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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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コロンボ発が大幅遅れ、辛うじて帰国便に乗継ぐ [2014年02月24日(Mon)]
2月24日(月曜日)
223rain.jpg
<雨が降り出した>

夜になると雨が降り出した。雨の中を空港に向けて出発。
私が乗るバンコク行きは、深夜1時半の出発なのでそれまでは時間がたっぷりある。安心してラウンジにいるうちに、うっかり居眠りしてしまった。ふと、気が付いて時計を見ると、深夜1時を過ぎているではないか。びっくりして飛び出し、バンコク行きとの表示があるゲートへ飛び込んだ。すると、ゲートは閉まったと言われる。一瞬、乗り遅れたのかと真っ青になったが、深夜発のバンコク行きが複数あったことを思い出し、出発ゲートをチェックすると私のは別のゲートだった。
ところが、息せき切ってそちらに着いてみると 出発時間が予定より1時間半も遅れ3時発の予定と言われびっくり。
バンコクで乗り継ぐ成田便との接続時間はぴったり2時間しかない。ここで1時間半も遅れることになったら、成田便への乗り継ぎはぎりぎり間に合うかどうか。仮に間に合ったとしても、恐らく、荷物の方はバンコクに置き去りにされるだろう。
幸い、コロンボからの便は3時ピッタリに出発することになった。すると、搭乗口で呼び止められ、「荷物はバンコク止まりに変更した」と新しい荷物タグを渡される。1時半の遅れで出発できるならバンコクでの荷物の乗継ぎも、ぎりぎり何とかなるかもと期待していたのだが、これで万事休す。
バンコクに着いてみると、地上係員が私の名前のついたボードを手に待ち構えていた。「今なら成田便にギリギリ間に合うので、急いで!」と言われ、乗り継ぎ便のゲートに向かって駆け出す。
こうして、私自身は当初予定通りの便で帰国出来た。しかし、成田では未着のスーツケースを、自宅に後日届けてもらうための手続きをすることになった。
224skyliner.jpg
<スカイライナーで帰宅>

03時00分 コロンボ発
07時45分 バンコク着
08時25分 バンコク発
16時20分 成田着
日本贔屓の国、スリランカ [2014年02月23日(Sun)]
2月23日(日曜日) 
223Nippon.jpg
<NIPPONという名前の商店>

戦略会議第2日目の朝。今日はひとり徒歩で会場へ向かう。日曜日だからなのか、ぶらぶらしている人が少なくない。通りすがりの人が「どこから来たの、日本?」と話しかけて来る。物売りかと思ったが、そうでもなさそうだ。数分歩くと、また「日本人?」と声がかかる。
車に乗らずに歩いている東洋人が珍しいのか、親切心なのか、単なる好奇心なのか分からない。短時間の間に、4-5回も同じようなアプローチを受ける。治安の悪い場所なら気味悪くなるところだが、大通りに面した歩道で真昼間だ。しかも、スリランカの治安は良好である。
それにしても、なぜ「日本人?」なんだろう。最近、スリランカでは中国の進出が凄まじい。ならば、「中国人?」と聞かれても不思議ではないのだが、、、。
223Nippon2.jpg
<こちらにもNIPPONという名前が、、、>

ふと、通りの反対側にNipponという大きな看板を掲げた店があるのに気が付いた。雑貨屋さんのように見える。その先にも、もう一件。こちらは、金物屋さんのようだ。と言っても、どちらも日本と関わりのある店のようには見えない。元々スリランカは親日国である上、日本製品に対する信頼も厚い。そんなことで、店の看板をnipponにしたということではなかろうか。「日本人か」というお節介も親近感の現れということのようだ。
こうして、ホテルについてみると、人だかりがしていた。警察官も何人も出ている。警察車両だけでなく消防車らしき車も。何と会場のホテルで火災が発生したのだという。ホテルの滞在客も大事をとって全員部屋から出されており、会議室の利用も差し控えるようにと言う。そこで、やむなくロビーで待機。
223Fire (2).jpg
<会場のホテルでぼや騒ぎ>

幸い、大したことはなかったようで、30分ほど遅れただけで2日目の会議を始めることが出来た。
夕方まで熱心な議論をして、戦略会議は終了。一旦ホテルに戻り、夕方からはホテルに近くの日本料理店でセワランカ財団のハルシャ会長と落ち合う。暫くして、ラジャパクサ大統領の妹婿で大統領顧問を務めているラリット博士が現れる。彼は、日本料理が大の好物とかで食事のときはいつも和食と日本酒。
数年前に、一旦計画されながら先方の事情で延期になったままの笹川会長とラジャパクサ大統領との会見について相談する。
その後、ホテルに戻って着替えを済ませて荷造りした私は空港に向かった。
223posts.jpg
<昔、日本にも会ったような郵便ポストを見つけた>

07時45分 ホテル出発
09時00分 戦略会議第2日目
18時 セワランカ財団ハルシャ会長
23時 ホテル出発
週末のSLSPO戦略会議 [2014年02月22日(Sat)]
2月22日(土曜日)
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<コロンボからジャフナ行きの直通のバス>

朝、早く目が覚めてホテルの周りを散歩する。私の目の前にバス停がありそこに停まったバスの行き先表示を見て驚いた。コロンボ発ジャフナ行きとある。
ジャフナはスリランカ最北端にある北部州(ノーザンプロビンス)の州都。人口の9割以上が少数派のタミル人で占められているという。昨年、内戦終結後初めての選挙があり、議員の大半がタミル政党に属していたというのも当然だ。内戦当時は、スリランカ政府軍とタミル武装勢力との間で取ったり取られたりの激しい攻防戦が行われていた場所だ。私は、内戦当時と、一昨年の2回ほどジャフナを訪れているがいずれも空路でしか行ったことがない。内戦当時は、陸路で行くことは不可能だった。
丁度、今から5年前の2009年5月に、26年間続いた内戦が終結し、主要幹線路の再建、再整備が進められて来たとは聞いていたが、ついに、コロンボとジャフナの直通バスが通るまでになっていたのかと感慨深いものがあった。
222DG.jpg
<会合の趣旨と期待について熱心に語るスリランカ保健省のマヒパラ局長>

散歩から戻って朝8時半、SLSPO(スリランカ義肢装具士学校)を技術面で指導しているNGOエクシードのスリランカ代表のメアリーさんとホテルのロビーで待ち合わせ。二人でカーソンさんが発表を予定していた義肢装具士学校の長期運営プランについて話しあう。そこへ、SLSPO諮問委員会のメンバーでササカワトラストの前副会長のダヤシリさんが顔を出した。三人で今日から始まる戦略会議について雑談しているところへ電話。会議の開始にはまだ時間があるのだが、主催者であるスリランカ保健省のマヒパラ局長がお待ちかねだから早く会場に来るようにとの連絡だった。
ダヤシリさんの車で会場である近くのホテルへ移動。2階のバンケットフロアーに設けられた会議室に入るとマヒパラ局長が待っていた。9時から来ていると笑っていた。義肢装具士養成に熱心で、今回の会議を週末に行おうと言い出したのも彼である。頼もしい人だ。
マヒパラ局長と雑談するうちに時間になった。週末にも拘らず、保健省の幹部に加えて、全土の病院から集められた医師やセラピーの専門家などが集まって来た。総勢30人ほど。
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<医師やセラピーの専門家など約30人が熱心に議論する>

国歌の斉唱と、伝統的な儀式である点灯式に続いて、主催者を代表して局長が挨拶。次いで、各病院の責任者から担当地区における義肢装具士養成に対する期待と現状の問題点に関する報告が行われた。非公式な勉強会のようなものかと思っていた私は局長の力の入れ方に驚いた。
各病院の責任者によるプレゼンの後、メアリーさんが登壇。エクシードとしての将来計画に対する提案を行った。
そこで、一旦休憩。昼食を皆で取った後、午後からは、4つのグループに分かれてディスカッション。マヒパラ局長は所用があるということで退席。そこで、私とメアリーさん、ダヤシリさんの3人は、午前中のプレゼンを踏まえて、SLSPOの将来像について会場の片隅で議論。
我々の横では、スリランカの病院関係者によるグループディスカッションが進行。熱心な議論が夕方遅くまで続いた。想像以上に真面目なワークショップの第1日目が終わった。
222WS2.jpg
<ホテルの会議室前には会議を告げる看板が掲げられていた>

08時半 SLSPOメアリーさん打合せ
09時半 ホテル出発
10時 SLSPO戦略会議
13時半 昼食
14時半 SLSPO戦略会議
18時 夕食会
一日がかりでコロンボへ移動 [2014年02月21日(Fri)]
2月21日(金曜日)
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<ミャンマー式赤飯がホテルの朝食に>

朝8時、ホテルのレストランへ。思えば、今回初めてホテルのレストランで取る朝食だ。最近、私は油分の多いミャンマー料理を考慮して、ミャンマーでは朝食をパスすることが多い。今日は、これからスリランカへ移動する日。一日中、レストランで食べる機会は無い。そこで、今朝は朝食をちゃんと取っておこうと考えたのだ。
朝食ビュッフェの日替わりミャンマー料理のコーナーに行ってみると、赤飯のようなご飯がおいてあった。日本のものと全く同じ小豆の入った餅米を炊いたもの。ごま塩をふって食べるところまでそっくりだ。前回、マンダレー郊外のティンニュントさんの故郷の村で食べたものと同じだった。ミャンマー古来の食習慣としてあるものか、それとも日本軍の占領時代に日本軍が持ち込んだものがミャンマーに定着したものだろうか。
221MBA.jpg
<私立の大学の看板>

赤飯の朝食の後、少し早めだったがホテルをチェックアウトして、空港に向かう。最近はヤンゴンの交通渋滞が深刻で短距離の移動でも思わぬ時間がかかることが少なくない。今日は、平日であることも考え早めに出発したのだ。果して昼休みの時間だったが、学校の近くでは渋滞が生じていた。
ヤンゴンでは最近、私立の学校が増えているように思う。それらの学校の近くでは、生徒たちを出迎える親たちの車があちこちで渋滞を起こしていた。ただ、幸い渋滞は局所的で、結果的にはそれほど時間をかけることなく空港に着いた。
221school.jpg
<学校の迎えの車が列をなす>

スリランカへは直行便がないので、バンコクへ飛び、コロンボ行きの便に乗り換える。3時間半ほどのバンコクでの待ち時間の間に、タイの英字紙を開く。
それによると、インラック政府の米の買い取り政策の遅延に反発する農民たちが、トラクターを連ねて抗議行動のためにバンコクを目指して出発したとの記事。しかも、集結場所にスワンナプーム空港を選んだという記事。やれやれ、タイの政治混乱は益々混迷化してきたようだ。数年前のスワンアプーム空港の閉鎖騒動の再来さえもあるというのだろうか。
インラック首相は反タクシン系の反政府グループに加えて、伝統的な支持基盤であった農民層にまで不満分子を抱えて、この先いつまで持ちこたえることが出来るのだろうか。
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<タイの英字紙の一面は農民たちのトラクターデモの様子>

11時半 ホテル出発
14時45分 ヤンゴン発
16時40分 バンコク着
20時05分 バンコク発
22時00分 コロンボ着
MILIの新本部予定地を訪問 [2014年02月20日(Thu)]
2月20日(木曜日) 
午前9時半、ホテルに「ジャパンハート」の杉浦さんたちに来てもらって盲人用マッサージ学校の件で打合せ。その後は、イラワジ州で学校建設事業を担当してもらっている「れんげ国際ボランティア会」の平野さんと会って、事業の進捗ぶりについて報告を受けると共に、完成が近付いている学校の落成式などの段取りについて相談。
昼食は、日本財団ヤンゴン事務所に行き、お手伝いさんの作るミャンマー式の昼食をご馳走になった。
その後、メームさんの運転する車でミャンマー障害者自立生活運動(MILI)の本部に連れて行ってもらった。いつものように、ネイリンソーさんやアウンコミンさん、ユヤトゥーさんの3人の幹部メンバーに集まってもらい諸事業について打ち合わせ。
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<新本部予定地の庭先に立つMILIの2人の創設者、アウンコミンさんとネイリンソーさん>

先ずは、来月に迫った障害者ビジネスワークショップについて、議事の進め方などについて、詳しい段取りについてアドバイス。普段はここまで細かく指示することはないのだが、今回プレゼンテーションを依頼している海外からのゲストの大半は、私が推薦した人たちなので、報告の順番をどうするかについても私の方で意見を述べた。
次いで、本部の移転について話し合った。当初は、物件を購入してバリアフリーに改装する予定であったが、結局それを断念。現行の本部のすぐ近くにある賃貸物件に移転することになった。また、その中に設置する予定のインキュベーションセンターと名付けたコンピューター訓練施設についても話し合った。これは、カンボジアのものに次ぐ2番目の施設。ゆくゆくは、この設備を使って障害者の若者が起業したり、オンラインで就職することを狙っている。
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<この右側の空きスペースにインキュベーションセンターを作る予定>

打合せの後、その予定物件を見に行った。ほんの目と鼻の先。幹部の三人も一緒に行ってくれた。オーナー夫人にも紹介された。優しそうな人で、MILIの活動を評価し、これまでも色々支援してくれていたという。
MILIによれば、物件探しの過程で、障害者が使いやすいようにトイレを含めバリアフリー化の改装をしたいと言うと、それを嫌がったオーナーも少なくなかったそうだが、このオーナーの場合は、快く了解してくれたという。そして、突然行ったにも関わらず、気安く部屋の中まで我々を招じ入れ中をゆっくり見せてくれた。
当初の予定とは異なり賃貸とはなったものの、今の事務所よりずっと広くなるので、MILIの二人もとても喜んでいた。ここなら近いので引っ越しも簡単そうだ。
夜は、エクシードのマイクさんと夕食を食べながらMoUの相談をするつもりでいたが、彼の都合が付かないことが判明。サンドイッチを買ってホテルの部屋で一人食べる。
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<トイレもバリアフリーに改装する>

09時半 ジャパンハート杉浦さん
11時 れんげ国際ボランティア会平野さん
12時半 日本財団ヤンゴン事務所
14時 MILI本部訪問
16時 賃貸予定物件視察
IDPPミッションに合流する [2014年02月19日(Wed)]
2月19日(水曜日) 
朝8時半、ホテルから日本財団の中嶋、吉田両職員と一緒に、ミャンマー医師会差し回しの車に乗って、ミャンマー医師会へ向かった。タイとの国境にあるカレン州、モン州で行っているモバイルクリニック事業の4半期ごとのレビューミーティングに出席するためである。今回は、それともう一つ目的があった。ミャンマー医師会の会長がチョーミンナインさんから新しい会長に代わったというので、新会長に挨拶するとともに、日本財団の本事業についての新方針を伝えねばならない。
新会長のレムラ博士に初めて会う。英語のうまい、温厚そうな紳士であった。ミャンマーの人材の層の厚さを再認識。血液学の専門家だそうだ。和やかな雰囲気の中で会議が進んだ。
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<ミャンマー最古の歴史を誇るヤンゴン大学構内>

ミャンマー医師会でのミーティングを終えると私は、一旦ホテルに戻って手持ちのカバンの中身を詰め変えて、ホテルの前からタクシーを拾い、直ちに、ヤンゴン大学に向かった。アメリカン大学のデリック教授率いる、ASEAN地域の障害者学生のための公共政策修士コース(IDPP)のプロモーション・ミッションと合流し、副学長との会見に同席するためだ。
ヤンゴン大学の前の道路はユニバーシティーアベニューと呼ばれている。スーチーさんの家もこの道路に面している。いつもこの道を通っているのだが、大学の構内に入るのは初めて。
ミャンマー最古の歴史を誇る構内は広大で、緑陰を縫うようにして歴史を感じさせる重厚な建物が並んでいた。
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<ヤンゴン大学でのプレゼンテーションに耳を傾ける二人の副学長>

しかし、なかなか目指す学長室に到着しない。タクシーの運転手は大学構内に入るのは初めてらしく迷っているのだった。あちこちで尋ねたにもかかわらず、なぜか最初に連れて行かれたのは学長の私邸。怪訝そうなお手伝いさんに事情を話し、ようやく、学長室のある本部建物に着き、会議室に通された時には会議が始まってしまっていた。アウンチョーさんとチョーナインさんという二人の副学長が揃って話を聞いてくれた。
それによると、ミャンマーでつい最近行われた制度改革により、これまで認められていなかったミャンマーの大学の自治権が今後は段階的ではあるが認められることになったという。軍事政権下で大学生が反政府運動の重要な担い手となり、政権側が必死で抑え込むために、各大学を教育省の厳格な管理下に置いていたことからすれば大変な変わりようである。とは言え、そのペースはかなりゆっくりしたものになるようで、両副学長は「ステップバイステップです」と付け加えた。
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<ヤンゴン経済大学の幹部は一名の男性を除き全員女性だった>

ヤンゴン大学での会談の後、次に向かったのはヤンゴン経済大学(YIE)。とは言っても、同じ構内、歩いてすぐの所だった。それもその筈、元々はヤンゴン大学の経済学部が独立したものだという。驚いたのは学長代行のキンナインウー女史をはじめ各学部長ら出て来た幹部が一名の男性を除き全員女性だったこと。
ここでは、経済学だけでなく行政学も教えているということで、ヤンゴン大学よりはもう少し突っ込んだ議論になった。iDPPにはオブザーバー的なかたちでの参加から入る方向で、今後も連絡を取り合うことになった。
ヤンゴン経済大学(YIE)での会議を終えると、デリックさんたちが泊まっているホテルに行き、今回のミッションのミャンマーまでの各国訪問の報告を聞くとともに、今後の方針に付き打合せを行った。
その途中、スーチーさんの家の前を通った。すると、スーチーさんの家にはカメラを構えた観光客と見られる欧米人の一行がいた。すると何と、その内の一人が塀にしがみつき登り始めたではないか。やれやれ。今は、一種の観光名所と化しているのだが、それにしてもマナーの悪いこと。
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<スーチーさんの家には観光客と見られる欧米人の一行が>

08時半 ホテル出発
09時 ミャンマー医師会訪問
13時 ヤンゴン大学訪問
14時半 ヤンゴン経済学院訪問
17時半 デリック教授打合せ
18時半 IDPP関係者夕食会
農業事業について打合せ [2014年02月18日(Tue)]
2月18日(火曜日) 
219Virus.jpg
<なぜかウィルスという名前のインターネットカフェがあった>

今日の午前中は、もともと奨学金事業打合せのため空けていたのだが、昨日のジンさんとの話し合いの結果、それが今日の夕方からになったので、ゆっくり朝寝。
最初のスケジュールは、間遠事務所長と一緒に先月バンコクで初めて会ったパナソニックの仲西さんとのミーティング。そこに、所長の前田さんらが加わり食事を取りながら同社と協力の可能性に付き話し合った。
その後、3時からは林業省OBで実業家のウィンアウンさんがティンニュント博士と一緒にやって来た。農業事業について相談。すると、ティンニュントさんに保健省の国際部長から電話。それによると、義肢装具士学校事業の調印文書の準備が漸く整ったとのこと。
これで、来年には漸く、晴れて国立医療技術大学の新しい学部として義肢義足装具士学部が発足することになる。本当は一年前に済ませておきたかった話なのだが、それでも、新学部の創設には最低でも3年以上かかると言われていたものが2年で出来ることになるので、良しとせねばなるまい。
早速、この事業のミャンマーにおける責任者であるマイクさんに連絡。打合せのため、明後日の夕方に会うことにする。
夕方5時、ホテル内の会議室に、MAB銀行開発部のジンさんとミャンマー米穀協会顧問のウォン博士、それにMILI代表で盲人協会会長のアウンコミンさん、日本財団ミャンマー事務所の間遠所長、のメンバーが集まった。障害学生に対する奨学金事業について打合せ。
7時過ぎに漸く打合せが終わり、間遠所長と市内の別のホテルへ移動。笹川会長、森国際グループ長ら日本財団からの出張メンバーと合流、一緒に夕食を取る。
218water.jpg
<ヤンゴンの街角のあちこちにある水飲み場、いつまでこの奥ゆかしい風習が続くことだろうか>

12時 パナソニック仲西さん
15時 ウィンアウンさん
17時 奨学金事業打合せ
20時 会長一行と夕食
再度ヤンゴンへ [2014年02月17日(Mon)]
2月17日(月曜日) 
先週と先々週の2週間続いての大雪となった週末が明けての月曜日、成田空港へ向かう。幸い、14日に降った大雪も漸く融け始めたので電車など公共交通機関の乱れも一段落。ホット一安心しての出発となった。
今回の目的地は再びヤンゴン、今回は直行便で向かう。元々は、15、16の両日にスリランカの保健省が主催する義肢装具士学校の長期戦略会議に出席を求められていたのと、19日にミャンマー医師会とのモバイルクリニック事業の定期協議が予定されていたために計画した出張で、当初の予定では14日に、コロンボに向けて出発することになっていた。ところが、スリランカ保健省の都合で日程が後ろに1週間ずれることになったため予定を変更、まず先にヤンゴンに行き、その後でコロンボに廻ることにした。
既に大雪はやんでいたのだが、この土曜日に空港宅急便で予め成田空港へ送っておく筈だった大きいスーツケースは、雪のために千葉東京間のトラック輸送がストップしたとのことで引き受けがキャンセルされてしまった。そのため、予定では手ぶらでの成田行きの筈が、朝のラッシュアワーの中を大きなスーツケースを引きずりながら出かけるはめになった。
日本は真冬だが、直行便で向かうヤンゴンは真夏。気温のギャップは30度近くあるはず。成田空港の待合室で、自宅から着て来たダウンのコートを脱ぎ、これも自宅から用意してきたビニール製の圧縮袋に入れた。密着式の封をして空気を抜くとペッタンコになるので、嵩張る心配がない。
217View.jpg
<雪山を眼下に見ながら日本上空を飛ぶ>

8時間近いフライトの末、ヤンゴンに到着。2時間半の時差があるのでヤンゴンはまだ4時過ぎ。外はまだ夕方の雰囲気はなく熱帯の眩しい太陽が照らしていた。いつものように、空港タクシーを拾ってホテルへ向かう。
ホテルに着いて、チェックインカウンターに立ち寄ると、MAB銀行のジンさんからメッセージが入っていた。今、ホテルに来ているのでこれから打ち合わせがしたいと彼女の携帯電話の番号が書いてあった。今朝から私に何度もメールを送ったが返事が無いので、日本財団のヤンゴン事務所に問い合わせて私の到着時間を知り、自らホテルで私の到着を待ち受けることにしたらしい。
荷物はボーイさんに任せて、ロビーで打ち合わせ。準備中の障害者学生のための支援事業について相談。その結果、他のメンバーを交えて、改めて明日の5時にホテルの会議室でミーティングを行うことになった。
ジンさんとの打ち合わせを終えて、部屋に入ると、コロンボの戦略会議で合流する筈のカーソンさんからメールが届いていた。アイルランドに住むお母さんが危篤なので、急遽、帰国しないと行けなくなったと言う。しかし、コロンボでの会議は彼が主役。自分を欠いての戦略会議になるので急遽、代役をメアリーさんに頼むことにしたというのだ。心配だが、事情が事情なだけに仕方ない。心配せず、お母さんの枕頭に駆け付けるようと返事したが、さてどうなることだろうか。
217yangonhot.jpg
<ヤンゴンの気温は30度以上、まさに真夏だった>

11時45分 成田発
16時15分 ヤンゴン着
17時半 MAB銀行ジンさん
旧暦正月2日、バンコク経由で帰国 [2014年02月01日(Sat)]
2月1日(土曜日)
130construction1.jpg
<市内のあちこちで建設工事のクレーーンが目立つ>

朝7時半、ホテルをチェックアウトして空港へ向かう。静かな土曜日の朝だ。平日は渋滞が慢性化しつつあるヤンゴン市内だが、今日は交通量も少ないので、ホテルの前から拾ったタクシーの運転手は猛スピードを出す。先日、ロータリーで交通事故を目撃したばかりの私は、覚えたての「ピエピエマウバ(ゆっくり運転して)」を2回も言わされるはめになった。前回出張時に、ネピドー単独往復に備えて覚えた表現が思わず役に立った瞬間だった。
それにしても、この2、3年の間にヤンゴン市内の様子は大きく変わった。信じられないほどの老朽車がのんびり走るだけで、交通渋滞とは無縁であった時代は遥か遠くなってしまった。そして、外国からビジネスマン、国際機関職員、NGOスタッフらが大挙して押し寄せるようになり、ホテル代や不動産価格は高騰、東南アジアで一番地価の高い国になってしまった。こうした状況に、ミャンマー人までが儲けのチャンスに目覚め、焦り始めたように思える。
201Novotel (2).jpg
<新らしい外資系大型ホテルの建設が進む>

しかし、と私は思う。このような狂騒は一時的なものに過ぎないのではないか、と。電力や通信、港湾、道路など社会インフラの立ち後れ、未熟な立法制度、法制度の不足など、足らないものを挙げればきりがないほど。そんな中で来年には大統領選挙を迎える。少数民族との政治対立に終止符を得ることが出来たとしても、仏教徒の回教徒への不信と反感には根深いものがある。
海外からの直接投資が本格化する条件が調うにはまだまだ時間がかかる。それまでには、投機相場となっている不動産市況は、一旦、クールダウンせざるを得ないだろう。やはり、MILIの新オフィスは物件購入ではなく取り敢えずは賃貸にして、市況の反落を待つのが正しい判断では無いだろうか。
さて、はやくも月が変わって、今日は2月1日。昨日は春節の元旦だった。中国やベトナムなら年に一度の新年のお祝いの真っ最中の筈。数年前に、北京で春節を迎えた時の爆竹騒ぎや、街を挙げての祝賀ムードを思い出す。
130NewYearEve.jpg
<春節の飾り付けをした商店もあるにはあるが、、、>

ところが、プノンペンや、バンコクと違って、ヤンゴン市内にはおよそ正月ムードはゼロ。春節の飾り付けをした商店もあるにはあるが、極めて少数。同じ、インド文化と中国文化の結節点に当たる東南アジアの中でもミャンマーでは、中国文化の影響が比較的薄いことを、改めて再確認する。
考えてみれば、昨晩は「大晦日」であり、新年の到来を祝う爆竹の音が鳴り響いていた筈なのだが、気が付かなかったのか、それとも余りならされなかったからなのか、、、。ただ、ここ数日、市内を移動している時に、中華系の人々によるものだろうが太鼓の音に合わせて踊る「獅子舞」を一回目撃したのと、時々、太鼓の響きを耳にしたことがあったにはあったのだが、、、。
さすがに、ヤンゴンの飛行場で乗り込んだバンコク行きのタイ航空の機内では、少し様子が違った。中国系乗客に春節用のプレゼントの購入を呼びかけるチラシが入っていたし、タイ航空の機内で読んだタイの英字紙「The Nation」の記事にも、春節を祝う北京の様子が写真入りで大きく掲載されていた。
201DutyFree.jpg
<春節用のプレゼントの購入を呼びかける機内免税販売のチラシ>

しかし、そのThe Nation紙を見る限り、祝賀ムードはその程度。同紙の一面のトップニュースは、当然ながら、国内政情。インラック政権が強行を決定した総選挙を明日に控えて国論が二つに分かれていることが報じられていた。
経済面では、海外からの観光客がバンコク市内に立ち入ることを敬遠して、プーケットではその分賑わっているという小さな記事はあったものの、中心となった記事は、2014年のタイ経済の見通しがさらに悪化し、タイ中央銀行が今年の予想を昨年末に発表した4.2%という数字を、早くも3%以下に改訂することになりそうだというもの。
問題は、タイやミャンマー、フンセン首相の人気が地に落ち政情が一挙に不安定化したカンボジアだけではない。ポスト・マハティールを模索しているマレーシアなど、東南アジアはどこも政治不安の種を抱え、難しい時代に入りつつあるようだ。
夜8時半、羽田到着。10日間の出張も無事終了。
201Haneda.jpg
<羽田に戻って来た>

08時 ホテル出発
10時40分 ヤンゴン発
13時30分 バンコク着
15時40分 バンコク発
20時25分 羽田着
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