CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2015年02月 | Main | 2015年04月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2015年03月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
ロンドン経由で帰国 [2015年03月28日(Sat)]
3月28日(土曜日)
飛行機が降下を始める。するとそこは厚い雲の中、機体が大きく揺れる。ふと、フランスで遭難したジャーマンウィングス機の乗客たちのことを思った。
定刻ピッタリの午後4時に羽田到着。
着いてみると、外は快晴、気温は19度だった。機内のアナウンスによれば、いよいよ桜が咲き始めたとか。満開予想は明後日の30日。
羽田空港のチェックイン荷物の引き取りカウンターでは、パリからの連絡を受けて、航空会社の係員が待ち構えていた。早速、破損したスーツケースの補修について相談。破損の程度が大きいので、これ以上の修理は無理との判断。後日、代替品をもらうことにする。
328Haneda.jpg
<羽田に到着>

16時00分 羽田着
ジュネーブのスーパーにもお寿司 [2015年03月27日(Fri)]
3月27日(金曜日)
元々の予定にはなかったのだが、朝8時半ホテルを出発し、UNITAR(国連訓練調査研究所)に向かった。と言うのも、今回、WEFへ取りついでもらうなどでお世話になったガレーゴス大使が熱心に勧めてくれたからだ。
UNITAR(国連訓練調査研究所)が入るのは欧州国連本部の本部ビル。現地ではパレデナシオン(Palais des Nations)と呼ばれている大変荘重な門構えの場所だ。ここは、いつもWHOに行く前に通っていたので、いわば馴染みの場所だが、中に入るのは今回が初めて。
ところが、約束の時間の5分前にゲートの前に来て初めてここが指定された入り口ではなかったことに気が付いた。アシスタントのエイミーさんからは国際赤十字前の入り口を指定されていたのだった。
327morning.jpg
<ジュネーブの朝>

慌てて、正面入り口を回り込み、赤十字本部の前の入り口に急ぐ。
今日は、国連人権理事会の最終日とかで、広々としたこのゲートでも多くの車で混み合っていた。しかも、歩行者用入り口も見物客なのか大勢の人で溢れている。それでも難なくエイミーさんを見つけることが出来た。というのも、彼女の方から手を振ってくれたのだ。焦った顔で駆けつけた初老の東洋人に見当をつけたのだろうか。
彼女の案内で約束の会議室に急いだ。そこには、所長で国連の事務局長補佐を兼ねるフィーガンワイレス女史が待ち構えていた。ガレーゴス大使が紹介してくれたエクアドル人で女史の補佐官であるアレックスメヒアさんも入れた4人で、共同事業の可能性を話し合った。障害者団体が国連機関で活動するためのオリエンテーションなどで協力してもらうことも出来そうだ。
327UNgate.jpg
<国連訓練調査研究所の入る建物のある国連入り口>

一旦、ホテルに戻った後、今度は、レマン湖を臨む湖畔の大通りに面したビルの中にある国連障害者問題特使本部を訪問した。昨年の11月に一回訪れているのだが、その時は日本財団の石井部長と一緒だったので、自分で探した訳ではないので場所の記憶がはっきりしない。ビルの入り口を探してまごついていると、後ろから私の名前を呼び人がいる。驚いて振り返ると、モレノさんのお嬢さんのイリーナさんだった。
今年の6月にニューヨークで開かれる国連障害者権利条約の締結国会議のサイドイベントでのモレノさんの出席を要請、快諾を得た。
さあ、急いでホテルに戻りチェックアウトして空港へ急がねばならない。
朝から何も食べていなかったので、その前に腹ごしらえをと思い、ジュネーブ駅のスーパーへ。
327sushi.jpg
<スーパーのお惣菜コーナーに並ぶ様々なお寿司のセット>

スーパーのお惣菜コーナーには様々なお寿司のセットが並んでいた。
最近は、ワシントンでも、パリでも、バンコクやヤンゴンでさえも、スーパーなどでお寿司のセットが売られている。もうこうなると、お寿司はエキゾチックな料理ではなく、ピザやハンバーガーのような国際食になったのかもしれない。
それにしても、ここのは種類が多い。どの寿司も美味しそうだったが、迷った末、私はピザパンを一つ買ってホテルへ戻った。
着替えをした後、ピザパンをかじりながら荷物をまとめてホテルをチェックアウト。
327rail.jpg
<ジュネーブ中央駅から空港へは列車を利用>

空港へは、ジュネーブ中央駅から列車を利用。と言っても、切符を買った訳ではない。ホテルにチェックインした際にもらった無料パスがあるからだ。ジュネーブでは、外国からの旅行者は、滞在期間中の公共交通機関がタダになるパスを無料で手に入れることが出来る。結局、今回は、フリーパスをフル活用、タクシーに乗ったのは一回だけ、WEFの事務所への行きのみ。
午後3時半発のロンドン便で、離陸の直前、ジュネーブ空港にアメリカ政府専用機のエアフォースワンが停まっているのが見えた。そう言えば、テレビのニュースで国連人権理事会に出席するためケリー国務長官がジュネーブ入りするとか言ってたような。
ロンドンでは3時間程の待ち合わせで、羽田行きに乗継いだ。
327AirforceOne.jpg
<ジュネーブ空港にはエアフォースワン>

08時半 ホテル出発
09時 国連訓練調査研究所
11時 モレノ国連障害者問題担当特別代表事務所
15時25分 ジュネーブ発
16時05分 ロンドン着
19時00分 ロンドン発
ジュネーブでWEFの本部を訪問する [2015年03月26日(Thu)]
3月26日(木曜日)
326morning.jpg
<パリ・リヨン駅の朝>

朝6時半、ホテルをチェックアウト。歩いて数分のパリ・リヨン駅に向かう。ここから、TGVに乗りジュネーブに向かうのだ。
ジュネーブに行く理由は、もともと、世界経済フォーラム(WEF)事務局から打合せにこないかとの誘いが入ったからだが、それに二つの打合せを加えた。一つは、国連障害者問題担当大使のモレノさんの事務所訪問と、WHOの障害問題担当官であるチャパルさんとの打合せだ。それに、もう一つ。必ずしも、仕事に直結する話ではないが、ずっと昔、UNEPでの笹川環境賞時代に一緒に仕事をしていたコンサルタントのアティフさんが、今はジュネーブに住んでおり、久し振りに連絡を取ったところ、是非、一緒に夕食をということになったのだ。
326GaredeLyon.jpg
<パリ・リヨン駅構内TGVの車両が並ぶ>

リヨン駅にの構内には、TGVの車両がたくさん並んでいた。日本の多くの駅とは異なり、ヨーロッパの鉄道駅は主要駅の多くはターミナル形式だ。すなわち、始発駅や執着駅のようになっているのだ。そして、ホームは幾つもあって、電車が停まっている。
だが、リヨン駅の場合は、どれが乗るべき電車なのか、即ち、出発ホームがどれかは、出発時刻の15分か20分前になるまでは知らされない。乗客はみんな掲示板の前で忍耐強く待つのだ。このような方式の意味は正直良く分からない。
途中駅ならいざ知らず、今回のように始発列車ならもっと早くホームは分かっている筈で、乗客にも早く知らせた方が良いように思えるのだが、、、。
326billboard.jpg
<車線番号が知らされるのは20分前になってから>

TGV車内はほぼ満席だった。前回、同じルートをこの列車で行ったのだが、そんなに混んでいなかったように思う。ひょっとすると,一昨日の墜落事故で、ヨーロッパ域内の短距離は飛行機より列車でと切り替えた人がいたかもしれない。
TGVは美しい田園地帯を走り抜け、3時間程でジュネーブ駅に到着した。
今回は、駅前のホテルに宿を取ったので、徒歩でホテルへ。チェックインまで時間があるというので、荷物を預かってもらい、先ずはWEF(世界経済フォーラム事務局)へ直行することに。
WEFは世界の著名人が集まることで有名なダボスシンポジウムの開催母体である。2ヶ月程前にメールをくれたWEF事務局の財団セクター担当部長であるテリー・トヨタさんとの約束は教の12時。
326Ladscape.jpg
<美しい田園地帯を走る>

ぐずぐずしている暇はないので、駅前に停まっていたタクシーに飛び乗る。
この話は一年半前、当時、在ジュネーブ国連本部のエクアドル政府代表部大使であったガレーゴスさんの紹介で、WEFに手紙を出したことに始まる。
その中で、世界の有力な助成財団がダボスの場に集まって、助成に当たって障害者の無条件の参加を認めるという宣言をしようという提案をしたのだ。
その手紙に対する直接の返事はなかったが、ガレーゴス大使を通じて、2,3回のやり取りがあり、今回、トヨタさんからジュネーブで直接あって話をしようという提案があったのだ。
326Geneva.jpg
<ジュネーブ駅に着いた>

WEF事務局はジュネーブ郊外のレマン湖が展望出来る美しい場所にあるモダンな建物だった。
初対面のトヨタさんは、小柄なカナダ人日系3世の女性。日本には何度も行っているが日本語は出来ないのだという。
事務局からほど近い小さな村の小さなレストランで食事をしながら打合せ、色々貴重などバイスをもらうことが出来た。東京事務所とも連絡を取り、今後も相談を続けることになった。
世界経済フォーラム(WEF)事務局からの帰りは、バスに乗った。ホテルに戻りチェックインして、WHOの障害者問題担当官であるチャパルさんの来訪を待った。
326WEF.jpg
<世界経済フォーラム(WEF)事務局>

彼とは、昨年、WHOの主導で始まった障害者用アクセシブルテクノロジーに関するグローバルアライアンスの会議に招待され親しくなった。今回は、その後の動きや彼自身の計画について教えてもらうとともに、日本財団が障害者問題で企画している様々な事業について説明し、その進め方について国際機関の専門家の立場からの助言をもらった。
夕方には、そこに、アティフさんが加わり、3人で中央駅にほど近いレストランで食事を取った。アメリカ国籍のアティフさんは、お嬢さんの病気の治療をきっかけにジュネーブに移り住み、今は、オランダの大学のアドバイザーをしているそうだ。普段は、家族をジュネーブに残してオランダにで働いているのだが、今回は私が来るというのでわざわざ休みを取ってジュネーブに帰って来てくれたのだという。
326busstop.jpg
<WEF事務局はジュネーブ郊外の小さな村にあった>

ワインに詳しい彼のアドバイスで、美味しいワインで楽しい食事となった。彼の名前もそうだが、風貌も中東人の風格を漂わせている。思わず「お酒を飲んで大丈夫なの」と突っ込みたくなるところだが、彼はニューヨーク生まれのれっきとしたアメリカ人。
高等教育もアメリカで受け、アメリカ的価値観と、アメリカ的発想を持つ。アメリカ文化そのものなのだが、現在、彼がオランダの大学で計画しているのは、若い人々に宗教や文化、伝統を多面的に見ることの出来る国際コースなのだそうだ。複数の文化を背景に持つ彼自身も「諸文化間の和解」を目指して奮闘しているようなのだった。

06時半 ホテル出発
07時09分 パリ・リヨン駅発
10時16分 ジュネーブ着
12時 WEF本部訪問
15時 WHOチャパルさん
17時半 アティフさん
18時半 夕食
UNESCOでの会議第2日 [2015年03月25日(Wed)]
3月25日(水曜日)
324tragedy.jpg
<テレビは専ら飛行機事故のニュース>

時差があるので、明け方前に目が覚める。
テレビをつけると、ニュースは昨日同様、専ら昨日の飛行機事故。
今も、事故原因は不明。テロの可能性は小さくなってきており、墜落の原因を巡って、むしろ謎が深まるばかりだという。
今朝は、昨日とUNESCOへのルートを変えてみる。セーヌ川を渡り、反対側のオステルリッツ駅から地下鉄に乗る。このコースなら、地下鉄を2回乗り換えることなく、直通になるので時間が節約出来ると思ったからだ。
325morning.jpg
<セーヌ川を渡る>

UNESCO事務局で再び「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合に参加。昼食は、昨日に続いてバネルジー知識社会部長と待ち合わせて、一緒に外のレストランへ。昨日、まだまだ、話したいことが残ってしまい、今日も、昼食を取りながらミーティングをしようと取り決めたのだ。
障害者にとってのIT教育の有効性とそれによる就業機会の可能性増大、そして具体的な支援のありかたなどを熱心に語るので、幾ら時間があっても足りない。
再会と、今後も連絡を取り合うことを約し、後ろ髪を引かれる思いでレストランを後にした。
325UNESCOmtg.jpg
<専門家会合第2日目>

第5セッションの後、一時、専門家会合を抜けて、UNESCO事務局のユースフォーラム担当のシュシリク課長と打合せを行った。
5時半に専門家会合が終わった後は、国連平和大学から出張して来ていたローレルさんと、シュシリク課長との打合せに基づき、奨学金事業について確認。彼女は、明日もパリに残り、シュシリク課長らと打合せをすることになっている。
UNESCOでの会議を終えて、ホテルに戻る途中の道で、アスファルトの路面に「私はシャルル」の落書きがあるのを見つけた。
325Jesuis.jpg
<「私はシャルリ」の落書き>

昨日今日との二日間に亘る会議のテーマ「諸文化間の和解」の中で繰り返し論じられたのはキリスト教文化とイスラム教文化の間の和解の問題であった。
ホテルに戻り、テレビをつけると、再び、飛行機事故のニュース。イスラム教徒によるテロの可能性は余り大きくないようだが、フランスのテレビは、歴史的繋がりから、アラブや中東での出来事のウエイトが日本などとは比較にならない程大きい。
昨日と今日の会議には、私以外に日本路はおらず、中国人も韓国人もいなかった。キリスト教文化とイスラム教文化の間の和解に日本など東アジアの国の出る幕はないのかもしれない。
324rainySeine.jpg
<帰り道、再びセーヌ川を渡る>

08時半  ホテル出発
09時半 国連平和大学ローレルさん打合せ
09時45分 「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合第2日
11時00分 第4セッション
13時 UNESCOバネルジー知識社会部長打合せ
14時30分 第5セッション
16時00分 UNESCO事務局シュシリク課長打合せ
17時半 「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合終了
17時半 国連平和大学ローレルさん打合せ
飛行機が落ちた [2015年03月24日(Tue)]
3月24日(火曜日) 
325Gare.jpg
<パリ・リヨン駅の壮麗な建物>

朝8時半、ホテルの外に出る。すると、空模様が怪しい。傘を取りに戻り、傘を持って出かけることにする。出張中は何故かいつも「晴れ男」で、傘を使うことがほとんどない私にとっては珍しいこと。
地下鉄の駅はとても混み合っていた。朝のラッシュ時間だからかも知れないが、それにしてもここまで混んだプラットホームは初めて。なにか事故でもあったのかも知れない。
幸い、間もなく電車がやって来たが、これだけの人が乗り込むと車内はギューギュー詰めになる筈。フランスやヨーロッパの電車で、押し合いへし合う電車というのは記憶に無い。
324UNESCOgate.jpg
<UNESCO本部の朝>

さて、どうするのかと見ていると、立錐の余地がない程、乗客が乗り込んだところで、プラットホームにいた人は乗り込むのをストップ。日本なら押し合って乗るところなのだが、、、。
そして、みんな当然のように次の電車を待ったのだ。
幸いにして、間もなく、やって来た次の電車はさほど混んでいなかったので、問題は解決。
さらに、地下鉄を乗り継いで、向かう途中、構内の乗換え通路で検札に会う。立て続けに、珍しい経験。
私は何故か、「諸文化間の和解」という今日の会議のテーマを思い出していた。
324UNESCOmtg.jpg
< 「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合>

UNESCO事務局の会議室で「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合が始まった。
お昼になると私は、先週バンコクで会った渋谷さんの奥さんのマルシアさんに紹介してもらったバネルジー知識社会部長と待ち合わせて、一緒に外のレストランに向かった。
昨年11月にUNESCOが開催した障害者のためのITC会議などについて話を聞くためである。バネルギーさんが企画の中心人物だったと聞いたのである。彼とは初対面であったにも拘らず話が弾んだ。
食事を終えて、彼の執務室に案内されそこで彼の3人の部下にも会わせてもらった。
324rain.jpg
<外は冷たい雨が降っていた>

食事を終えて事務局に戻り、午後も再び、「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合。午後5j時半、会議を終えて外に出る。すると、冷たい雨が降っていた。かなりの本降りだが傘をささずに歩く人も少なくない。
ホテルに戻る途中の地下鉄駅で下車。昔、パリに住んでいた時から贔屓にしている中華料理屋で一人夕食を取る。35年程も昔のことなのだが、店の構えもオーナー一家も変わらず。ホテルに戻り、テレビを点ける。夜のテレビは専ら、フランス南部の山中に墜落したドイツの飛行機についてのニュースを繰り返していた。
324planecrash.jpg
<飛行機が落ちた>

08時半 ホテル出発
09時半 「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合
10時45分 第1セッション
13時 UNESCOバネルジー知識社会部長打合せ
14時30分 第2セッション
16時00分 第3セッション
パリへ飛ぶ [2015年03月23日(Mon)]
3月23日(月曜日) 
2月中は出張がなかったのに、3月に入って二回目の出張に出ることになった。行き先は、パリとジュネーブ。パリのUNESCOでの会議のあとジュネーブに行き、世界経済フォーラム(WEF)事務局を訪問する。
羽田を飛び立って12時間のフライトの後、シャルルドゴール空港に到着した。昨年の11月に訪ねて以来、4ヶ月振りのパリ。
前回、初めてUNESCOの事務局を訪問したのは、国連平和大学への奨学金の件だったのだが、今回は、この平和教育に関連し、UNESCO本部から「諸文化間の和解の10年」に関する専門家会合に招待されたのだ。
323Paris.jpg
<シャルルドゴール空港に到着8112>

平和教育の専門家でもないし、と一旦は断ったのだが、その後、ジュネーブの世界経済フォーラム(WEF)事務局から打合せに来ないかとの誘いが入ったので、懸案の障害者芸術祭の今後の取組みを考える上で、国連で文化や教育を担当する専門組織であるUNESCO事務局の担当部局と接点を持っておくことも必要かと、この専門家会合に出席することにしたもの。
シャルルドゴール空港で、スーツケースを受け取って頭を抱えた。またもや、角のところが大きく破損している。一週間前、羽田に到着時にスーツケースが破損したばかり。今回は、手持ちの小さい方のスーツケースに代えて出発したのに。
パリは最初の訪問地、まだこれから数日間の旅を続けないといけないのだ。
323brokensuitcase.jpg
<スーツケースの角が破損していた>

航空会社のカウンターで、破損したスーツケースの代わりに、代替品を提供してくれるというので、手続きをしていたのだが、途中で気が変わった。使いにくいものをもらうより、日本で修理してもらうことにして、破損箇所を応急措置をしてもらって旅を続けることに。
さて、予定外に時間がかかってしまったが、これから市内のホテルへの移動だ。
明後日のジュネーブ行きに便利なように、ホテルは前回同様パリリヨン駅の前のホテルにしたので、空港からはフランス国鉄を利用するのが便利。だが、問題はチケットを買うシステム。不便きわまりないので、前回は已むなくタクシーにしたのだったが、、、。
323Info.jpg
<「公共交通機関は今日はただ」という掲示>

ところが、受託荷物受取場の前にある掲示板を見て驚いた。「今日はスモッグ対策のためにパリ市内の公共交通機関はオールただ」、とあるではないか。航空会社の係員に尋ねてみるが、「良く分からない」とはっきりしない。
半信半疑で、電車の乗り場に着いてみると、確かに自動ゲートは開放中。チケットを買うことなく入場。チケットを買うために並んだりする時間がセーブ出来たので、これなら、早めにホテルに着けるだろうと、喜んだのだが、、、。この後が、いけなかった。
323opengate.jpg
<ゲートは本当に開放されていた>

電車の中で、飛行中に着いていた沢山のメールのチェックをし、返事を書くのに夢中になる余り、降りるべきパリ・リヨン駅を通過してしまった。それも、通過後も暫くの間、それに気が付かず、「あれまだかな」、何て思っているうちに、そのまま、パリの反対側、ずっと郊外の方まで行ってしまったのだ。
結局、1時間以上も時間をロスして、漸くホテルにチェックイン。テレビを点けると、スモッグの問題が報じられていた。
確かに、市内は靄っていたが、北京のスモッグと比べると、大したことは無いように感じられた。でもお陰で、交通費は浮いたのだが、私にとっては波乱のパリ第1日目となった。
323smoggy.jpg
<テレビもスモッグ対策を報道>

10時50分 羽田発
15時40分 パリ着
ホテルの前からBTSに乗る [2015年03月16日(Mon)]
3月16日(月曜日) 
316morningstreet.jpg
<バンコクの朝>

朝8時半、ホテルの前からBTSに乗る。通勤、通学客で混んでいたが、何とかキャリーバッグを押して乗り込むことが出来た。昨日、空港から利用したルートを逆に、パヤタイ駅でエアポートレイルリンクに乗り継ぐ。
確かに、パヤタイ・エクスプレスのチケットカウンターが無くなってた。しかし、今回、パヤタイ駅から乗り込んだ車両は、白地にブルーでシティーラインと書かれたの各停用の車両ではなく、赤い文字のエクスプレス。の車両をそのまま使っていた。さすがに、車内の表示はシティーラインのものになっていたが、知らない人が乗ったら混乱するのでは、と心配。
316Express.jpg
<エクスプレスの表示の車両をそのまま使っていた>

羽田空港に到着。ヤンゴンから直送してもらったチェックイン荷物のスーツケースを受け取る。このところ、羽田空港に到着後に受け取るチェックイン荷物の破損が続いている。念のためと、少し荷物の外観を眺めてみたが、大丈夫そうだったので税関検査のカウンターへ。ところが、スーツケースを転がせてみるとなにやら違和感。税関検査のカウンターに立って、念のためとキャスターを覗いてみると、大破しているではないか。税関検査を中断し、手荷物引き渡し地域に引き返す。航空会社のカウンターで手続き。この半年程の間で、4回目か5回目くらいなので勝手知ったる手続きではあるのだが。やれやれ、何と言うことだろう。
羽田空港のロビーには桜の花が飾られていた。春近し。
316Haneda.jpg
<羽田空港のロビーには吉野の桜が飾られていた>

08時半 ホテル出発
11時20分 バンコク発
18時55分 羽田着
ヤンゴン空港の拡張工事が進行中 [2015年03月15日(Sun)]
3月15日(日曜日)バンコクへ
朝7時半、ホテルを出て空港に向かう。
今日はどんよりした曇り空。だが、ホテルマンは、雨になることはないだろう、と言う。雨が降り出すには、水掛祭りが終わり、仏教正月が始まるまで待たねばならないのだ。
ミャンマーでは、ティンジャンと呼ばれる水掛祭りは来月。昨年同様、来月のティンジャン明けには現地マスコミを集めての定例記者懇談会の予定なので、再び、ヤンゴンに来なくてはならない。
ミャンマーの雨季がやって来ると、果物の季節が始まる。セインタロンと呼ばれる美味しいマンゴーのことを思い出しているうちに空港に到着。週末なので渋滞もなく、30分足らずで空港に着いてしまったのだ。
315AptConstruction.jpg
<空港の前ではターミナル拡張工事が進行中だった>

空港の前ではターミナル拡張工事が進行中だった。この数年のうちに、ヤンゴン空港を発着する飛行機の便数は大幅に増えた。新設の国内航空会社も含め、就航する航空会社の数も急増した。今日のヤンゴン空港に駐機中の飛行機の種類も様々だ。
ヤンゴンを飛び立った飛行機は1時間程のフライトの後、ほぼ定刻にバンコクに到着。バンコク空港に着いて見ると、この空港でも、なにやら工事中。すっぽり白い布に覆われたトンネルのようなところを歩かされてしまった。
この空港が開港してから既に8年。この間に、私は少なく見積もっても100回以上は利用している筈だが、機能性という意味では、未だに不満に思うことが多い。
315Aptflights.jpg
<ヤンゴン空港に就航する飛行機も増えた>

それらの問題の多くは、システムのちょっとした改善でたちどころに解決すると思われる。確かに、開港直後からちょこちょこと、改修の工事が行われているのではあるのだが、まだまだ、問題が残る。今回の工事でそれらの問題の一つでも改善されるなら結構な話なのだが、、、。
空港から市内のホテルまでの移動には、久し振りにエアポートレイルリンクを利用した。今回は、スーツケースはヤンゴンから羽田に直送し、バンコクではキャリーバッグだけという軽装にしておいたからだ。
ただ、このエアポートレイルリンク。利用させてもらっておいて文句を言うのも、少しはばかられるのだが、これもシステムの不備が目立つ奇妙な代物である。
315BKKApt.jpg
<バンコク空港も工事中>

特に海外からの利用者にとっての大きな問題は、市内までノンステップで走るエクスプレスの運行に拘るものである。このエクスプレス、不思議なことに開通当初は空港から終点の、スカイトレインとリンクしているパヤタイ駅までの便がなく、総て、その手前のマカサン駅まで。ところが、マカサン駅からは、地下鉄やスカイトレインどころかタクシーへの乗継ぎすら不便きわまりない。苦情が殺到したらしく、パヤタイ駅までのエクスプレスが走るようになったのだが、運転間隔が大きく利用者は伸びなかった。
そんな訳で、私はいつも、エクスプレスは当てにせず、各駅停車を利用することにしているのだが、今回、空港駅のダイヤを調べていると、このパヤタイ・エクスプレスが廃止されてしまっているのに気が付いた。何と言う、行き当たりばったりの運行管理だろうか。
315BKKARL.jpg
<久し振りにエアポートレイルリンクを利用した>

パヤタイ駅でスカイトレインに乗換え、サラデーン駅へ。駅を降りるとシーロム通りは、今回も歩行者天国になっていた。顔なじみのホテルのドアマンが、この通りでは、毎週日曜日は車両の通行を禁止し歩行者天国にするようになったのだと教えてくれた。
午後3時半、この間までセーブザチュルドレンジャパンの専務理事・事務局長だった旧知の渋谷さんと会い、色々と相談に乗ってもらう。次の約束の時間ギリギリまで、ホテルの喫茶店で話し込む。
その後、日経高橋記者らと食事をするべく、7時きっかりにホテルの裏の通りにある居酒屋へ。
何と約束していたのは6時半からだった事実が判明。一日目、昨日に次いで、またも時間について勘違い。何と言うことだろう。これは本当に、気をつけねば。

07時半 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
15時半 渋谷さん
18時半 日経高橋記者
MILIタクシーで出発 [2015年03月14日(Sat)]
3月14日(土曜日) 
午前9時過ぎ、約束の時間に少し遅れたと恐縮しながら、ミャンマー障害者自立生活運動(MILI)共同代表のひとり、アウンコミンさんがホテルにやって来た。これから彼と一緒に、MILIが主催する障害者の次世代リーダー研修に行くことになっているのだ。
彼が乗って来たのは胴体にMILIと日本財団の2つのロゴが付いたワンボックスカー。昨年、MILIに日本財団が寄贈した6台の車両の一つである。なぜ、会員数2000人以上、本部スタッフ40人とは言え、この組織に一挙に6台も車を差し上げたのかと言うと、彼らが収益事業としてタクシービジネスをやることになったからだ。
314MILItaxi.jpg
<日本財団のロゴも付いたMILIタクシー>

タクシーと言っても、普通のタクシーではない。障害者の移動のために車いすなどを運んだりできる、いわゆる、福祉タクシーである。ミャンマーにはこれまでそのようなサービスが無く、手足の不自由な障害者の場合、車いすを持ち込もうとして、時には、乗車拒否されることもあるそうだ。
そこで、彼らの事務所用の車2台に加えて、営業用の4台を寄付することにしたもの。
いずれも、日本財団が支援して日本国内の福祉施設などで使われていた中古車であるが、ミャンマーに着いたあと、チューンナップして、塗装も塗り直してあるので、新車のように見える。
314YumeEyeEntrance.jpg
<盲人マッサージ店ユメアイ訪問>

アウンコミンさんは、視覚障害者で目が不自由なのだが、ビジネスマインドが旺盛で、昔、自分でタクシー会社を経営していたことがあると言うから安心だ。既に、毎月、コンスタントに収益が上がるようになっていると言うから驚きだ。
今回は、もともとは、私が次世代障害者リーダー研修での講演を頼まれたことから、その往復にMILIタクシーを使ってみたいと、彼らに配車をお願いしていたのだ。そして、研修の前にMILIの本部に立ち寄り、諸々のプロジェクトに関する相談をすることになっていた。
314YumeEyeguys.jpg
<ユメアイのマッサージ師たち>

それにも拘らず、アウンコミンさんが、わざわざ来てくれたのは、途中の車中で相談を済ませることで、MILIに立ち寄ることなく、研修会場に直行しようということだった。確かに、その方が効率的だ。
車中で、現在準備中の盲人マッサージ事業の話をするうちに、ミャンマー盲人協会が運営している視覚障害者のマッサージ師によるクリニック、「ユメアイ」に寄ってみようと言うことになった。
急に思い立ってユメアイを訪問することにした。
「ユメアイ」は、下町のゴミゴミした裏通りに建つビルの二階にあった。余り、良いロケーションとは思えなかったが、寄付してもらった自己所有物件だということで、営業的にはうまく行っているとのことであった。
314LeaderWorkshop.jpg
<MILIリーダーシップ研修会の参加者たち>

現在ここに所属しているマッサージ師は全部で10人。その内、今日は6人ほどが客待ちをしていた。1時間のマッサージの料金はミャンマー人は4000チャット、外国人は8000チャットと言う。1日にマッサージ師一人当たり5人のお客さんがつくこともあり、1か月の収入は30万チャット以上。そのうち、4割を盲人協会に納めて、手取は最低でも月20万チャット(2万円)になるという。工場で働く一般の労働者の賃金が1万円前後のこの国では結構な収入だ。
「ユメアイ」の後、次世代障害者リーダー研修会場で20人の受講生を相手に講演。そこから、MILIタクシーでミャンマー医師会へ向かった。
314MMA.jpg
<ミャンマー医師会(MMA)の本部建物>

ミャンマー医師会でレムラ会長ら幹部と、昨年で終了したモバイルクリニック事業に代わる、学校保健事業の進め方について意見交換。MMAの会議室に飾られた歴代会長の写真を眺めていて面白い事に気が付いた。本会長の一人の名前が異常に短いのだ。それは、Dr. UE。UEのうちの最初の文字UはMr.に当たる敬称なので、彼自身の名前はEの一文字。ミャンマーには苗字はないので、これが総て。恐らく、現地の習慣で幼いときは「マウンエ(エちゃん)」、若い時は「コエ(エ君)」、成人して「ウエ(エさん)」、そして医師になってからは「サヤウエ(エ先生)」、などと呼ばれていたのだろうか。それにしても、アルファベット表記では、Eの一文字の名前。きっと世界で一番短い名前であろう。海外へ行きパスポートを見せたり、入国カードに記入したりしてトラブルにならなかったのだろうかなどと余計な心配をしてしまった。
314Dr.UE.jpg
<世界一短い名前、"E">

その後は、MILIタクシーにホテルまで送ってもらった。ここまで、6時間余りのMILIタクシーのチャーター料金は20ドル。その後は、ホテルから徒歩でエルウィンさんの家へ。日本財団職員の福田さんと合流。国境省と進めている公務員研修の件で相談。
その後は、日本財団スタッフとの夕食会だったのだが、私はここでも開始時間を勘違いしていた。てっきり、7時からと思い込んでいたのだが、福田さんから6時からと指摘されスケジュール表を見てびっくり。
彼女のお陰で、エルウィンさんの家の前からタクシーを拾い、夕食会場に急行。お陰で15分遅れただけで済んだが、今回の出張では、初日から時間の勘違い続き。我ながら呆れてしまう。

09時15分  ホテル出発
09時45分 ユメアイ訪問
11時半 MILIリーダーシップ研修
13時 MMAミャンマー医師会事業打合せ
16時 公務員研修事業打合せ
18時15分 日本財団スタッフとの夕食会
外の気温は39度! [2015年03月13日(Fri)]
3月13日(金曜日)
いつものように、レストランでミャンマーの国民食、モヒンガーの朝食を取りつつ、いつものようにミャンマー政府系日刊紙「ニューライトオブミャンマー」を開いて驚いた。AKB48の文字が飛び込んできたからだ。
良く見ると、芸能欄。「それにしても、この新聞がなぜ」と不審に思いながら、日本の共同通信の支援を得て、同紙が昨年10月に純然たる政府機関氏から民間資本を取り入れた新聞に衣替えしたことを思い出した。それにしても、AKBがヒットチャートのトップを続けていることが、果たして、ミャンマーの英語新聞読者層に興味を持ってもらえることなのか、ちょっと心配。
313AKB.jpg
<AKB48!>

今日も一日中ミーティング。
最初は、伝統医療事業打合せだ。わざわざ、シャン州からセイダナーのエイエイ先生も来てくれた。久し振りの再会。
日本財団は6年前から、ミャンマー保健省と組んで全土の約3万ヶ村で、ミャンマー式伝統医薬品を、日本古来の置き薬のシステムで有償配布するという事業を行って来た。
ミャンマーは伝統医学教育や、伝統医薬の活用などではASEAN10ヶ国のなかでも、ある種のリーダー的存在。軍政当時の数少ない文官大臣であったチョーミン博士の熱心なサポートで始まったのが、この置き薬事業であった。
313TRMmeeting.jpg
<伝統医療事業打合せにエイエイ先生も来てくれた>

特に、僻地の住民の初期治療環境の改善に一定の効果が見られたことから、テンセイン大統領からは、ミャンマー全土の村落部の全6万5千ヵ村に拡大するよう要請を受けている。
ところが、6年前の導入の後、担当大臣が変わり、伝統医療局長も3人変わる中で、現場の状況が見えにくくなっていた。そこで、昨年、ミャンマー医師会に依頼して現地調査を行った。その結果、現場によっては色んな問題が発生していることがわかった。
そこで、日本財団としては、このまま、拡大を急ぐのではなく、地方政府との連携を強化することと、全国一律の展開ではなく、それぞれの現場に最も相応しいモデルを構築することを目指すことにした。
313hotday39C.jpg
<外の気温は39度!>

そこで、シャン州、エヤワディー州で学校建設事業の現場を持つパートナーNGOであるセイダナーとARTIC、そして、カレン州で伝統医薬品の原料となる薬用植物栽培事業などの担当責任者に集まってもらい、地域でのモデル事業構築に向けたアドバイスをもらうことにしたのである。
会議の後、元々は、ミャンマー政府保健省の元伝統医療局長で今は、日本財団の指南役のティンニュント博士と昼食の予定になっていたのだが、急に、キャンセルになったので、伝統医療事業打合せのメンバーと一緒に食事をすることになった。その後、時間があったので一日ぶりに外へ出た。
何と、外の気温は39度!だった。
ホテルの向かいにあるサクラタワーの前を通ろうとして、Now Leasingという看板が出ているのに気が付いた。
313streetvendor.jpg

サクラタワーは、日本人オーナーで日本企業がたくさん入居しているヤンゴン随一の高層ビルだが、最近は、ヤンゴン一(いち)と言う高家賃で有名だ。それでも、外資系企業にとっては適当な物件が不足しているため、入居待ちの状態が続いていると言われていたビルだ。そこに、ついに空きスペースが出たというだけでなく、それを看板で告知すると言うことは、もう、順番待ちの状態ではなくなった、ということだ。
また、私の泊るホテルも、昨年前での異常な宿泊費が今年から大幅に下がった、という事実もある。ヤンゴンに長く住んでいるビジネスコンサルタント西垣さんが言っていた通り、ミャンマーの不動産事情もここへ来て、漸く、変わりつつあるのかも。
午後はその西垣さんと盲人マッサージのマーケットサーベイに関して打合せ。夜は、日経新聞の松井支局長と。
313nowleasing.jpg
<サクラタワーに空きスペース!>

10時 伝統医療事業打合せ
12時 関係者昼食会
15時 西垣さん伝統医療マッサージ会議
19時 日経松井支局長
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI