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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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早くも帰国 [2016年02月19日(Fri)]
2月19日(金曜日) 
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<市内の通りの両側も春節の飾りつけ>

笹川会長、胡笹川日中基金主任研究員ら3人で朝食の後、チェックアウト。一泊だけの旅なので、荷物も小さなカバンひとつだけ。荷造りの必要さえないので簡単だ。
今朝は薄曇り。でも、恐れていたスモッグの気配は全くない。市内の通りの両側には、今も春節の飾りつけが美しい。胡さんによると、旧正月から2週間はそのまま、15日後に撤去するのだとか。
道路沿いの電子看板に「空気の汚染を減らすために、爆竹の使用をやめるか、使用量を減らしましょう」との呼びかけ。春節名物の爆竹の禁止令が出されたが、不評により撤回されたのだとか。
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<車道沿いの電動標識板には「減らしましょう」との呼びかけ>

安定門外の黄寺大街へ。11時半の日本大使館訪問まで時間があるということで、昨日、共識堂代表の周さんが、チベット仏教の寺院西黄寺の案内を買って出てくれていた。ここは、人民解放軍の管理下にあるというチベット仏教の由緒あるお寺。
人民解放軍の施設が近くにあり、兵士が警備していた。彼の案内で、一般には解放されていないという境内に入ることが出来た。
西黄寺はチベット仏教の寺院。清朝順治年間、西黄寺の東側にももう一つ寺院があり、東黄寺と呼ばれた。そのため、徳外大街一帯は「双黄寺」と呼ばれているが、東黄寺は今は残っていない。
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< 西黄寺を見学>

黄寺は、17世紀 に、チベットを統一を果たしたダライ・ラマ五世が清の順治帝の招きに応じて北京を訪れたさいに、その宿舎として清朝によって建てられたもの。さらに、1780年には、バンチェン・ラマ六世が乾隆帝の祝賀に訪れた際に滞在したが、天然痘にかかって、この地で病没。そのため、西黄寺境内には、乾隆帝が建てた供養塔が残る。
そして、ここには1987年9月に、中国政府によってラマ僧の教育機関「中国蔵語系高級仏学院」が設立されている。 一般の大学で言えば、修士号や博士号に相当する高レベルの学位が与えられるのだとか。チベット仏教徒懐柔のため、中国共産党政権としてもこのような配慮が必要だったということ。
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<大使館にはひな人形が飾られていた>

一時間以上かけて、西黄寺をじっくり見学させてもらって、周さんらと別れ、3人で日本大使公邸に向かった。木寺日本大使、政治担当の石川公使、広報文化担当の山本公使らが迎えてくれた。大使館にはひな人形が飾られていた。そうか、間もなく3月。日本では桃の節句なのだ。
しばし、懇談の後、昼食をご馳走になった。
大使公邸を辞して、そのまま、北京空港に向かった。いつの間にか、空は晴れ上がり、青空が広がっていた。帰りの飛行機はスターウォーズのペイントが塗られた機体。しかし、機内はなぜかガラガラ。偏西風に押されて3時間足らずのフライト。短い中国出張が終わった。
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<スターウォーズ仕様の飛行機>

07時半 朝食
09時20分 ホテル出発
10時 西黄寺見学
11時半 木寺日本大使面談
13時 大使公邸出発
15時45分 北京発
19時40分 羽田着



久しぶりの北京へ [2016年02月18日(Thu)]
2月18日(木曜日) 
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<上空から見る川や池の氷は凍っていた>

羽田から北京へ。今回は笹川会長と、笹川日中基金室主任研究員で、通訳兼務での同行を願いした胡一平さんと私の3人だけで、一泊二日の短い出張。
主たる目的は、中国身体障害者連合会の張会長と笹川会長の初めての面談への陪席。
天気予報によると、今日の北京地方の気温は、最高4度、最低マイナス3度。着陸直前に上空から見る北京空港周辺の川や池の氷は凍ったままだった。
空港ターミナルは、結構、混雑していた。春節の休暇の余波だろうか。旧正月の元旦(8日)から一週間を過ぎたので、春節休暇はもう終わったものとばかり思っていたのだが、ターミナルの真正面にはめでたい真紅の飾りがまだ飾ってあった。迎えの車で空港を出て、市内に入る。北京はスモッグを覚悟していたのだが、案に相違して、快晴だった。
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<北京飛行場ターミナルには春節の赤い飾り>

ホテルにチェックインして10分。休む間もなく、中国身体障害者連合会へ向かった。中国語では障害者のことを「残疾人」というので、中国語表記では中国残疾人聯合会、略して「残聯」。
残聯は、1988年の設立。初代の会長はケ小平の息子のケ僕方。彼は、文化大革命の時に負傷、下半身麻痺になり、その後は車椅子生活を余儀なくされた人物である。障害者福祉行政の担当は、政府機関では衛生部と民生部の管轄だが、実質的には中国残疾人聯合会が担っていると言っても過言ではない。
モダンなビルに入り、エレベーターで二階に上がると、車椅子に乗った女性が我々を迎えてくれた。会長の張海迪さんだった。張さんを囲むように副理事長以下10人近い幹部が勢ぞろいしていたが障害者は張会長のみ。
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<中国障害者連合会で会議が始まった>

張さんはお若く見えるが、1955年生まれというので、既に60歳を超えている。2008年にケ僕方を継いで、2代目の会長に就任したという。政治協商会議の常務委員。
張さんは幼少時に血管腫を患い肢体障害者になった。英語、日本語、ドイツ語を独学でマスター。28歳で文学活動を始め、海外文学を多数翻訳。2002年に発表した長編小説がベストセラーに。そのため、今も、全国作家協会の委員の肩書きも持つという大変な才女である。
日本語を交えながら長時間、語ってくれた。
中国の障害者は8500万人。80年代以前は大変厳しい状況に置かれていたが、2008年の北京パラリンピックなどを経て、近年、政府の障害者支援政策が強化され、大きく改善してきているという。昨年には、大学入試面でも特別の配慮が制度化された由。
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<中国障害者連合会会長の張さんと笹川会長>

さらに、中国政府は、国連障害者権利憲章、2030年に向けての国際目標であるSDGなど、国際的な場での各国との連携にも努力を払ってきている、と力説。
当方からは、中国障害者連合会の設立時におけるこれまで日本財団が国連などの場で進めてきた障害者支援分野での活動について紹介した。また、2020年に向けての障害者国際芸術祭などの分野でのUNESCOとの活動計画など、今後の予定についても説明して、各分野での連携を提案した。
これに対し、張会長からは、日本財団が行ってきた活動を高く評価するとともに、今後は、連携していくことで合意。彼女は、リハビリテーションインターナショナル(RI)の次期会長に選出されている。
RIは日本財団と共催で、防災と障害に関する国際会議を、4月に東京で開催する。その会場は、日本財団ビル。2ヶ月後の東京での再会を約して別れた。
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<知識人の私的談話サロン、共識堂で>

その後、北京の郊外に向かった。知識人の私的談話サロン共識堂へ。着いてみると、由緒ありげな大きな門扉の前で、代表の周さんご夫妻が出迎えてくれた。畑や池に囲まれた田舎の一軒屋という佇まいである。
大きな室内に案内され、地下の談話室に案内されると、そこには、北京大学や、人民大学の教授、テレビのプロデューサーなど総勢十人ほどの人たちが集まっていた。周さんによると、ここには年間3000人もの、内外の様々な分野の人々が、集まり自由に意見交換するのだという。
小一時間ほど、お茶を飲み、梨やミカンなどの果物や、ひまわりやスイカの種などをつまみながら懇談の後、場所を大きな円卓テーブルの間に移し、夕食会になった。驚くべきことに、様々な料理に使われている食材は、野菜は勿論のこと、鴨やスッポンに至るまで、彼の邸宅の敷地内の農園での採れたものばかり、だと言うではないか。驚かされることの多い夕べであった。

09時25分 羽田発
12時35分 北京着
09時 ホテル出発
15時中国身体障害者連合会訪問
17時 共識堂訪問
19時 夕食会

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