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大野修一(日本財団)
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盲人マッサージの件でタイ保健省へ [2014年07月31日(Thu)]
7月31日(木曜日)
朝11時、朝日新聞アジア総局長の大野さんにホテルに来てもらって意見交換。
その後、午後1時に盲人の実業家で盲人マッサージの支援などを精力的に行っているペチャラットさんにホテルまで迎えに来てもらい、アウンミンさんと一緒にバンコク郊外にある保健省に向かった。
何時もペチャラットさんに付き添っている英語の堪能な奥さんも一緒だ。目の見えないペチャラットさんにとっては無くてはならないアシスタント、兼、有能な秘書と言ったところ。
裕福なペチャラットさんの車は大きなベンツ。勿論、お抱えの運転手がいるので、我々は後部座席に三人並んだが、苦にはならない。
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<広大なタイ保健省の敷地には美しい伝統スタイルの建物も>

一時間足らずで無事、正門までは到着したのだが、保健省の敷地の中で迷ってうろうろ。私も、いつも迷うのだが、タイ人でも迷うほどの広大さなのだ。特に、伝統医療局の建物は美しい花々に囲まれた伝統的建築が素晴らしい。今回の面談相手は元伝統医療局長のビーチャイ博士なので伝統医療局で会うのかと思ったが、車はさっさと通り過ぎてしまった。
結局到着したのはなにやら研究所などが入る別のビル。エレベーターでその4階に進み、ビーチャイ博士の執務室に。保健省の局長を退任した後も、様々な諮問委員会などで活躍している博士は、秘書つきの個室を与えられていたのだ。
731Couple.jpg
<奥さんに伴われてビルに入るペチャラットさん>

ペチャラットさんから、予め、来訪の目的を伝えてもらっていたので、話はスムースに進んだ。障害者のための職業教育を行うという考えは素晴らしい。ペチャラットさんはタイでの伝統医療マッサージの国家資格を盲人が与えられるように大変苦労したことをよく知っている。
タイ保健省としてもミャンマーでの伝統医療に基づくマッサージのトレーニングには協力を惜しまない、と激励してくれた。
元々、ビーチャイ博士とアウンミンさんは旧知の間柄だったようで、暫し、ペチャラットさん夫妻と4人でタイ語で懇談したあと、執務室を辞した。
ホテルに戻って来た後は、ヤンゴンから出張して来ていた日本財団の間遠職員と会って打合せ。
その後、2人で一緒に共同通信バンコク支局八谷支局長にお会いした。
731discussion.jpg
<ビーチャイ博士と懇談するアウンミン博士とペチャラットさん夫妻>

11時 朝日新聞アジア総局大野総局長
13時 ホテル出発
14時 ビーチャイ博士訪問
17時半 日本財団間遠職員打合せ
18時半 共同通信バンコク支局八谷支局長
女性起業家セミナー始まる [2014年07月30日(Wed)]
7月30日(水曜日)
朝8時、ホテルで手配してもらった車に乗って、アウンミン博士と一緒に、アジア女性社会起業家セミナーに出かけた。この企画は我々が日本財団とは古くからの付き合いのタイのNGO、「女性の地位向上協会(APSW)」に提案して実現したもの。APSWは、6万5千以上あると言われるタイのNGOの中でも、特に女性問題の分野では最も有名な組織であると言って良い。
昨年は、やはりここでメコン地域(カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス)のシェルターなどで女性支援に従事している活動家を招いたセミナーを実施した。今回は、ソーシャルビジネスの分野に焦点を当てた企画となった。
美容、健康、工芸、飲食や障害者ケアなどの分野で活躍する女性社会起業家を中心に約20人を招き、様々な社会課題の解決のための能力向上のための研修を行うとともに、成功事例や互いの経験を共有したり、参加者相互の人的ネットワークを構築し、新たなパートナーとの協力による事業の拡充、販路拡大などの可能性を探ることなどを目的としている。
なぜ助成を行う団体である日本財団が「社会起業」に関心を持つのか。
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<女性起業家セミナー始まる>

それは、慈善事業の分野で従来は、支援のための唯一の方法でそれが当然と考えられていた助成という方式が持つ問題点や限界が次第に広く認識されるようになって来た、という時代の変化がある。即ち、事業の拡大と発展のためには自立が不可欠であるが、そのためにはビジネスというメカニズムが有効である。
従来通りの行政や助成金に支えられた社会福祉活動の必要性もひていするものではないが、ビジネスのメカニズムとうまく組み合わせることで、社会課題の様々なニーズにより効率的に応えられるのではないか、という考え方である。
日本財団は、ASEAN地域、特にメコン地域に重点をあてて支援事業を実施しているが、各国のプロジェクトの現場を訪問する度に女性の活躍を目にする。 その人たちと話す中で、国境も超えた広域的なネットワーキングの必要性に気がついたことから、今回の事業企画が生まれたものである。
今日も、その何人かが来てくれている。
開会式でスピーチを頼まれた私は、このセミナーが生まれた経緯を説明する中で、APSWと日本財団の古い付き合いを以下のように説明した。
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<参加者たちが手掛ける手工芸品なども展示されていた>

APSWと日本財団のお付き合いは、 80年代初め、創業者であるカニタさんと笹川良一元会長が出会い意気投合したことに始まる。そして、 80年代後半に研修棟の建設を支援、90年に入ってからも 別の建物の建設支援などを行った。
その後、カニタさんの死去とタイの生活水準向上により日本財団の支援の中心が周辺のより貧しい国々にシフトしたことなどから、しばらく関係が疎遠になっていた。ところが、 2011年3月の東日本大地震や10月のバンコクの大洪水などをきっかけに行き来が再開。そして、洪水で被害を受けたAPSW施設の改修・修復助成を日本財団が行ったことで関係が深まった。
私もは2011年1月に初めて訪れて以来、日本財団の担当役員としてこれら近年の新たな動きに自ら関わってきたこともあり、感慨ひとしおであった。
開会式の後、暫し、傍聴した後、皆と一緒に昼食をご馳走になり、アウンミン博士と一緒に一旦、ホテルに戻った。
午後4時からは、NHKヤンゴン支局飯島支局長、バンコク支局姫野記者らと会い、MILIの取材の件などを打合せ。夜は、アウンミン博士をアマーティー顧問の内藤さん、日経新聞バンコク支局の高橋記者らに紹介。ミャンマー情勢についての議論で盛り上がった。
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<洪水の時の最高水位を示す看板 「日本財団によって修復が行われた」と記されていた>

08時 ホテル出発
09時半 女性起業家セミナー
16時 NHKヤンゴン支局飯島支局長
18時半 日経新聞 高橋記者
3週間振りの出張 [2014年07月29日(Tue)]
7月29日(火曜日) 
今回は7月初めの短いジュネーブ出張以来、3週間振りなのだが、17日間もの誠に長い出張だ。
その目的地は3カ所。バンコクと、ヤンゴンとクアラルンプール。バンコクでは、女性の起業家セミナーでの挨拶とミャンマーで準備中の盲人マッサージの事前調査。ヤンゴンでは、MILIの開所式とASEAN伝統医療会議があるのだが、聾教育の専門家であるデカロさんたちにネピドーで社会福祉大臣を紹介することになっている。その後の、マレーシアではIDPPの理事会とInclusive Educationに関する国際会議があり、ここでもスピーチすることになっている。
数えてみると、全部で6回のスピーチが必要だ。機内で少し想を練ったり準備に勤しむ。
飛行機の降下が始まるとまもなく、「到着地の現在の気温は31度、雨」と機内アナウンス。おっ、東京より涼しいのでは。
この飛行機は羽田での離陸が30分程遅れたが、フライト時間が5時間半に留まったせいで、ほぼ定刻にバンコク到着。確かに、地上に降り立ってみると雨が降っていた。
729belt.jpg
<豪雨のために荷物の引き渡しが止まってしまった>

飛行機が駐機場に向けて移動中、みるみるうちに雨脚が激しくなり、飛行場の窓ガラスは滝のように流れ落ちる雨で外が見えない程になった。
そして、入国審査を終えて荷物の引き渡しのカルーセルの前に着くと、空のコンベアベルトに何やら掲示板がのっている。そこには、「荷物の引き渡しが遅れます」と書かれていた。暫くすると、「豪雨のために荷物の運搬が止まっていますので暫くお待ちください」と構内のアナウンスが告げた。結局、半時間程も待たされることになった。こんなことは初めて。
結局、スーツケースの引き渡しを受けて外に出たのは4時半過ぎ。
夕方6時半、ホテルのロビーでアウンミン博士と落ち合う。チェンマイ大学社会学部のティッペン教授も一緒だった。アウンミンさんには今、ミャンマーで準備中の盲人マッサージ事業の責任者として頑張ってもらっている。彼は一日早く昨日バンコク入りし、今日は一日、ティッペン教授と一緒に、盲人就業促進財団のペチャラット理事長の案内で、盲人マッサージ授業を見学していたのだ。食事をしながらその報告を聞く。
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<雨はやんだが空には雲がたれ込める>

12時00分 羽田発
15時45分 バンコク着
18時半 アウンミン博士、チェンマイ大学ティッペン教授
日曜日の羽田へ舞い戻る [2014年07月06日(Sun)]
7月6日(日曜日) 
出発は遅れたのだが、気流の関係だろう予定より速いスピードで飛ぶことが出来たようだ。定刻より30分ほど早く、3時半ころに羽田到着。3泊5日のジュネーブ出張が終わった。9ヶ月振りの短いジュネーブ行きであった。
6月18日以来の3回連続出張が漸く終わった。

15時25分 羽田着
パリで道草 [2014年07月05日(Sat)]
7月5日(土曜日)
WHOでの会議が終わり、今日は日本へ帰る日。帰国便は夜9時パリ発の夜行便。なので、元々はジュネーブを午後に出て、パリで乗換え羽田行きの便に乗ることにしていたのだが、ジュネーブでは特にやることもない。
暫く、ホテルの部屋で思案していたのだが、急遽、当初予定の便より早い便に乗ってパリに行こうと思い立った。パリ市内で時間を潰すことにしようと考えたのである。飛行機会社に電話をして空席の有無を確認しようと考えたのだが、今日は土曜日である。むしろ直接、空港に行って発券カウンターで調べてもらった方が早かろうと、急いで空港に行くことにした。
果して、10時半出発の便に空席があったので、この便でパリへ向かうことが出来た。
正午前に、パリのシャルルドゴール空港に到着。夜の帰国便まで時間はたっぷりある。片道1時間ちょっとかかるパリ市内への往復を考えても、6時間ほど残る計算なので、食事をしたり散策するには十分だ。
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<急いでジュネーブ空港に向かう>

以前、パリに住んでいた時によく使っていた市内直通バスに乗ることも考えたのだが、市内での移動に地下鉄を使うことを考え、地下鉄と共通で使えるフランス国鉄近郊電車RERで行くことにした。ただ、前回のように単純に往復切符を買うよりも、その後、地下鉄で移動することを考えるとパリ市内一日電車共通券を買う方が良い筈と考えた。ところが、空港ターミナルに直結したフランス国鉄駅の自動販売機の前に立って驚いた。どうやら、コの機会では一日券は買えないらしい。
日本なら何でも自動販売機で買えるのだが、ここはフランス。それどころか、機械が壊れて使用不可となっていることも多かったことを思い出した。すぐ側に、ツーリストインフォメーションがあったので、念のためにと思って聞いてみたが、有人窓口で買えとぶっきらぼうに答えるのみで無愛想なことこの上も無い。フランス人の外国人嫌いという言葉を思い出した。
自動販売機で買えないのなら、ツーリストインフォメーションに置いてあっても良さそうなものだが、とぶつぶつ良いながら、有人窓口に並ぶことにした。すると、そこには長蛇の列。一瞬、パリ市内に行くのはやめようかと思ったが、思い直して長蛇の列の最後尾に並ぶことにした。
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<一日チケットを手に入れるのも大変>

結局、20分以上も並んで、漸く一日周遊券「パリビジット」を購入。RERの各駅停車でシャトル・レ・アル駅まで乗車。そこから、地上に出てノートルダム寺院を左手に見ながらセーヌ川を渡り、リーブ・ゴーシュへ。カルチェラタンの手前にある中華レストランへ行く。ここは、30年程前にパリに住んでいた時に、よく家族で行った店。今も、当時と全く同じ場所に、外観は勿論、内装も殆ど変わらぬままに営業中。その後も、休暇や出張でパリに行く時には必ずと言っていい程立ち寄っている店。今回も、いつもの鴨そばを注文。
その後、しばらく辺りを散歩した後、地下鉄に乗る。むかし通っていたスーパーへ行き、チーズとチョコを購入。そして、再び、レ・アルに戻り、しばらく街歩きをして時間をつぶした後、再びRERのB線空港行き電車に乗る。パリ市内に向かった時の電車とは違って混み合っていた。どうやらサッカーファンのようで皆揃いの応援グッズのようなものを手にしていた。恐らく、ワールドカップのパブリックビューイング。はて、フランスドイツ戦は昨日だった筈。今日は、アルゼンチン・ベルギー戦なのだが、、、。果して、空港への途中、スタジアムのあるらしい駅で殆どの人が降りてしまうと電車の中は静かになった。
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<パリは曇天、肌寒かった>

すると、今度はパリ空港の一つ手前の駅で大勢の人が乗り込んで来た。駅名はパルク・デ・ゼクスポジション。展覧会場である。いつもならガランとしている駅なのだが、今日は異常な活気に満ちていた。反対側のパリ市内へ向かうプラットホームはもっと凄い。ラッシュの新宿駅のような混み具合だ。それがなぜか、全員が仮装行列のような派手な衣装を身に着けている。
私の席の向かいに座った若いカップルが手に持っている紙袋には「ジャパンエキスポ」の文字が。そして、若い女性のコスチュームには「ワンピース」の字と日本でおなじみの漫画のキャラクターが描かれていた。彼らの会話から想像するに、彼らは外国人ではなく、フランス人のようだ。どうやら、コスプレイベントが終わって飛行機に乗って地方にある自宅に帰るということのようだ。
シャルルドゴールターミナル1に到着。ボーディングカードはもう持っているので、搭乗手続きは不要、直接、出国検査場へ。
羽田への夜行便は、定刻より30分ほど遅れての出発となった。

09時 ホテル出発
10時30分 ジュネーブ発
11時40分 パリ着
21時30分 パリ発
会議終わる [2014年07月04日(Fri)]
7月4日(金曜日) 
朝起きると曇り。路面は濡れていた。夜半に雨が降ったようだ。
今日こそは歩いて行こうと外に出たとたん、雨がぱらつき始めた。仕方ないので再び、タクシーに乗る。タクシー運転手によると、今年の夏はおかしいという。本来ならとっくにもっと暑くなり、好天も続いているはずなのだが、今年は7月になったというのに暑くならないと言うのだ。
昨日と同じ会議室に入る。通常、このような国際会議では初日に各国代表が自分の分の発表を済ませてしまうと、翌日からはそれぞれ他の仕事なのか、ずるをしているのか知らないが2日目以降の会議場は空席が目立つものだが、今回の会議はそうではなかった。
にも拘らず、私は伝統医療調整官の張博士との昨日の話が終わらず、博士から今日の昼休みに続いて話がしたいと言われたので、元々は今日一緒に昼食を取る筈だったチャンシャオルイさんとの約束を変更してもらい、張博士と再び昼食時に会うことになった。
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<二日目も熱心な議論が続いた>

彼との話の中心は、日本財団が東南アジア3カ国で実施中の置き薬事業に関するもの。WHOは今年5月の総会で、伝統医療の活用を謳ったWHO伝統医療10年戦略(2014-23)に関する宣言を採択しており、今後、加盟国における活用事例を調査する計画がありというのだ。そのために、出来れば置き薬の現場も見てみたいということであった。
昼食を取りながらの張博士との打合せが長引いたので、結局は会議室には戻らず、私はそのままチャンシャオルイさんとの約束の場所に行った。彼女は、張博士の前任者で、モンゴルでの置き薬事業開始の時から親身になって色々アドバイスをくれた人。今は、WHOを退職しジュネーブ郊外フランス領内に家を構えて住んでいる。今回は私がWHOでの会議のためにジュネーブに来ると知らせたところ、久し振りに会おうということになったもの。
彼女との雑談を済ませてコーヒーブレイクに合わせて会議に戻った。相変わらず、熱心な討議が続いていたので耳を傾けた。
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<WHOのジュネーブの本部玄関ホールには日本財団創設者である笹川良一の胸像がある>

WHOの責任者によると、このような多方面の関係者が一堂に会しての会議はWHOとしても初めての試みとか。確かに、議論の流れも私がこれまでに参加したことのある障害者問題関係の会議とは随分感じが違う。
それは、主催者であるWHOが張り切って、アシスティブ・テクノロジーという新しい分野での国際的な取組みを盛り上げるべく、様々な関連テーマを漏れなく取り上げようと、これまでになく幅広い分野での関係者に参加を呼びかけたためだ。それに答えて、確かに立場も利害も考え方も異なる各分野の人たちが集まったのである。ただ、議論はその分、白熱したとは言え論点は拡散し、まとまりのないまま二日間の日程を終えることになった。
会議が終わったので、カスナビスさん、カーソンさんら関係者に挨拶をしてバスに乗り、一人でホテルに戻ることにした。途中、ホテル近くのスーパーでパンとチーズとビールを買って外に出ると再び雨がぱらつき始めた。
ホテルの部屋に戻りシャワーを浴びて、テレビを見ながら一人で夕食を始めたとたん、窓ガラスを叩き付けるような激しい雨。そして、木々を揺らす激しい風も吹き始め、嵐のようになった。さっさとホテルに戻って来てよかった。これが昨日だったら帰り道に濡れ鼠になってしまうところであった。
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<夕方になると激しい風雨に襲われた>

08時10分 ホテル出発
09時 WHO全体会合第二日目
12時半 伝統医療調整官張博士
15時 チャンシャオルイさん
17時 WHO全体会合終了
WHO第1回GATE会合 [2014年07月03日(Thu)]
7月3日(木曜日) 
目覚ましの音に起こされた。朝6時に起床。
外は曇り。気温は13度、寒いのだが、ホテルの朝食レストランはなぜか裏庭との仕切りのドアは大きく開かれたまま。寒い。
8時にホテルを出る。私が最近ジュネーブで泊まることが多いこのホテルは、WHO本部からほど近い場所にあり、森の中のように美しい道を通るとWHOまで歩いて行ける。今回もそう思って早めにホテルを出たのだが、外に出たとたん雨が降り出した。予定を急遽、変更。ホテルの前で待っていたタクシーに乗り込む。
お陰で早々と、WHO本部に着いてしまった。指定された会議室に直行すると、エクシードCEOのカーソンさんにばったり。奥さんのオードリーも一緒だ。二人はまるでWHOの職員のように、会議参加者にプログラムなどの基礎資料を手渡していた。
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<会議が始まった>

カーソンさんたちに挨拶して、会議資料を受け取り、会議室に入る。意外に小振りな部屋だが、部屋の外周にぎっしりと椅子が並べられている。そして、人がやっと通れる程の隙間を空けて、部屋の内側に机がコの字型に並ぶという珍しい配置。さらに、コの字の内側にも出島のように二筋に机が並ぶ。どこが議長席で正面に当たるのかさっぱり分からない。
戸惑っている私をWHOの職員で東京までわざわざ会議の趣旨説明に来て誘ってくれたカスナビスさんが見つけ、内側の席に案内してくれた。確かに、私の名前が書かれた札が置いてあった。
次々に参加者がやって来る。私は、回りの人たちと挨拶、名刺交換をした。するとカスナビスさんが言っていたように、正に様々な人たちが集まっていることが分かった。車椅子に乗った障害当事者は勿論のこと、WHOの様々な部署からの職員に加えて、各国の政府関係者、大学教授、理学療法士などの専門家、義足などのメーカーの代表者など。私のすぐ隣に座ったのは、マイクロソフトの障害者アクセス専門部署の責任者だと言う。ソフトウェアメーカーまでが参加者を派遣しているというのは、ちょっとした驚きだった。
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<カーソンさん夫妻とジュネーブ市内に出かけた>

そうこうするうちに、会議が始まった。私は民間助成財団としての立場からのスピーチを頼まれていたので、会議の冒頭に、WHO代表、障害者団体代表、福祉行政関係者、国際援助機関代表らと並んで、5人のキーノートスピーカーの一人として10分程のスピーチを行った。
私はその後暫く、会議を傍聴した後、昼食休み直前に会議室を抜け出した。それは、国連障害者権利条約起草委員会の委員長だったガレーゴス大使から昼食に誘われていたからである。
また、その後3時からは、WHO伝統医療調整官の張博士と会い、彼の執務室でミャンマーでの伝統医療理論に基づく盲人のための医療マッサージ学校の設立に関する相談をした。
そして、WHOの会議室に帰ってみると白熱した議論が続いていた。
会議終了後、私はカーソンさん夫妻とフリーパスを使ってバスに乗り市内に出かた。そして、駅前のレストランで一緒に夕食をとった。

08時 ホテル出発
09時 WHO全体会合
12時半 ガレーゴス大使
15時 伝統医療調整官張博士
19時 Exceedカーソン夫妻
WHOでの会議のためジュネーブへ [2014年07月02日(Wed)]
7月2日(水曜日) 
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<パリのシャルルドゴール空港で乗換え>

ミャンマーから帰って1日置いただけだが、今日からは短いジュネーブ出張。
今朝はなぜか、羽田発の飛行機の出発時間を12時半だと思い込み、自宅でのんびりしていた。ところが8時過ぎに、ふと気になって出発時間を確認してみると、何と12時半ではなく10時半ではないか。びっくり仰天。
今なら、20分後の8時半までに自宅を出れば十分間に合う。幸い、今朝は早めに起きて準備、出張のための荷造りは殆ど完了していたので、急いで家を飛び出した。
最寄り駅から空港へタクシーに乗る。代金を払おうとして財布を覗いて、日本円を入れて来るのを忘れたことに気が付く。私は、海外出張時には国内で使っている財布とは別の財布を使うことにしている。海外では、銀行のATMカードは要らないし、保険証や書店のポイントカードなども要らないからだ。それに、海外での財布はすりに備えて、滑りにくい素材のものにしている。
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<ジュネーブに着いた>

そのため、日本円については、海外出張に出る際に国内用の財布から海外用に詰め替えるのだが、今回は、慌てて飛び出したために、すっかり入れ忘れてしまっていたという次第。
しかし、私はいつも出張中の財布や名刺入れの中などに、まさかの時に備えて忍ばせている、確認してみると、一万円札と五千円札をかき集めると全部で4万円になったので一安心。
羽田のラウンジで、笹川アフリカ協会常務理事の宮本さんとばったり。来週ウガンダで行われる、同協会前会長のボーログ博士生誕100年記念シンポジウムの準備のためシンポジウムに先立ってウガンダに行くところだという。実は、私もこのシンポジウムに招待されていたのだ。ジュネーブから数日後にエンテベに行けば、ウガンダでの式典に参列することも不可能ではなかったが、このところ海外出張が続き、日本での不在期間が長くなり過ぎていることもあり断っていたのだ。
ロンドン便を待つ宮本さんと別れ、パリ行きに乗り込む。出発は定刻より30分ほど遅れたが、パリ到着は30分以上早い3午後時半だった。久し振りのパリ空港。
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<夜8時だが、スイスの空はまだ明るい>

3時間ほどの乗継ぎでジュネーブへ。
到着して空港の外に出てみると、時間はもう夜の8時になっていたが、スイスの空はまだ明るく、アルプスの山並みが美しかった。
ホテルにチェックインすると、渡されたのは滞在期間中、ジュネーブのバスや路面電車を自由に乗り降り出来るフリーパス。全くの無料というのがうれしい。
そう、前回もこのパスを大いに活用させてもらったことを思い出した。明日はWHO本部へは歩いて行こうと思っていたが、これを使ってバスで行こうか。ただ、ホテルの前の停留所からは、直通のバスはないので、乗換えが必要だ。そのための時間を考えると、歩いて行くのと大差はなさそう。ならばやはり健康を考えると歩く方が良いか、、、。
それにしても、外国人をがっかりさせるほど高価なロンドンの公共交通機関とは余りにも対照的ではないか。
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<滞在中交通機関がただになるフリーチケットをもらった>

10時55分 羽田発
15時30分 パリ着
18時30分 パリ発
19時40分 ジュネーブ着
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