CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2014年08月 | Main | 2014年10月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2014年09月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
早朝の帰国 [2014年09月23日(Tue)]
9月23日(火曜日)
私の嫌いな夜行便だった。機内の食事は朝食も含めて、一切断って睡眠に徹したのだが、まだ眠い。バンコクでの乗換えが不要な分、便利といえば便利なのだが。早く、朝に出て夕方に到着するという昼間の運行便にならないものだろうか。
とは言え、無事に羽田着。
東京の空は秋晴れだった。気持ちの良い朝。
923bridge.jpg
<東京は秋晴れ>

06時50分 成田着
インキュベーションセンターが始動 [2014年09月22日(Mon)]
9月22日(月曜日) 
昨夜は早く寝たので、5時過ぎには目を覚まし新聞を読んで過ごす。
ただ、こちらで5時と行っても日本時間では7時半なので決して早過ぎる訳ではない。むしろ、今夜の帰国に備えて日本時間で生活しておいた方が良い。私は、ミャンマーでは基本的にいつも早寝早起きが原則だ。
朝9時半、日本財団のヤンゴン駐在で農業事業を総括する立場の間遠職員がやって来る。カレン州での薬草栽培事業について打合せ。
922YDBIC.jpg
<障害者ビジネスインキュベーションセンターの建物>

その後、間遠といっしょにメームさんの運転する彼の車でミャンマー障害者自立生活運動(MILI)の本部へ送ってもらった。
MILIの本部では、アウンコミンさんやルワンマンジョーさんたちと、12月初めの開催日が近づいて来たASEAN障害者芸術祭の準備、などに付いて打ち合わせ。
そのあと、敷地内のプレハブに設置された障害者ビジネスインキュベーションセンター(DBIC)を見学させてもらった。
ここのDBICは迷走中のカンボジアとは違って順調のようだ。既に、いくつかの営業事業がスタートしている。
922AungKo.jpg
<インキュベーションセンターではコンピューター講習の準備中だった>

最初のお客さんは、オンラインで留学先の英語テストを受けると言う障害者の大学生たちだった由。
DBICは、本来はこの設備を使って障害者がビジネスをするのを支援するのが目的だが、それだけではない。私が訪問した時にはコンピューター講習の準備中。講師の先生も障害者の女性が着任していた。
日本財団が寄贈した6台の車両を使ってのタクシービジネスも始まった。最初のお客はネピドー行きの国際NGOのメンバーだったとか。DBICの設備そのものを使う訳ではないが、MILIの組織運営上、タクシー業はDBICの一部門としての位置づけとなっている由。
922trainer.jpg
<コンピューター講習の先生も障害者>

MILIのあとは、パラミ病院へ行き、前々回のミャンマー入国時にお世話になったユージンさんに会ってお礼。その後、イラワジ州の学校建設を担当してもらっている平野さんと会って、ホテルを出発。空港に行く途中のレストランで日本財団のヤンゴン事務所の職員らと夕食。
日本へ帰国するための直行便は、夜遅い時間なのでヤンゴン空港からの出発便も少なく、いつもは空港のスペースは閑散としているのだが、今回は何故か大混雑している、それも、回教徒の服装が目立つ。
行き先表示版を見ると、ジェッダ。見慣れない便名から見るに、チャーター便。どうやら、回教徒が聖地を巡礼するハッジの季節が始まったようだ。ミャンマーの回教徒も決して少なくないのだ。
922airport.jpg
<夜の空港が異常に混んでいた>

09時半 間遠さん農業事業打合せ
10時半 ホテル出発
11時 MILI打合せ
13時半 パラミ病院
15時  ARTIC平野さん
18時 日本財団駐在員らと夕食
19時半 ホテル出発
21時45分 ヤンゴン発
バンコク経由ヤンゴンへ [2014年09月21日(Sun)]
9月21日(日曜日)
921osonae.jpg
<街角ではプチュンバンのお供えが売られていた>

今日は、ミャンマーに移動する日。カンボジアのお盆であるプチュンバンを来週に控え、里帰りする人で道路の渋滞が予想されるということで、大事をとって、朝7時に出発。
ソルヤ君、流石に今日は時間ぴったりに到着。今日も彼は言葉は少なめだ。神妙な面持ちで運転する。
空港へ行く途中のお寺の前では、プチュンバンのお供えを売る屋台が立ち並び、それらを買い求める人たちでごった返していた。
921temple.jpg
<お寺の前はプチュンバンの準備をする人で賑わっていた>

我々の車の周りも、家族総出の5人乗りオートバイや6人以上詰め込んだ乗用車で溢れていた。いずれも、古里でプチュンバンを祝うためだろう、大きな荷物が屋根の上に乗せられている。
ただ、道路の渋滞そのものは大したことなく、我々の車は30分ほどで空港に着いてしまった。
いつものように、バンコク空港でヤンゴン行きに乗換える。午後1時半にヤンゴン空港に到着した。カンボジア、タイとミャンマーの間には、30分という変な時差がある。そこで、30分時計を遅らせる。
921Ebola.jpg
<ヤンゴン空港でもエボラ出血熱のカウンターが出来ていた>

3時前にホテルに到着。日曜日なので今日は出かける予定はない。シャワーを浴びて、メールチェックなどをして過ごす。
飛行機の中で食事を取らなかったので、夕食はサンドイッチにすることに。5時前に近くのスーパーへ行き、ビールも一緒に買って部屋に戻り、6時にホテルの部屋で軽い夕食。
昨晩、プノンペンでなぜか良く眠れなかったので寝不足。そこで、7時にはベッドに入り、本を読んで8時には床に就いてしまう。ただ、日本時間では10時半だ。

07時 ホテル出発
10時15分 プノンペン発
11時25分 バンコク着
13時10分 バンコク発
13時30分 ヤンゴン着
ニガさんと話し込む [2014年09月20日(Sat)]
9月20日(土曜日)
朝から日差しがキツい。その中で、私はホテルの玄関のドアの外に立っていた。昨日に続き、約束の時間になっても運転手のソルヤ君は現れないのだ。携帯をかけようとして、メッセージが入っているのに気が付いた。5分程遅れるとのこと。
しかし、彼が漸く現れたのは予定を10分も過ぎてから。彼の良い訳を遮り、私は一喝。私の言い分は「一度ならまだしも、二度続けて遅れるとはプロ意識がなさ過ぎ」というものだ。
私はむっとした顔で彼の車に乗り込む。いつもはおしゃべりな彼も、今日はだまったまま運転に集中。いつもは慎重な運転をする彼にしては珍しく、警笛を鳴らし、スピードを上げる。スピードを落とすように言おうかとも思ったが、私は黙って乗っていた。
920hotmorning.jpg
<朝から日差しがキツい>

カンボジアだけではなく、一般に、東南アジアの人たちは時間に厳格さを求めない。むしろ世界的には日本人が以上に時間にこだわるのかも知れない。ただ、私としては、特に今日は遅れたくなかったのだ。というのは、これから行く障害者ビジネス・インキュベーションセンターでは、日本財団の奨学金を受けているカンボジア人の障害をもった大学生たちが、責任者のシサリーさんたちと集まっているからだ。日本財団とは長い付き合いのシサリーさんは、常日頃から、カンボジア人の大学生たちに、時間を守ることの大切さを教えようとしている。特に、日本人は時間に対するルーズさを嫌う。と。そんな訳で、今日は私としては、遅れる訳けには行かなかったのだ。
インキュベーションセンターには5分程遅れて到着。シサリーさんも、夫君のウドムさんも、サヴィンさんもいたのにはびっくり。
920Bi-Salon.jpg
<ケムラさんの経営する美容室BiSalon>

インキュベーションセンターでのミーティングのあとは、ケムラさんに会いに彼女の経営する美容室BiSalonへ向かった。カンボジ人の若い女性経営者であるケムラさんとは、今年の7月に日本財団の支援でバンコクで開いた「アジア女性社会起業家セミナー」で初めて会った。
日本語に堪能なケムラさんは、日本に留学してカンボジアに帰国後、美容院を始めた。それがBi(美)Salonである。ここは単なる美容院ではなく、働いている女性たちは孤児院の卒業生たち。彼女たちを指導して一人前の美容師に育てるとともに、職場を与えるのが社会起業家としてのケムラさんの夢だ。バンコクで一緒になったカンボジアの盲人女性マッサージ師のニガさんと組んで、マッサージもメニューに入れようと考えている。
920inside.jpg
<とてもモダンなBiSalonの中>

今日は、バンコクの会議でニガさんが披露した、聾唖の女性たちと盲人女性たちが一緒に働く美容院という構想を実現するために、BiSalonを訪問することにしたもの。ミャンマーで盲人マッサージ店を経営している経営コンサルタントの西垣さんにも来てもらえないかtお願いしたところ、快諾してもらった。西垣さんの右腕イーさんも一緒だ。私は、昨日、DDPのチャーリーさんにも加わってもらうようお願いしていた。皆さんとはここで落ち合ったのだが、ほぼ同時に全員が集合。
先ず、ケムラさんにBiSalonの中を案内してもらった。2階にはマッサージフロアの工事が終わったばかり。3階には美容師を育てるための教室を作る工事が進行中であった。
920eatery.jpg
<イオンモールは夜は一転、大変賑わっていた>

彼女の説明を聞くうちにも、BiSalonには次々にお客さんが現れたり、業者の人からの電話がかかって来たりと、ケムラさんは忙しいそうだ。にも拘らず、ケムラさんの案内で我々はBiSalonを出て、近くの喫茶店へ。
ここで聾唖の女性たちを美容師に育てる段取りを話し合う。議論は一時間以上に及んだ。話を終えて外に出てみると、雨が降り出した。
私は、西垣さんたちを、ケムラさん、ニガさんと一緒に夕食に誘っていた。クメール焼き復活プロジェクトの陶器を採用してくれたイオンモール内の串揚げ店にすることにした。残念ながら、チャーリーさんは先約があるとかで不参加だ。
920sdushi.jpg
<お惣菜コーナーのお寿司はもう完売していた>

私は、西垣さんたちと一旦ホテルに帰り、改めてイオンモール出かけた。確かに、ソルヤ君の言う通り、昨日の昼間は閑古鳥が鳴いているように見えたモール内だったが、今日の夜は、週末ということもあってか、一転大変な賑わいであった。
2階の串揚げ店へ。日本風の店内には、確かにコンポンチュナム村でつくられた陶器製品が、まるで日本から持って来たもののようにぴったりとおさまっていた。この店では、食器だけでなく、テーブルの上の調味料入れなどを含め全面的に採用してくれたので、
串揚げはとても美味しかった。かなりのボリュームだったが、ニガさんたちもおいしい美味しいと完食。西垣さんとイーさんは、これなら絶対ヤンゴンでもはやる筈と太鼓判。
920pot.jpg
<まるで日本製?テーブルの上の調味料セット>

08時 ホテル出発
08時半 PPDIC打合せ
10時 BiSalonケムラさん
12時半 西垣さんらと昼食
14時 Seeing Handsニガさん
18時半 夕食会
プノンペンの流行最前線、イオンモール [2014年09月19日(Fri)]
9月19日(金曜日) 
今日朝一番のミーティングは8時、障害者のための教育にずっと以前から取り組んでいるミッション系のNGOであるクルサットメイで。代表者のフランス人、エルベさんと彼の助手のカンボジア人ヴェスナさんに会うことになっている。当初は9時からの会議を提案したのだが、9時ではヴェスナさんの都合が悪いというので、8時からになったもの。
ところが、予定の7時半になっても、ソルヤ君の姿が見えない。5分以上過ぎてから、彼から渋滞で遅れるとのメッセージが入る。7時40分ころになって漸くやって来たので文句を言うと、プチュンバンでお寺にお参りする人たちの車で大渋滞だったのだとか。
919CThmeyinside.jpg
<クルサットメイはカンボジアで古くから障害者支援に取り組んで来たNGO>

約束の時間を5分程遅れて、クルサットメイに着いてみると、ヴェスナさんの姿が見えない。エルベさんによると親戚が亡くなったとかで、急遽、里帰りしてしまったのだとか。
そこで、二人だけで意見交換することに。9時から別件が入っていると言っていたヴェスナさんがいないので、エルベさんとは9時半過ぎまで話し込んでしまった。
次の予定は伝統医療研究所長のバナロムさんらとの昼食ミーティング。それまで、時間があるので6月末に開店したばかりのイオンモールを覗いてみた。日本財団が支援しているクメール陶器の復活事業の製品がニョニョムショップで売られているというので、覗いてみようと考えたのだ。
919AEONMall.jpg
<巨大なイオンモールが開店>

クルサットメイの事務所の前で待っていてくれたソルヤ君の運転する車に乗り込む。外の日差しがキツく中は蒸しぶろ状態だ。
ソルヤ君の携帯電話が鳴った。クメール語でひとしきり話して電話を切ったソルヤ君によると、知り合いのタクシー運転手からで、つい今しがた客を乗せたのだが、いつもは30分で済む筈の空港まで何と2時間もかかったという。ソルヤ君が今朝遅れたのも無理もなかったのだ。
彼に詫びると共に、明後日の出発にはホテルを出る時間を早めるよう指示する。明後日は日曜日なのだが、念のため余裕を見て出た方が良さそうだ。
イオンモールに着いた。意外にも中は閑散としていた。
919insideAeon.jpg
<昼間は意外に閑散としていたが、、、>

カンボジア初の大型ショッピングモールとして、開店当初は、大勢の買い物客が押し掛け、周辺の道路が大渋滞になったというイオンモールなのだが、、、。ソルヤ君に聞きいてみると、平日の昼間は空いていても、今でも、夕方からはとても賑わうのだとか。
目指すニョニョムショップはすぐ見つかった。イオンスーパーの1階、入ってすぐの正面と言う一等地だ。クメール風の生地で出来た小物や、カンボジアさんのコーヒー、日本人の女性が始めたので有名なアンコールクッキーなどのお土産物と並んで、日本財団が支援しているコンポンチュナム村で作られている陶器製品が並んでいた。
919NyoNyum.jpg
<コンポンチュナム焼きの展示コーナーも>

クメール陶器の復活を目指すこの陶器プロジェクトは、日本財団が財政支援を始めて今年で5年目になる。親身になって技術指導してくれた岩見さんら益子の陶工さんたちや、山崎さん、明(あけ)さんら関係者の奮闘のお陰で、ここへ来てようやく出口が見えてきたようだ。
今回のイオンモール開店に当たっては、モール内のラーメン屋や、串揚げ店など日系のレストラン4店から受注することが出来た。今後も、口込みで顧客増大が見込める状況。
釉薬の原料を擂り潰すための機械も入ったし、今後は大量の注文にも対応できそうだ。そこで、来年一杯で日本財団の資金支援は終了する予定。
919DDP.jpg
<聾唖の若者を支援しているNGOであるDDPを訪問>

モール視察の後、聾唖の若者を支援しているNGOであるDDPにチャーリー神父を訪ねた。ここは、何年も前になるがカンボジア初の手話辞書編纂事業を支援した先。
今回は、DDPのメンバーの聾唖の若者に美容師になるための支援事業について、指導者の米国人チャーリー神父と意見交換するのが訪問の目的だ。
夕食はESCの北野事務局長や、陶器事業の販促担当の明さんと。いつものクメールレストランがプチュンバンで休業に入ったのでマリスへ。ここは、プノンペンでもトップクラスのクメール料理のレストランとして観光客にも大変な人気のお店。
ここにも、明さんが陶器プロジェクトの製品の売り込みに注力中。その甲斐あって、食器用に採用が内定している。実現すると大きなブレイクスルーになりそうだ。

07時半 ホテル出発
08時 クルサットメイ・エルベ代表
12時 バナロム伝統医療研究所長
14時半 イオンモール視察
16時 DDPチャーリー神父
18時半 ESC北野事務局長
プチュンバン直前のプノンペンへ [2014年09月18日(Thu)]
9月18日(木曜日) 
今回は、プノンペンとヤンゴンへ5日間と比較的短い出張。この出張は、以前から計画していた、カンボジアの障害者大学生たちと始めた障害者ビジネスインキュベーションセンターの見直しのためのクルサートメイ訪問と、先般バンコクで開かれた女性の社会企業家セミナーに来てくれた盲人ながらマッサージクリニックを運営しているニガさんと、同じプノンペンで美容院を経営するケムラさんの間で基本合意が出来た障害者女性を雇用しての美容スパという社会企業の構想の見極めのためのカンボジア出張に、ミャンマーの障害者グループMILIに設置した障害者ビジネスインキュベーションセンター訪問を併せて企画したもの。
朝、羽田空港についてメールをチェックしてみると、NHKバンコク支局の姫野さんから追加情報の問い合わせが入っているのに気が付いた。
918BKK.jpg
<バンコクでプノンペン行きに乗継ぐ>

前回の取材の映像の放送日が今日の国際報道2014になったそうだがそれに関して確認しておきたいことがあると言う。メールに気が付いたのが、飛行機に乗り込む直前だったので、取り敢えず、短い返事をしておき、残りはバンコクから送る。
バンコクでプノンペン行きに乗継ぐ。プノンペン空港には、いつものようにソルヤ君が迎えに来てくれていた。彼によると、先ほどまで激しく降っていた雨が上がったばかりとか。空気が雨で冷やされたためか比較的涼しい。
ところが、空港を出てみると、市内中心部へ向かう道路は大渋滞。先ほどまでの大雨のせいで道路の両脇に水が残り冠水状態。そのため、本来ならそこを通る筈のバイクが道路の中央に出て来ているためだ。ソルヤ君は、日本の技術で下水道を整備したのに、とぼやく。
921CDaily.jpg
<カンボジアでの労働争議を伝える現地の英字紙>

数日前には、大雨による渋滞で、ホテルから空港まで2時半かかってしまい、そのときの外国人客は飛行機に乗り遅れ、翌日のフライトに変更し、ホテルに戻りもう一泊したとか。
カンボジアは来週からカンボジアの「お盆」に当たるプチュンバンのお祭りが始まる。多くの人は、それに先立ち、早くも今週末から帰省する。私がいつも贔屓にしているクメール料理のレストランも早々と休み入りしてしまったとか。
ホテルにチェックインした後、部屋に荷物を置いて、すぐにロビーへ。先日のソーシャルインベストメントの会合で会ったばかりのARUNの功能さんと、カンボジアの事業での連携の可能性につき意見交換。

10時50分 羽田発
15時10分 バンコク着
17時10分 バンコク発
18時30分 プノンペン着
20時 ARUN 功能代表
そして、早くも帰国へ [2014年09月06日(Sat)]
9月6日(土曜日)
朝8時、ホテルを出て、スワンナプーム国際空港へ向かう。現地には一泊しただけなので、形式的には私にとっては例外的に短い出張ということになる。しかし、実質的には、先週土曜日からのちょうど一週間の出張に、ゼロ泊の日本への一時帰国が挟まれた、という変則的なもの。
帰りの飛行機は、ほぼ定刻の10時半にバンコクを出発して、予定より半時間程早い、夕方6時10分に羽田到着。
905king.JPG
<国王がクーデター政権を承認したとの記事が出ていた>

08時 ホテル出発
10時35分 バンコク発
18時10分 羽田着
大忙しのバンコクの一日 [2014年09月05日(Fri)]
9月5日(金曜日)
飛行機はほぼ定刻の深夜0時半に出発したのだが、バンコク到着は定刻より約1時間ほども早い、4時過ぎとなった。お陰で、ホテルには5時半にチェックインすることが出来た。シャワーを浴びてベッドに潜り込み、1時間半近く眠る。
朝8時、ホテルでIDPP(障害者公共政策大学院)事業の責任者であるアメリカン大学デッリック・コグバーン准教授と落ち合い、一緒に朝食。ホテルで車をチャーターし、デッリックさんとチュラロンコン大学へ向かう。AUN(ASEAN大学ネットワーク)事務局でナンタナ博士に会うためだ。
朝9時の約束だったのだが、ホテルからは目と鼻の先、と言われていたのだが、大学構内で迷ってしまい。事務室に到着したのは9時半。既に、マヒドン大学の先生たちが来て待っててくれていた。遅刻を詫びてミーティングに加わる。IDPPをAUNの正式メンバーとして加えてもらうための手順を協議。基本的には問題はなさそうなので、早期の実現を目指すことで役割分担を話し合う。
905Chula.JPG
<チュラロンコン大学キャンパスで迷う>

マヒドン大学での会議の後、デリックさんと一緒に今度は、東南アジア教育大臣機構(SEAMEO)事務局へ。ここはASEAN10カ国に東チモールを加えた11カ国のための国際機関。教育問題を専門に扱う組織だ。その設立は1965年というからASEANよりも2年古い。
ASEANとはメンバー構成が異なるということで、別の組織になっているが、実質的にはASEANの教育部門のようなもの。私はここにには、7年前にi一度来たことがある。その時の事務局長はフィリピンの前教育大臣のデヘススさんだった。今回は、IDPPのASEAN諸国との連携を深めるためにSEAMEOのアドバイスを得ようというのがデリックさんのアイデア。
SEAMEO事務局長のウィタヤ教授らが我々を大歓迎してくれ、全面的な協力を約束してくれた。
チュラロンコン大学への到着が遅れたために、元々タイトであった午前のスケジュールが押せ押せになってしまった。私は、この後、マヒドン大学医学部でのシリントーン義肢装具師学校(SSOP)の理事会に出ないと行けない。
905SEAMEO.JPG
<SEAMEOのビルのエレベーターホール>

12時半に宿泊先のホテルにSSOPの迎えの車が来てくれることになっており、急いで戻らないと行けない。急いでいると言うのに、事務局長らに歓迎されるあまり、話が長引き、更には写真撮影まで付き合うことに。
デリックさんにはそのまま一人残って、SEAMEOとの連携について具体的な相談をしてもらうことにして、私は、乗って来たホテルの車で、急いでホテルに戻ることに。ところが、道路の渋滞で中々進まない。挙げ句の果ては、何と踏切で延々と続く貨物列車の横断待ち。しかも、やっと終わったと思ったら逆方向から別の列車。
そんな訳で、ホテルについた頃には12時半になっていた。車をマヒドン大学差し回しの車に乗り換えただけで、昼食もとらず直ちに出発。
905SEAMEOmtg.JPG
<SEAMEOで会議>

案内役としてSSPO卒業生で現在は助手として働いているというタイ人の若い女性のアンさんが同行してくれた。SSPOの授業は基本的に英語で行われるので彼女も英語は堪能だ。
幸い、途中の道路はスムースだったので、マヒドン大学へは会議直前に到着することが出来た。先に来ていた日本財団の本事業の担当者である立石職員と合流。
日本財団は、もう20年以上前から東南アジアの6カ国で義肢装具師養成コースの運営を支援して来た。財政的なだけではなく技術面でも、専門家集団のNGOであるエクシード(前カンボジアトラスト)と組んで支援している。WHOが認定する医学教育と連携した本科的なコースで、基本は3年制だ。ここマヒドン大学だけに2年制の国際アップグレードコースがある。これは、周辺5カ国の学校で3年間のコースを終えた2級ライセンス保持者の中で優秀な者に、教員資格となる1級ライセンス取得のための2年間のコースである。
905SSPO.JPG
<マヒドン大学医学部長室のあるビル>

今日は、2010年より始まった国際アップグレードコースの報告。5期合計で47名が入学、うち、43名が卒業もしくは在籍中。来年度での支援終了に向けて、外国人教員のタイ人へのシフトが進み、今年は5人にまで減少。
ピアサコール前学長も顔を見せた。彼からは、来年に予定されている日本財団からの支援終了を前に10数年の事業の回顧と、この間、一貫して資金支援をして来た日本財団に対し感謝の言葉があった。
思えばこの間に色々な困難な局面があった。何とか、それらを乗り越えてこの事業が独り立ち出来るまでになったのは、田沢先生を始めとする外国人専門家ら大勢の人の尽力のお陰だ。そして、タイ側では当初は医学部長として、その後は学長として支えてくれたピアサコールさんの理解とサポートによるところが大きい。
夕方になって雨がぱらついたが幸い本降りには至らず。夕食は、日経新聞バンコク支局高橋記者と。

00時35分 羽田発
04時10分 バンコク着
08時 アメリカン大学コグバーン准教授
09時半 チュラロンコン大学AUNナンタナ事務局長
10時 東南アジア教育大臣機構(SEAMEO)事務局
13時 ホテル出発
13時半 マヒドン大学シリントン義肢装具士学院運営委員会
18時半 日経新聞バンコク支局高橋記者
一旦帰国して、その日の深夜便で再び出発 [2014年09月04日(Thu)]
9月4日(木曜日)
ヤンゴンからの夜行便で朝6時半に成田着。一旦自宅に戻り、午後から日本財団に出勤。会長、理事長らとの会議に出る。
会議のあとは、夕方まで勤務。自宅に戻り夕食を取った後、スーツケースを小さい方のものに替えて、今度は羽田に向かう。再び夜行便で出かけるのだ。
行き先はバンコク。元々は、昨日マンダレーからヤンゴンに戻って一泊し、今日の午後の便でバンコクに入る予定を立てていたのだが、今日の午後にどうしても外せない会議が入ったために、当初の行程を中断しこのような形で一日弱の一時帰国をするはめになったもの。
904skytree.jpg
<スカイツリーが短い帰国を迎えてくれた>

06時40分 成田着
13時半 日本財団にて会議
21時45分 自宅出発
マンダレーへ日帰り、無事帰国便に乗継ぐ [2014年09月03日(Wed)]
9月3日(水曜日)
903waitingroom.JPG
<空港待合室のレイアウトは再び変わっていた>

朝4時に目覚まし時計のベルで目を覚ます。前夜のうちに準備をして置いたので、昨日の夕食の残りのパイナップルとバナナで朝食。手早く荷物をまとめて部屋を出る。
4時半、真っ暗中をメームさんの車で出発。途中、ティンニュント博士を自宅前でピックアップして、国内線ターミナルに向かった。今日の夕方マンダレーから戻り、そのまま、成田行きの夜行便で帰国するので、大きなスーツケースはメームさんに預買ってもらうことにして、マンダレーへは小さなキャリーバッグだけを持って行くことに。
国内線ターミナルは、以前、国際線・国内線共用のターミナルとして使われていた建物だが、新しい国際線ターミナル建設によって国内専用となったもの。このターミナルはいつも改修工事中。
待合室のレイアウトは行く度に変わっている。以前まであった一階の喫茶店は朝食を取るのに便利だったが、取り払われてしまった。
間もなく、西垣さんが空港の待合室に一人で現れた。三人一緒に、マンダレー行きの飛行機に乗り込む。
903water.JPG
<マンダレーは曇り空>

飛行機の中では、私の席はティンニュントさんの横だった。前回、彼と会った際、期中に辞任したペッテキン大臣の後任として、新しく保健大臣に就任したタンアウンさんと会うことになっている、と言っていたのを思い出しその様子を聞いてみた。
すると、タンアウン新大臣から、ネピドーに来て欲しいと言われ、わざわざ会いに行って来たという。そのとき、大臣からは、テンセイン大統領から、日本財団との置き薬事業の拡大強化の指示があったとかで、置き薬事業についての質問を受けた、と言うではないか。大統領自身が日本財団の置き薬を話題にし、ミャンマー全土村落部での配布を指示した由。置き薬事業を始めた当時の保健省伝統医療局長として、退職後は、日本財団のアドバーザーとして、これまでの経緯を知り尽くしているティンニュントさんから、詳しい状況報告をしてもらえたのは幸いであった。
小一時間ほど彼と話しているうちにマンダレーに到着。マンダレーの空は曇り、気温は26度だった。
903hotel.JPG
<ホテルの玄関には盲人マッサージ会議の案内板>

空港からの車はマンダレー市内の小さなホテルに直行した。ホテルの玄関には盲人マッサージ会議の案内板が出ていた。部屋に荷物を置いてすぐ、ロビー横の食堂へ案内された。すると、そこが、ミャンマー伝統医学に基づく盲人用医療マッサージ学校設立に関する会議の会場だった。
出席者はこの事業の責任者を務めてくれているアウンミン博士以下、ミャンマーの伝統医学、医療マッサージなどの関係者が集まってくれていた。
我々3人を入れて総勢16人。うち、11人はこの学校運営のために設置される予定のミャンマー伝統医療復興財団の新設予定の理事たち。社会福祉省のマンダレー事務所代表も来てくれていた。今年、ミャンマー盲人協会理事長に就任したMILIのアンコミンさんの姿も見える。
会議は9時から始まり、昼食を挟んで午後1時前に終了。
会議の後、アウンミン博士と別途、ミーティング。今回の会合での議論を踏まえて今後の進め方に関する打合せを行った。
903mtg.JPG
<盲人用医療マッサージ学校設立に関する議論をするメンバーたち>

その後、帰りの飛行機の出発までの時間を利用して、ティンニュント博士と、マンダレーリハビリテーション病院に院長を訪ねた。マンダレーリハビリテーション病院はゆったりとした敷地に建てられたモダンな大病院で、ヤンゴンのリハビリテーション病院より立派だった。
院長ら幹部と会い、この病院内に、設置する予定の義肢装具装着サービスセンターについての打合せを行った。センターの建物など、所謂、「箱もの」については在ヤンゴン日本大使館に「草の根無償援助」を申請する方向で準備を進めており、現時点での準備状況を確認するとともに、今後の手続きなどについて確認した。
一旦ホテルに戻り、チェックアウトしアウンミン博士に送られて空港に向かった。帰りのヤンゴン便の飛行機は、当初予定のジェット機がターボプロップに変わっていたためか定刻の出発にも拘らず、到着は30分遅れ。
ヤンゴン空港にはメームさんが迎えに来てくれていた。今朝預けたばかりの大きなスーツケースを積んだままの車で国際線ターミナルに移動。そのまま、成田行きに乗りこむ。日本財団で行われる明日の会議に出席するために、夜行便で帰国するのだ。
903NRHcourt.JPG
<マンダレーリハビリテーション病院はヤンゴンより立派だった>

04時半  ホテル出発
06時30分 ヤンゴン発
07時40分 マンダレー着
09時 盲人マッサージ会議
13時 アウンミンさん打合せ
14時 マンダレー・フィジオセラピー病院訪問
15時30分  ホテル出発
17時10分 マンダレー発
19時05分 ヤンゴン着
21時50分 ヤンゴン発
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI