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大野修一(日本財団)
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MILIで打合せ [2014年08月31日(Sun)]
8月31日(日曜日)
831DBIC.jpg
<MILI本部の庭にはYDBICのプレハブが完成していた>

朝から厚い雲に覆われていた。そう言えば昨夜は、夜中に雨の音を聞いたような。しかし、朝には雨はあがっていた。
午前中は部屋で作業。明日のスピーチの原稿を推敲だ。それというのも、出発直前に急遽、月曜日のMILI主催障害者若手リーダー研修の開始式に出席することになったためだ。しかも、28日になって、英語でのスピーチを頼まれたので、了承したところ、今度は、その原稿を事前に欲しいと言われたのだ。そこで、昨日ヤンゴンへのフライトの中で作成。それをバンコク出張中で明後日ヤンゴンに到着する日本財団の障害ビジネス担当の吉田職員に目を通してもらい意見を求めることにしたのだ。今日になって彼からのコメントが届いたので、それを踏まえたり、更に自分でも一部手直しをするなど、午前中はホテルの部屋で推敲作業。
さらに、NHKバンコク支局の姫野さんから明日の取材の件で問い合わせのメールがあり、それに答えたりしているうちに、時間が過ぎる。
831cars2.JPG
<MILI本部の中庭には日本財団が寄付した車が停まっていた>

慌てて、明日のスピーチの原稿の改訂版を持ってMILIに向かうことに。午後2時の約束に間に合うよう、少し早めの午後1時に部屋を出る。ホテルの向かい側の道端に泊まっていたタクシーを拾って出発。
途中、タクシーが道を間違えたので、MILIに電話をかけて運転手に道順を説明してもらうなどをして手間取ったが、何とか午後2時にMILIの本部に到着。私が到着するのをネイリンソーさんが待ち構えていた。ニヤニヤしてとてもうれしそう。
MILI本部の中庭には日本財団が寄付した車が停まっていた。この車を使って明日、運転補助装置の試運転が行われるのだ。ネイリンソーさんに明日の運転補助装置のテレビ取材について段取りなどを検討する。その後、明日のスピーチの原稿を渡し、翻訳に向けての打合せ。その後、アウンコミンさんと障害者芸術祭を始めとする諸々の事業について打合せ。
831NLS.jpg
<ネイリンソーさんの出迎えを受ける>

帰り道、途中からバケツをひっくり返したような雨。昨日と殆ど同じ時間だ。これが熱帯地方本来のスコールの姿だ。
ホテルの部屋に戻り、メールをチェックしようとするが繋がらない。豪雨で通信回線にダメージがあったのかも。
午後6時、ホテルのロビーで、間遠さん、ティダシュウェさんと落ち合い、一緒にホテルを出る。メームさんの車で出発。
別のホテルに着く。間遠さんが取り出した書類にサイン。タイから帰って来たばかりのティンニュントさん、ウィンアウンさんと合流、食事をしながら農業事業の打合せ。祝賀会。今月の下旬に地鎮祭が行われるというのでパアン行きを予定することに。
831rainy3.JPG
<バケツをひっくり返したような雨>

13時 ホテル出発
14時 MILI打合せ
18時 ホテル出発
18時半 農業事業打合せ
ヤンゴン行きの直行便の機内はガラガラだった [2014年08月30日(Sat)]
8月30日(土曜日) 
朝7時、品川発のNEXに乗るべく家を出る。久し振りに雨。家人に駅まで送ってもらう。このところ、8月としては異常に涼しい気候が続く。
今回の出張の主な目的は3つである。第1に、定例のタイのマヒドン大学医学部のシリントン義肢装具師養成学科(SSPO)の運営委員会が、5日に開かれること。また、先月マンダレーで行われることになっていた盲人マッサージの関係者会議が、私の都合で延期、9月3日に開かれることになったこと。もう一つは、NHKのバンコク支局に私が持ち掛けて取材してもらうことになった下肢障害者用の着脱可能運転補助具SWORDの取り付けのために、メーカーである今野製作所の社長らがヤンゴン入りしてくれることになったため、それに立ち会おうと考えたからだ。
そのために、今日から丁度一週間ほどの出張を計画していた。ところが、9月4日に東京で開かれる財団での重要な会議にどうしても出席しないといけないということになってしまった。
そこで、3日にマンダレーからヤンゴンにとんぼ返りをし、ヤンゴンからその日の夜行便で帰国し、4日の会議に出て、今度はその日の深夜(正確には、飛行機の出発時間は深夜0時を過ぎてしまうので、5日の出発ということになるのだが)に羽田を出て、バンコクでマヒドン大学での会議に出て翌朝の便で帰国することにした。
830skytree.jpg
<スカイツリーも雨雲の中>

成田で出発を待つうちに雨が上がった。ヤンゴン行きの直行便の機内に入ってみると、ガラガラ。2割くらいの入りか。土曜日のヤンゴン行きはこんなものかも。
私が、なぜ土曜日の出発にしたのかというと、日曜日の夕方にヤンゴン入りする今野製作所の今野社長らに先回りして、MILIの幹部たちと前もっての打合せをすることになったのと、薬草栽培事業で、これまで長い間ただ働きをしてくれていたウィンアウンさんとティンニュントさんの慰労会を兼ねたお祝い会を、日曜にすることになったため。薬草栽培事業の規約書が漸く調印されることになったのだ。
成田空港の混雑で飛行機の出発は30分以上遅れるたが、ヤンゴンにはほぼ定刻で到着。
着いた時は曇天とは言え、雨は降っていなかったのだが、空港の外に出たとたん土砂ぶりの雨。空港からのタクシーの運転手ジェームズさんによれば、このところ、数日は雨も降らず、暑かったんだとか。「Mr. Ohnoが雨をもたらした」と笑われる。
ホテルに入った後、明後日のマスコミ取材のことを考えているうち、急に思い立ち、バンコク出張中の吉田君に連絡したりしてばたばたと過ごす。
830rain.JPG
<突然、土砂ぶりの雨>

11時45分 成田発
15時40分 ヤンゴン着
再び、早朝の帰国 [2014年08月14日(Thu)]
8月14日(火曜日) 
朝7時、無事、成田空港に着陸。久し振りのクアラルンプールから成田に戻って来た。長かった出張がようやく終わった。
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<地元紙にシンポジウムに関する記事が出ていた>

07時05分 成田着
長い旅が終わる [2014年08月13日(Wed)]
8月13日(火曜日)
長かった今回の出張も今日で終わり。
クアラルンプールから東京への直行便は、深夜発の便のみということで、私は已む無く、嫌いな夜行便を利用することになった。
深夜の出発まで時間があったので。その前に、マラヤ大学に出かけた。今日はIDPPの3期生たちのオリエンテーションの一部として位置づけられている専門家セミナーの日なのだが、今日の午前の講師は、私の良く知る国連の障害者人権憲章起草委員長を務めたこともあるガレーゴス大使と、アメリカン大学国際関係学院の前院長グッドマン教授のお二人。貴重な機会なので、私も学生たちに混じって聴講することにしたのだ。
セミナーはマラヤ大学の一般学生にも開かれており、それらしき若者数名が参加していたが、最前列を陣取っていたのは、主役である今期の入学生たち5名。
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<グッドマン教授のレクチャーに耳を傾ける受講者たち>

彼らは、国籍別には、マレーシアの二人の他は、フィリピン人二人と、ベトナム人。肢体障害者2名と、視覚障害者2名、聴覚障害者が1名という構成だ。
お二人の熱のこもった講義に、最初は神妙にしていた学生たちも、質問を促されると発言をはじめた。特に、後半のグッドマン教授の講義は、彼らを主役の座に引きずり出す巧妙な構成で、学生たちも活発に発言することになった。
昼食の時間までに二つの講義を聴講した後、私はトマスさんの車で市内のレストランに出かけた。そこで、マレーシア人の前銀行家のウィリーさんに会った。彼とは、昨年1月にヤンゴンで開いた障害者ビジネスに関するワークショップに、トマスさんの紹介で来てくれたのをきっかけに知り合った。
812KL.jpg
<クアラルンプール市内には回教特有の建物が美しい>

そもそも、あの時のワークショップはトマスさんの好意に甘えて、講師の謝礼はゼロ、飛行機代も自腹という条件。にも拘らず、彼は自分が講師として来ることを快諾してくれたのみならず、自分の親友で、社会活動に身を投じようと、大手銀行のCEOを最近辞任したばかりのウィリーさんも誘って、二人で駆け付けてくれたのだった。
我々の話題は、その時のワークショップに加えて、先週の女性社会起業家セミナーにも来てくれたカンボジアの盲人女性ニガさんが夢として語った盲人マッサージと聾者エステティシャンによる高級スパ事業の話。私は、ベテラン銀行マンOBとしてのウィリーさんに今後の協力を頼んだ。
昼食の後、トマスさんの車でホテルに送ってもらい、暫し、彼と今後の仕事のことを話し合った。
そして、成田経由で米国に帰国するというデカロさん一行と、グッドマン教授と一緒に、日本財団の担当者である吉田君が手配してくれたマイクロバスに全員で乗り込んで空港に向かった。
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<ショッピングモールが賑わっていた>

08時半 ホテル出発
09時 IDPP外部専門家講演会
13時15分 トマス社長
14時 ウィリーさん
19時 ホテル出発
22時50分 クアラルンプール発
マイクロソフトが協賛したシンポジウム [2014年08月12日(Tue)]
8月12日(火曜日)
朝7時半、地下のロビーに集合、大型バスで別のホテルに出発した。
今日は、IDPPとマラヤ大学の共催で、インクルーシブ教育に関するシンポジウム"Inclusive Education for the Global Knowledge Economy in ASEAN: A Focus on Malaysia." が開かれるのだ。
参加者には車いすユーザーも少なくないということで、我々の泊っているホテルから、シンポジウムの会場となる別のホテルまでは車椅子運搬専用装置が付いた大型バスが用意されていた。
さすがは、東南アジア諸国の中では、シンガポールと並び、トップレベルの生活水準を誇るマレーシアである。
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<車椅子の参加者のために用意されたバス>

このシンポジウムは、今回のIDPP国際諮問会議に、障害者高等教育の専門家や、ICT教育、公共政策分野の専門家がクアラルンプールに結集するという貴重な機会をとらえて、IDPP事務局側が企画したもの。
それに、コンピューターのバリアフリー化に熱心なマイクロソフト社が賛同し、スポンサーとして名乗りを上げてくれた。さらに、WSIS(世界情報社会サミット)を受けて発足したITアクセシビリティに関する国際連携のための組織G3ICT(インクルーシブICTsのためのグローバルイニシアティブ)が加わった。
そのため協賛団体は、日本財団を含む3つの組織になった。
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<来賓として教育副大臣、マラヤ大副学長なども来訪>

シンポジウムの参加者は総勢約60人、IDPPの国際諮問会議参加者の他、マレーシア教育省の担当官や、マレーシア国内の障害者団体の代表者らが多数参加してくれた。
マレーシアでは初めての障害者インクルーシブ高等教育に関するシンポジウムということで、来賓には、ヤップカインチン教育副大臣、自らも車いすユーザーであるクリシャン上院議員が来訪、ホスト側であるマラヤ大学からは、実質的な学長である教務担当副学長のハムディ教授自身が出席してくれた。私は、始まる前に副学長と話す機会をとらえて、AUN(ASEAN University Network) への申請について彼の協力を求めたところ、「勿論、喜んで」と力強い答えが返ってきた。
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<教育副大臣、マラヤ大副学長も出席して記者会見>

朝9時、シンポジウムはマラヤ大副学長ハムディ教授の歓迎の辞から始まった。
次いで私も、後援者を代表して挨拶。日本財団の担当者である吉田職員に作ってもらったものに、昨日の夜遅くまで推敲し若干の手を加えたものだ。
開会式の後は教育副大臣による、マレーシアのインクルーシブ教育に関する記念講演があった。
その後は、教育副大臣、マラヤ大副学長も出席して地元紙やテレビ局のために記者会見を行なった。
ただ、残念なことに、折角、世界各地から障害者教育や、ICT教育の専門家が集まっているというのに、現地マスコミの関心はマレーシアの教育制度に集中。最後まで、教育副大臣が国内問題を解説する状態に終始した。
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<殆ど全員が発言する熱気のこもった会議であった>

その後、夕方まで一日中、障害者インクルーシブ教育と情報通信技術の活用というテーマで、活発な議論が行われた。一人当たりの発言を短く抑えた議事運営のお陰で、その分、会場にいたほぼ全員が発言する機会を得て討論に参加する、という有意義な会議となった。
会議を終えた後は、夕食会まで時間があったので、私はトマスさん、二ノ宮さんと3人で散歩に出かけた。
シンポジウム会場のホテルのすぐ近くに、クアラルンプールのシンボルであるツインタワービルが聳え立っていたので、タワーを背景に写真を撮った。
曇りだが湿度はさほど高くない。気温もせいぜい、26、27度くらいだろうか。比較的過ごしやすい気候だった。
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<クアラルンプールのシンボル、ツインタワービル>

07時半 ホテル出発
09時 インクルーシブ教育に関するシンポジウム開始式
10時 記者会見
13時 インクルーシブ教育に関するシンポジウム
17時半 夕食会
IDPP国際諮問会議に出席 [2014年08月11日(Mon)]
8月11日(月曜日) 
朝7時半にホテルのレストランで、IDPP事業の責任者であるアメリカン大学のデッリック・コグバーン准教授、アテネオデマニラ大学の副学長クルス神父、マヒドン大学大学院長のブンチャン教授の4人で、内輪の会議の場を持った。朝食を取りながら、IDPPとしてASEAN University Network (AUN)に加盟するための技術的な手続きなどについて意見交換。
その後、9時からホテル内の会議室で、障害者公共政策大学院(IDPP)の国際諮問会議(IAB)が開かれた。マレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン、カンボジア、ミャンマー、ベトナムなどのIDPP加盟大学の学長、副学長、学部長、担当教授らに加えて、米国の国立聾理工科学院(NTID)、国際視覚障害者教育協議会(ICEVI)、アジア太平洋障害者発展センター(APCD)などから、聴覚障害、視覚障害、肢体障害などの分野の専門家が参加した。
IDPPは今から4年前に、我々の呼びかけに応じた4つの教育機関と3つの専門機関によって設立された障害者行政をテーマにした修士号を供与する大学院大学である。前ASEAN事務局長のスリンピスワン博士が名誉院長を引き受けてくれている。
これまでの国際諮問会議(IAB)は総てバンコクのマヒドン大学で行われて来たが、今期からはマレーシアのトップ大学であるマラヤ大学がアメリカン大学に代わり修士号の母体となったことから、3期生5人が集うオリエンテーションの機会にクアラルンプールでの開催となったもの。
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<AUNへの参加が話し合われた>

2011年4月、バンコクのマヒドン大学でひらかれた調印式を持って発足したIDPPのベースとなった考え方とは以下のようなものである。
障害者の置かれた環境を改善するには、障害者自らが障害者行政や教育に参画することが必要であるが、そのためには高度な専門教育を受けた障害者の育成が不可欠である。しかし、ASEAN各国など途上国では、障害者がそのような高等教育を受けるための教育環境は整備されているとは言い難いのが現実だ。
そこで、ASEAN各国の障害者で既に大学を卒業した人たちを対象にした大学院大学を作ろうと日本財団が呼びかけたところ、タイのマヒドン大学、シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院、アメリカン大学国際関係学院、米国立聾理工学院が賛同。
更に、障害者問題を扱う専門機関も加わることになった。障害問題全般に関する助言、オン・キャンパス期間の障害者サポートなどを担当するAPCD (Asia Pacific Development Center on Disability)、視覚障害者教育に関する助言、視覚障害者サポートなどを担当するIECVI (the International Council for Education of People with Visual Impairment)、インターネット教育に関する助言、サポートを行うCOTELCO (the Center for Research on Collaboratories and Technology Enhanced Learning Communities)である。
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<IDPP国際諮問会議が始まった>

移動が困難であったり、既に、仕事を持っている障害者の便宜を考慮し、当初は授業を全面的にオンラインで行うこととし、修士号供与期間としてはアメリカン大学国際関係学院が選ばれ、他の大学は教員の派遣や、共同研究などで協力することになった。
その後、ASEAN地域の有力大学に参加を呼びかけた結果、当初の2大学に10大学が加わり全部で12の大学がメンバーになっている。10大学とは即ち、フィリピンのアテネオデマニラ大学、デラサール大学CSB、インドネシアのインドネシア大学、ガジャマダ大学、国立イスラム大学、ベトナムからは社会科学大学院、ハノイ大学、ハノイ保健大学、ミャンマーからはミャンマー神学大学、そして、マレーシアのマラヤ大学である。今回の会議には、これらの大学に加えて、カンボジアの王立プノンペン大学の副学長がオブザーバー参加してくれた。ブルネイの大学なども既にオブザーバーとなっており、ASEAN各国で参加メンバーがいないのはラオス1カ国を残すのみとなっている。
今回はIDPP国際諮問会議。有識者も加えた国際諮問会議(IAB)には、国連の障害者権利条約の起草委員会の委員長を務めたガレーゴス大使や、アメリカン大学国際関係学院(SIS)の前院長のグッドマン教授、手話の研究で有名な筑波技術大学の大杉豊准教授も出席してくれた。
昼食を挟んで熱心な会議が夕方まで続いた。夜は全員で夕食。
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<会議では手話通訳者も活躍>

07時半 IDPP加盟大学関係者らとの打合せ
09時 IDPP海外諮問会議
18時  IDPP海外諮問会議夕食会
クアラルンプールへ移動 [2014年08月10日(Sun)]
8月10日(日曜日)
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<今朝も雨>

今日はクアラルンプールに移動する日。今回の長い出張の最後のプログラム、障害者公共政策大学院(IDPP)の国際諮問委員会と関連行事に出席するためである。
ヤンゴン市内の渋滞は日に日にひどくなっており、時には1時間半もかかったりすることもあるので余裕を見て朝9時に出発した。しかし、今日は日曜日なので道路はスイスイ、40分程で着いてしまった。
ところが、チェックインカウンターの様子がおかしい。聞いてみるとコンピューターが故障しているのだという。結局、長時間待たされたあげく、手作業でのチェックインとなった。今回の飛行機は、このところ事故続きのマレーシアエアライン。果して、無事荷物が届くのだろうか、、、。
ヤンゴンから2時間半程のフライトの間、飛行機はほとんどずっと厚い雲海の上を飛んでいた。しかし、クアラルンプールに着いてみると晴れて日が射していた。
入国審査は空いていた。そして、無事荷物を受け取る。カルーセルのディスプレイには、先の航空機事故に対する哀悼文が流れていた。
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<クアラルンプール空港は晴れていた>

荷物を受け取って空港の外に出る。順調にいくかと思ったら、そうはいかなかった。私の名前を書いたボードを持った女性がいる。IDPPで予約してくれていたホテルからの迎えである。ところが、ちょっと待って欲しいという。
ホテルが手配した車が、来る途中の高速道路で事故による渋滞に巻き込まれ到着が遅れるので15分ほど待って欲しいとのこと。しかし、15分経っても20分経っても来ない。結局、30分以上足止めを喰らい、出発したのは6時近くになってから。ホテルに着いた7時になっていた。とっくに、夕食会が始まっている。
チェックインして、荷物を部屋に入れて直ぐさま、宴会場に設けられた夕食会場へ急ぐ。
ジュネーブで会ったばかりのガレーゴス大使と夫人、アメリカン大学SIS前学院長のグッドマンさん、ビジネスマンのトマスさん、APCDの二ノ宮さん、ネピドーに同行したNTIDのデカロさんらと挨拶。デリック教授のそばには、夫人のノエミさん、息子のショーン君までいたのにはびっくり。
810KLhighway.jpg
<さすがに近代的なクアラルンプールの街並み>

09時 ホテル出発
12時15分 ヤンゴン発
16時30分 クアラルンプール着
18時半 IDPP全体夕食会
今日も伝統医療会議だが、、、 [2014年08月09日(Sat)]
8月9日(土曜日)
809hotel.jpg
<ASEAN伝統医療会議の会場となったホテルへ急ぐ>

今日は、ASEAN伝統医療会議第2日。朝9時に間遠さん、鳥海さんと一緒に、泊まってるいをホテルを出て、ASEAN伝統医療会議の会場となっている別のホテルに向かった。
私はてっきり、今日は9時半からのスタートと勘違いしていたのだが、実際の開始時間は9時だった。そのため、我々が着いた時には会議が始まっており、早くも2番目のプレゼンテーションが進行中であった。
昨日の会議が、基本的には参加10カ国の政府保健省からの伝統医療の活用についての総論的な現状報告であったのに対し、今日の報告は、各国政府やWHOの地域本部などが、それぞれの関心に応じて選んだ様々なトピックに関するものであった。ところが、今日の発表のうちの3つは、日本財団の資金援助で実施中の各国の置き薬配布事業に関するものであった。
そのトップバッターがベトナムWHO事務所のソッコロさんの報告。
それは、ベトナム保健省が、当初の計画から大幅に遅れて、ようやく昨年11月から始めていたベトナムの生薬を使った置き薬事業に関するもの。開始半年での暫定モニタリング結果の報告であった。
809WHO.jpg
<ベトナムWHOのソッコロさんの報告が進行中>

私は、このWHOベトナム事務所のモニタリングに大きな期待を寄せていた。それというのも、これまでに日本財団がモンゴルやミャンマー、タイで行って来た置き薬事業のモニタリングは事業の当事者である各国保健省の主導で行われており、中立性に問題があった。また、常日頃、各国の政策の評価を行っている専門機関であるWHOの科学的な手法による評価には、質的にも世界レベルでの科学的客観評価としてみてもらえると考えていたからである。
また、WHOベトナム事務所も日本財団も、この置き薬配布パイロット事業は、このシステムが有償でも利用されるかどうかを検証することにあると主張したにも拘らず、ベトナム保健省は置き薬を先ずは無償配布して、その評価を確認した上で、有償化を検討するべきであると主張。結局、無償で配布することにしてしまっていた。
ソッコロさんの報告はさすがに、簡潔でポイントを突いた素晴らしいものであった。
そのベースとなった暫定モニタリングは、置き薬プロジェクトの対象となっている北西部のホアビン省、北東部のクアン二ン省、南東部のドンナイ省で、それぞれ2カ所ずつ計6つの村落で行なわれた。
809Myanmar.jpg

アンケートは6つの村で50世帯ずつ、計300世帯に配布。村毎に集団インタビューを計6回。他に、村のヘルスワーカー、伝統医療専門家、プロジェクトの責任者らに個別インタビューを行った由。
それによると、置き薬事業の導入前と比べて、伝統医薬の利用は63%から100%に上昇。その反対に、省立病院への通院は44%から25%に低下、民間のクリニックへは30%の人が行っていたのが7%以下に低下。92%の人が置き薬で症状が改善(うち、11%は完治)したと報告。90%の人が、有償でも構わない、と回答。
個別インタビューでも置き薬は「便利」で「役立つ」、「無償配布のプロジェクトが終了しても、自分たちが多少負担してでもこのシステムは続けて欲しい」と好評であった。
ミャンマーの置き薬事業の現状については、旧知の保健省のテインチョーさんがプレゼンテーション。実は我々は、ミャンマー保健省が実施中の置き薬事業については、昨年以来、進捗に大幅な遅れが出ており心配していた。ところが、今日の説明によれば、この数ヶ月間に大幅な進展があったらしく、齦年末までの目標2万8000ヵ村に対し、現時点で約2万3000ヵ村で配布完了となっていた。
808uchien.jpg
<日本語のロゴを残す方がかっこいいとは言え、「ようちえん」が「うちえん」とは>

ただ、州毎にばらつきが大きく、ヤンゴンからほど近いパゴー州では目標を大幅に超える3500カ村への配置が完了しているのに対し、少数民族武装反政府勢力との休戦協定が未成立の、ミャンマー最北端のカチン州では1000カ所余り、イスラム教徒との宗教対立が激化しているラカイン州に至っては500か村に留まっている。
これらの報告が終わったところで、私は鳥海さんと一緒に会場を後にした。彼は、今日の夜の便で帰国するのだ。ホテルの前に、白いボディーに「ようちえん」ではなく「うちえん」と日本語で大書された車が停まっていた。日本製の中古車人気が高いミャンマーでは、日本語のロゴを残す方がかっこいいということで時々、変てこな日本語表記に出くわすが、これもその一つ。
私は途中で車を降ろしてもらって、いつものスーパーでサンドイッチを買い、鳥海さんが出発した後のホテルでひとりで夕食。カロリー過多のメニューが多いミャンマーでは、誘われるままに夕食を取っていると危険なので、時々こうしてカロリー制限。
夜は、明日からのマレーシア出張の準備。11日と12日の会議でのスピーチ原稿に手を入れて早めに就寝。

09時 ホテル出発
09時15分 ASEAN伝統医療会議
ASEAN伝統医療会議始まる [2014年08月08日(Fri)]
8月8日(金曜日) 
朝8時、ホテルを出て第5回ASEAN伝統医療会議の会場となったホテルへ向かった。この会議は、日本財団がタイ政府保健省やASEAN事務局に呼びかけて始まったASEAN各国政府の伝統医療担当者、生薬メーカー、学者や専門家、NGOが集う会議である。
第一回が開かれたのはバンコク、丁度5年前の2009年8月だった。その時の参加者は約200人。うち、タイ側の参加者が約半分。残りの約100名は、ASEAN10カ国の代表団、及び、オブザーバー参加の、日中韓とインド、スリランカ、ネパールの6カ国であった。
その年2009年のASEANサミットの議長国タイの保健省がホストを引き受けてくれ、タイの元外務大臣で、当時ASEAN事務局長を務めていたスリン・ピスワン博士も来賓として出席、基調演説をしてくれた。その後、ホスト国はベトナム、インドネシア、マレーシアと引き継がれて今回、再びASEANサミットの議長国であるミャンマーで開かれることになったのだ。
808HEMoH.jpg
<就任したばかりのタンアウン保健大臣も来てくれた>

私が、何より今回驚いたのは、一週間前に着任したばかりのタンアウン保健大臣が来てくれたこと。突然、ペッテッキン大臣が更迭されたニュースを聞いたとき、私は保健大臣抜きの開会式を覚悟した。それだけに、就任直後で超多忙の筈の大臣が民間財団主導の会議に時間を割いて来てくれたことは本当に嬉しかった。保健大臣が来てくれたこともあったろう、式典の参列者は約200人と予想以上の盛況であった。
日本財団がこのような会議の開催をASEANに呼びかけた理由は、ASEAN地域においては、特に地方を中心に伝統医療理論に基づく生薬などを使った民間療法が今も根強く残っており、それを初期治療の現場で活用する余地が大きいと思ったからである。
元々、日本財団は2004年からモンゴルで遊牧民の医療環境改善のため、モンゴルの伝統医薬品を用いた置き薬事業を実施してきた。その成功がWHOなどの注目を集めることになり、2007年8月、日本財団はWHOと共催でウランバートルでモンゴル方式の置き薬事業を紹介する国際会議を実施している。その時、現場をみたミャンマーとタイの保健省関係者から、自分たちの国でも置き薬事業を実施したいとの申し入れがあり、それぞれの国で日本財団の協力により置き薬事業が始まったのがこのころであった。
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<約200人が開始式典に参列>

その後、日本財団が始めた置き薬事業はベトナムにも広がり、日本財団は現在ASEAN3カ国で置き薬事業を実施中である。ミャンマーでは、今年が第2フェーズの最終年で、年末までに2万8000の村で配布完了の予定だ。ところが、テンセイン大統領からは、ミャンマーには全部で6万5000の村があるので全部の村でやって欲しいと言われている。
また、生薬製造のための原料確保という観点から、日本財団はカレン州政府と組んで薬草栽培指導の事業も始めている。更に、マンダレーでミャンマー伝統医療理論に基づく盲人マッサージ学校の設立を準備中である。
開会式の後、午後からは各国政府の代表者から現状報告が行われた。そのセッションに登場したタイ保健省伝統医療局のタバチャイ局長は、日本財団の協力で、全土の4地域16地区で2万世帯を対象にパイロット事業を行って来たが、その結果を踏まえて、タイ保健省はこのほど置き薬を全国展開することになったと述べた。
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<タイ政府は全国展開を決めたと語るタイ保健省のタバチャイ局長>

一方、伝統医療の活用は国際的にも益々注目されるようになっている。
WHOは2008年11月北京で初めて伝統医療サミットを開催、80か国から1000人もの代表者が出席した。この時、伝統医療を活用することの重要性をうたった「北京宣言」が採択された。この宣言は、翌2009年5月に開かれた世界保健機関の総会で伝統医療に対する正式な方針として承認されている。また、WHOは伝統医療活用10カ年計画を策定、今年5月のジュネーブ総会では、加盟各国での伝統医療活用を促す決議が採択されている。
伝統医療の観点からは、ミャンマーを始めとするASEAN地域は、伝統医療の世界の2大源流であるインドと中国の結節点にあり、双方の強みを取りいれてそれを更に発展させうるユニークなポジションにある。今後、2015年のASEAN経済共同体の成立を受けてASEAN諸国の経済的・文化的結合はさらに進化しようとしている。これまでの会合を通じて生まれたASEAN各国保健省の伝統医療専門家によるネットワークは益々重要な役割を果たすことになろう。
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<タンアウン保健大臣主催の夕食会>

08時 ホテル出発
09時 ASEAN伝統医療会議開会式
11時 ASEAN伝統医療会議
19時 保健大臣主催伝統医療会議夕食会
ネピドーへ日帰り [2014年08月07日(Thu)]
8月7日(木曜日) 
朝、5時5分前にロビーに降りて行くと、もう既にティンニュントさんが手配してくれた車の運転手が待っていた。すぐ手前の別のホテルから乗り込んでいたデカロさんとトミーさんたちに挨拶して、車に乗り込むとすぐに出発。途中、ヤンゴン大学の敷地に立つ官舎で、通訳をやってくれる、ヤンゴン大学教員のティダエイさんを拾う。
雨は今は止んでいたが、昨日の夜は遅くまで降り続いていた。ふと、一昨日、パアン行きの途中で引き返したという鳥海さんたちのことを思い出した。ただ、我々の今回の目的地ネピドーへはミャンマー唯一の自動車専用道路が通じているので大丈夫の筈と自らに言い聞かせる。
ところが、不安は的中。高速道路の手前辺りで、道路が一面冠水していたのだ。幸い今回我々が乗っているのはマイクロバス。いつものネピドー行きに使うセダン型の乗用車と比べると車高が高いので多少の水なら大丈夫だろう。そろそろと進んで行くと、水の中で立ち往生しているマイクロバスを発見。乗っていた人たちと見られる人が手で押していた。
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<自動車専用道に入る手前で道路が完全に水没していた>

我々の乗ったマイクロバスは幸い30分程で水の堪った場所は通り過ぎ、ネピドー直通の自動車道路に入ることが出来た。ここまで来れば安心だ。
途中、トイレが増えていたのに気が付いた。以前は115マイル地点しかなかったのが、70マイルほどの所や、他にも屋台のように小さなレストエリアが誕生していた。お札を入れるかごを真ん中に、男女一人づつの料金係が座っている有料トイレ(150チャット)を中心に、土産物売り場の屋台が並んでいる。だが、水没していた地点で予想外に食ってしまった時間が気になる。トイレを利用しただけで大急ぎで車に戻る。
そして、いつもの115 Miles Traveller's Innで、ミャンマーの国民食、モヒンガーで手早く朝食を済ませ出発。
私は、路肩にあるマイル表示の距離標識と時計と見比べながら車内で一人気をもんでいた。折角、アウンミンさんのお陰で約束を取り付けた、社会福祉大臣との面談に遅刻するというわけにはいかないが、この調子ではネピドー到着は9時半ころか。そこから、社会福祉省のある市内北部の官庁地区までは更に30分近くかかるはず。すると、社会福祉省到着は10時直前か、ギリギリといったところの計算になる。
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<75マイル地点に登場したトイレのある手作りレストエリア>

しかし、だからと言って運転手にこれ以上スピードを出してもらう訳には行かない。と言うのも,この自動車専用道路はこのところ交通事故が多発し、「死の高速道路Death Highway」と呼ばれるようになっているからだ。
問題はこの道路が急ごしらえのため、安全面での配慮がお座なりにされたこと。また、道路の表面がコンクリート製だと言うこと。アスファルトより安いのだがタイヤのパンクを引き起こしやすい。
2009年に開通して以来、年々、交通事故の死者数が増え、これまでに400人に達した。交通量の増加に連れて事故も増加しつつあり、今年に入ってからの交通事故死者は既に5月の段階で80人に達したほど。昨日訪ねた国立リハビリテーション病院の病院長も、数ヶ月前にここでの交通事故で亡くなっている。
今年に入り人気歌手の死亡が報じられ、マスコミが派手にこの道路の欠陥問題を指摘する事態に政府は来年度からの舗装工事計画を発表した。
幸いにして、約束の時間の10時数分前に社会福祉省ビルに到着した。担当者が玄関で待ち受けており、直ぐさま二階の会議室に案内された。アウンミン博士とはここで合流。
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<約束の時間ギリギリに社会福祉省に到着>

間もなく、担当局長ら幹部を従えて、ミャッミャッオンキン大臣が入室。早速、会議が始まった。私からメンバーの紹介と会議の目的などについて英語で簡単に挨拶した後、アウンミン博士がミャンマー語で、盲人用マッサージ学校事業のその後の進捗状況に着いて報告。
その後、デカロ教授に代わり、彼から聴覚障害者教育改革に関する考えと日本財団の支援について説明。大臣からは、感謝の言葉と基本的な考えに対する同意と、社会福祉省としての協力の用意があるとの言葉をもらって面談は終了。
その後、ネピドー市内の商業地区にあるレストランに行き、少し早めの昼食を取りながら今後の進め方に付いての相談。
無事、面談を終えることが出来たので帰りはのんびり。ところが、ネピドー滞在中はあんなに晴れていた空に、南下するに連れて、厚い雲がたれ込めるようになり、暫くすると土砂降りの雨が降り出した。
結局、降ったり止んだりの雨のなかをヤンゴンに向かった。幸い、朝来る時に水没していた地区ではまだ一部、水が残っていたものの通行に支障はなく、無事、ヤンゴンに帰り着くことが出来た。
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<ネピドーでは晴れ上がっていたのだが、、、>

05時 ホテル出発
10時 社会福祉省訪問
12時 アウンミン博士打合せ
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