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大野修一(日本財団)
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私の嫌いな直行の夜行便での帰国 [2014年03月22日(Sat)]
3月22日(土曜日)
金曜日の夜10時にヤンゴンを飛び立ったボーイング767型機は、朝6時半の成田空港に無事到着した。私の一番嫌いな、アジアの夜行便での帰国であった。
現地との時差が2時間半あるので、フライト時間は6時間弱。機内では、食事は朝食も一切断って眠ることに心がけたのだが、これでは十分な睡眠をとることは出来ない。
こうして今年5回目の出張が終わった。10日間の出張。やれやれ。

06時45分 成田着
ワークショップ終わる [2014年03月21日(Fri)]
3月21日(金曜日) 
320DiBworkshop2.jpg
<障害者ビジネスワークショップの2日目の会場>

障害者ビジネスワークショップの2日目。最初の発表者は、バンコクに住む盲人ビジネスマンで元タイ盲人協会会長のペチャラットさん。2日間の10人の発表者中、最年長でもある。
彼は、ビジネスマンとして成功し、不動産やホテルなどいろんな企業を所有しているそうだが、盲人の雇用促進に熱心で以前から盲人マッサージクリニックを経営して来た。日本財団がタイ保健省を支援して始めた、盲人のマッサージ師の国家資格取得問題でも、盲人社会の重鎮として熱心に活動して来た。今は、自らが設立したタイ盲人雇用促進財団の理事長としても活躍している人でもある。
彼は、自らは目が見えないにもかかわらず、スライドをうまく使って、自分の人生を振り返ると共に、自分の信条と盲人の雇用促進の面で行って来た活動について説明した。
その後、カンボジア人の盲人女性で、プノンペンでマッサージクリニックを経営しているニガさんが、自らの経歴と、マッサージクリニックを経営する上での苦労を語った。
321MILI.jpg
<タイで車椅子を作る実業家のヴォラユートさんは自らが車椅子>

今は、訛りのない非常に美しい英語を話す彼女だが、実は17歳まで殆ど教育らしい教育を受けたことがないという。20年ほど前にプノンペンに出来たミッション系のNGOで教育訓練を受けたことがきっかけとなって、日本政府の招きで日本式の指圧マッサージの専門訓練を受けて帰国。今は、カンボジアの盲人マッサージ界のリーダーとして活躍している。日本財団も一時、彼女の活動を支援していたこともあって私自身懇意にしている。
最近は、そのNGOの要請で南スーダンにまで指導に出かけており帰ったばかり、という彼女のキャリアーも印象的だったと思う。
その後、タイの車いすなどの事業を行っている自らも車いすユーザーである実業家のヴォラユートさん、カンボジアのDBICのラミートとボレート君、MILI代表のネイリンソーさんと発表が続いた。
320DiBstudents.jpg
<最後列の席で熱心に傍聴するMILIの障害者研修の参加者たち>

会場の最後列では、第2日目の今日もMILIの障害者研修の参加者たちが熱心に傍聴していた。当初は初日一日だけの予定だったが、参加者たちの要望で、急遽、第2日も傍聴することに変更したのだとか。
私は、ゲストたちの発表が一通り終わったところで、会場の片隅でアウンコミンさん達と盲人マッサージ事業などの打合せを慌ただしく行い、挨拶もそこそこに会場を辞し、自分のホテルに戻ったた。
今夜10時発の夜行便で帰国しなければならないためである。急いで、荷作りを済ませ、ホテルの前からタクシーに飛び乗った。空港までの代金は、9000チャットと確認して乗ったのだが、飛行場について5000チャット札を二枚出して1000チャットのお釣りをもらうとすると、運転手は澄ました顔でお釣りが無い、と言い張る。時間もなかったので、やむなく、1万チャットを払うはめに。これだから、ホテルからタクシーに乗るのはいやなんだ。ただ、大きい荷物を持って、道路の反対側へ渡ることは出来ない。「よーし、今度からは、絶対、お釣りを用意するぞ」

09時 ワークショップ
18時45分 盲人マッサージ事業打合せ
19時半 ホテル出発
22時10分 ヤンゴン発
障害者ビジネスワークショップ始まる [2014年03月20日(Thu)]
3月20日(木曜日)
今日は、障害者ビジネスのワークショップの日。朝8時、私は徒歩で5分ほどのところにある別のホテルに向かった。ファシリテーターをお願いしているトマスさん、ウィリーさんと合流。そして、タイ、カンボジア、ベトナム、マレーシア、フィリッピンの5カ国から来てくれたゲストたちに挨拶。バンコクにある障害者支援機関APCDから駆け付けてくれた二ノ宮さんや佐野さんたちの姿も見える。
今回のワークショップは私がMILIに開催を提案したのだが、それは彼らがこれから、日本財団が寄贈した中古の福祉車両6台を利用してタクシービジネスを始めることや、インキュベーションセンターを使ってITなどの分野でビジネスをしていくことになるからだ。また、MILIの呼び掛け人の一人で、最近、ミャンマー盲人協会の会長に就任したアうンコミンさんらと進めている医療マッサージもある。
320DiBworkshop.jpg
<障害者ビジネスのワークショップが始まった>

東南アジアの周辺国で、障害がありながら自らビジネスを行い自立している人達に来てもらって、彼らの経験談を聞いてもらおうと言うのがその目的だ。私が、日本財団の活動を通じて知り合った人を推薦したので、結果的に、殆どの招待者とは旧知の間柄である。
そうこうするうちに、ワークショップが始まった。
ワークショップ初日の最初の発表者は、マレーシアの盲人で自らソフトの会社を経営するコンピューターの専門家のラヒムさん。次いで、ベトナム中部、ダナン市でビジネスアウトソーシング会社を運営するチャンフイマインさんが登壇、自らの経験と、障害者の持つ可能性につき熱く語ってくれた。
彼は、幼い頃ポリオにかかり左半身が不自由だが、コンピューターソフトの会社に務めたのち、独立し、自分の会社を立ち上げた。障害者雇用に熱心で、現地の大学と提携し障害者用のコンピューターコースを開講、その卒業生を採用しているという。50人の社員のうち13人が障害者だ。
320DiBMrTran.jpg
<ベトナムでビジネスアウトソーシング会社を運営するフイマンチャンさん>

チャンフイマインさんの後、ファシリテーターのトマスさんの会社の説明を、人事担当責任者の盲人女性マリセルさんが助手で片手が無いアンジェリンさんと登壇。マリセルさんはトマスさんの秘書から昇格して、最近、人事担当責任者になったという若いフィリピン人女性である。
彼女は大学生の時に交通事故に遭い、一命は取り留めたものの顔面を強打・骨折し、両目の視力を失った。
一時は自殺ばかり考えていたという彼女だが、トマスが在宅で働ける秘書を探している、能力さえあれば障害者でも歓迎する、という広告に気づき応募して採用された、という経歴の持ち主である。
目が見えなくても、秘書として働けるどころか、さらに出世までしたという彼女の話は、会場に集まっていた多くの人に感銘を与えたと思う。
招待者らのスピーチの後は質疑応答。その後は、レセプションとなった。
私は会議の間中、最高列で傍聴していたMILIの障害者研修の若者たちに感想を聞いてみた。すると、真剣な面持ちで本当に勇気づけられる、という声が返ってきた。
320DiBMriecell.jpg
<トマスさんの会社の人事担当のマリセルさん>

08時 ホテル出発
08時半 事前打合せ
09時 ワークショップ開始
18時 レセプション
障害者ビジネスワークショップの打合せ [2014年03月19日(Wed)]
3月19日(水曜日) 
朝9時半、ホテルに間遠所長がメームさん運転の車で迎えに来てくれる。一緒に出発、ミャンマーエイペックス銀行へ。奨学金事業担当のジンさんに迎えられる。彼女はシンガポール国立大学のリークアンユー行政大学院を卒業して,今はこの銀行で働く若い韓国女性だ。
奨学金募集のための広報戦略について相談。来月、ヤンゴンで日本財団が行う記者懇談会の場で、記者発表をすることで合意。
奨学金事業のパートナーの一員であるMILIのユヤトゥさんが来る筈なのに、姿を見せないので我々だけでポスターデザインなどの説明を受けているところへ、遅れてユヤトゥさん登場。道路の渋滞で遅れてしまったのだとか。
319newHotel.jpg
<ヤンゴン市内は、ホテルやオフィスビルの建設ブーム>

その後、ホテルに戻り、間遠所長と昼食を取った後、メームさんの運転する車で、1時前にホテルを出発して、明日からの障害者ビジネスワークショップにファシリテーターをお願いしているトーマスさんが宿泊している別のホテルへ。
今日は道路の渋滞が特にひどく、途中でスタックしてしまった。その為、私をホテルに送ってから事務所に戻ることにしていた間遠所長は急遽、車を降りて、反対側の車線でタクシーを拾って事務所に戻ることに。
そのまま、メームさんの車で目的地のホテルに漸く到着した私は、トーマスさんと無事落ち合うことが出来た。トーマスさんには、プノンペンの障害大学生のためのビジネスインキュベーションセンターで行う予定の英語教育をお願いしている。
318technologyJapan.jpg
<ヤンゴン市内のホテルで見かけた日本メーカーの便器>

元々は2時半から、明日と明後日に開催される障害者ビジネスワークショップの段取りに付いてMILIの幹部たちも入れて打合せをすることにしていたのだが、彼らも渋滞に巻き込まれたとかで中々姿を見せない。そこで、インキュベーションセンター運営に関して色々相談に乗ってもらうことに。
その後、漸く30分以上遅れて到着したネイリンソウさんやアウンコミンさん、ユヤトゥさんらMILI幹部にトーマスさんの友人で銀行マンOBのウィリーさんも加わり6人で、ワークショップについて打合せを行うことが出来た。
夕食の時間になったのでMILI幹部にも誘ったのだが、彼らは明日の準備があると言うので、私はトーマスさんとウィリーさんの二人だけを誘ってレストランへ、ミャンマー料理で夕食会。
316streetvender.jpg
<道端の八百屋さんではミャンマーの野菜が並ぶ>

09時半 ホテル出発
10時 MAB銀行
12時45分 ホテル出発
14時 ヤンゴンホテルトーマスさんと打合せ
15時 MILI幹部とワークショップ打合せ
18時半 夕食会
日本財団の新しいヤンゴン事務所を訪問 [2014年03月18日(Tue)]
3月18日(火曜日) 
朝10時、ホテルの前の大通りを反対側に渡り、そこからタクシーを拾う。これが、ホテルからタクシーで出かけるときの私のやり方。わざわざ、反対側に渡るのは、二つの理由から。
先ず第一に、その方が、大回りしなくて済むから時間の節約になること。私が定宿としているホテルは、ヤンゴンの古くから開けたイヤワディ川に近いダウンタウンにあるので、そこから出かける時は、川とは反対側の北側に向けて出掛けることが多い。
その場合は、ホテルの正面出口からタクシーに乗ると、タクシーは先ず反対向きに南側に向かって走り、その3ブロックほど先のロータリーをぐるっと回って、ホテルの前の大通りに戻り、ホテルの向かい側の車線を北上する、ということになる。この間、時間にして5分ほどだが、渋滞が酷い時にはホテルの前まで戻って来る間に、10分どころか、20分、極端な場合には、30分近くかかってしまうこともある。
318workshop.jpg
<選抜されてヤンゴンに集められた若者たちが研修中>

もう一つの理由は、ホテルで待機しているタクシーは空港行きのお客さんを狙っているので、市内の移動に対しては吹っかけて来ることが多い。反対側に渡って、流しのタクシーを拾う方が値段はずっと安くなる。
さて、今日はタクシーで日本財団ヤンゴン事務所の間遠所長が滞在しているホテルまで移動。そこで、間遠所長と合流。メームさんの運転する車に乗り換えて空港に行く途中にあるレストランへ。
そこで、林業省の出身の実業家、ウィンアウンさんたちと合流。彼は、農業専門家で我々がカレン州で行おうとしている薬草栽培支援事業を手伝ってくれている。ウィンアウンさんと、一緒に待ってくれていたのは保健省OBのティンニュント医師。4人で、農業事業について協議したあと、昼食を取った。
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<手を上げているのは大学生たち、約半数が大学生だった>

その後、私はメームさんの車でMILIが主催して進行中のミャンマー全土の若手障害者に対するリーダーシップ研修の現場へ、そこでは、4つの州から選抜されてヤンゴンに集められた15人の若者たちが女性のインストラクターのもとで、研修中。
一区切りついたところで、私が前に出て、この研修のスポンサーである日本財団の概要と、この研修に対する期待について話した。
また、日本財団のその他の障害者支援事業について説明、日本財団としての障害者に対する基本的な考え方について述べた。特に最近力を入れて取り組んでいる、障害者の経済的自立促進に向けての事業であるインキュベーションセンターや、今度始める大学生に対する奨学金事業について説明。
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<ヤンゴンの歩道がでこぼこだらけ、障害者にとって移動は困難>

と言っても、大学まで進学している若者がどれくらいいるのか気になったので聞いてみた。すると、何と彼らの約半数が大学生だった。そして、その後は、質疑応答。
今週末に行う障害者ビジネスワークショップについても話した。研修担当のMILI幹部として付き添っていたユヤトゥさんによると、彼らも折角の機会なので当初の予定を変更して初日の会議を傍聴することにした由。
あれやこれやと話しているうちに、1時間半も経ってしまったので、慌てて研修会場を失礼して、今度は日本財団が引っ越したばかりの新しいオフィスに向かった。日本大使館のすぐ隣という一等地に経つ新しいビルの1階にある。これまでのオフィスと比べて大幅に大きくなったが、これは、今後、日本政府と協力して旧反政府少数民族支配地域での住民支援を本格化させるため、多数の要員とスペースが必要になって来ることを見越してのもの。
318newoffice.jpg
<日本財団が引っ越した真新しいオフィス>

10時 ホテル出発
10時30分 ウィンアウンさん
14時 MILIリーダーシップ研修
16時 日本財団ヤンゴン新事務所訪問
MILI幹部と打合せ [2014年03月17日(Mon)]
3月17日(月曜日)
10時前にホテルを出て、歩いてエルウィンさんの自宅へ。ホテルから歩いて10分ほどの便利な場所なだ。大きな敷地に立派な木造の二階家が建っている。
その一階は息子さんが経営する「Gallery65」と言う名の美術ギャラリーになっている。今日も何やら美術展が進行中。ふと覗いてみると、そこにいたエルウィンさんが息子さんと一緒に立っていて、私も招じ入れられた。
エルウィンさん親子と一緒にいた50歳代の温厚そうな男性を紹介される。ミャンマーの有名な現代画家でブックデザイナーとしても活躍しているミンマウンチョーさん。ラッキーなことに丁度、今日が三日間の展覧会の最終日だという。
317artgallery.jpg
<「Gallery65」の入り口には花が咲き乱れていた>

折角の機会なので、打合せをする前に、ミンマウンチョーさんの作品を見せてもらうことにした。今回の展示は彼がこれまで手掛けた本のカバーデザイン。彼が描いたそれらの原画が、出版物となった本と一緒に展示されていた。
非常にセンスの良い、美しさと力強さを合わせ持ったモダンなデザインに感心させられた。中には、軍事政権下に発禁になったものも含まれているという。
そういうものの一つだろう。社会主義や共産主義、資本主義などの文字が刻まれた沢山の鎖が重く描かれた絵の前で彼の写真を撮らせてもらった。
英語が出来ないので直接、彼自身の話しを聞かせてもらうことは出来なかったが、軍事政権下の厳しい言論統制という制約のギリギリのところで芸術活動をして来た人のまなざしが印象的だった。
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<ミャンマーの有名な現代画家のミンマウンチョーさん>

エルウィンさんの打合せは、今日はいつもの彼の家の2階の居室ではなく、道路を隔てて反対側のビルの中にある彼のNGOの事務所で行った。
ミャンマー外務省のASEAN局長OBで今は、欧米系の様々なNGOのミャンマー代表として、環境問題を中心にした仕事をしているエルウィンさんなので、自分の事務所にスタッフを抱えているのだ。
NGOや事務所のことは知っていたが、私にとって事務所の訪問は初めて。顔なじみのサンディーさんや、数年振りに会うオンジョーさんらの他にも数名の人たちがいて、とても賑やかだった。
会議室で、来月に予定している日本財団のミャンマー事業を説明する記者懇談会について打合せ。通訳の時間を省き、効率的に進めるため、事前に私のスピーチをミャンマー語に訳出し印刷して配布する方針などを説明。賛同を得る。他にも、色々、アドバイスをもらった。
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<頭にものを乗せて運ぶ女性たち、ミャンマーの田舎では良く見かける光景だが、これはヤンゴン市内>

一旦ホテルに帰った後、午後4時からはミャンマー自立生活運動(MILI)の本部で打合せ。MILIは今、ミャンマーで一番活発に活動している障害者団体。その中心にいるのは、アウンコミンさん、ネイリンソーさん、ユヤトゥーさんら、日本語と英語を話す、若手の障害者3人組だ。
彼らとは、20日から始まる障害者ビジネスのワークショップについて段取りの打合せ。さらに、来月に予定している日本財団のミャンマー事業を説明する記者懇談会について打合せ。一般説明の後、彼らの活動を10分ほど別枠を設けて、彼ら自身の口で紹介してもらおうと考えていることを告げて協力を求めたところ、快諾を得る。
また、同じくその記者懇談会で発表することになった障害者大学生に対する奨学金事業について、パートナーとしてゼロ金利の特別融資を供与することになったミャンマーエイペックス銀行との合意事項を説明、MILIとしても協力してくれるよう頼んだ。
317FrixionPen.jpg
<日本で人気のフリクションボールペンも既にミャンマー進出>

09時45分 ホテル出発
10時 エルウィンさん訪問
16時 MILI幹部と打合せ
障害者マッサージで打合せ [2014年03月16日(Sun)]
3月16日(日曜日) 
午前10時、ホテルを出てタクシーに乗る。
ヤンゴンでこの3年ほどで異常に高くなったものの一つがホテル代であるのは勿論だが、もう一つがタクシー代だ。バンコクのタクシーと比べて何倍もの値段になることも珍しくはない。しかし、私も、最近ではタクシー代金の相場も多少は見当がつくようになり、値段が高すぎると相場を言って負けさせるなど要領が良くなって来た。
一番、大事なことはホテルの前から乗らないこと。そこで今日も、わざわざホテルの前の交差点を渡り、道路の反対側でタクシーを拾って、空港へ行く道の途中にあるホテルへ向かった。
入り口では総ての車の下に、大きな鏡の付いた棒を差し込み車の裏側のチェックをしていた。ホテルでの爆弾テロ騒ぎ以来、最近はホテルのセキュリティ−チェックも厳しくなり、金属探知のゲートや、X腺検査すら珍しくなくなった。
316security.jpg
<最近はホテルのセキュリティ−チェックも厳しくなった>

ホテルのロビーで、マンダレーから駆けつけてくれたアウンミン医師が、ティンンユントさんと一緒に待っていてくれた。
彼は、ミャンマー保健省の前局長。今は、盲人用医療マッサージ教育事業の準備責任者として、そのカリキュラム作りなどを担当してもらっている。
今日は、準備事業の予算が決まったので、そのことについて当方から説明した後、今後の実施組織の構成について打合せ。各界の有識者に集まってもらって財団を設立することの得失に付いて協議。
また、応用コースで教えることになる日本の按摩や指圧マッサージに付いてのカリキュラムについて相談を受ける。その後、三人で昼食。
一旦ホテルに戻り、エヤワディー州で学校建設事業を担当してもらっている平野さんご夫妻と会う。現場での事業の進捗状況に付き、詳しい説明を受ける。彼の献身的な活躍により、順調に進行中で安心する。
その後、来月に予定している記者懇談会でのプレゼンテーションに付き色々お願いをする。
316trio.jpg
<アウンミン医師が、ティンンユントさんと協議>

10時 ホテル出発
10時半 アウンミン医師らと障害者マッサージ打合せ
15時 平野さん夫妻
間遠所長も一緒にヤンゴンへ [2014年03月15日(Sat)]
3月15日(土曜日)
朝5時半、暗い中をホテルを出て空港に向かう。日本財団ヤンゴン事務所の間遠所長も一緒だ。朝一番のヤンゴン便に乗る。
空港に着くと、間遠所長の運転手兼助手のメームさんが待っていてくれた。さあ、これから急いで地鎮祭に急行せねばならない。スーツケースを積んだまま、間遠所長も一緒にメームさんの運転で養護学校The New Worldの新校舎の建設予定地に向かった。
The New Worldというのは、自閉症やダウン症の子供たちのためにヤンゴン最大の私立小児科病院であるパラミ病院の院長であるテインアウン医師ら、ミャンマー医師会の有志が病院の敷地内に設立した養護学校である。
それまで、ヤンゴンにはこのような子供たちのための本格的な養護学校が存在していなかったこともあって、設立すると希望者が殺到し現在の建物では収容しきれない状況になった。
その話を、日本財団の現地事業のアドバイザーで、同病院の検査部長でもあるティンニュント医師から聞かされたときには私はいったん断った。
ところが、たまたま日本財団が斡旋している遺贈案件に先方の希望条件にピッタリというものがあり、結局、その浄財1億5千万円を元手にして新たな場所に敷地を設けて3階建ての校舎を新築することになったのだ。
315sikiten.jpg
<現場に着いてみると、地鎮祭が始まっていた>

一時は、ヤンゴンYMCAから無償で土地の提供を受けるという話もあったのだが、その後、色々状況が変わり、最終的にはここの土地を購入し、そこに建物を建てることで落ち着いた。予算の制約から、建物のサイズこそ当初の予定よりは少し小振りになったが、ちゃんとした新校舎が建つことになりこうして地鎮祭に漕ぎ着けたのだった。
もっと、早く予定を決めてくれていれば、笹川会長にも同席してもらえたのだが、何しろ地鎮祭が決まったという連絡が来たのは一ヶ月ほど前。ところが、占い師に見てもらったところ、日柄が良いのはこの日か別の日の二日のみ。
どちらも、会長や私の都合とは合わないので一旦は断ったのだが、どうしても、私には出席して欲しいというので、今日ならバンコクからの移動を当初予定より1、2日早めることで対応出来ると考え、出席の返事をした。ところが、良く聞いてみると、占い師の見立ててで、式典の開始は朝の8時。これを、午後からにずらしてもらえないかと頼んでみたのだが、「お告げなので、開始時間の変更は不可」とにべもない返事。
結局、私が空港から直行すれば、式典が終了するまでには到着出来るだろうということで、折れ合ったのだ。
315ritual.jpg
<敷地の一角に設けられた祭壇でお祓い>

私のフライトのヤンゴン到着予定時刻は8時45分。9時過ぎには空港を出発して式典が始まっている筈の建設予定地に向かった。車の中で、私は8時開始と言っても、時間ピッタリに始まることは考えにくい、ひょっとすると、形だけ「お告げ」に沿う形で8時に始めたことにしておき、実質的なスタートは9時半かもしれない、とさえ考えていたのだが、到着して見ると式典は粛々と進行中。
主賓席に座る間もなく、おひねりのように小額紙幣の入った祝い米を出席者に撒くように指示され、それが終わると地鎮祭のお祓いが始まるので、敷地の一画に設けられた祭壇のようなところに行くよう求められた。
こうして、何が何だか良く分からないうちに、あちこちに案内され、色んな手順を指示されたようにこなすうち式典は終了。その後は、現地テレビのインタビューにまで答えさせられた。
総てが終わってから、メームさんの車でホテルに送ってもらった。お昼前、漸くホテルにチェックイン。

05時半 ホテル出発
08時00分 バンコク発
08時45分 ヤンゴン着
09時半 ニューワールド養護学校起工式
ESCAPササカワ賞の会議 [2014年03月14日(Fri)]
3月14日(金曜日)
朝9時、日本財団ヤンゴン事務所の間遠所長とタクシーに乗り、国連アジア太平洋経済社会理事会(ESCAP)の入っている国連コンベンションセンターに向かった。障害者インクルーシブビジネス賞(ササカワ賞)の運営委員会に出席するためである。
この会議は、元々は1月に予定されていたものだが、反政府運動による混乱を理由に賞を運営する事務局を担当するESCAP側が、延期を提案して来たために2ヶ月遅れで開催することになったもの。
確かに、途中の道路にはデモ隊の姿も無く、封鎖された場所も無い。渋滞も無く我々の乗ったタクシーはスムーズに進み、ものの30分ほどで国連コンベンションセンターの近くまで到達した。
ところが、何とコンベンションセンターの前の並木通りは封鎖されたままで、車は一台も走っていなかった。しかしよく見ると、バリケードの前に誰が書いたか手書きで「UN Only」とあり国連関係者の通行は許されているようであった。
バリケード脇には誰も立っておらず、特に入るのにチェックはなかった。こうして、我々は中に入ることが出来た。
314roadblocked.jpg
<バリケードの前に手書きで書かれた「UN Only」のサイン>

ESCAPでの会議を終えて、一旦ホテルに戻りエクシードのカーソン代表と会い、エクシードと一緒に展開中のアジア各国の義肢装具士事業について打合せの時間を持った。
元々は、彼とは前回のスリランカでの運営理事会でスリランカ義肢装具士学校の運営を中心とする中期運営方針を議論する予定であったものが、彼のお母さんの容態の急変で、彼が急遽帰国することになったため、現地での発表を校長のメアリーさんが代行したという経緯がある。
その後の、フィリピンでの事業展開と合わせて、来年以降のスリランカでの事業展開をどうするかを彼と二人だけでじっくり話し合った。
夜は、日経新聞ンバンコク支局の高橋さんらと一緒に夕食。ミャンマーでの義肢装具士学校の実習棟改修を請け負ってくれている内藤さんも加わり、ミャンマー情勢やタイの政治状況などについて、色々と話しを聞かせてもらった。
314redcross.jpg
<ホテルの前の通りには赤十字マークの野戦用救護テントが設置されたままになっていた>

09時 ホテル出発
10時 ESCAP会議
15時 Exceedカーソン代表
18時半 日経新聞高橋支局長
バンコクへ [2014年03月13日(Thu)]
3月13日(木曜日)
今年に入って5回目の出張は、いつものように東南アジア。先ず、バンコクに行き、ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)で障害者インクルーシブビジネス賞の準備会議、その後、ヤンゴンに移動し、障害者ビジネスに関するワークショップなどいくつかの行事に参加するのが目的。
当初の予定では、バンコクからヤンゴンへの移動は週末の日曜日だったのだが、あさっての土曜日早朝に繰り上げることになった。それは、自閉症などの子供たちのための養護学校である、New World Schoolの新校舎建設工事のための地鎮祭への出席を強く要請されたためだ。
来週の月曜日以降なら出席出来ると伝えたのだが、そこは日本以上に「お日柄」を気にするミャンマーのこと。一番日柄が良いのは、この土曜日なので何とか間に合うように来てくれないかという。それも、早朝7時からというので、日程的に無理だと断ったのだが、そこを何とか、と言われて朝一番のバンコク発の便でヤンゴン入りすることになったもの。
313Narita.jpg
<成田に着くと雨が降り出した>

バンコクでは反政府派は道路封鎖を取りやめたと聞いていたのだが、着いてみるとそれほど簡単ではなかった。大通りの封鎖こそ解かれてはいたが、私が定宿にしているホテルの前の公園の入り口からは篭城するデモ隊のテントや、幟やプラカードが沢山見えた。デモ隊の本部が置かれているのだとか。
ホテルの中も閑散としている。顔見知りのページボーイによると、団体客も減ったままだとか。ホテルの部屋からみると、目の前の交差点をまたぐ立体交差の道路の封鎖は解除されていなかった。
夕方、6時半。アジア太平洋障害者発展センター(APCD)所長の二ノ宮さんたちにホテルに来てもらって、明日の国連ESCAPでの会議に向けた打合せ。
その後、マニラから廻って来てくれた義肢装具士学校事業のパートナーであるエクシードのカーソンさんも交えて全員で賑やかな夕食となった。
313demo.jpg
<公園の入り口からは篭城するデモ隊のテントや、幟やプラカードが沢山見えた>

10時50分 成田発
16時05分 バンコク着
18時半 APCD二ノ宮さん
19時 Exceedカーソン代表
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