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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ジャカルタで有名財界人に面会 [2015年09月30日(Wed)]
9月30日(水曜日) 
今日も、ICEVIの地域会議は続いているのだが、私は、ジャカルタで今日の午後、ある人物に会う約束があった。
そのため、今日の会議には参加せず、朝食の後、参加者に別れを告げた。
これから、空港に向かうのだが、その途中、立ち寄るところがあった。
バリ空港に出迎えてくれたアビさんたちが働いている地元のNGO、プスパディ・バリが運営している義肢装具クリニックである。
朝、8時、ホテルに迎えに来てくれたアビさんと一緒に、ホテルがチャーターしてくれた車に乗り込んだ。
2015-09-30 AnnikaLindenCenter.jpg
<素晴らしい建物、アニカ・リンデン・センター>

連れて行かれたところは、予想に相違して、とてもしゃれた建物の中にあった。それはアニカ・リンデン・センターと名付けられた近代的な施設である。
非常に美しいデザインの素晴らしい建物の名前の謂れとなったアニカ・リンデンさんは、10年前の2005年にバリ島のカフェで起きたテロの犠牲となった20代の女性であった。
彼女の早過ぎる死を悼んだ婚約者が呼びかけた寄付金を基に作られた建物に、アビさん達が働く義足のクリニックやリハビリ施設が入居していた。
JSPO同期生の女性義肢装具師のシルビアさんも加わり、二人が所内をあちこち案内してくれた。
2015-09-30 youngPOs.jpg
<クリニックを案内してくれたJSPOの卒業生の二人>

その後、所内のカフェテリアでアイスティーを飲みながら話しを聞いた。
彼らは、今の仕事にも職場にも本当に満足しているというので、将来の夢を聞いた。海外で活躍したいという。同じJSPOの先輩でやはりここで暫く働いていた人が、彼らより一つ上の国際資格であるカテゴリー1級を目指してバンコクのマヒドン大学で学んでいるので、自分たちもその積もりだと言う。家族も応援してくれているという。
私たちがジャカルタで始めた義肢装具士学校の卒業生が活躍することで、非業の死を遂げた一人のオーストラリア人女性を取り巻く人たちの想いが生かされていることに感動した。
2015-09-30 Bali Sea.jpg
<空港へ向かう道すがら海が見えた>

彼らと別れて空港へ向かい、ジャカルタ行きの便に乗り込んだ。
一時間半のフライトでジャカルタに移動。飛行場にはインドネシア盲人協会の幹部のマレッタさんが迎えに来てくれていた。
渋滞が心配と言いながらホテルに急いだ。時には、二時間半以上もかかるという空港から市内中心部へのルートであるが、今日は殆ど渋滞もなく1時間もしないでホテルに到着。
ところが、ホテルの中は政府主催の催し物の最中とかでごった返していた。部屋に入ることも出来ないので、荷物をコンシエルジュに預けて出かけた。
2015-09-30 House.jpg
<市内中心部にある広大なボブハッサン邸>

インドネシア盲人協会経由で約束を取り付けてあったのは、インドネシア財界の超大物、ボブ・ハッサン氏。スハルトの右腕として活躍した政商である。彼は、何と、永らくインドネシア盲人協会の後援会長を務めてくれているという、
会ってみると、冗談好きのとても気さくな人物であった。84歳という歳が信じられないほど、エネルギッシュである。インドネシア盲人協会と協議を進めている盲人用伝統医療マッサージ学校プロジェクトにつき説明し、彼の協力を仰いだ。
始めのうちこそは、懐疑的な質問が投げかけられたが、最後には、納得して協力を約束してくれた。次回のインドネシ訪問時には彼の友人の財界人達を紹介してもらえることになった。
2015-09-30 BobHassan.jpg
<ボブハッサンさんを囲んで>

8時 ホテル出発
8時半 プスパディ・バリ訪問
11時50分 デンパサール発
12時50分 ジャカルタ着
13時半 ホテル出発
14時半 ボブハッサン氏訪問
ICEVIの地域会議で表彰状を受け取る [2015年09月29日(Tue)]
9月29日(火曜日) 
2015-09-29 hotel.jpg
<朝起きてみると素晴らしいリゾートホテルだった>

昨夜アビさんに送ってもらってホテルにチェックインしたのは真夜中の12時過ぎだったので、暗くて良く分からなかったのだが、朝起きてみると素晴らしいリゾートホテルだった。さすがは、インドネシアが誇るリゾート、バリ島だけのことはある、と感心。
夏休みのハイシーズンが終わったばかりのオフシーズンなので、格安の料金で利用出来るということのようだ。今回のように国際的な会議がリゾートの立派なホテルでオフシーズンに開かれるのには、このような背景がある。
2015-09-29 reception.jpg
<ICEVI地域会議の会場>

国際視覚障害者教育評議会(ICEVI)の会場に入ると名誉会長のラリーさんが私を見つけ案内してくれた。今回の地域総会の出席者は約250人だとか。
ICEVIの会長のコリン・ロー男爵に紹介され挨拶する。私にとってはロー会長に会うのは初めて。彼は、自らも視覚障害者。英国の視覚障害者会を代表して貴族院議員である。
国際視覚障害者教育評議会(ICEVI)は50年以上の歴史を誇る組織。日本財団は2007年から、ここと連携して東南アジア6カ国の大学生に対する支援を行って来た。
インドネシアの民族舞踊団による舞踊を合図に会議が始まった。
2015-09-29 openingdanse.jpg
<ICEVI地域会議オープニングセレモニー>

ICEVI地域会議の冒頭でICEVI特別賞授賞式が行われた。
今回、ICEVIが特別表彰の対象に選んだのは日本財団。ICEVIは、笹川会長の出席を求めて来たのだが、最近、笹川会長は日本政府のミャンマーの和解交渉特別代表として、日程が非常にタイトであるため、私が代理で表彰状を受け取ることになったもの。
日本財団がICEVIと連携して行って来た東南アジア6カ国の大学生に対する支援事業の対象となった大学生は合計で約1500人。その最大の受益者はインドネシア人だ。
というのも、最初に手掛けた国がインドネシア。今では、ジャカルタ、ジョグジャカルタ、バンドンなどの大学がパートナーとなっている。
2015-09-29 conference hall.jpg
<ICEVI特別賞授賞式>

私の名前が呼ばれて、壇上に。会長のコリン・ロウ男爵から表彰状を受け取り、簡単なスピーチをして式典は終了。
表彰式の後、国際視覚障害者教育評議会の地域総会が始まった。
ICEVIの地域会議は4年に一回開催されているそうだが、私の出席は今回が初めて。今日の会議の後半には、パネリストとしても参加、ドナーの立場から視覚障害者支援の今後の展望などについて話した。
会場では、インドネシアのアリアさん、マレーシアのラヒムさん、カンボジアのエルベさんなど知っている人が何人もいた。それぞれに呼び止められて話し込む。
2015-09-29 opening.jpg
<ICEVI地域会議には約250人が参加>

夜は、バリ州知事主催の夕食会が開かれた。
夕食会の会場はもとのバリ国王の宮廷の中庭。今では、州知事の公邸になっているのだそうだ。バリの歴史を忍ばせる荘重な建物は、オランダ軍の破壊の後修復されたものだとか。
夕食会会場に向かうためのバスの中で、旧知の堀内佳美さんに会った。
盲人でありながらタイの子供達のためにチェンマイで活躍している彼女と会うのは久し振り。
彼女には2ヶ月後に計画している垣内さんのバンコク訪問では通訳を務めてもらう予定。
バスの中で、隣同士に座って打合せをすることが出来た。
2015-09-29 banquet.jpg
<バリ州知事主催夕食会>

9時 ICEVI特別賞授賞式
12時半 ラヒムさん
13時 ICEVI地域会議
15時 クルサットメイ代表エルベさん
19時 ホテル出発
19時半 バリ州知事主催夕食会

引き続いてのインドネシア出張 [2015年09月28日(Mon)]
9月28日(月曜日) 
2015-09-28 sekirannunn.jpg
<途中は台風の影響で上空まで積乱雲>

一昨日、26日の土曜日にニューヨークから戻ったばかりだが、今日からはインドネシアへ。
と言っても、3泊4日の短いインドネシアだけの単独出張。その目的は国際視覚障害者教育評議会(ICEVI)のアジア地域総会に出て、笹川会長の代理として、特別表彰に臨むこと。その会場は有名なリゾートのバリだ。ただ、そこでは2泊だけで、帰り道にジャカルタで大物財界人のボブハッサン氏に会い、もう一泊することになっている。
戻って来たばかりの成田空港からジャカルタ行きの便に乗り込む。
2015-09-28 blue.jpg
<その後は、晴れ上がった>

インドネシアに向かって南下する。途中の空は、フィリピンの近くまで、台風の影響で上空まで積乱雲が伸びていた。機内も少し揺れる。しかし、その後は、雲もなくなり、きれいな青空が続いた。
ところが、ジャカルタ上空に来ると、そこは、靄が立込めた世界であった。
なぜ。最初は単なる天気の問題かと思ったが、それは、インドネシア西部を中心とする地域での焼畑による煙がもたらした深刻な煙害によるものであった。
ジャカルタ空港に到着すると、荷物引き取り場を抜け、国内線への乗換え口へ。デンパサール行きの国内線に乗換えるためだ。
2015-10-01 hazy.jpg
<ジャカルタ上空は視界不良>

途中、国際線の荷物引き取りカウンターはとても混雑していた。イスラム教徒の帽子を被った男性が大勢いる。到着便の案内板を見ると、サウジアラビアの都市、メダンからの便であった。イスラム教徒の整地、メッカ詣でから帰国した人たちであった。
おりしも、メッカでは信徒が将棋倒しになる事故が起きて数百人が亡くなったばかり。このうち、インドネシア人も二つのグループが巻き込まれ、50人近い死者が出たんだとか。今日ここに無事帰って来た人たちは幸運な人たちなのであった。
2015-09-28 Medina.jpg
<国内線への乗継ぎは大混雑>

デンパサールに着いたのは、現地時間の夜中近い11時。
出迎えはあるとは聞いていたが、宿泊先のホテルの車かと思っていたら何と、日本財団がジャカルタで支援して来た義肢装具士学校JSPOの卒業生だった。アビさんは、JSPOの4期生、一年前に卒業し、故郷のジャカルタから遠く離れたバリ島で頑張っているのだった。
今回は、ICEVIの呼びかけに応じてボランティアとして手伝うことになり、今夜は2年前のJSPOの卒業式で会っているということで、今夜、私を空港に出迎える役を引き受けてくれたのだった。
明後日までの滞在中に彼の働く作業所を訪問することを約束して別れた。

10時50分 成田発
16時35分 ジャカルタ着
19時55分 ジャカルタ発
22時55分 デンパサール着
成田エクスプレスの進化 [2015年09月26日(Sat)]
9月26日(土曜日)
空を飛ぶこと15時間。飛行機は厚い雲を分け入るように降下した。定刻より早く12時過ぎに、成田に到着。着陸して見ると地面は濡れていた。
時計を見ると、当初予定していた成田エクスプレスより、うまく行けば一便早い列車に乗れるかも知れないことに気が付いた。幸い、今回は短い出張だったので、荷物は機内持ち込みのみ。
うまく行けば間に合うかも知れないと、急ぎ足で構内を歩く。しかし、JRの成田空港第2ターミナル駅に着いた時には、出発時間が数分後に迫っていた。窓口は勿論、自動販売機でも指定席券を買っていると間に合わない時間だ。そこで、切符を買わずSuicaを使って改札を通り、プラットフォームに駆け込むと列車が停まっていたので、そのまま飛び乗った。
2015-09-26 ticket.jpg
<車内で発行された特急券>

これまでは、オール指定席の成田エクスプレスは事前に指定席を買わないと乗れないとされていたのだが、最近「自由席」が出来たと聞いていたからだ。車内で調べてみると、3月14日のダイヤ改正で出来たのだった。
車内で間もなく検札に来た車掌から品川までの自由席特急券を買うことが出来た。ところが、私が飛び込んだ車両は新宿行き。品川には停まらない。前半の大船行きの車両に移動する必要がある。ここで、もう一つの「改革」に気が付いた。以前だと、前半の6両と後半の6両の間には連結通路が無く、東京駅で一旦、プアットフォームに降りて、乗り換える必要があったのだが、車掌さん曰く、「この列車は繋がっているので、移動出来ますよ」。本当だった。連結部分を移動出来るようになっていた。
第2ターミナルの無人トラムの廃止と並ぶ、嬉しい「改革」が行われていたのだった。
2015-09-26 coneccting.jpg
<成田エクスプレスの連結部分が通路で繋がっていた>

12時5分 成田着
そして帰国へ [2015年09月25日(Fri)]
9月25日(金曜日) 
2015-09-25 papalvisit.jpg
<昨日のローマ法王の動きを伝えるニュース画面>

無事、国連のイベントも終了。国立聾唖理工学院NTIDのあるロチェスターに向かった石井部長らと別れて、私は一人で帰国の途へ。朝6時過ぎ、ホテルの前からタクシーに乗り込む。
運転手はパキスタン人と名乗る。何人だと聞くので、日本人だと応えると、「日本人は好きだ」と真顔で言うので「本当?」と茶化すと、「本当だ。だから、独学で日本語と、日本史を学んだ」という。そのうち、ワールドトレードセンター事件が実は、米国のCIAが仕組んだ陰謀だという話を知っているかと、陰謀説を力説。ユダヤ人は事前に知らされていて被害者はいなかったのだと、イスラム教徒が好みそうなストーリー。余りに、話に力が入り過ぎて、運転が疎かにならないか心配になるほど。
米国に長年住んでいるというのに、未だに、イスラム教徒を貶めるための陰謀説を信じるパキスタンからの移民と、カトリックではなくてもローマ法王に跪かんばかりのキリスト教徒達。移民の国、アメリカを分断する宗教の闇の深さを再認識させられた朝だった。
無事、空港に着き、9時半の便に乗り込んだ。
2015-09-25 globe.jpg
<ニューヨークを出て高度1万メートルの上空を飛ぶ>

06時15分 ホテル出発
09時30分 ニューヨーク発
障害者サイドイベントは大成功 [2015年09月24日(Thu)]
9月24日(木曜日)
2015-09-24 NoStopping.jpg
<市内は厳戒態勢>
 
朝、9時半、ガレーゴス大使と彼にお願いしている日本財団の顧問契約について、手続き面の打合せ。その後、10時からは、総合司会の渋谷さん、スペシャルリポート発表者のコグバーン教授、パネル司会のガレーゴス大使ら今日午後からの障害者サイドイベントの関係者に集まってもらい、段取り確認のための打合せ。
その後は、ガレーゴス博士と石井部長の三人で昼食を取る。場所は、国連本部に近いスペイン料理店。ガレーゴス大使のおなじみの店。
ローマ法王のニューヨーク訪問のためか、はたまた、国連総会のせいか、市内は厳戒態勢。あちこちに、臨時の駐車禁止のポスター。
にも拘らず、レストランへ向かう道すがら信じられない光景を目撃。路上荒らしの現場だった。
2015-09-24 cartheft.jpg
<車上荒らしの被害にあった車が、、、>

路上に駐車してあった車の運転席脇の窓ガラスが粉々に割られていた。警察に連絡済みか、はたまた、所有者自身が気付いていないのかは分からないが、過ぎ近くに、警備中の警官の姿があるのだが、車は荒らされたままの姿。信じられない、、、。
食事の後、午後1時前に、ガレーゴス大使と一緒に国連本部へ。今日は、国連本部前は完全に通行禁止。いつもは、正面玄関の前で中国人観光客が大勢で記念写真を撮っているのだが、今日はゼロ。
定刻の午後2時きっかりに、障害者サイドイベントが始まった。
冒頭に共催者である日本政府国連代表部を代表して齊藤公使が挨拶。エクアドル政府の代表者、国連経済社会局の伊東さんと続く。
2015-09-24 event.jpg
<障害者サイドイベント始まる>

基調講演はUNESCOのエンギダ副総裁、UNESCOのナンバー2だ。エンギダさんには、会議の直前に挨拶した。彼が、エチオピア人だと言うことで、笹川アフリカ協会のことを話題にすると、「勿論、知ってますよ」との返事。「メレス前首相が熱心でした」とおっしゃる。
エンギダ副総裁、世界銀行の幹部からのスピーチの後、IDPPのコグバーン教授が特別報告。
その後、ガレーゴス大使をモデレーターに障害者当事者団体の代表らを交えてのパネル、と続いた。
世界銀行障害問題顧問シャーロットさん。上司の部長も参加してくれた。
参加者は聴衆も含めて50名ほど。聴衆の中には、アンティグアバルブーダ国連代表部ウェブソン大使 の顔も見えた。彼自身も視覚障害者だ。
2015-09-24 UNESCO.jpg
<サイドイベントで基調講演をするUNESCOの副総裁>

サイドイベントが終わると、聴衆の中の何人もが、パネリスト達を取り囲んで口々に、賞賛の言葉を投げかけた。そのうちの一人は、こう言った。「私はこれまで色々なサイドイベントに出て来たが、これまで、今日のような素晴らしいのに出会ったのは初めてだ」
会議の様子は、いつものように国連のケーブルテレビが撮影。今回は、それだけではない。IDPP(障害者大学院大学)の学生達がマレーシアからオンラインで傍聴した。
今回のサイドイベントは大成功に終わったと言えよう。
夜は、渋谷さんと二人だけで、夕食を取りながら打合せ。
2015-09-24 online.jpg
<IDPPの学生達がオンラインで傍聴>

09時半 ガレーゴス大使打合せ
10時 障害者サイドイベント準備打合せ
12時 ガレーゴス大使と昼食
14時  障害者サイドイベント
18時 渋谷さん打合せ夕食会
明日のサイドイベントに向けて打合せ [2015年09月23日(Wed)]
9月23日(水曜日)
2015-09-23 blue sky.jpg 
<ニューヨークの今朝は好天>

昨日は曇り空だったニューヨークだが、今朝は青空。気温は18度と昨日の東京より7度ほど低い。秋の気配を感じる。
朝食の後、渋谷さんと二人で、障害者関係のいくつかの事業について打合せ。最近、日本財団スペシャルアドバイザーに就任して頂いた渋谷さんには、明日のイベント「2030年SDGとグローバルガバナンスにおける障害者の完全参加に向けて」の総合司会をお願いしている他、2017年にシンガポールでの開催を予定している障害者芸術祭や、世界の有力な助成財団と共同しての障害者インクルーシブキャンペーンの働きかけなど、いくつかのテーマの担当をお願いしている。
午後からは、障害者公共政策大学院大学(IDPP)事業の責任者のアメリカン大学准教授デリックさんと打合せ。明日の障害者イベントの目玉は、彼が担当して纏めてくれた障害者の国連活動参加に関する現状分析と提言。その英語のタイトルは「Accesible Global Governance: The Invisibility of Personas with Disabilities」。
2015-09-24 police.jpg
<ローマ法王の来訪を控えてニューヨーク市内は厳戒態勢>

今日は、それとは別に、障害者公共政策大学院大学(IDPP)事業の現地側パートナーであるマラヤ大学とアメリカン大学の間で現在、問題になっている昨年度予算の未決済分の処理についての聞き取り調査がむしろメインテーマ。
現在、マラヤ大学に請求書の洗い出しを進めてもらっており、この問題を早急に解決した上で、来月にも、一緒にマラヤ大学に出向き、来年度に向けたIDPPのASEAN University Networkへの編入に向けた計画を話し合うことになった。
夕方、私は日本財団の石井部長らと一緒に日本政府国連代表部へ出向き、斉藤公使と面談。今回のサイドイベントの共催を快く引き受けて頂いたことのお礼と、障害者問題への取組みの背景と今後の方針に着いて説明、今後も引き続き支援して頂くことになった。
夜は、エクアドルから駆けつけて頂いたガレーゴス大使も交えて、明日のイベント関係者を招いて日本料理店で夕食会。
2015-09-23 hotel.jpg
<これが今回宿泊したホテル>

09時半 渋谷さん打合せ
14時 デリック・コグバーン教授打合せ
16時 ホテル出発
16時半 日本政府代表部訪問
18時半 夕食会
再び、ニューヨーク国連でのイベントへ [2015年09月22日(Tue)]
9月22日(火曜日) 
2015-09-22 narita.jpg
<夕方の便で成田を出発>

6月に続いて、再び、国連での障害者イベントでニューヨーク出張。
G8社会的投資タスクフォースでのカナダ行きを兼ねていた前回とは異なり、今回の行き先はニューヨークのみ、26日まで5日間の短い出張だ。来週から始まる国連総会を前に、日本財団が国連経済社会局(UNDESA)、日本政府代表部と共催で行う公式サイドイベントに出席する。
夕方6時半に成田を発って、ニューヨーク着はその同じ日の午後6時20分。何と、時差の関係で出発とほぼ同じ時間の到着になった。ニューヨークの天気は曇り。夕暮れというせいもあって、市内はどこか冴えない薄暗い印象だ。
米国に向かう機内で読んだ日本の新聞には習近平主席の訪米と国連総会出席が取り上げられていた。何と、習主席の米国滞在期間は9月22日から26日と、私の出張期間と全く同じ。尤も、彼の行程はシアトル、ワシントンDC、ニューヨークなのだが。
2015-09-23 NewYork.jpg
<ニューヨークは曇り空だった>

ところが、ホテルのテレビを点けてみると、アメリカのテレビは別の人物の訪米で大騒ぎしていた。ローマ教皇が訪米したのだった。法王の日程も9月22日から27日(ワシントンDC、ニューヨーク、フィラデルフィア)とほぼ重なり合う。
日本を出る時点では、習近平主席の訪米が米国のマスコミのトップニュースになるものとばかり思っていたのだが、全く外れたようだ。一説によれば、米国政府が意図してこのような日程を中国側に提示したのだとか。余り成果が期待出来ない習近平の訪米に、米マスコミの関心が向けられないようにとの思惑からなのだとか。
いずれにしても、米国はキリスト教徒が圧倒的多数を占める国ではあるが、その中心はプロテスタントの筈。カトリックは、たかだか、人口の20%に過ぎないというのにこの騒ぎは信じられない。
2015-09-22 Pope.jpg
<米国のテレビはローマ法王一色>

18時25分 成田発
18時20分 ニューヨーク着
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