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大野修一(日本財団)
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帰国 [2015年06月18日(Thu)]
6月18日(木曜日)
618barrier.jpg
<バリアフリーとはいかないBTSの駅>

今回は、2泊3日の短い出張。早くも帰国の朝。7時にホテルを出て、歩いて5分のBTSスカイトレインのサラデーン駅へ。今回の荷物はキャリーバッグ一つなので、タクシーは使わない。
今は、早朝なので余り心配する必要は無いが、普段は渋滞が深刻なバンコクでは、出来ることならBTSを使いたいところなのだが、BTSをスーツケースを持って移動するのは困難だ。駅のバリアフリー化が全くなされていないからだ。
このサラデーン駅でも、エレベーターはおろか、エスカレーターですら殆ど無い。エスカレーターが設置されているところも、雨季の際の冠水時を心配したものか、路面から8段上がったところから、やっとエスカレーターが始まる構造になっている。車椅子のユーザーのことは全く考慮の外と見える。
618BTS.JPG
<エアポートレイルリンクに乗り継ぐ>

BTSからエアポートレイルリンクへの接続駅はパヤタイ駅だ。ただ、BTSのパヤタイ駅のプラットホームから一階下の改札口へ下るのには、エレベーターもエスカレーターも無いので、階段を使うしか無い。キャリーバッグの伸ばした取っ手を畳んでいると、横に立った若者がさっと手を伸ばして言った。「お持ちしましょう」。そして、さっさと階段を下り始めた。
日本では受けたことの無い扱いに戸惑いながら、私は彼について階段を下りた。階段を下りると、今度は「どこまで行くのですか?」という。「この先はエスカレーターがあるので大丈夫」とお礼を言って、別れた。とても、親切な若者だったが、「老人扱い?」されてちょっとショック。
618theNation.JPG
<現地の英字紙のトップニュースは昨日の雨の被害>

飛行場に着いて、現地の英字紙The Nationを開く。トップに昨日の雨で市内の道路が冠水したというニュース。数年前の大洪水の記憶が蘇る。その後は、政府も水害対策に力を入れたというので、あれほどの大きな被害の再来はないのだろうが、激しい雨が降ると現在の下水処理能力では完全にはコントロール出来ないようだ。
従って、雨季のバンコクでは、車を利用する際には、雨によって引き起こされる交通渋滞も考慮に入れて移動計画を立てることが必要になってくる。今朝は幸い雨がやんでいて良かったと思っていたら、雨が降り出した。
やはり、BTSやエアポートレイルリンクをもっと使いやすく改造する必要がありそうだ。
618rainairport.JPG
<離陸直前になって雨が降り出した>

07時 ホテル出発
09時45分 バンコク発
17時55分 羽田着
テートさん叙勲のお祝いの会 [2015年06月17日(Wed)]
6月17日(水曜日) 
ホテルで朝食を取っていると渋谷さんから連絡、一緒にコーヒーを飲んでAPCD(Asia-Pacific Development Center on Disability) へ。ホテルの近く、サラデーン駅からBTSに乗り、サイアム駅で乗り換えて、BTSのVictory Monument駅に行く。そこからはタクシーに乗る。
APCDに着いた。所長の二ノ宮さん、スタッフの佐野さんらを誘って、最上階の3階に。そこに、日本財団のスペシャルアドバイザーに就任した渋谷さんのオフィスがある。ところが、昨夜の激しい雨で雨漏りとかで、使用不能。已む無く、その隣の応接室で協議。
先ずは、先週のニューヨークでの障害者権利条約締約国会議でのサイドイベントの報告と、今後の進め方について説明、アドバイスを受ける。
617APCD.JPG
<APCDへ>

APCD打合せを終えて、APCDの前からバスでビクトリーモニュメントに。BTSに乗り換えてホテルに戻る。途中、もの前の席に座っていた女性が黙って立ち上がる。どうやら、私のために席を譲ってくれたものらしい。
年寄り扱い?日本ではまだ無いが、タイでは何回か。シンガポールの地下鉄でも譲られたことがある。感心する反面、ちょっとショックでもある。
帰りはクーラーの無いバスに乗る。料金は20円。
バスの中で、いつも、驚かされる日本との違いは、車掌さん。私服である上、普段はお客さんのような顔をして座席に座っていること。それが、突然立ち上がって、切符を売りにやってくるのだ。
617bus.jpg
<帰りはクーラーの無いバスに乗る>

APCDの二ノ宮所長の司会で、祝賀パーティーが始まった。出席者は、タニン元首相、今は枢密院会員、彼はAPCD財団の会長でもある。彼の主催者を代表しての挨拶の後、来賓を代表して、佐渡島駐タイ国日本大使とヨンユート副首相の祝辞と続き、私が乾杯の音頭をさせてもらことになった。
司会の二ノ宮さんが、私が日本から特別のお酒を乾杯のために運んだのだと紹介。タイ人を中心とする皆さんにどこまで評価していただけるのか、正直不安だったが、何人かの人から美味しいお酒だとほめられた。
後で聞いたところ、佐渡島大使が、周りの参列者に、獺祭について解説、希少性を力説してくださったそうで、そのせいかも。
617speech.JPG
<祝賀パーティーが始まった>

その後は、観光大臣、外務副大臣、JICAタイ事務所の池田所長らの挨拶の後、テートさんがスピーチ。
驚いたのは、全員が英語でスピーチしたこと。しかも、流暢にウイットを効かせて、誰も原稿なんか読んでいないのだ。タイのエリート層の教育レベルを再認識。
車椅子のテレビ司会者として有名なクリサナさんがやって来た。彼とは先月二ノ宮さん達と一緒に会って、今年11月に開催すると言うユニバーサルデザインエキスポの話を聞いたばかり。
彼の様子がおかしい。まるで、立っているようなのだ。良く見ると、立ち乗り式の車椅子。こんなの見るのは初めてだ。ユニバーサルデザインエキスポを企画した彼がハイテクに拘っていた理由がわかる気がした。
617women.jpg
<クリサナさんのハイテク車椅子>

佐野さんから、どうやらユニバーサルデザインエキスポが延期になったらしいと聞いたので、彼に質してみると、「うん、政府に言われて、来年に延期することにした」と屈託がない。
パーーティーが終わった後も、クリサナさんたちと談笑。今度は、クリサナさんは普通の車椅子に座っている。よく見ると、さっきのハイテク車椅子を畳んで、普通の車椅子に戻したのだった。
祝賀会の間、十分に食事出来なかったので渋谷さん夫妻とホテルの近くの日本料理店で夕食。
食事の後、昨日借りた傘を帰しにマッサージ店へ。誘われたがもう遅いので断念。明日はもう帰国日、出発は朝早いのだ。帰り道、再び雨。
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<パーーティーの後、クリサナさんたちと>

09時 ホテル出発
10時 APCD打合せ
17時 ホテル出発
18時 テートさん叙勲のお祝い会
21時 渋谷さん夫妻と夕食
バンコクへ単純往復2泊3日の旅 [2015年06月16日(Tue)]
6月16日(火曜日)
ニューヨークから戻ったばかりだが、バンコクへ。
元外務大臣で、今は、日本財団のタイでの事業のパートナーであるAPCD(Asia-Pacific Development Center on Disability) の議長を務めておられるテートさんの旭日重光章叙勲のお祝いの会へ招待されたのだ。今回はそれだけが目的なので、私としては、バンコクだけの単純往復、しかも3日間という例外的に短い海外出張だ。
羽田のカウンターで、またもや失敗してしまった。何故か、硬く全日空だと思い込んでいたのだが、カウンターで予約が入っていないと言われる。指摘されるまで気が付かなかったのだが、JALとANAを間違えていたようだ。ANAのカウンターから通路一つ隔てて向こう側がJALですよ、と教えられる。
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<羽田空港を飛び立つ>

羽田で良かった。成田ならターミナルが異なるので移動が大変だった筈。
今回の出張には大事なミッションがあった。日本酒の持ち込みである。最近、日本国内のみならず海外でも人気のお酒「獺祭(だっさい)」をお祝いの品として届けるのだ。
人気で手に入りにくいこの酒を苦労して手に入れたのだが、持ち込み量には制限があるので、バンコク在住の渋谷さんにも手伝ってもらって二人がかりで持ち込んだ。
実は、先週のニューヨーク行きの際には、別途、東京から「獺祭」をニューヨークまで運び、バンコクから出張してニューヨークに来ていた渋谷さんに、一足先にバンコクへ持って帰ってもらっていたのだ。
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<外国人に人気のロイスチョコレートは売り切れ>

私の分と合わせて、4リットル。持ち込み制限と言う意味でも、100人ほどのパーティーの乾杯酒と言う点でも、これがぎりぎりの数量という計算だ。
最近の品薄アイテムはこの日本酒だけではない、最近は、サントリーウイスキーの「山崎」と言いい、「響」と言い、以前は空港で普通に置いてあったものが、極端に手に入りにくくなった。
空港内売店では、中国人やタイ人など主に東南アジアからの外国人に人気のロイスチョコレートも売り切れていた。お隣の「白い恋人」の棚も空っぽ。
今回はなかったが、少し前に、「お一人様、20箱までとさせていただきます」と書いてあるのを見たことがある。まさに、ここでも「爆買い」なのである。
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<「白い恋人」の棚も空っぽ>

今回は、日本酒を運んだので、わざわざ羽田でキャリーバッグをチェックインしたので、それを受け取り、無事通関。チェックインしたとはいえ、たかだか2泊2日の旅。荷物の全体量が少なかったので、空港からホテルへの移動はエアポートレイルリンクを利用。不便極まりないエクスプレスは敢えて利用せず、各駅停車シティーラインの終点のパヤタイ駅で、BTS(スカイトレイン)に乗り換えてホテルの前のサラデーン駅へ。荷物さえ小さければこれが一番確実で早い。
本来なら、荷物が大きくても、重くても、このような公共交通機関を使うように誘導すべきだと思うのだが、残念ながら、そのような設計になっていない。エスカレーターやエレベーターが極端に少ないのだ。
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<BTSに乗り継ぐ>

バンコク市内のあちこちにシリントン王女の巨大看板が建てられている。そう、今年はシリントン王女が60歳を迎えられるという記念すべき年。還暦をお祝いする看板なのだ。王様がご長寿であられるために、王女様とは言え還暦になられたということ。何故か、飾られているのはずっと若い頃のお写真だったようだ。
夜は、共同通信のバンコク支局の新支局長、近澤さん、中檜記者らと。楽しい食事の後、ホテルに戻って両替屋へ。ところが、その後、歩いているうち、雨がぱらついたと思ったら激しいスコールに。すると、目の前がマッサージ店。丁度、雨宿りにと飛び込んだ。肩が激しく凝っていたので数年ぶりのマッサージ治療を考えていたことも事実。
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<シリントン王女の還暦をお祝いする巨大看板>

あまり英語が通じないマッサージ師だったが、身振りも交えて「お客さん凝ってますね」。一時間のコース、300バーツ=1200円。
お陰ですっきり。もう雨はやんだだろうと外に出てみるが、まだ激しい雨が続いていた。やむをえず様子を見ることにして10分ほど待合室で時間を潰させてもらう。
小止みになったかと外を覗く。まだ雨脚は強い。思い切って雨の中を濡れて帰る覚悟をきめて、飛び出そうとしたとたん、「お待ちなさい」。親切にも受付の人が傘を貸してくれた。明日返しに来るからと約束。帰り道はあちこちで冠水していた。かなりの雨量だったようだ。

15時00分 羽田発
16時55分 バンコク着
19時 共同通信近澤支局長、中檜記者
そして帰国 [2015年06月13日(Sat)]
6月13日(土曜日)
13時間のフライトの末、遂に、飛行機は厚い雲を分け入るように降下した。
着陸して見ると地面は濡れていた。
確かに、定刻通りの朝6時40分。
気温は15度。成田に着いた。北米出張が終わった。
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<久し振りに見るスカイツリー>

15時25分 成田着
帰国へ [2015年06月12日(Fri)]
6月12日(金曜日) 
今日も朝4時に目を覚ました。帰国すると、時差を戻さないといけないので、このまま起きていようと考えた。
朝7時45分にホテルをチェックアウト。荷物をベルデスクに預け、ホテル内の朝食レストランへ。今日の相手はWHOの障害者部門の責任者であるアラルコス博士。IDPPのデリックさんやマヤさんも参加してくれたので総勢6人で会う。
今年の9月の国連総会で我々は、今回中間報告を発表したリサーチの最終報告会を企画しているが、それをWHOと共催しないかという提案。
ことの起こりは、昨年、ジュネーブのWHO本部で開かれたAssistive Technologyに関する国際会議の際に初めて会ってからの付き合いであるWHOのチャパルさん。
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<ニューヨークは健康食ブーム、すし、照り焼き、うどんがサラダと並ぶ>

彼が教えてくれたWHOが4年の歳月と億円かけて開発した障害者用のオンライン教育パッケージの発表会を、我々と一緒に、9月のポスト・ミレニアム・ディベロップメント・ゴールをテーマとする国連総会でのサイドイベントでやらないかというアイデア。前向きに検討することになった。
今日の便で帰国するのは私ひとり。朝食もそこそこに、急いで空港に向かうべくタクシーに乗った。メールを確認して気が付いたのだが、12時半の出発予定が13時00分発に変更とのメール。もう少し早く気が付いていれば慌ただしく出発することも無かったのだが、、、。
今回のタクシーでは全くぼられること無くジョンFケネディー空港へ。
飛行機は、午後1時定刻を30分程遅れてニューヨークを離陸した。しかし、機内での機長のアナウンスによれば、ほぼ当初の予定時刻に成田到着の見込みとか。
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<何故か、ここではラーメンも健康食品?>

08時 WHOアラルコスさん
09時15分 ホテル出発
13時00分 ニューヨーク発
次のステージに向けて議論 [2015年06月11日(Thu)]
6月11日(木曜日) 
昨夜は良く眠れたのだが、明け方の3時過ぎに目を覚ました。
スマホを見ると、ミャンマーの障害者団体MILIの幹部のネイリンソー君からメールが入っていた。何と、「運転免許が取れました」。メールには彼の写真を貼った運転免許証のコピーが添付してあった。
彼が、誇らしげに運転免許証のコピーを送ってくれたのには訳がある。元々、彼は2004年9月に下肢障害者用の運転補助装置を開発した足立区の町工場、今野製作所の今野社長から寄贈を受けて、運転免許の取得に向けて訓練を始めた。そして、それから10カ月をかけて免許を取得、ミャンマーの障害者での運転免許取得者第一号となったのだ。今野社長を紹介したのは私。その年の初めに紹介を受けて知り合い、この装置のことを知り、寄贈の話を持ちかけたのだった。
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<ネイリンソー君が取った運転免許証>

ネイリンソー君は、以前、日本で10カ月の間、障害者の次世代リーダー訓練を受けたことがあった。その時に、車いすの人が自動車を運転しているのを初めて見て衝撃を受けたと言う。しかし、その車は、障害者個々人に合わせて改造したもので、改造だけでも大変な資金が必要。ましてや、当時のミャンマーでは車を持つのは一部の特権階級に限られており、車を運転するのは夢のまた夢であったと言う。
午前8時 今朝は外部の専門家との朝食ミーティングがないので、渋谷さんを囲んで身内だけで今後の戦略を巡って、朝食を食べながらブレーンストーミングをすることに。
朝食ミーティングの後、帰国する会長一行を見送る。
そしてその後、場所を近くの公園に移して、渋谷さんらとブレーンストーミングの続きを行った。
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<セントラルステーションの前で>

その後、私はセントラルステーションの方まで散歩してみた。今日は、夏を思わせる陽気。気温は30度ほどはありそうだ。
午後2時前に、国連本部へ行こうとすると、正門の前に中国人観光客が大勢で記念写真を撮っていた。
午後2時、世界銀行障害問題顧問シャーロットさんと会う。上司の部長も一緒だった。昨日のジュディーヒューマンさんとの議論の内容は既に、シャーロットさんの耳にも届いていた。国連機関における障害者の立場を支援する上では、世界銀行が主催する助成財団会議の場を活用することも考えられる。
まだ、議論が続いていたが、私は渋谷さんをせかせてシャーロットさんらとの会談を切り上げてもらい、国連ビルを出た。午後3時 のアポの約束があるので急がねばならない。
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<国連本部前の通りは中国人観光客で溢れていた>

近くのビルの6階へ。アンティグアバルブーダ国連代表部ウェブソン大使 に会う。
ラリーさんに強く勧められた人物だ。彼はカリブ海に浮かぶ小さな島国の国連代表部大使なのだが、何と視覚障害者だった。
会って見て分かったのだが、彼はラリーさんの自慢の弟子だったのだ。
ラリーさんがヘレンケラーインターナショナルに彼を紹介し、一時は、そこで働いていたこともあると言う。渋谷さんも、昔、ヘレンケラーインターナショナルの理事を務めていたこともある。そのため、話しは大いに盛り上がった。
夜は、ガレーゴス大使、コグバーン教授らを招き、日本料理店で食事をしながら今後の進め方を相談。
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<国連本部の内部>

08時 ブレーンストーミング
14時 世界銀行障害問題顧問シャーロットさん
15時 アンティグア国連代表部ウェブソン大使
15時40分 ブレーンストーミング
19時 関係者打合せ夕食会
ハンセン病と障害者サイドイベント [2015年06月10日(Wed)]
6月10日(水曜日) 
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<今朝のニューヨークは好天>

今日は昨日とは一転して、再び、眠れないまま朝を迎えた。
UNESCOのインドラジット部長からメール。朝食ミーティングの時間を30分遅らせてくれないか、というメッセージだった。パリから着いたばかりの彼も時差のせいで、昨晩は眠れなかったのだという。
彼とは、今年3月のUNESCOの会合で出張した際、初めて会い意気投合した。彼は、障害者問題をてがける人の少ないUNESCOで、障害者のIT教育で孤軍奮闘している。今後は、9月の国連総会に向けて障害者問題でUNESCOと連携していくことで合意。
朝食の後、ホテルのロビーで国務省障害問題顧問ジュディーヒューマンさんと会った後、私は再び国連本部に出かけた。
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<国連本部前>

日本財団が昨日に続いて、ハンセン病と障害者をテーマにした、もう一つのオフィシャルイベントを主催していたからである。ただ、私はハンセン病事業の担当ではないので、担当の田南常務の司会で、笹川会長や昨日一緒だったDPIのジャベッド会長らとスピーチをするのを傍聴。
実は、昨日のサイドイベントの会場で、私は、IDPP卒業生のポンクルスさんと偶然再会し、今日のハンセン病と障害者のイベント会場で会って話をしようと約束していたのだ。
そこで、イベントが終了した後も、会場で彼を探したのだが、ついに彼を見つけることは出来なかった。
彼は優秀で、IDPP卒業後は、フルブライト奨学金をもらって米国に留学、今は、障害者のためのIT教育などを手がけるユニークな国際組織であるG3ictで働いていると言う。
後で、彼からお詫びのメールが入った。色々、聞きたいことがあったので残念だった。
610leprocy.JPG
<ハンセン病と障害者のサイドイベント>

午後3時半からは、渋谷さんの友人で 映像作家のディック・ヤングさんに会った。現在、日本財団内部で企画を温めている障害者芸術祭についてアドバイスをもらう。
ホテルの部屋に戻って、窓の外を眺めていると、奇妙なものがゆらゆらと空を飛んでいるのを発見。かなり離れたところを飛んでいるので確認は出来なかったが、どうやら、飛行機に吊り下げられたアドバルーンのような物体らしい。一見すると、まるでUFO。
夜は、笹川会長と一緒に、我々一行は、国連代表部公邸に。夕食会に呼んで頂いたのだ。日本料理をご馳走になりながら、吉川大使から、今後の障害者問題の国連でのアピール戦略の進め方について色々アドバイスを頂いた。
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<謎の飛行物体。まるでUFO?>

08時半 UNESCOインドラジットさん
09時半 国務省障害問題顧問ジュディーヒューマンさん
13時15分 ハンセン病と障害者サイドイベント
15時半 映像作家ディック・ヤングさん
19時 ホテル出発
19時半 吉川大使主催夕食会
障害者の国連参加サイドイベント [2015年06月09日(Tue)]
6月9日(火曜日) 
609cloudy.JPG
<ニューヨークの朝、今日は曇り空>

トロントでの睡眠不足のお陰で昨夜は熟睡、すっきりして朝6時頃に目を覚ました。
8時にホテル内のグリルで朝食。国連障害者権利条約起草委員会の元委員長のガレーゴス大使に来てもらい、仕事の打合せをしながらの食事。日本財団特別顧問の渋谷さんも一緒だ。朝食の後、日本財団の石井部長と打合せの後、一緒に、国連本部ビルへ。
前回、約二年前の2013年9月に来た時は、国連ビルは工事中で隣に仮設されていたプレハブの建物で会議をしたのだが、今回は改装工事が終わっており、内部はきれいになっていた。
午後から始まる障害者の国連参加に関するサイドイベントの会場を下見した後、総合司会の渋谷さん、パネルの進行役であるガレーゴス大使と、基調講演をするアメリカン大学のデリック・コグバーン准教授ら、サイドイベント関係者に集まってもらい段取り等の打合せを行った。
609UNbuilding.JPG
<きれいになった国連本部ビル>

いよいよ、障害者の国連参加に関するサイドイベントが始まった。壇上には、笹川会長の他、レニン・モレノ障害問題担当国連事務総長特使、吉川国連大使、国連障害者権利条約起草委員会の元委員長のガレーゴス大使、総合司会は日本財団特別顧問の渋谷さんの5人が並ぶ。
主催者を代表して笹川会長が挨拶した後、モレノ特使、吉川大使がそれぞれスピーチ。モレノさんは、エクアドルの元副大統領。車椅子の障害者だ。45歳の時に強盗に襲われた際、負傷しそれが基で歩行が出来ない身体になった。
次いで、基調講演をアメリカン大学准教授でIDPP(障害者公共政策大学院)の責任者であるデリック・コグバーン博士。彼が説明したのは、IDPPで現在進行中の「国連における障害者の参加の現状と問題点」をテーマにした研究の中間報告。
609UNaudience.JPG
<サイドイベントには100人以上の人が集まった>

彼は、障害当事者らのインタビューを基に、国連やその他の国連機関の場で、障害者が感じている障壁や、参加の難しさなど、ハード面やソフト面でのバリアーの現状と改善に向けた提案を行った。
そして国連防災事務局のパームさんが、今年の3月に仙台で行われた国連防災会議の報告の後、コグバーン博士の中間報告を巡るパネルディスカッションに移った。
パネリストは、国連障害者権利委員会のマリア・レイエス委員長、国連障害者権利条約事務局の伊東さん、国際障害者団体からは、DPIのジャべド・アビディ会長。彼は車椅子。もう一人の障害当事者は、聴覚障害者でIDA副会長のコリン・アレンさん。彼のために手話の通訳がつく。これらの4名をガレーゴス大使が座長として進行を取り仕切った。
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<障害者の国連参加サイドイベントの登壇者たち>

これらを通して明らかになったのは、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境サミットで合意された9つの主要民間グループに、障害者が含まれていないことが、国連や諸機関での障害者の参入障壁となっていること。
2011年にWHOと世銀が共同で纏めた世界障害者報告によれば、障害を持った人の総数は総人口の15%に相当する10億人にものぼっている。これだけ大きなグループが主要グループにカウントされないと言うのは如何にも不自然である。
サイドイベントの後、私は笹川会長と障害問題担当国連事務総長特使のモレノさんとの個別会談に同席した。その後は、デリックさんや渋谷さんらと、IDAのチュク事務局長、 国連障害者権利委員会のレイエス委員長、DPIのアヴェッド代表らと個別のミーティングを持った。
609evening.JPG
<夕方の空は晴れ上がっていた>

08時 ガレーゴス大使打合せ
10時半 障害者サイドイベント事前打合せ
13時15分 障害者の国連参加サイドイベント
15時 モレノ障害問題担当国連事務総長特使
15時半 IDAチュク事務局長
16時15分 国連障害者権利委員会レイエス委員長
16時半 DPIアヴェッド代表
17時半 NTIDデカロ前学院長
19時 財団関係者夕食会
G8社会的投資タスクフォース会合に出席 [2015年06月08日(Mon)]
6月8日(月曜日)
欧米出張の最大の悩みが時差の調節であることは言うまでもない。私のやり方は、昼間は出来るだけ睡眠不足の状態にしておき、就寝までに、眠気がピークに達するように持って行き、ぎりぎりになってベッドに倒れ込むという方法。今回もその方式で、どうにも眠気に耐えきれなくなった12時過ぎに眠りに就いた。それなのにである。
突然のブザーの音に睡眠を破られた。時間は夜中の2時ちょうど。
なんと「火災報知器が作動しました。避難に備えて待機して下さい」というアナウンスが始まったではないか。まさか、という気持ちで暫くベッドの中にとどまる。折角、貴重な眠りに就いたばかりなのだ。
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<窓の下に停まった消防車>

ところが、同じセリフのアナウンスが繰り返され、サイレンもいつまでたっても止まない。
隣の部屋のドアが開いて誰かが外に出て行った。私も、ドアを開けて様子を伺うが、煙のにおいはしない。非常口を確認すると、部屋のすぐ前だったので安心。
そこで私は、一応、着替えを用意をしたが、再びベッドに潜り込んだ。繰り返されるメッセージは、「避難して下さい」ではなく、「避難に備えて待機して下さい」なのだ。
そのうち、遠くの方からサイレンの音が聞こえて来て、ホテルの前で停まった。消防車が3台。外は雨が降っていた。窓ガラスに着いた水滴に回転する赤色灯が反射して幻想的だ。
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<タスクフォース会場となったMaRSビル>

間もなくすると、繰り返されていたアナウンスがやんだ。そして、20分程もすると消防車もいなくなった。その間もその後も、ホテルからの連絡は一切無し。
貴重な睡眠を断ち切られた後、私は、眠れないまま朝を迎えた。明け方に、ドアの隙間にホテルからの一枚のレターが差し込まれているのに気が付いた。一応は、「火災報知機事件」の釈明のためのものらしいが、お詫びのセリフは全く無し。
朝8時に工藤職員と外に出ると、外は本格的に雨が降っていた。会議の場所までは徒歩8分と聞いていたので、前夜、段取りを相談した時は、歩いて行くことにしていたのだったが急遽、タクシーで行くことに変更。
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<G8社会的投資タスクフォース会合>

会場へ。G8社会的投資タスクフォース会合が始まった。ロナルド・コーエン卿のスピーチを聞いていると東京から電話。終わって席に戻ると、オンタリオ州の経済発展雇用インフラ担当副大臣のスピーチになっていた。
その後は、国際開発分野での社会的インパクト投資のモデルと題したパネルディスカッション。コーヒーブレイクの後にもう一つのパネルディスカッション。そのテーマは何と、カナダの原住民に対するインパクト投資。
昔はインディアンと呼ばれていた人たちのことを今ではファーストナショナルズと呼ぶことを初めて知った。
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<ビル内のATMにも中国語>

それにしても、眠い。
このミーティングは明日が実質的なタスクフォースの今後について議論する場なのだが、私は国連での会議と重なってしまったので、今夜の便でニューヨークまで移動しなければならない。
3時半になった。足を忍ばせて会場を一人抜け出す。ホテルまで歩いて戻り、預けてあった荷物を持ってタクシーに乗り、空港を目指す。
空港では米国へ行く人のための専用ゲートが設けられており、通常は米国入国の際に提出する税関申告書はここで提出。さすが、米国とカナダ。連携がうまく取れており、大変便利だ。
空港の行列でもあちことで、中国語、広東語が聞こえた。
609plane.JPG
<ニューヨーク行きの小型機>

夜、8時過ぎにニューヨークに到着。いつものJFケネディ空港でもラガーディア空港でもなく、ニューアーク空港。初めての空港だ。タクシー乗り場から、国連本部近くのホテルを目指す。
タクシー乗り場で客待ちをしていた汚らしいタクシーに乗る。嫌な予感がしたのだが、他に停まっているタクシーもなく、やむなく乗ったのだが、果たせるかな、横柄な態度で、行き先のホテルを知っているかと尋ねても「知らない」と一言。
スマホで行き先をガイドしてホテルに到着するも、入口から離れた道路側に止めて、ここだと一言。にも拘わらず、帰りが大変だと多額のチップを要求。本当に不愉快なタクシーであった。

08時  ホテル出発
09時 G8社会的投資タスクフォース会合
12時15分 昼食
13時半 G8社会的投資タスクフォース会合
16時 ホテル出発
18時25分 トロント発
20時10分  ニューヨーク着
トロントへ [2015年06月07日(Sun)]
6月7日(日曜日)
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<N'exの車窓から千葉県の農村地帯を見る>
 
今回の出張の目的地はカナダのトロントと、米国のニューヨーク。
トロントでの用件はG8の社会的投資に関するタスクフォース会合への参加。G8の社会的投資タスクフォース関連では、昨年6月のロンドン、10月のローマに次ぐ3回目の出張である。
但し、トロントは一泊だけで、翌8日にはニューヨークへ移動する。
笹川会長らと合流し、国連で開催中の障害者権利条約の締結国会合の正式なサイドイベントとして日本財団が企画した二つの行事に参加する予定。
このところ海外出張は、3回連続で羽田出発。だが、今回は久し振りに成田空港からの出発なので品川からN'exに乗り込んだ。
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<ほぼ定刻にトロント空港に到着>

飛行時間は約12時間。北極圏近くを飛び続け、午後3時40分、ほぼ定刻にトロント到着。
トロント空港の「動く歩道」には速度の異なる2つのレーンが設けられていた。
チェックイン荷物を引き取るターンテーブルのところで、日本財団の担当者である工藤職員と合流。二人で空港からタクシーに乗り込む。
今回の会合には日本からの参加者は、他には日本政府代表として参加される外務省の高橋OECD室長のみ。彼は、出張先のパリからトロントへの往復だ。
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<トロント空港の「動く歩道」の2つのレーン>

今日の夕食は、高橋室長のご手配により、トロント領事館の中山総領事らとすることになっていた。
約束のレストランは、我々のホテルからは徒歩10分の場所と言うことだったので、歩いて行くことに。
ところが、十分余裕を持って出たつもりが、途中で道に迷ってしまう。おまけに雨がぱらつき始めたりして手間取り、約束の時間ぎりぎりにレストランに飛び込んだ。
トロントの町の現状について、中山総領事から色々興味深いお話を伺う。確か、トロントにはカナダ最大のチャイナタウンがあると聞いたことがある。
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<人間味が感じられるトロントの街>

だが、最近では、香港返還以来の中国系移民の流入で、旧来の中国人街だけでは吸収出来なくなり、トロント北部の住宅街にも中国系住民が急増しているという。中国語しか通じない店もあるほどだとか。
我々からは、G8タスクフォースや日本での社会的インパクト投資に関する事情を報告したところ、総領事からは「有意義な動き」と激励を頂いた。
雨が降って来たのでタクシーを拾ってホテルに戻る。結構な距離があった。徒歩10分というのは怪しいかったようだ。我々がチェックインしたホテルのある辺りは丁度ダウンタウンの中心部に位置していたようで、すぐそばには賑やかな大通り。路面電車も走っていた。

17時00分 成田発
15時40分 トロント着
18時35分  ホテル出発
19時 中山総領事との夕食会
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