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大野修一(日本財団)
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今年最後の出張の終わり [2015年12月20日(Sun)]
12月20日(日曜日) 
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<バンコクの朝>

バンコクの朝、ホテルの窓から見下ろすと、向かいの公園でエアロビクスのようなものだろうか何やら大勢が集まって体操する様子が見える。今日は晴れそう。
天気予報ではバンコクの今日の最高気温は32度とか。一方、東京はと言うと、今は5度、最高気温もせいぜい10度だとか。いよいよ、今日で暖かい空気ともお別れだ。
夜の7時前に羽田空港に着陸。
今年最後、17回目の出張が終わった。これまでの数年間では、一番少ない。海外での滞在数を計算してみると、今年は、最終的には108日。年間に20回程度出張し、150日前後も不在にしていたのと比べると、3分の2程度に減少したことになる。さて、来年はどうなるのだろう。
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<公園で体操する人々>

09時 ホテル出発
11時20分 バンコク発
18時55分 羽田着

バンコクへ移動 [2015年12月19日(Sat)]
12月19日(土曜日) 
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<カンボジア人も働き者>

朝、6時半ころに起きて窓の外を見ると、道路を清掃している人の姿が見えた。土曜日のこんな早い時間から働いている人もいるのだ。ベトナム人に負けず、カンボジア人も働き者だと一人で感心する。
7時半にホテルのレストランで篠田さんと朝食をとる。昨晩、ケマラさんとの夕食会であったばかりだが、今朝は二人だけで意見交換。彼女の熱い夢に圧倒される思い。
その後、ホテルをチェックアウト。今日の午後にはバンコクへの移動のため空港に向かわねばならない。
日本財団の森常務と、立石職員と合流、ソルヤ君の車で3人一緒に、ESC-Kizunaのオフィスに向かう。今日は渋滞も無く、15分ほどで着いてしまう。
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<日本財団の支援で出来上がった英語の国定教科書>

ESCの理事兼、顧問をお願いしている篠原元駐カンボジア日本大使が既に、来ておられた。暫し雑談するうちに、監事の木村さんが到着。もう一人の理事のレンセンハック教育省教員養成局長も加わって、理事会スタート。
フンセン首相の通訳から始まって、今では、官房副長官といったポストにまで出世したブンサンボさんは急に決まったフンセン首相のタイ出張に随行とかで欠席。
今回の、理事会で私の辞任と森新常務の就任が決まった。その後は、事業の近況報告。
フンセン首相の指示で、公務員の給与の大幅な引き上げがこのところ続いている。警官や国軍の将兵に続いて、今度は、教員の給料が大幅に引き上げられるとか。
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<新しく増設された国際ターミナル>

最近出来たという中学2年生用の英語の国定教科書をぱらぱらめくっていて驚いた。Do you think Prime Minister like his job?という文章が例題として出て来たのだ。BBCが雇った教科書作りの専門スタッフが、皮肉ったのだろうか。その通り、と言わざるを得ない。
ESCの理事会が終わったのは11時半過ぎだった。昼食会に向かう皆と別れて私はホテルへ。運転手のソルヤ君が、空港までの道が時によっては大渋滞し、二時間かかることもあると言うので大事を取ったのだ。
12時頃に、預けてあった荷物を受け取り、ホテルを出発。しかし、やはり、土曜日だからか、30分余りで空港に到着してしまった。早すぎて、チェックインカウンターはまだ開いていない。仕方がないので、ベンチに座ってこのブログを準備。
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<フンセン首相のバンコク訪問を報じるタイ紙>

今日のプノンペン市内は曇り、気温は20度くらいだろうか。とても、涼しい。
バンコクへ向かう飛行機の機内で読んだタイの英字紙The Nationが、フンセン首相のバンコク訪問を報じていた。
フンセン首相はタクシン元首相と近く、妹のインラック前首相をクーデターで追い出した軍事政権との関係には難しいものがあるとみられていたので、今回の訪問が10年ぶりの公式訪問であったこともあって驚きをもって受け取られているようだ。
ブンサンボさんが、彼の予定を確認して日程を決めていた筈のESC-Kizunaの理事会を欠席することになったのは、このバンコク訪問が急に決まった可能性が大きいのではないだろうか。今日が両国の国交樹立65周年記念日なのだ。前もって決まっていたスケジュールの変更による可能性は低いと思う。
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<バンコクの夕日>

到着機材の遅れにより、定刻より30分以上遅れて、バンコクに着いた。APCDの二ノ宮さんたちをお待たせしてはいけない。急いで、市内のホテルに向かうことに。
出来れば今回は大きな荷物は羽田へスルーで送り、身軽になってホテルまで電車を使おうと考えていたのだが、スルーで送ることが出来ず、やむなく大きなスーツケースを持って、空港リムジン(AOT)を使うことに。AOTはタクシーより割高だが、私はバンコクのタクシーは危険なので使わないことにしている。
今日は幸い土曜日なので、道路は余り渋滞個所も無く、7時少し前にホテルに到着することが出来た。二ノ宮さんと佐野さんがロビーで待っていてくれた。荷物を部屋に置いて、近くの日本料理店に直行、障害者芸術祭関連の打合せ。
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<バンコクのホテルのクリスマスツリー>

07時半 篠田さん
09時半 ホテル出発
10時 ESC理事会
12時 ホテル出発
16時15分 プノンペン発
17時25分 バンコク着
19時 APCD二ノ宮所長 
プノンペンへはビエンチャン経由で [2015年12月18日(Fri)]
12月18日(金曜日) 
朝7時、到着時に空港で予約しておいた空港タクシーが迎えにきて、ホテルを出発。
寒い朝。気温はせいぜい10度ほど。それなのに、路傍には真夏と同じように露天の朝食屋が店開き。勿論、暖房などは無い。フォーの温かいスープだけが熱源だろう。皆、コートを着たまま麺を啜っている。
実は、昨晩のレストランでも驚かされた。ミャンマー人のティンさんもびっくりしていた。彼のベトナム人秘書嬢にレストランの予約を頼んでいたのだが、何と彼女が指定したのは、2階のテラス席。見晴らしが良いと言うので、わざわざ、この席を指定してくれたと言うのだ。今朝よりは幾分温かかったとは言え、野外はちと厳しい。ティンさんが交渉して、屋内の普通の席に代えてもらったのだった。
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<今日の最低気温は10度だが、外で食事>

空港への道すがら、外を眺めていると食事している人がいる一方で、働いている人も少なくない。工事現場で歩道用のタイルを張っている人、高速道路の分離帯では草むしりも始まっていた。まだ朝7時過ぎなのである。ベトナム人は本当に働き者だとひらすら感心するうちに空港に到着。
今回の目的地はカンボジアのプノンペンだが、乗り込むベトナム航空の飛行機は、ラオスのビエンチャン経由。この飛行機は、プノンペンの後は、ベトナムのホーチミンまで飛ぶというユニークなルートを取る。
機内で、昨晩会ったばかりのティンさんと再会。同じ飛行機だが、彼は仕事でラオスへ行くのだと言う。再び、別れの挨拶。
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<ベトナム人は働き者>

ほぼ定刻に、ビエンチャン到着。
ビエンチャンでは、乗継ぎ時間はたかだか、40分。なのに、機内から手荷物を総て持って、一旦、待ち合いラウンジへ移動するよう求められる。しかも、その間に、行列に並んで手荷物検査ゲートを通らないといけない。そんな訳なので、ようやく、待合室に通されたと思う間もなく、搭乗のアナウンス。忙しないことこの上ない。
プノンペンに着いた。荷物を受け取り、空港の外に出ると、いつものタクシー運転手のソルヤ君が出迎えてくれた。荷物を積み込み出発。
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<市内のあちこちで工事が進む>

空は曇っていて、気温は前回来たときと比べるとかなり低い。それでも、ここは南国。25度くらいはあるだろうか。
空港からはホテルではなく、右にそれてクルサットメイの事務所に向かう。こちらで20年前から障害者支援に携わって来たフランス系のNGOだ。フランス留学から帰って来たばかりのカンボジア人新所長のオンさんと、前所長で顧問に就任したフランス人、エルベさんに面会。エルベさんとは数か月前にインドネシアのバリで開かれたICEVIの地域会議で会ったばかり。
所長のオンさんに日本財団の最近の動きについて説明。
オンさんはUNESCOや世界銀行とのMOUの調印のことなどに興味を持ってくれたようだった。
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<新しい陸橋が開通していた>

クルサットメイを出て、ホテルに向かう途中、ビデオカメラマンの古谷さんに電話。彼とは、先月、一緒にヤンゴンとバンコクを旅したばかり。今回は、別の仕事でたまたまプノンペンに来ていると知り、今日の夕食に加わってもらうことになったもの。
ホテルに、チェックインして部屋に荷物を預け、ロビーに降りて行くと古谷さんが待っていた。
夕食の前に、日本財団が支援して来たクメール陶器の復興プロジェクトの製品を見てもらうことになり、一緒に、イオンモール内のクメール陶器の店舗へ。
再び、ホテルに戻り、夕方6時に古谷さんとホテルを出て、ケムラさん達と約束したレストランに向かった。ところが、途中の道路が大渋滞。金曜日の夜は外で夕涼みのために人出が多いのは知っていたが、それにしてもこの混みようは異常だ。
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<ホテルにもクリスマスの飾付け>

車が進んで行くと、独立記念塔のロータリー近辺にクリスマス・イルミネーションらしきものが出現した。これまで、そんな習慣はこの国には無かったと思うのだが、、、。
気が付くと、市内中心部のあちこちに、電飾のケーブルが乱雑に張り巡らされて輝いていた。今夜の渋滞は、ひょっとするとこのイルミネーションの見物に繰り出した人々のせい?
ひょっとすると、これも、人心掌握術に長けたフンセン首相が新たに繰り出した2018年の総選挙対策かも?
それは兎も角、6時半の約束が、夕食を約束したレストランに着いたのは6時50分。結局、普段なら15分のところを、今夜は50分も要したことになる。ケムラさん、篠田さんら若手だが有能な女性経営者と楽しい夕食。

07時 ホテル出発
09時45分 ハノイ発
10時50分 ビエンチャン着
11時30分 ビエンチャン発
13時 プノンペン着
14時 クルサットメイ訪問
16時 古谷さん
18時半 ケムラさん夕食会
国立社会政策銀行で会議 [2015年12月17日(Thu)]
12月17日(木曜日) 
朝9時半、ホテルのロビーで社会政策銀行(VBSP)国際部のフオンさんと落ち合う。日本での研修に招待されて行って来たばかりという若い女性。彼女とは初対面だ。
迎えの車に一緒に乗って、VBSPの本部のある市内中心部からは南に下ったところにあるホアンマイ区へ向かった。最近の道路事情を考え、時間に少し余裕を見て出発したのだが、渋滞もなく、20分ほどで到着。
社会政策銀行(VBSP)の一階の一角には一般の銀行のようなカウンターがあって、行員たちが執務していた。日本でも見られる普通の銀行の執務風景と大差ない、と言いたいところだが、どこか違う。そう、窓口の人たちが皆コートを着たままなのだ。日本人には違和感のある光景だが、考えてみると、昨晩のレストランと同じだ。
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<皆コートを着て執務>

エレベーターに乗って8階で降りると、大きな会議室に案内された。ここにも、暖房は入っていない。コートを着たまま待つこと5分。国際部長のニャンさんが副部長のフオンさんと一緒に入ってきた。全員、コートを着ている。この格好で会議が始まった。
我々の提案でVBSPと障害者ビジネス向けの融資スキームを始めて3年。この間に、日本財団は融資の原資としての50万ドルのほか、借入れ希望者や行員に対する研修費用などで10万ドルを提供。その結果、約40人が設備投資のための長期融資を受けることが出来た。このスキームは障害者に特化した融資としてはベトナムでは画期的なものであった。この成功に刺激されてハノイ市政府も昨年から、障害者専用の少額融資制度を導入している。
過去3年を振り返り、客観的かつ総括的なレポートを作成することで合意。
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<ブンチャー屋さんは生き残っていた>

一旦、ホテルに戻り、昨日、確認しておいたお気に入りのブンチャー屋さんに一人で昼食に出かけた。
ブンチャーはベトナム式つけ麺。一杯35000ドンと日本円に換算すると、ほぼ200円にすぎず、格安なのだが、一般的なベトナム人の生活水準から言えば、ちょっとした贅沢の部類に属するはず。多くの人が同時に注文する、揚げ春巻き(ネム)代を入れると〆て45000ドン。300円だが、生活実感から言えば、日本での3000円かそれ以上になるのではないだろうか。
安く仕上げようと思えば、15000ドンでも昼食なら十分のベトナムでは、ブンチャーは昼食としてはかなり贅沢なのだ。私自身にとっても、細い麺を豚の炙り肉と、揚げ春巻き、たっぷりの生野菜と一緒に甘酸っぱいタレにつけて食べるブンチャーは、これはベトナムでしか食べられない密かな贅沢なのだ。
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<ブンチャーのセット>

一人だけの昼食を終えて、ホテルに戻り、ロビーで社会学研究大学院(GASS)のリンさんの迎えを待つ。社会政策で博士論文執筆中という若い女性だった。
リンさんとは、ヴィン学長の英語通訳的な立場でこれまで連絡を取り合って来たのだが、実際に会うのは今回が初めて。CASSに向かう車の中で「ハノイは2年振り」だというと、リンさん「2年前と比べて何か変わったと思いますか?」
2年間というのは決して長い時間ではないのだが、空港の新ターミナルや高速道路を始め、ハノイ市内には至る所に高層ビル、立体交差など工事中の現場も多い。工事中だったデパート付きのロッテホテルの高層ビルもオープンしていた。以前は、韓国系ホテルは大宇(ダイウ)ホテルしかなかったのだが、、、。
GASSのオフィスも新しいビルに転居していた。
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<市内には至る所に高層ビル、工事中の現場も多い>

GASSのヴィン学長が、二人の副学長を伴って現れた。今年の夏のマレーシアでの障害者公共政策大学院(IDPP)の年次総会で会って以来の再会。その間、何度もハノイ訪問はいつかと催促のメールをリンさん経由でもらっていた。
IDPPの共同研究のテーマとして障害者の農業問題を提案したところ、同意を得られたので、マラヤ大学に伝えて実施の方向で進めていくことを確認。
会議を終えて、全員で記念撮影。一緒に夕食を勧められたのだが、すでに、国際熱帯農業センター(CIAT)のティンさんと約束済みなので丁重にお断り。
帰りも、リンさんにホテルまで送ってもらう。
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<GASSのヴィン学長らと記念撮影>

6時半、ホテルのロビーでCIATのティンさんと2年ぶりの再会。
彼は、ミャンマー人。1988年の大学紛争に加担したわけではないが、シンパとして国を出ることを決意。バンコクの大学で日本政府の奨学金で勉強し博士号を取得。今では、熱帯農業の研究で国際的にも有名なCIATのキャッサバ専門家としてハノイに駐在している。彼は、我々がCIATを通じて、タイを拠点とした東南アジア各国でのキャッサバ事業を拡大した時に加わってもらった時以来の知り合い。彼がラオスのビエンチャンに駐在していた時には、この事業の対象国の色んな場所に一緒に出かけたものだ。今では、この事業は終了したのだが、彼からは今も時々メールをもらう間柄。
今回は、一緒に夕食を食べながらミャンマーの今後の見通しなどについて意見交換をするため、旧市街の中心部、ホアンキエム湖の近くのレストランへ。
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<ホテルのロビーの飾付けもクリスマス>

09時半 ホテル出発
10時 社会政策銀行打合せ
13時 ハノイILC訪問
14時半 ホテル出発
15時 GASS訪問
18時半 CIATティンマウンエーさん
久し振りのベトナム行き [2015年12月16日(Wed)]
12月16日(水曜日) 
本年最後の海外出張は、久し振りのベトナムから。今回の出張は元々、カンボジアで続けて来た先生の卵に対する奨学金事業、「ESC-Kizuna」の理事会が開かれるタイミングに合わせて、予てから懸案であったベトナム行きをその前にくっ付けたもの。帰国便の経由地、バンコクではAPCDの二ノ宮所長らとの打合せもすることになった。
ハノイ行きの機内で、気が付いた。今回の便は中国沿岸部上空のルートを飛んでいる。きっと、フィリッピン付近に台風が来ているのでそれを避けてのことだろう。
お陰で、飛行中は、概ね、視界は良好だったのだが、ハノイに近づくにつれ雲が多くなった。台風が西進したためではないかと思われる。
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<中国上空までは晴れ渡っていたが>

以前は、比較的頻繁に行っていたハノイだが、ここのところはずっと行っていない。用事が全くなかった訳ではないが、その都度、他の仕事とスケジュール調整がうまくいかず、断念した経緯がある。最後に行ったのは何時だったろうかと調べてみたら、何と丸2年前、2013年の12月だった。
そう言えば、あの時も寒い季節だった。それにしても、あれからそんなに時間が経ってしまっていたとは自分でも驚いてしまう。
ハノイに着陸してみると曇り、気温は16度なので東京とあまり変わらない気候だった。空港のターミナルがすっかり新しくなっていたのに先ず驚かされた。設置されていた金属板の伝えるところによると、この新国際ターミナルは昨年12月に日本のODAで竣工したばかりだという。
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<空港もすっかり立派になっていた>

空港と市内を結ぶ高速道路も、一新されていたが、こちらにも日本のODAを示す日の丸の看板が立っていた。ハノイ(河内)という名前の元になったホン(紅)川には、素晴らしくモダンな橋が架かっていた。これも日本のODAで出来たばかり。
私は、ハノイに30年ほど前、初めて来たときのことを思い出した。あの時は、ホン川を渡る橋もまだ工事中で凄まじいほどオンボロの橋を通った記憶がある。道路も迂回路だったためか、あぜ道のようなものだった。その道路脇には、タイヤが泥の中にすっぽり嵌り込んでしまい、横倒しになりかけたトラック。その横をヒヤヒヤしながら、すれすれに通り抜けたことを思い出す。
市内にも、ホテルすら殆んどなく、政府役人の宿泊所に泊めてもらった記憶がある。ベトナム戦争の傷跡をいたるところに感じることができた。その時と比べると何と言う変わり様だろう。
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<市内と空港を結ぶ高速道路>

二年振りに見るハノイ市内には、新しい建物が増えて、街がグンと近代的になっていた。
前回と同じホテルの玄関で、何度か見かけた記憶があるボーイがタクシーのドアを開けて、「お客さん前にも来たでしょう。覚えてますよ」と話しかけて来た。聞いてみたら、このホテルでもう9年も働いている由。
ホテルの前の大通りにあった地味な建物は取り壊されて、こぎれいなビルが建っていた。バーガーキングが店開きし、その隣には何とデリバリーピザの店まで。ベトナム式つけ麺、ブンチャーの店も半野外式の伝統的スタイルではなく、冷房完備の看板とガラスのドアのついたモダンなレストランスタイルで店開きしていた。
思わずハッとして、私のお気に入りのブンチャーの店を探してしまった。幸いにも、その店は以前のまま、通りを挟んだ反対側で、昔通りのスタイルで営業中。大勢のお客さんで賑わっていた。
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<米国系資本のハンバーガーの店の隣にピザの店が並ぶ>

しかし、モダンになった道路の反対側と対照的に、ちっぽけな店が軒を連ねる通りのこっち側も再開発されるのは時間の問題のように思えた。そうだ、今回の滞在の間に、絶対、食べに行ってみよう。
今日の午後に訪問しようと考えていた障害者団体「ハノイ自立生活センター(ILC)」とのアポが明日にずれ込んだので、「ベトナム障害者支援組織(VNAH)」のハノイ事務所長、ハイさんに連絡。予定を繰り上げて、5時半にホテルで落ち合うことに。
米国生まれの国際NGOであるVNAHは、日本財団とは1990年代以来の関係。私もハイさんとは古い付き合いだ。ホテルのロビーでビールで再会を祝って乾杯の後、レストランへ。
ところが、ハイさんお勧めの店に行ってみると屋内は満席状態。「普段はそんなに混まないので予約していなかった」とハイさん。「でも、外の席なら空いていますよ。どうですか」とウエートレスに聞かれて絶句。えっ、この寒さで外?
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<ハノイのレストラン 外と中に隔壁がない>

確かに、外のテーブルでコートを着たままで食事している人がいるではないか。
よく見ると、中のテーブルの客も殆んどが皆、コートを着たままで食事中。店の外と中に隔壁がないので、外の空気がそのまま入って来る構造なので、中の席もそれほど暖かい訳ではないのだ。そうだった、これがハノイスタイルだった。
ハノイの寒さに備えて、今回はしっかり防寒具を用意して来たので、私はハイさんに「外でも構わないよ」と言ったのだが、雨もパラつき始めたので、ここでの食事は断念。
すると、道路を隔ててすぐ反対側にレストランがあったので、そこに入る。今は、こぎれいなレストランが増えたので、食べる場所には困らないのだ。
ベトナム料理の夕食の後、タクシーを拾ってホテルに戻った。
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<ホテルの部屋にはヒーターがあった>

ホテルの部屋はひんやりとはしていたが、それでも、寒さに震えるということはなく一安心。それというのも、冬の季節にハノイに出張して、ホテルで寒さに震えたことが何度かあったからだ。
ハノイの冬は時には東京並みに冷え込むこともあるというのにもかかわらず、安宿では冷房はあっても、暖房設備がないことが少なくないからだ。
恐らくは、財力のない貧しい社会主義国として常夏の南部や中央部と全国一律で暖房のない生活スタイルを選択せざるをえなかったのではないだろうか。ベトナム人は質実剛健なのだ。
今回のホテルはそこのところを考えて私としては、VNAHの紹介で定宿にしている二つのホテルのうちでは高い方のこのホテルにしたのだった。前回、2年前の訪問時の冬は記録的な寒さで、ホテルに寒いと訴えたところ、電気ストーブを貸し出してくれたことを思い出す。今回、部屋に入るとすでにオイルヒーターが置いてあったのには感激。

08時55分 羽田発
13時10分 ハノイ着
19時 VNAHハイさんと夕食
垣内さんに送ってもらう [2015年12月05日(Sat)]
12月5日(土曜日) 
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<凍てつくシベリアの大地>

羽田に向かうパリ発の機内はガラガラだった。先日のテロ事件の影響だそうだ。
予定時間よりも1時間早く、5日の土曜日午後2時過ぎに羽田空港に着陸。
ミャンマーから数えると、約2週間もの間、垣内さんと一緒に過ごしたことになる。これまで見慣れた環境を、今回改めて、車椅子の人の視点で見ることで、大変たくさんの事を学ばせてもらった。日本のバリアフリーにおける先進性を再認識した旅でもあった。そして、ミライロ社と一緒に開発中のアプリの有用性を改めて確認することが出来た。
羽田空港から自宅までタクシーで帰ろうとして、方角が一緒の垣内さんを誘うと、彼は今回は自分の車を空港の駐車場に停めてあるという。干場さんと一緒に三人で、垣内さん自身の運転する車で私の自宅まで送ってもらうことに。
こうして、彼との楽しかった旅もついに終わったのだった。
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<スカイツリーが見えた>

14時10分 羽田着
垣内さんと警察署へ [2015年12月04日(Fri)]
12月4日(金曜日) 
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<パリ市内ではショッピングモールの中でもセキュリティーチェック>

今日は、帰国する日。ただ、羽田に向かう全日空機の出発は夕方。昼食は、午後1時から駐フランス日本大使館に招待されている。
到着初日、不幸なことに「マスタード強盗」に遭遇し、パスポートやパソコンを盗まれるなどの被害にあったミライロ社員の干場さんだったが、幸い、帰国のための書類は今日中に準備してもらえることになったので、これから日本大使館に受け取りに行くという。一方、垣内さんは、盗まれたパソコンのうちの一台が彼のもので、保険請求のためにはその分の盗難証明ももらっておいたほうが良いというので、自分一人で警察署に出向くという。
そこで私も、垣内さんに同行することにした。遅くなると、混んでしまう恐れがあったので、朝8時にホテルを出て、最寄りの警察署へ。
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<垣内さんと警察署で待つ>

8時半前に警察署に到着。先日のテロの影響か、入り口の前にはライフル銃を持った警察官が数人立っていたが、特段のセキュリティーチェックがあるわけでもなく、あっけないほど簡単に中に入ることができた。
受付で来意を告げると、2階へ行くように指示される。ところが、担当の警察官のデスクの前には先客がいて、書類の作成中。なにやら、複雑な話のようで、延々と作業が終わらず、一時間近く待たされる。
ようやく、9時半頃になって、もう一人の警察官が来て、彼の部屋に招じ入れられる。書類の作成は、特に、事情聴取があるわけでもなく、用意された書類に状況を書き込んだものをベースに定型のフォーマットにタイプで清書してサインしてもらって終わり。
1階に降りていくと、一人の黒人青年が後ろ手に手錠をされて連れて行かれる場面に遭遇。日本と違い、手錠は金属ではなく、縄で出来ているのだ。これが本当の「お縄頂戴」。
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<エリゼ宮の前の道路は閉鎖中>

警察署で書類を受け取った後、大使館での昼食まで時間があったので、車でパリの中心部をぐるっと見て回る。パリ市内は表面的には平静。先日のテロ事件の影響はあまり感じられない。ただ、ホテルの入り口でも、ショッピングモールなどでも、人の集まるところでは、セキュリティーチェックのための臨時のゲートが設けられ、荷物検査が行われていた。大統領公邸のあるエリゼ宮の前の通りも通行禁止となっていた。
時間になったので、日本大使公邸に向かう。鈴木駐フランス大使から、最近のパリの状況を伺った後、食事をご馳走になった。
日本大使公邸で昼食をご馳走になった後は、飛行機の出発までまだ大分時間があったので、ブローニュの森の辺りをしばらくドライブしてから空港へ。
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<日本大使公邸の前の階段にも間もなくスロープ設置とか>

チェックインしたのは、出発時間より3時間も早いタイミングだった。
そこで、空港内の設備のバリアフリー度をチェックする垣内さんに付いて回った。おかげで、これまで気が付かなかったようなことを、色々知ることができた。
例えば、免税店では、支払いカウンターが少し低く作られているのを知った。また、その前が奥に入り込んでいる構造になっていた。これは、車椅子の人のことを考えて作られたものだという。
また、空港のあちこちに設置された液晶式の案内板の場合は、液晶板の下の方を触ると、すべての情報が画面の下の方に集中して表示されるようになっていた。これも、車椅子ユーザーを想定しての配慮だという。いずれも、垣内さんに教えてもらわない限り、気が付かない点であった。さすがに、シャルルドゴール空港は、キメ細かいところまで障害者対応になっているのであった。
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<シャルルドゴール空港内の設備をチェックする垣内さん>

08時 ホテル出発
08時半 警察署
10時半 市内視察
13時 日本大使公邸での昼食会
16時 シャルルドゴール空港着
18時55分 パリ発
UNESCOで共同文書に調印 [2015年12月03日(Thu)]
12月3日(木曜日)
朝8時、笹川会長ら日本財団の一行に垣内さんらミライロ社のお二人を加えた7人でチャーターした小型バスに乗り込み、ホテルを出発、UNESCO本部事務局に向かった。
今日は12月3日、国際障害者デーだ。この日に合わせて、UNESCOが障害者デーの記念イベントを行うことになり、笹川会長がパネリストとして招待されたのだ。
元々は、車椅子の天才物理学者として有名な英国のホーキング博士が、UNESCOの障害問題親善大使に任命されることになり、今日、特別記念講演を行う予定であった。ところが、残念なことに、博士の体調不良という問題から、直前になって彼の参加は取りやめになり、代わりに国連の障害問題特別代表のモレノさんが基調講演を行うことになった。一方、笹川会長が参加するパネルは予定通り行われることに。
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<ボコーバUNESCO総裁と記念撮影する笹川会長>

また、この日に合わせてUNESCOと日本財団の障害者支援での協力に向けて共同文書を調印することになった。その文書はFramework Agreementとして、総論的な性格のものであるが、協力の具体的な分野としてITの活用を挙げているほか、2020年の世界障害者芸術祭の開催に向けて協力していくことが謳われている。
控え室でしばらく待たされた後、ボコーバUNESCO事務局長の部屋に通された。笹川会長との記念撮影してしばし懇談。その際に、UNESCOが検討している世界の障害者の中から傑出した人物を選んで紹介する本を出版する計画に関連し、笹川会長から彼らを2020年のパラリンピックに合わせて東京に招待し、世界障害者サミットを開催する、というアイデアを提案したところ、ボコーバ事務局長が賛意を表明したので、今後、詳細を双方で詰めていくことになった。
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<UNESCOとの共同文書を調印>

その後、ボコーバ事務局長と笹川会長の間で、UNESCOと日本財団の共同文書の調印が行われた。
そして、事務局長を辞去した我々は、障害者デー記念イベントが開かれる大ホールに向かった。
インドラジットさんの司会のもと、ボコーバ事務局長の挨拶でイベントが始まった。そして、モレノ国連障害問題特別代表の基調講演が続き、開会式は終了。
11時から、笹川会長らの参加するパネル(High-level Discussion Panel)が始まった。
ホーキング博士の登場を期待して、広い会場が準備されたものと思われるが、残念ながら、博士の参加が取りやめになったせいか、会場には空席が目立った。
午前の部を終えると、参加者の主要メンバーを招待して日本財団主催の昼食会が開かれた。昼食会の主催者としての笹川会長のスピーチの後、ミライロ社の垣内さんが紹介され短い自己紹介のスピーチ。障害当事者としての彼の見事なスピーチに出席者は感動。
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<UNESCO障害者デー記念イベントが始まった>

昼食会の後、垣内さんたちは、会場の外に設けられたブースに陣取り、開発中の障害者らの移動支援アプリ「Bremen」についての説明会を行った。
このアプリは、元々、日本財団が2012年の初めからAPCDの協力の元、バンコクで実施していた障害者インクルーシブ・ビジネス・ワークショップでカンボジアトラストにいた英国人弁護士のジョン・ハニーさんが提示したアイデアが元になっている。ホテルや駅など様々な施設のバリアフリー度を星の数で示すアプリを作ろうということで、当時、我々はSRS(Star Rating System)と呼んでいた。
当初は、タイなどASEAN諸国での試験運用を想定していたが、その後、2020年の東京でのオリンピック・パラリンピック開催が決まったことから、日本での適用を目指すことになり、日本でのパートナー探しを始めた。
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<ホーキング博士の写真がスライドに>

そして、ミライロの垣内さんたちと巡り会った訳だが、ミライロでは、すでにBremenと言う名前で、少額だが自己資金を投じて同様の狙いからアプリの開発に着手しており、それをベースに、国際的な運用を目指してずっと大規模なアプリを開発することで双方が同意したもの。
日本財団が開発コストの大半を負担するため、開発後の知的所有権は日本財団に帰属することになるが、日本財団としては、来春にも非営利法人を設立し無償で一般公開し、その後はミライロ社と一緒に、他言語化、ソフトのアップデート、データエントリーの促進などを行っていく予定。
今回、ヤンゴン、バンコクに引き続き、垣内さんとパリに来てみて改めて感じたのが、街中を車椅子で移動することの難しさ。意外なことに、日本よりも進んでいるかに思っていたヨーロッパも大差ない。
この点は、観光都市パリも同じこと。そもそも、地下鉄を車椅子で利用するのはほとんど不可能だ。
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<凱旋門の地下通路の階段にもスロープは無し>

垣内さんによれば、UNESCOの本部事務局の内部にも問題が少なくないとか。例えば、改装されたばかりの会議場のスロープの構造も欠陥含みだし、障害者用トイレも内部はちゃんとしているがドアに問題があり使いづらいという。
夕方からは、垣内さんたちと一緒に、パリ市内の観光を兼ねて、バリアフリー状況の視察に出かけた。垣内さんが言った車椅子の人を見かけない。人気スポットである凱旋門に登ってみようとしたが、まずは、切符売り場に向かう地下道の階段で一苦労。そして、展望フロアーに向かうための切符売り場で、一言、「車椅子は無理」と断られる始末。
そして、ホテル近くのビストロで夕食をとった。予め、電話で車椅子のことは説明していたのだが、トイレが地下にあり、階段を通るしか無い事が判明。幸い、垣内さんは少しなら歩けるので大丈夫だったが、そうでない人の場合は使えない構造であった。
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<クリスマスのイルミネーションは綺麗だったが、、、>

08時 ホテル出発
08時半 UNESCO本部事務局
09時 UNESCOとのMOU調印式
10時 UNESCO障害者デー記念イベント開会式
11時 High-level Discussion Panel
13時半 日本財団主催昼食会
15時 ブレーメン展示
17時半 市内視察
19時 夕食
EVPAの会議でプレゼンの後、パリへ [2015年12月02日(Wed)]
12月2日(水曜日) 
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<なぜか、難民歓迎と大書されたビル>

今日は、分科会のパネルでプレゼンテーションする日。
分科会のテーマは、「アジアのベンチャーフィランソロピーにおけるイノベーション」。
元々、今年の4月にシンガポールで開かれたAVPN(アジア・ベンチャーフィランソロピー・ネットワーク)の会議で、日本財団のことについてプレゼンテーションしたのがきっかけで、AVPNの姉妹組織であるEVPA(ヨーロッパ・ベンチャーフィランソロピー・協会)でアジアのベンチャーフィランソロピーについて話して欲しいと頼まれたのだ。
普通なら、わざわざ遠隔地のスペインまで出かけるつもりはなかったのだが、その直後にUNESCOでの調印式が決まり、ちょうど同じ時期にパリに行くことになったことから引き受けることになった次第。
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<分科会でプレゼンテーション>

今日の分科会の司会者は、この話を持ち込んできたAVPNの責任者(CEO)のナイナさん。彼女からの連絡で、分科会開始30分前の11時に会場に到着。もう一人のプレゼンターのビディアさんも交えて三人で、段取りの打ち合わせ。元々は、もう一人のプレゼンターが予定されていたのだが、都合で取り止めになったと知らされる。
その分、我々二人に与えられた冒頭の発表の時間が多くなった。ナイナさんが言う。「大野さん、これで思う存分、喋れますよ。」彼女とはシンガポールのAVPNで旧知の仲だが、ビディアさんとは初対面。インドのイーデルギブ財団というところの責任者だとか。
我々の分科会のために割り与えられた部屋は、比較的こじんまりとした部屋なのだが、それでも30人分ほどの椅子が並んでいた。
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<30人ほどが集まった>

ナイナさん、曰く。「お二人のプレゼンの後は、会場からの質問が出やすいよう、雰囲気作りのために、まず、私が質問をします。」
そうこうしているうちに、開始時間15分前になった。早くも、インドネシアでNGOを運営しているという一人の英国人女性が自己紹介して、最前列に陣取った。ところが、そのあとが続かない。ヨーロッパのベンチャーフィランソロピーの総会の参加者のうちに、アジアのベンチャーフィランソロピーというテーマに興味を持つ人がどれほどいるというのだろうか。司会のナイナさんの表情にも不安の影が走る。
このまま、誰も来なかったら、と不安が頭をよぎった途端、数人が入ってきた。そして、開始時間直前にはなんと、次々と人が入って来たではないか。結局、あれよあれよという間に小さな部屋はほぼ満員。こうして分科会がは始まった。
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<パリを思い出した>

私が、冒頭に私が日本の状況について話し終わると、早速に質問の手が挙がる。数人の質問に答えたところで、ナイナさんが割って入り、ビディアさんの発表を促す。こうして、二人のプレゼンテーションが終わって、再び、質疑応答。質問が続く。結局、分科会の時間制限一杯まで、活発な質疑応答が続いた。
分科会が終わった後も、名刺交換やら追加質問やらで数名の人に囲まれる。ようやく、解放されたので昼食。そして、午後は他の分科会を少し覗いたりするうちに、パリ行きの飛行機に乗るため、飛行場に向かう時間になってしまった。急いで、ホテルに戻る。途中、道端のニューススタンドに今年の初めのテロの現場となったフランスの風刺週間誌、「シャルルヘブド」が売られているのに気づいた。先日のテロの後、パリの治安はどうなっているだろうか。
ホテルで、預かってもらっていた荷物を受け取り、予約してあったタクシーに乗り込む。
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<パリもクリスマスのイルミネーション>

夕方、6時半出発のエールフランス便でマドリードを出発。8時半にパリに到着。空港から、ホテルのあるポルトマイヨーまでは直通のリムジンバスを利用することに。シャルルドゴール空港でのバス停のある場所まではすぐに行きつくことができたが、出発まで待たされたので、ホテルへのチェックインは10時半近くになっていた。
一足先に、笹川会長らと一緒にパリに到着していた日本財団の石井部長に連絡を取り、ちょっと遅かったが、一階のロビーで打ち合わせをすることに。ロビーに向かう途中、1日早く昨日、パリ入りしていた垣内さんと干場さんと、ばったり。
今日の昼間、干場さんが、いわゆる「マスタード強盗」の被害に遭っていたことを知る。
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10時半 ホテル出発
11時 ナイナさん打合せ
11時半 EVPA年次総会分科会
13時 昼食
15時 EVPA年次総会分科会
16時 ホテル出発
18時25分 マドリード発
20時30分 パリ着
22時 石井部長
カルムさんと会う [2015年12月01日(Tue)]
12月1日(火曜日) 
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<冷え込んだ今朝の気温はわずか9度>

朝、起きて冷え込んでいるのに気がついた。何と外の気温はわずか9度。
今日は、EVPAの年次総会第1日だが、開会式は午後1時半から。午前中は行事がないので、バルセロナから出てきてくれたカルムさんと会う。
彼は、以前、日本財団の国際グループで日英翻訳専門のアシスタントとして、翻訳や、英語文のネーティブチェックなどを担当してくれていた。しかし、その後、英国に帰国、しばらく、音信不通になっていたが、今年にになって留学先のスペインのバルセロナから連絡があり、再び、翻訳などの仕事をしてくれることになったのだ。
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<カルムさんとは久し振り>

仕事をしてもらっていると言っても、彼とは直接顔をあわせることはなく、インターネットを介して、和文を送って英訳してもらったり、こちらで訳した英文を送ってチェックしてもらったりを時間単位でお願いしている。最近では、垣内さん関係の資料の和文の英訳や、開発中のアプリ「Bremen」のパンフレットの英訳などをお願いしている。
今回は、私がマドリードに短い時間ながら滞在することになったので、この機会に、バルセロナからマドリードまでの旅費を出して彼に来てもらい、垣内さん関係の仕事など、今後のことを打ち合わせることにしたもの。
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<ここにもすし屋が>

朝9時、彼が私の泊まっているホテルに来てくれた。まずは、ホテル内のレストランで一緒に朝食を取りながら打ち合わせ。
彼とはこれまでは、メールを使ってのコミュニケーションだけだったので、十分に仕事の背景や、こちらの考え方などを伝えることが出来ていなかったので、今回、直接会って話が出来たのは大変有益であった。
色々、話し込んでいるうちに、昼食の時間になったので、ホテルの外に出てレストランを探した。すぐ近くに、「寿司屋」があったのにはびっくり。しかし、寿司とは言っても、かなりデフォルメされたもののようであった。
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<EVPA年次総会の会場となったCasa de Amerika>

結局、そこには入らず、年次総会の会場となっているCasa de Amerikaの手前で見つけたスペイン料理店に入り、開会式直前までカルムさんと話をした。
EVPA年次総会開会式が始まった。私のプレゼンテーションは明日なので、開会式の後は、分科会に参加して様子を見ることにした。金融機関とベンチャー・フィランソロピーに関する分科会に参加した。
分科会会場で、来年3月に、ビッグソサエティーキャピタルのCEOに就任する事になっているクリフ・ポッターさんと会い、お祝いを言って、しばし、近況報告。
疲れたのと、昼食がまだ腹に残っているようで空腹感がないので、夕食会はパスすることにして、ホテルに戻る。時差のため、昨晩、あまり良く眠れなかったので、早々にベッドに入る。
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<分科会を覗く>

9時 カルムさん打合せ
13時 EVPA年次総会
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