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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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早くも帰国 [2015年10月21日(Wed)]
10月21日(水曜日) 
2015-10-21 台風.jpg
<フィリピンを台風が襲う>

朝、6時。ホテルをチェックアウト、空港に向かう。
飛行場は相変わらず靄っていたが、飛行に差し支えるほどではないだろう。
ラウンジでテレビを見ていると、フィリピンを大型の台風が襲っているという。ありゃりゃ。フィリピンは帰りの飛行機のルート上にあるのだが、、、。
2015-10-21 洪水.jpg
<現地は大洪水>

機内で見たテレビのニュース画像にもマニラ市内が水浸しになった様子が映し出されていた。
今朝は、朝早く起床していたので朝食の後、少し眠ってしまった。気が付くと、フィリピン上空。
窓の外を見ると、厚い雲が視界を覆っていた。フィリピンを雨台風が襲っているのだった。
成田へは予定時間より少し早い着陸。気温は19度。
2015-10-21 スモッグ.jpg
<スモッグはまだましだったが、、、>

飛行機が滑走路を滑っている時に、時間を見ると、N'EXの出発時間寸前ではないか。今回は短い出張なので、チェックイン荷物は無い。
そのまま、慌ててJRの改札に向かおうとしていると、日本財団の東京のオフィスから電話。後でかけ直すからと、改札口に飛び込み地下のホームへ急ぐ。
今日も駆け込み乗車だったもののN'EXには間に合った。助かった。このところ、到着時間がN'EXの発車時間に時間ピッタリになることが何故か多い。これで、立て続いての駆け込み連続3回目。
2015-10-21 窓.jpg
<フィリピン上空は厚い雲に覆われていた>

06時 ホテル出発
08時10分 シンガポール発
16時20分 成田着
VSAシンガポール訪問 [2015年10月20日(Tue)]
10月20日(火曜日) 
2015-10-20サンズ.jpg
<シンガポールのシンボル、ベイサンズをスモッグが襲う>

シンガポールの朝、今日も相変わらず、靄が残る。ただ、昨日よりは幾分まし。ホテルのロビーでバンコクから来てくれた日本財団特別顧問の渋谷さんと合流。
二人で8時半の約束をもらっていたヨンヨンチア国会議員を尋ねる。彼女は、車椅子の弁護士だ。
ところが、時間になったのに彼女は姿を現さない。ようやく連絡が入る。何でも、自宅で突発事態が起きたとかで、少し待って欲しいという。その後、もう少し待って欲しいと再び。
結局、彼女が現れたのは約束の時間を1時間近く遅れた9時半。大きく遅れたことを大変恐縮し、次の訪問予定先であるVSAには断りの連絡を入れてくれた。
予定の時間より、30分近く遅れてVSAシンガポール訪問。
2015-10-20 VSA.jpg
<VSAの本部入り口>

ここは、障害者の芸術活動を支援しているNGOである。我々を迎えてくれたのは、ウェンディー、ジュディー、ビクトリアという3人の女性。と言っても、欧米系はウェンディーさんのみ。後の二人は、中国系シンガポール人だ。
シンガポールの中国系の人の場合、自分たち仲間内では中国名で呼び合っている人も少なくないが我々外国人と話すときは英語名を使う。
VSAと2017年にシンガポールで開催、その後、2020年に東京で開催しようとしている国際芸術祭について説明し、シンガポールでの開催についてVSAに主催をお願いしたい、とその背景や日本財団としての考え方、資金計画などについて説明したところ、前向きに検討してもらえることになった。
夕方、バンコクに戻る渋谷さんと別れ、私は朝日新聞シンガポール支局の都留さんと夕食。
2015-10-20 幹部たち.jpg
<VSAの幹部はいずれも女性>

08時 ホテル出発
09時半 ヨンヨンチア国会議員
10時半 VSAシンガポール訪問
16時 渋谷さん打合せ
18時半 朝日新聞都留支局長と夕食
マラヤ大学で協議 [2015年10月19日(Mon)]
10月19日(月曜日)
2015-10-19スモッグの朝.jpg
<朝のクアラルンプールも靄の中>

朝、ホテルの部屋から外を覗くと、靄が一帯に立込めているのが分かった。これ以上深刻になると高速道路での車の運転にも影響が出そうだ。
6時に、ホテル内の朝食用レストランでアメリカン大学の准教授で、IDPPの責任者であるデリック・コグバーンさんと合流する。まだ、口開けの時間なので従業員さえまばら。デリックさんは風邪をひいたと、珍しく憔悴した表情。
先週の木曜日にまでずれ込んでようやく纏まった改定新年度予算について確認する。長い間、マラヤ大学とアメリカン大学の間で揉め続けて来たこの予算問題が漸く解決したことにほっとする。
その後、彼はマルチメディア大学で会議があると出かける。
2015-10-19 キャンパス.jpg
<マラヤ大学のキャンパス>

その後、私はホテルのロビーでIDPPマラヤ大学校の学生達と会う。彼らからは、口々に、奨学金ストップによる艱難辛苦の話が出て来た。私の方からは、この問題の原因と現在の対応に附いて説明。さらに、先週ようやく、アメリカン大学とマラヤ大学の間で同意が成立したので、彼らを悩ませて来た様々な問題も一挙に解決する見通しであることを説明。
この結果、彼らも漸く納得してくれたので、来年度に向けてIDPPがASEAN大学ネットワークに加盟して、AUN DPPnetとして再発足する計画について説明する。
そして、彼らと一緒に昼食。そこへ、マルチメディア大学から直接、マラヤ大学に行くと言っていたデリック准教授が現れる。学生達と一緒に写真を撮る。
2015-10-19 学生たち.jpg
<学生達>

学生達と別れた後は、デリックさんと一緒に、マラヤ大学の大学本部へ。副学長を始めとする大学首脳部と会議をするためだ。IDPPのASEAN大学ネットワーク(AUN)加盟のためには、加盟校のどこかが 幹事校として名乗りを上げる必要がある。
既に、マラヤ大学がその意向であることは間接的に聞いてはいたが、アメリカン大学との問題が解決したのを受けて、今回、大学としての方針を確認するとともに、来年度に向けての行動計画を協議することになっていたのだ。
会議は、和やかな雰囲気で始まった。マラヤ大学として幹事校を引き受けたいとの意向も確認することが出来た。消極的な引き受けではなく、前向きで意欲的な話もポンポン飛び出すムードが一変したのは会議が半ばに差し掛かったときだった。
2015-10-19 会議.jpg
<マラヤ大学で会議>

アメリカン大学との間で合意した筈の問題が、双方の誤解によりある重大な問題の解決がすっぽり抜け落ちていたことが分かったからだ。会議は突然、この問題を巡って堂々巡り、怒号こそ飛び交わないものの、マラヤ大側、アメリカン大側ともに、ここは一歩も引けないと、かなり険悪なムード。
結局、時間切れでお開き。肝心の、AUNの話も終了しないままになってしまった。
私は、大学本部まで車で迎えに来てくれたトマスさんと落ち合う。車の中には、トマス夫人のジーンさんが座っていた。私は彼女とは初対面。三人で一緒に空港の近くのマレー系中華料理店へ。食事の後、空港まで送ってもらった。
夜9時半、シンガポール到着。気温は29度。靄は今日は小康だが、先週まではひどく、学校が休校になったとタクシーの運転手ぼやく。
2015-10-19 夕食.jpg
<トマスさん夫妻と夕食>

06時 デリック教授と打合せ
11時 IDPP奨学生たちとミーティング
13時半 ホテル出発
14時 マラヤ大学首脳と協議
17時 トマスさんと合流
17時半 夕食会
20時40分 クアラルンプール発
21時40分 シンガポール着
クアラルンプールとシンガポールへ短い出張 [2015年10月18日(Sun)]
10月18日(日曜日) 
最近、出張前に憂鬱な気分に襲われることが少なくないが、特に今回は気が重い。
その理由は分かっている。一つには、マラヤ大学とアメリカン大学の間で紛糾していた、障害者公共政策大学院(IDPP)事業に伴う予算処理の問題の解決の時期が遅れに遅れ、痺れを切らした学生達から、最後通告が届くまでになっていたからである。
出張当日の朝、アメリカン大学のデリック教授からは、漸く、最終的に決着したとの連絡が入ったが、昨夜、入れ違いに、学生達からは、新たな問題を指摘するメールが届いた。明日朝、現地で彼らと直接会って話を聞く予定だが、果して問題は解決するだろうか。
本来ならば、6月にIDPPの総会までに決着する筈だった問題である。それが、ここまでずれ込んだ上に、解決した筈の問題に、尚も双方の了解違いがあったとは、、、。果して、学生達の不満を解消しながら、両大学が納得する処理が出来るものだろうか。
今朝の空は曇っていた。気温も随分低くなって来た。17度ほどだろうか。
2015-10-18 スカイツリー.jpg
<スカイツリーも寒々しい>

機内は満席。今年はマレーシアがASEANサミットの主催国だからだろうか。ASEAN諸国間では、年二回の首脳会議以外にも、様々な大臣会合やらハイレベル官僚会議やらが頻繁に開かれている。その多くが、回り持ちのサミット主催国で開催されるからだろうか。ラオスやカンボジアのような小国や財政基盤の弱い国に取って、その負担は決して小さくないと聞く。
クアラルンプール到着直前の機内アナウンス気温は30度、天気はヘイズ(靄)?
例の、インドネシアの焼き畑に伴う煙が引き起こしている深刻なスモッグ問題が、シンガポールだけでなく、クアラルンプールにまで及んでいるのだった。
確かに、地上に着陸してみると、クアラルンプール空港の周りは濃霧のような状態だった。
タクシー乗り場を探していると、正規の係員のようなバッジを付けた男が親切そうに近づいて来た。ホテルの名前を答えると、250ドルだという。念のためと思って、両替店で相場を聞いてみると100ドル以下、とのこと。悪質な客引きだったのだ。危ない、危ない。
2015-10-18 スモッグ.jpg
<クアラルンプール空港はヘイズが立込めていた>

11時20分 成田発
17時45分 クアラルンプール着

帰国 [2015年10月12日(Mon)]
10月12日(月曜日)
2015-10-12朝の駅.jpg
<BTSの駅には時刻表はない>

バンコクの朝。起きてみると雨が降っていた。
今回は、空港タクシーは予約していないので、ホテルから最寄りのBTSの駅までは歩いて行かねばならない。5分程度の距離とは、荷物を持って傘をさして歩くのは大変だ。困ったな、と思っていると願いが通じたのか、雨があがった。
BTSとエアポートレールリンクという2種類の電車を乗りついで空港へ向かう。
時に渋滞があるので時間が読めないタクシーと違って、電車は時間が確実だし、安価なのでありがたいのだが、現実には非常に使いづらい代物だ。
2015-10-12 BTS.jpg
<エアポートレールリンクで空港へ>

バンコクの鉄道駅では一般に、エレベーターどころかエスカレーターすら限られるため、スーツケースのような大きい荷物を持っての利用は至難の業。そのような外国人旅行者が電車を利用することは全く想定外なのだとしか思えない。
だから、電車好きな私でさえも、空港と市内の往復に電車を使うのは、今回のように荷物が小さい時に限られる。
また、日本人から見て違和感があるのは、BTSの電車には出発時刻表が無いこと。
運行管理上は無い筈は無いと思うのだが、少なくとも、一般には公開されていない。乗客はひたすら何時来るか分からない電車を待つことになる。
2015-10-12 雲.jpg
<再び、雲が多くなった>

それに対し、エアポートレールリンクの電車には時刻表があるが、プラットフォームには時刻表示板は設置されていない。その代わり、次の電車まで何分という表示。パリの地下鉄と同じやり方だ。
10時半出発の羽田行きの便に乗り込む。
空路の天候は、バンコクを飛び立った直後こそは雨雲がたれ込めていたものの、その後は、概ね順調。6時間足らずの快適な空の旅。
ただ、日本が近づくと再び、雲が多くなった。6時過ぎ、曇り空の羽田に到着。

08時15分 ホテル出発
10時25分 バンコク発
18時15分 羽田着
バンコクへ [2015年10月11日(Sun)]
10月11日(日曜日) 
2015-10-11曇り空.jpg
<今日は曇り空>

朝7時15分にホテルをチェックアウトする。
飛行機の出発時間が9時50分なので、以前なら8時でも十分間に合ったのだが、余裕を見て7時半前にチョースワーミンさん運転のMILIの車でホテルを出発。
最近は渋滞が慢性化し、所要時間が読めないのだ。日曜日だから心配は無いとは思うのだが、、、。
今朝は曇り。昨日のように晴れ上がっている訳ではないが、雨でないのは有り難い。
途中、NLDの赤旗を大きくはためかせた小型トラックを追い抜く。
2015-10-11NLD.jpg
<NLDの赤旗を大きくはためかせた小型トラック>

40分ほどで飛行場に到着。
チョースワーミンさんに4日分のチャーター代金を支払う。前回はマイクロバスだったので200ドル弱だったが、今回はセダンだったためか100ドル丁度と格安。
ヤンゴン空港では、新しいターミナルの建設が進んでいる。前回の出張時には、たしかターミナル前の道路をずらし生まれた土地に、広大な駐車場が出来たばかりだったと思うのだが、今回は、さらに新ターミナルが全容を現わしていた。
10時前の便に搭乗、バンコクに向かう。
2015-10-11空港2.jpg
<空港の新しいターミナルの建設が進んでいた>

バンコクに着いた。
大きなスーツケースは、羽田へスルーで直行するよう、ヤンゴン空港で手続きをしておいたので、バンコクでのピックアップは無し。手荷物を持ったまま、空港地下にあるエアポートレールリンクの駅に直行。
今回、初めて気が付いたのだが、エアポートレールリンクの終点、パヤタイ駅にエスカレーターが出来ていた。確か、前回は無かった筈なので、この数ヶ月の間に出来たのだろうか、、、。それとも、これまで見落としていたというのだろうか。
2015-10-12セキュリティー.jpg
<BTSの乗り場でセキュリテリーチェック>

例の爆弾騒ぎの影響だろう。BTSの乗り場でも、チェックポイントが設けられ、乗客一人一人の荷物を開けてセキュリテリーチェックが行われるようになっていた。
定宿にしているホテルに、APCDの二ノ宮さんに来てもらって、来月に迫った垣内さんの来訪に向けた準備に付いての打合せ。
その後、スペシャルアドバイザーをやってもらっている渋谷さん、APCDの佐野さんもにも加わってもらい、全員で夕食を取りながらシンガポールでの障害者芸術祭について意見交換。

07時15分 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
17時 APCD二ノ宮所長
19時 渋谷さん夕食会
障害者奨学金受給学生らと懇談 [2015年10月10日(Sat)]
10月10日(土曜日) 
今朝も9時に、チョースワーミンさん運転の車でホテルを出発、セドナホテルに向かう。10時に日本財団のヤンゴン事業でアドバイザスを頂いている保健省OBのティンニュント博士と会う約束があったからだ。ところが、今朝は、土曜日。流石に、道路の混雑も無く、30分も経たないうちに着いてしまった。
セドナホテルの裏手で工事が進められていた新館が完成していた。29階建て。420室もあると言う。これまでは休館だけで366室だったというので、今回の新館増築でセドナホテルの客室は、一挙に2倍以上に増えたことになる。
2015-10-10セドナ.jpg
<セドナホテルにも新館が完成した>

数ヶ月前に、開店したNovotelを始め、これまで工事中だったホテルの新設、増設が今後、続々と完工を迎える。果して、これらのホテルが統て満室になるだけの旅行客が来るのだろうか。
ティンニュント博士と会って、The New Worldの新校舎竣工式のことなどを打合せた。
その後、MILIへ行き、障害者奨学金受給学生との懇談会に臨んだ。
現在受給中の奨学生の男女5人ずつ、10人が参加してくれた。そのうち、3人は父親や母親が付き添っていた。聞いてみると、3時間も4時間もかけて州外から駆けつけてくれた学生達も数人いることが分かった。
2015-10-10 受給生.jpg
<障害者奨学金受給学生らと懇談>

半数以上が、ポリオなどによる肢体障害だが、男女2人づつの4人は視覚障害者であった。
彼らから、大学での専攻科目や、将来の希望、奨学金や無金利融資金の使途などについて色々話してもらった。何となく、ヤンゴン市内の大学に通う学生が大半かと思い込んでいたのだが、西側に隣接するイヤワディ州の出身者が多く、この懇談会のために何時間もかけてわざわざ来てくれたのだった。
何かリクエストはあるか尋ねたところ、彼らが、口々に言ったのは、自分に給付される額を増やして欲しいという事ではなく、対象枠を拡大し、希望者がみんな受給出来るようにして欲しい、ということであった。何と心優しい人たちであろうか。
2015-10-10 記念撮影.jpg
<懇談会の後、MILI本部前で記念撮影>

夜、私の泊まっているホテルにネイリンソウさん、ユヤトゥさん、ウィンターさんらMILIの幹部達が集まった。元々は、最近、ネイリンソーさんやアンコミンさんらMILIの幹部とホテルのハッピーアワーに併せて始めた懇親会をしようということだったのだが、今回は、朝日新聞ヤンゴン支局の五十嵐支局長やイヤワディー州での学校建設事業を担当してもらっているARTIC代表の平野さんご夫妻も加わり、賑やかな会となった。
ビール好きのアウンコさんは、今回は、残念ながら体調不良により欠席。

09時 ホテル出発
10時 ティンニュント博士 
13時 障害者奨学金受給学生との懇談会
17時半 朝日新聞五十嵐支局長
技術大学義肢装具学部の学生達と会う [2015年10月09日(Fri)]
10月9日(金曜日) 
2015-10-10 タクシー2.jpg
<今日も、街中では、NLDの赤い小旗やスティッカーを付けた車が目に付いた>

今朝も、9時にホテルを出発、MILIの本部へ。
ミャンマーエイペックス銀行の関係者も集まり、障害者大学生奨学金審査に向けた意見交換を行った。21人の奨学生のうち、一人、女学生が結婚することになり、奨学金を辞退することになった、との報告を受ける。間もなく、行われる予定の第2年度の審査に向けて、日本財団としての考え方を説明。
懸案の、3000ドルを上限とするゼロ金利融資制度については最終的に、半数の10人が申請した由。4人がパソコン、4人が携帯、2人がオートバイの購入を希望している。交通事故や、盗難の場合に於ける、融資金の返済責任などの取り扱いについて意見交換をする。
2015-10-09委員会.jpg
<障害者大学生奨学金審査員らと話し合う>

その後、MILIを出て、国立リハビリテーション病院へ。義肢装具師らが作った国際NGO、エクシードのミャンマー代表のマイク・スコットさん、ミャンマー人で作業所の責任者のアルフレッドさんらに会う。垣内さんの訪問に向けた打合せの後、車椅子制作の事業化に向けた相談をする。
MILIの新事業として、車椅子制作の実現に向けて協力してもらうこと、来月のUCPのマイケルさんの国立リハビリテーション病院訪問の受け入れを快諾してもらう。
残念ながら、当初予定されていた国立リハビリテーション病院院長との面談は、彼女が急遽、保健省に呼び出されたとかでキャンセル。
2015-10-09 Mike.jpg
<リハビリテーション病院の義手義足作業所のメンバー達>

そこで、その後、マイクさんも一緒に、国立医療技術大学に向かった。ナインウィン学長に会って挨拶。すると、彼は今月末で定年退職すると聞かされる。後任は、国立医療技術大学マンダレー校の学長だとか。ナインウィン学長には、垣内さん訪問について説明し、了承を得る。
その後、医療技術大学義肢装具学部の学生達と懇談会。女生徒が大多数。男性は一名のみ。そもそも、初年度の学生16名のうち、女子が14名だったことを思い出した。新設の学科であったにも拘らず、アルフレッドさんたちの説明会が功を奏して人気が沸騰した結果、一年次の成績が良かった学生しかこの学科に進めない事になり、その結果、真面目で優秀な女学生のウエートが大きくなったのだ。
夜は、毎日新聞春日支局長と久し振りに会い、夕食を取りながら色々意見交換。
2015-10-08タクシー.jpg
<NLDの赤い旗を付けたタクシーがここでも>

09時 ホテル出発
10時 障害者大学生奨学金関係者会議
13時半 国立リハビリテーション病院 
13時半 国立医療技術大学ナインウィン学長 
13時半 国立医療技術大学義肢装具学部学生との懇談会
18時半 毎日新聞春日支局長 
MILI訪問 [2015年10月08日(Thu)]
10月8日(木曜日) 
2015-10-08 人力車.jpg
<今日もNLDの赤い小旗やステッカーを付けた車が目に付いた>

朝9時、MILIのカーレンタル事業部のチョースワーミンさん運転の車でホテルを出発、MILI本部に向かう。
昨日同様、すれ違うタクシーや乗用車などにNLDの小旗やステッカーをよく見かける。政党の宣伝カーらしき車ともすれ違った。しかし、日本の選挙風景とは少し違う。市内は選挙一色かと思っていたらそうでもない。
宣伝カーも多くはないし、日本のような各党の候補者のポスターが並んだ掲示板をみかける訳でもない。選挙を意識させられるのは、所々に政党毎の候補者の写真入りポスターを並べた看板があるのと、車の小旗と政党ステッカーくらい。しかし、小旗もステッカーも殆どのものがいかにも小さいのだ。
2015-10-07ポスター.jpg
<街中には選挙の候補者の写真看板が>

MILI本部に着いた。障害者ビジネスインキュベーションセンター(DBIC)を覗くと、5-6人のメンバーが何やら研修中だった。聞いてみると、コンピューター研修だとか。
インキュベーションセンターの隅には、なにやら刷り上がった印刷物が積んであった。来月に迫った総選挙での障害者参加を呼びかけるパンフレットだった。選挙管理委員会の発注を受けて、インキュベーションセンターで製版・印刷に出したものらしい。
そう言えば、来る途中のロータリーにMILIのメンバーのメンソーさんの大きな写真が載った看板があったが、と聞くと、それも、次回の総選挙に障害者の投票を呼びかけるものだった。やはり、選挙管理委員会の発注を受けてMILIが制作したものだった。
2015-10-10 看板.jpg
<街なかのロータリーで見つけた障害者への投票を呼びかける看板>

MILIの事務所で、先ずは、日本財団パラリンピックサポートセンターから発注を受けた、2014年の障害者芸術祭の報告書作りについて打合せ。
ただ、責任者のネイリンソーさんは体調が悪く欠席。仕方がないのでアウンコさん、ユヤトゥーさんと3人で相談する。
昼食の後、報告書の翻訳を頼んでいるエルウィンさんたちが到着し、一緒に、原稿の翻訳に向けた打合せを行った。
その後は、来月に予定しているミライロ社長垣内さんのヤンゴン訪問に向けた打合せ。最後に、車椅子制作の事業化に向けた相談。
2015-10-08MILIの二人.jpg
<MILI 幹部らと3人で相談>

3時過ぎにMILIを出て、ユヤトゥさんと国立養護学校へ。MILIが地方の若手障害者を集めて年2回行っている指導者養成研修に顔を出す。2012年から始まったこの研修も今回で10回目。これまでに、ミャンマー全土から集まった障害者の若者のリーダー200人ほどが受講し、その結果、全国に22の支部が生まれた。年内にあと2カ所に新しく支部が出来、全部で24支部、会員総数は2200人を越す見込みである。
ここでも、いつものようにスピーチを頼まれていたので、ドナーとしての日本財団の障害者支援についての哲学や、想いについて少し話した後、質疑応答をした。メンバーの中に若いお坊さんがいるのを見つけた。彼は視覚障害者だった。
今回は、質疑応答の後、全員で記念撮影。その後、数人から、私と二人で写真を撮りたいとリクエストを受ける。
ホテルに戻り、間遠所員と会い薬草事業に関して相談を受ける。その後は、垣内さんの通訳をお願いしている兵頭さんと3人で一緒に夕食を取りながら打合せ。
2015-10-08研修.jpg
<MILIの若手指導者養成研修>

09時 ホテル出発
10時 MILI本部訪問
13時 エルウィンさん
16時  指導者研修訪問
18時  間遠職員
19時  兵頭さん 
直行便でヤンゴンへ飛ぶ [2015年10月07日(Wed)]
10月7日(水曜日) 
秋晴れの寒い朝。一挙に、秋の訪れを感じる。
今回の出張の主たる目的は、ミャンマーで昨年から始まった障害者大学生に対する奨学金事業の審査委員会への出席。また、予てからの懸案事項のミャンマーでの車椅子生産に向けた協議を国立リハビリテーション病院の義肢装具作業所の責任者のマイクさんらとすることになっている。
序でに、来月末の垣内さんのMILI訪問に向けての打合せも行い、帰りは、バンコクでAPCDの二ノ宮所長らと打合せの予定。
2015-10-07ふじ2.jpg
<赤茶けた富士の山頂を下に飛ぶ>


先週の木曜日にインドネシアから帰って来て以来、風邪気味でのどが痛く、身体がだるい。その原因は分かっている。インドネシアの会議場での冷房の効き過ぎだ。熱帯アジアへの出張で繰り返し経験して来た冷房過多の問題である。
鼻が詰まり気味なので、気圧差が耳に与える影響を心配しながら飛行機に乗り込んだ。幸い、上昇時の気圧変化は何とか切り抜けた。
空は快晴で、富士山の真上を飛ぶ。冠雪はまだだったようで赤茶けた富士はみすぼらしく見えた。
2015-10-07雲.jpg
<ヤンゴン上空は雲に覆われていた>

空港には、最近いつもお願いしているMILIのカーレンタル事業部所属の運転手、チョースワーミンさんが迎えに来てくれていた。
今回は、いつもの日本財団の緑色のロゴの付いたミニバンではなく、白い乗用車。MILIが追加でヤンゴンで購入したばかりの中古車。まだ、ロゴは付いていない。
空港を出て街中に入ると、雨が降って来た。そう、まだ、ミャンマーは雨季なのだ。
通り過ぎる、タクシーの中には、アウンサンスーチー女史の政党であるNLDの赤い小旗やスティッカーを付けた車が少なくない。NLDの支援者であることを示しているのだ。そう、11月8日の総選挙まで、ついに、一ヶ月となったのだ。
2015-10-08トラック.jpg2015-10-10 ドハデ.jpg2015-10-10タクシー.jpg
<赤い小旗やスティッカーを付けた車が目に付いた>

11時00分 成田発
15時40分 ヤンゴン着
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