援の分野で協力し合うことになり、昨年12月にUNESCOと結んだものと同様の覚書を調印することになった。また、この機会をとらえて、障害者の公共政策大学院(IDPP)の幹事校であるアメリカン大学のグッドマン前学部長グッドマン名誉教授やデリック・コグバーン准教授と打ち合わせするほか、精神衛生問題会議の別のパネルに出るために来ているUNESCOのインドラジットさんやG3iCT会長のガレーゴス大使らと、別の事業について打ち合わせをする予定。
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<ジョージタウンへポトマック河を渡る>

13時間ほどのフライトの末、ワシントンに到着。
入国管理ゲートと、税関を抜けて外に出ると、そこには、笹川平和財団の茶野常務、同財団の米国支部に当たるSPF-USAの岩竹さんのお二人がわざわざ出迎えに来てくれていた。
一足先にワシントン入りしていた茶野さんによると、今日は、朝方は強い雨だったというのだが、我々の到着直前に止んだのだとか。しかし、気温は東京と比べると、少し肌寒いそうだ。
そう言えば、ダレス空港のターミナルの天井からは、何やらピンク色の飾り付けがぶら下がっていた。切り紙のようで桜のパターン、和風の趣だ。そうか、ワシントンの桜の名所、ポトマックの湖畔では、確か、今頃が桜まつり。それに、ちなんでの飾り付けにちがいない。
しかし、ワシントンに住んでいる岩竹さんによると、桜の花はワシントンでもさすがにもう粗方、散ってしまったのだとか。そう、地球温暖化の進展のせいか、このところ日本同様にここでも、桜まつりは日本から送られたソメイヨシノの開花には、間に合わないタイミングになってしまっているようだ。
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<ホテルの近くの住宅街では、八重桜が見事だった>

ホテルにチェックインした後、昼食をとりながら打ち合わせ。
その後、ギャローデット大学へ行く会長一行とは別れ、私は、一人ホテルに残り、アメリカン大学名誉教授で国際関係学部の前学部長であるグッドマンさんとアメリカン大学の准教授でこれまでIDPPのプログラムディレクターをやってもらっていたデリックさんのお二人に会う。IDPPのプログラムのアメリカン大学からマラヤ大学への移管問題について話し合う。
その後、夕方6時半に財団の担当者である若手女性職員の新田さん、担当の部長である石井君らとホテルのロビーで合流。3人一緒に、ホテル近くのイタリアンレストランへ徒歩で向かう。
デリック准教授ご推薦のイタリアンレストランは人気店らしく地元の人でごった返していた。デリックさんや日本財団のアドバイザーに就任いただいているガレーゴス大使、UNESCOのインドラジット博士ら関係者と、互いの紹介を兼ねた夕食会。
うち合わせをするにはいささか騒々しいかと心配になったが、結局そのまま、声を張り上げながら会話を続けた。
412restaurant.jpg
<にぎやかなイタリアンレストランで>

11時00分 成田発
10時40分 ワシントン着
12時半 昼食打ち合わせ
14時 アメリカン大学グッドマン前学部長デリック教授
19時 夕食会
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