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大野修一(日本財団)
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帰国早々、バス事故の現場に遭遇 [2016年01月20日(Wed)]
1月20日(水曜日)  
2016-01-20 Bangkok airport.jpg
<バンコクに着いた>

コロンボを深夜に出発して僅か3時間余りのフライトの後、バンコクに到着。時差が1時間半あるので、現地の時間は、既に6時過ぎ。外はまだ真っ暗だが、滑走路が濡れて光っていた。
どうやら、雨が降ったらしい。今は、タイは乾季。滅多に雨が降らないこの時期には珍しいこと。昨年の雨季は、旱魃に苦しんだタイが、今度は、乾季に入って雨が降るとは皮肉。やはり、世界的な異常気象のせいだろうか。
日本財団の尾形理事長、事業担当の杉本職員、通訳のシーズさん3人一緒に、バンコクでの5時間余りの乗り継ぎ。その後、昼前に羽田行きの飛行機で出発。夕方、7時前に無事、羽田に到着した。慌ただしかったスリランカの旅が終わった。尾形理事長らとはここで解散。
2016-01-20 accident.jpg
<バス事故を報じるテレビ>

空港からタクシーに乗る。ところが、環8で渋滞。車が動かなくなってしまった。しかし、バンコクやヤンゴンでは普通のこと。渋滞慣れしてしまった私は、最初の内、特に気にもならなかったのだが、タクシーの運転手が「これはおかしい」と言い出す。
すると、上空にヘリが飛来。前方には、おびただしい数の赤色灯。救急車のサイレンの音も聞こえる。機転を利かせた運転手の意見に従い側道に入り、大回りして環8に先回りして入ると、その辺りの通行量はほぼゼロ。ラジオのニュースを聞いていたタクシーの運転手が叫んだ。「また、バス事故だって」。何と、いうことだ。バス事故が再び?
こうして、私の本年初の海外出張が終わった。

01時30分 コロンボ発
06時12分 バンコク着
11時20分 バンコク発
18時55分 羽田着
スリランカ義肢装具士学校を政府に引き渡す [2016年01月19日(Tue)]
1月19日(火曜日)
深夜に、コロンボ空港に到着、通関ゲートを抜けると、いつものように宿泊先のホテルの係員が私の名前を書いたボードを持って立っていた。ところが、その横にニコニコして立っていた一人の若者が私の荷物を持って歩き出した。ダヤシリさんのお孫さんだという。スリランカ義肢装具士学校(SLSPO)のボードメンバーなどとして、いつも、日本財団の仕事を手伝っていただいているダヤシリさんが、今回は、息子さんを私を迎えに空港に送ると言うので、丁重にお断りしていたはずなのだが、、、。それにしても、お孫さん?
彼によると、自分のお父さんが急に都合が悪くなったので、彼を代わりに寄越したのだとか。それにしても、深夜の空港にわざわざ、とは恐縮の至り。
ホテルに着いて、3時間ほどうとうとしただけで、もう朝が空けた。6時半。ホテルのレストランに行くと、昨日、一足先に尾形理事長らとコロンボ入りしていた日本財団の杉本職員だけが、一人、朝食を取っていた。尾形理事長は「パス」とか。今日の段取りを二人で確認。
2016-01-19 flags.jpg
<日の丸のサイズが少し小さいのもご愛敬>

朝7時に、ホテルのロビーで日本財団の尾形理事長、通訳のシーズさんと合流、ダヤシリさんの車で、スリランカ義肢装具士学校(SLSPO)のあるラガマに向けて出発した。ラガマはコロンボからは30分ほどの郊外にある。
SLSPOに着くと、正面玄関だけではなく、あちこちに飾りがつけられお祭りモード。スリランカと日本の両国の国旗も並ぶ。よく見ると、日の丸のサイズがちょっとおかしい。手作りなのだ。
支援母体であるイギリスのNGOエクシードのCEOカーソンさんの姿も見える。美しく着飾った若い女性たちは、誰だろうと彼に尋ねると「生徒たちだよ」。彼もうれしそうだ。
保健省のマヒパラ局長の姿も見える。当初からの、協力者で元軍医総監という国防省の実力者ダシルバ将軍、保健省OBでタミル系の人格者、ジャガネイサン博士も見える。日本大使館からは不在の菅沼大使の代理として、岡井公使が来て下さった。
2016-01-19 danse parade.jpg
<スリランカ義肢装具士学校引き渡し式典が始まった>

式典は先ず、紅白の伝統衣装に身を包んだ太鼓打ちの若者たちが先導するパレードから始まった。次いで、スリランカのセレモニーにはお決まりの、オイルランプへの火入れ式に移る。
学校の集会室を使って引き渡し式典のスピーチが始まった。技術集団によって結成されたNGOエクシードCEOのカーソンさんがスピーチ。11年前に始まったこの事業の経緯を彼が語るのを聞きながら、私も思い出していた。
元々は、スリランカ和平の機運の高まりを受けて、スリランカの国民和解を促進するための事業として企画されたのがこの事業。当初から多数派のシンハラ族だけではなく少数側のタミル族の生徒も加えることを、助成の条件とした。ところが、休戦協定が破られ、内戦が再び激化すると、タミル出身の学生たちは、コロンボ市内の下宿では身の危険を訴えるようになり、急遽、ラガマに寄宿舎を建てて彼らの不安を取り除いたこともあった。
2016-01-19 ceremony.jpg
<オイルランプへの火入れ式>

結局、これまでにシンハラ、タミル合せて56人が卒業、タミル地域を含む全土で活躍している。在校生を入れると70名。卒業生のタミル人が、しみじみ、ここに来て初めてシンハラ人も同じ人間だと分かった、と言うのを聞いたこともある。
日本財団は引き続き、マヒドン大学でのアップグレードコース支援継続するが、スリランカ政府としては、将来的にはケラニア大学の学科として、4年制のコースに昇格させる構想。
そうなると、カテゴリー1になるが、スリランカ国内だけではそこまでの人数が確保できるか疑問。隣接するインドからの留学生を確保できるかが鍵。
引き渡し式典の後、SLSPOの臨時理事会が開かれた。議題は、引き渡し後もこれまでこの支援事業を担って来た現地NGOとしてのSLSPOを存続させることの是非。結論は持ち越した。
その後、1時間以上車を走らせ、海外沿いのリゾートホテルのある漁村であるメガンボまで行き、昼食会。そして、彼らと別れ、我々は、ケラニア大学に向かった。
2016-01-19 participants.jpg
<引き渡し式典には70人ほどが集まった>

キャンパスに着くと、言語学部のラジャパクサ教授、障害者センター長のシャヤマニさんらとともに、当地出張中の香港中文大学の唐(タン)教授が迎えてくれた。言語学部に手話言語学科の設立を準備中。既に、カリキュラムはほぼ完成しており2017年には開設出来る見通し。
挨拶に、副学長に面会。旧英国植民地であるスリランカは、英国のように、学長は名誉職に過ぎず副学長(Vice Chancellor)が自室的な学長に当たる。
ケラニア大学を後にして、ホテルへ戻る途中、コロンボゴール道路を隔ててホテルの向かい側にあるササカワホールを訪問。ここは、30年ほど前に日本財団の寄付で建てられた事務所と多目的ホール、研修室などからなる複合ビル。
正式名称は「スリランカ日本文化センター」だが、現地ではササカワホールと呼ばれて親しまれており、大通りに立つ看板にもササカワホールと書かれている。
今でも年間6.5万人もが利用している。日本人会、日本スリランカ友好協会、JICAのOB会などがここに入居している。
2016-01-19 conference.jpg
<ケラニア大学で副学長と懇談>

運営母体のササカワトラストのメンバー現会長のダヤさん以下幹部が勢ぞろいして我々を迎えてくれた。1990年竣工のこのビルの課題は移転問題。高速道路や電車の線路などの拡張などの計画が持ち上がり、駐車スペースが少ないこともあり、別の場所に新築する話が数年前から持ち上がっているのだ。ところが、移転問題は土地の問題で暗礁に乗り上げたまま。ダヤさん以下の幹部から、色々、説明を受ける。しかし、どうやら、この問題の解決はなお難しそうだ。
一旦ホテルに戻って、シャワーを浴びて着替えた後、別のホテルの日本料理店に向かった。不在中の菅沼大使に代わって、岡井公使主催の夕食会。
ホテルに戻り、出発の準備。セワランカ財団のハルシャ会長と連絡を取り合う。準備を済ませて荷物を持ってロビーに降り、チェックアウトまでの短い時間を利用して面談。午後11時、ダヤシリさんの車で空港に向かった。
今回のコロンボ訪問は私にとっては、深夜に到着、深夜に出発のたった一日の短いものだった。この間、何から何までダヤシリさんにお世話になってしまった。
2016-01-19 Trust members.jpg
<ササカワホールの管理組織、ササカワトラストのメンバーと懇談>

00時10分 コロンボ着
06時半 朝食
07時 ホテル出発
09時 スリランカ義肢装具士学校引き渡し式典
11時 スリランカ義肢装具士学校臨時理事会
13時半 昼食
15時半 ケラニヤ大学言語学部訪問
16時 学長面談
17時45分 笹川ホール訪問
19時半 日本公使主催夕食会
22時15分 セワランカ財団ハルシャ会長 
23時 ホテル出発
コロンボへの途中、バンコクで打ち合わせ [2016年01月18日(Mon)]
1月18日(月曜日) 
2016-01-17 Japanese filmfestival.jpg
<ヤンゴン市内の映画館では日本映画祭が進行中>

今日は、バンコク経由でスリランカのコロンボへ移動する日。
当初の予定では、朝9時にチョースワーミンさんにホテルに迎えに来てもらって、先ず、MILIに行き、ネイリンソーさんと先日の続きをすることになっていた。
そして、その後は、数日前に会ったジョセフィーヌさん同様、AVPNのミラーさんに紹介されたバウアーさんという方と会って昼食をとる予定だった。そしてその後は、バンコクに同じ便で向かうという彼女と一緒に、空港に行く予定になっていたのだ。
そのために、飛行機の切符も変更したのだったのだが、、、。
2016-01-17 traficsignal.jpg
<交差点の信号機が壊れていた>

ところが、昨晩になって、何と、ネイリンソーさんとバウアーさん、それぞれから都合が悪くなったとの連絡が入り、午前の予定がすべてキャンセルという事態に。
そこで、急遽、チョースワーミンさんの迎えも、12時半に変更、結局、ホテルから直接、空港に行くことになった。
途中、ホテルの前の交差点の信号が壊れているのを発見。青信号が残り00分としか表示されないのだ。日本なら大問題になるところだが、ここでは誰も騒がない。
3時半の飛行機でバンコクに向けて出発。
2016-01-18 Foodcenter.jpg
<空港前に開店した新しいレストラン>

バンコク到着後は、コロンボ行きの便が出発するまでの空き時間を利用して、スワンナプーム空港に隣接したホテルの中華レストランで、APCD二ノ宮所長、佐野さんのお二人に会う。2017-18年に計画している事業について打ち合わせ。
ヤンゴンでの午前中の予定がキャンセルされることがもっと早く分かっておれば、空港までお二人に足を伸ばして頂かなくとも、私の方で市内の中心部に出向いたのだが仕方がない。
打ち合わせをしながら食事を済ませた後、私は、慌しく空港に取って返し、コロンボ行きの飛行機に乗ったのだった。
2016-01-18 BangkokAirport.jpg
<バンコクに到着>

12時半  ホテル出発
15時20分 ヤンゴン発
17時15分 バンコク着
19時 APCD二ノ宮所長 
22時15分 バンコク発

初めてヤンゴン環状線に乗ってみた [2016年01月17日(Sun)]
1月17日(日曜日) 
2016-01-17 CircleLine.jpg
<ヤンゴン環状線の路線図>

今日は、日曜日。何も予定がないので、日本財団ヤンゴン事務所に所属する農業問題の専門家の間遠さんを誘って、前から乗ってみたかったヤンゴン環状線の電車に乗ってみることにした。
現在、日本からの2億5000ドルのローンによって、ミャンマー国鉄に所属するヤンゴン環状鉄道のアップグレードプロジェクトが進行中だと聞く。環状ラインの長さは全長46キロメートル。全38駅の修復や車両の交換が予定されている。
2016-01-17 locomotive.jpg
<ヤンゴン中央駅で列車を待つ>

ヤンゴン環状線は東京山手線の1倍半の長さがあるというが、全行程を乗ると3時間というから、平均時速は山手線の半分ほどということになる。
今回は全部を回るのは無理なので、途中までにすることにした。間遠さんの車の運転手に相談したところ、10番目の駅、チャウッイェドゥェン駅までの切符を買ってくれた。45分の短い旅。彼はその駅に先回りして、我々を待っていてくれることに。
2016-01-17 JRtrain.jpg
<車両は日本製のディーゼル車だった>

我々の電車の出発を待つ間に、構内に入っていた別の客車に乗ってみた。凄まじいほどのおんぼろで、しかも、かなりの汚れ様。
しかし、私たちが乗った車両は、日本製の中古ディーゼル車だった。車体の脇には日本とミャンマーの国旗がアレンジされ、日本政府の支援によるものであることがわかる。
電車の中もそれなりに小奇麗で、こちらには余り違和感はなかった。しかし、長いすに完全に寝そべるスタイルで眠っている乗客はミャンマースタイルか。
2016-01-17 sleeper.jpg
<車内の光景>

外に目をやると、停車駅のベンチでも同じように昼寝をする人の姿がちらほら。
線路の保線状態が良くないためか、確かに、スピードは至ってのんびり。
日本では、徐行運転のようなスピードだ。冷房は切られているが、開けっ放しの窓からの風が心地よい。
間遠さんの運転手に買ってもらった我々の乗車券は20円。バンコクのバスと同じ、手もぎの薄っぺらな紙の切符だった。
2016-01-17 ticket.jpg
<乗車券は20円>

だが、ヤンゴン駅のホームの一角では、椅子一つ、机一つにラップトップコンピューターと小型のプリンターを備えた若者が、麗々しく「コンピューター発券」と書かれた「カウンター」を構えて切符を売っていた。
コンピューター発券とは言っても、日本などのように、予約システムと連動しているはずもない。単に、区間名を入れると金額が表示され、それにあわせた切符が印刷されると言うだけの代物だろうと思われる。
ミャンマー国鉄の近代化は、まだまだこれからだ。
2016-01-17 ticketingdesk.jpg
<コンピューター発券を謳ったカウンター>

目的地チャウッイェドゥェン駅の前は小さなマーケットになっていた。
朝の買い物時間を過ぎてしまったからだろう。買い物客の姿もなく、店番をする人たちもけだるそうにしていた。
マーケットを通り抜けた車道で、間遠さんの運転手に拾ってもらって、ホテルに戻った。
夕方は、間遠さんの他にも、梅村所長代理など日本財団のヤンゴン事務所のメンバーが加わって、ホテルのラウンジでハッピーアワー。
こうして、ヤンゴンで久しぶりにのんびりした日曜日を過ごしたのであった。
2016-01-17 station market.jpg
<駅前の小さなマーケット>

10時 間遠さん
11時 ヤンゴン環状線試乗
17時半 日本財団ヤンゴン事務所メンバー
盲人マッサージ学校開校式典に参加してとんぼ返り [2016年01月16日(Sat)]
1月16日(土曜日)
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<立派な校舎は借り物>

マンダレーの朝。ホテルの前の道路の向かいにお堀。その先は旧王宮だ。
ミャンマー最後の王、ティボーの居城跡である。英軍との戦いや、第2次大戦中の日英両軍の戦いに巻き込まれたりて、内部にはオリジナルなものは殆ど何も残っていない。今は、国軍の管理下にあると聞く。東側の一部には、再建された一角があり、観光客に開放されているそうだが、マンダレーに来るのは4−5回目の私もここは、いまだ未見。
ホテルのレストランで、ヤンゴンから今回の式典のために多忙にも拘らず、駆けつけてくれた西垣さんと朝食。10時前に、アウンミンさんが手配してくれた車で、西垣さんと一緒に、マッサージ学校に向かった。初めて見る立派な校舎にびっくり。
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<盲人マッサージ学校の男子学生達>

この立派な校舎は新築ではなく、アウンミンさんが理事長を務めるミンスエ財団からの借り物だ。
ミャンマーの伝統医学理論に基づく医療マッサージ教育を、視覚障害者の生業支援の一角として始めてはどうかというアイデアは、3年以上前に生まれた。
バンコクで日本財団が支援してきた盲人マッサージ教育に関する会議で知り合った、ヤンゴンでGenkyというマッサージクリニックを経営するビジネスコンサルタントの西垣さんに相談し、ヤンゴンで日本式マッサージを教えるプロジェクトを実施しているNGOの代表に会ったりして、検討を重ねて来た。ジュネーブのWHO本部の専門家にも相談した。
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<開校式の冒頭、お坊さんの挨拶>

その後、ミャンマー政府保健省の元伝統医療局長で、今も、日本財団のミャンマー事業のアドバイザーとしていつも頼りにしている、ティンニュント博士に相談。そして、国立のチーミンダイン盲学校に一緒に行ってもらったのが2013年の終わり。当時はヤンゴンでの事業展開を考えていたのである。
その後、ティンニュント博士の提案を受けて、彼の後任の保健省伝統医療局長で、元はミャンマー国立伝統医療大学の学長を務め、今は、マンダレーで開業医をしている、アウンミン博士にカリキュラムつくりを依頼。
プログラムの実施責任者に就任してくれたアウンミンさんと相談の結果、学校の開設地はマンダレーに変更。幸い、彼が理事長を勤める現地の民間財団から、破格の条件で建物をそっくり借り受けることが出来、そうして今回の3年越しでの開校に漕ぎつけたという訳だ。
2016-01-16 Attendants.jpg
<参列者は100人ほど>

開校式が始まった。参列者は総勢100人ほど。
冒頭に、お坊さんがスピーチ。ピンウーリンにある盲人学校の責任者を務めるというニャイヤ師。サングラスをした視覚障害者の僧侶だ。もともと、盲人用のマッサージ学校の開設は自分の夢であったのだという。
そのあと、プロジェクトの責任者であるアウンミン医師が挨拶。これまでの経緯を日本財団の役割を中心に詳しく説明してくれた。
3番目に、私が登壇、ドナーを代表してスピーチをさせてもらった。
当初は、ミャンマー初の伝統医療に基づ本格的な専門学校に、果たして十分な数の希望者が集まるのか不安だった。
2016-01-16 Land4acres.jpg
<広大な学校用地の提供の申し出>

特に、心配したのが、女子学生が集まるのかどうか。果たせるかな、皆さんの尽力の結果、20人の定員は埋まった。その内訳は、男子学生13人、女子学生は7人。
式典の後、この学校の運営母体として新たに設立してもらった「日本ミャンマー伝統医療振興財団(NMTMDF)」の臨時理事会が開かれた。マンダレー在住の伝統医療専門家、医療関係者を中心に、ミャンマー医師会を代表してティンニュントさんも、視覚障害者団体を代表してアウンコミンさんもメンバーだ。
理事会の後、アウンミンさんの案内で、マンダレー州政府が提供を申し出てくれているという用地の視察に出かけた。学校から20分ほどの場所にある経済開発区の一角。
2016-01-16 plan full.jpg
<機内はほぼ満席>

広さは、5エーカーというから何と2万平米もある。なぜ、こんなに広いのかというと、法律により、大学や職業訓練校の敷地は5エーカー以上と定められているからという。
一旦ホテルに戻り、西垣さんと昼食の後、一緒に空港に向かった。ところが、行きも帰りも、彼とはなぜか別々の飛行機。私の乗った便は、何と、マンダレーからは時間通りの出発。今回はヤンゴンへの直行便だ。がらがらだったヘーホー経由の行き便とは打って変わって、機内は満員。ヤンゴン到着も定刻の6時半。
ヤンゴン市内は真っ暗だった。ヤンゴンのホテルに入って、部屋のテレビをつけると、昨日、アフリカのブルキナファッソで起きたテロ事件で持ちきり。私も社外理事を勤める笹川アフリカ協会の対象地域である。日経新聞の電子版を開くと、こちらはスキー客の大学生たちを乗せたバスの転落事故のニュース。

07時45分 西垣さん
09時45分 ホテル出発
10時 盲人マッサージ学校開校式典
12時 NMTMDF臨時理事会
13時 用地視察
14時 西垣さん
15時 ホテル出発
17時00分 マンダレー発
18時25分 ヤンゴン着
マンダレーへ飛ぶ [2016年01月15日(Fri)]
1月15日(金曜日)
2016-01-15 Nuns.jpg
<MILI本部の前の通りで尼さんたちの行列に遭遇>

朝9時にチョースワーミンさんの車でホテルを出発、MILIに向かった。昨日と全く同じルートだったが、なぜか、昨日より少し時間がかかり、今日は、10時きっかりにMILI到着。
MILI本部の前の通りで尼さんたちの行列に遭遇した。朝の托鉢なのだろうか。10代前半とみられる年端のいかぬ可愛い尼さんも。皆んな、尼さんのトレードマークのピンク色の袈裟を着ている。
MILIの事務所で、CEOのネーリンソーさんと二人だけで打ち合わせ。彼に依頼して作成中の、ASEAN障害芸術祭に関する英文の報告書について助言する。
午後、一時過ぎ、MILI本部を出て、ヤンゴン空港国内線ターミナルへ向かう。明日、マンダレーで開かれる盲人マッサージ師養成校の開校式典に参加すするために、マンダレーへ行かねばならない。ミャンマー伝統医療理論に基づく医療マッサージを視覚障害者の人たちの職業機会として教えるために日本財団が企画した。アウンコミンさんは、盲人協会の他のメンバーと車で行くのだとか。
2016-01-15 DomTerminal.jpg
<しかし国内線は、、、>

ヤンゴン空港では、新ターミナルが建設中。巨大なターミナルビルが姿を現しつつある。
しかし、国内線のターミナルは、今も相変わらず、薄暗いビルの中。
考えてみれば、初めてヤンゴンに来た20年ほど前には、ここが、国際線ターミナルだった。その時のことを考えると、国際線の方は、大変な進歩だとも言えるが、方や、国内線のシステムは今もかなりお粗末だ。何より、飛行機の出発スケジュールを示す電光掲示板がない。だから、出発は構内アナウンスに頼るしかないのだが、これが、また訛りのある早口の英語で音響効果も悪く、よく聞き取れない。
しかも、国内線の発着は大幅な遅れが常態化しており、出発予定時間があてにならない。到着機材の遅れなどの場合には、出発が遅れることは随分前に分かっているだろうと思うのだが、事前の案内のアナウンスの類は一切ない。一体、いつ出るのかなかなか分からないので、やきもきさせられる。
結局、今日のマンダレー便の出発は1時間20分ほどの遅れだった。
2016-01-15 BirdView.jpg 
<ヤンゴン上空>

時刻表によれば、午後2時40分ヤンゴン発だったのが、実際に出発したのは午後4時少し前。マンダレー到着は、ほぼ暗くなった午後6時だった。
飛行機は、ATR72というフランスの飛行機。マンダレー直行ではなく、ヘーホー経由の便で時間が余計にかかるためか、機内はガラガラだった。問題は、途中の機内のクーラーが強すぎたこと。私は、荷物の中から、夜間に備えて持ってきたジャンパーを出して寒さをしのいだほど。他の乗客たちからも文句は出ず、寒さを感じていたのは私だけかと思ったが、マンダレーで降りる時に見てみると、他の乗客も寒そうにしていた。中には、ショールを出したりしていた女性も。
タイやシンガポールなどではクーラーの効かせすぎに閉口させられることが少なくないが、それにしてもなぜ、ここまでクーラーを効かせていたのか、乗客が文句を言わなかったのはなぜか、半袖姿のスチュワーデスがなぜ平気だったのか、不思議でならない。
2016-01-15 Shan.jpg
<ヘーホー空港に着いた>

09時 ホテル出発
10時 MILIネーリンソーCEO
13時 MILI出発
15時50分 ヤンゴン発
18時05分 マンダレー着
MILIのスタッフたちと対面 [2016年01月14日(Thu)]
1月14日(木曜日) 
朝9時にチョースワーミンさんの車でホテルを出発、MILIに向かう。
途中、ストランド通りで1月11日に開通したばかりという、ヤンゴン初の路面電車が走っているのを見た。そう言えば、前回だったか、ストランド通り沿いに電車の架線が引かれているのに気付き、ネットで調べてみて、ミャンマー政府鉄道省とJR西日本によるプロジェクトが進行しているのを知った。
このプロジェクトでは、今年中にはは全長11.3キロとなるそうだが、今回開通したのはそのうち、4.8キロメートルのみの短い区間だというから、実用的な意味での開通ではなく、シンボリックな意味のものなのだろう。
真新しい軌道を走っていたのは、何ともノスタルジックな旧型の路面電車だった。
2016-01-14 Tramcar.jpg
<広島の市電がヤンゴン市内を走る>

日本人には郷愁を誘うスタイルのブルーと水色のツートンカラーの車両。広島で路面電車として何十年も走っていたものの再利用だとか。
今回、始まった運行計画によれば、運行時間は、朝8時から午後4時までの間に限定。しかも1日6往復のみだというのだから1時間に一本ほどの頻度ということになる。走っている姿を見れたのは幸運としか言いようがない。
運賃は100チャットだから10円ほどと格安ではあるが、開通区間が短く、これまでのところ、利用は物見遊山の客が中心で、1日当りの利用者は200人にも満たないとか。3両編成の一列車の収容人員が180人というから、1日かけて一列車分しか輸送できていない勘定だ。
2016-01-14 Expansion.jpg
<MILI本部は増設工事中>

10時前に障害者団体「MILI(ミャンマー自立生活運動)」の本部に到着した。これまで駐車場として使われていた本部前の中庭では、プレハブ作りの建物が建設工事中。何と、事務所が手狭になったので、増設工事をしているのだとか。右側の研修棟では、何やら大勢集まって会議中だ。
中央の建物の中も、模様替えして新しくなっていた。新設の理事長室でCEOに就任したばかりのネイリンソーさんに、アウンコミンさん、ユヤトウーさんも加わり、いつものように3人の中核メンバーと会い、早速、前もって連絡しておいた6項目の懸案事項についての打ち合わせを始める。
打ち合わせを始めて30分ほどしたところで、連絡が入り、打ち合わせは中断。何事かと思うと、私にスピーチをしてほしい、と言う。何と、今日は、全スタッフを集めて特別研修中なのだとか。
2016-01-14 CEO.jpg
<CEOに就任したネイリンソーさん>

確かに、5年前にアウンコミンさんが自宅の二階で、ネイリンソーさんらとMILIを立ち上げた時、会員は彼ら3人のスタッフを入れても7人に過ぎなかった。それが、今では会員は全国に2300人。支部が24か所。スタッフの数も本部だけで50人に膨れ上がったのだそうだ。
そこで、今回、組織の体制を抜本的に見直すことにし、CEOを頂点とする方式に改編。新設のCEOにネイリンソーさんが就任。ミャンマー全国盲人連盟の会長としても多忙のアウンコミンさんは事業担当理事、しっかり者のユヤトウーさんが管理部門担当の理事に就任、CEOを二人で支える体制にしたのだという。
そこで、私は彼ら3人と一緒に、研修棟に行き、スタッフを前に短いスピーチ。その後で、彼ら全員と質疑応答を交えて小一時間ほど、和やかで楽しい時間を持った。
2016-01-14 Staff Mtg.jpg
<MILIスタッフたちと会う>

MILIで昼食をご馳走になった後、チョースワーミンさん運転の車で、ホテルに送ってもらった。
3時から、AVPNのミラーさんに紹介された香港をベースに活躍する英国人女性の投資アドバイザー、ジョセフィーヌさんに会って、色々話を聞いた。
昨日の現地紙には、ミャンマー人の不動産専門家の話として、11月の総選挙以後、それまで様子見をしていた海外の企業が再び、ミャンマーへの投資を活発化させる徴候がみられている、とのことだったが、彼女によると、現今のような世界的な投資リスクの高まりを受けて、本格的な外国からの投資は望み薄であるとのこと。彼女に、海外投資家のミャンマーに対する姿勢を示す「3L」という言葉を教えてもらった。Look Laugh Leave、すなわち、見て、笑って、去っていく、というもの。
2016-01-14 Lunch.jpg
<昼食をご馳走になる>

夕方5時半、ホテルのハッピーアワーに合わせ、MILIのメンバーといつものように懇親会。NHKヤンゴン支局長の飯島さん、これまで何度かMILIの取材でお世話になったカメラマンの姫野さんも来てもらえることに。さらに、明後日のマンダレー行きの飛行機のチケットを頼んでいたので、日本財団のヤンゴンオフィスの和田さんも誘った。
最初の話題は、2日前の夜9時半頃にヤンゴンを襲った地震のこと。マグニチュード4.8の小規模な地震だったようだが、揺れは10〜15秒続いたそうだ。この地震でヤンゴン市内は2時間にわたり停電したとか。ミャンマー気象センターによると、震源地はヤンゴン川河口に近いマルタバン湾付近。同国南部の山間部を含む広い地域で地震を感じたという。

09時 ホテル出発
10時 MILI訪問
10時半 MILIスタッフ懇談会
11時 MILI幹部との打ち合わせ
15時 ジョセフィーヌさん
17時半 NHK飯島さんらと夕食
新年初の出張でミャンマーへ直行便 [2016年01月13日(Wed)]
1月13日(水曜日) 
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<琵琶湖上空を飛ぶ>

今年初めての出張は、ミャンマーとスリランカ。その目的は、いずれも式典への参加。ミャンマーでは、第2の都市、マンダレーでの盲人マッサージ学校の開校式、スリランカでは、これまで10年以上にわたって支援してきた義肢装具士学校(SLSPO)の支援終了に伴うスリランカ政府への引き渡し式。
いずれも、もともとは尾形理事長の出馬を前提にして組んだものだったのだが、直前になって、マンダレーの式典への理事長の出席はキャンセルになり、義肢装具士学校での式典のみの出席となった。しかし、マンダレーの式典は予定通り行うことになり、こちらは、企画段階から直接関わってきた私が代理で参列することとなったもの。その後、私はコロンボで理事長一行と合流する予定。
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<満月のお祭りとか>

ヤンゴンへは全日空の直行便で飛ぶのが一番早い。
成田空港をほぼ定刻に出発。8時間というアジア便としては長いフライト時間が設定されているが、途中の偏西風の強度次第で、飛行速度が速まり、到着が大幅に繰り上がる事もあるのが、このフライトの特徴。
成田からは、定刻での出発になったので、あわよくば、ヤンゴンへは予定よりかなり早い時間の到着もありかなと考えたのだが。向かい風が強かったものと見え、結局は、ほぼ定刻のにヤンゴン到着。空港へは、いつものように、MILIの運転手、チョースワーミンさんが出迎えてくれた。彼の運転でダウンタウンのホテルへ向かう。
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<ロッテリアが開店していた>

車に乗り込んだ時は、まだ夕暮れだったが、どんどん暗くなり、ホテルのあるヤンゴン旧市街に入る頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
途中、ロッテリアが開店しているのに気がついた。また、ホテルのすぐ隣にはケンタッキーの大きな店舗も出来ているではないか。店の前の通路部分はまだ工事中なのに、内部では営業が始まっている様子。ヤンゴンも急速に変貌しつつあるんだなと一人で感心。
尤も、前回の出張はたかだか、2ヶ月ほど前に過ぎないので、見落としていただけかも知れないが、、。
ホテルにチェックインして、現地の英字紙を開く。昨日からネピドーで開かれている少数民族との和平交渉が一面。笹川会長も同席しているはず。
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<ケンタッキーも工事中>

11時45分 羽田発
17時15分 ヤンゴン着
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