CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2013年12月 | Main | 2014年02月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2014年01月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
ヤンゴンの不動産価格の反落は必至? [2014年01月31日(Fri)]
1月31日(金曜日)
朝8時、ホテルで中嶋君と合流し、メームさんの車でパンダホテルという可愛いパンダのロゴのあるホテルへ向かう。ASEAN伝統医療会議の準備会合に出るためだ。ところが、10カ国全部から参加者がある筈が、中嶋君はベトナムとシンガポールからの参加者はいないという。その理由は、春節のお休みに重なったのでと連絡があったのだとか。
よく考えてみれば、今日は1月31日、まさに旧暦正月の元旦にあたる。こんな日に会合を設定したのは、旧暦で正月を祝う国の人たちにとっては確かに酷だったかも。主催者のミャンマー保健省伝統医療局の局長が、中国系の風習に無理解だったのか、それとも仕事熱心すぎたのか、、、。
131ASEAN.jpg
<ASEAN伝統医療会議の準備会合>

ベトナムとシンガポールを覗く各国からの出席者は、全部で10人ほど。大きな宴会場の真ん中にコの字型にテーブルがあしらえてあり、その上には欠席者の分も含めたASEAN10カ国の旗が、ASEANの旗と一緒に並んでいた。旧知のミャンマー保健省の伝統医療局の部長や、タイ保健省の伝統医療専門家のアンチャリー博士、ASEAN事務局の担当官のフェルナンドさんらと挨拶して着席すると会議が始まった。
ミャンマー保健省の挨拶の後、日本財団を代表して挨拶。その後、討議に入る前に、日本財団としての今後の支援方針に付いて質問があったので、少し応答した後、私は席を外すことになった。昨日連絡のあった新事務所の契約書問題に対処するため日本財団ヤンゴン事務所へ向かうためだ。
131temple.jpg
<日本財団のヤンゴン事務所の向かいにある仏教寺院>

ヤンゴン事務所で昨年から駐在している梅村君や今月、着任したばかりに中安君と契約書の法的問題を協議、弁護士さんと打ち合わせるなどをして対策を話し合う。取り敢えずの善処方針が決まった。
その後、職員全員とオフィス内部のキッチンで調理してくれたばかりのミャンマー料理の昼ご飯を囲む、
昼食後、今度は私一人だけでメームさんの車でMILI本部へ。こちらでも、新オフィスをどうするかの相談。前回、結論を持ち越し、賃貸と購入の両方の可能性に付き冷静にその得失を検討し、彼らとしての結論を出してくれるよう頼んでおいた。結局、彼らは購入に傾いている。そこで、購入の選択肢のうちで一番良いと言う物件を一緒に見に行くことにし、メームさんの車に全員で乗り込み、持ち主一家が住んでいるという売り出し中の一軒家に向かった。 
131MILIOffice.jpg
<手狭になったMILIのオフィス>

車で10分ほど、大通りの脇の路地を入ってすぐのところにある家だった。持ち主は実直そうな老人だった。チン州出身でキリスト教徒のチン族だという。ただ、不動産屋も最近の相場に叶っていると太鼓判を押してくれたとは言え、私にはどうにもその価格的に納得がいかない。どうにも高過ぎるのである。再三に亘ってMILIの意思を確認するのだが、彼らはここを買い取ってバリアフリー化を施せば、理想的な事務所が出来ると言う。
分かった、そのまで言うのなら購入を前提に考えようと言って彼らと別れるが、私にはまだ迷う気持ちが強かった。ホテルに戻る途中、日本大使館の隣の新築ビルの中に日本財団が新事務所として賃貸しようとしているオフィスを見る。賃借料としては高いものなのだが、一年の契約なのでもし来年以降、相場が下がったら家賃は下がることになろう。
131UBC.jpg
<日本財団の新事務所が入る予定のUBCのビル>

MILIの希望する買い取り物件の値段がやはり納得いかなかったので、運転手のメームさんに色々質問していると、彼がそれなら自分の家を参考として見てみないかという。迷惑をかけることになるから外から見るだけにしようという条件で、メームさんの自宅も見せてもらうことに。ところが、突然の訪問にも拘らず、奥さんが是非、部屋に入って見て行かないかと勧める。結局、親切な言葉に根負けして中に入れてもらうと、コーヒーとお菓子で大歓迎してくれた。とても可愛らしい中学生のお嬢さんにも会うことが出来た。
夕食は、今夜の深夜便で発つというNTIDのデカロさんたちを誘って一緒に食べるつもりでいたのだが、ホテルの部屋に電話しても連絡がつかない。結局、一人で簡単に済ますことにしてホテルの売店でサンドイッチを買った。ダイエットにはこれが一番なのだが、少し寂しい夕食。
食べ終わって、8時前にベッドに入ったとたんエルウィンさんから電話。頼んでいたオーケストラのことを調べてくれたのだった。
131MILIradio.jpg
<MILIが運営しているオンラインラジオのパンフレット>

08時 ホテル出発
08時半 ASEAN伝統医療会議準備会合
09時45分 日本財団ヤンゴン事務所 
13時 MILI本部
13時45分 物件視察 
14時半 UBC視察 
16時 メームさん自宅訪問 
ミャンマー宝くじを買う [2014年01月30日(Thu)]
1月30日(木曜日)
130parami.jpg
<パラミ病院はヤンゴン最大の私立小児科病院>

朝8時、日本財団から出張中の中嶋君、ヤンゴン駐在の梅村君とホテルで打合せの後、ティンニュントさんと会うため、彼の事務所があるパラミ病院へ。パラミ病院はヤンゴン最大の私立小児科病院。
ティンニュント博士は保健省の局長OBで今は日本財団の仕事をアドバイザーとして多方面で手伝ってくれている。彼のオフィスの前にはミャンマー式草履が脱ぎ捨てられていた。ミャンマーでは民間のオフィスや官庁でも土足で入らず、裸足や上履きに履き替えることが多い。私は、草履を見て彼が部屋にいることを確信、ノックしてドアを開ける。果して、彼は部屋で電話に出ていた。
彼とは昨日、彼の友人で実業家のウィンアウンさんと一緒に会ったばかりだが、昨日話し出来なかった盲人マッサージ事業や、モバイルクリニック事業などについて相談。
そろそろ辞去しようとしているところへ中嶋君が現れた。色々な事情から若干トラブっている救急車用中古車両寄贈の相談に現れたのだ。中嶋君を残し、私はMILIへ。
130sandal.jpg
<オフィスの中も下足を脱ぐのが一般的>

MILI本部には共同代表の一人のネイリンソーさんが待っていてくれた。今日のテーマは、3月に控えている障害者ビジネス会議。招待状の文面、招待者の扱い、議事の進行、時間の割り振りなど細々したことまで含めて綿密に相談する。それというのも、この会議を提案したのは私。招待者の大半も、私が日本財団の事業を通じて知り合った人の中から適任と思う人を推薦したもの。先日、バンコクのパーティーで会った際に頼み込んだタイ人ジャーナリストのカビさんのことについても説明。招待の仕方、費用負担の範囲など、彼が来てくれた場合の取り扱い方に着いて相談する。
話し込んでいるところに、事務所の前の路地から大音響の音楽が聞こえて来た。以前にも、耳にしたことがある。外を覗くと、大型スピーカー2台を乗せた手押し車に何やらたくさんのカラフルなお札のようなものが貼付けてある。ネイリンソーさんに尋ねると宝くじ売りだという。
130lotteryvendor.jpg
<宝くじ売りがやって来た>

MILIの人たちに、「これは何」と聞くと宝くじ売りだという。一枚の値段は5000チャットだから500円強。それで一等は1億チャット、1000万円ほどだという。運試しにと一枚買って寄付することにした。毎月一回の抽選だというので次回の出張時には抽選結果が発表されていることであろう。
それにしても、何もここまでの大音量でスピーカーを鳴らさずとも、と思うのは我々だけか。ミャンマーに限らず、東南アジアは大音量に寛容である、というのはあちこちで遭遇した結婚式やお祭り、お寺の説法などの祭に学んだここと。
一通り打合せが済んだ後、この会議の手伝いを頼んでいるミャンマー人の女性社会事業家チーチーニェインさんの事務所に行くことに。本来は来てもらう予定だったのだが、風邪を引いて臥せっていたばかりで外出が辛い、というのでこちらから出向くことにしたもの。
130biglottery.jpg
<これがミャンマーの宝くじ>

彼女の会社、シナジーグループは以前の事務所には2回ほど訪問しているのだが、昨年、シュウェダゴンパゴダが見えるという新しいオフィスに転居してからは初めての訪問。我々はMILI共同代表の盲人、アウンコミンさんと、車椅子のネイリンソーさんと私の3人でメームさんが運転する車に乗り込んだ。
チーチーニェインさんの事務所に着いてみると彼女の会社のあるフロアーへはエレベーターで行く必要があるのだが、そのエレベーターが階段を一階上がった2階から始まることが判明。しかし、彼らは慌てず騒がず、たまたま通りかかった青年に声をかけメームさんと二人でネイリンソーさんの車椅子の両サイドを掴んで持ち上げ、それを盲人のアウンコミンさんが後ろから支えて3人掛かりで担ぎ上げ、難なく2階の踊り場まで持ち上げてしまった。手伝ってくれた青年も大したことではないと平気な顔で立ち去り、彼らも大して恐縮するでなく、軽いお礼の言葉で見送った。手伝うと何遍も声をかけた私には最後まで出番が全くなかった。
130accesibility.jpg
<階段の上りは3人掛かりで>

チーチーニェインさんは大分具合が悪そうだったが、我々との話し合いに暫く付き合って、色々貴重なアドバイスをしてくれた。
小一時間ほどで彼女のオフィスを出た私は、彼らをMILI本部に送ってからホテルに戻って来た。ミャンマー外務省ASEAN局長OBで今は日本財団の仕事のアドバイスをしてくれているエルウィンさんが、何か私に見せたいものがあるということでホテルにやって来た。
MILIと検討中の障害者ビジネス・インキュベーションセンター(DBIC)で役に立つのではないかと、オフラインでも使える無料学習用ソフトを見せてくれた。DBICのコンセプトとは若干異なるので改めてDBIC構想について説明したところ、理解してくれた。
夜は、ネピドーの教育省や社会福祉省を尋ね、ミャンマーに手話に基づく新しい聾教育システムを説明してヤンゴンに戻って来ていた米国NTID(聾理工科学院)のデカロさん、トミーさん、日本財団の高橋職員の4名でホテルの近くに日本料理店で夕食。
130SuuKyiPoster.jpg
<今では町中にスーチーさんのポスターが堂々と掲げられるようになった>

8時 中嶋君打合せ
9時15分 ホテル出発
10時 ティンニュント医師
11時 MILI本部訪問
13時半 チーチーニェインさん
16時半 エルウィンさん
18時半 デカロさん
ホテルに籠りっきりの一日 [2014年01月29日(Wed)]
1月29日(水曜日) 
129hazymorning.jpg
<朝の間は靄っていたが、、、>

朝の間は靄っていたが、昼前には真っ青な空が広がっていた。気温は30度近くあったのだろうが、湿度が高くないせいか爽やかさまで感じる。しかし、私は今日は4つの打合せが総てホテル内で行われたため、一日中、外出せずホテルの中で過ごすはめになった。
朝一番の来客はオプチマムエデュケーションセンターのニェインウーさんご夫妻。エルウィンさんが帯同。シンガポールのリークアンユー公共政策大学院による国境省の職員に対する研修のミャンマーでの分をここに分担してもらうことになったので挨拶に見えたのだ。
次の来客は、ティンニュント医師と実業家のウィンアウンさん。ウィンアウンさんは、林業省幹部職員OB。早期退職の後、木材輸出で財を成した。ところが、ミャンマーの森林資源の枯渇に責任を感じ、米の生産性向上のための高収量品種の普及に向けて私財を投じているという篤志家だ。間遠所長も一緒に昼食を取りながらカレン州での薬草栽培支援事業につき相談。法律面の問題を中心にアドバイスを受けた。
130SakuraTower.jpg
<これがヤンゴンで一番家賃が高いと言われるサクラタワー>

その後、ヤンゴンの国立盲学校でマッサージ師指導員のための研修事業を行っているジャパンハートの蘆田さんと杉浦さんに来てもらって、先般のネピドー出張の報告をする。
社会福祉大臣からは、チーミンダインの施設については社会福祉省がすでに活用計画を持っているので日本財団の事業には他の場所でやって欲しい、そのために、社会福祉省としては支援したいと言われたことを報告。しかし、それについては事実関係で確認すべき点があるということから、来月にも一緒にネピドーへ行き担当者と面談する必要があろうということで、日程を調整することになった。
夜は、ネピドーの保健省との面談から戻って来たばかりの、日本財団の中嶋職員、薬用植物学者の佐竹先生らの一行と、遅い夕食に付き合った。日本財団ヤンゴン事務所の面々も付き合ったので、総勢13名の大グループとなり、みんなで中華料理の丸テーブルを囲んだ。
127oldbuilding.jpg
<旧鉄道省の敷地内のホテルも改築のために閉鎖中とか>

08時半 Optimum Education Center
12時 ウィンアウンさん
15時 ジャパンハート蘆田さん杉浦さん
20時 佐竹先生
ヤンゴン市内は靄がかかっていた [2014年01月28日(Tue)]
1月28日(火曜日)
朝6時、まだ外は暗いが、ホテルで呼んでもらったタクシーで飛行場に向かう。反対派が勝手に立体交差道路をブロックしたので遠回り。
朝のこの時間は、流石にデモ隊たちもテントの中で眠っているらしく、ピケが張られている道路の周りに人影はなく静か。車はいつもの早朝のように渋滞も無く順調に進み、30分ほどで飛行場に到着してしまった。空港内も人影は疎ら、チェックインも出国手続きもスムーズ。
8時発のヤンゴン行きの飛行機に乗ると1時間ほどでヤンゴンに到着。
126blocked2.jpg
<反対派が勝手に立体交差道路をブロック>
 
時間が早いこともあって、気温は20度ほど。カンボジア人やタイ人同様、ミャンマーの人には「寒い」と感じられる気温だが、我々にはとても快適な温度だ。空港の外に出て驚いた。一面にうっすらと靄がかかったようになっているではないか。こんな暖かさでも、明け方にかけて気温が下がると空気中に含まれた水蒸気が水の粒子に転じるということか。
空港からは、最近いつもそうしているように客待ちをしているタクシーを利用する。クーラー付きとクーラー無しの2種類があって、クーラー付きは9000チャット。クーラー無しは7000チャット。
115morning.jpg
<靄に煙るヤンゴンの朝>

前回はうっかり、9000チャットの方に乗ってしまったので、今回はきっぱりと9000チャットのを断り、7000チャットの方を選ぶ。とは言っても、最近ではミャンマーのタクシーもクーラー無しのオンボロ車は一掃され、殆どクーラー付きなので、7000チャットの場合も、単にクーラーのスイッチを入れずに発車することが多い。今回乗った車もそれだった。窓を開けると少々うるさいのと排気ガスが入って来るのが難と言えば難だが、涼しい今の気候では暑さは全く気にならない。
ホテルに到着。数ヶ月前の爆弾騒ぎ以降はセキュリティーが厳しくなり、空港同様に金属探知機によるボディーチェックとX線での持ち物検査という物物しさ。
チェックインの後、メールをチェックしたり、あちこちに電話をかけまくって、今回のスケジュールを確認。いつもヤンゴンでは、到着までに一つや二つはスケジュールが確定出来ていないものだが、今回は特に流動的な要素が多く、スケジュールの全体像が見えないままの到着となった。
128security.jpg
<空港同様の持ち物検査>

そして昼食の後、ヤンゴン事務所の間遠所長の運転手、メームさんに迎えに来てもらってMILI(ミャンマー障害者自立生活運動)本部へ。
最近、私はヤンゴン市内での移動には、出来るだけ一般のタクシーを使うようにしているのだが、今回は、間遠所長がバンコクからまだ戻っていないので、我々の事業の関係先の地理に詳しい彼に頼ることにしたのだ。
MILI(ミャンマー障害者自立生活運動)本部では、主に、前回訪問時に持ち越しになったオフィス移転問題と、3月に計画している障害者ビジネスに関するワークショップに付いて話し合った。
131MILIObama.jpg
<MILI本部に飾られてたスーチーさんやオバマ大統領との記念写真>

06時 ホテル出発
08時00分 バンコク発
08時45分 ヤンゴン着
13時15分 ホテル出発
14時 MILI

タイ式パーティーに度肝を抜かれる [2014年01月27日(Mon)]
1月27日(月曜日)
127election.jpg
<昨日が投票日だった選挙だが、、、候補者ポスターがむなしい>

朝9時、間遠所長が予約してくれていた車で、彼と一緒にホテルを出発、APCD(アジア太平洋障害者発展センター)に向かう。二ノ宮所長らとスターレーティングシステムなどの新規事業についての相談をするためだ。元々は、国連ESCAP本部で昨年から始まったササカワ障害者インクルーシブビジネス賞の運営委員会をこの日に開くことになっていて、そのタイミングに合わせて決めたAPCDとの会議だった。
ところが、タイの総選挙を巡る反政府運動始まると、早々に、国連ESCAP本部からはこの会議を2ヶ月遅らせて3月への延期を通告して来た。しかし、カンボジアでの式典など他のスケジュールとの兼ね合いもあって私のバンコク出張そのものは予定通り実施することにしたのだ。
APCDに着いてみると、お隣の政府機関はお休みしていたが、APCDは何事もないように「営業中」だった。打合せを終えて、そのまま職員食堂から届けてもらったタイ式の昼食をごちそうになった後、ホテルに戻り、間遠ヤンゴン所長の紹介でパナソニックの仲西さんと会いミャンマー事業での連携に向けた意見交換。その後、FAO アジア大洋州本部のケビンさんにホテルに来てもらって、障害者農業調査事業について意見交換。
127APCDoffice.jpg
<APCDは何事も無かったように「営業中」>

夜は、タイの人気TVキャスターのクリサナさんにユニバーサルデザインの表彰パーティーに招かれていたので、間遠所長と二人で指定されたホテルに向かう。実は、このホテルは昨日、選挙投票を妨害しようとして投票所に押し掛けた反政府派のリーダーが射殺されたバンナという地区にある。そんなともあって、ひょっとして土壇場になって、中止の連絡が入るのではないかと気をもんでいたのだが、予定通り行われることになった模様。
そこで、指定されたリゾートホテルに時間ぴったりに着いてみると、既に大勢の人が集まっており、なぜか日本の和太鼓をかき鳴らすタイ人のチームもいたりして、パーティーがもう始まっているかのような盛り上がりを見せていた。半分近くの席が埋まっていただろうか、あちこちの円卓ではもう食事を始めている人もいる。
受賞者は中央の主賓用テーブルに着席するよう指示されていたのだが、二ノ宮さんのタクシーの運転手が道に迷い到着が遅れていたので、彼を待ってから一緒に着席するというと、早く座らないと席が無くなってしまうから、と言われる。えっ、主賓の座席って決まっていないの?
127party.jpg
<ユニバーサルデザインの表彰パーティー会場となったリゾートホテル>

中央のテーブルに向かうと、既に、そこには大臣や大企業の社長やらVIPが陣取っている。その間に割り込むのもはばかられたので、遠慮して中央の一つ隣のテーブルに座ることに。
舞台では美男美女がの司会者が英語とタイ語を交えて話し始めた。式典が始まったのだろうか。タイ人に尋ねると、主賓の枢密官がまだ来ていないので始まるのはその後なのでまだ始まってはいないとの答え。これで、まだ始まっていなかいの?
程なく、主賓の枢密官が到着。人気テレビ司会者でこの行事の主催者のクリサナさんが壇上に登場した。時に、それらしきアナウンスがあった訳ではないが、枢密官が挨拶を始めたので式典がどうやら始まったようだ。
主立った出席者の紹介が始まり、名前を呼ばれた人は立ち上がって手を振る。大臣や大企業の社長などVIPが何人も来ているようだ。今度は受賞者の名前が呼ばれ、壇上に招かれる。このような紹介が続いたと思ったら、今度は、全く順序もタイミングも関係なく、再び出席者の紹介。そして今度は、再び受賞者が壇上に呼ばれる。受賞者の中には、スピーチする人も入れば、ただ黙って受け取る人もいる。
127TV.jpg
<人気キャスターの登場とあってマスコミの取材が殺到>

私は、唐突に名前を呼ばれたので授与されるのかと舞台に行こうとしたら、ただ、紹介されただけ。暫くして、ようやく、舞台へ招かれて受け取る。終わって席に戻ろうとしたら、スピーチしろと言われる。どうも、タイミングというか要領というか、うまく掴むことが出来ない。
舞台の上で、少年少女による室内楽がクラシックの名曲を奏でている時に、会場の後方で突然、和太鼓の演奏が始まる。しかし、誰もそれを問題視する様子はない。
また、舞台に受賞者や来賓が招かれ記念撮影の後、壇上にいた一人の紳士がマイクを握って歌を歌い始める。正にカラオケ大会の様子。きっと、この行事のテーマソングか何かだろうと思っていたのだが、後で知った所によると、ラオスの大使がラオス語の歌を歌ったのだそうだ。タイ人にも歌詞の意味は不明だったとか。
そして、舞台で司会者のクリサナさんが大音量のマイクを握って延々とスピーチ。その隣に車椅子に座る大変な美女が微笑んでいる。一体何者だろうと思っていると、彼女は「ミス車椅子」だと教えてもらった。
127MissWheelchair.jpg
<人気TVキャスターのクリサナさんの向こうの美女は「ミス車椅子」>

そうこうしている内に、私は会場の中央にあるパネルの前で写真の撮影に加わるように指示される。しかし、その間も舞台からはクリサナさんのスピーチが続いているではないか。会場はてんでバラバラの混沌の中で、挨拶を交わし合う人、帰り支度を始める人、食べ続ける人、、、、。
混沌状態のパーティー会場で、タイを代表する英字新聞であるザ・ネーションの花形記者だったカビさんとばったり出会った。喧噪に負けないよう声を張り上げ耳の方に口を寄せて、ミャンマーでの障害者ビジネス会議について説明すると興味を持ってくれた。彼自身がスピーカーとして来てくれるかもしれないという。明日から東京に行くというので森グループ長に話しをつなぐ。
結局、いつ始まりいつ終わったのか分からないタイ式の奔放なパーティー進行に度肝を抜かれた不思議な一夜であった。

09時 ホテル出発
10時 APCDにて二ノ宮所長らと会議
12時半 昼食
13時半 パナソニック仲西さん
15時 FAO アジア大洋州本部ケビンさん
17時 ホテル出発
18時半 ユニバーサルデザイン夕食会
バンコクの中心部は「歩行者天国」状態 [2014年01月26日(Sun)]
1月26日(日曜日) 
126army.jpg
<兵士を乗せたトラック>

ホテルのチェックアウトを済ませて、ソルヤ君の車を呼ぼうとしたところへ当の本人から電話。風邪で臥せっているので、友人に肩代わりを頼んだ、とのこと。確かに、カンボジアやタイなど東南アジア一帯では例年になく気温が下がり「寒い」ために風邪をひく人が大勢出ているようだ。
彼の友人の運転でホテルを出発して中央駅の角を曲がろうとして普段は人がいない脇の敷地内に大勢の警察官がいるのに気が付いた。兵士を乗せたトラックも何台も停まっている。中央駅から遠くないところにあるアメリカ大使館前の広場で反対派が禁じられている筈の政治集会を強行しようとしているためだ。
運転手が「カンボジアは政治危機にある」というので、「カンボジアもタイも政治不安で大変だね」と言うと、「タイの方がずっとましだ。タイには民主主義があるけど、カンボジアには民主主義は無い。カンボジア人の7割はフンセン首相を嫌っている。それは、彼が独裁政治を行っているからで、彼に従う者だけが利権を得て豊かになり、国民は貧しいままだ」と訥々と語った。
126Empty1.jpg
<いつもは長蛇の列のパスポートコントロールがガラガラ>

空港に着いてラウンジで地元の英字紙を開くと、昨年末に行った世論調査の結果が出ていた。それによると、昨年一年間で、カンボジアの先行きに対する不安の声が急上昇しているという。即ち、カンボジアの先行きに対する楽観論は79%から55%へ急落、反対に「悪い方向に向かっている」という声が倍増しているというのだ。しかし、その後のフンセン首相側と彼に対する反対派との間の対立の激化などを勘案すると、この調査の行われた昨年11月よりも今の方が事態は更に悪化していると思われるので、国民の間の悲観論は一層強まっている可能性が高いのではないだろうか。
プノンペンを発って、午前11時過ぎバンコクに着いた。空港内が空いているのは予想していたが、いつもは長蛇の列のパスポートコントロールが本当にガラガラ状態だったのにはびっくり。
チェックイン荷物を受け取り、さてどうやってホテルに行くか思案。バンコクに着く前は、エアポートリンク鉄道とBTS(高架電車)を利用するつもりだった。反政府派の道路封鎖による渋滞に巻き込まれる危険を避けようと思ったのである。ところが、いつものように空港タクシーの案内所が開いていたので係の女性に道路の状況を尋ねると、いつもより多少時間がかかるかも知れないが殆ど問題は無いという。
126blocked1.jpg
<デモ隊が勝手に道路を閉鎖したのでこれ以上進めない>

しかし、一度前にスーツケースを持ってエアポートリンク鉄道を利用したところ、ホテルの最寄り駅では階段を登ったり下ったりしないといけないので大変苦労したことを思い出す。その上、今は道路が使えない分、BTSを利用する人が多いことが予想される。混んだ車内に大きな荷物を持って乗り込むのもリスキーだ。そのように考えて結局、空港タクシーを利用することにした。
タクシー乗り場に行くと、乗客は殆どおらず、人待ち顔のタクシーがずらりと並ぶ様は壮観だった。いつもは結構待たされる空港タクシーにすっと乗ることが出来た。しかし、やっぱりタクシーにして良かった、と思ったのも束の間だった。というのも、ホテルの近くにある公園が反対派の拠点になっていたのは知っていたが、確保されてる筈のホテルへのアクセス道路が運転手に分からずウロウロ。
挙げ句の果て、ホテルから少し離れたところでこれ以上進めない、と車を停めてしまった。そして、自分が荷物を半分持つからホテルまで徒歩で行こう、と言うではないか。
126shopping.jpg
<「歩行者天国」状態で賑わうサイアム地区の大通り>

ホテルにチェックインしてから、市内の繁華街に様子を見に出かけた。すると、中心街の道路は完全に封鎖され、そこに飲物や衣料品、記念品まで、様々な種類の露天が店開きし、「歩行者天国」状態になっているではないか。ちゃっかり反政府スローガンをプリントしたTシャツを売る屋台も繁盛していた。足裏マッサージ店まで店開きしていた。
そして、「歩行者天国」を囲んでいる大型ショッピングモールではセールが行われていた。お買い得品を物色するショッピング客で賑わっていた。本来はセールの時期ではないと思うのだが、騒乱で一旦は遠のいた客足を取り戻すために特別にセールを始めたのだろうか。
「市内見物」を終えてホテルに戻り、ヤンゴンから明日の会議のために出張して来ていたヤンゴン事務所の間遠所長と打合せ。
その後は、久し振りにNHKの小林ヤンゴン支局長と3人で夕食。
126sales.jpg
<特別セールで客足を取り戻す?>

07時45分 ホテル出発
10時00分 プノンペン発
11時05分 バンコク着
18時 間遠ヤンゴン事務所長
19時 NHKヤンゴン支局小林支局長
クメール陶器復興事業のメンバーと協議 [2014年01月25日(Sat)]
1月25日(土曜日)
125newyear3.jpg
<プノンペン市内は春節の飾付けが目立った>

朝10時、ホテルのロビーでカンボジア障害者行動評議会事務局長のエムチャンマカラさんと落ち合う。彼とは昨年2月バンコクの障害者インクルーシブ・アグリビジネスに関する調査報告のための国際会議にセムソッカ事務次官と一緒に出てくれた時に初めて会い、更に、8月ハノイで行われた第2回APCD/JAIFプロジェクト会議で再会した。その際、カンボジアに来る時には必ず連絡して欲しいと念押しされていたのだ。
今回、彼もカンボジアトラストの25周年記念式典に招待されていたので、昨日の式典の会場で漸く会うことが出来たが、大勢の人混みの中でゆっくり話しも出来なかったので、土曜日の今日、ホテルに来てもらうことになったのだ。
彼が事務局長を務めるカンボジア障害者行動評議会は社会福祉省傘下の障害者政策の調整機関だった筈だが、今は社会福祉省から独立し、全32省庁を対象に障害者行政の総合調整を担っているという。彼の部下の2人の若者と一緒に現れたエムチャンマカラさんには、日本財団がバンコクのFAOやAPCDと組んで進めている障害者インクルーシブ・アグリビジネスの今後の方針を説明したところ、賛同してもらい今後、緊密に協力して行くことになった。
125cafe.jpg
<ニョニュムショップの前庭はこ洒落れたカフェに変身していた>

その後、ホテルを出てクメール陶器復活プロジェクトの責任者の山崎さんが経営するニョヌムショップへ。前庭を使って最近開店したばかりの、ニョニュム・カフェのおにぎりセットをつまみながら、明さん、北野さんも加わり、クメール陶器復活プロジェクトについて打合せ。
日本財団の支援の終了をあと一念足らずに控え、販売量の拡大が必須であり、そのためには商品開発と作業の効率化のための機械の導入が喫緊の課題であることを確認した。
その後、立石君を案内してロシアンマーケットへ。その裏通りにある骨董店街を案内、本物のクメール焼きが売られている様を見学した。
その後、ホテルに戻り、中学校の教員の卵に対する奨学金事業とラジオによる英語教育放送事業を実施してくれているNGOであるESCの北野事務局長と打合せ。夜は、彼や日本財団職員の立石君とカンボジア伝統医療治療師協会CaTHAの高田さんも交えて夕食。
125newyear1.jpg
<ピザ屋さんまでも春節の飾り、、、>

今日は、25日、あと一週間足らずで春節、旧暦に基づく中国の正月だ。プノンペンの市内のあちこちで、赤を中心にした春節の飾付けが目に付く。一般の商店やレストランは勿論、ホテルやピザ屋さんまで。大きな建物が目立つカーディーラーも殆どそうである。
しかし、大半のカンボジア人が信仰する仏教の正月に基づくクメール正月は4月なのである。カンボジア経済を支えている華僑系クメール人に加えて、やはりカンボジアの経済界では大きな存在であるベトナム華僑がいかに多いかを示すものであろう。
ベトナム商人はカンボジアでは以前から人気がなく、妬みや反感の的となっている。先だっての総選挙では大団結して、フンセン首相の率いるカンボジア人民党を脅かす存在となった野党勢力の一部にベトナム人排撃を叫ぶグループがいたことにも明らかである。
改めて、ベトナム人とカンボジア国籍だが華僑系の商売人に牛耳られているカンボジア経済の行く末を思わざるを得なかった。
125newyear4.jpg
<カーディーラーも派手に飾付け>

10時 エムチャンマカラさん
11時半 ホテル出発
12時 クメール陶器復活プロジェクトメンバーと打合せ
16時半 ESC北野事務局長と会議
18時 CaTHA高田さんも交えて夕食
障害者奨学生の卒業式に出席 [2014年01月24日(Fri)]
1月24日(金曜日)
朝7時半、日本財団の立石職員と、ソルヤ君の車でホテルを出発、CJCC(カンボジア日本人材開発センター)に向かった。これから、日本財団の障害者学生奨学金の受給生15名の合同卒業式が行われるのだ。卒業生は全部で15人。実は彼らは6つの大学に所属しており、それぞれの大学での卒業式は昨年中に終えている。今回は、日本財団の奨学金の受給生としての特別の式典なのだ。
この会場は王立プノンペン大学の敷地内に日本政府の援助によって建てられたCJCCの講堂。私は、この前の道はいつも通っているし、プノンペン大学にも来たことがあるが、CJCCに入るのは初めての経験。CJCCの中には、日本語のポスターや掲示板、日本企業の求人票もあったりして、日本の大学の内部にそっくりの雰囲気だった。
500人収容出来るホールだったが、ガラガラではなくそこそこ埋まっていたのにはびっくり。
124ceremony.jpg
<障害者奨学生合同卒業式>

プノンペン市内にある聾学校から美しい民族衣装姿の女性たちが動員されて集まり、祝福のダンスを踊って式典が始まった。主賓はカンボジア政府社会福祉省の事務次官である。
私もスポンサーを代表して挨拶。それと同時に、今日この式典の直後にお披露目を予定している「プノンペン障害者ビジネス・インキュベーション・センター」の設立の趣旨と、期待に着いても述べた。これは、卒業しても障害を持つが故に就職が難しいという障害者学生たちの声に答えて作った施設。インターネットカフェのようにブロードバンドのネットに繋がったパソコンを共同で利用するための施設である。
華やかな式典の後は、中庭を使ってのガーデンパーティー。それぞれの学生の田舎からこの日のためにプノンペンに出掛けて来たという家族たちも誇らしげ。みんな、家族を囲んで写真を撮ったりで楽しそうだった。
124banquet.jpg
<中庭を使ってのガーデンパーティー>

その後、我々は場所を移動して、ビジネス・インキュベーション・センターの開所式に臨んだ。先ほどまで卒業式に来てくれていたカンボジアトラストの理事の面々もバスに分乗して開所式に来てくれた。
ここをSOHOとして利用して働くも良し、ネットを利用したビジネスで起業するも良し、ということでインキュベーション・センターと名付けた。
その後、私と立石君は、近くのレストランで、カンボジア義肢装具士学校のシサリー校長、学生たち有志約10名と昼食懇談会。インキュベーション・センターの運営について色々話し合った。40人の奨学金受給生の中から選ばれた4人の理事たちが、施設を管理するために交代で泊まり込むことになったという。
ホテルに戻り、カンボジア人のビジネスマン、エルヤフオンヘンさんと会った。彼とは昨年11月のプノンペン訪問時、トマス社長に紹介されて短い挨拶を交わしたのみなので、じっくり話しをするのは今日が初めて。
124PPDBIC.jpg
<PPDBIC開所式で>

彼はカンボジアのみならず、ミャンマーやベトナム、ラオスなどでもITビジネスを展開する実業家だが、トマス社長によれば、障害者ビジネスインキュベーションセンターのアイデアにも強い関心を持っているようだというので今回、協力を求めるために会うことに決めたのだった。
ゆっくり話してみると、トマスさんからインキュベーションセンターのことを聞いて非常に興味を持った、障害者学生にトレーニングを施し、彼らを自分の会社で採用することも考えたいと言ってくれた。
私からは、近い将来には、プノンペンのみならずヤンゴンなど各地のインキュベーションセンターをつないでインターネット上に作る予定の利用者フォーラムの構想を説明。エルヤフオンヘンさんに、そのアドバイザーに就任してもらえないかと打診すると快諾してくれた。
その後、ソルヤ君の車で懐かしいひまわりホテルに移動。ロビーでカンボジアトラストのCEO、カーソンさん夫妻と会って打合せ。
124night.jpg
<カンボジアトラスト25周年記念式典が始まった>

暗くなったところで、トンレサップ川を臨む裏庭でカンボジアトラスト25周年記念式典が始まった。
主賓は社会福祉省のもう一人の事務次官、セムソッカさん。彼とは昨年のバンコクでの会議で会った。その後、総選挙があったので留任したのかどうか心配していたのだが、、、。
記念式典の席で、カンボジアトラストのカーソンCEOから将来ビジョンが発表され、団体の名前をExceedとし、NGOではなく社会企業として運営するとの方針が説明された。それを受けて私が登壇。祝賀のスピーチの中で、長年親しんで来たカンボジアトラストの名前が変わるのを聞いて「花嫁の父」の心境だと述べたところ結構受けたようで、終わった後の懇親会で何人かの人から「あれは良かった」と言われた。
今日一日だけで3つもの式典に出席、私はその総てで祝辞。英語で3回も連続してスピーチしたのは初めての経験だ。ホテルに戻ると10時前、日本時間の真夜中だった。
124seating.jpg
<トンレサップ川を臨む裏庭での式典>

07時半 ホテル出発
08時半 障害者奨学生卒業式
11時半 PPDBIC開所式
12時半 昼食懇談会
15時 エルヤフオンヘンさん
16時45分 ホテル出発
17時 カーソンさん
18時 カンボジアトラスト25周年記念式典
今年2回目の出張は再びミャンマー [2014年01月23日(Thu)]
1月23日(木曜日)
4日空けただけで1月2回目の出張。今回の出張の主たる目的は、カンボジアトラストの25周年記念式典。カンボジアを手始めに、スリランカ、インドネシア、フィリピンそしてミャンマーと、アジアの各国で日本財団の資金支援により、義肢装具士養成学校事業を展開して来た国際NGOであるカンボジアトラストが25周年を迎えたのだ。そのための記念式典を発祥の地であるプノンペンで行うことになり、私が日本財団を代表して出席することになった。
またそれに合わせる形で、国連ESCAPをパートナーにして始まったササカワ障害者ビジネス賞の運営委員会をバンコクで開催することになっていたのだが、これはタイの総選挙ボイコット騒ぎのため3月に延期になった。しかし、その他の会合をバンコクで既にセットしてしまっていたことや、ヤンゴンでミャンマーでの事業の打合せの予定があったことから予定通り、10日間の出張に出かけるしたもの。
他の人に言っても信じてもらえないのだが、私は出張当日の朝はブルーな気分になることが多い。それが、今回は特に辛かった。億劫な気持ちが先に立ち、心が晴れない。
成田空港でチェックインの際、今回の機材もいつものように2階席のあるジャンボ機だろうと思い、自分の座席が1階なのか2階席なのかどうか聞いてみた。すると、今回はジャンボではなくて新型のエアバスA380、オール2階建ての飛行機だと聞かされた。興味津々、前から一度乗ってみたかった機材だ。
123plane.jpg
<オール2階建ての飛行機A380>

面白かったのは、機内で狭い階段を登って2階席に行くジャンボ機と違って、エアバスA380はそもそも乗り込み口が、1階と2階に別れていたこと。ジャンボの機内では持ち込みバッグを持って狭い階段を登らされるのは辛いが、今回は外から緩やかなスロープを行けば良いのでずっとらくちんだ。機内で、ブルーな気分はどこかに行ってしまっている単純な自分に気が付き、思わずにが笑い。
バンコク空港で日本財団の立石職員と一緒になり、プノンペン行きの便に乗換える。政情不安でビジネス客はおろか観光客も減っているのだろう、バンコク空港には人影はまばらだった。
夕方7時半、プノンペン空港に到着。すると、荷物引き取り場でヤンゴンから着いたばかりのマイクさん、空港を出たところでコロンボから少し先の便で着いていたメアリーさん、マニラから別の便で着いたペニーさんと、カンボジアトラスト関係の三人のメンバーとばったり。
彼らも、明日のカンボジアトラスト25周年記念式典に出席する。と同時に、それに合わせて開かれるカンボジアトラストの理事会に出席するために集まったのだ。明日の再会を期して我々は、それぞれのホテルに向かうべく別々の車に乗り込んだ。
115emptyairport.jpg
<バンコク空港はガラガラ>

10時54分 成田発
15時45分 バンコク着
18時25分 バンコク発
19時40分 プノンペン着
早くもバンコク経由で帰国 [2014年01月18日(Sat)]
1月18日(土曜日) 
118birds.jpg
<土曜日の朝、ヒンズー教の寺院前を鳩が飛び交う>

今日は、バンコク経由で帰国する日。朝7時、ホテルの前からタクシーを拾って出発。
土曜日の朝のヤンゴンは交通量も少なくスムース。平日の混雑ぶりが嘘のよう。30分ほどで空港に着いてしまった。私の乗ったタクシーの横に並んだタクシーには何と、ピップエレキバンのロゴマーク。
ミャンマーでは、このように以前使われていた当時のロゴや、マークを残したまま走っている車が少なくない。それらは、殆どの場合、日本ブランドの中古車であり、日本語のロゴなのである。個人の乗用車だけでなく、バスやタクシー、トラックなど自分自身のロゴを付けないと行けない筈の車までが、そのような関係のないロゴを付けて走っているというのが可笑しい。一度、「くるみようちえん」という可愛いロゴのマイクロバスが、建設工事の人夫然としたむさ苦しい男たちを乗せている姿に吹き出しそうになったこともある。
117taxi.jpg
<ピップエレキバンのデザインのままのタクシー>

なぜこのような車が多いのか、ミャンマー人の友人に尋ねたところ、帰って来た解説はこのようなものであった。即ち、、、
日本車に対する信頼が絶大であるミャンマーでは、同じ日本ブランドの車でも、日本以外で生産されたものよりは、日本で作られ使用されていた中古車に人気がある。日本語のロゴやマークは、日本で使用されていた「純正」日本車である、という証明になる。そのため、日本で使われていた日本語のロゴやマークを敢えて消さず、そのままにしておくのだ。
しかし、時にはもっと奇妙なことが起きる。何らかの理由で、元のロゴを消す必要に迫られた場合、自分たちで元のロゴを見よう見まねで「再現」するのだ。恐らく、元のロゴをスケッチするか写真に撮っておいて、再現を試みるのだろうが、必ずしもうまく行くとは限らない。「ツ」と「シ」が入れ替わったり、「ン」が「ソ」になってしまったり、時には、上下を間違えて「再現」してしまうこともある。今回、そのような車を写真に収めることに成功。
117truck.jpg
<逆さまになった日本語ロゴを付けたトラック>

空港に着いて、待合室で開いた政府系英字紙「ニューライト・オブ・ミャンマー」には今日も大きくASEAN障害者スポーツ大会(ASEAN Para Games)のニュースが取り上げられていた。
そう言えば、MILIのアウンミン代表もネピドーの開始式に招待されて行って来たと言っていたのを思い出した。果して、昨年12月にミャンマーで開かれたASEANスポーツ競技大会(SEA Games)のように各国の国民の注目と関心を集めることが出来たのか、聞き漏らしてしまった。
この11月か12月にMILIが主催する予定のASEAN障害者芸術祭は、果してうまく行くだろうか。サミットの公式行事と認定されて、障害者スポーツ大会のように毎年各国で開催されるようになるのが我々の夢なのである。
バンコクで乗換え、夜の10時半、羽田空港に到着した。短い出張が終わった。私の腕時計はミャンマー時間の午後8時を示していた。
118paper.jpg
<障害者スポーツ大会に政府新聞は大きなスペースを割いていたが、、、>

07時 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
14時50分 バンコク発
22時30分 羽田着
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI