CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2015年06月 | Main | 2015年08月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2015年07月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
プチ観光(?)でストランドホテルへ [2015年07月31日(Fri)]
7月31日(金曜日) 
731SPagoda.jpg
<シュウェダゴンパゴダは大混雑>

ミャンマーは今日は休日。Wasoという満月のお祭りなのだそうだ。
ミャンマーの休日は、仏教行事と結びついているものが多い。7月の満月から10月の満月までの3ヶ月間は、雨季に僧侶がお寺にこもって修業に励む期間。禅宗などでは安居(あんご)と呼ばれ年に2回行われるという。
安居の始まりの月の満月には僧侶に僧衣を進呈し、一方、雨安居が終わる満月の夜には、川に灯篭を浮かべ、参道や家をろうそくやランプの明かりで飾るなどの行事を行う。今日がその、安居の始まりの満月の日なのだそうだ。
渋谷さんと私は、このお祭りの様子を見にシュウェダゴンパゴダに出かけることにした。案の定、パゴダの前は大混雑していた。中に入るのは困難と見て、写真を撮っただけで、早々に退散。
731StrandHtl.jpg
<ストランドホテルの外観>

折角の機会なので、渋谷さんに英国植民地時代の面影を残すヤンゴン随一の格式を誇るストランドホテルに案内することにした。1901年に、シンガポールのラッフルズ・ホテルなどを手掛けたサーキーズ兄弟が建設。当時は、英国植民地時代にはスエズ以東最高のホテルと言われた。第2次大戦中は日本軍が接収(1942)、ヤマトホテルと改称され、日本の帝国ホテルが経営していたという。
ジョージオーウェルや、キプリング、サマーセット・モームらも宿泊したと言う歴史的なこのホテルは、今も、ヤンゴン川に沿って走るストランド通りに優雅な姿をとどめている。3階建てのこじんまりした建物に、全32室。すべてがスイートルームである。
ストランドホテルの内部を見学した後、エヤワディー州で日本財団などの資金で学校建設をしてくれている平野さんの団体ARTICの事務所に向かった。
731StrandLobby.jpg
<ストランドホテルの内部>

11時半の約束だったのだが、休日のせいか道路が思いのほか空いていたので11時にはARTICの入っているビルに着いてしまった。電話をしてみると、幸い平野さんがいらしていて良いですよと言ってくれたので、事務所を訪問することが出来た。
このビルの1階と2階にはセンギハ‐というヤンゴン市内で7店舗を展開する中堅スーパーが入っている。このスーパーは、平野さん達のやっている学校建設の事業のことを知って、制服の買えない田舎の子供たちのために、お古の制服などの寄付を呼びかける協賛キャンペーンを、スーパーの各店舗でやってくれたと言う。
そして、最近、関連メーカー3社も含め、総勢60人ほどの社員たちが、3時間バスに揺られさ、らにそこから船に乗り継いで、2つの学校を訪問、480人の生徒たちのために中古の制服や、ノートやペン、お菓子などを寄付してくれたとか。
731SGHsuper.jpg
<Arctic事務所が入っているビル>

平野さんのオフィスを出て外のカフェで簡単な昼食を取った後、ホテルに戻り、J-Satの西垣さん達とのミーティングに臨んだ。テーマは、現在進行中の伝記まんがプロジェクトに関するもの。
その後、MILIの幹部に集まってもらい、11月末に予定している再研修や、そこに、ミライロの垣内社長を呼んでくることについて、日程や、マスコミ対策など、準備のための段取りなどを話し合った。
また、日本財団パラリンピックサポートセンターの小倉理事長から依頼された、ミャンマーで昨年と一昨年に行った障害者芸術祭に関する報告書の制作についても打合せ。
その後は、いつものハッピーアワー。身体を壊したと言っていたネイリンソーさんはどうやら復活、元気に参加。一方、ビール好きのアウンコさんが、入れ替わりに不調になったと今日は欠席。
ミャンマーでは雨続きの「低気温」のせいで体調を崩す人が多いのだとか。
731Artic.jpg
<Arcticの事務所の入口、日本財団の看板も>

09時 ホテル出発
11時 ARTIC訪問
14時 西垣さん
16時半 MILI幹部打合せ
17時半 MILI幹部と懇親会
1876コールセンターを訪問 [2015年07月30日(Thu)]
7月30日(木曜日) 
朝11時にホテルのロビーで日本財団ヤンゴン事務所の所長代理に昇格したばかりの梅村職員と落ち合う。そこへ、MILIのネイリンソーさんが、ウィンタールーさんと一緒にやって来た。帰省先のカナダから今朝、到着したばかりの日本財団スペシャルアドバーザー、渋谷さんも合流して、少し早めの昼食をとる。
12時になった。梅村所長代理と分かれて、渋谷さんと私たちは、MILIの貸し切りタクシーでミャンマーエイペックス銀行へ向かった。
資産規模でミャンマー第4位の商業銀行であるエイペックス銀行は昨年から始まった日本財団による障害大学生の奨学金事業のパートナー。一人につき、3000ドルを上限に無利子で学習用機材の購入のためのローンを提供してくれている。同行はまた、来月から稼働する予定のコールセンターで、当初職員の約半数に当たる10名の身体障害者を採用してくれている。トレーニングルームにお邪魔し、トレーニングの様子を見学、訓練生と雑談のあと、記念撮影。
730training.jpg
<MABコールセンターの開設に向けて訓練中>

その次に我々が向かった先は、Blue Oceanコールセンターというところ。ここでは既に36人もの障害者が働いている。そのきっかけとなったのは、昨年3月、日本財団の助言でMILIが開催した障害者インクルーシブビジネスに関するワークショップだという。
このワークショップは、ベトナムやカンボジアなど周辺国で障害者でありながら事業家となって活躍している先駆者を10人ほど招いて、自らの経験を語ってもらうというもの。この場には、ミャンマーのビジネスマンたちを招待した。その中に、このBlue Oceanコールセンターの経営者も来ていたのだと言う。そして、早速自分のコールセンターに障害者を雇用すると言う決断をし、MILIに連絡してきたのだそうだ。
この会社の設立は4年前の2011年末。国営電話会社のMPTとBlue Ocean、イエローページ社、航空会社のアジアンウィングなど計15社の共同出資で創られた。
730callcenter.jpg
<Blue Oceanコールセンター内部の様子>

コールセンターは通信省の敷地に作られた体育館のような大きなビルの中にあった。
内部を覗くと、中央の大広間にずらっと一人一人つい立てて仕切られたスペースが作られ、デスクトップコンピューターの画面を見つめる数百人もの若い男女社員の姿があった。また、周囲には、個別企業の名前を科したガラス張りのブースが並び、その中にも若い男女が座っていた。これらは、それぞれの契約企業から派遣された社員だとか。
顧客からの電話番号案内、留学斡旋、旅行、航空券発券などに関する質問に答えるほか、テレマーケテリングなども請け負っている。
サービスは何と24時間態勢。今では700名ものオペレーターが対応。ミャンマー語だけでなく英語でも対応している。サービスは有料で、電話番号が1875と1876の二種類あり、それぞれ別の料金だが、課金は電話料金に加算されて徴収されているという。
ちなみに、1876の由来は、グラハムベルが電話を発明した年なのだとか。
730hotline.jpg
<1876の意味?>

2か所のコールセンターの見学を終えて、我々はヤンゴンの北部インセイン地区にあるMILIの本部に向かった。ところが、なぜかこんな時間に道路は渋滞。本来ならが30分ほどで十分の距離が1時間半もかかってしまった。
MILIの本部に到着すると、20名ほどのスタッフが我々を待っていてくれた。設立後4年の新しい組織であるが会員数は2196人、全国12の州に22の支部、46人のスタッフを抱える組織に成長した。
挨拶もそこそこに、日本語のうまいユヤトゥさんの解説で、ビデオプレゼンテーション。彼らの、ビジネス事業について説明を受ける。
それによると、彼らの初年度売り上げは5万ドルにも達したという。その活動は、場所貸し、トレーニング、プリントショップ、職業斡旋など。既に、職業斡旋実績は36名。コンピュータートレーニングの卒業生は27名。
730MILI.jpg
<MILI本部スタッフに挨拶>

ビデオによるプレゼンの後は、スタッフたちがそれぞれ自己紹介。その後、渋谷さんは事務所の内部、録音用のスタジオや、インキュベーションセンターなどを見学。その間に私は、MILI幹部の連中と、実務打合せ。
MILI本部訪問を終えて、次に、渋谷さんと私が向かったのは、セドナホテル。盲人マッサージ事業の責任者であるアウンミン博士らと会うためである。
一時間くらいかかるかもと余裕を持って出発したのだが、混雑していたのは反対車線。30分ほどで着いてしまった。本当に、時間の読みは難しい。これも、確実に経済的な損失。
渋谷さんにアウンミン博士を紹介。私は、ティンニュント博士を正面玄関で待つ。セドナホテルの裏手に新館ビルが工事中だったのだが、年内の竣工とかで29階建てのビルは全容を見せていた。新館だけで420室もあるそうな。一挙に客室数は2倍以上に増えて大丈夫なのだろうか。道路を隔てた向かいのはベトナム資本による巨大なビジネスコンプレックスが完成間近か。こちらにも、大きなホテルが出来るらしいのだ。

11時 梅村所長代理らと昼食 
12時 ホテル出発
12時半 MABコールセンター訪問
14時 Blue Oceanコールセンター訪問
16時 MILI本部訪問
18時 アウンミン博士
久し振り(?)のヤンゴンへ [2015年07月29日(Wed)]
7月29日(水曜日) 
今朝の気温は27度。昨日までの熱波がうそのようだ。久し振りにエアコンを入れずに、窓を開け放し外の空気を感じながら朝食。今日からミャンマー、マレーシア出張が始まる。
日本からヤンゴンへの直行便は、唯一、全日空の成田からの便があるのみ。他に、事前の立ち寄り先がない時は、私は、最近は専らこの直行便を利用することにしている。また、朝の通勤ラッシュの時間帯に大きな荷物を持って電車に乗るのは大変なので、事前に宅急便で空港まで荷物を送っておくようにしている。今日も、私はこのスタイルでキャリーバッグ一つを持って最寄駅から私鉄電車。品川で成田エクスプレスに乗り換えて、成田空港に向かった。
成田から乗り込んだ直行便は、7時間弱のフライトの後、ほぼ定刻にヤンゴン空港に到着。直行便は流石に楽だ。
729YGNairpt.jpg
<ヤンゴン空港は雨に煙っていた>

ミャンマーは今、雨季の真っ最中。
一般に、東南アジアの雨季は日本の梅雨とは違って、一日、雨が降ったりやんだりではなく、普段は、晴れ上がり、日差しも強く、最高気温は軽く30度を超えている。ところが、そんな青空を、突然、雨雲が覆い被さり土砂降りの雨が降り出す。即ち、スコールである。しかし、せいぜい一時間もすると、スコールが終わり、再び、灼熱の太陽が顔を出す、というパターン。
そんな訳で、今回もヤンゴン空港では、何となく暑い日差しを覚悟していたのだが、案に相違して、ヤンゴンの空港はしとしと雨に煙っていた。
729bus.jpg
<雨は止んだが、、、>

空港には、事前に現地の障害者団体MILIに予約しておいた車が待機していた。日本財団がMILIに寄付した6台の中古車のうちの4台を使って彼らが始めた、予約タクシーサービスの車である。運転手のチョーさんは英語の上手な若者であった。
空港の外に出てみると、雨はやんでいた。しかし、空はまるで日本の梅雨空のようにどんよりしている。外気温は日本を出発した時と同じくらいか、それよりも低いくらい。
6月に仕事の担当が代わったため、このところ、少しヤンゴンから足が遠のいていた。前回の出張からは丸2ヶ月振り。暑さが厳しかった前回の記憶を引き摺っていた私には、拍子抜けするような「涼しさ」だった。
729MegaPrjct.jpg
<巨大なビジネスコンプレックスの竣工も近い>

11時00分 羽田発
15時40分 ヤンゴン着
羽田に到着 [2015年07月12日(Sun)]
7月12日(日曜日) 
定刻の午後3時00分より、45分程早い2時15分に 羽田空港に到着。
通間カウンターを抜けたあと、いつものように、そのまままっすぐ地上階へ向かう正面のエレベーターに向かう。
真ん中のスペースには季節あわせた飾り物がディスプレイされているのだが、前回の先月の出張の帰りに見たのは確か武者人形だった筈。今日は、なにやら巨大な赤い箱のようなものが置かれ、その周りを色んな食べ物が囲んでいた。よく見ると、赤い箱のようなものは電気釜のレプリカ。それを取り囲むように並んでいたのは、お米を使った日本料理の数々。日本の電器メーカーによる電気釜の宣伝キャンペーンだった。
05-12haneda.jpg
<羽田空港のディスプレイは巨大な電気釜>

15時25分 羽田着
TGVは時速300キロ [2015年07月11日(Sat)]
7月11日(土曜日) 
帰国の朝。そろそろ、日本時間に身体を再調整しなくてはならない。
昨晩は、早めに夕食を済ませ、9時過ぎには床に就いたので、夜中の3時頃に目を覚ました。その後はずっと、眠らないでメールに返事を出したりしてそのまま朝を迎えた。
ジュネーブは今日も快晴。空には雲一つない。気持ちの良い朝だ。
出発まで少し時間があるので、散歩に出かけることにした。ホテルのすぐ前にあるジュネーブ駅に行く。ヨーロッパの駅は改札が無いので自由にプラットフォームに入ることが出来る。下見を兼ねて、電車や乗降客の様子を眺める。
07-11 morningsky.jpg
<今朝も雲一つない快晴>

今日のジュネーブからの出発は飛行機ではなくて列車だ。日本へ直行する飛行機はジュネーブからは出ていない。普通は、ロンドンか、フランクフルト、あるいはパリに出て、帰国便に乗継ぐことになる。
今回の帰国便はパリからにした。その理由は、UNESCOのインドラジットさんや、フランス滞在中の英国人弁護士のジョンさんと会おうと考えていたからだ。
ジュネーブからパリへは飛行機ではなく、フランスの超特急であるTGVでパリのリヨン駅まで行くことにした。インドラジットさんや、ジョンさんらとパリ市内で会うにはその方が便利と考えたのだったのだ。
07-11 COOPtrain.jpg
<ジュネーブ駅の朝>

ところが、その後、UNESCOのインドラジットさんは急遽、カナダへの出張が入りキャンセル。前回はロンドンで会ったジョンさんは、現在はカルカッソンヌに滞在中。一旦は、パリに出て来れそうだったのだが、フランスではバカンスシーズンが始まって、列車の切符が買えないと断念した、と連絡が入った。
これでは、わざわざ列車にした意味が無くなってしまった。幸い今回は大きい荷物がないので列車での移動もそれほど大変ではないが、大きい荷物があるときは、列車での旅は大変だ。
朝9時過ぎにホテルをチェックアウトし、ジュネーブ駅に向かう。列車は定刻の9時42分、ジュネーブ駅を出発した。
07-11 river.jpg
<絵のように美しい田園地帯を走る(1)>

07-11 landscape.jpg
<絵のように美しい田園地帯を走る(2)>

最初にして、唯一の停車駅はベルガルド。ここはすでにフランス領。そのため、ジュネーブで出発の時にTGVの乗客を対象にした国境検査が行われる。
ベルガルドを出発したTGVはジュラ山脈の渓谷に沿って美しい谷間を一時間ほど走ったあと、開けた田園地帯に入った。ここからは、新規格の複線区間。TGVらしいスピードが出せる直線を主体とする区間である。
たまたま、私が座った席の真向かいにスピード表示板が見える。つい、うとうとしていると、なにやら騒々しい空気に目を覚ました。すると、通路を隔てて向かいの席の客たちがカメラを構えている。被写体はスピード表示板!よく見ると、スピード表示が時速300キロメートルを差しているではないか。私もそれに加わって粘ること暫し、300キロを指したところでパチリ。
07-11 301TGVspeed.jpg
<最高速度は時速300キロ>

パリ・リヨン駅に着いて驚いた。人、人、人、、、。今日は土曜日なのに。そうか、バカンスが始まったのだ。
まあ、以前住んでいたときから馴染みの中華料理屋でいつものエビ雲呑か鴨肉入りのラーメンを食べて、ゆっくり空港へ行くことにしよう。ただ、一旦はそのまま持って移動しようかと考えていたキャリーバッグを駅の中のコインロッカーに預けることにした。日本の駅ではそこら中で目にするコインロッカーだが、果してフランスでもあるんだろうかと列車の中でネット検索してみると、確かにあることが判明。
広大な駅構内に一カ所だけあるコインロッカーは、日本とは大分様子の違う不思議な場所だった。
07-11 vacance.jpg
<パリ・リヨン駅に着いた>

入り口はまるで有人の荷物預かり所そっくり。その脇に、空港の手荷物検査場のようなベルトコンベアと金属探知のゲートがあり、そこを通って初めて、受付の後ろにあるコインロッカーエリアに行くことが出来る。コインロッカーエリアには数人の案内人がいて、空いているロッカーの場所や利用方法を教えてくれる。両替機で紙幣をコインに替えて、ロッカーに荷物とコインを投入するとロッカー番号などを印字したカードが出て来る。受取時にはこのカードを指定の場所に挿入するとロッカーの扉が開く、と言う仕掛け。利用料は一日単位で7ユーロ、と1000円ほど。
お陰で、手ぶらでレストランに行って周りを少し散歩することが出来た。暫くして、リヨン駅に戻りロッカーの荷物を受け取り、列車で空港へ向かった。
07-11 aeroport.jpg
<シャルルドゴール空港を出発>

09時15分 ホテル出発
09時42分 ジュネーブ発
12時50分 パリ・リヨン駅着
20時30分 パリ発
また、時間を間違えた! [2015年07月10日(Fri)]
7月10日(金曜日) 
今日は、ロンドンからジュネーブへ移動する日。来る時に乗った笹川アフリカ協会の宮本常務に紹介してもらったハイヤーに迎えに来てもらい、ヒースローへ。運転手のグレグさんによると、昨日はストのためのハイヤーのリクエストが多かった由。中には、この時とばかりに大幅値上げをした運転手もいたようだ。しかし、それ以上に大変だったのは市内の渋滞。特に、市内中心部の辺りは、全く、車が動かないという程の渋滞があちこちで起きたのだそうだ。私は、タクシーでの移動に全く不自由を感じなかったというと、「信じられない」と絶句。どうやら、本当に、私たちは奇跡的に幸運だったということのようだ。
今朝も、ストの余波で交通渋滞が心配されたので少し早めにホテルを出たのだが、道路はスムース。あっという間に空港に着いてしまった。
07-10 news.jpg
<昨日の地下鉄ストを報じる現地の新聞>

しかし、ヒースローからのジュネーブ行きの飛行機は、定刻より1時間遅れて出発。幸い、飛び上がってみると、ヨーロッパの空は、英国だけではなく、フランスの上空もずっとスイスまで雲一つない状態だった。眼下には、ドーバー海峡の青い海が見えていたと思うと、その後は、農業大国フランスの豊かな大地が、緑と黄色のパッチワークのように続いた。そして、スイスに着く頃には山並みを縫うように蛇行する川の向こうに、雪を被ったスイスアルプスが見えた。私にとって、ヨーロッパでこんな好天の空の旅は初めてだった。
機内からの景色を楽しんでいるうちに、ジュネーブに着いた。しかし、到着は予定より1持間遅れの午後1時20分。
慌てて、タクシーでWHO本部へ。伝統医療部門の責任者の張(チャン)博士と午後2時に会う約束だ。
07-10 riverview.jpg
<雲一つない好天の空の旅>

彼に会うのは昨年の11月以来なのでおよそ半年振り。その時は、昼食をご馳走になった。ところが、1時開始をなぜか1時半と勘違いして、時間ピッタリに行ったつもりが大幅遅刻となり、迷惑をかけた。
こんどこそは、遅れては行けない。そこで、当初の心積もりでは、空港から先ずはホテルに直行して着替えをしてお土産を持ってWHOに行こうと考えていたのだが、空港から直行することに。
ホテルにチェックインすると、滞在期間中の市内公共交通機関が乗り放題になる無料パスをくれるので、それを使ってバスでWHOに行くつもりだった。
バス停はホテルのすぐ前なのでそれでじゅうぶん間に合う筈だったのだ。しかし、一時間遅れとなった今となっては、空港から直行するしかない。幸い、今回は大きいスーツケースは持たず、キャリーバッグとガーメントケースだけなので、それらを持って空港前の乗り場からタクシーに乗り込んだ。
07-10 swisssky.jpg
<スイスに近づく頃には、遠くにアルプスが見えた>

すると「どこから来たの、中国人?」と運転手。「いや、日本人だけど、ロンドンから着いたところ」、「英語出来る?」「うん」、そこから話が弾み、ロンドンでの気温の話になると、彼が突然、「つい3日前はここでも40度だったんだよ」、「うそ!」というと、彼が携帯で撮った写真を見せてくれた。何と、ここでも史上最高記録だったのだ。
約束の時間直前に、WHO本部に到着。チャン博士に会うと、彼は開口一番、「約束は最初は2時だったけど、3時に変えてもらったよね」、「えっ、そうだった。また、失敗した。前回遅れたので、今回こそはと思って」と私はしどろもどろ。
それでも、チャン博士騒がず、愛想良く、「上司との打合せなんだけど、出来る限り手早く済ませるから、私の部屋で待っていてくれたら良いよ」と言いおいて出て行った。
07-10 taxi.jpg
<ジュネーブで気温40度!>

このところ、立て続けに約束の時間を間違えている私は猛反省。その時間を使って、彼の部屋で着替えをさせてもらった。小一時間ほどして戻って来た彼と、ミャンマーの盲人用マッサージ校事業の進捗と、インドネシアでの構想について報告。
夕方は、ホテルでWHOの障害者事業担当のチャパルさんと会って打合せ。その時、彼は数分遅れてやって来た。彼を待つ間、私はそわそわ。また、約束の時間を間違えたのかと心配になったのだ。改めて、メールをチェックしているうちに、彼がやって来た。「駐車場を探すのに手間取ってしまって」と恐縮する彼に対し、私が大変愛想良かったのは言うまでもない。
先月の国連でのサイドイベントについて報告。彼からは、来年の国連のHabitatでのWHOと日本財団連携の提案があった。その後は、少し時間が早かったが、駅前のビアレストランで一緒に夕食。
07-10WHOoffice.jpg
<WHO本部チャン博士の部屋で待機>

06時半 ホテル出発
10時40分 ロンドン発
13時20分 ジュネーブ着
14時 WHO本部チャン博士訪問
17時半 WHOチャパルさん
G8タスクフォース会合でプレゼンテーション [2015年07月09日(Thu)]
7月9日(木曜日)
07-09 sneakers.jpg
<背広にスニーカーで出勤>

昨日の夕方から、ロンドンの地下鉄が全面ストに突入したという。9月から始まる深夜運行に伴う労働条件を巡る交渉が行き詰まったためだとか。部分的なストは昨年もあったそうだが、地下鉄全線が止まるという本格的なストは13年振りのこと。 
昨夜、食事に出かけた帰り道、ホテルまでタクシーで帰ったのだが、その時点でストが始まっていた筈だったが、それに伴う交通渋滞もなく無事ホテルに帰ることが出来た。
07-09 entrance.jpg
<歴史を感じさせるギルドホール入り口>

今朝は、昨晩以上に市内でのタクシーの払底と交通渋滞が心配されたので、会場となるシティーのギルドホールまでは徒歩で行く覚悟だった。30分ぐらいで歩いて行ける距離だと言うのでそれくらいなら、全行程歩いても何とかなりそうと考えたのだった。
ところが何と、ホテルの前でタクシーを拾うことが出来たうえ、そこからの道中も、渋滞は全く無くあっという間にギルドホールに着いてしまった。
しかし、車窓からは両側の歩道を早足で歩く背広やスーツにスニーカーという姿の男女が大勢。
07-09 08.Guildhall.jpg
<ギルドホールの中庭>

G8タスクフォース会合の会場となったギルドホールは、15世紀に建てられたロンドンの中心部、シティーを対象とする区役所のような存在。中世のロンドン商人のギルドが元になっているところからこの名が付けられている。さすがに、歴史を感じさせられる重厚な建物群であった。
9時になった。タスクフォース議長であるロナルドコーエン卿の司会で、G8社会的インパクト投資タスクフォースの最終会合となる全体会議が始まった。コーエンさんとは、5月末の東京証券取引所で行われた社会的投資シンポジウムに来てもらった後、6月始めのカナダのトロントでのタスクフォース会合で会ったり、とこの1カ月余りの間に立て続けに3回も会っていることになる。
07-09 hallinside.jpg
<G8タスクフォース会合の会場>

最初に、昨年のG8タスクフォース提言書発表以降の各国での動きの総括報告が行われた。その後、ロシアを除くG8メンバーの7カ国とオーストラリア、EUを加えた9つの国と機関の個別報告が続いた。私はこの中で、日本代表として、日本での最近の動きについて報告した。具体的には、5月29日付で発表した日本国内諮問委員会としての提言書の内容、その時に開催したシンポジウムの様子、それを取り上げた日本版フォーブスの記事、ソーシャルインパクトボンドのパイロット事業の現況と見通し、休眠預金法案の見通しなどについて説明した。
07-09 G8TFmeeting.jpg
<G8タスクフォースの全体会合>

今回の会合の参加者は総勢約140名。当初のG8の枠を超えて、参加者の国籍は多くの国に広がった。そのうち、ブラジル、メキシコ、ポルトガル、イスラエル、インドの5アカ国では国内諮問員会が結成されている。その他、会場に集まった人たちでコーエンさんが紹介したのは、スウェーデン、フィンランド、香港、韓国、南アフリカ、アルゼンチンなど。EUとOECDを加えると20を超える国と機関が参加したのではなかろうか。今後は、G8タスクフォースは参加国を広げると共に、Global Steering Groupと名前を変えて続けられることになった。
夜は日本大使館の松浦公使にご馳走になった。
07-09 over.jpg
<G8タスクフォース会合が終わった>

08時00分 ホテル出発
09時 G8全体会合
19時 日本大使館松浦公使
社会的投資関連機関を訪問 [2015年07月08日(Wed)]
7月8日(水曜日) 
昨夜は、カーソンさんとインド料理店でビールを飲んだだけで猛烈な睡魔に襲われ、9時ころにホテルに戻るとバタンキュー。お陰で、朝は4時前に目を覚まし、そのまま眠らずメールチェックなどをして朝まで過ごす。
7時になった。現在の気温は15度。夜中は11度にまで下がったらしい。ホテルの部屋の窓の二重ガラスを見ると、外のガラスの内側にはびっしり水滴が付いていた。
昨日はインド料理屋でしっかり夕食を取ったので、朝食は取らずチェックインの時に受付でもらったクッキーを一枚食べただけで済ます。
約束の時間に一階のロビーに出向くと、社会的投資問題の専門家で日本財団の事業を色々手伝ってもらっている慶応大学の伊藤助教が待っていた。彼は、別の便で昨日、到着したのだとか。
07-08 on the way.jpg
<7月なのにとても寒いロンドンの朝>

今日はロンドンにある社会的投資関連の機関を訪問し、情報収集する日。
皆で、タクシーに乗り、先ずは、リヒテンシュタインのプリンスの投資会社LGTが設立したベンチャーキャピタルの社会的投資会社VP Impact Venturesへ。ロンドン在住のSIPの理事の柴田さんと事務所の前で合流。
ラフ・グーバートさんが我々に会ってくれた。彼は、LGTVP Impact Venturesがロンドンに設立した社会的企業に投融資するための基金の責任者である。設立の経緯や現在の業務についてフランクに説明してくれた。
ここは純然たる民間の営利企業が作った基金であるが、LGTという大きな投資銀行の資金力とネットワークに支えられ余裕を持って業務に取り組んでいるようだった。投資先には困らないという言葉が印象的であった。
07-08 SIB.jpg
<LGTVP Impact Ventures訪問>

その後、Social Impact Businessを訪問した。予定時間を少し遅れて、行ってみると、既にファンドレイジング協会の鵜尾さんがヒアリングを始めていた。
Social Investment Businessは2002年に英国政府によって設立されたAdventure Capital Fundをルーツに持つ、大手の社会投資機関。
これまで1300以上の社会的投資実績。Social Investment Business Foundationの基に、Third Sector Loan Fundや Local Impact Fundなどのファンドを設立している。Big Society Captalは世界初の社会投資専門の金融機関として、2012年に設立された。但し、自らは卸売り機能に徹し、SIFIと呼ばれる社会投資のための仲介金融組織に助成する。設立時の原資は、休眠預金からの4億ポンドとバークレイズ銀行、ロイズ銀行、HSBCなどの大手民間銀行からの2億ポンド。
その後、工藤室長と私は大英博物館へ。館内のカフェテリアで、香港の社会投資家ウォンさんと会って昼食を取りながらヒアリング。
07-08 museum.jpg
<大英博物館へ>

次に、我々はCEOのクリフさんとの面談を取り付けてあったUnLtdを訪問した。社会起業家支援のために2000年にアショカ財団などによって設立された組織である。
休眠預金や宝くじなどの資金を原資に、若者や、大学生、特定問題地域での活動など、年齢層や、活動地域などに応じた様々な支援プログラムを実施している。アイデアの具現化、実施団体の初期の立ち上げ、既存の組織の規模拡大など段階に応じてきめ細かい。
具体的な支援も多様で、助成金、投融資など資金的な援助に限らず、専門家による助言、オンラインのセミナーや、社会起業家同士の交流会など極めて広範な支援メニューが用意されている。
夜は、笹川アフリカ協会の宮本常務理事らと合流。広報コンサルタントのパトリック・オーさんと打合せを兼ねた夕食。
07-08 UnLtd.jpg
<UnLtd訪問>

08時50分 ホテル出発
09時 LGTVP Impact Ventures訪問
11時 Social Impact Business訪問
12時半 ウォンさん
14時15分 UnLtd訪問 
18時45分 ホテル出発
19時 パトリック・オーさん
七夕のロンドン出発 [2015年07月07日(Tue)]
7月7日(火曜日) 
今回の出張はロンドンとジュネーブ。トロントのTask Force会合が終わったばかりだが、今回はG8社会的投資Task Forceの最後を飾る全体会合がロンドンで開かれるので、その帰りにジュネーブでWHO関係の仕事を済ませることにしたもの。
出発の朝。今日は七夕だがあいにく曇り。このところ、梅雨のせいで冷たい雨が続いていたので、出発の日も心配していたのだが、辛うじて持ち応えたようだ。
気温は21度。今年は長梅雨ということか、7月に入っても肌寒い朝が多い。数日前に届いた海外からのメールの中に、ヨーロッパは今、記録的暑さとあったので、慌ててロンドンの天気予報をチェック。果して、先週は36度超えを記録したそうだが、今は東京と余り変わらない気候の様で一安心。
羽田空港の銀行窓口で両替をしていると、すぐ横から声をかけられた。笹川アフリカ協会の宮本常務理事だった。彼とは、ロンドンへ同じ便での出発だ。明日の夜はロンドンで一緒に夕食を取ることになっている。
07-07 haneda.jpg
<曇り空の羽田を出発>

アジアへの出張は全く苦にならないが、ヨーロッパやアメリカ行きは辛い。長時間のフライトと言うよりも、むしろ問題は時差だ。東京とロンドンには8時間の時差がある。
それを調整する私なりのやり方は、飛行機に乗るとすぐに時計を現地時間に合わせ、睡眠も出来るだけ現地時間に合わせること。そのためには、出発前から睡眠不足状態にしておき、いつでも眠れるようにしておくことが必要だ。
今回も飛行機の出発は現地時間では深夜だったので、乗り込むと食事を断りすぐ眠りについた。
深く短い眠りのあと起きた後は、現地時間に合わせて本を読んだり映画を見たりして眠らないようにして過ごす。
11時間余りのフライトの末、ロンドン到着。ここでも気温は21度。少し雲はあるが日本より湿度が低いせいか快適な気温だ。
07-07 london.jpg
<ロンドンに着いた>

日本財団の社会的投資担当者工藤室長を加えた3人で宮本常務が手配していたハイヤーに乗る。片道60ポンド。ヒースローエクスプレスに乗ると、一人20ポンドは取られるのでこちらの方が得だ。
市内に入ると二階建てのバスが流線型の新型に変わっていたのに気が付いた
夜6時半、ホテルのロビーでカーソンさんと落ち合い、近所のパブへ。重厚な落ち着きのあるスタイルの建物。元々は、18世紀に建てられた建物だとか。
先月、カーソンさんが出席したリヨンで開かれた国際義肢装具士協会(ISPO)の総会での様子などを聞く。私の方は、ニューヨークの国連本部で開かれたサイドイベントの様子など、日本財団側の近況を報告。
夕方になり気温が下がって来た。半袖シャツに上着をかけているのだが、風邪をひきそうだ。 これではまずいと、カーソンさんに断って、ホテルに戻って長袖のシャツに替える。ホテルのすぐ脇にあったインド料理店に飛び込む。
07-07pub.jpg
<ロンドンのパブ 建物は18世紀のスタイル>

11時20分 羽田発
15時50分 ロンドン着
18時半 カーソンさんとの夕食会
ブログパーツ レンタルCGI