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大野修一(日本財団)
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ようやくの帰国 [2015年04月29日(Wed)]
4月29日(水曜日)
429BKKmorning.jpg
<バンコクの朝>

長かった出張も今日で終わり。バンコクは快晴、気持ちのいい朝だ。
バンコクの空港のチェックインカウンターは中国人観光客で溢れていた。
確か、中国では5月1日は労働節で休日の筈。今年は、1日が金曜日なので、土日と合わせると3連休になる。早めに休暇を取ると長い休みが取れると言う意味では、日本同様、中国でも今が行楽シーズンなのかも。
429chinese.jpg
<空港のチェックインカウンターは中国人観光客で溢れていた>

一説には、バンコクの市民の半分以上が中華系というが、中国人にとってはASEAN各国の中で、対中感情が比較的好意的で最も居心地の良い旅行先はシンガポールとタイと言われるのも、むべなるかなである。
空港の片隅には、25日に発生したネパールの大地震被害者への寄付を呼びかける募金箱がひっそりと置いてあった。
それを見て、4年前の東日本大地震のことを思い出した。3月11日には私はシンガポールに出張中であった。
429Nepal.jpg
<ネパール大地震被害者への寄付を呼びかける募金箱>

その直後、財団の日本での被害が無いことが確認できたので、私は予定通りの出張を続けることにし、翌日、バンコクに到着したのだった。そして、その時に、空港でも、スカイトレインでも、ホテルでも至る所で募金箱を見たのだった。
今回のネパールの地震は、その時のような衝撃はないらしい。尤も、タイ王室と王室同士の緊密なつながりがあるブータンが被害にあったのなら殆どのタイ人も黙っていない筈。
10時過ぎの羽田便でバンコクを飛び立ち、定刻少し前の6時半に羽田に帰着。

08時 ホテル出発
10時25分 バンコク発
18時45分 羽田着
APCDで渋谷さんたちと打合せ [2015年04月28日(Tue)]
4月28日(火曜日)
428aptrenovation.jpg
<空港の前に大規模な駐車場が建設中>

現地マスコミ報告会など、ミャンマーでのスケジュールを終えて空港へ向かった。バンコクへ行き、アジア太平洋障害者発展センター(APCD)での打ち合わせに参加するためである。
昨日ホテルの前で拾ったタクシーの運転手と、7時半の約束をしていたのだが念のためにと少し前に出発。白タクに乗って、空港へ。
平日の朝と言うことで渋滞を少し心配していたのだが、そんなこともなく車はスムーズ。緑の並木道を快調に飛ばす。
改めて、緑の濃さを痛感する。「緑陰都市」という言葉がピッタリ。
428greencity.jpg
<緑陰都市ヤンゴン(その1)>

ヤンゴンに行く度に思うのだが、ここは、アジア中でいちばん緑の濃い緑陰都市である。長く続いた軍事政権時代のインフラ投資不足で、表面的には古ぼけたくすんだ建物が多く、そちらのせいで、ヤンゴン市について最初はみすぼらしい印象を受けてしまうのだが、多くの木々に縁取られて歴史の跡を忍ばせる壮麗な建物が多く残る、本当は大変美しい町なのである。
以前、国連の元事務総長だったウタントさんのお孫さんのタンミンウーさんにお会いしたのは、彼が主宰するヤンゴンの歴史的建造物を残すための運動を行っているヤンゴンヘリテージトラスト財団の事務所だったが、その事務所自身も風格のあるコロニアルスタイルの美しい建物だった。
428greencity3.jpg
<緑陰都市ヤンゴン(その2)>

考えてみれば、先の軍事政権が政府機関を根こそぎ、ヤンゴン市内から350キロも離れたネピドーの町に移したことは、ヤンゴンの都市計画と言う観点からは大変なメリットである。お陰で、ヤンゴン市当局としては、政府機関跡地をうまく活用して市の再生を進めることが出来る。
実は、ヤンゴン市内には今でもあちこちに広大なグランドがあるのだが、それらは国軍の練兵場であったり、軍の基地であったりする。民主化が進展し国軍がこれらの広大な土地を市民に明け渡せば、さらに、理想の都市計画が立てやすくなるだろう。
30年後とか50年後にヤンゴンが東南アジア中で最も美しい年に生まれ変わっている可能性は極めて大きいのではなかろうか。
428greencity4.jpg
<緑陰都市ヤンゴン(その3)>

ヤンゴンから乗ったバンコク行きの飛行機の機内で読んだ現地の新聞には、バンコクが昨日、大嵐に襲われ、倒れてきた木で市内の道路が通行止めになったり、スカイトレインが不通になったりした、と出ていた。そこで、空港に着くとすぐに係員に、公共交通機関の運行状況を聞いたのだが、今日はもう大丈夫とのことで安心。
ホテルで今度日本財団のスペシャルアドバイザーに就任してもらうことになった渋谷さんと待ち合わせ。タクシーでAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)へ。二ノ宮所長、佐野さん、ノンラックさんも交えて協議。
APCDの壁にはここの王立財団のスポンサーであるシリントーン王女の大きな肖像写真が掲げてあり、そこには日本語で「末長いご健康をお祈りいたします」とあった。そう今年には王女の60歳の誕生日があるのだ。
夜は全員で渋谷さんの豪邸へお呼ばれ。
428APCD.jpg
<APCDの入り口>

07時20分 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
14時 渋谷さん
15時 APCD訪問
19時15分 渋谷さん宅訪問
第2回目の現地マスコミ報告会 [2015年04月27日(Mon)]
4月27日(月曜日) 
朝6時頃に起床して、今日の現地マスコミ報告会で披露するミャンマー語のスピーチのおさらい。この現地マスコミに集まってもらい日本財団のミャンマーにおける活動についての説明をする報告会は今回で2回目。始めて行った昨年の会も丁度、水かけ祭り明けの今頃だった。その時も、今回と同じようにティンニュントさんと直前にネピドーに出かけた。そして、その往復の道すがら、彼にスピーチを翻訳してもらい、ミャンマー語の特訓を受けたのだった。今回は、予め日本で原田職員に翻訳をしてもらっていたので、彼にはミャンマー語の読み方について、ネピドー空港で帰りのフライトを待つ間に、指導を受けたのだった。
427ambulance.jpg
<消防署の前に日本財団が寄付した救急車が停まっていた>

朝9時15分頃に、ホテルの前からタクシーを拾う。前回は私の泊っているホテルが会場だったのだが、今回の開催場所は別のホテルである。途中、消防署の前を通ると日本財団が寄付した救急車が停まっていた。
開始30分ほど前だったが、会場に到着してみると、既に現地マスコミ関係者などが集まっていた。10時ぴったり、日本財団の田中職員の司会で報告会が始まった。私は冒頭部分を朝方も練習したミャンマー語のスピーチで始めた。その場で急遽入れたちょっとしたアドリブの部分では笑いも取れた。ついで、今回も事例紹介として、3人の事業パートナーが順番に登壇しミャンマー語でプレゼン。セダナーのエイ先生、MILIのネイリンソーさん、国立リハビリ病院のアルフレッドさんの順番であった。
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<現地マスコミ報告会が始まった>

事業報告会の後、今回も引き続いて、新しい事業案件の記者発表を行った。今回発表したのは、ミャンマーの子供たちに向けた、ミャンマー人のヒーローたちをマンガ仕立てにした伝記本の出版プロジェクト。初年度として、ウタント元国連事務局長、アウンサン将軍、女性ジャーナリストの草分けチョーママレイの3人を取り上げる予定。出版部数は各1万部です。
今回は、エヤワディ州の学校1000校のみでの配布となるが、初年度の反応などを見て、順次、取り上げる人物を増やし、配布地域は他の州にも広げて行く計画だ。
また、今回の趣旨に賛同し、Myanmar Apex Bankがスポンサーとして一部資金を負担してくれる予定。
427pconfcartoonist.jpg
<漫画家ティンアウンニーさんもスピーチ>

ミャンマーでは著名なマンガ家のティンアウンニーさんが、今回の趣旨に賛同して、格安の料金でこのシリーズを執筆してくれることになった。今回の発表にはティンアウンニーさん自身も来てスピーチをしてくれた。
結果的には、今回集まってくれたのはマスコミ22社29名と日本財団の事業関係者34名の63名の出席だったと報告を受けた。
現地マスコミ報告会が終わって、会場のホテルから出ようとすると、外は雨。かなりの降り。たちまちに、34度ほどあった気温が、26度にまで下がる。
ホテルの部屋で暫く外の様子を見ていると、間もなく雨が上がったので、ホテルの近くのスーパーに買い物に出掛けることにした。
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<またも、雨が降って来た>

目的はミャンマーで取れる特殊な果物イェヨーをジュースにした薬用ドリンク。元保健省伝統医療局長のティンニュントさんに教えてもらった。
東京の知人にお土産にあげたとことる気に入ってくれたので今回も買おうと考えたのだ。さんざん探しまわって、ホテルの近くのスーパーで売っているのを見つけた。
ところが、このあてにしていた店に行ってみると、何とシャッターが下がり張り紙がしてあるではないか。やはり、ここでも地上げにでもあったのか。ヤンゴンの至る所で、古い建物の取り壊しが進行中だ。焦って、最近出来た別のスーパーも覗いてみるがない。もう一つのショッピングセンターをダメモトで覗いてみるが、ミャンマーは小規模な商店が多く一般に品揃えはお粗末。
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<閉まったシャッター、いつものスーパーが廃業?>

結局、15店程も調べて歩いて収穫はゼロ。
途中、屋台で日本の寿司がパックになって売られているのを発見。そう言えば数か月前にも、同じような屋台を見つけたがこことは別の店。パックも違う。外国人が買い物をするような場所ではないので買うのは地元の人の筈だ。面白がって、カメラを向けると買ってよと迫られ慌てて退散。お陰で値段をチェックしそびれたが100円程度の筈。
肝心の薬用ジュースは手に入らず、へとへとに疲れて、ホテルに戻って来た。ドアマンに張り紙の写真を見せると、「棚卸しのため今日だけ休業で閉店ではありません」って言われた。何だそうだったのか。
夜は、中嶋職員、ティンニュントさんの3人で置き薬プロジェクトの作戦会議。
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<路上で売られていた海苔巻!>

09時15分 ホテル出発
10時 第2回目の現地マスコミ報告会
12時半 MILI幹部と打合せ
17時半 ホテル出発
18時半 ティンニュントさん
ヤンゴンに戻り、マッサージ学校事業を打合せ [2015年04月26日(Sun)]
4月26日(日曜日)
朝7時、ホテルにチャーリーさんに来てもらい朝食を取りながら打合せ。
フルフェイスのヘルメットを持っていたので「バイクライダーの神父さん」と冷やかすと、バイクタクシーに載るときの必需品なんで、とはにかんだ。
彼は、カンボジアの聾唖者青年の支援組織DDP(Deaf Development Program)の責任者の米国人神父である。昨日中には会う時間がなく、私は今日午前の便でヤンゴンに戻らねばならない。そこで、日曜日のミサに出かける直前の時間をもらい、神父に私のホテルに来てもらったという訳だ。
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<チャーリー神父はヘルメットを持ってバイク通勤?>

私の方も、8時半には空港に向けて出発しないと行けないので、打合せに使える時間は1時間半しかない。
先ずは、3月8日の日曜日のWoman's Dayというイベントの際に、美容サロン経営のケマラさんの協力で行われた聾唖の女性たちのための美容講習のデモンストレーションについて聾唖者側の感想を聞く。
おおよその様子は昨晩ケムラさんから聞いてはいたのだが、思った以上に盛況で聴覚障害を持った女性たちの反響は極めて大きなものであったことが分かった。
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<雨の中でも二人乗り>

ケムラさんも、今後の取組みを継続することを約束してくれており、その意味では、今回のイベントで、今後の聴覚障害女性の美容師の誕生という夢の実現に向けて大きな一歩が記されたと言って良さそうだ。
慌ただしく、打合せを終えてソルヤ君の車で空港に向けて出発する。すると雨になった。カンボジアでも、ミャンマー同様、水祭りと仏教正月が過ぎると雨季が近づくようだ。
チャーリーさん、バイクタクシーでミサを行う教会に出かけると言っていたが、この雨の中、どうしたかしらん。幸いなことに、この雨も一時的なものだったようで、空港に着く頃には止んでいた。
飛行機から見た上空は、雲の様子から見る限りは積乱雲が出て、日本で言う夏空だった。
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<夏空?を飛ぶ>

ヤンゴンに舞い戻って来た。週末なので、今日は日本財団ヤンゴン事務所の車は使わず、一般のタクシーを利用。空港の案内カウンターで申し込むと、何と8000チャットだった。えっ。確かこの間まで8000チャットだった筈。対ドルレートが良くなった訳でもないのに、値下がり?
ホテルに戻り、一休みしていると突然の雨。それまで29度だった外の気温計が、一挙に23度にまで下がったのにはびっくり。いよいよ雨季が近づいて来たようだ。
時間になったので、会議室に行くと、既に、日本財団の中嶋チームリーダーを始め、MIKIの創設者で且つミャンマー盲人協会会長でもあるアウンコさんや、経営コンサルタントの傍ら盲人マッサージ店Genkyを運営する西垣さんらが集まっていた。
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<突然の雨に走る人たち>

そして、マンダレーから来てくれたアウンミン医師が加わり会議が始まった。
テーマは、視覚障害者のマッサージ学校。西垣さんの会社にお願いして、盲学校やマッサージクリニックの視覚障害者を対象に、先月、市場調査をお願いしていたのだ。
西垣さんの会社の副社長のイーさんが調査結果というより、それに基づく、レコメンデーションのような内容を報告。
それを受けて、一期生の定員、カリキュラム構成、履修機関、その間の待遇、補修事業など今後の運営に拘る基本事項を次々と決めて行く。
会議を終えて、用事があると引き上げたアウンコさんやイーさんを除くメンバーで、夕食を取った。
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<市内を走る車に面白いステッカー、まるで人が覗いているよう>

07時チャーリー神父
08時半 ホテル出発
10時30分  プノンペン発
11時40分 バンコク着
13時05分 バンコク発
14時00分 ヤンゴン着
17時半 視覚障害者用マッサージ学校事業打合せ
19時 関係者夕食会
またまた、大ちょんぼ [2015年04月25日(Sat)]
4月25日(土曜日)
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<私の朝食はいつもモヒンガー>

今日は土曜日。朝、6時半に起きてホテルのレストランで朝食。このホテルでの私の朝食は、いつもミャンマーの国民食モヒンガー。
以前は、モヒンガーはウェイトレスに作ってもらっていたのだが、その作り方を教えてもらってからは、自分で作るようになった。尤も、作ると言っても、具を乗せてスープをかけるだけなのだが、、。
7時半にホテルを出てタクシーで空港へ。本来ならば週明け月曜日の記者報告会に備えて、週末はゆっくりミャンマー語でのスピーチの練習をしたいところだが、この週末を利用して一泊二日の予定でプノンペンを往復するのだ。
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<モヒンガ作りの材料が乗せられたコーナー>

ヤンゴン空港の待ち合いラウンジで、ミャンマー最大の伝統医薬品メーカー、FAME社のキンマウンルウィン社長夫妻とばったり。FAME社とは、カレン州での薬草栽培事業で色々なやり取りがあり、最近では、NISVAの技能ボランティアの派遣先としても親しくしているミャンマーのパートナーである。これから、会議でプレゼンテーションするためにシンガポールへ行くのだという。
しかし、実はこの時、私はそれどころではなかった。これから、向かうカンボジアへの入国に必要な電子ビザのハードコピーを忘れてきたことを思い出したからだ。
というのも、今回はただ、一泊だけの出張ということで、最小限の荷物だけで飛び出したために、うっかり、ビザのハードコピーをヤンゴンのホテルに置いて来てしまったのだ。
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<バンコクのラウンジの受付で印刷してもらうことが出来た>

幸い、東京に連絡して週末にも拘らず自宅にいた立石君らにお願いし、電子ビザのコピーをメールで急送してもらうことに成功。あとは、これを印刷しさえすれば良い。そこで、ヤンゴンの空港で印刷してもらおうと試みるが失敗。
そこで、バンコクの空港のラウンジに受付嬢にお願いしたところ、事務所のパソコンと印刷機を借り手印刷することが出来た。やれやれ。それにしても、このところの失敗続きはどうしたものだろうか。アルツハイマー?
電子ビザのコピーが手に入ったので、バンコクからプノンペンへのフライトの中では漸くリラックスして新聞を読むことが出来た。
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<チャランポーン社長の決意を報じる英字紙>

この機内で読んだ英字紙によれば、先月、国際民間航空機関(ICAO)から重大な安全管理上の問題を指摘され日本などの政府機関から路線の新設をストップされるという状況に至っていたタイ国際航空の社長が年内にアジア太平洋地域で最も安全なエアラインを目指すと発言。このフライトこそ、同社便ではなかったものの、タイ国際航空を頻繁に利用する私としては心強いものであった。
ただ、ふと気が付いた同社の社長の名前はチャランポーン。「む、チャランポランではなくて良かった」
プノンペン空港ではいつものソルヤ君が迎えに来てくれていた。
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<プノンペン空港>

ホテルにチェックインする時間がないので、そのまま、中学校の教員養成所の学生に対する奨学金の供与や、放送を利用した英語教育事業を実施するために日本財団が作ったNGOであるESC-Kizunaへ直行。
北野事務局長らと雑談するうち、篠原元駐プノンペン日本大使が到着。監事の木村さんや副会長で理事であるレンセンハック教育省教員養成局長が集まり理事会が始まった。会長で官房副長官のブンサンボさんは、フンセン首相とマレーシアでのASEANサミットで外遊中のため欠席とか。
いよいよ、年内に迫った英語教育事業の終了と政府への移管を巡る手順などにつき相談。夜は、美容サロンを経営する女性社会起業家であるケムラさんや、クメール伝統医療事業を行っている高田さんなども加わりクメール料理のレストランで夕食会。
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<ESCで理事会>

07時30分 ホテル出発
09時25分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
13時40分 バンコク発
14時50分 プノンペン着
16時 ESC理事会
18時 関係者夕食会
20時 ESC北野事務局長
ネピドーへ日帰り [2015年04月24日(Fri)]
4月24日(金曜日)
今日は保健大臣と面談するためネピドーへ日帰りする日。
早朝5時、ホテルのロビーで昨日の午後便で日本からやって来ていた日本財団の中嶋職員と待ち合わせ、タクシーに乗って出発。保健大臣との面談が決まったので、この機会に国境省との公務員研修についての協議を急遽挿入することになった。そこで、空港への途中、この事業でのアドバイザーで外務省OBのエルウィンさんを自宅でピックアップし、空港へ。
空港の国内線ターミナルで、保健大臣との協議をセットアップしてくれた元保健省伝統医療局長のティンニュント博士と合流。4人で7時発のネピドー行きの飛行機に乗り込む。
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<国内線ターミナル>

9時前にネピドー到着。空港で手配の車に乗る。先ずは、保健大臣との面談まで少し時間があったのでレストランへ行き朝食。腹ごしらえを済ませて保健省へ。指定の時間に行ったのだが、暫く別室で待たされた後、大臣応接室へ。すると、大臣が一人で入って来て挨拶もそこそこに、対面のの席に座りいきなり伝統医療分野を強化したいと話し始めた。
大臣の伝統医療新興にかける熱意に意を強くし、私の方は年末にミャンマー医師会の協力を得て実施した置き薬事業のモニタリングの結果を説明した。そこで明らかになったのは、伝統医療がミャンマーの特に医療過疎地で高いポテンシャルを持っているということ。ところが、置き薬事業の現場では、前大臣時代の粗雑な事業実施体制の下で、様々な問題が生じている。
424ministry.jpg
<保健省玄関には噴水>

そこで、それらの事実を指摘するとともに、大統領の求める全国全村配布を行うためには、これら問題点の解消が前提と指摘した。すると、大臣は、何でも協力するので遠慮なく要求して欲しいと言明。そこにいたティンユントさんを中心に保健省伝統医療局と協力して、新たな事業計画を練り直すことになった。
あとで、ティンユントさんが教えてくれたところによると、我々が待たされていた間、彼は大臣から一人呼ばれて、伝統医療政策についてアドバイスを求められていたのだった。彼が大臣に如何に信頼されているかが良く分かるエピソードであった。
年末に総選挙を控え、残された半年余りの時間に、何とか出来る限りの対策を打ちたいというタンアウン大臣の強い決意に感銘を受けて我々は保健省を後にした。
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<タンアウン保健大臣と会議を終えてもしばし立ち話(中嶋職員撮影)>

再び、朝食を取ったレストランに戻り昼食の後、今度は国境省に向かった。懸案の国境省との公務員研修についての評価レポートを督促するのが主たる目的。サンシュエアウン局長と面談。
保健大臣との面談とは対照的に、局長との会議は、大勢の部下同席の下での大会議となった。私の方は、日本財団の事業の手順と、そこでの実績評価の重要性を説明、早期のレポートの提出を督促したところ、局長は期日までの提出を約束してくれた。また、局長からは国境大臣の意向として同省幹部の滞日研修の可能性を打診された。
424MBA.jpg
<国境省でサンシュエアウン局長以下と大会議(中嶋職員撮影)>

国境省の会議を終えて、我々はヤンゴンに戻るべく、空港に向かった。途中、ショッピングセンターに立ち寄った。ミャンマーは国内物流が未発展のせいであろう、各地の物産の価格差が大きい。即ち、大消費地のヤンゴンに比べて生産地で購入するとかなり安く買えるのだ。
今回も、私はシャン州産の白ワイン、ティンニュントさんらはマンゴーを買い込んだ。雨季が近づき、マンゴーは出始めたばかりだが、ヤンゴンで700チャットするものを、ネピドーでは400チャットの由。
ネピドー空港は相変わらずガラガラだった。機内持ち込み制限を心配したワインだったが、難なく通過。
424NPTapt.jpg
<ネピドー空港は相変わらずガラガラ>

ヤンゴンとネピドーを往復する人の数は少なくない筈だが、飛行機はまだまだ高価。一般の人に取っては、陸路でヤンゴン・ネピドー間のハイウェイを往復するのであろう。
前回は、車での往復に付き合ってくれたエルウィンさんが、しみじみ、飛行機の方が楽だし、ずっと、安全だと言った。事実、後で知ったのだがこの翌日、ネピドーとヤンゴンを結ぶハイウェーで大きな事故があった。何と、8人が死亡、14人が負傷したとか。「死のハイウェイ」と呼ばれる所以である。
我々がネピドーにいる間中、天気は快晴。しかし、爽やかな気候で比較的過ごしやすかった。一方、この日のヤンゴンでは雨だったとは帰って来てから聞いた。

05時 ホテル出発
07時00分 ヤンゴン発
08時40分 ネピドー着
11時20分 保健大臣面談伝統医療事業打合せ
12時15分 昼食
13時40分 国境省公務員研修事業打合せ
17時30分 ネピドー発
18時05分 ヤンゴン発
再び、東南アジアへの旅を続ける [2015年04月23日(Thu)]
4月23日(木曜日)
423hotday.jpg
<今日も、ヤンゴンは暑かった>

真夜中過ぎのフライトでバンコクへ。到着は現地時間の午前5時。流石に、この時間では人影は少ない。2時間半ほどの待ち時間をラウンジで過ごす。そして、午前8時前のフライトで飛び立つ。1時間程の短いフライトの末、ヤンゴン空港に到着。
久し振りに日本財団ヤンゴン事務所の間遠職員の車の運転手、メームさんの出迎えを受ける。彼は最近は、薬草事業を担当する間遠職員のアシスタント兼運転手としてカレン州に出かけていることが多く、こうして空港に迎えに来てもらうのは久し振り。水掛祭りの直後で、間遠職員は日本での休暇からまだ戻って来ていないので、彼の車を拝借することになったもの。
現地時間の9時過ぎだが、ヤンゴンの街はもうとても暑かった。ロータリーではスプリンクラーに加えて、ヤンゴン市開発局の職員がホースで水まき。
423watering.jpg
<ロータリーでは水まき>

空港から市内のホテルに向かう道すがら、メームさんと雑談。
彼の一家は、水掛祭りの間は、地方へ家族旅行をしたんだという。とは言え、そこは敬虔な仏教徒のメームさん一家。旅行をしながら各地のお寺に参って参拝していたのだそうな。
途中の大通りの脇に、立派な新築のビルが聳えている。ついに、Novotelが開業したのだ。ヤンゴン市内では2011年の民主化後、国際資本による高級ホテルの建設ラッシュが始まったが、先頭を切って開業したのがこのNovotelであろう。メームさんによれば、一泊300ドル以上もするそうだ。
車は更に南下を続け、セドナホテルの前を通る。ここでも、セドナホテルの別棟が建設中。高層ビルが完成に近づいていた。
423Novotel.jpg
<Novotelが開業していた>

そのすぐ脇には、ベトナム資本による極めて大規模な再開発が進行中。
ここも年内の完成を目指しているのだとか。ホテルとオフィスビルからなる複数のビルコンプレックスである。
しかし、これほどのオフィススペースが一挙に供給されるとなると、ヤンゴンの事務所の需給バランスは一体どうなるのだろうか。これほど大規模ではないにしても、市内のあちこちでビルの建設が進んで来ていることを考えると、不動産ブームは間もなく新たな局面を迎えることになろう。
メームさんによれば、住宅地の地価は今もなお高止まりしているが、取引は殆どなくなってしまい、名目的な価格になっているのだそうだ。
426construction.jpg
<セドナホテル前の大規模な再開発も完成近づく>

午後3時、ミャンマー障害者自立生活運動(MILI)の幹部たち3人がホテルに来てくれた。月曜日のマスコミ報告会でのプレゼンテーションについて色々アドバイス。
また、福祉タクシーやインキュベーションセンターなどのビジネス活動の売り上げが、昨年度、5000万チャットと日本円にすると約600万円にまで達したということで、大幅な余剰資金の使途について相談を受ける。初年度にして、売り上げが既に600万円とは嬉しい限り。改めて、MILIのメンバーの実行力に感服。
5時半になって打合せは終わったのだが、ホテルのラウンジではハッピーアワーの時間が始まった。ビールやワインが飲み放題と説明すると、本当は約束があったそうなのだがそっちはキャンセル。結局、4人で楽しい飲み会となってしまった。
423happyhour.jpg
<ハッピーアワー>

00時25分 羽田発
05時00分 バンコク着
07時55分 バンコク発
08時50分 ヤンゴン着
15時 MILIリーダー打合せ
17時半 夕食会 
羽田へ舞い戻るが、、、 [2015年04月22日(Wed)]
4月22日(水曜日)
422dawn.jpg
<上空1万メートルの夜明け>

早朝7時、羽田に到着。羽田のロビーには、先月までの吉野の桜に変わって、早くも五月人形が飾られていた。
空港から自宅に直行し、着替えをして日本財団に向かった。いくつかの打合せや会議の後、午後5時半ころ、財団を出て帰宅。夕食の後、別のスーツケースを持って、今朝着いたばかりの再び羽田空港に向かった。
夜中の便でバンコクに飛び、そこでヤンゴン行きに乗り換えるのだ。
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<羽田のロビーには早くも五月人形>

07時10分 羽田着
10時半 打合せ
11時半 会議
12時 理事会議
17時半 日本財団出発
21時 自宅出発


インドネシア盲人協会訪問 [2015年04月21日(Tue)]
4月21日(火曜日)
アジア・ベンチャー・フィランソロフィー・ネットワーク(AVPN)は今日から一般会議。だが、私は、7時半に、一人でホテルを出発。インドネシアのジャカルタに向かった。インドネシア盲人連盟(Pertuni)を訪問するためである。
前回のジャカルタ訪問では、入国ビザの取得に大変な時間がかかり、閉口したので、今回は事前にPertuniに招待状を発行してもらい、それによって1年間のマルチのビザを入手していたので入国ゲートを無事通過することが出来た。空港にはPertuniの第二副会長のマーレッタさんが迎えに来てくれているとのことだったが、出口を出てもそれらしき人の姿が無い。ただ、出口がもう一カ所あったことを思い出し、念のためにとそちらの方に向かって行くと、Pertuniと手書きのボール紙を抱えた男性を発見。あれっ、マーレッタさんは女性だと思っていたが、と声をかけると彼は運転手だった。慌てて、もう一つの出口にマーレッタさんを呼びに行ってくれ、無事、彼女と合流することが出来た。
心配していた渋滞に巻き込まれることなく、1時半程でインドネシア盲人連盟(Pertuni)本部に到着。
421Pertuni.jpg
<ここがPertuniの入り口>

Pertuniの本部では会長のアリアさんを始め、第一副会長のリナさんや書記長のフルコンさんらが待っていてくれた。
予定より早めについたので、バンドンから駆けつけてくれる予定の第三副会長のトリさんを待つ間、事務所のお手伝いさんが作ってくれた昼食を取りながら雑談。会長のアリアさんと私は旧知の中だが、あとのメンバーとは初対面。面白いことに、会長のアリアさんを始め、二人の副会長は女性。この3人は英語が堪能だが、他の男性幹部は余り出来ないので、会話は専ら女性3人が主導。
今回の私の訪問の主たる目的は盲人用マッサージ学校の設立に関するもの。アリアさんから日本財団としての支援の可能性を問い合わせるメールが届いたのが2ヶ月程前。ちょうど、ミャンマーでの同様の学校の新設事業と重なる点が多いことと、日本財団として、インドネシアでの新たな事業展開を検討していたところであったこと、シンガポールのAVPNでのプレゼンテーションの予定があったとことから、私はジャカルタ行きを決めた次第。
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<Pertuniの幹部たちと会議>

元々、日本財団はICEVI(国際視覚障害者教育評議会)を通じてインドネシアを含むアジア各地で盲人大学生の教育支援事業を展開して来た。
その時、アリアさんはPertuniの副会長の一人であると同時に、ジャカルタに本拠を置くミトラネトラというPertuniの下部組織の責任者として、この事業の担当者であった。その時も、彼女は大学進学者はインドネシアでは少数で、視覚障害者支援ではマッサージが有効と力説していたのを思い出す。あれは、「5-6年前でしたっけ」と言ったところ、「いいえ、2006年ですから、もう9年前になります」とアリアさんに訂正されてしまった。
間もなく、部門の責任者である第三副会長のトリ・バギオさんが現れた。あのバンドンからわざわざやって来てくれたのだ。インドネシアではバンドン会議60周年記念の行事が先日から始まっている。明日は、安倍首相も参加する首脳会議が始まる。
トリ・バギオさんが加わって、ミーティングが始まった。
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<細い路地を抜ける>

インドネシア盲人連盟(Pertuni)はインドネシアの視覚障害者団体の全国組織であり、傘下に全国33州220の団体を抱えている。彼らに取っての、現在の大きな課題が視覚障害者の就業支援である。視覚障害者で職業を持つ人の約7割がマッサージ業で生計を立てているが、問題はその収入が小さく安定していないこと。
その原因は、政府の福祉事務所が行う盲人マッサージ教育の質が低く、マッサージ師の技術レベルが不十分である上、最近は、健常者によるマッサージが増えて競争が厳しくなっていることにある。
そこで、Pertuniとしてはしっかりしたマッサージ教育を行うべく盲人用マッサージ学校を設立することにし、先ずは日本財団に支援の可能性を打診した、ということだ。
日本財団のミャンマーでの盲人用マッサージ教育事業の基本的な考え方、カリキュラムの内容、その進捗状況などを私の方から説明した。
その基本にあるのは、それぞれの国に本来存在している伝統医療技術体系のなかにあるマッサージ技術の再建を軸に、近代医学とも連携した医療補助技術としてのマッサージである。
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<現在営業中との看板>

日本や中国、タイなど外国のマッサージ技術を安易に導入するのではない。また近年、各国で盛行しているリラクゼーションのためのマッサージとも異なるものだ。これに対し、アリアさんたちからは、それこそがPertuniが望んでいるものであり、是非、ミャンマーの学校とも提携して行きたいとの意思表明があった。
会議の後、Pertuni本部の近くにある盲人マッサージクリニックを視察させてもらうことになった。
貧しい路地を抜けた粗末な民家にマッサージクリニックがあった。現在営業中との看板が出ていたがお客さんの姿はなかった。料金表によると、マッサージ代は40万ルピーと400円ほど。自宅への出張サービスの場合は500円。ただ、一日のお客さんは多い時で2人。全くお客さんが来ない日もあると言う。先々週、ヤンゴンで訪問したミャンマー盲人協会経営のユメアイクリニックとは大きな違いだ。
クリニックの視察を終えてPertuniに戻り、暫し、懇談の後空港へ向かった。今日の夜行便で日本へ戻らねばならない。
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<路地にいた子猫>

07時半 ホテル出発
09時25分 シンガポール発
10時10分 ジャカルタ着
11時半 Pretuni訪問
13時 アリアさんらと打合せ
15時半 マッサージクリニック訪問
17時  Pretuni出発
21時25分 ジャカルタ発
AVPNでプレゼンテーション [2015年04月20日(Mon)]
4月20日(月曜日) 
朝起きて、今日午後のプレゼンの準備などをするうち、朝10時になった。ホテルのロビーで国立シンガポール大学のリークアンユー公共政策大学院のルイーズさんとヘイさんに会う。
日本財団の助成でミャンマーで実施中の、少数民族を主体にした辺境地方の公務員の研修事業について打合せをするのが目的だ。
午後からのプレゼンの場所も同じ国立シンガポール大学のキャンパスなので、てっきり同じ場所かと思い、打合せには好都合と考えていた。ところが、彼らが所属するリークアンユー公共政策大学院のあるのはブキティマキャンパス。これに対し、今回、AVPNの会議が開かれるのはUTownと呼ばれるメインキャンパス、と言う訳で両者は大きく離れている。土地に不案内の私が双方を往復するよりはと、彼らの方からホテルまで来てくれることになったのだ。
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<国立シンガポール大学のメインキャンパスUTown>

公務員研修事業についての打合せを終えて、午後1時半、ホテルの前からタクシーを拾い、UTownに向かった。大学のキャンパスは、広い上に緑地帯を縦横に道路が横切っている。案の定、タクシーはキャンパスの中で右往左往。私が、GoogleMapを参照しながらナビゲーション。やっとの思いで会場に到着。
APVNの幹部で私の出るセッションをしかしてくれる慶応大学の伊藤さんに会い、彼と一緒に、主催者代表であるダグラス・ミラーさんらとミーティング。日本財団のベンチャーフィランソロフィーへの基本的な考え方や、現在の取組み状況、この後の連携の可能性などになどについて話しあった。
その後、3時半から階段教室のような別室で日本に関するセッションが始まった。
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<NUSUTownに設けられたAVPNの会場>

伊藤さんの司会のもと、私の他、三菱商事の環境・CSR推進部の野島部長や、かものはしプロジェクト代表の本木さんの2人がプレゼンテーションしたあと、聴衆と質疑応答を行った。
ベンチャーフィランソロフィーという考え方は近年になって、ベンチャービジネスの分野で活躍して来た人たちの間から生まれた慈善活動に対する支援の方法である。従来から、国家や地方公共団体、国際機関、助成財団などが行って来た、事業毎に単年度で助成金を供与する支援の方式に代えて、ベンチャーファンドが新興のビジネスを支援するように、もっと長期の視点で、事業目的を実現出来るように資金的な支援だけではなく、経営指導なのにまで関与する新しい支援の仕方である。
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<日本財団の事業についてプレゼンテーション(立石職員撮影)>

しかし、私は、日本財団が従来からも主に海外で行って来た支援には、このような発想に基づくものが少なくないこと、更には、最近になって、このようなスキームを国内でも展開出来るようにベンチャーフィランソロフィーファンドを設置したこと。更には、障害者支援の観点で、低利融資や事業インキュベーションの試みを始めていることなどを紹介した。
夜は7時に日本料理店で、立石職員、トマスさんに聴覚障害者のシンガポール人の若者ユーウェンさんを加えた4人で食事をした。ユーウェンさんはIDPP(障害者公共政策大学院)に籍を置いていたことがある優秀な若者なのだが、事情があって一旦中断したのだが、今回、再チャレンジの希望を持っている。彼とは、携帯電話の画面を使って筆談をしながらも、日本酒と日本から運ばれて来た魚介類で話が盛り上がった。

10時 LKYルイーズさん
13時半 ホテル出発
14時45分 APVNミラー会長
15時半 プレゼンテーション
19時 ユーウェンさん 
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