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大野修一(日本財団)
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ヤンゴンへの途中で何人もの偶然の出会い [2014年11月30日(Sun)]
11月30日(日曜日) 
1130police.jpg
<プノンペン市内には今も警察官の姿が目立つ>

今日は、松岡職員と一緒にヤンゴンに移動。プノンペン発の飛行機は10時なのだが、余裕を見て、8時にホテルを出発。
結局、渋滞もなかったので8時半には飛行場に着いてしまったので、空港ビルの外に隣接するカフェで少々時間つぶし。
これまで気が付かなかったのだが、いつの間にかプノンペン飛行場には牛丼の「吉野家」が開店していた。
カフェで少し時間をつぶした後、チェックイン。空港内のラウンジに入ると、ミャンマーでの義肢装具士プロジェクトの責任者であるエクシードのマイクさんとばったり。
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<プノンペン飛行場にはいつの間にか「吉野家」が開店していた>

出張でカンボジアに来て、これからヤンゴンに帰るところだという。
更に、ラウンジの外を歩いていると「Mr. Ohno」と声をかける人がある。振り向くと、日本財団が支援して、フィリピンを拠点に東南アジア各国で展開する、聾唖教育支援事業P-Cenの責任者のマニラのデラサール大学のテチーさんだった。彼女もP-Cenの出張でプノンペンに来ていたのだとか。
更に、バンコク空港でヤンゴン行きの便に乗り継ごうとして、ヤンゴンへ出張の途中の日本財団のミャンマーでの少数民族和平支援事業の責任者で、ヤンゴン事務所長を兼ねる森職員とばったり。
偶然の出会いが続いた一日であった。
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<ヤンゴンのホテルのロビーに飾られたクリスマスツリー>

08時  ホテル出発
10時00分 プノンペン発
11時05分 バンコク着
13時05分 バンコク発
13時50分 ヤンゴン着
17時 梅村職員
ESC理事会に久し振りのブンサンボさんの姿が [2014年11月29日(Sat)]
11月29日(土曜日)
朝9時半、ソルヤ君の車でホテルを出発、ESC理事会の会場であるESCの事務所に向かった。ドアを開けると、既に官房副長官でありながらこのNGOの名誉会長を務めてくれているブンサンボさんの姿があった。昨年に体調を壊されて以来、本当に久し振りである。
間もなく、ESC理事で顧問の篠原元大使が到着。そして、元朝日新聞のマニラ支局長で今はプノンペンでミニコミ紙を発行する会社を運営する木村さんも。彼女はESCの監査役だ。予定のメンバーが揃ったので、ESC理事会が始まった。
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<完成した中学1年生の教科書改訂版、表紙には日本財団のロゴが入る>

日本財団が自らのイニシャティブで設立したこのNGOを通じて6年前に始めたラジオによる英語教育放送は、その効果がカンボジア政府にも認められて、今年9月以降、補助教材として教育省が引き継いでくれることになった。
それに伴い、教育省からは丁度改訂する予定であった中学の1年から3年までの教科書を、このラジオ放送の内容にフィットするものにしたい、ついては、その制作を請け負ってもらえないかと言う要請があり「ESC-Kizuna」が担当することになった。
そしてこのほど、第一号となる中学1年生の教科書改訂版が完成、サンプルコピーが理事会の場で配られた。
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<Seeing Handsマッサージクリニックの玄関>

表紙には「ESC-Kizuna」のロゴとともに、日本財団のロゴが入っている。そして、中には、英語で書かれた笹川会長の挨拶文まで!
今後、この教科書が政府の資金で印刷され、今年の新学期からカンボジア全土の中学校で配布されるのだ。
理事会が終わって、皆で昼食の後、私と松岡職員は盲人マッサージクリニック(Seeing Hands)にニガさんを訪ねた。
夜は、コンポンチュナム村で日本の益子焼の専門家たちに指導に来てもらって進めている陶器ブロジェクトの関係者と夕食会。
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<イオンモールに出来たショップでもコンポンチュナム村の陶器が売られている>

09時半 ホテル出発
10時 ESC理事会
12時  ESC理事会昼食会
14時  Seeing Handsニガさん
18時半 陶器ブロジェクト関係者夕食会
今年最後の出張は波乱の幕開け [2014年11月28日(Fri)]
11月28日(金曜日) 
今日からは今年最後の出張。目的地は三つ、プノンペン、ヤンゴンとネピドー。
プノンペンでの仕事は教員養成所(師範学校)の学生たちに対する奨学金とラジオによる英語教育放送の二つの事業を担当しているNGO「ESC-Kizuna」の定例理事会への出席。元々は、ナロン教育大臣との面談も予定されていたのだが、こちらは大臣の都合で直前になってキャンセル。
一方、ミャンマーでの主たる行事は、ネピドーとヤンゴンで開かれるASEAN障害芸術祭だ。開会式は笹川会長、閉会式は尾形理事長がスピーチすることになっている。
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<プノンペン市内でトゥクトゥク専用の駐車スペースを見つけた>

今回の出張はバンコク経由でその日のうちに、プノンペンに入るルート。羽田からバンコク行きに乗る。自宅が大田区にあるので、羽田は成田から出るより1時間以上の節約になる。そんな訳で最近は羽田便を使うことが多くなった。
日本財団の松岡職員と一緒の出張なのだが、バンコクまでのフライトは別々。彼女とはプノンペン行きの機内で初めて顔を合わせることになっている。
羽田空港でスマホを開いてショッキングなメールが届いているのに気が付いた。
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<プノンペンには日本式の交番も出来ていた>

それによると、尾形理事長が風邪をひいたとかで、突然の閉会式の出席が取りやめに。
元々は、安倍昭恵夫人に名誉総裁就任とヤンゴンでの閉会式でのスピーチをお願いして快諾頂いていたのだが、突然の総選挙と重なり安倍夫人のミャンマー行きは中止。その代わりに、閉会式では日本財団の尾形理事長に挨拶してもらうことになっていたのだ。
急いで代わりの対応を決め、あちこちに関連の指示をメールするうちに飛行機の出発時間に。
夕方6時半、プノンペン到着。いつもの運転手、ソルヤ君が迎えに来てくれていた。

11時00分 羽田発
16時00分 バンコク着
17時30分 バンコク発
18時40分 プノンペン着
19時半 ESC北野事務局長
早くも帰国 [2014年11月20日(Thu)]
11月20日(木曜日) 
朝7時、Exceedのカーソン代表理事と落ち合い、朝食を取りながら打合せ。Exceedは旧名カンボジアトラスト。文字通りカンボジアでの義肢装具士養成学校(CSPO)以来の日本財団の義肢装具士養成校事業のパートナーである。カーソンさん自身も義肢装具士だ。
実は、明日からフィリピンのイースト大学の理学療法学部内の学科として3年前に設置されたフィリピン義肢装具士学校(PSPO)の卒業式と、国際諮問員会が開かれることになっており、そのために、彼もアイルランドから駆けつけていたのだ。
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<マニラの朝>

本来は、私もPSPOの行事に参加を要請されており、そのために、UPeaceの卒業式と日程を隣り合わせに組んでもらった経緯がある。私は一旦は、出席を約束していたのだが、その後、トルコ行きなど
10日間の出張が入ってしまった。そのためこれ以上、日本を離れている時間を取る訳には行かなくなったことから、順調に進んでおり懸念事項の無いPSPO行きは取りやめ。そこで、彼とはせめて、今日、打合せの時間だけでも作ることにしたもの。
PSPOの状況報告の後は、問題含みのスリランカのSLSPOの事業の終了について打合せ。また、来年早々に予定しているミャンマー義肢装具士学校の開校式や、マンダレーの作業所などミャンマー案件も相談。
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<成田は雨だった>

彼との打合せの後は、APS国際諮問委員の一人で、スリランカ最大のNGOセワランカ代表のハルシャさんと会う。ハルシャさんにスリランカでの事業展開を計画中のGenashtim社のトマス社長を紹介。
その後、チェックアウトしようとしてレセプションに向かっていると、IDPP卒業生のレオネさん一家と一緒に歩いていたガレーゴス博士とばったり。ただ、ゆっくり話をする間もなく、私は帰国すべく空港に向かった。
夜8時、成田着。こうして、慌ただしいマニラ出張が終わった。これで暫くは、日本での仕事に集中だ。

07時 Exceedカーソン代表
09時 セワランカ代表ハルシャさん
10時 Genashtim社トマス社長
12時 ホテル出発
14時50分 マニラ発
20時00分 成田着
国連平和大学APSの卒業式 [2014年11月19日(Wed)]
11月19日(水曜日) 
朝8時半にホテルのロビーに集合。アテネオデマニラ大学のキャンパスに向かうのだ。今日の卒業式は午後からなのだが、午前中に卒業生たちが最後の3ヶ月の課題として、フィリピン各地で行ったフィールドプロジェクトの報告会が行われるというのだ。
私より一足先にマニラ入りしていた尾形理事長や、財団の担当者である田中職員に加えて、平和大学APS国際諮問委員会のメンバーである元環境庁長官の広中和歌子さんも一緒だ。2台の車に分乗して出発。
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<学生たちによるフィールドプロジェクトの発表会>

この奨学金事業は、私の発案で2007年に始まった。事業の目的は、日本を含むアジアの若者が平和学の修士号を獲得することで、将来、平和構築のプロとして国連機関などの幹部級スタッフとして大いに活躍してもらおうということにある。そのため、授業の中身はアカデミックな研究ではなく、現場で役に立つような実務知識を重視している。
もう一つの特徴は、アジアの中でも英語による高等教育が一般的ではない国の出身者を優先することにしており、入学時の英語のレベルに関しては配慮されている。
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<ラモス元大統領と談笑する尾形理事長>

そのため、修士課程の前に入学者の英語のレベルに応じて,平和学関連に特化した英語の補助訓練が行われることになっている。入学者には全員に、授業料だけではなく、旅費や生活費まどをカバーする奨学金が支給されるということも魅力で、設立から8年を経て、年々、入学志願者が増えており、競争倍率も非常に高くなっている。
一学年の定員は30名、そのうち、日本人枠が半分の15名である。今回の卒業生は7期生。彼らを含めると、これまでに約200人が卒業。世界の各地で、国連機関やNGOなどで活躍している。
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<ラモスさんを囲んで記念撮影する国際諮問委員会のメンバーら>

フィールドプロジェクトの報告会に次いで、開かれたのは平和大学APS国際諮問委員会。そのメンバーは、広中和歌子さんの他、ラモス元フィリピン大統領など全部で7人の豪華メンバーなのだが、皆さん忙しすぎて、最近は中々揃わない。
しかし、今回は珍しくラモス元大統領が顔を出してくれた。とても陽気な方で、ジョークがお上手だ。いつのまにか、ラモスさんを囲んで写真の輪が出来る。
午後からは、アテネオデマニラ大学学長の挨拶で卒業式が始まった。国連障害者権利憲章(CRPD)の元起草委員長のガレーゴス博士もゲストスピーカーとしてスピーチしてくれた。
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<そして、ついに卒業式が始まった>

卒業式の後、我々は一旦ホテルに戻った。ホテルのレストランの一角を借り切って卒業生との夕食会を行うのが習わしである。
ただ、私は夕食会の前に、現在、マニラ滞在中のGenashtim社のトマス社長と会うことにしていた。彼とは先月末にクアラルンプールで会ったばかりだったが、様々な事業で関わりがあるので打合せのネタには事欠かない。その一つが、このAPSの入学希望者を対象に今年からテスト的に始めたオンラインでの英語授業であるEpic Onlineだ。
コスタリカの本部から出張して来ていた担当者のローレルさんも交えて打合せ。幸い、受講者の受けも良く、来年も続けることになりそうだ。
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<無事に式が終わって記念写真を撮影する卒業生たち>

08時半 ホテル出発
09時半 フィールドプロジェクト報告会
10時半 平和大学APS国際諮問委員会
13時 平和大学APS卒業式
17時 トマス社長
18時 平和大学APS卒業生との夕食会
今度はフィリピン [2014年11月18日(Tue)]
11月18日(火曜日) 
ジュネーブから帰ったばかりだったが、今日からマニラ。しかし、今回は、2泊3日のごく短い出張。
目的は、アテネオデマニラ大学で行われるAsia Peace-builders Scholarship (APS)と呼ばれている平和学の修士課程の卒業式に参加するため。このマスタープログラムは、コスタリカに本部がある国連平和大学とマニラのアテネオデマニラ大学の二つのキャンパスで1年半の期間を使って行われる。
今回も、日本財団の尾形理事長が出席し、スピーチをしてくれることになっており、私の出張は、式典そのものというよりは、先日のパリのUNESCOでの会議を踏まえての新奨学金制度設置に関する打合せなど、実務的な協議に参加することが主たる目的。
午前中は、日本財団で仕事をし、夕方6時のフライトで出発。マニラのホテルにチェックインしたのは午後11時だった。マニラのホテルは早くもクリスマスの飾付け。フロアーにはクリスマスツリーが飾ってあった。
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<マニラは早くもクリスマスモードだった>

18時00分 成田発
22時05分 マニラ着
そして帰国 [2014年11月16日(Sun)]
11月16日(日曜日)
夕方5時過ぎ、ほぼ定刻通りに羽田に着いた。
4年振りのトルコ、12年振りのアゼルバイジャン行きを含む10日間のヨーロッパ出張が終わった。
明日一日置いて、明後日からはフィリピン出張だ。

17時05分 羽田着
WHOのチャパルさんと会う [2014年11月15日(Sat)]
11月15日(土曜日) 
朝6時に目覚ましに起こされる。外はまだ暗い。
今日は、SAAの姉妹機関、ササカワアフリカ農業普及教育基金(SAFE)の理事会だ。SAFEの理事会はSAAの理事会と多分に重複しているのだが、若干小ぶりに作られており、完全に一致している訳ではない。でも、今日はなぜか、SAA理事ではあるがSAFEの理事ではない、ベニンの元大統領で今は首都の市長であるソグロさんが参加。
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<笹川アフリカ農業普及教育基金理事会>

SAFEは、アフリカ各国の農業改良普及員のための農業大学でのカリキュラム作り支援と、その奨学金供与を中心とする事業だ。事業の責任者であるチャド人のデオラさんが現状報告と来年度の予算を説明。それに基づいて議論を行った後、予算案を承認して理事会は終了。
笹川アフリカ農業普及教育基金理事会を終えて外に出ると、間もなく、日本財団の石井部長が現れた。程なくして、WHOの障害問題担当者のチャパルさんが車に乗ってやって来た。
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<黄色く色づいた並木道>

今日は、土曜日だが、仕事熱心な彼に昼食をつき合ってもらい、WHOとの障害者分野での協力事業につき、話し合うことになっているのだ。
石井部長は、来週までジュネーブに滞在するが、私は今日の午後のフライトでパリ経由で帰国するので、彼の車にスーツケースを積み込んで出発。
空はどんよりと曇り、外には冷たい雨が降り始めていた。わざわざ少し遠回りしてレマン湖の周りを一周してくれた後、湖畔のレストランへ案内された。
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<冷たい雨が降り始めた>

国連機関での障害者問題の扱い方について、彼の話を拝聴する。WHO以前のNGO時代も含めて、長い間この分野で専門家として仕事をして来た彼の話は大変参考になった。
食事を終えて、彼の車で空港に送ってもらった。ストのことを心配していたのだが、幸い、午後6時のパリ行きのエールフランス機は定刻に出発。パリの空港でも、エボラ出血熱を警戒するメッセージが貼ってあった。
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<パリの空港にもエボラ出血熱に関する掲示が>

2時間弱の接続で21時10分発の羽田行きに乗り継ぐ。
飛び立った飛行機の窓から、パリの夜景が見える。
市内を貫く街路の灯だろうか、無数の光の点が鎖のように連なり美しい。
すぐ眼下にエッフェル塔の明るいシルエットが鮮やかに浮かんでいた。
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<パリの街が眼下に輝く>

08時半 笹川アフリカ農業普及教育基金理事会
12時半 WHOチャパルさん
18時00分 ジュネーブ発
19時10分 パリ着
21時10分 パリ発
笹川アフリカ協会の理事会はジュネーブで [2014年11月14日(Fri)]
11月14日(金曜日) 
朝8時、泊まっているホテルの会議室でササカワアフリカ協会(SAA)の理事会が始まった。私は、SAAの理事メンバーでもある。
アフリカの零細農民に対する農業支援事業であるSAAは、スイス法人として1986年に設立された。日本財団初代会長の笹川良一がノーベル賞受賞者であるノーマン・ボーローグ博士と、ジミー・カーター元米国大統領に呼びかけて立ち上げたもの。以来これまで、アフリカの延べ14カ国で事業活動を行って来た。現在は、アジスアベバに本部を置き、エチオピア、ナイジェリア、マリ、ウガンダの4カ国で活動中。
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<ササカワアフリカ協会理事会>

いつもは、アフリカの事業現場で定例理事会を開いているのだが、たまたま昨年、ガーナのアクラで開かれた前回の理事会で一旦は、今年の会議をナイジェリアで開くことに決まったのだが、その後、ナイジェリアの政治状況からジュネーブでの開催に決まった経緯がある。
結局は、その後、ナイジェリアも含む西アフリカでエボラ出血熱が深刻化したことを考えると、今回、開催地をジュネーブに変更していたのは幸いであった。
しかし、理事会が始まって間もなく、私はルース・オニアンゴ会長に断って中座。ホテルの前からタクシーに乗って出かけた。国連事務総長障害問題担当特別代表で、元エクアドル政府副大統領のモレノさんと会うためである。
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<モレノ特別代表と会う>

モレノさんの事務所の近くのホテルで日本財団の石井国際部長と合流し、二人で特別代表のオフィスの門を叩いた。秘書役兼通訳のモレノさんのお嬢さん、イリーナさんが扉を開けてくれた。
モレノさんを紹介してくれたのは、同じくエクアドル人で国連障害者人権憲章の元起草委員長だったガレーゴス大使。
今回、モレノさんに会ったのは、国連での障害者の取り扱いについての改革案を提起して、一緒に活動してもらえないか相談するためだ。彼は我々の要請を快諾し、今後の協力を約束してくれた。
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<WHO本部の建物>

ガレーゴスさん親子と別れたあとは、コルナバン駅前のビアホールのようなレストランで石井部長と昼食を取りながら作戦会議。
この次の予定は、WHO伝統医療調整官のチャンチー博士とのアポだが、これは午後1時半。お昼の時間まで会議があると言うので、それが終わってから一緒に食事をしようということだったのだが、それまで大分時間があるので、石井部長に付き合って私も食事をしてしまうことに。チャンチー博士の食事にはお茶を飲みながら付き合えば良いと考えたのだ。
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<WHOではエボラの緊急対策会議が進行中だった>

ゆっくり食事をした後、石井部長と別れ、私はバスでのんびりWHOへ向かった。1時半ギリギリに着いて、伝統医療調整官チャンチー博士に連絡を取ると、1時から待っていたのにと言われ驚く。果して、メールを確認すると私の勘違い。彼の言う通り約束していたのは1時だった。私は平謝り。
WHOの来賓食堂でチャンチー博士が昼食の予約をしてくれていた、今更、昼食は済ませて来たとは言えず、已むなく今日2回目の昼食を取るはめに。
しかも、早く出来ると勧められたのは、先ほど食べて来たのと良く似たクリームソースで味付けたシーフードだった。とほほ。
1114WHOSasakawa.jpg
<WHO本部一階玄関ホールには笹川良一の胸像がある>

彼と別れ、再び、無料券を使ってバスに乗り、笹川アフリカ協会理事会へ戻る。ホテルの前でバスを降りて歩き出したとたん、雨が降り出した。
笹川アフリカ協会理事会はいつも長丁場である。今日も、朝8時に始まった理事会が終わったのは、夕方の7時半。何と、11時間半もの間、理事会が続いていたことになる。
幸か、不幸か、私は10時から15時まで5時間程席を外していたのだが、笹川アフリカ協会の理事の皆さんはご苦労なことであった。
7時45分頃からようやく夕食会。
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<SAAの理事会でもエボラ問題が議論されていた>

08時 笹川アフリカ協会理事会
10時半 ホテル出発
11時 モレノ障害問題担当国連事務総長特別代表
13時半 WHO伝統医療調整官チャンチー博士
15時 笹川アフリカ協会理事会
19時45分 笹川アフリカ協会理事会夕食会
UNESCOにエリックさんを訪ねる [2014年11月13日(Thu)]
11月13日(木曜日) 
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<約束の時間ギリギリにUNESCO到着>

少し余裕を見て、朝9時半少し前にホテルを出発。昨日下見しておいたリヨン駅地下のホームからフランス国鉄のパリ近郊電車のA線に乗って、レアル駅へ。そこで、地下鉄メトロに乗り換える。ここまでは、昨日の下見の通り。オデオン駅で乗り換えて、目的地のセギュール駅へ。ここまでは、順調だったが、駅を降りてから少し、手間取った。UNESCOという標識を探したのだが、一つだけ。それも、これからの会議の後訪ねるエリックさんのいる本部を示すものだけ。これから行く別館を示す標識はなかなか見つからなかった。それでも、何とか約束の時間ギリギリに別館の受付に到着。

1113toursits.jpg
<UNESCOの前の通りで中国の観光バスに遭遇>

予定通りの10時半にUNESCO青少年スポーツ局での会議が始まった。
基本方針で合意して、12時20分前に別館を出て本館に向かった。ここまでは予定通りだったのだが、本館が大規模な改装中で正面入り口が完全に封鎖されているではないか。
結局、入り口を探して拾い敷地をぐるっと一周。何と、入り口は一つだけ。最初に、通用門と思って通り過ぎた小さな入り口だったのだ。約束の時間を5分以上遅れてエリックさんの執務室に通されてみると、彼は前の会議が長引いているとかで不在。秘書嬢に出してもらったコーヒーを飲むうちに、エリックさん登場。
1113UNESCOEric.jpg
<副事務総長にまで出世したエリックさん>

今では、副事務総長にまで出世したエリックさんとはUNEPでの笹川環境賞で知り合った。彼は、当時、賞の担当責任者で、広報業務を主に担当してくれていたコンサルタントのアティフさんと親しかった。
お互いの近況を訪ね合ったあと、私の今回の訪問の目的と先ほどの会議での結論を説明すると、何とこれは彼の所管テーマだと言うことが判明。
再会を約して、別れてホテルに取って返すことに、チェックアウトの時間に十分余裕を持って間に合うと思っていたのだが、エリックさんのところで予想以上に時間がかかってしまい。ホテルに着くとギリギリだった。
1113ParisDemo.jpg
<学生のデモに遭遇>

16時11分 パリ・リヨン駅発のTGVLyriaで出発。時間になると構内アナウンスもなく、滑るように列車は動き出した。揺れも、音もなく素晴らしい乗り心地。
今回のジュネーブ行きをTGVにしたのは、エールフランスがこのところ頻繁にストをやっているというので、安全策を取ったのだが、市内から再び空港に戻ることなどを勘案すると、これは大正解だったようだ。
車内にTGVLyriaのパンフレットが置いてあった。それによると、パリ・ジュネーブ間のTGVLyriaは一日9往復。3時間5分が所要時間だ。今回は、約10分程遅れたものの、ほぼ定刻にジュネーブのコルナバン駅に到着。
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<リヨン駅で出発を待つTGVのLyria号>

09時半 ホテル出発
10時半 UNESCO青少年スポーツ局訪問
12時 UNESCO副事務総長エリックさん
16時11分 パリ発
19時27分 ジュネーブ着
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