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大野修一(日本財団)
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マドリードへ [2015年11月30日(Mon)]
11月30日(月曜日)
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<富士山を左に見て飛ぶ>

バンコクから垣内さんたちと戻って、中一日、今日は一人で出発。羽田を飛び立った飛行機は、雲海に頭を出した富士山を左に見て飛ぶ。目的地は久し振りのマドリード。
ヨーロッパ・ベンチャー・フィランソロピー協会(EVPA)の年次総会で、日本のベンチャー・フィランソロピーについてプレゼンを頼まれているのだ。そのあと、パリに移動し、笹川会長、垣内さんらと合流し、UNESCOで共同事業に向けた基本契約書の調印式、世界障害者デーに合わせたシンポジウムなどの行事に臨むことになっている。
羽田発の飛行機は、ロンドン行き。ロンドンまでは約12時間のフライト。ロンドンでマドリード行きに乗り換えるのだ。
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<いつまでも西側に太陽が見える>

日本とロンドンの間には9時間もの時差があるので、正午前に出発して、ロンドン到着は同じ日の午後3時。約三時間後に過ぎないタイミングということになる。この間、飛行機の窓の外にはずっと太陽が昇ったまま。ゆっくりと西に傾くのみ。
時差克服のための私なりのやり方は、飛行機に乗り込んだ時点で目的地の時間に合わせ、できる限り現地時間に従った生活パターンにしてしまうこと。そこで、乗り込むと酒を飲んで、その後すぐに眠ってしまう。その後、4−5時間ほど眠っで目を覚ますと、そこからは現地時間の朝なので、映画を見たりして過ごす。ここからは、もう出来るだけ眠らないように起きているのみ。
こうして、寝不足気味でロンドンのヒースローに到着。ロンドンの気温は13度。窓の外には冷たい雨が降っていた。
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<ヒースロー空港は混んでいた>

空港の内部は早くもクリスマスの飾りつけ。
ヒースローはいつものように大勢の人で混雑していたが、セキュリティーの前は特に長蛇の列。パリでのテロのせいか、以前にも増してチェックが厳しいように思える。
ようやく搭乗口に着いたのは搭乗数十分前、時間を潰す間もなく、マドリード行きの飛行機に乗り込む。
2時間ほどの短いフライトの後、夜のマドリードに到着。空港からホテルへタクシーを拾う。
マドリード市内もイルミネーションで美しく飾られていた。ショーウィンドウにはサンタクロース。
2012年に、デカロさんらとのIDPPの打ち合わせの件で来て以来、3年振りのマドリードだ。あの時は7月。明るい空に快適な気温。素晴らしい季節だったが、今は、クリスマスを控えた冬の季節なのだ。
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<ショーウィンドウにはサンタクロース>

11時35分 羽田発
15時10分 ロンドン着
17時10分 ロンドン発
20時35分 マドリード着
一旦、帰国 [2015年11月28日(Sat)]
11月28日(土曜日)
帰国の朝、7時半にAPCDの車でホテルを出発した。実は、飛行機の出発時間は11時20分と、比較的ゆっくり。今日は土曜日でもあり、8時以降の出発でも良かったのだが、ここはバンコク。渋滞に巻き込まれる可能性はいつだって排除できない。万一、ラッシュアワーに巻き込まれてはいけないと、7時半の出発となった次第。
果たせるかな、今朝の道路は渋滞地点はゼロ。運行も全くスムーズだったので、早くも8時過ぎにはスワンナブーム空港に着いてしまった。チェックインをしようとするが、早過ぎて、搭乗手続きをするカウンターも開いていなかった。
数人の先客が行列を作って待っていたので、我々もその最後尾に並んだところ、係員がやってきて、「車椅子の方はこちらへ」とカウンターを開けて手続きをしてくれた。
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<エレベーターのボタンの位置をチェック>

その後も、出国手続きや、セキュリティーチェックなど、車椅子の人と一緒だというので、総て、優先的に扱ってくれたので、程なくして、空港内に入ることが出来た。
待合ラウンジに向かう道々、垣内さんからエレベーターなどのボタンの位置などについてレクチャーを受ける。専門家の目から見ると、まだまだ、改善の余地はあるようだった。
待合ラウンジでは、垣内さんから、車椅子の操作や構造について、色々説明を受けていると、タイ航空の係の女性が興味を持ったらしく、我々のところに寄って来て質問攻め。とても、勉強熱心だ。
搭乗時間になったので、我々は、搭乗口に向かった。ところが、待合ラウンジのあるフロアとは一階下のフロアにある搭乗口に向かう途中のスロープを下って、踊り場に差し掛かったところで垣内さんが叫んだ。「これは大変な欠陥です」
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<危険な構造>

緩やかなスロープの後の踊り場の正面はそのまま下り階段になっている。もし、車椅子の人が、ブレーキをかけるのに失敗すると、海台を転げ落ちてしまいかねないというのだ。踊り場の正面には階段を設けず、柵を作るなどして、その隣側から階段を作るように設計しさえすればこのような危険は回避することが出来る。垣内さんによると、日本なら、決して許されることのない重大な欠陥構造であるという。
羽田に到着。垣内さんは、いつもは、自分で自家用車を運転して日本では一人であちこちに行くのだが、今回は、車は自宅に置いてきた、という。たまたま、私とは同じ方向なので、一緒のタクシーで帰ることにして、タクシー乗り場に行くと、たまたま、車椅子対応のタクシーが停まっていた。
さて、垣内さんを案内してのヤンゴンとバンコクへの旅も終わった。学ぶところの大きい旅であったが、私は、この後すぐに、垣内さんとのパリ行きの旅が控えていた。
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<羽田の福祉タクシー>

07時半 ホテル出発
11時20分 バンコク発
18時55分 羽田着
マヒドン大学義肢装具士学科へ [2015年11月27日(Fri)]
11月27日(金曜日) 
垣内さんとの旅も、ようやく今日で事実上の最終日。午前中は、垣内さんをマヒドン大学のシリラート・キャンパスにある医学部シリントン義肢装具士学科(SSPO)へ案内し、午後からは、市内視察の予定。
朝8時半、ホテル一階のロビーに降りて行くと、SSPOに同行してもらう予定のAPCDの佐野さんが、堀内佳美さんと一緒に我々を待っていてくれた。APCDから貸してもらった車椅子送迎可能なリフトつきのバンが、我々の泊るホテルの玄関に横付けされていた。
垣内さんの車椅子もこのバンに積み込んで全員で出発した。
幸いにして道路渋滞もなく、随分早く、マヒドン大学シリラート・キャンパスに到着してしまったので、暫く、キャンパス内を回って時間を潰してから、約束の10時前に義肢装具士学校ビルへ。入口では、ご丁寧にも日本人講師の佐々木さんが出迎えてくれた。
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<マヒドン大学義肢装具士学校で佐々木さんが出迎え>

佐々木さんには、5月に行われた日本財団のSSPO支援事業の終了式典でお世話になったばかり。今回も、垣内さん一行の受け入れをお願いしたところ、気安く、案内役を買って出て頂いたもの。
マヒドン大学は、タイ最古の歴史を誇るシリラート病院をルーツに設立された大学である。今では、タイを代表する総合大学になっているが、特に、医学部は有名で医学教育の分野では、タイのみならず東南アジアでも最も権威のある大学である。
プミボン国王が入院される時はいつもこの病院だ。ちなみに、マヒドンという名前はタイの王室出身でありながら医師になったプミボン国王のお父様のマヒドン王子に由来している。
日本財団は13年前に、このマヒドン大学の協力のもとで、タイ初の国際的レベルの義肢装具士養成校の支援に乗り出した。20年前に始めたカンボジアでに次ぐ、第2番目の義肢装具士学校であった。
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<作業工程の説明を受ける>

当時、マヒドン大学内で、いち早く、義肢装具士という新しい分野の重要性を理解し、この学校事業の良き理解者としてサポートしてくれたのが、医学部長だったピアサコール教授だった。当時、国王の主治医でもあった。そして、彼は医学部長の後、マヒドン大学の学長に就任した。その間、多忙な中でSSPOの理事会に出席するなど、一貫してこの学校の運営に尽力して頂いた。
お蔭でSSPOは順調に発展し、9年前には、この学校はシリントン王女の勅許を得て、シリントン義肢装具士学校(SSPO)と改称。その後、国際資格1級の認定を受け、マヒドン大学のシリラート医学部に所属する一学科として位置付けられ、今日に至っている。
ピアサコールさんは、もう学長を退任されたが、彼の人格と識見を買った暫定軍事政権から推挙され、今では保健大臣だ。
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<外国人学生達との懇談会>

SSPOでは現在、タイ人学生を対象に、学士号レベルの義肢装具士教育を行っているほか、周辺諸国の義肢装具士学校(いずれも国際資格2級)の卒業生を対象に、国際資格1級取得のための2年制のアップグレーディングコースを設けている。国際資格1級は各国の義肢装具士学校で教員になるために必要な資格なのだ。
我々一行はしばらく、佐々木さんのご案内で、マヒドン大学シリントン義肢装具士学科(SSPO)の中を見て回る。今日は、精霊流しで有名なロイカトゥーンのお休みを利用してタイ人の学生達は全員、パタヤで研修合宿中。その代わり、アップグレーディングのための国際コースの学生たちが我々のために、義肢義足制作の作業工程を色々と実演してくれた。
見学の後は、ニサラット校長によるスライドを使った学科の歴史と教育内容に関する説明。その後、垣内さんを囲んで約20名の外国人学生達との意見交換会が行われた。
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<意見交換会の後の記念撮影>

彼らは全員、カンボジア、スリランカ、インドネシアなど日本財団の支援で設立された義肢装具士学校を卒業した後、各現場で2年以上の実務経験を積んだ上で、将来の教員候補として選抜され、このSSPOに派遣されたもの。現在、1級の資格取得を目指して留学中。一年生と二年生合わせて20名ほど。全員、使命感を持ち、やる気に溢れた優秀な学生たちだ。
彼らとの意見交換会の冒頭、垣内さんは、自分の生い立ちを語った。その中で、最初に自分が目指したのは義肢装具士だった、と明らかにすると、学生達は一様に驚いた表情を見せた。そして、彼の話に身じろぎもせず、本当に熱心に耳を傾けた。垣内さんによる15分ほどの話の後、質疑応答を中心に意見交換会となった。
垣内さんの話は彼らに深い感動を与えたようだった。一人の学生は「感動しました。涙が出そうになりました」と語った。
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<王宮のバリアフリードをチェックする垣内さん>

そして、全員で記念撮影の後も、垣内さんとのツーショットを希望する学生達が順番待ちの列を作った。写真撮影が終わると、シンプルだがとても美味しいタイ料理が振る舞われた。
SSPOで昼食を頂いた後、我々は所用でAPCDに戻るという佐野さんと別れ、堀内さんと一緒に車に乗り込んだ。
ところが、堀内さんは、滞在ビザの関係で役所に出向かないと行けなくなったというので途中で下車。そのため、我々一行にはタイ語のできる人間はいなくなってしまったのだが、ホテルに帰る途中にある王宮を見物する事にした。先般のテロの影響だろう、セキュリティーチェックが厳しい。大勢の観光客でごった返していた。熱帯の太陽が照りつけるが、王宮の中は、日差しを遮るものもほとんどない。
雨期が明け、本来なら涼しくなる季節だというのに、ヤンゴン同様に猛烈な暑さだ。妻のメールでは東京の気温は8度まで下がったと言うのに、、、。
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<ホテルの周辺で、バリアフリー度の調査>

一旦ホテルに戻った後、垣内さん、カメラマンの古谷さんらとホテルの周辺の商業地区に出かけた。改めて、バンコクの街のバリアフリー度を調査してみようというのだ。
先ず、最寄りの高架電車(BTS)の駅で、改札に向かうための階段をチェック。エスカレーターの付いている登り口は一つしかないのだが、おそらく雨季の溢水への配慮だろうが、道路とエスカレーターの間に8段ほどの階段。これでは、車椅子の人にとってはエスカレーター設置も無意味。
今度は、車椅子で道路を横切ってみる。横断歩道があるにはあるが、歩道と道路の間の段差が大きく一苦労。
さらに、向かいの商業ビルから反対側の商業ビルへ高架駅を横断しようとすると、一旦、改札を通って駅構内を抜けない限り、反対側に行けないことが判明。駅員と交渉してみるが埒が開かない。そこへ、日本に住んでいたことがあると、日本語を解する青年が現れ、助けてくれる場面も。
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<道路を横断するのも大変だ>

08時半 ホテル出発
10時 マヒドン大学義肢装具士学校訪問
11時 外国人学生達との懇談会
13時 昼食
13時半 王宮訪問
15時半 市内バリアフリー度調査
18時 夕食会
ネーションTVクリサナさんによるインタビュー [2015年11月26日(Thu)]
11月26日(木曜日) 
今日の予定は、午前、午後とも、アジア太平洋障害者発展センター(APCD)でのワークショップ。主役は、垣内さん。午前中は、彼の生い立ちを中心にした自己紹介と、彼の会社ミライロの事業内容の紹介。ユニバーサルマナー検定の話。午後からは、日本財団の資金で開発中のスマホ用アプリ、「Bremen』の紹介だ。
彼の話を聞きに集まったのは、タイ人の肢体障害者、視覚障害者、聴覚障害者らの代表と、企業関係者。そして、タイ周辺国の障害当事者でバリアフリー問題の専門家たち。総勢、約50人。所長の二ノ宮さんの格別の計らいでAPCDが呼びかけ費用まで負担して集めて頂いたもの。何と、別件でAPCDに立ち寄ったASEAN副事務局長のモクタンさんまで二ノ宮さんの手引きで顔を出してくれた。
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<講演会始まる>

垣内さんの話を聞きにくれた多彩なメンバーの中には、マレーシアから盲人のソフトウェア専門家ラヒムさん、フィリピン人の車椅子の建築家でIDPPの卒業生のドン・デベラさん、などが私の旧知のひとの顔もあった。
また、タイ人で車椅子を作る会社などを経営する実業家のボラユートさんも来てくれていた。彼自身も車椅子利用者だ。彼は、昨年3月に日本財団の支援で障害者ビジネスワークショップをMILIが開催した時に、ヤンゴンに来て講演してくれた。
ワークショップが始まって暫くして、ふと左を見ると、ネーションテレビの車椅子のキャスターとして有名なクリサナさんが静かに座って、垣内さんの話に耳を傾けていた。垣内さんをインタビューするためにやって来たのだった。
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<50名もの多彩な人々が集まってくれた>

そもそも、今回、車椅子の若手実業家でバリアフリーコンサルのユニークな会社「ミライロ」を経営する垣内さんを、ミャンマーとタイに案内することになったのは、今年の5月に、APCD所長の二ノ宮さんと一緒に、クリサナさんと食事をした際、彼が言い出した話がきっかけだ。
彼はその時、「11月に、ユニバーサルデザインに関するエキスポをバンコクで開催することになった。タイ政府の支援も得ることになっているが、資金が足りない。日本財団も資金援助してもらえないだろうか」と持ちかけてきた。
私はその時、「直接の資金協力は難しいが、日本の企業を紹介することなら出来るかも知れない」と答えた。その時に私が提案したことが、もう一つあった。
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<車椅子のキャスターとして有名なクリサナさん>

「ユニバーサルデザインに関するコンサルタント企業の若い社長で自らも車椅子使用者というユニークな若手経営者を日本財団の経費で招待することは出来るかも知れない。クリサナさんが彼をインタビュー、テレビで放映すれば、エキスポの宣伝になるのでは」という提案である。
そして、クリサナさん、二ノ宮さんの賛同も得て、その方向で準備をしていくことになった。ところが、その2か月後。APCD理事長のテートさんの叙勲記念のパーティーで会ったところ、クリサナさんから、あっさり、「あっ、あれは延期になった」と告げられ絶句。
しかし、折角、売れっ子で多忙な垣内さんの予定をもらったことだし、予定通りのスケジュールで来訪することにし、クリサナさんのテレビ番組のためのインタビューも予定通りに行うことになったのだ。
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<クリサナさんによるインタビュー>

ついでに、日本財団がミライロ社に委託して開発中だったアプリ(開発コードネームはグリム童話から名付けた「Bremen」)のお披露目もして、東南アジアの当事者からのコメントをもらうというアイデアが浮上した。
このアプリは、車椅子利用者は勿論のこと、ベビーカーを押すお母さんなど、障害を持った人もそうでない人も、広いユーザー層を対象に、ユーザーが自らの体験に基づいたバリアフリー関連情報を公共施設や、ホテル、レストラン、店舗などを対象にインプットし、それを集計して得られた評価情報を共有しようと言うもの。アップルのiOSとAndroidの二つの主要OSを対象に、開発が終盤に差し掛かっている。
講演の後、別室で、クリサナさんによるインタビューが始まった。私も、垣内さんの今回の訪問の背景についてネーションテレビのカメラの前で説明。
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<開発中のアプリのタイ語パンフ>

今回のインタビューの話しが浮上した5月の時点で、通訳は堀内佳美さんにお願いすることが決まっていた。
堀内佳美さんは、盲人でまだ若い女性だが、タイのラオスとの国境に近い村で、現地の貧しい少数民族の子供達に本を読んで聞かせて教育水準の向上につなげるという事業を、そのためのNGO、「ARC本読み聞かせ隊」を立ち上げ、今では現地に住み着いて熱心に活動しているという勇敢な女性だ。
ハンディをモノともせず、米国留学を挟んで国際基督教大学を卒業、その後、タイのチュラロンコン大学でタイ語を学んだという経歴の持ち主だが、語学の才能も大変なもので、英語は勿論だが、タイ語はタイ人が彼女のことをタイ人と間違えてしまうほど。
夜は、垣内さん、堀内さんを囲んで、クリサナさんとタイレストランで夕食会となった。

09時 ユニバーサルデザインとバリアバリューについての説明会
12時 参加者との意見交換会
15時半 ネーションテレビインタビュー
15時45分 ネーションテレビ垣内さんインタビュー
18時半 APCD出発
19時 夕食会
一緒にバンコクへ移動の筈が、、、 [2015年11月25日(Wed)]
11月25日(水曜日) 
暑い日が続いている。朝23度だった気温は、10時前には36度になっていた。本来なら、今の季節は雨季明けでミャンマーが一番涼しくなる時期。ところが、今年は異常なのだそうだ。
そう言えば、今年の雨季も異常だった。激しい雨が降り続き、ミャンマー全土で、洪水被害のニュースが相次いだ。
さて、今日はバンコクへ移動する日。本来ならば、私も垣内さんたち一行と一緒の便で移動するところなのだが、私だけ別行動になってしまった。と言うのも、随分前に自分で予約した際に、いつものように午後の便になっていたのだが、うっかりして、皆と同じ午前の便に変更するのを忘れてしまっていた、と言う次第。
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<MRFが入っているビル>

つい数日前に、日本財団の杉本職員に指摘されて、私の便だけが違っていることに気が付いたのだ。しかし、今日のバンコクでのスケジュールは市内視察だけ。夜にはAPCDでの夕食会が予定されているが、所長の二ノ宮さんから、満月のお祭りロイカトゥンの式典に急遽招待されたので、夕食会の方には出られなくなったとの連絡があった。なので、私は予約便を変更せず、午前中はヤンゴンに残り、いくつかの仕事を片付けることに。
一つは、日本財団顧問のエルウィンさんのお見舞い。最近、卒中で病院に担ぎ込まれたと聞き心配していたが、つい最近、退院したと聞いたので、彼の家にお見舞いに行こうと考えたのだ。ところが、数日前に送ったメールに対し、今朝まで待っても彼からの返事が無いので、こちらは中止。
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<いつの間にか、日本語のロゴを付けたまま走る車は激減>

もう一つの、用件は、日本財団のヤンゴン事務所駐在の田中職員と一緒に、ミャンマー米穀協会(MRF)のイェミンアウンさんに面会すること。伝記マンガ事業の件で、どうしても、彼と連絡を取っておく必要があったのだ。
MRFのイェミンアウンさんは、洪水被災地での救援事業対応で超多忙らしく、今日の会合の場所も昨日になって急に変更になり、結局、ミャンマー米穀協会の事務所で会うことに。朝8時半の約束時間より少し前に到着したのだが、彼はまだ来ていないという。待たされた挙げ句、彼がようやく顔を出したのは9時過ぎ。
話している間も、メモが入ったりして多忙な様子。手短に当方の懸念していることを説明し、伝記マンガ事業に関するいくつかの点について先方の意向を確認。
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<日本の文字を付けたバスも珍しくなってしまった>

MRFを辞して、ホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウト。正午頃にヤンゴン空港へ向かった。
空港に向かう途中、日本語のロゴを付けたステーションワゴンを発見、写真に収める。というのは、垣内さん達に話をしていて初めて気が付いたのだが、いつのまにか、ヤンゴン市内から日本語のロゴを誇らしげに付けていた中古車が消滅していたのだ。
ついこの間まで街中に溢れていたというのに、いつのまに起きたのか、狐につままれたよう。今では、中古の日本車であることは明らかなバスでさえ日本語の表示が無くなり、ミャンマーの商品宣伝のラッピングになってしまった。一体何が起きたのだろう。狐につままれた感じだ。
空港に到着。新たにシンガポール資本のカフェがオープンしていた。ヤンゴンも日に日に変化しているのだ。
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<空港には新たにシンガポール資本のカフェがオープンしていた>

バンコクに着くと、私は明日から泊まるホテルに直行し、スーツケースを預け、BTSに乗ってAPCDに向かった。
丁度夕方のラッシュ時間だったのでBTSは大混雑。すると、若いタイ人女性に声をかけられた。はて誰だろう、日本財団の支援事業の関係者だろう。でも、どこで会ったっけ。
それは、見知らぬ女性が、親切にも私に席を譲ってくれようとしていたのだった。二駅ほどで乗換えだったので丁重にお断りした。でも、彼女が功徳を積む機会を邪魔したのかも知れない。
夜も暗くなった7時半に、ようやくAPCDに到着。
食堂で垣内さんら一行と合流する。
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<BTSは夕方のラッシュアワーで大混雑>

6時半からの夕食会は終わったばかりだったが、食堂を兼ねた談話室で、外国から来てくれた参加者の面々も残って、談話中だったのだ。トマスさん、ラヒムさん、IDPPの2期生卒業生ドンさんら旧知の顔と会う。
今回、垣内さんら一行のタイでの通訳をお願いしたユニークな日本人女性、堀内佳美さんの姿もあった。彼女とは、つい先々月、インドネシアのバリでの国際視覚障害者教育評議会(ICEVI)の地域会議で会ったばかり。彼女自身が視覚障害者だ。
堀内さんは、自身でNGOを立ち上げ、チェンマイの近くに住んで、タイの僻地の子供達のための教育支援の事業を行っている。今回は、本業ではない通訳を特別にお願いしたところ、はるばる長距離バスを乗り継いで、バンコクまでやって来てくれたのだ。

08時 ホテル出発
08時半 MRFイェミンアウンさん
12時 ホテル出発
15時00分 ヤンゴン発
16時55分 バンコク着
19時半 APCD到着
朝5時半にシュウェダゴンパゴダへ [2015年11月24日(Tue)]
11月24日(火曜日) 
垣内さんたちにシュウェダゴンパゴダの日の出を見てもらおうと、運転手のチョースワールミンさんに頼んで早朝5時半に車を出してもらい、兵頭さんも含めた全員でホテルを出発した。
ここは、本来は屋根で覆われた商店街のような、巨大な階段通路を通ってお参りするのだが、それとは別に、途中まで車で乗り付けれる入り口が設けられており、そこからはエレベーターでも昇れる構造。
ただ、広大な境内では、一般の参拝者は靴はおろか、靴下まで脱ぐことを求められるので心配したが、車椅子での入場は何のお咎めも無し。境内は平坦で大理石が敷き詰められており、概ね、車椅子でも大丈夫だったが、生誕の曜日毎に設けられた礼拝所は数段の段差がある。
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<早朝のシュウェダゴンパゴダ>

エレベーターで昇って、大理石の境内に入ると、まだ、外は暗いというのに、沢山の信徒が訪れ、なにやら熱心にお祈りをしていた。
ミャンマーの風習では毎月の満月の日が重要な意味を持っているが、その中でも、ビルマ暦の8月、タザウンモンの満月の日は、雨季の終わりを告げるタディンジュと並び、最も重要なものと扱われている。今年は二日後の11月26日がタザウンダイン。仏教徒はお寺にお参りに行き、お坊さんに新しい衣服を捧げるなどお布施をするのだという。
シュウェダゴンパゴダはいつも早朝から参拝者が絶えないと聞いているが、それにしても今日のこの人出はタザウンダインのせいかも。
我々もそれぞれに、お賽銭代わりの金箔を求めて奉納し、それぞれの願い事を祈った。
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<何やら熱心にお祈りをする垣内さん>

一旦ホテルに戻って、朝食を取った後、8時45分にホテルを出発、10時頃にMILI本部に到着することが出来た。すると、すぐ前の道路際に置かれた巨大なスピーカーから大音響の音楽が流れていた。
アウンコミンさんによると、タザウンダインのための寄付を呼びかけているのだという。それにしても、大音響で騒々しいこと極まりない。
通訳の兵頭さんによれば昨日のテレビでの説話の中で高僧が寄付集めの際の大音響を戒めるようにと言っていたというのだが、、、。
このお祭りは、お隣のタイではロイカトンと呼ばれ、全土で精霊流しが行われるほか、チェンマイではコムファイと呼ばれる小さな熱気球が夜空に放たれる。
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<MILIのビジネス・インキュベーション・センターで説明を受ける>

ミャンマーでも同じような風習があり、シャン州のタウンジーでは、大きな熱気球を空に放つ行事が行われ、大勢の見物客で賑わう。私は3年前にネピドーのレストランのテレビ画面で、タウンジーでの満月祭りの熱気球コンテストが全国に生中継されているのを見て、その巨大きさにびっくり仰天したものだ。それにしても、アウンコミンさんも、ネイリンソウさんも気にするそぶりも無いのには脱帽。
MILIで昼ご飯をご馳走になった後、国立リハビリテーション病院(NRH)へ。アルフレッドさん、マイクさんと奥さんのメアリーさんらが迎えてくれた。
生憎、院長は今日も不在。代わって、最近就任したばかりという副院長の女性が迎えてくれた。
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<入院患者達と懇談>

通された部屋にはスライドの準備がしてあって、この病院の概要を説明してくれた。また、垣内さんに地元の患者達と会ってもらいたいと要請してあったので、その通りに、入院患者達を10人ほど集めてくれていた。
垣内さんによる自己紹介の後、彼らに質問する時間が与えられた。
車椅子に乗っている人も数人いたが、自分の車椅子を持っている人は一人もいなかった。総て、病院のもので、入院中だけ貸与されているので退院すると返さないといけないという。
もともと、健常者だったものが、事故や卒中などで半身付随になったと言う人が多かったが、殆どの場合、仕事を失い無収入になった、という。
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<熱心に耳を傾ける学生達>

その後、マイクさん夫妻らと国立医療技術大学義肢装具師学科へ。
スライドを使った垣内さんの自己紹介の後、学生達と懇談。年齢を聞くと皆、18歳か19歳。一期生16人中、14人は女性という女性上位のグループで、男性は2人のみ。
垣内さんも一時は義肢装具師を目指したという話は、彼らにアピールしたようだ。最後に、全員で記念撮影したのだが、その後、学生達は垣内さんとそれぞれツーショットの写真をねだり、彼の前に列を作った。。
その後、日本財団のヤンゴンオフィスへ。日本財団から派遣されてヤンゴン勤務中の中安職員が、少数民族支援事業を中心に、日本財団の現地での活動内容について説明してくれた。
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日本財団の職員自らが過酷な環境の国境地帯まで足を伸ばし、食料などの支援物資を届けている、と言う話は、垣内さん一行には感銘を与えたようだ。
夜は、夕食まで少し時間があったので、古谷さんのリクエストに応じ、滞在中のホテルとは道路を隔てた反対側にあるサクラタワー最上階のレストランへ。夜のシュウェダゴンパゴダの撮影をした後、ほど近い場所にある別のレストランへ向かった。ミャンマー最大の少数民族、シャン族の料理店に夕食の予約をしてあったのだ。
渋滞に嵌り、予約した時間より大幅に遅れてシャン料理店。今回は日本人メンバーだけでこじんまりとした夕食会。こうして、このメンバーのヤンゴン最後の夜となった。

05時半 ホテル出発
06時 シュウェダゴンパゴダ訪問
08時45分 ホテル出発
10時 MILI本部訪問
13時 NRH訪問
14時半 国立医療技術大学義肢装具師学科
16時半 日本財団ヤンゴン事務所
19時 夕食会
誕生日のサプライズ [2015年11月23日(Mon)]
11月23日(月曜日)
8時半にホテルを出発して、皆でミャンマー障害者自立生活運動(MILI)の指導者養成研修会に向かっている最中、突然、MILI幹部のアウンコミンさんから電話。
「9時から研修開始とお伝えしていたが、まずは最初に、参加者に垣内さんについて説明をしておく時間が欲しいので、垣内さんのレクチャーは10時からにして欲しい」というのだ。
そんなの今になって伝えられても、と思うのだが、これも、おおらかなミャンマーならではのこと。さて、突然、1時間以上の余裕が出来たので、どうしようかと想いを巡らした末、ホテルからもほど近いヤンゴン中央駅を視察することにした。
駅舎は伝統的なビルマ建築様式によるもので、遠くから見ると美しいが、近づいて見ると粗が目立つ。最初の駅舎が建設されたのは19世紀後半だが、日本軍の進攻時、撤退するイギリス軍が破壊。 現在の駅は、戦後に再建されたもの。だが、今は歴史的な建物として指定されているという。
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<ヤンゴン中央駅を視察する垣内さん>

ヤンゴン中央駅からはマンダレーなどに向かう長距離列車と、ヤンゴン環状線の列車が発着するが、発着本数が少ないので、駅構内はいつも閑散としている。
東京山手線の一周は総延長34.5q、29駅ある。これに対しヤンゴン環状線は39駅で45.9キロ。しかし、急行列車の場合で、所要時間は3倍の3時間。一度、乗ってみたいと思っているのだが、纏まった時間が取れず、未だ実現していない。
今回、垣内さんと中央駅に行ってみて、改めて、駅構内には車椅子の利用者に対する配慮などは全くされていないことに気付かされた。係員に垣内さんが聞いたところ、車椅子の人など駅に来たことが無いとの答が返って来た。
中央駅の視察を終えたあと、お土産の買い物を兼ねて近くのスーパーへ。そうこうしているうちに時間になったので研修会場へ急いだ。
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<研修会場は約60人の参加者で一杯であった>

今回の研修会の参加者は、MILIがこれまでの5年間に実施して来た計10回の受講者の中から選ばれた若者達である。既に、全国24もの支部で幹部として活躍している人たちを中心に何と約60人を集めてくれていた。
60人という規模から、いつも研修を行う時に使わせてもらっている国立養護学校では収容しきれないので、今回はYMCA本部の講堂にしたということであった。
昨日の式典で訪れた養護学校「ニューワールド」の新校舎建設の話が浮上した当初、YMCAが土地を無償で提供してくれそうだというので、私は何度かここを訪問したことがある。
職員に尋ねると、当時、何度か会っていた事務局長は海外出張中とかで不在。
垣内さんのレクチャーが始まった。自らの生い立ちに始まり、今の会社の活動の概要を話した後、質疑応答へ進んだ。私は、午前の研修を傍聴しただけで、午後の研修は中途で退席。
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<出席者が何故か大幅に増えていた夕食会>

別室で、アウンコミンさん、ネイリンソーさんらMILI幹部と一緒に、UCP Wheelsのマイケルさんとの車椅子事業の打合せに臨んだ。
研修が終わって、夜6時からはエデングループの運営するレストランで、参加者の代表6名を招いて垣内さんを囲むかたちで夕食会。MILI側も幹部の数名だけが参加することで、全部で15名ほどの予約をしていた筈なのだが、今回も、MILIからの出席者が何故か大幅に増えていたので慌てて席を追加する。
何と、今日が私の誕生日ということでサプライズのバースデーケーキが用意されていた。私の誕生日など誰も知らないと思っていたのだが、最近は、ネットで何でも筒抜けになっているらしい。でも、彼らの優しい気配りが嬉しかった。
楽しい夕食を終えて、ホテルの部屋に戻ると、ここにもホテルからサービスのバースデーケーキが届いていた。
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<トロピカルフルーツの乗ったバースデーケーキ>

8時半 ホテル出発
9時 ヤンゴン中央駅視察
10時 MILI指導者研修会
13時半 マイケルさんとの車椅子事業打合せ
18時 夕食会
遺贈寄付で建てられた養護学校新校舎の開校式 [2015年11月23日(Mon)]
11月22日(日曜日) 
7時45分にホテルを出発。MILIのマイクロバスに乗り込み、通訳の兵頭さんも含む6人全員一緒に、養護学校ニューワールドの新校舎を目指す。
ここは、自閉症やダウン症など知的障害を持つ子供たちのトレーニングを行う養護学校。ヤンゴンには、知的障害児を対象にした国立の学校はあるにはあるが、殆ど、預かるだけでトレーニングも何も実質行われていないに等しいと言う。
そこで、立ち上がったのがミャンマー医師会の幹部を中心とするお医者さんたち。私立の小児科専門病院パラミ病院の一画に2008年に出来たのがNew World養護学校だった。
14人の生徒で始まったNew Worldだったが、評判を呼び60人もの生徒が集まった結果、手狭になり、日本財団に新校舎建設への支援の相談が持ちかけられたという次第。
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<ニューワールドの開校式受付>

新校舎が出来た今、New World養護学校の生徒数は140人、先生の数も30人にまでなった。将来は、200人の生徒を収容し、ミャンマー全土の養護学校の教員養成機関としてこの学校を育てて行きたいというのが、創設者で理事長のテインアウン医師らの夢だ
私は、今日の式典では、久し振りにミャンマーの伝統衣装ロンジーを履くことにした。今日は、ロンジーだけでなくその上にも、エィンジーと呼ばれる上着を着用、これで正装だ。
ロンジーは、だぶだぶのスカートのような衣装なので、一年中暑いミャンマーでは涼しくて快適なのだが、難点は、身体の前で結び合わせるだけなので、解けやすいこと。地元の人も、時々、緩んだ結び目を締め直している。
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<垣内さんが熱弁を揮う>

今日は、私も開校式で簡単な挨拶をすることになっているのだが、今回は兵頭さんに通訳してもらえるので、私のスピーチは日本語で行うことに。これまで何度かやったようなミャンマー語のスピーチではないので気が楽だ。新校舎に到着すると、既に沢山の人が集まっていた。最前列に案内され、開会を待つ。
式典が始まり、私の名前が呼ばれ、檀上に上がる。ところが、その時、階段でロンジーの裾を少し踏んづけてしまった。スピーチの冒頭に簡単にミャンマー語で自己紹介をしている最中、ロンジーの結びが解けそうになり、思わずミャンマー語で「ちょっと待って下さい」と断り、後ろを向いて結び直したところ、満場爆笑。
その後、垣内さんがスペシャルゲストとして登場し、彼自身の生い立ち、学生時代の起業、そして、今の会社の業務、などを熱弁し。私の隣で耳を傾けていたティンニュントさんが、私に囁いた「彼はすごいね」。垣内さんの話しが参加者に深い感銘を与えたのは確実だった。
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<新校舎の中を視察>

ストランドホテルなど、イギリスの植民地時代の中心であった波止場街に案内したあと、アウンサン・マーケットへ。改めて気付いたのだが、車椅子では移動しにくい事この上も無い。あちこち段差だらけ。それにしても、これほどまでとは。
昨日の私のロンジー姿に触発されたのか、垣内さんがロンジーを買うことになった。
それにしても、足元が悪く、車椅子での移動の難しさを思い知らされるはめに。ビデオカメラを担いだ古谷さんが逐一、垣内さんの動きを撮影。
あとで、ティンニュントさんから聞いたところによると、この日の参加者は全部で210人。
式典の後、新校舎の中を案内してもらった。垣内さんも熱心に視察。完全ではないものの、バリアフリー後進国のミャンマーとしては例外的に、障害者への配慮が随所に見られた。トイレまでバリアフリーになっていたのには感心させられた。
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<バリアフリー状況をチェックする垣内さん>

アウンサンスーチーさんの家の前を通って、昼食を取りにセドナホテルへ。
地下にあるイタリアンレストランに行こうとして、階段の前で停まってしまった。係の人間に尋ねると、シェフの姿をした人物が脇のドアを開けて現れ手招きをする。
厨房に食材などを運び込むための業務用のエレベータを使わせてくれるのだった。地下まで降りて、厨房の脇を抜けてレストランのフロアーへ。
昼食の後、市内視察に出かけた。
夕食はネイリンソーさんの自宅で。昨日急遽、私の方でマイケルさんも呼んで欲しいと頼んだので、彼も一緒だ。
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<夕食のテーブルでネイリンソーさん>

ところが、向かっている最中に現在停電中との電話連絡が入る。
兵頭さんによれば、最近はヤンゴンの電力事情は幾分改善し、停電は少なくなっていたというのだが、、、。ネイリンソーさんの自宅は高層マンションの8階にあるので、エレベーターが止まっていたらどうしよう。
着いてみると、ネイリンソーさんが管理者に特別に頼み込んで自家発電機を特別に短時間動かしてもらった、ということで動いていた。
自宅に入ると、ろうそくが灯されており、彼のお母さんや、奥さんの妹さんら、何人もの人たちが夕食の準備をしていた。出された料理は品数が多いだけでなく、とても美味しかった。
奥さんはユヤトゥーさんと一緒に、オーストラリアの研修に出発していないという。それなのに、マイケルさんまで呼んでしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
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<凄いご馳走の数々が並べられた>

07時45分 ホテル出発
09時 ニューワールド新校舎開校式
13時 昼食
14時 市内視察
16時45分 ホテル出発
18時 夕食会(ネイリンソーさん自宅)
ヤンゴンで垣内さん一行を出迎える [2015年11月21日(Sat)]
11月21日(土曜日) 
今日はバンコク経由でヤンゴンへ移動する日。何と、朝一番のフライトは6時15分発。そのためには、5時前にホテルを出なくてはならない。そこで4時前に起床、空港へ急ぐ。まだ、外は真っ暗。例の立体交差の大陸橋が通行禁止の看板の後ろの闇の中に佇んでいた。フンセン首相のマレーシアからの一日も早い帰国を待っているように思えた。
空港でも、新しくなったターミナルビルが開業していた。カンボジアも日進月歩で変わりつつあるのだ
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<開通を待つ新しい陸橋>

プノンペン発、バンコク行きに乗り、バンコクでヤンゴン行きに乗り換える。バンコクを飛び立った飛行機は、定刻より少し遅れたとは言え、10時前にヤンゴン空港に無事到着。ヤンゴンの朝の気温は既に27度だった。
もう顔馴染みになったMILIの運転手、チョースワーミンさんに出迎えられ、彼が運転する車で、いつものホテルへ向かう。
道々、チョースワーミンさんと今回の垣内さん一行の日程を確認。すると、ホテルを出発する時間などが食い違っているのを発見。慌てて関係先と電話で確認、彼に正しい時間を指示。
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<新しくなったプノンペンのターミナルビル>

ホテルにチェックインして、シャワーを浴びて着替えたのち、通訳をお願いしているプロカメラウーマンの兵頭さんと午後3時にホテルで落ち合う。一緒に、空港に向かうためだが、垣内さんたちの日本からの直行便の到着予定時間は5時過ぎ。なぜ、こんなに早く出るのかと言うと、道路の混雑もさることながら、日本からの長期便が時に、予定より早くなるから。時には、1時間も早まることがありうるのだ。
果たせるかな、ホテルからの出発直前にネットでチェックしてみると、この便の到着は予定より40分以上も早い4時半の見込みとか。
土曜日にも拘らず、道路の渋滞も予想以上で、空港まで本来なら30分のところが、1時間半も掛かり、着いた時には4時半。丁度良い時間になってしまっていた。
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<ヤンゴン空港に到着>

パスポートコントロールも混雑しており、一行4人が出てきたのは5時少し前。垣内さんの他、彼の会社ミライロ社員の石川さん、ビデオカメラを担いだ古谷さん、そして日本財団担当職員の杉本さんである。古谷さんはプロダクションの社長でありながら、今回はビデオカメラマンとして、垣内さんの行動をビデオに収めるための同行取材。
義理堅いことに、ヤンゴン空港にはMILIの共同代表の一人であるアウンコミンさんが来てくれていた。彼らは数日後の12月1日に障害者芸術祭を控えて、大忙しの状況。彼も垣内さんが無事着いた事を確認すると、芸術祭の準備があるからと戻って行った。
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<日本財団がMILIに寄贈した中古車が送迎に使われた>

夜7時、ホテルの会議室でMILI幹部と一緒に、お互いの紹介を兼ねた夕食会を開催した。
数日前から車椅子事業のことでMILIとの打合せのため、ヤンゴンに来ていたアメリカのNGOであるUCPのマイケルアレンさんも来てくれた。
ところが、何故か3人の幹部にだけと言っていた筈のMILI側の人数が大幅に増えて、部屋に入りきれないほど。
慌てて、椅子を追加したりしてしのぐ。車椅子利用者が二人いたので助かる。

04時45分 ホテル出発
06時15分 プノンペン発
07時15分 バンコク着 
09時15分 バンコク発
09時45分 ヤンゴン着
15時 ホテル出発
17時 垣内さん一行出迎え
19時 夕食会
奨学金受給生達と会う [2015年11月20日(Fri)]
11月20日(金曜日) 
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<新しい陸橋が出来ていたが、、、>

今朝一番のアポはカンボジア義肢装具士学校(CSPO)での打合せ。ここと日本財団とは、設立直後から20年以上ものお付き合い。設立後暫くは、英国人を中心とした外国人が管理していたが、今では、自らもこの学校一期生のシサリー校長以下、すっかりカンボジア人のスタッフによって運営されている。
今では、この学校への日本財団からの財政的な支援は終了しているが、彼らの発案で始めたカンボジア人肢体障害学生に対する奨学金事業を担当してもらっている。
訪問の約束は朝の8時だったので、7時20分にホテルを出ることにした。以前なら30分もあれば十分間にあったのだが、最近は、プノンペン市内も渋滞で必要な時間が読めなくなったので、少し余裕を見ての出発とした。
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<CSPO幹部との打合せ>

CSPOに向かう途中、道路際に多数の警察官がいるのに、気が付いた。
高級車の車列が追い抜いて行った。運転手のソルヤ君が言った。「フンセン首相だ」。アレーシアで始まるASEANサミットに行くところだった。新しく立派な陸橋が出来ていたが、利用開始はマレーシアからフンセン首相が帰って式典をしてから供用開始なのだとか。
結局、8時10分前にCSPOに到着。先ずは、校長のシサリーさんらと、奨学金事業やAPOSについて打合せ。シサリーさは現在、第2子を妊娠中。間もなく出産なので、明日から産休に入るのだとか。恐らく私の訪問に合わせて、産休入りをずらしてくれていたのだろう。申し訳ない。
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<学生達と懇談会>

その後、奨学金受給中の学生や、卒業生、最終審査のインタビューのためにたまたま集まっていた今年度の志願生達、総勢30人ほどと懇談。一人ひとりに将来の夢をインタビューする。
学生達との懇談会を終えると、シサリーさん達が、「これから昼食に案内するが、その前に、開店したばかりのExceedのクリニックに案内したい」と言う。Exceedというのは、CSPOの技術協力の主体となった英国由来のNGO。以前は、カンボジアトラストと言う名前だったが、数年前に、改名し、Exceedと言う名前になった。その背景は、日本財団と組んで、学校事業をスリランカやインドネシア、フィリピンなどにまで拡大した結果、カンボジアと言う名前がそぐわなくなったからだと言う。もう一つの理由は、恐らく、社会的企業としての営利事業にまで踏み込もうと言う動機からだと思われる。
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<開店したばかりのExceedのクリニック>

そうして、出来あがったのが、Exceedという名前の義手義足装着サービスを有料で行う民間クリ二ックだ。このカンボジアを皮切りに、これまで義足学校を展開してきたアジアの各地で、サービスを有料で提供するクリニックを設け、卒業生の職場を確保するとともに、富裕層に対するサービスからの収益を使って品構想に対する無償のサービス提供を継続可能にしようと言うもの。
そこで、今回、先月開店したばかりというExceedのクリニックに案内されたという次第。既に、40人ほどの顧客が付いたと言うが、経営的には450人は必要なのだとか。ただ、準備が完全に調っていないので、本格的な宣伝もまだしていないのだとか。成功を祈りたい。
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<しゃがんで用を足す方式のユニークなトイレがあった>

シサリーさんらと昼食をとったあと、日本財団の支援で進行中のクメール焼き陶器プロジェクトの責任者である山崎幸恵さんが経営する土産物屋、ニョニョムショップへ。早めに着いたので、中を覗くと、何とレストランが出来ていたのにはびっくり。一階の事務所で、久し振りに山崎さんと会うことが出来た。
その後、聾唖者支援団体DDPに行く。美容学校で聾の若い女性たちをトレーニングする話をするため。美容院の若い女性経営者ケマラさんも来ることになっていた筈だが、時間になっても現れず。
結局、就任したばかりの代表ソクリさんと、オーストラリアからのシニアボランティアとして広報部門を手伝っているというデイビッドさんと三人で話し合う。夜は、クメール料理店でケマラさんや盲人マッサージ師のニガさんらと。慌ただしい一日だった。
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<DDPでは手話研修の修了式が行われていた>

7時20分 ホテル出発
08時 CSPO打合せ
09時半 奨学金受給者らとの懇談会
11時半 Exceedクリニック視察
12時 昼食
13時 ニョニョム山崎さん
15時 DDPソクリさん
18時半 ケマラさん
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