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大野修一(日本財団)
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再び夜行便で羽田へ戻る [2014年06月30日(Mon)]
6月30日(月曜日) 
夜行便で羽田へ戻る直行便はサッカー選手たちと同じだった。私のすぐ前には、元官房長官の仙谷さんが座った。彼は、今回の日本ミャンマー親善サッカーで大変お世話になった日本ミャンマー協会の副理事長でもある。改めてご支援に対しお礼を述べた
機内では睡眠導入剤を飲んで寝ることにした、予めスチュワーデスには朝食でも起こさないよう頼んでおいたので、到着ぎりぎりまで眠ることが出来た。
定刻の6時50分より、25分程早い6時25分に成田着。行きも帰りも夜行便という出張が終わった。

翻って見るに、確かに大成功に終わった今回のイベントであった。それは、ミャンマーサッカー連盟に所属するプロチームの選手たち、セッレッソ大阪の選手たち、それを応援してくれた日本女子大学チアリーダーら舞台に登場した皆さんの他、裏方として大活躍した若手を中心とする日本財団の職員、彼らをプロとして支えてくれた電通の皆さんを中心に、日本の有力企業や諸団体、個人の皆さんなど、且つてない規模と拡がりでの官民総力挙げての力強い支援の賜物であったと言えよう。どれほどの拡がりであったかを示すために、以下に、ご協力頂いた諸団体の名前を記しておく。
公益社団法人日本プロサッカーリーグ
在ミャンマー日本国大使館
公益社団法人日本歯科医師会
ヤンマー株式会社
株式会社ビィ・フォアード
スズキ株式会社
株式会社NTTデータ
株式会社ジェーシービー・インターナショナル
Air KBZ LTD.
丸紅株式会社
三菱商事株式会社
Myanmar Japan Association
Panasonic Asia Pacific Pte.Ltd.
The Tokyo Enterprise Co., Ltd.
豊田通商株式会社
株式会社フジトランスコーポレーション
株式会社日建設計シビル
三井住友海上火災保険株式会社
住友商事株式会社
株式会社損害保険ジャパン
三井物産株式会社
東京海上日動火災保険株式会社
日立アジア社ミャンマー支店
全日本空輸株式会社
ゴーウェル株式会社
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<早朝の成田に着いた>

06時25分 成田着
MILIインキュベーションセンターへ [2014年06月29日(Sun)]
6月29日(日曜日)
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<ヤンゴン市内ではドーナツ専門店に人気>

親善サッカーは無事終わった。
この一年で、ミャンマー在留邦人は500人から1000人へ、そして、在ミャンマー日本企業が加入する日本ミャンマー商工会の加入企業数は58から174社に3倍増とになったという。今回のサッカーでは、ヤンマーの他、NTTデータ、JCB、スズキ、キヤノンなど日系企業を中心に、現地企業からの分も併せると1600万円以上の協賛が得られた。また、Jリーグの協力の下、日本のサポーターからJクラブのユニホームを寄付してもらい、746枚が集まった。
中嶋君ら日本財団の若手職員たちは、今朝からセレッソ大阪のコーチらとともにヤンゴンの西隣のエヤワディ州の小学校建設事業の現場に行き小学校の子どもたちにサッカー指導を行うとともに、寄付していただいたユニホームを届けに行っている。
一方、WHO(世界保健機関)のハンセン病制圧親善大使でもある日本財団の笹川会長は、午前中はヤンゴン郊外にあるハンセン病元患者村を訪問している。
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<MILIの新オフィス>

私は、今日は日本に帰国する日なのでホテルをチェックアウト、荷物を持ってそのままMILI(ミャンマー障害者自立生活運動)の新しくなったオフィスへ。
ハンセン病元患者村訪問の後MILIにやって来る笹川会長一行を迎える準備を手伝うためだ。当初は、この機会に正式な開所式を行うことを計画したのだが、この日は日曜日で政府関係者の出席の調整が難しかった上、会長のスケジュールが最後まで確定しなかったことなどから、開所式は断念し会長には単純にオフィスを訪問しスタッフたちと懇談してもらうことにしたもの。
一行の到着はハンセン病元患者村を訪問から帰った後、午後2時過ぎということになっていた。ところが、昼食を帰りの車中でのランチボックスで済ますなどして時間を節約したために、会長たちは、当初の到着時間より45分も早い午後1時過ぎに到着するとの連絡が入った。
そして実際に、午後1時15分頃に到着してしまった。
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<笹川会長を現地マスコミが取材>

しかし、共同代表のアウンコミンさんやネイリンソー君らMILIスタッフたちは、突然の訪問時間の変更にも慌てることなく対応してくれた。会長らに新しくなったオフィス内を案内した後、会議室にスタッフを集めて一人ずつ自己紹介。そして、幹部の中でも日本語が一番うまいユヤトゥーさんが、スライドを使って日本語でMILIの活動内容をプレゼンテーション。笹川会長の挨拶がそれに続いた。
すると、その頃になって、地元のテレビクルーや新聞記者がやって来た。笹川会長がMILI本部を訪問することを地元メディアに伝えてあったことから、地元のマスコミが会長を取材に訪れたのだ。
地元マスコミの一連のインタビューを終えると、会長一行はホテルに戻って行った。明日は、笹川会長はネピドーに行き、テインテー大統領に会うことになっている。
一方、私は今日の夜の便で帰国する前に、空港近くのレストランで、間遠職員とウィンアウンさん、ティンニュントさんらに会って、早めの夕食を取りながら、農業事業について打合せをすることになっていた。
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<ヤンゴン空港の出発フロアーの床に置かれたテレビがサッカー中継>

ただ、会長の滞在が予定より早く済んだので、私はそのままMILI事務所に残り、ネイリンソーさんらと奨学金事業やASEANフェスティバル、タクシービジネスなど事業についての打合せを行った。そして、その後、間遠さんと一緒に、空港の近くのレストランへ行き、ウィンアウンさんらと落ち合い協議を済ませたあと、飛行場に向かった。
今回の出張は急に入ったものだ。元々、7月の初めにジュネーブ行きを予定していた。そこで一旦は、ヤンゴンからこのままバンコク経由でジュネーブに移動することも検討した。しかし、今月は海外出張が続き日本不在の時間が長くなっていたことから、ミャンマーの後は、一旦、東京に戻り、一日置いて帰国の翌々日に改めてジュネーブに出発することにしたもの。その結果、今回の出張は行きも帰りも私の嫌いな夜行便を使うことになってしまった。
10時前の便でヤンゴンを発った。日本時間ではもう真夜中を過ぎている。

12時15分 ホテル出発
12時45分 MILI本部到着
13時15分 笹川会長MILIインキュベーションセンター視察
14時半 MILI事業打合せ
17時半 ウィンアウンさん農業事業打合せ
21時45分  ヤンゴン発
豪雨の中、1万2千人が観戦 [2014年06月28日(Sat)]
6月28日(土曜日)
今日はいよいよ、親善サッカーの日。
今回のサッカー大会の正式名称は「日本ミャンマー外交関係樹立60周年記念 日本財団チャリティマッチ ヤンマーカップ 」試合そのものは午後5時からセレッソ大阪 のチームとミャンマー代表選抜チームの間で行われるのだが、その前に、別のホテルで、午後1時からミャンマーサッカー連盟主催でサッカー大会公式ランチョンが開かれることになっている。午前中に農業事業の打合せで間遠さんがホテルに来てくれたので、彼の車に乗せてもらって会場に向かった。
公式ランチョンには、今回のチャリティマッチに協力してくれた日本、ミャンマー両国の企業やサッカー関係者ら約200人が出席。主催者の代表の挨拶の後、樋口大使やJリーグチェアマンやヤンマーの鈴木副社長らが挨拶。セレッソ大阪 のチームも紹介され壇上に上がって喝采を浴びた。
その後、それぞれの車に分乗して、試合が行われるトゥワナ・スタジアムに向かった。元々は、27年前に日本の援助で建設されたユーストレーニングセンターにあるスタジアム。最大収容人員は3万2千人で、その点ではアウンサン・スタジアムの4万人を下回るが、近代的な設備を持ち国際的な試合ではいつも使われるという同国を代表する競技場だ。
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<試合が行われたトゥワナ・ユーストレーニングセンター・スタジアム>

スタジアムの外では早くも、大勢の人が写真を撮ったりする姿が見られた。スポーツ大臣に挨拶した後、開始時間が近づいたので、スタジアムに入って見渡すしてみた。ところが、観客席が余りにも広いせいか座席に座っている人はまばら状態。幸い午後降っていた雨はあがったようだが、今ヤンゴンは雨季。このまま、雨が降らなければ良いのだが、、、。
そうこうするうちに、いよいよ選手たちが入場してきた。ミャンマー代表チームをエスコートするのは、お隣イラワジ州とヤンゴンにある養育施設の子どもたち。方や、セレッソ大阪の選手たちは日本人学校の生徒たちに伴われての入場。
午後5時になった。時間通りのキックオフ。始まって早々、赤いユニフォームのミャンマー側がコーナーキック。その次は右サイドからシュート、と冒頭はミャンマー代表チームが押し気味という予想外の展開。いずれも点は入らなかったが、スタンドのミャンマー側応援団は大興奮。
私は最初はVIP用の特別席から見ていたのだが、窓ガラスに遮られて外の様子がいまいち良く見えないので外へ出てみることにした。
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<日本人学校の生徒たちのエスコートでセレッソ大阪の選手たちが入場>

すると、階段の側で観戦しているMILIのネイリンソー君とばったり。そのまま、外で一緒にゲームを観戦することになった。そのうち、空模様が怪しくなって来た。スタジアムの上空に真っ黒な雲が現れたと思う間もなく、南国の雨季特有の凄まじいスコールが始まった。屋根の無い場所にいた人たちが屋根のある場所に移動。
この頃までには、先ほどまでそこここに空いていた席も随分埋まってきたので、ようやくサッカー場らしい雰囲気に盛り上がる。一方、土砂降りのコートの中では地上に落ちると予想外のコースに転がるたボールを追って、両チームの争いもヒートアップ。
ただ、アウェーのセレッソ大阪のイレブンはこれほどの豪雨には慣れていない筈なのだが、流石に、冒頭以降は終止押し気味の展開に。ただ、もう一歩というところで、なかなかゴールに入らない。
結局、前半は0―0で折り返した。幸い、この頃までには激しいスコールも峠を越し、雨もやんで一息つけるようになった。
ハーフタイムには、携帯電話が当たるラッキードロー(くじ引き)の後、日本から駆け付けた大学選手権ナンバーワン、日本体育大チアリーダー部によるチアリーディング。18人のメンバーがパワーあふれる演技を披露すると、スタンドからは大歓声があがった。
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<前半の試合が始まって間もなく南国の雨季特有の凄まじいスコール>

その様子をびっくりして眺めていたネイリンソー君に、「チアリーディングって知ってた?」と聞くと、「知らなかった、こんな凄いの初めて見たので本当にびっくりした」との返事。
ミャンマーのサッカーの歴史は19世紀末の英国植民地時代にさかのぼる。サッカーをもたらした人物ジョージ・スコットのことを書いたThe Trouser People という本を読んだことがある。当時、ビルマ人がサッカーを好んだ理由の一つは、サッカーの試合が唯一の英国人に対する鬱憤ばらしの場であったから、と書かれてあった。
今回の親善サッカーのお陰で私は、チョーディンというミャンマー出身の留学生が、大正から昭和初期にかけて、日本サッカー界の黎明期に、画期的な技術的進歩をもたらしたことを知った。
彼は1920年頃から東京高等師範学校附属中学校等で指導を始め、その後、全国の学校で巡回指導を行い、指導のテキストも出版するなど活躍した。2007年には日本サッカー殿堂入りを果たしている。ただ、本人は、1924年に帰国した後の消息は不明、ミャンマーでも彼のことは知られていないのだそうな。
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<入場者総数は1万2千人に膨れ上がった>

後半戦が始まった。開始間もなくミャンマー代表チームがファール。両チームの選手がエキサイトする中でミャンマー側にイエローカード。そして、その直後にセレッソ大阪の平野がゴールにボールを押し込んだ。彼は直前にタイのチームから移籍したばかりという。ガッツポーズで喜びを全身で表したのが印象的だった。結局、試合は1-0で日本側の勝利で幕を閉じた。
最終的に、今日のサッカー親善試合の入場者総数は1万2千人に膨れ上がった。試合の後、市内のミャンマー料理レストランで日本財団主催の夕食会が開かれたのだが、この時に日本大使館の関係者から聞いたところによると、日本ミャンマー国交樹立60周年ということで今年は様々な行事が予定されているが、それらの記念行事の中では、動員力と言う意味では今回のイベントが他を圧倒して最大であった由。
このスタジアムは3万人以上の収容能力があるとは言え、実際には国際的な試合でも一般には1万人がせいぜいと聞き、今回も取り敢えずは1万人を超えることを目標にしていた。そういう意味でも、今回の企画は大成功であった。関係者の皆様、お疲れさまでした。
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<両チームのサポーターがそれぞれの国旗を掲げ仲良く観戦>

11時30分 ホテル出発
12時15分 セドナホテル打合せ 
13時 日本ミャンマー親善サッカー大会公式ランチョン
16時 ホテル出発
17時 日本ミャンマー親善サッカー大会
19時半 日本財団主催夕食会
日本ミャンマー親善サッカー大会でヤンゴンへ [2014年06月27日(Fri)]
6月27日(金曜日) 
今回の出張はミャンマーへの単純往復。主たる目的は、日本財団がミャンマーサッカー連盟と共催で開催することになった日本ミャンマー親善サッカーへの出席。
これは、国際グループの中嶋、田中職員ら日本財団の若手グループが企画したもの。企業とのタイアップチャリティー事業の一環として、日本のサッカー選手にミャンマーの子供たちのサッカー指導をしてもらおうというアイデアが元になった。
今年は、日本とミャンマーが国交を樹立してから丁度60年目に当たるので、日本ミャンマー友好協会や日本大使館と相談して60周年記念事業の一つとしての位置づけになったこともあって、複数の日本企業現地企業から寄付が得られたのだが、なかでもヤンマー株式会社からは5,000万円もの高額寄付を頂いたことからヤンマーカップと名付けられた。
私は途中からこの事業の担当役員になったが、そのすぐ後に、ジュネーブ行きが控えていたので、当初は行くことを予定していなかったのだが、急遽行くことになった。その結果、今度の出張は行きも帰りも私の最も苦手とする夜行便での2泊4日の旅となってしまった。
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<ヤンゴン市内には親善サッカーの大きな看板が掛かっていた>

26日の午後9時過ぎに自宅を出て羽田空港に向かった。ラウンジで笹川会長らと合流し、深夜直前に飛行機に乗り込む。ロンドン行きで絶大な効果を発揮した睡眠導入剤を今回も持参し、今回も服用したのだが、なぜか今回は不発。飛行機に乗り込んだあとも、なかなか眠ることは出来なかった。
バンコクには定刻より30分程早い4時半に到着。雨、気温は26度。4時間程の待ち時間で朝8時半出発のヤンゴン行きに乗継ぐ。そこからは、1時間程でヤンゴンだ。睡眠導入剤がうまく効かなかったこともあって、睡眠不足のままヤンゴンに到着。やはり、夜行便はいやだ。
ヤンゴンに着くと、MILIのアウンコさんが来てくれていた。彼らに軽量の車椅子を2台プレゼントすることになり、受け取りに来るよう頼んでいたのだ。彼との挨拶もそこそこに、私は空港出口で申し込んだタクシーの運転手に急かされるまま、会長ら本隊グループと別れ一人でタクシーに乗り込んだ。朝着いても無料で部屋を用意してくれるので、会長らとは別の、いつものホテルを予約していたためである。何はともあれ、ホテルに着いたらシャワーを浴びて一眠りするんだと、焦る気持ちを抑えながらダウンタウンに向かった。
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<日本財団が支援する障害者団体MILIの新事務所で>

タクシーの運転手は英語がうまい。ひょっとしてと水を向けると、自分の経歴を話し始めた。彼もメームさんと同じ88世代、元々はエンジニアだと言う。ホテルへの道中、色々話しかけて来るので、眠ることなくホテルに着いた。
10時過ぎ、ホテルに着いて荷物を降ろそうとして、愕然とした。何と、私のスーツケースがない。そう言えば、急かされるままに慌ててタクシーに乗り込んだ時に、いつもやるように荷物の積み込み確認をしなかったことを思い出した。出迎えに来てくれた日本財団のヤンゴン事務所スタッフに、パスポートごと通関手続きを頼んでいたので、別行動の自分の荷物の積み込みを他人任せにしてしまっていたのが原因だ。まさか、タクシー乗り場に私のスーツケースのみが置き去りにされたということではない筈だが、、。
不安になって、出迎えに来てくれていた梅村君に電話すると、果たして、私の荷物は無事、会長一行の荷物と一緒に別のホテルに届いていることが判明、荷物をこちらに改めて届けてもらうことになった。
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<インキュベーションセンター棟の工事もほぼ完了>

一安心はしたものの、元々は、午後からMILIの新事務所で打合せをするのに備えて、それまでにシャワーを浴びて一眠りしようと思っていたのに、これでは、荷物が着くまではシャワーも浴びずに待っている他ない。これでは折角、ホテルに頼んでサービスしてもらって部屋をひとつ朝から空けてもらっていたのに台無しだ。悔やんでみるが仕方がない。部屋で着替えもせずひたすら待つ。
程なく、荷物は間遠さんが荷物とパスポートを持って来てくれた。お騒がせした皆さんには申し訳ないのひとことに尽きる。
早速、シャワーを浴びて、着替えて無事ベッドに飛び込む。既に、時間は11時をはるかに過ぎていた。結局は、30分ほどまどろんだだけで起きて出かける準備などをしていると、殆ど眠ることは出来なかった。
午後からは、当初、MILIの場所を詳しく知っているメームさんが来てくれる筈が、車が故障したとかで、スィトゥさんという名前の若い運転手に連れて行ってもらう。
MILIの幹部連中と日曜日の笹川会長訪問に備えての段取りなど諸々の相談を済ませて、ギリギリの時間になって日本大使公邸に到着してみると、メームさんが待っていてくれた車を乗り換えて公邸へ。笹川会長らと合流し、新任の樋口大使以下日本大使館幹部の方々との夕食会に臨んだ。

00時25分 羽田発
04時30分 バンコク着
08時30分 バンコク発
09時05分 ヤンゴン着
13時45分 ホテル出発
14時 MILI本部訪問 
18時 ホテル出発
18時半 日本大使公邸での夕食会
早くも羽田へ舞い戻る [2014年06月22日(Sun)]
6月22日(日曜日)
定刻の15時00分より、45分程早い14時15分に 羽田着。
今回は、イギリスを中心に先進各国の金融関係者が主導しての非常に面白い会議であった。将来的には、福祉や援助を政府から民間へシフトさせることになる大きな可能性を秘めていると言う意味で、我々にとってこそ大変インパクトのある話。世界の援助業界を大きく書き換えることになるかも知れまないと思った。
今後、タスクフォースの報告書がまとめられ、英国政府からG7各国の首脳に公式レターが送付され、9月15日を期して各国でイベントが計画されている。
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<ロンドンの公園は緑の木々が目に涼しかった>

14時15分 羽田着
ジョンハニー弁護士と久し振りに会う [2014年06月21日(Sat)]
6月21日(土曜日)
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<45年振りに大英博物館を訪問>

二日間に亘る会議も終わり、今日は、帰国の日なのだが、フライトは夜。そこで、弁護士のジョンハニーさんに会うことにしていた。
朝9時半、ホテルに、英国人の弁護士で障害者問題の専門家、ジョンハニーさんが訪ねて来た。彼は、日本財団の障害分野での長年にわたる事業パートナーであるカンボジアトラストのメンバーとして、最近までカンボジアで障害者基本法の作成に関わっていた。
その間、カンボジアの障害者大学生の置かれた困難な立場を知るとともに、日本財団に対し障害者大学生向けの奨学金事業を提案。そして奨学金事業が始まると、その対象となった大学生たちの就業支援を行うなど日本財団の事業を手伝ってくれていた。
彼自身にも先天的な障害があり、片足は義足、右手の指にも障害を持つ。しかしそれを物ともせず乗り越えて弁護士になった努力家であるばかりか、そんなことを全く感じさせない明るい性格。彼の趣味はマラソンで、東京マラソンに出ることを計画中。
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<ジョンさんと会う 彼は障害分野が専門の弁護士だ>

彼はカンボジアでの基本法作りが完成した後、国際機関で働く奥さんの都合もあってマニラに移動、昨年までは自分もマニラにある別の国際機関で働いていた。私も彼らとマニラで会ったことがある。ところが、高齢のお母さんの容態の悪化に伴い、介護をするため長期休暇を取ってふるさとのロンドンに戻って来たのだった。
今回はロンドンに来ることになったこの機会を利用して、彼の提案を受けて始めようとしていた障害者の目でホテルや交通機関などのバリアフリーの程度を星の数で示すレーティングシステムの善後策を話し合おうと彼と会うことにしたもの。
彼の便宜を考えて、自宅にお邪魔すると申し出たのだが、彼は気分転換のためにも臨時のお手伝いを頼んだので、自分の方からホテルに出向くと言ってくれたのだった。
一緒に、外のカフェに行く。外は素晴らしい天気だった。肌寒かった昨日とは打って変わって、汗ばむ陽気。週末のせいか、のんびり散歩を楽しむ人や、地図を片手の観光客の姿が目に付く。
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<私にとって大英博物館訪問は45年振り>

スターレーティングシステムの話や、カンボジアでの事業のその後の進展について話す。
そのうち、大変ショッキングなことを聞いた。3年ほど前にプノンペンでチャリティーコンサートを開催した際、ファンドレージングを手伝ってもらうためにハニーさんに紹介してもらったウッド・チップさんが、心臓マヒで数ヶ月前に急死していたというのだ。驚く私に、ハニーさんが呟いた。「人間、何時死んでも良いように、今をベストに生きるしかない」
その後、彼が午後2時頃までなら空いているというので二人で昼食。その後、たまたま近くに大英博物館があったことから寄ってみることに。ついでに、大英博物館の障害者アクセシビリティーを見てみようということになった。私にとって、大英博物館は45年振りの訪問。
さすがに建物そのものは古いので階段やステップが至る所にあるのだが、障害者へのアクセシビリティーに配慮した様々な工夫が加えられているのに感心させられた。
大英博物館への往復の間にも何人もの車椅子ユーザーと遭遇した。確かに、イギリスでは障害者へのアクセシビリティーへの配慮が行きとどいているようだった。
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<館内の段差を車椅子でも乗り越えられるための装置>

9時半 ジョンハニーさん
11時 大英博物館
16時 ホテル出発
19時15分 ロンドン発
会議終わる [2014年06月20日(Fri)]
6月20日(金曜日) 
今日もホテルの前から3人でタクシーに乗る。外に出て驚いた。寒い。15、6度くらいの気温か。青空に恵まれた昨日とは一転して空は曇っている。これは、雨になるかもしれない、と傘を持って出なかったことをちょっと後悔する。
着いたところは、昨日とは異なりBloomburg社のオフィス。Bloomburgと言えば、アメリカを本拠とする金融情報サービスの大手。ロイターやダウジョーンズという老舗の情報企業の間隙をついて、コンピューターと連動したマーケット情報で急成長した企業だ。
会社の外観こそ、シティーだけあって年代を感じさせる重厚な建物だったが、一歩中に入ると、全面的に改装されているのか、昨日のメイナーハウスとは対照的に近代的な作りになっていた。
中に入るための来客用セキュリティーシステムも大変機能的だった。受付で用件を伝え承認されると、受付嬢の背面の壁に隠されるように埋め込んであったレンズが作動して写真が撮られ、直ちにそれが刷り込まれたバーコードつきバッジが印刷され手渡される。今度はそれを自動ゲートにかざすと中に入ることが出来ると言う仕掛け。
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<Bloomburg社のオフィス玄関 外観は重厚な作りだが、、、>

G8全体会合第二日目の今日は、昨日の国別の発表やテーマ別分科会の報告を受けて今後の進め方に付いての意見交換を中心に進められた。進行役は昨日と同じ、英国人でサーの称号を持つ、ロナルド・コーヘンさん。
彼は、ベンチャーキャピタルで成功を収めたあと、ソーシャルインベストメントの分野に転じ、今では英国だけではなくソーシャルインベストメントの世界のリーダーの一人として活躍している。彼が進行役を務めた全体会合での議論を聞いていると、due diligenceだのleverageだの、金融用語が頻繁に飛び交う。150人の参加者の多くが、政府職員やNGOではなく、金融分野などビジネスの出身であることを強く感じた。
その後、タスクフォースメンバーだけが残って、今後の報告書のまとめ方や9月15日に予定されている正式発表とそれに伴うイベントの進め方などについて協議。
昨日と今日と二日間の会議に参加してみて、金融と社会福祉が融合したソーシャルインパクトインベストメントの分野で世界をリードする英国という国の、古き伝統と革新性という一見矛盾する二つの側面を面白く感じた。ひょっとすると、この点をアピールしようと、わざと対照的な2つの会場を二日間の会議の場所に選んだのかもしれない。
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<その中の会議室はとってもモダンで機能的な作りだった>

08時10分 ホテル出発
09時 G8全体会合第二日目
15時 タスクフォース会合
18時45分 ホテル出発
19時 関係者夕食会
G8タスクフォース会合でプレゼンテーション [2014年06月19日(Thu)]
6月19日(木曜日)
来る途中の飛行機の中で、睡眠導入剤を飲んでたっぷり眠ってしまったのが仇となったようだ。昨夜は、一睡も出来ないまま夜が明けてしまった。途中で何度も、再び睡眠導入剤を飲むことを考えたのだが、今日の午前中にプレゼンテーションを控えていることを考えると、万が一にも、その時にまで眠気が残ってしまってはまずいと、自然の眠気を待つうちに朝になってしまった、と言う訳だ。
お陰で、機内では眠ってしまったために、読もうと思い持ち込んでいながら読めていなかった資料を読んだりして、プレゼンテーションの準備に時間を使うことが出来た。
外に出てみると今日も素晴らしい天気。ホテルの前から3人でタクシーに乗る。
会場はマンションハウス。ロードメヤーという名誉職の市長の公邸。歴史の蓄積を感じさせる重厚な建物だった。
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<会場は名誉職のロンドン市長の公邸、マンションハウス>

天井が高い。会議が始まった。参加者は150人ほど。
私の役目は日本のセクター代表として日本の現状報告をすること。持ち時間は10分程。
なんとか、無事に私のプレゼンが終わると質疑応答の時間。議長のサー・ロナルドが休眠預金の扱いについて質問。次いで、参加者席から日本の企業の役割について。後で、名刺を交換するとフランスの食品メーカー、ダノンの人だった。
私のプレゼンテーションの他、午前中には、英国、米国、カナダ、フランス、ドイツ、イタリアなどG8のメンバー6カ国とオブザーバーとして加わっているオーストラリアを加えた7カ国の諮問会議の代表の報告と質疑応答セッションが行われた。
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<天井が高く重厚な会議室で会議が始まった>

午後からは、社会的効果の定量的計測など4つのテーマ別分野を担当する分科会からの報告と、質疑応答が行われた後、全体会議が行われた。
ただ、私自身はと言えば、自分自身のプレゼンテーションが終わると猛烈な睡魔が襲って来た。
夜のレセプションは失礼するとしても、せめて全体会議までは頑張ろうと思って、最前列に席を移動したりしてみたのだが、どうにも眠くて仕方がない。
ついに、4時半頃になって覚悟を固め、一人ホテルへ戻ることにした。
マンションハウスの前から地下鉄に乗る。自動販売機を操作して驚いた。最低区間の料金が4ポンド70ペンスだったのだ。
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<私のプレゼンテーションは3番目>

08時半 ホテル出発
09時 G8全体会合
16時半 ホテルへ
久し振りのロンドン [2014年06月18日(Wed)]
6月18日(水曜日)
今回は、私にとっては滅多にないロンドン出張。
ソーシャルインパクトインベストメントに関するG8の全体会合に日本代表として参加するためだ。ソーシャルインパクトインベストメント、「社会的影響力のある投資」というのは、社会福祉や海外援助などを助成金ではなく、社会投資という切り口で行おうという考え方。
日本ではまだ一般には馴染みの無い概念だが、英米では既にいくつもの投資主体が活動しており、低コストで大きな社会的便益をもたらすという成功事例が生まれている。
G8レベルでの今回の会合は、元々は、昨年6月にG8の議長国であった英国が、G8メンバーの8カ国にタスクフォースの設立を呼びかけて始まったもの。しかし、今年の始め頃までは、日本とロシアだけが参加していないという状態が続いていた。
その後、外務省から日本財団に対し、日本国内ではこの問題に先駆的に取り組んでいる組織であるということで協力要請があり、6月から財団内でこの分野の担当になった私が、いきなりタスクフォースの日本民間代表としてこの会議に出ることになったもの。
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<ロンドン空港に着いた 外は涼しい22度>

私は、アジア各国のように、日本とは余り時差がなく飛行距離もせいぜい4−6時間くらいというところへの中距離の出張は苦にならないが、欧米や、南米、アフリカなど時間もかかり時差もあるところは苦手だ。今回は羽田からの出発なので気分的にはかなり楽だったが、問題は、東京とロンドンの間の8時間もの時差。そこで、今回は久し振りに、「睡眠導入剤」を使うことにした。
一般に、出張の際の時差を調整する私なりのやり方は、飛行機に乗った時点で時計を現地時間に合わせ、睡眠や食事など生活パターンも、その段階で現地に合わせてしまうというもの。今回のロンドン便の出発時間は正午前、現地時間では深夜の4時前ということになる。
そこで、飛行機に乗り込んだら出来るだけ早く眠ろうとするあまり、出発前にラウンジで睡眠導入剤を飲んだところ、乗り込む直前に朦朧となってしまった。幸い、日本財団の職員の工藤さんと立石君が同行してくれていたので、二人に見守られながら機内に入った。
気が付くと、座席に座ってぐっすり眠り込んでいた。お陰で機内ではたっぷり眠って、18日の午後4時前にさわやかな気分でロンドン到着。
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<6月のロンドンは爽やかだった>

空港からは3人でタクシーに乗った。ロンドンの物価は何でも高い。前回の経験では市内までのタクシー代は50ポンド以上。日本円では一万円ほどもするのだが、ヒースローエクスプレスに乗ると、確か一人20ポンド以上取られる。3人ならこちらの方が断然得だ。
現地の気温は22度、爽やかな天気だ。市内までの道々には、色とりどりの花と緑が爽やかだった。昔、40年以上前の学生時代、短期間だがロンドンに住んだことがあった。10月から5月までの約半年ほど。その大半が冬だった。ロンドンの冬は長く、暗くじめじめして陰鬱な毎日だった。寒さも和らぐとともに、日も長くなり始めた5月のある日、ロンドンを出ることにしたと告げたところ、イギリス人の友人が「どうして、これからがロンドンが一番美しくなるのに、6月になるとロンドンの印象は一変するよ」と、言ったことを思い出した。
ホテルにチェックインして一休みした後、近くのレストランで明日の会議に参加する日本ベンチャーフィランソロピー基金の白石さんや慶応大学の伊藤さんも交えて夕食を取りながら打合せ。明日に備えた。
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<ロンドンの夏の夜、9時になっても外は明るい>

11時20分 羽田発
15時50分 ロンドン着
18時半 関係者夕食会
羽田便で帰国 [2014年06月03日(Tue)]
6月3日(火曜日)
漸く帰国する日。朝、6時に起床。テレビを付けるとCNNは相変わらず「砂嵐状態」だったが、BBCとBloombergは正常に映るようになっていた。
7時にチェックアウト、空港タクシーでホテルを出発。10時前の羽田便に乗る。夕方6時前に羽田到着。支度から近いので羽田は楽だ。夕食に間に合った。
23日から始まった10日間の出張がようやく終わった。
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<ヤンゴンのエルウィンさんのお宅でお茶請けに出してもらったミャンマー式デザート>

07時 ホテル出発
09時45分 バンコク発
17時55分 羽田着
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