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大野修一(日本財団)
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スピードを出すタクシー [2014年05月30日(Fri)]
5月31日(土曜日)
531cloudy.jpg
<雨季が始まったのか今は曇り空>

今日は土曜日、バンコクへ移動する日。ただ、今回の飛行機は午後3時の便なので、朝寝をしてのんびり午前中を過ごし、12時過ぎにホテルをチェックアウト。ホテルの玄関でタクシーに乗り込む。
土曜日のせいで空港への道路は空いていた。
途中、タクシーが余りにスピードを出しすぎるので、私はとっておきのミャンマー語で「サヤカ、ピエピエマウンバ=運転手さん、ゆっくり運転してよ」と言った。すると、運転手はよっぽどびっくりしたのか、ハンドルを握ったまま、しきりと後ろを振り向き釈明しようとする。これでは、もっと危険。逆効果だったと、気が気で無かった。
バンコクに着いた。空港の中はガラガラ。荷物を受け取るカルーセルの周りを見渡しても殆ど人の姿の姿は見えなかった。
531empty.jpg

ホテルに向かう。途中の道路はガラガラ。渋滞もなく快適だった。
ホテルに着くと、顔なじみのボーイが暇そうな顔で出迎えてくれた。団体客はキャンセル、ビジネス客も大幅減で仕事にならないという。部屋に向かうエレベーターに二人連れの白人客が乗り込んで来た。上着が何か不自然なのでよく見ると防弾チョッキ。一人は大きなビデオカメラを提げていた。右腕にはPRESSと書かれた腕章。フランス語で喋っていた様子からは、クーデター下の市内の様子を取材して戻って来たフランスのテレビ局のクルーと見た。
夜は、APCDの二ノ宮所長らと打合せを兼ねた夕食。外出禁止令は時間を短縮、0時から4時までになったと知らされる。しかし、夜の町は閑散としていた。
531summerover.jpg
<タイの夏は過ぎた>

12時半 ホテル出発
14時55分 ヤンゴン発
16時50分 バンコク着
19時 APCD二ノ宮さん夕食会
MILI新オフィス訪問 [2014年05月30日(Fri)]
5月30日(金曜日) 
今日は、日本財団現地事業を手伝ってもらっているエルウィンさんと会うことにしていたのだが、体調があまりすぐれないというので、私の方から彼の自宅を訪問することに。ホテルから歩いて10分ほどの便利な場所なので、一階は息子さんが経営するギャラリー「Gallery65」。時々、美術展などが開かれている。公務員研修などいくつかの事業について打合せをしているところに、ある青年が現れた。
529station.jpg
<ヤンゴン中央駅の前にあるスーパーへ>

エルウィンさん宅からの帰り道に、中央駅の前にあるスタジアム横のスーパーに立ち寄る。先日のFAME社の社長夫妻との夕食会で教えてもらった健康薬ノニのカプセルを買うためだ。ついでに、今夜の夕食のためにサンドイッチとビールを買う。前回、このサンドイッチを買って食べた後、体調不良となったことを思い出したが、150円ほどと廉価で案外おいしいので、再び購入することに。
530newoffice.jpg
<新しいMILIのオフィスの前には新調された看板>

MILIの常勤スタッフは22名、このうち7割は障害者だが、そうでない人たちもいる。この他、約100人のボランティアがサポートしている。設立してようやく3年という新しい組織だが、既に、全国に14支部を設立。会員総数はすでに1600人ほど。
530incubationcenter.jpg
<インキュベーションセンターはあと2週間で完成とか>

その帰り道、小児科専門の市立病院であるパラミホスピタルへ。日本財団の事業のサポートをお願いしているティンニュントさんと打合せをするためだ。彼は、9階にあるラボラトリーの責任者でもあるのだ。
入ってみると、中嶋君が先に来ていた。
ティンニュントさんに先ずは入国時に助けてもらったことのお礼。
530newofficestaff.jpg
<MILIのスタッフたちと記念撮影>

話しをしているうちに、夕食用に買っておいたサンドイッチをホテルの部屋の冷蔵庫に入れるつもりが、ビールを入れただけで忘れて部屋の机の上に置いたままにしていたことを思い出した。南向きの部屋なので昼間は日差しが部屋の中に入り、とても暑くなっているに違いない。ティンニュントさんとの打合せを終えると、中嶋君の「夕食は」と言う誘いを「昨日の今日だから」と断り、慌ててホテルの部屋に戻る。ところが、机の上には置いた筈のサンドイッチが無い。まさかと思い、冷蔵庫を開けるとあった。果して、自分の思い違いか、それとも、ルーム係が気を利かせてくれたのだろうか。
本当に今回のビザ騒ぎと言い、最近は、うっかりが多い。ぼけて来た証拠かも、と一連のトラブルを反芻しながら一人、夕食をとった。

10時 エルウィンさん宅訪問
14時 ホテル出発
14時半 MILI新オフィス訪問
15時半 ティンニュントさん打合せ
ヤンゴン事務所訪問 [2014年05月29日(Thu)]
5月29日(木曜日) 
元々、今日は朝9時からウィンアウンさんたちと、カレン州で進めようとしている生薬栽培指導事業について相談する予定にしていたのだが、彼が急遽、ネピドーに出張することになったため中止。また、午後には朝日新聞の五十嵐支局長と会うことにしていたのだが、クーデター取材でバンコクに行くことになったためにこちらも中止。
そんな訳で、今日は比較的ゆっくり時間が出来ることになったので、元々は明日の28日に予定していた日本財団ヤンゴン事務所訪問を今日に繰り上げ、事務所スタッフと話すことに予定を変更。
午後一番にパナソニックの前田ヤンゴン事務所らと打ち合わせを済ませて、日本財団ヤンゴン事務所に向かった。
事務所では、スタッフに集まってもらって、東京での日本財団の近況報告の後、ヤンゴン事務所の状況を聴取。その後、ヤンゴン事務所の日本人スタッフたちと一緒に夕食をとった。
529office.jpg
<日本財団ヤンゴン事務所の入るビル>

13時 パナソニック打合せ
14時半 ホテル出発
15時 日本財団ヤンゴン事務所訪問
18時半 ヤンゴン事務所スタッフとの夕食会
FAME社長夫妻との夕食会 [2014年05月28日(Wed)]
5月28日(水曜日)
528umbrella.jpg
<暑い日、ここでは男性の日傘は当たり前>

朝10時にミャンマー障害者自立生活運動(MILI)のアウンコミンさんらにホテルに来てもらって、12月のASEAN芸術祭に付いて打合せ。新しくこの事業のために採用されて、担当になったワンモージョーさんも初めて参加。
ミャンマー政府社会福祉省との間で、12月3日の国際障害者デーにネピドーで開会式、その後ヤンゴンに場所を移し3日間の会期で行う、などの芸術祭の概要が漸く纏まった由。今後の課題は、他のASEAN各国からの参加者の選抜。カンボジアやベトナムなど、私が知っている障害芸術家のメールアドレスなどを渡し、早めにコンタクトを取り参加の可否を打診してみるよう勧めた。
先ずは、私が以前紹介したシンガポールの障害者の芸術グループを訪問することになった。
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<ミャンマーでは韓国のTVドラマが人気だが日本のDVDの専門店もあった>

午後には、ホテルのラウンジで、経営コンサルタントで盲人マッサージクリニック「Genky」を運営する西垣さんと会って、ミャンマー伝統医療理論に基づく盲人用マッサージ学校事業のその後の進捗について報告。マンダレーでの建設を想定している背景などについて説明する。
夕方、4時半からはヤンゴンに駐在し、ミャンマーでの農業事業を担当する日本財団 職員の間遠さんと会う。彼とは、カレン州で進めている薬草栽培指導事業について打合せ。
夜は、ミャンマー最大の生薬メーカーで、日本財団とはカレン州での薬草栽培などで協力関係にあるFAME社のキンマウンルウィン社長夫妻らと夕食会。
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<日本の宅配会社「アカボウ」の小型トラックだが、宅配便の事業進出はまだ>

10時 MILI幹部と打合せ
14時半 西垣さん
16時半 間遠さん
19時 FAME社長夫妻との夕食会
モバイルクリニック事業の定例会議に出席 [2014年05月27日(Tue)]
5月27日(火曜日)
527MMA.jpg 
<ミャンマー医師会(MMA)ビル>

朝8時半、ミャンマー医師会差し回しの車に乗りホテルを出発。日本財団のロゴの付いたワゴン車である。今日は、モバイルクリニック事業の定例会議に参加するためなので、いつものようにモバイルクリニック事業のために借りたオフィスに行くのかと思っていると、ミャンマー医師会ビルに到着。日本財団の中嶋職員と合流。ミャンマー医師会新会長のレムラ教授ら幹部の中に書記役を務めるティンニュントさんの顔も見える。昨日朝の顛末は彼も良く知っていた。お礼を述べるのもそこそこに、モバイルクリニック事業の定例会議が始まった。
この事業は、日本財団の全面的な資金協力で、2年前にタイとの国境に位置するカレン州とモン州で始めたもの。半世紀以上に渡る少数民族武装勢力と政府軍との戦いでは双方の境界線がそのときそのときの力関係によって変動し、両州の広い範囲に渡って政府の医療サービスが届きにくい地域になってしまっていた。そこで、これらの医療過疎地域の住民を対象に、ミャンマー医師会の現地ネットワークを活用して訪問式の医療サービスを実施することにしたもの。医師をヘッドに看護師ら総勢10人ほどからなる6つの医療チームを組成し、これまでに、約5万人の住民の診療サービスを行って来ている。
527mtg.jpg
<モバイルクリニック事業の定例会議>

ミャンマー医師会での会議を終えると、プロジェクトマネジャーのチーミンさんが私を誘った。モバイルクリニック事業のために借りた事務所で行われている新生児医療研修会を覗いてみないかというのだ。私は、モバイルクリニック事業のオフィスはヤンゴン中央駅の近くに合った以前のオフィスしか知らなかったので、良い機会だと思い、行ってみることにした。どうやら、この研修が行われているために、会場をミャンマー医師会ビルにしたのだったようだ。
向かう途中でプロジェクトマネジャーのチーミンさんが話し出したのは、91歳になるという彼の母親の話。先月、国境を越えてすぐのタイの町で、ミャンマーの少数民族に対する医療支援を行っている国際NGOが集まる会合が開かれたのだが、それには、カレンとモンでモバイルクリニック事業を行っているこのチームも招かれ、代表してプロジェクトマネジャーのチーミンさんが出席。その帰り道、彼は国境に近いある町に住んでいる91歳の母親に久し振りに会うことにした。
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<新生児医療研修会訪問>

すると、歳はとっているものの普段は大変元気な母親が身体の不調を訴えたという。そこで、彼は友人の専門医に相談したところ、至急、ヤンゴンの病院で精密検査を受けるようとのアドバイス。
日本財団が寄贈した救急車で母親を運んで検査を受けたところ、脳内に異常が見つかり緊急手術をして今はヤンゴンの病院で療養中。幸い予後は順調で、間もなく退院出来そうだという。
日本財団のモバイルクリニック事業に加わったお陰で、子供が親に出来る最高の親孝行が出来た、と喜んでいた。
ミャンマーの平均寿命は65歳なのだという。これは、ASEAN10カ国中で最低。尤も、それには新生児や乳児の異常に高い死亡率が大きく影響している。いずれも、新生児死亡率はインド並みの3%、乳児死亡率は5%、これはインドよりも悪い。
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<障害者大学生奨学金事業打合せ>

そのため、モバイルクリニックのチームにも新生児医療についての最新知識を身につけてもらおうと研修会を企画したのだそうな。モバイルクリニックの事務所に着き研修室を覗いてみると、20人程のスタッフが集まり、スライドを使っての研修に熱心に耳を傾ける姿があった。
研修会を参観し、少し挨拶をさせてもらった後、ホテルに戻った。午後2時からは、ホテル内の会議室でミャンマーエイペックス銀行と行うことになった障害者大学生奨学金事業の打合せを行った。
障害者団体MILIからは、ユヤトゥさんに加えて、新しく担当になったミューソーモウさんの二人がやって来た。エイペックス銀行からは担当者のジンさんとラリーさんも加わり、今後のPR活動や、申し込みや審査などの手続きなどについて検討。
夜は、マイクさんと国立リハビリ病院の義肢装具部門スタッフらとの夕食会。

08時半 ホテル出発
09時 MMAモバイルクリニック事業定例会議
11時45分 新生児医療研修会訪問
14時 障害者大学生奨学金事業打合せ
18時半 国立リハビリ病院義肢装具師との夕食会
ヤンゴン空港の窓口でもう一波乱 [2014年05月26日(Mon)]
5月26日(月曜日)

今朝は、5時前に起きてチェックアウトし、ホテルの玄関で到着時に予約した空港タクシーを待った。その間、私が考えていたことは、ミャンマー行きビザの期限切れという今回のミスに対する反省。
危うく、朝一番の便でのヤンゴン行きは断念せざるを得ないところだった。幸い、エルウィンさんやティンニュントさんらの機転に助けられて、際どいところで到着時ビザ取得のための書類を整えることが出来たものの、今後は自戒せねば。
ところが、予定の時間になってもどこにも車の姿が見えない。待てよと、予約の確認書を見て、またしても大変なミスをしていることに気が付いた。予約が今日の日付ではなく、明日の日付になっていたのだ。車が来ていない筈である。慌てて、ホテルのタクシーを手配する。
車に乗って、改めてひとり反省。これは、慣れによる慢心からのものか、それとも、年を取ったことによるぼけなのだろうか。いずれにしろ、今回の経験を教訓に今後は余程、気を引き締めていかねばなるまい。
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<予定通りの便に乗るため早朝にバンコクのホテルを出発>

バンコク空港のカウンターでは、ビザについて尋ねられたのだが、サンディーさんのNGOからの招待状を見せて無事チェックインすることが出来た。その後、空港タクシーのカウンターに行き、明日の予約をキャンセル。
こうして、ヤンゴン行きの飛行機に無事、乗る込むことが出来た。ラッキーなことに、今回は何とかピンチを切る抜けることが出来たようだ。ふうーっ。
ところが、まだ、話は終わってはいなかったのだ。ヤンゴンに着いて、到着ビザのカウンターで、意気揚々とサンディーさんに作ってもらった招待状と組織登録証を、私の写真二枚と一緒に出したのだが、何とこれではだめと突き返されてしまった。
何がいけないのかと聞くとNGOの組織登録証が臨時のもので有効期限が切れているというのだ。そんな筈はないと言うのだが、お役人は、招待者に聞いてみろとにべもない。そこで、エルウィンさんに電話すると、そんな筈は無いのだが調べてみる、とサンディーさんに連絡を取ってもらうことに。
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<ヤンゴン空港の拡張工事が始まった>

そうこうしていると、携帯電話でなにやら話しをしていた別の係官が、お前が大野かと聞いて来る。そうだと、答えると、携帯電話に出ろと自分の電話を差し出した。ティンニュントさんの友人のユージンさんからだった。
話しながら彼の姿がゲートの先に見えたので手を振る。昨夜、彼からは確かに、念のためユージンさんに空港で待機してもらうよう頼んでおいたからと言われたので、そんな必要は無いと断っておいたのだが、果して来てくれていたのだ。彼に事情を話すと、「分かった自分の方で話をつけるから心配するな」という。
すると、今度は本当に係官が書類とパスポートを受け取り、ビザのシールを張ってパスポートを返してくれた。何だか、事情が良く掴めぬまま、入国審査に進むと、何事もなかったかのように入国スタンプを押して通してくれた。
ユージンさんに会ってお礼を言うとともに、何が問題だったのか聞いてみた。すると、やはりあの登録証は有効期限切れだったので、自分が知り合いの係官に頼んで、後刻、有効なものを届けるからと特別に通してもらった、というのだった。
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<ヤンゴンのホテルではBBCがバンコクのクーデターを報じていた>

「本当に助かった。何とお礼をって良いか」と、彼に言うと、「貴方たちはミャンマーを助けるために来ているのだから、私が貴方を助けるのは当然のこと」と淡々とした表情で答えた。
彼が、初めて会った時に言っていた「お父さんからの言いつけ」を思い出した。それは、次のような話であった。
彼のお父さんはミャンマーでは誰もが知っているほどの有名な歌手だった。そのお父さんは、大変な日本びいきなのだが、それは、子供の頃チフスに罹って死にかけた時に、日本軍の軍医に当時は大変な貴重品だった抗生物質をもらって九死に一生を得たからだ。
お父さんは、彼が子供の頃からいつも、「お前がこの世に生を得ることが出来たのも日本人のお陰だ、日本人に会ったから必ずこの話をしてお礼を言うように」と言い続けてきたのだそうだ。
そしてユージンさんは、今でも日本人が困っていたら何が何でも助けることにしている、というのだった。そして、今回、私がその恩恵に預かったということになるのである。

05時半 ホテル出発
07時55分 バンコク発
08時50分 ヤンゴン着
15時 平野さん
ミャンマービザの不備で大ピンチ [2014年05月25日(Sun)]
5月25日(日曜日)
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<プノンペンも相変わらず厳戒態勢>

今日は、ESCの理事会の日。ESC=Education Support Centerとは、カンボジアの中学校の教員養成コースの奨学金事業のために、日本財団の主導で作ったNGO。現在は、奨学金事業の他、ラジオによる英語教育事業を40校、6044人を対象に実施中。
会長は、フンセン首相の長年の英語の通訳で、数年前に官房副長官とでも言うべきポストに昇格したブンサンボさん。理事会メンバーは、その他、前駐カンボジア日本大使でカンボジア語に堪能な篠原さん、カンボジア教育省の現役の教育局長のレンセンハクさん、日本人の女性で元朝日新聞のマニラ支局長の木村さんという豪華な顔ぶれ。
理事会の後は、懇親と理事メンバーへの謝恩を兼ねて、皆で食事会をするのだが、刺身と日本酒が大好物のブンサンボさんの意向をくんで日本食レストランでするのが慣例になっている。今回も、寿司屋さんを予約してあったのだが、肝心のブンサンボさんは欠席。
先月腸捻転で手術をした後、今回は出席出来ると言ってくれていたブンサンボさんだったのだが、無理が祟ったのか急遽、シンガポールに搬送されたとかで欠席。心配だ。
525ESC.jpg
<ESC理事会にて>

私は、ESC理事会後の食事会を中座して空港に向かった。3時過ぎの飛行機に乗りバンコクのスワンナプーム空港に着くと、想像した通りガラガラ。それにしても、入国審査のコーナーに殆ど入国客がおらず、そこにいた総ての外国人より多数のタイ人の係官が手持ち無沙汰げに立っていたのが印象的だった。
夜は、アマーティー顧問の内藤さんと会う。彼は、ヤンゴンの国立医療技術大学の旧校舎を来年発足する義肢装具士学部の実習棟として改築する仕事を、Exceedから請け負ってくれているので、建設の進行状況や竣工の見通しなどにつきヒアリングすることにしたのだ。
内藤さんと食事をしていると、日経新聞の高橋記者から電話。
元々、この席には内藤さんの大学の後輩である高橋さんも加わることになっていたのだが、クーデターのせいで来れなくなったという。そこで久し振りに内藤さんと二人だけで、タイやミャンマー情勢につき色々裏の話を教えてもらうことになった。
525vacant.jpg
<長蛇の列が消えた入国審査のコーナー>

クーデターに伴い軍部が発令した外出禁止令は、夜の10時から朝の5時までとなっている。ところが、彼によると日本人経営のレストランなどは従業員が外出禁止令に触れないように早めに帰せるよう閉店時間を繰り上げているところが多いのだとか。果たせるかな、我々が夕食を取っていた日本人経営の居酒屋も、ラストオーダーを何と8時半にしたと言う。
彼と話し込んでいるうちに、早くもその8時半が近づいたので周りを見渡してみると、何と周りは全くの空っぽ状態、我々二人が最後の客だったのにはびっくり。タイ人従業員は気もそぞろの様子で、早くも皿を片づけテーブルを拭き始めているではないか。時間にルーズと言われるタイではあるが、クーデターともなるとそれどころではないというのだろうか。
そこでいつもよりは少し早い時間だったが、私は内藤さんと別れホテルの部屋に戻り、明日のミャンマーへの移動に向けて準備をすることにした。ところが、この時に至りとんでもないことに気が付いた。ミャンマーの入国ビザの有効期限が切れている!時間を見ると、既に9時半。これでは、明日中のミャンマー行きは絶望的である。明日、お会いする予定で取ってあったアポの相手の顔が眼に浮かぶ。
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<夜会外出禁止措置を宿泊客に通知するバンコクのホテルの文書>

取り敢えずは、事情を説明してお断りをする他ない。ただ、念のため旅行代理店から与えられていた緊急事用のヘルプデスクに電話をかける。しかし、帰って来た答えは、ミャンマー政府のウェブサイトに書いてある通りのしごく常識的なもの。
そうだ、ミャンマー外務省局長OBのエルウィンさんならと思いつき電話する。幸い、彼自身を捉まえることが出来たが、「これから在バンコクのミャンマー大使館の担当に電話して即日ビザ発給を頼むことは出来るが、それでも、受け取りは明日の始業時間以降になってしまうが良いか」と言う。助かった、と言いかけて私の便は明日早朝7時55分発という早い便であったことを思い出した。
そうなると、出発便を午後の便に繰り下げねばならないが、最近は、ヤンゴン行きの乗客が多く、果してうまい具合に空席があるかどうか、、、。
そう言えば、ティンニュントさんが以前、海外からのお客さんの到着ビザを緊急手配したことがあった、と言っていたことを思い出した。そこで、彼に電話してみることに。すると、いつも楽観さを失わない彼からは、何とかしてみるから電話を切って待つように、との心強い返事。
525park.jpg
<バンコクの公園からは反政府活動家たちは撤収>

暫くすると、エルウィンさんから再び電話がかかって来た。ティンニュントさんと二人で相談した結果、彼のお嬢さんのサンディーさんのNGOの名前で私に招待状を出すことにしたので、それでもって、明日朝、ヤンゴン到着時に入国ビザが即時取得可能、と言う。現に私は今回、エルウィンさんと彼女のNGOを加えた事業の相談をすることになっていたので、そこからの招待での入国ビザ発行は法的には何ら問題は無いというのだ。
これから、サンディーさんが招待状をメールするのでそれをプリントアウトしたものを持っていれば、明日朝ビザがなくても、飛行機の搭乗手続きをすることが出来るという。
ただ、こんな時間にホテルのビジネスセンターが開いているのだろうか。駄目もとでホテルのフロントに電話。すると、何と24時間のサービス窓口があるのでそこ宛にメールすれば、ハードコピーを部屋に届けてくれると言うではないか。
総ての書類が手に入った時には、時間は12時半になっていた。これで、予定通り早朝一番の便でヤンゴンに向かうことが出来る。助かった!

09時半 ホテル出発
10時 ESC理事会
12時半 ESC昼食会
15時20分 プノンペン発
16時30分 バンコク着
19時 内藤さん
障害者ビジネス・インキュベーションセンターで打合せ [2014年05月24日(Sat)]
5月24日(土曜日)
朝7時半にアウンミンさんと一緒にホテルを出てソルヤ君の車に乗り込む。先ずは、盲人マーッサージクリニック、Seeing Handsへニガさんを訪ねる。アウンミンさんをニガさんに紹介する。予め、前開の訪問時に日本財団がミャンマーで、ミャンマーの伝統医療に基づく盲人用の医療マッサージ専門学校を準備中であることは説明済み。
今回は、そのための教育カリキュラム作りの相談に、この事業の責任者になってもらっている元国立伝統医療大学学長のアウンミン博士を案内して来るのでよろしくと頼んであったので話はスムーズ。すると、中年のカンボジア人女性が入って来た。英語は通じない。すると、ニガさんが私の母です、と紹介してくれる。アウンミンさんが医療用マッサージのカリキュラムについて質問をしている間じゅうニコニコしながら座っていた。
Seeing Handsでのインタビューを終えて、今度はアウンミンさんをカンボジア義肢装具士養成学校(CSPO)へ案内した。
524Nigah.jpg
<Seeing Handsでニガさんに説明を聞く>

彼には、ミャンマー第2の都市、マンダレーの国立病院でExceedが始めようとしている義肢装具装着サービス事業を色々手伝ってもらっている。そのために、Exceedの活動の原点となったCSPOを見てもらおうということになったのだ。
ただ、今日は土曜日なので、本来は学校はお休み。併設するクリニックも今日は開いていないので患者さんもいない。
しかし、校長のシサリーさんに相談したところ、自分が特別に案内するから問題ないと言ってくれたのでアウンミンさんを案内することにしたもの。アウンミンさんと一緒にCSPOに行ってみると校長のシサリーさんが待っていてくれた。各部屋の鍵を開けつつ、丁寧に説明しながら案内してくれる。
アウンミンさんは元々は内科のお医者さんで、保健省を退職後、マンダレーで開業しているのだが、本格的な義手や義足作りの作業所を見るのは初めてらしく、興味深そうに質問しながら時間をかけて見学。
524Exceedcar.jpg
<CSPOに日本財団のロゴの付いたトラックが停まっていた>

CSPOの開設は20年前。現在の学生総数は37名。うち、留学生が19人と、半分以上を占める。きっと、カンボジアで唯一の留学生が過半を占める学校の筈。シサリーさん自身もこの学校の第一期の卒業生。成績優秀だったので、その後、イギリスに留学し修士号を取るなど研鑽を重ね、2年ほど前から母校の校長に就任したという才女である。
その後、日本財団がExceedと組んでヤンゴンの国立医学技術大学に、来年早々に開設する予定の義肢装具士養成学科の実習助手となるためにミャンマー保健省が派遣した6人と、モン州の国際赤十字が運営するクリニックから派遣された女学生など7人のミャンマー人学生たちと懇談。
その後、私とアウンミンさんは、シサリーさんの自宅へ。昼食に招待されたのだ。空港にほど近い新築の2階建てが彼女の自宅だった。前回、CSPOで彼女がだっこしているのを見た時は生後数ヶ月だった坊やが3歳になっていたのにはびっくり。
524students.jpg
<7人のミャンマーからの留学生>

シサリーさんの手作りの料理の数々をご馳走になった。運転手のソルヤ君もご相伴。彼曰く、「カンボジア人でも、ここまで料理の上手な主婦は中々いない。シサリーさんは本当に料理が上手だ」
決して、お世辞ではない。本当に、レストランを開けるほどの腕前だった。
ご主人のウドムさんも満足そうだ。彼は、シサリーさんとはCSPOでの同級生。今は、彼もCSPOの講師陣の一人としてシサリー校長をサポートする立場。
午後一時半。デザートまでご馳走になって、シサリーさんの家を出た。プノンペンは初めてというアウンミンさんに市内を案内する。ミャンマー保健省の伝統医療局長OBである彼に、カンボジア保健省の伝統医療研究所を外からでも案内しようと、保健省の裏側にある建物の入り口に案内すると、しまっている筈の門が開いており、中で何やら作業中。
覗き込んでみると旧知の顔が見えた。CaTHA(カンボジア伝統医療師協会)の幹部の人だったので中に入れてもらうことが出来た。
524homelunch.jpg
<とても美味しいクメール料理>

すると、アウンミンさんが来ていることを知ったカンボジア保健省で伝統医療を担当していたスンナさんから会いたいとの連絡。そして、2時半にホテルにスンナさんがやって来た。懐かしい顔が見える。何と、前伝統医療研究所長のプンレーさんだった。しかし、少し昔話をしただけで、私とアウンミンさんは障害者ビジネス・インキュベーションセンターへ向かった。
この日は、トーマスさんから紹介されたIT会社の社長のエルヤさんがラオスから帰国したばかりというのに、センターの運営をアドバイスすべく、打合せに加わってくれるというのだ。我々が10分ほど遅れて到着すると、エルヤさんがウドムさん、や4人の学生の代表委員たちと待っていてくれた。
話し合いの後,一旦ホテルに戻り着替えてからESCの北野事務局長に予約してもらっていたクメール料理のレストランへ。北野事務局長がラジオ事業の資料を持って待っていてくれた。元々、医科大学教授でミャンマーの教育問題に興味があると言うアウンミンさんは、ラジオを使った英語教育事業についての説明に聞き入っていた。
524PPDBIC.jpg
<インキュベーションセンターで打合せ>

07時半 ホテル出発
08時 Seeing Handsニガさん訪問
11時 CSPO訪問
12時15分 シサリーさん宅訪問
14時半 前伝統医療研究所長のプンレーさん
15時 PPDBICインキュベーションセンター打合せ
18時 夕食
クーデター直後のバンコクへ [2014年05月23日(Fri)]
5月23日(金曜日)
4月のミャンマー、タイ、カンボジア、スリランカ出張に続き、今月も東南アジアへの出張。
今回の出張は、プノンペンでのESCの理事会、ヤンゴンでのミャンマー医師会でのレビューミーティング、バンコクでの国連ESCAPやFAOとの事業の打合わせなどの日程に合わせて組んだもの。私は出張の際はいつも現地側にお願いして、出来るだけ近接のタイミングでアポイントを設定してもらい、その間に他の細々した仕事を挟むようにしている。最初の目的地であるプノンペンへはバンコクでの乗継ぎなので、今日は羽田からバンコク行きの飛行機に乗る。
羽田空港の出発ゲートで気が付いたのだが、いつも賑わっているバンコク便なのに、今日は閑散としている。そうか、昨日発生したクーデターのせいで、団体の観光客を中心にキャンセルが出たのだろう。長引くタイの政治混乱の中で、これまでは社員の出張をなんとか認めて来ていた企業も、流石にクーデターとなると渡航禁止や自粛を打出したとしても不思議ではない。
バンコク空港に着いみると、空港内はいつにも増してがら空き状態だった。
523emptyairport.jpg
<バンコク空港もガラガラ>

インラック政権と反政府派の対立が長期化し、バンコクへの渡航客はこのところ、それまでと比べて大きく落ち込んでいたのだが、、、。それにしても20日に戒厳令が発令されたと思ったら、その2日後にはまさかのクーデターとは穏やかでない。
これまでの経験から、タイ国内では、外部の人が思うほどには事態の急変はなく、タイ人はきっと普段とはあまり変わらない暮らしを続けていることだろうが、クーデターとなると旅行保険などは免責条項が発動されるだろうから、旅行業界からはこれまでとは異なる対応が必要になって来る筈。
バンコクの気温は35度。空港のラウンジではテレビが消えていた。クーデターの様子が心配ではないのか、肝心の時にテレビがついていないのは、はて?ただ、私自身は短い乗継ぎ時間を利用してメールチェックなどでテレビどころではなかったので、それ以上、聞いてみることもしなかったのだが。それらしき事情に思い至ったのは、二日後、バンコクのホテルでテレビを付けた時。クーデターに批判的な論調を嫌って軍部がBBCやCNNの視聴が出来ないようにしていたからだ。
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<タイの新聞の一面、気を使ってかクーデターの文字は小さく控え目>

機内で2種類のタイの英字新聞をもらって読み比べてみた。
当然タイの新聞のトップニュースはクーデターだが、民主党寄りのthe Nationは気を使ってかクーデターの文字は小さく控え目。内容的にも、批判がましい記事は無し。Bangkok Postはもっと大胆。
プノンペン空港に着いて、いつものフリーランスのタクシー運転手、ソルヤ君の車に乗り込む。外は雨が降っていた。「もうこちらは雨季なので、毎日雨が降ってますよ」とソルヤ君。
一旦ホテルににチェックインし、私より1時間ほど遅い便で到着する予定のアウンミン博士を待つ。
彼はミャンマーの前保健省伝統医療局長。今はマンダレーで開業医師として働く傍ら我々の盲人用伝統医療マッサージ学校事業の責任者として今はカリキュラム作りに精を出してくれている。程なくして現れた彼と、明日の段取りについて打ち合わせ。
ホテルの部屋に入りテレビをつけてみると、タイのテレビのニュースはどのチャンネルもクーデター一色だった。
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<タイのテレビのニュースはどのチャンネルもクーデター一色>

11時30分 羽田発
15時40分 バンコク着
17時25分 バンコク発
18時45分 プノンペン着
20時半 アウンミン博士と打ち合わせ
帰国 [2014年05月04日(Sun)]
5月4日(日曜日)
日本へはエアランカの成田直行便で帰国する笹川会長一行を空港で見送った後、私は2時間ほど遅い別の便に乗り、夕方6時前にバンコク乗換えで羽田空港に帰着した。
10日間という長い出張が終わった。
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<拡張された羽田空港国際線ターミナル>

01時20分 コロンボ発
06時15分 バンコク着
09時45分 バンコク発
17時55分 羽田着




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