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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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夜行便でバンコク経由カンボジアへ [2014年04月30日(Wed)]
4月30日(水曜日) 
430skyscrapers.jpg
<プノンペン2つ目の高層ビルが完成間近>

深夜の1時、立石君と一緒に、バンコク行きの便に乗り込む。私の最も苦手とする夜行便だ。3時間ほどの短いフライトでは十分に眠りを取ることは無理。タイ時間の6時過ぎ、スリランカ時間の4時半過ぎにバンコクに到着。
ここで日本に帰国する立石君を送った後、私は一人プノンペンへ向かう飛行機を待つことに。2時間ほどの乗継ぎ時間だが、日経新聞のオンライン版に目を通して、メールチェックしているとあっという間に終わってしまう。
プノンペンへは一時間ほどの大変短いフライト。殆ど眠る間もない。プノンペン空港からホテルに着くと、ラジオ教育放送事業を担当するNGOであるESCの北野事務局長が待っていてくれた。午後に予定されている教育大臣とのミーティングに備えて打合せ。その後、彼の車でESCの本部へ向かった。空には、今にも降り出しそうな雨雲。そう、カンボジアも雨季に入っていたのだ。
430cloudy.jpg
<今にも降り出しそうな雨雲>

ESCの事務所に入ると、ヒアンさんがいきなり何やらずっしり入った袋を差し出す。中にはマンゴーとバナナが入っていた。自宅の庭で取れたという。水掛祭りも終わり、雨が降り出すと、カンボジアでもマンゴーの季節になったのだ。
彼女は私のマンゴー好きを知っていて、親切にも、ホテルの部屋で食べるようにと幾つも持って来てくれていたのだが、今回は一泊だけの短い日程で部屋で食べる余裕も無いと言うと、わざわざマンゴーを剥いて食べさせてくれた。大変美味しかった。余りに美味しいので、よっぽどホテルにもって帰ろうかとも思ったが、やはり、食べている時間はないと泣く泣く断念。
しばし、事務所で雑談した後、昼食に出かけた。昼食を取っていると急に激しいスコール。スコールの中を皆で教育省に向かった。
430MoEYS.jpg
<フレンチコロニアルスタイルが美しい教育省の建物>

ナロン教育大臣と面談。昨年、教育大臣に就任したナロンさんは元々は経済の専門家。私が彼に会うのは昨年11月に初めて会ってから今回で2回目。この間、フンセン首相の経済顧問から教育大臣に抜擢され、次々と新機軸を打出すなど教育改革に大鉈を振るっているという。
前回会った際に教育大臣は、我々が提案し教育省や中学教員養成短期大学と組んで実施して来たラジオを使った英語教育放送が、特に僻地の学校で大きな成果を挙げていることを知り、正規の教育課程に取り組むことを検討することを約束してくれた。
そして、このほど、ラジオ英語教育放送を正規の教育課程に取り入れることを決めたのみか、正規の教科書をラジオ放送の内容とシンクロさせるよう書き換えることになり、そのための支援を日本財団に要請して来たのである。ナロン大臣に会って、それが本当であることを確認するとともに、合意内容を文書にして調印することで合意した。
430Minister.jpg
<ナロン教育大臣と面談の後の記念写真>

01時20分 コロンボ発
06時15分 バンコク着 
08時10分 バンコク発
09時25分 プノンペン着 
10時 ESC北野事務局長
11時半 ESC訪問
14時半 ナロン教育大臣
18時 夕食会
義肢装具士学校の理事会は急遽、保健省で [2014年04月29日(Tue)]
4月29日(火曜日)
今回の私のスリランカ訪問は、元々、この日に予定されていたスリランカ義肢義足装具士養成学校(SLSPO)の理事会に合わせてのもの。ところが、出発直前に、スリランカ大統領のマヒンダ・ラジャパクサさんから、5月3日の土曜日に日本財団の笹川会長に会いたいとの連絡が入った。その連絡は、日本財団のスリランカ事業の長年のパートナーであるセワランカ財団のハルシャ会長と親しいラリット大統領顧問からのもの。一方で、同時期に在スリランカ日本大使館の粗大使からも正式の書面での招待状が届いた。ただ、内容的には一部矛盾するところがあったので、今回の出張を利用して、その調整を行おうと考えた。
今回の当初の出張計画では、スリランカでの理事会の後、直ちに日本に帰国する予定だったのだが、5月3日の笹川会長の大統領との会見の席に私も同席することになったので、帰国の予定を延期することにした。そして、その間の時間を利用して、カンボジア出張を挟むことにした次第。 
429sasakawa.jpg
<SLSPOの理事会が開かれるササカワホールには笹川良一初代会長の写真が、、、>

朝、一本の電話で起こされた。セワランカ財団の渉外部長のウデニさんからだった。ロビーに来ているので会えないかという。時間を見ると7時だった。ラジャパクサ大統領と笹川会長の会談に関して打合せをしたいのでラリット大統領顧問が会いたいと言っているという。しかし、私は、今日の午後はSLSPOの理事会や日本大使館での打合せなどで塞がっていることを話し、夜、ハルシャさんも交えて、空港へ行くまでの時間を利用して、夕食を取りながら話しをすることになった。
その後、SLSPOのカーソン代表がメアリー校長と一緒にやって来た。日本財団 の本事業の担当である立石職員も加わり、今日の理事会の進め方について打合せ。その後、立石君と二人で打合せ。彼はここに来る前に、カンボジアに立ち寄り、現地の障害者大学生のグループとインキュベーションセンターの運営についての話し合いをして来たので、これから入れ違いに、プノンペンに向かう私に現地の様子を報告するよう頼んでいたのだ。
429rain.jpg
<ササカワホールにいる間に激しい雨が降ってきた>

12時半 ダヤシリさんがホテルに来てくれた。NISVA事業について報告に来てくれたのだが、その時に、笹川会長が来る5月3日の夜には、日本財団支援事業関係者レセプションをしたいと持ち掛けたところ、賛同を得たので、具体的な進め方について相談。そして、ダヤシリさんと一緒に、ホテルの宴会担当者に会う。会場となる会議室を予約、料理などについて打合せ。
その後、彼と一緒にSLSPOの理事会が開かれるササカワホールへ。すると、様子がおかしい。メアリー校長が、保健省のマヒパラ局長が大臣の指示で、保健省を離れられなくなったので、急遽、理事会を彼の執務室でやって欲しいとの依頼があった。ただ、部屋が狭く、理事全員が参加出来ないので所要メンバーだけで行くことにしたい、というのだ。そのメンバーには私も含まれていた。
ただその前に、何はともあれ、全員で昼食をとることに。
429lunch.jpg
<スリランカ料理ビュッフェで昼食>

雨足が益々、激しくなって来た。食事の後、選抜メンバーは雨の中を保健省へ向かった。私は、同じく選抜メンバーに指名されたダヤシリさんの車で移動。
保健省のマヒパラ局長の執務室で理事会を行った後、ダヤシリさんに日本大使館に送ってもらった。粗大使とお会いして、大統領との面談のサポートに対するお礼を申し上げた。5月3日の段取りに付いて色々教えて頂くるとともに、その前後に予定している大統領以外の政府要人との面談について報告。色々、有益なアドバイスをもらうことが出来た。
大使館を辞して、ダヤシリさんと再度、日本財団支援事業関係者レセプションに着いて協議。こまごまとした準備に付いてお願いする。
そして、6時からはラリット大統領顧問、ハルシャさんらと夕食を取りながら、5月3日の大統領との面談に向けた打合せ。それを終えて、小雨の中をホテルに戻りチェックアウト。プノンペンに向かうべく空港へ。慌ただしい一日であった。
429MoH.jpg
<雨に煙る保健省の前庭>

07時 ウデニさん打合せ
09時 エクシード打合せ
11時 立石君打合せ
12時半 ダヤシリさん打合せ
13時半 SLSPO理事会
15時 粗在スリランカ日本大使訪問
16時半 ダヤシリさん打合せ
18時 ラリット大統領顧問打合せ
20時 ホテル出発
スリランカへ [2014年04月28日(Mon)]
4月28日(月曜日)
今日は、ヤンゴンを出てバンコク経由でスリランカのコロンボへ行く日。正午前にホテルを出て空港へ向かう。空港でバンコク便を待つ間、空港の売店を冷やかしていて私のお気に入りのャンマーワインの値段まで高くなっているのに、気が付いた。Late Harvestのホワイトワインは何と20ドルに値上げ。確か、この前は15ドルとかだったように思うのだが、、、。
不動産に引き摺られるように、ミャンマーの物価がなにもかも上がりつつあることは事実のようだ。これまで、周辺国と比べても異常に安かった観光客相手の土産物の値段が上がるのは良いとしても、電気代や家賃などの値上がりも急だとミャンマー人がこぼしている。ミャンマー人の給料も上がっているが、それ以上の勢いで物価も上がりつつあるというのである。
午後3時前のバンコク行きの飛行機に乗り込む。
428myanmarwine.jpg
<ミャンマーワインの値段まで高くなっていた>

バンコクで5時間弱の乗り継ぎ。夜9時過ぎのコロンボ行きエアランカ便に乗り込んだ。この飛行機は北京発、バンコク経由のコロンボ行き。いつものように、機内は中国人のビジネスマンと観光客で溢れていた。
欧米諸国が人権問題を理由にスリランカに厳しく迫る間に、中国は援助と借款をえさに近年益々、スリランカとの関係を深めている。そのことは、人の動きにも現れているようだ。
エアランカのスチュワーデスは中国語が出来ないのだが、中国人の乗客も大半は英語が出来ない。そこで、食事の時間になると、添乗員らしき中国人女性が注文を聞いて廻り、まとめてスチュワーデスに伝えていた。私も中国人に間違えられて、中国語で注文を聞かれる始末。
子供が騒ぎ回り、それを親が叱るなど、機内はまるで中国の飛行機に乗ったように中国語が溢れていた。喧噪の中、深夜11時コロンボに到着。
428decoration.jpg
<仏教正月の飾り?青色LEDのイルミネーションがきれいだった>

コロンボ空港の中は、青色のLED豆ランプのいっぱい付いたアルミネーションがなどで飾られていた。前回は無かった筈。終わったばかりの仏教正月の名残りだろうか。
空港のあちこちに、ラジャパクサ大統領の写真。いつものように、白い民族衣装に赤いスカーフを巻いた姿だ。ふと、スリランカの正式な国名が「スリランカ民主社会主義共和国」であることを思い出した。まるで北朝鮮(ただし、こちらは社会主義とは言わず「朝鮮民主主義人民共和国」)のようだが、ここには北朝鮮のような個人崇拝の強制は無い。
中国が建設した空港とコロンボをつなぐ高速道路が開通したお陰で、市内へは30分ほど。深夜12時までにはホテルにチェックインすることが出来た。
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<ラジャパクサ大統領の写真が微笑む>

11時半 ホテル出発
14時55分 ヤンゴン発
16時50分 バンコク着
21時10分 バンコク発
23時00分 コロンボ着
農業事業の打合せ [2014年04月27日(Sun)]
4月27日(日曜日) 
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<あちこちでオフィスビルの建設が進む>

今日は日曜日。
林業省OBの実業家で、今は、日本財団がカレン州政府と共同で進めている薬草園の事業を手伝ってもらっているウィンアウンさんが私の泊っているホテルに来てくれ、ティンニュントさん、間遠さんの4人で打ち合わせ。
彼によれば一昨日の記者懇談会の様子をたくさんのメディアが報じたという。日本財団がこんなに沢山の分野で広く活動しているということが驚きを持って認識された、ということのようだ。
また、ティンニュントさんによると、彼が懇談会の翌日の夜、ある会合に出かけたところ、「ミスター・日本財団」と声がかかったとか。大勢の人が、テレビや新聞で懇談会のことを知ったようだ。
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<一昨日の記者懇談会の様子を報じる新聞記事>

打合せの後、ホテルのレストランで皆で昼食を取っていると、中嶋君がZさんのお父さんとやって来た。これから、彼の持つ一軒家を見に行くのだ。日本財団のヤンゴン事務所は新しいビルに移ったばかりだが、農業事業の展開次第では専門の事務所が必要になるかも知れないと思ったためだ。ウィンアウンサンは用があると帰って行ったが、ティンニュントさんが我々について来てくれた。
しかし、見せてもらった物件は我々の目的にはちょっと会いにくいタイプのものだった。
その後、ティンニュントさんの友人がビル建設を予定しているという場所を見に行った。こちらは、とても便利なところにあるが、敷地の整備すら始まっていない物件だった。ただ、値段だけは決まっているのが面白い。
427plan.jpg
<ヤンゴン中央駅の再開発計画を報じる政府紙>

ヤンゴンは今、大変な不動産ブームである。大変な投機市場と化している。外国人を高い料金で載せて荒稼ぎしているタクシーの運転手にも、小金がたまるとすぐ、ヤンゴン郊外の土地を買っていると自慢していたのがいた。前回、障害者自立生活運動(MILI)のための新本部を探していた時にも、郊外に近いみすぼらしいとさえ言える建物が2700万と言われて唖然としたものだが、、、。
しかし、あちこちで、建設工事が進行中で、今の投機市場を支えている極端な供給不足も早晩修正されると思うのだが、、、。
夜は、サクラタワーの最上階レストランで、MILIの二人の幹部を招いて、NHKの小林支局長に引き合わせをすること兼ねた夕食会。

10時半 ウィンアウンさん
12時45分 物件下見
13時 物件下見
17時 NHKバンコク支局 小林さん
障害者マッサージで打合せ [2014年04月26日(Sat)]
4月26日(土曜日)
今朝から腹具合がおかしい。そこで、朝食を抜いたまま、8時にホテルを出てタクシーを拾い、別のホテルへ。マンダレーから来てくれたアウンミン医師らと障害者マッサージについて打合せ。
こんな早い時間の打ち合わせになったのは、マンダレーに住むアウンミンさんの予約した飛行機が急にキャンセルされ、やむなく、お昼頃にヤンゴンを出発する飛行機に変更したためである。
ミャンマーでは、以前より減ったとはいえ、国内線の飛行機は突然の時間変更やキャンセルと言ったことが起きる。
そういう意味でも、私は最近はネピドーへは専ら車で往復することが多いのだが、以前、別の理由でこちらがキャンセルしたのだが、ネピドー行きの飛行機を予約しようとして、通常の倍という値段のフライトがあると聞かされた。なぜ、同じ路線で2倍?と聞くと、運行保障、即ちキャンセルはありません、という答えが返って来てびっくりさせられたことがある。
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<停電対策の発電機が不可欠>

アウンミンさんとの話を終えて、ホテルに戻り、日本財団から出張して来ていた中嶋職員と昼食を取りながら打ち合わせ。しかし、この時にビールを飲んだのがいけなかったのか、午後になると再び腹具合がおかしくなって来た。
私の取柄は身体が丈夫なことで、アジアは勿論、アフリカへ行っても腹具合が悪くなると言うことはめったになかったのだが、ここ、ミャンマーだけは例外らしく、時に腹を壊すことがある。ミャンマー料理特融の植物油の大量使用によるものではないかと思っているのだが、単に、年を取っただけかも知れない。
いずれにせよ、アウンミンさんとの話を踏まえて、急遽、お願いして実現した西垣さんとのミーティングは夕食時間が近づいてはいたが、食事抜きのものにさせてもらった。
西垣さんとの打ち合わせの前に、ミャンマー通の我妻さんと会い意見交換。いつもながら、彼の話はとても面白く、参考になることが多い。
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<「とくとくや」?ユニークな日本語の看板がミャンマーには少なくない>

08時 ホテル出発
08時半 アウンミン医師らと障害者マッサージ打合せ
10時 中嶋君
14時半 我妻さん
17時半 西垣さん
記者懇談会無事終了 [2014年04月25日(Fri)]
4月25日(金曜日)
今日は、記者懇談会の日。
朝5時に起きて、再度、今日のミャンマー語での短いスピーチに備えて、ホテルの部屋で発音練習をして過ごす。記者懇談会1が始まるのは11時15分からの予定だが、会場の下見のために10時半に会場に行ってみると、日本財団のスタッフらが準備を終えて待っていた。
日本財団の担当者として会場の準備や、スピーチ原稿の翻訳の手配、現地メディアとの連絡などを一手に引き受けてくれたのは粟野さん。彼女によれば、21社から参加の返事があり、約30人の記者が来る見込みという。(結果的には、29社から43人の記者が来てくれた)
最前列には、準備の段階から色々協力をお願いしていたエルウィンさんらも早くも座っていた。そのうち、今日の記者懇談会の後で発表する障害のある大学生を対象にした奨学金事業の現地パートナーであるミャンマーエイペックス銀行のオーナーであり、ミャンマーの有力財界人の一人でもあるチッカインさんも来てくれた。
こうして、記者懇談会が始まった。
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<記者懇談会は私のミャンマー語での短い挨拶から>

今回の記者懇談会の主たる目的は、ミャンマーの地元メディアに対し、日本財団のミャンマーにおける支援事業の全体像を理解してもらうこと。というのも、昨年の笹川会長の、「ミャンマー国民和解担当日本政府特別代表」就任以来、日本財団の活動は現地のメディアに記事として登場することが増えているが、どちらかというと、この少数民族問題絡みの記事としてのことが多い。しかし、日本財団は、それ以外の分野でも、特に民主化のプロセスが本格化した過去3年ほどの間に活発に活動している。その辺りのことをしっかり理解してもらおうと考えたのである。
地元の記者に当方の情報が正確に伝わるようプレゼンテーションは2部構成とし、先ずは、私が総論を15分ほど話す。私の話は、冒頭の短いミャンマー語の部分は別として、英語で具体例も交えて話すことにした。そして、そのスピーチは全文を、予めミャンマー語に翻訳しておき、その場で配布することとした。その代り、私の英語をミャンマー語に訳す通訳は無しである。こうすることで、時間の節約になる上、現地のジャーナリストは私のスピーチの内容を書き取る必要が無くなる。なにより、こうすれば書き取り時の間違いを防止できるだろうと考えたのである。
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<終わった後もテレビのインタビューを受ける>

第二部では、ぐっと趣向を変えて、日本財団が手がける事業のパートナー自身に登壇してもらい、スライドを交えて、ミャンマー語でプロジェクトの現場からみた視点で、事業の紹介をしてもらった。
選んだ事業は3つ。イヤワディー州での学校建設と、ミャンマー式伝統医薬品の日本の置き薬方式による全国配置事業、そして、ASEAN障害者芸術祭などMILI(ミャンマー自立生活運動)と組んでの障害者支援事業である。
イヤワディー州での住民を巻き込んだユニークな学校建設事業は、日本人の責任者である平野さんが堪能なミャンマー語で話し、置き薬事業はスタート時のミャンマー保健省伝統医療局長で今は日本財団のミャンマー事業のアドバイザーであるティンニュントさんにお願いした。障害者事業はMILIの代表である盲人のアウンコミンさんが登壇した。
3人のプレゼンテーションをもって記者懇談会は終了したが、引き続いてミャンマーで初めての、障害者大学生に対する奨学金事業についての記者発表を行った。私の短い英語により説明の後、現地パートナーであるミャンマーエイペックス銀行のチッカイン会長らが登壇し新制度を紹介した。
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<一番注目を集めたのは障害者のグループMILI?>

記者懇談会とその後の記者発表では、私以外のプレゼンテーションはミャンマー語のみで通したのだが、会場に集まった記者は日本をはじめ外国系のメディアも現地ミャンマー人記者が中心だったので、言語上の問題は余り無かったと思う。ミャンマーでは、一般に、通訳のレベルが余り高くないので通訳を入れずミャンマー語を中心にするこのような方式も、時間の効率的な使い方という点ではメリットがあると思う。
記者懇談会と記者発表が終わると簡単なスナックで懇談の場を設けたが、それぞれの事業に興味を持った地元の記者が登壇者のところに集まり、追加質問する姿が見られた。私の所へはテレビ局がやって来たのみ。
その後、判明したところによると、この日の記者懇談会と記者発表関連で全部で13本の記事が書かれた。総てがミャンマーの現地メディアによるものだが、その内訳は、障害者関係5本、学校建設関連3本、伝統医療関係3本、少数民族関係2本であった。少数民族関連では一つ、殆ど捏造と言って良い記事が出たのは残念なことであったが、、、。
後日、ある会合に参加したティンニュントさんによると、何人もの人からこの日のプレゼンをベースに書かれた記事についての話題が出たという。日本財団の広範囲な支援事業についての地元メディアの理解が進んだとすれば、この懇談会は一応は成功だったと言えるだろう。

10時半 会場下見
11時15分 記者懇談会
14時 間遠ヤンゴン事務所所長
朝3時の出発でネピドーへ日帰り [2014年04月24日(Thu)]
4月24日(木曜日)
今日は、深夜2時半に目覚まし時計のベルの音で目を覚ます。この日に備え、昨日は8時ころに眠りに就いたので余り眠くない。
来年1月にヤンゴンに開設すべく準備を進めている義肢装具士養成学校に関する保健省との覚書の調印式のために、これから陸路でネピドーへ向かうのだ。
昨日、ヤンゴンに到着後、ティンニュントさんに調印式が繰り上がり8時からになったと聞かされたのだが、元々は、恐らく午後一番くらいの時間になるだろうということだった。そこで、彼と相談の結果、飛行機ではなく車での日帰りとし、そのための車も準備してもらっていた。それなら、早朝に出発すれば十分間にあう。しかし、こんなに早い時間に現地に到着するためには、朝3時過ぎに出発しなければならない。
ネピドーを経てヤンゴンとマンダレーを結ぶミャンマー唯一の高速道路では、不慣れな運転手がスピードを出すために、最近、死亡事故が多発している。特に、夜間は危険ということで暗い時間の走行は避けたいのだがやむを得ない。
424breakfast.jpg
<これが途中のドライブインで摂った朝食>

ホテルを3時15分に出発して、途中でティンニュントさんの自宅に立ち寄り、彼をピックアップ。調印式に出る筈のExceedのミャンマー代表のマイクさんの姿が見えないので不審に思って尋ねると、彼は別の車で昨日のうちに出発してネピドー泊。現地のホテルで落ち合う手はずだとか。
そんな訳で、ティンニュントさんと運転手の3人だけの深夜ドライブとなった。てっきり、車の中で眠るのかと思ったが、彼は元気一杯。様々な話をしながら一睡もせず、いつも立ち寄る115マイル地点のドライブインで朝食。
結局、ネピドー着は7時半。マイクさんが泊っているホテルで合流、一緒に保健省に向かう。元々は、ペテッキン保健大臣立会いのもとでの調印を想定していたのだが、大臣の都合で調印式は担当局長らと済ませ、大臣とはその後、別途時間をもらって会見することに。
調印式そのものは8時過ぎに無事終了したのだが、その後の大臣との会見がなかなか始まらない。緊急のミーティングが入ってしまい、何時になるか分からないという。
そこで、我々は一旦、ホテルに引き揚げ保健省からの連絡を待つことになった。
424MoU.jpg
<調印を終えて記念撮影>

私はこの時間を利用するうまいことを思いついた。それは、昨晩寝床で急に考えたことなのだが、明日の記者懇談会で私が話す挨拶の冒頭の部分をミャンマー語で喋ることとし、そのための短い文章の翻訳をティンニュントさんにお願いするのだ。
幸い、彼は気安く引き受けてくれ、暫くすると、ミャンマー語訳が出来上がった。しかし、ミャンマー文字初心者の私にとって、彼の手書きの文字は難解だった。
ただでさえ複雑なミャンマー文字なのだが、それをたどたどしく読んでいたのでは聞いている方に意味を伝えることは無理だ。そこで、思い切って、彼の手書きを文字を総て自分の字で書き直した。ところが、それでもスピーディーに読めない。結局、全文の発音をカタカナ書きすることに。幸い、保健省からの連絡はなかなか来ない。大臣との面談が後ろにずれたので待機時間を利用して、あれやこれやと四苦八苦しながらスピーチ原稿を完成させることが出来たのは幸いだった。
昼休みに近い時間になって漸く、保健省から連絡があり、大臣の時間が午後一番になったという。3人揃って駆けつけ、調印のお礼とともに、救急車用中古車両の寄贈計画や、伝統医薬品の置き薬配布事業の促進や、モニタリングの件など懸案の問題につき説明し、大臣としての対処を要請することが出来た。
帰りの車の中では明日のスピーチの練習。ティンニュントさんに発音指導を受ける。そのうち、さすがに疲れたのか、ティンニュントさんはうつらうつらしていたが、私は必死で一人練習を続けた。
ヤンゴンのホテルに戻ったのは夕方の7時。明日に向けて更におさらいをしておこうと思ったが、睡魔に襲われて沈没。
529train.jpg
<ヤンゴンの列車、車の代わりに列車でネピドーへ行ける日が来るのはいつのことか>

03時15分 ホテル出発
07時30分 ネピドー着
08時 MSPO調印式
13時 保健大臣面談
14時 ネピドー発
19時 ヤンゴン帰着
空港へのタクシーで大もめ [2014年04月23日(Wed)]
4月23日(水曜日)
今日はバンコク経由でヤンゴンへ向かう日。明日、ネピドーで保健大臣との調印式に出席せねばならないからだ。こちらで、フィリピン義肢装具士養成学校の謝恩会に出席する立石職員を残し、私は一人、空港に向かうことにした。
ところが、空港へのタクシーでトラブルに巻き込まれることになった。昨日のうちに、空港へのタクシーをホテルで予約していた。私は、海外ではどの国でも、基本的にこの方式である。こうしておけば、不良運転手のタクシーに出くわす心配も無くなるし、ホテルの利用料と一緒に予め代金の支払いを済ませておけるので、現金を持ち歩く必要も無く安全だ。
ホテルの支払いを済ませて外に出ると、ボーイたちが私の荷物を小型の白いタクシーの後ろのトランクに積み込み終わったところであった。荷物の数を確認して出発。幸い、道路の混雑も大したことは無く、予定の時間に空港に到着sることが出来た。ところが、空港に着いて荷物を下ろし、運転手にチップを渡して立ち去ろうとしたところ、タクシーの運転手が喚きだした。
423taxi.jpg
<このタクシーと大揉め>

てっきり、チップが少ないと文句を言ってるのかと思ったら、そもそも、料金をもらっていないというのである。暫く、チンプンカンプンなやり取りをして気が付いた。私がホテルで予約したホテルタクシーではなく、たまたま、ホテルで客待ちをしていた一般のタクシーにボーイが間違えて私の荷物を積み込んだようだ。
そこで、私は運転手を制止しながら、携帯電話を取り出してホテルのフロントに電話し抗議した。ホテル側は、「それは、申し訳ない、ホテル側の手落ちなので、運転手にホテルに来てもらって代金を払うから電話を代わって欲しい。貴方は彼に支払う必要は無い」という。
これで、一件落着だと思い、運転手に私の携帯電話を渡した。ところが延々タガログ語で議論している。こちらは、最初は飛行機の出発まで十分時間があるので悠々と構えていたのだが、いつまで経っても電話が終わらないので苛立って来た。第一、日本から持って来た国際携帯なので電話代も馬鹿にならない。
漸く、彼が携帯を渡したので、電話に出ていたホテルの係に何事かと尋ねると、タクシーの運転手は、私から代金を受け取ることを主張して引き下がらないのだという。私が、それはホテル側が、彼に空港とホテル間の往復分の料金を払えば済むことではないかと尋ねると、ホテル側はそれを提案しているのに、運転手は「嫌だ」と聞かないのだと言うのだった。
423jeepny.jpg
<ジープニーも健在>

私は、それならこちらでメーター分を払っておくから、ホテルにその分を弁償してもらいたいと言うと、ホテルはそれは出来ない。直接運転手に払っても、ホテルとしてはそれを私に払い戻すことは出来ないという。それでは、運転手が納得していない以上、暴力沙汰になりかねないと言うと、ホテル側は最寄りの事務所から係を派遣するからそれまで待てという。
そこで、通りかかった空港のガードマンに警官を呼んでもらうようたのんだ。暫くしてやって来た警官に仲裁を求めると、運転手を諌めるのではなく、驚いたことに私が運転手に代金を払うべきだという。
運転手はそれ見たことかと手を出す。ホテル側が言う係官が来るのを待とうかとも考えたが、いつになることやら分からない。これでは、飛行機に乗り遅れないとも限らない。そこで、業腹だが彼にタクシー代を払うことに腹をくくる。タクシーメーターが示していたのは300ペソ足らず。そこで、釣りはいらないと300ペソを渡すと、何と、口論しているうちに30分以上時間が経ったからと、ロス時間分の稼ぎ代も含んでと、700ペソを要求して来た。あっけにとられながらも、結局、500ペソを払うことにした。すると、驚いたことに運転手が握手を求めて来た。何なのこれは?前回は、ヤンゴン空港ででおつりが無いと言ってタクシーと揉めたことを思い出した。タクシー侮るなかれ。
バンコクで乗換え、ヤンゴンに到着。早速、明日の予定につき、ティンニュント博士と打合せ。ネピドーでの調印式の予定が繰り上がり、午前8時からに決まったとのこと。そのためには、朝3時にホテルを出発せねばならない。今日は早く寝ないと。

10時 ホテル出発
13時05分 マニラ発
15時20分 バンコク着
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
UERMMMC卒業式 [2014年04月22日(Tue)]
4月22日(火曜日)
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<UERMMMC卒業式に集まった人々で広い会場も一杯>

朝6時半という早い時間に、我々の泊まっているホテルに迎えの車がやって来た。卒業式の会場となった国際会議場までは、一時間足らずの距離なのだが、マニラも朝夕のラッシュアワーは時にとんでもない渋滞に見舞われることがある。そのために、余裕を見ての車の手配なのだ。しかし、今朝の道路は渋滞も無く車の動きはスムーズ。結局、7時半までには会場に着いてしまった。
講堂の上の階にある控室でExceedのメンバーを見つけた。カーソン代表の奥さんのオードリーさんもいる。
卒業式の開始時間である8時までには、まだ随分時間があるのだが、広大な国際会議場には次々と人がやって来る。UERMMMCの評議会議長でフィリピン財界の大物のルシオタン氏の姿も見える。フィリピンで2番目にお金持ちだと言われている超有名人である。
大学のコーラスによる国歌の斉唱を合図に、大学旗を持った旗手が入場、その後に、卒業生が続いて入場して来た。
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<厳かに卒業式が始まった>

今日の卒業式は、ユニバーシティー・オブ・ザ・イーストのラモンマグサイサイ記念医学系の合同卒業式なので、医学部を始め、看護学部、理学療養学部、義肢装具士学部の4つの学部と大学院の修士、博士課程も加わり、卒業生は全部で何と450人とか。このうち、肝心の義肢装具士学部の卒業生は8人のみ。
式が始まった。学長やルシオタン氏を始めとする来賓の挨拶の後、学位証書の授与。これが面白いことに、一人ひとりが名前を呼ばれるとステージ上に上がり、学部長から証書を授与されるのだが、なんと家族も一緒。両親が多いようだが、中には、兄弟や子供の姿も。ユニークだが、心温まる卒業式であった。
卒業式の後、義肢装具士学部の卒業生たちと会ってお祝いを言うことが出来た。今は8人と最少部隊だが、彼ら一期生の今後の活躍によって、これからフィリピンでも義肢装具士という分野を志す人が増えて行くことだろう。
夜は、国連平和大学のデュアルキャンパスプログラムや障害者公共政策大学院(IDPP)など、様々な事業で日本財団がお世話になっているアテネオデマニラ大学クルス副学長と立石職員の3人で夕食。
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<義肢装具士養成学科の初の卒業生たち>

06時半 ホテル出発
07時半 Exceedカーソン代表
08時 UERMMMC合同卒業式
18時15分 アテネオデマニラ大学クルス副学長
マニラで打合せ [2014年04月21日(Mon)]
4月21日(月曜日)
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<近代的なマニラの街並み>

一ヶ月振りの出張は全部で2週間。フィリピン、タイ、ミャンマー、カンボジアに加えてスリランカまで、5カ国を巡る。しかも、スリランカは、一旦出て再び入り直すという長い行程だ。
最初の目的地はマニラ。フィリピン義肢装具士養成学校(PSPO)のあるユニバーシティー・オブ・ザ・イースト(東洋大学?)ラモンマグサイサイ医学系キャンパス(UERMMMC)の卒業式に参加するのが目的。
このPSPOは、義足作りの専門家集団であるExceedの指導と日本財団の財政支援で4年前に始まったフィリピンで初めての国際基準に則った3年制の義肢装具士養成校。フィリピンでも最大規模の私立大学であるユニバーシティー・イーストの医学系学部の集合体であるラモンマグサイサイ医学系(UERMMMC)は、我々の提案を歓迎し、医学部や、看護学部、理学療法学部などに続く、4番目の新たな医学系の学部としての位置付けを与えてくれたのだ。
朝9時、成田からマニラ行きの便に乗り込む。日本財団で義肢装具士養成学校事業を担当してくれている立石職員も一緒だ。
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<一方で、昔ながらの路上の物売り>

午後1時過ぎ、マニラに着いてホテルにチェックインした後、少し時間があったので、ホテルに隣接するショッピングモールを覗いてみた。
現アキノ政権になってからフィリピン経済は好調を取り戻し、今は、消費ブームが生じているという。確かに、モールの中は沢山の人が出て賑わっていた。出張の際にいつもモールを覗く時間がある訳ではないので、前回、行ったのが果たして何年前だったか良く分からないが、確かに、その時は閑散としていたような記憶がある。
その時の雰囲気と比べると、とても活気があるような気がするののだが、気のせいだろうか。たこ焼きを売っていたので近づいてみると何故か、Takuyakiとなっていたのはご愛敬か。
午後4時半 Exceedのカーソン代表が評議員会議長のジョンフィスク博士と一緒に来てくれた。ホテルのロビーで打合せ。
夜は、共同通信マニラ支局三井支局長と立石君の3人で食事。
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<なぜか「タクヤキ」>

09時35分 成田発
13時15分 マニラ着
16時半 Exceedカーソン代表
18時半 共同通信マニラ支局三井支局長
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