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大野修一(日本財団)
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香港経由で帰国 今年最後の出張終わる [2013年12月19日(Thu)]
12月19日(木曜日)
帰国の日。朝8時、ホテルをチェックアウトし空港へ。
財団職員の立石君は一足先に昨晩の夜行便で帰国したので、今日の私は一人旅だ。
ハノイ空港で見た地元の新聞で、SEA Gamesでの金メダルランキングをチェックしてみた。
すると、21日の閉会を前に、ミャンマーが3位に後退してしまっていた。
トップはタイ。ベトナムが2位だった。
香港で羽田便に乗換えて、羽田到着は夜の10時半。12月19日だ。
こうして、今年最後、23回目の出張が終わった。
12-19 medals.jpg
<ミャンマーは3位に後退>

私は、ハノイからの帰りは直行便ではなく、いつも香港経由の便にしている。と言うのも、ハノイから成田への直行便は夜行便しかない。しかも、飛行時間が4時間余りと短すぎて、十分な睡眠を取ることは出来ないからだ。
アジアの主要都市から日本への便は、ハノイ、ホーチミン、ジャカルタなど、なぜか夜行便が多い。しかし、ジャカルタ便はまだしも、ベトナムからの便は滞空時間が短か過ぎてゆっくり眠るのは無理。私には体力的にはキツい。そこで、香港経由と相成る。
問題は、香港空港の保安検査場が大変混んでいることが多く、乗り換えに時間がかかること。しかも、ベトナム=香港間のフライトが遅れることが少なくないので、香港から日本への乗り継ぎに遅れそうになったこともある。
12-16 restaurant.jpg
<ダナンのレストラン>

ところで、今回の出張で印象に残った写真を紹介しよう。
先ずは、ダナンでドゥイ君姉弟と食事をした時のレストラン。
ここも、オープンエアー方式で窓の無い建物であったので、ここも、所謂、吹きさらし様式。しかし、ダナンはハノイほど寒い訳ではないのでそれ自体は問題にならない。
面白かったのは、このレストランのトイレの男女別のサイン。
どこが面白いのか、写真をご覧あれ。
何とも、直接的な分かりやすい構図と言ってしまえばそれまでだが、こんなの見たのは初めて。
12-16 WC1.jpg
12-16 WC2.jpg
<ダナンのレストランのトイレ 男女の識別サインはユニーク>

ダナンではその日の昼間、VBPOでのミーティングを終えて、チャンさんを誘ってダナン料理のレストランで昼食を取った。
ここはダナンの名物料理、バイン チャン クオン テット ヘオ(ゆで豚のライスペーパー巻)専門店。ベトナムに多くある生春巻き料理同様に、食べる人間がそれぞれに自分で具を巻いて作って食べるのだが、面白いのは、ライスペーパーにバンヌックというもっちりした少し厚めの生地をくっ付けて巻くこと。
更に、まだ食べたことが無いというと、米粉で作られた太麺に少なめのスープを入れたもう一つのダナン名物、ミークアンも注文してくれた。エビやたまご、香草の上にエビせんべいを砕いて乗せて食べた。
美味しかったかって。うーん、私はブンチャーの方が良いなあ。
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<ダナンの名物料理>

ベトナムのテレビではなぜか日本の映画「大奥」を上映していた。面白かったのは、上映が始まる前に、なぜか地元のアナウンサーが浴衣のような着物を着て、解説らしきことをしていたこと。
それと、いつも不思議に思うのだが、ベトナムでは海外のドラマや映画を国内で放送する際に、字幕付きや、吹き替えの他、ナレーター一人が全員の台詞を言うことが少なくないこと。これは、「弁士方式」とでも呼んだら良いのだろうか。昔のサイレント映画を上映する際、一人の弁士が総ての登場人物の台詞を喋っていたように、一人で、全員の台詞を吹き替えるのである。
そのため、男性の台詞を女のナレーターが話してみたり、その逆に、女性が男性の台詞を言うこともある。不自然なので、感情移入がしにくいことこの上ないと思うのだが、経費節約のためなのか、そのような例は少なくない。ところが、ベトナムでも人気の韓国ドラマは吹き替えが一般的のようだ。視聴率が高いので、その分予算をかけられるということか。
12-16 Ooku.jpg
<ベトナムのテレビでは日本の映画「大奥」を上映していた>

08時 ホテル出発
10時40分 ハノイ発
13時30分 香港着
15時40分 香港発
20時25分 羽田着
風邪をひいた事務局長の自宅を訪問 [2013年12月18日(Wed)]
12月18日(水曜日) 
ズンズンと腹に響くスピーカーの響きに目を覚ます。どこかでディスコか何かがあって、夜中まで大音響を出しているのだろうか。それにしても一体何時まで、、、と思いながら時計を見ると、何と5時過ぎ。窓の外に目を凝らしてみるが、外はまだ真っ暗で何も見えない。
あっ、と思い出した。数年前にこの同じホテルに泊まって同じ音に悩まされた。その原因は、すぐ近くの公園での早朝5時からのエアロビクス。それが原因で、その後はこのホテルに宿泊するのを敬遠するようになったのだった。すっかり忘れてしまっていた自分に呆れる。それにしても、どんな連中がやっているのか、確認するために外に出てみる。
すると、すぐ近くの湖のほとりの薄暗い街灯の下で身体をくねらす人影を発見。それも高々20名ほどの小さな集団。なのに、なぜか巨大なスピーカーを設え、大音響でディスコ音楽を流して黙々と踊る。そのまま、外を散歩することにして、6時過ぎにホテルに戻って来ると何とまだやっているではないか。延々1時間以上も大音響を浴びて踊り続けるこの神経。何で!
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<早朝の路上エアロビクス教室>

ホテルの部屋に戻って、もう一つ、このホテルについて思い出したことがあった。部屋の中の異常な寒さだ。
備え付けのエアコンにはhotとcoldの印が付いているので、一応暖房機能も付いている筈なのだが、、、。なぜか、暖房側にスイッチを入れ、最高レベルの30度にメモリを合わせても、冷たい風がスースーするばかり。全く暖かい空気が出て来ない。
寒さに耐えきれず、フロントに文句を言ったところ、「空調の調子が悪いので」と釈明するも、小さなオイルヒーターを持って来てくれた。一体、エアコンには暖房機能が備わっているのかいないのか分からずじまい。
天気予報をチェックすると、今朝のハノイの最低気温は7度。東京と殆ど同じ寒さに、ヒーター無しではいられない。
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<みんな防寒具を十分に着込んで外出>

朝、メールを開くと連絡が入っていて、ハノイ独立生活運動本部のホンハー事務局長が具合が悪く、本部には出られないが、どうしても直接、相談したいことがあるので自宅へ来てくれないか、と。
前回は大怪我をして臥せっていた次長のトゥイさんの自宅に行ったばかり。本部に行く前に、ホンハーさんの家を訪問することにした。
昨晩遅く、ダナンからハノイに来ていた立石君と一緒に車に乗り、住所を頼りにホンハーさんの自宅に向かった。すると、上着を何枚も重ね着したホンハーさんが現れた。ひどい風邪を引いたとやつれた顔。彼女の家にも暖房機能は備わっていない。
ILC本部の登録問題や、送迎車両の修理の問題、タクシービジネスやインキュベーションセンター構想など諸々の問題に付いて、一時間ほど話し合った。寒い部屋なのでこちらもコートを着たままだった。
ホンハーさんの自宅を辞したあとは、ハノイ独立生活運動本部(Hanoi ILC)へ。
12-18 embroidery.jpg
<ハノイ独立生活運動メンバーが刺繍で作ってくれた日本財団のロゴマーク>

ここでは、怪我からすっかり立ち直った所長代理のトゥイさん以下、スタッフ3人が迎えてくれ、1時間余りのミーティング。主に、タクシービジネスやインキュベーションセンター構想などについて、ホンハーさんとの話し合いを踏まえて意見交換をする。
打合せの後は、Hanoi ILCの近くにあるブンチャー専門店を教えてもらい、私の好物のブンチャーを立石君と二人で食べた。
昼食を済ませるとホテルに戻った。そして、午後1時半、改めてホテルから出発。ベトナム政府の社会福祉省前の路上でVNAHのフオンさんと合流。一緒に、社会福祉省社会保護局へ。副局長のリー女史以下、3人の幹部が出て来て障害者ファイナンスに着いて意見交換。
社会福祉省としては、障害者法の精神に則って障害者支援のための施策の一つとして障害者ファイナンスに関心を持っているとして、今後、双方が協力して行くことで合意。会議室の中も暖房が無いのか、とても寒いので、みんなコートを着たまま会議。
12-18 MOLISA.jpg
<社会福祉省の古風なビル>

一旦ホテルに戻り、ロビーのカフェでVBSP銀行ニャン国際部長と打合せ。その後、5時半にFAO アジア大洋州本部の専門家ケビンさんと会って、障害者農業調査事業について打合せ。
晩ご飯は、共同通信三宅支局長と三人でヤギ鍋。私にとっては、昨年の冬に三宅さんに連れて行ってもらって以来、一年振りのヤギ鍋。前回と同じ経営者による店だそうだが、場所は引っ越して別のところだという。ところが、こんなに寒いのに、煙を逃がすためか以前の場所と同じように窓の無い吹きさらしの構造の建物。
それでも店の中は、相変わらず地元の人たちで大賑わい。酔っぱらって大騒ぎで乾杯する男性グループもいたりで大変な喧噪。その中で、我々も声を張り上げながら箸をつつく。お陰で、寒さも吹き飛ばす楽しい夕食だった。

09時半 ホテル出発
10時 ホンハさん自宅訪問
11時 Hanoi ILC本部訪問
13時半 ホテル出発
14時 労働傷兵社会福祉省(MOLISA)社会保護局リー副局長
16時 VBSP銀行ニャン国際部長
17時半 FAO アジア大洋州本部ケビンさん
19時 共同通信三宅支局長 
ASEANの首都の中で一番寒いのはハノイ [2013年12月17日(Tue)]
12月17日(火曜日) 
12-17 bridge.jpg
<龍の橋を覆う雨雲>

朝起きて窓の外を見ると、昨晩の雨は止んでいたが、今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。
ハン川に架かる「龍の橋」が見えた。4年の歳月をかけて今年3月に竣工したばかりのダナン市の新名所だ。6車線、全長666メートルの橋には、文字通り金色の大きな身体をうねらせた意匠の大きな龍があしらわれている。夜にはライトアップされ、昨夜、我々も赤や青、黄色などに色が変化する様を見学したばかり。
ハイさんが教えてくれた所によると、それだけではなく、竜の口からは巨大な火炎が吹き出す仕掛けになっているのだとか。
昨日に引き続いて今日一杯、融資先訪問をする立石君をダナンに残し、私は一足先にハノイへ移動するために飛行場に向かった。空港で飛行機に乗り込む時に、外を見ると雨が降っていた。
上空も気流が悪いと見えて、機体が大きく揺れた。
ハノイ到着直前の機内アナウンスによると、ハノイの気温は9度。
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<ダナン空港は市内からわずか10分>

ハノイ空港からタクシーに乗る。運転手が開口一番、「ハノイ ラン クアー」と言った。
久し振りのベトナム語だが、聞き覚えがある。えーっと、何と言う意味だったか、、、。そうだ、思い出した。「ハノイはとても寒い」と言う意味だ。
確かに寒い。今朝の気温9度は東南アジアとは思えない寒さ。携帯電話の情報によると、今日の東京の最低気温は7度。ハノイの寒さは東京と比べれば少しはマシとは言え、それほどの差はない。今朝の新聞には、ハノイ郊外の山中にある観光地のサパでは雪が積もり、雪見見物に5000人もの人々が車で押し寄せたことも重なり、道路は大渋滞というニュースも。
そう、ベトナム北部の冬は大変寒いのだ。東南アジアの国の首都だと言う先入観を持ってハノイにやって来ると寒さに震え上がることになる。
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<ハノイはとても寒かった>

ホテルにチェックインの後、すぐに、タクシーでWHOベトナム事務所へ向かった。所長のカサイ博士と担当のラムさんに、シッコロさんも加わってもらい、数日前に漸く始まったベトナム伝統薬の置き薬事業について意見交換。
この事業は、3年前にハノイで日本財団の全面支援により第2回ASEAN伝統医療会議を開催した際に、シュイエン保健副大臣から支援要請を受けたもの。日本財団がタイで行っているのと同じような、地元の生薬原料を使った伝統処方の医薬品を配置薬方式で配布する「置き薬事業」を、ベトナムでもやりたいということで、2012年初めにも始めることで準備を開始。しかも、WHO西太平洋事務局と、ベトナム事務所の支援を得て、独立モニタリングをする体制も調い、ベースラインサーベイも済ませた。ところがその後、ベトナム保健省の伝統医療局の作業がもたつき、予定より2年近く遅れてのスタートとなったのだ。
実施が遅れただけではなく、やり方やその内容にも多々問題があることが判明。今後、WHOにも協力してもらって改善して行くことになった。
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<漸く始まったベトナム版置き薬のキット>

夜は、久し振りにキャッサバ普及事業のパートナーだったCIATのミャンマー人土壌改良専門家ティンさんと会う。CIATとの事業は終わってしまったので、彼と会うのは2年振り。
彼は奥さんとお嬢さん二人の家族をニュージーランドに残し、東南アジアの現場に単身赴任中。バンコク、ビエンチャンとCIATが地域本部を移動させるに連れて移り、つい最近、ハノイにやって来たとのメールを受け取り今回の再会となったもの。
彼が連れて行ってくれたのはベトナム人に人気のレストランだった。ベトナム様式の由緒正しき佇まいを残す民家風の店内は中々の雰囲気。ただ、店の中も寒い。お客さんの中にはコートを着たまま食事をしている人が少なくない。私もそれに見習ってコートを羽織ったままで食事を続けた。猫舌で普段は鍋物は敬遠することが多い私にしては珍しく、今日は自ら鴨鍋料理を注文。
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<ハノイのホテルからの風景 高層建築が増えた>

10時 ホテル出発
11時25分 ダナン発
12時40分 ハノイ着
14時半 ホテル出発
15時 WHOベトナム事務所訪問
17時半 CIATティンさん
障害を持った経営者たちを訪ねる [2013年12月16日(Mon)]
12月16日(月曜日)
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<23階建てのダナンソフトウェアパークビル>

朝10時前に、ホテルでVNAHのハイさんと落ち合う。これから、彼の知り合いの障害者が経営しているコンピューターによる情報処理サービス会社を訪問するのだ。
ハイさん自身の運転する車に乗せてもらって、ホテルの近くにある23階建ての立派なビルに行く。ダナン政府肝いりで建てられたソフトウェアパークというソフト関連企業を100社以上も集めたというモダンな建物だった。
社長のフイマインさんが、副社長だと言う若い女性で日本語の堪能なチャンさんを伴ってビルの外にまで出て、我々を待っていてくれた。彼とは3年前にハノイでハイさんに紹介された時以来の再会だった。早速、8階にあるVBPO社に案内される。すると、学校の教室のような大部屋に机が並び、大勢の若い男女が一心不乱にコンピューターの画面を覗いて、なにやら作業をしていた。
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<データエントリーを中心に成長するVBPO社>

ハノイでハイさんに紹介された時は、フイマインさんは彼が以前務めていた別のソフト企業の副社長の立場だった。日本財団が障害者支援に熱心だということを知り、自分がこれから立ち上げようとしていた会社に支援してもらえないかとハイさんに紹介を頼んだのだった。私は、日本財団には個々の障害者個人に支援するスキームは無いと、それを断ったのだった。その直後、フイさんはVBPO社を設立したらしい。
ただ、私個人としてはその時初めて、障害者の起業に対する支援というニーズに気付かされた思いがした。そしてその後、その具体化を考え続けた結果、障害者ビジネスに対するファイナンス・スキームというアイデアにたどり着いた。そして、今年に入り、そのパイロット・プロジェクトをこのダナンで社会政策銀行と組んでやることになった時も、彼のことを思っていた。
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<VBPO社長のフイマインさん>

そこで、先日このファイナンス事業の現場視察のためにダナンに行くことが決まった時に、彼のことを紹介してくれたハイさんに取り次ぎを依頼したのだった。彼がこのスキームをどう考えているかも知りたかったからである。
フイさんによると、今、同社は、日本企業を主要顧客にデータエントリーを中心に、給与計算などの経理業務代行、ウエブデザインなどの仕事を請け負って成長し、現在の社員数は50人ほど。社長のフイさん自身がポリオの後遺症で左手と左足が不自由な障害者だが、そのほかの社員にも障害者が多く、全部で13名が障害者だという。事業は順調で、社員をさらに4倍の200人にする計画を持っているそうだ。
我々のスキームに着いては是非、融資を受けたいと現在、2.5万ドル(250万円)の借り入れを申請中。担保不足でペンディングになっているというので社会政策銀行と協議することにした。
その後、4人でダナン料理店で昼食を取って別れた。立石君と私は社会政策銀行のラン支店長らと合流、融資先訪問に向かった。
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<最初に訪れたのは、小さな洋服店>

最初に訪れたのは、小さな洋服店。一階の店舗の上に、作業場があり30年くらい前という日本製の電動ミシンが現役で使われていた。上半身に先天性の障害のあるリエンさんという店主は、我々のスキームで200万円の融資を受け、作業場を別の場所に設けたいと言っていた。
次いで、訪問したのは、前回も案内された視覚障害者が経営する竹細工の工場。既に購入したという竹の箸を包装するための機械が2台並んでいた。社長自身が障害者であるためか、障害者雇用に熱心だ。まだまだ手作業の余地が大きい作業工程のあちこちで障害者が働いていた。
その後、別のところにある竹の箸そのものを作る工場に案内された。衛生的に決してきれいとはいえない環境で食事用の竹の箸が作られていた。
この場所の賃貸契約が間もなく切れるというので、別のところにある政府所有地を借り上げて新工場を作るという計画で、我々のスキームで500万円の融資に申請したという話であった。リン社長によれば、これまで銀行に融資を申し込んだことはあるが断れたという。彼によれば、それは障害者である故の差別が原因だ。
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<竹細工の工場>

その後、案内されたのは零細規模の事業所が2カ所。一つは、知的障害者を子供に持つ夫婦が経営する養魚場と養豚場。もう一つは、片手の指に障害を持つ親父さんが経営するライスヌードル工場だった。これらの二つは借入額は僅かな15万円ほど。余り我々のイメージとは合わない対象先だ。
社会的弱者に対する零細金融を担うために作られた国策銀行である社会政策銀行にとっては、本来の金融業務の対象者だ。たまたま、家族に障害者がいるので障害者ビジネス・ファイナンスの対象になるということで斡旋したもののようだ。パイロット事業として始めたこの融資スキームの狙いは、障害者ビジネスに対する設備投資資金を提供することにある。そのために、上限を5万ドルと大きく取り、返済期間も3年から5年と長くしたのだ。本スキームのこのような狙いについては契約書に明記しており、ハノイ本店の国際部長のニャンさんにはしっかり理解してもらっている筈なのだが、現場であるダナン支店の理解は今一歩不足しているようだ。
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<ライスヌードル工場>

融資先訪問を終えて、ホテルに戻り一休みの後、ロビーに降りて行くと車椅子のドゥイさん一家が待っていてくれた。彼はインターネットを使ったオンラインビジネスGenashtim社の社員だ。100人の社員の半数が障害者だという同社の社長トーマスさんに紹介され、私たちに会いたいと、ダナンから300キロも離れたクアンビン省からはるばる6時間もかけてやって来てくれたのだった。
家族全員を夕食に誘ったが、両親と弟さんの3人は親戚の家に行くと辞退。1歳違いの姉さんと二人だけで、ハイさんを含む我々3人との食事に付き合ってくれた。
ホテルのすぐ裏手に見つけていたベトナム料理店で食事をしながら色々話し合った。彼は障害のため高校しか出ていないが、トマスさんの会社で働くことで英語が話せるようになったと嬉しそうに語った。この仕事によって生き甲斐を見つけたようだった。そのレストランで出たのは、今日の午後、盲人経営者リンさんの工場で見たとのそっくりの竹の箸だった。
ドゥイさん姉弟と食事を済ませて、外に出ると雨が降って来た。我々のホテルまで彼を迎えに来たご両親と一緒に写真を撮って別れた。
12-16 Duy.jpg
<ドゥイさん姉弟と両親>

09時45分 ホテルToan Buiさんと合流
10時 VBPO社Mr. Huy Manh Tran訪問
12時 昼食
13時 障害者インクルーシブ融資事業の借り手企業5社訪問
19時 ドゥイさん姉弟と夕食
ハノイ経由、ダナンへ [2013年12月15日(Sun)]
12月15日(日曜日) 
12-15 Quatar.jpg
<ハノイへのフライトは何とカタール航空機>

午前10時ホテルをチェックアウト。私がしょっちゅうミャンマーに行っていることを知っている顔なじみのドアマンが、「これからミャンマーですか」と聞く。「違う、今回はベトナム」というと、「ミャンマーはSEAゲームで仕事にはならないから?」
今日は日曜日なので道路は空いている。難なく,空港に到着。今回、私がベトナムへ向かうのに予約した飛行機はカタール航空機。バンコク経由のハノイ行きだった。そう言えば、昨年の今頃、ウガンダのエンテベ空港から、カタール、バンコク経由でハノイに移動したことを思い出した。しかし、あの時は、確か、カタール=バンコク間はカタール航空機だったが、バンコクからハノイまではタイ航空かベトナム航空機に乗り換えたように思う。曜日によっては、このようにカタール航空のハノイ便があるようだ。
12-15 watchers.jpg
<何やら熱心にテレビに見入る人たち>

ハノイのノイバイ飛行場に着いた。ここで入国手続きをし、荷物も受け取り、通関ゲートを通る。国際線エリアを出て国内線のチェックインカウンターで手続き、ダナン行きに乗り換える。乗り継ぎ時間は4時間もあるので余裕だ。
国内線のロビーでは、何やら熱心にサッカーに見入る人たちがいた。テレビの画面を見ると、SEAゲームのサッカーで、ベトナム・ラオス戦だった。3対ゼロでベトナムがリード。
日本では殆どと言って良いほど知られていないSEAゲームだが、意外なことに、現地ではオリンピックよりも人気が高いのだとか。確かに、昨日のバンコクでのテレビ、今朝のタイの英字紙においても大きな扱いを受けていたし、ハノイの国内線ターミナルでのテレビ放送に集る人の数からもそれは窺える。
このようなSEAゲーム人気の理由は、オリンピックではレベルが高すぎて、東南アジアの選手が活躍する余地があまりないのと、放映料が高過ぎで、現地のテレビでは余り放映されていないからだ、という記事をどこかで読んだことを思い出した。
12-15 football.jpg
<SEAゲームのサッカーだった>

日本からやって来た日本財団の立石職員と合流。一緒に、ダナンへ向かった。
ダナンの飛行場には、国立社会政策銀行のダナン支店長のランさんらがわざわざ迎えに来てくれていた。
もともと、社会政策銀行からは夕食に誘われていたのだが、この日は日曜日である上に、我々の到着時間が夜8時と夕食には遅い時間であることもありお断りしていた。だから、てっきり空港への出迎えはないものと思っていたのだが、、、。空港では、ラン支店長らとは挨拶しただけでお別れ。私と立石君は二人で車に乗り、ホテルに向かった。
着いてみるとここダナンのホテルでもロビーはクリスマスの飾付け。おまけに、BGMがホワイトクリスマス。
何もここまでしなくても、、、。ベトナムではこの後もクリスマスソングのBGMに付き纏われることになった。
12-16 DADXmas.jpg
<ここダナンのホテルでもクリスマスの飾付け>

疲れていたので、チェックインの後はそのまま部屋に直行した。ホテルの部屋でテレビを付けると、ここでもSEAゲームの特別番組をやっていた。
SEAゲーム人気の理由をさらに考えてみた。競技の中身もオリンピックとは随分違う。東南アジアでは一般的な竹のボールを蹴り合うセパタクローなど、地元に馴染みのあるゲームが多く取り入れられているようだ。一方、オリンピックでは普通の種目でも東南アジアでは馴染みの薄いものは含まれていない。勿論、冬季オリンピックのスケートやスキーのようなウインタースポーツなど熱帯の東南アジアでは無縁の種目はそもそも対象外だ。
このように考えてみると、オリンピックというものは、世界各国を等しく対象にしたスポーツイベントとは言うが、その実は、先進国を中心にしたもので、熱帯地域を中心に広がる途上国の風土は余り考慮されていないのではないか、と改めて思う。高温多湿の8月に開かれる東京オリンピックにこうした途上国の視点を取り入れることは出来ないものだろうか。
12-15 VTV.jpg
<ダナンのホテルで見たテレビのSEAゲーム特別番組>

10時 ホテル出発
12時50分 バンコク発
14時45分 ハノイ着
18時35分 ハノイ発
19時50分 ダナン着
終日、新事業についてブレーンストーミング [2013年12月14日(Sat)]
12月14日(土曜日)
ジョンハニーさんらとのAPCDでの会合のスタート時間は10時からと思い込んでいたのでのんびり朝食を取った後、念のためとスケジュール表をチェックして、9時からのスタートになっていたのにびっくり。大慌てでホテルを飛び出す。
BTSで最寄りのビクトリーモニュメント駅まで行き、普段は20分ほど歩く距離をタクシーに乗る。運転手が間違えて立体交差に乗り、APCDの場所を通り過ぎてしまったのでそこでタクシーを降り、歩いて戻る。APCDには10分i以上遅れての到着になってしまった。
ジョンハニーさんを始め、みんなが待っていてくれた。今回、集まってくれたのは、APCD所長の二ノ宮さんと佐野さんの他、職員のタイ人女性のトンさん、車椅子のフィリピン人男性ジャスパーさんと2ヶ月前に広報担当として加わったもう一人のフィリピン人女性、ベムさんだった。
12-13 BKKXmas.jpg
<仏教国のタイだが、最近はクリスマスデコレーションが目に付く これはバンコクのホテルのロビーで>

今朝、ロンドンから着いたばかりで時差ぼけしているというジョンハニーさんと挨拶を交わす。彼は足は義足、手にも障害を持つという二重障害の弁護士だが、東京マラソン参加を狙うスポーツマンだ。スターレーティングシステムは、元々は彼のアイデア。私自身も、そのようなニーズを感じていたところであったので共鳴し、いつか実現させようと誓い合ったのだ。
早速、ブレーンストーミングが始まった。スターレーティングシステムを実現するための、スケジュールや段取り、推進体制をどうするか、などを議論する。
議論に熱中する余り12時半を過ぎてようやく昼食。今日は、土曜日でAPCDの職員食堂も開いていないので、昼食はデリバリーのお弁当。その中身を見て驚いた。お寿司の盛り合わせとお好み焼きのセットだった。甘い緑茶などで良く見かける現地ブランド「Oishi』がパッケージに付いている。Oishiがケータリングもやっているのだった。
12-14 SRS.jpg
<夕方まで熱心に、皆でブレーンストーミング>

午後も、皆で熱心に夕方までディスカッション。近くのタイレストランで夕食会のあと解散した。ロンドンから着いたばかりの時差ぼけにも拘らず議論をリードしてくれたジョンハニーさん、二ノ宮さん、佐野さんを始め土曜日なのに出勤してくれたAPCD職員の皆様、有り難うございました。特に、二ノ宮さんには、カナダへの帰国の日程を明日にずらせてまで対応頂き感謝の言葉も無い。
ホテルに戻ってテレビを付けるとASEAN地域のスポーツ競技大会、「SEA Games」の特別番組が流れていた。そうだ、ミャンマーで初めてのSEA Gamesが11日から始まっていたのだ。
それによると、金メダル取得数ランキング1位は開催国のミャンマー。その後、インドネシア、ベトナムと続き、タイは4位だった。さぞかし,今頃、ミャンマー国内は盛り上がっていることだろう。
12-15 Boxer.jpg
<タイ人の女性選手がSEA Gamesのボクシングで金メダル>

08時半 ホテル出発
09時 APCDにて二ノ宮所長らと会議
12時半 昼食
13時半 会議
18時 APCD主催夕食会
今年23回目、最後の出張に出発 [2013年12月13日(Fri)]
12月13日(金曜日)
今年に入って23回目。これが、今年最後の出張。今回の目的地は、バンコクとダナン、ハノイの3都市。バンコクから帰ったばかりだと言うのに再びバンコクに行くのは、英国人弁護士のジョンハニーさんの都合に合わせたから。
また、バンコクのあとベトナムに廻ることにしたのは、以前から行くタイミングを見計らっていたダナンでの障害者ファイナンスの現場視察を軸に、ハノイでのいくつかの用事をくっ付けたためだ。
成田空港は久し振り振りの第2ターミナル。前回の時には、サテライト部分との間を結ぶ無人トラムの撤去に向けて、軌道の外壁に工事用パネルのはりつけが始まっていたのだが、どうなったのだろうか。好奇心に駆られて、トラムのプラットフォームまで見に行ってみた。
果たせるかな、旧軌道のあった場所に沿って動く歩道が設置されサテライトまで歩いて行けるようになっていた。漸く、無駄な待ち時間にフラストレーションを感じさせられることもなくなったとうれしかった。
12-13 Corridor.jpg
<無人トラムに代わって、歩く歩道が設置されていた>

バンコクで会うことになっているジョンハニーさんは、自身も足と手に障害を持つ障害者問題専門の弁護士。長く、カンボジアで障害者基本法の制定を支援する事業に関わって来た。そのころに、障害者公共問題大学院(IDPP)の立ち上げにアドバイスを貰ったのをきっかけに、親しくなった。
ところが彼は、この法律が制定されたのを機会にカンボジアを離れ、カナダ人の夫人と一緒にマニラに移った。そこで、暫く国際機関の仕事をしていたのだが、数ヶ月前にお母さんの病気の看病のためにロンドンに帰った。
以前から、彼と相談していた、障害者の視点からホテルなどの施設を格付けするスターレーティングシステムをスタートするに当たって、彼のアドバイスを受けようと連絡をとった。すると、クリスマスの休暇を利用して奥さんの待つマニラに戻るのでこの機会に合わせてくれれば会ってくれる、というので、バンコクで「途中下車」してもらい、明日会合を設定することにしたもの。
12-13 noshade.jpg
<ボーイング787の窓には日除けカバーは無い>

飛行機に乗り込み、眩しいので窓のカバーを閉じようとして、これまでの飛行機には必ず付いていた日除けのカバーが無いのに気が付いた。その代わり、窓の下に付いたボタンを操作すると窓ガラス自体が変色して黒くなったり明るく透明になったりするのだ。
これは、前回、初めてボーイング787に乗った時に気が付いた新機軸と同じだ。さてはと思い至り、座席前の書類ポケットの中の安全の手引きを見るとやはり、ボーイング787だった。トイレの扉の仕組みも通路を大きく塞がない工夫がしてあるなど斬新だ。
私が乗ったボーイング787の機体の具合には何も問題は無かったがが、成田の滑走路の混雑で出発に手間取ったためか、バンコクには30分ほど遅れての到着。
ところで、成田の空港内の銀行で両替して驚いた。受け取った百ドル札の柄が見慣れないものに変わっていたのだ。
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<100ドル札が新しくなっていた>

10時50分 成田発
16時30分 バンコク着
18時半 NHK姫野記者、N-TAC社内藤社長
「微笑みの国タイランド」? [2013年12月04日(Wed)]
12月4日(水曜日)
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<空港には国王の86歳の誕生日を明日に控え記帳台が設けられていた>

二週間の日程が、昨日の式典で総て終了。久し振りに帰国の日を迎えた。朝6時、暗い中をホテルを出発、一人空港に向かった。
ドンムアン空港には、国王の86歳の誕生日を明日に控えて祝意を表したい人のために記帳台が設けられていた。果して、こんなところで記帳する人がいるのか、と思って見ていると、スーツ姿のビジネスマンと思しき紳士が、膝まづいて記帳しているのを発見。
ラウンジで見た現地の英字紙トップニュースは、昨日、八谷支局長が話していたデモ隊と政府治安当局との間の休戦のこと。第一面の写真は何と警察官とデモ隊員が微笑みながら抱き合っている光景。
そして、裏表紙には婦人警官が警察本部に入ったデモ隊に花束を差し出している写真が、、。
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<「休戦成立」と報じる地元紙にはデモ隊員と警察官が笑顔で抱き合う写真が、、、>

これが激しい1ヶ月にわたる暴力の応酬の末のことだとは、と私は絶句。平和的なデモ行進の後だと言うのなら、花束を貰ったり渡したりすることも分からないでも無いが、無茶苦茶な暴力デモで、人間が4人も死んだあとのことなのである。
なぜ、笑って抱き合ったり、笑顔で花を受け取ったり平気で出来るのだろうか。正直なところ、私には理解しにくい出来事である。「微笑みの国タイランド」というキャッチコピーを思い出して複雑な気分になった。
このようなことを考えているうちに成田着。気流の関係か、定刻より30分ほど早い4時前の到着となった。二週間という長かった出張が終わった。
今回は、冒頭に体調を壊して酷い目に会ったが、無事完遂する事が出来た。これが今年に入って22回目の出張だったが、今年はもう一回、来週末には年内最後の出張が控えている。もう一踏ん張りだ。
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<婦人警官が差し出す花束を笑顔で受け取るデモ隊員たち>

06時 ホテル出発
08時25分 バンコク発
15時50分 成田着
ESCAP障害者インクルーシブビジネス賞授与式終わる [2013年12月03日(Tue)]
12月3日(火曜日) 
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<ナンダさんの司会で授与式が始まった>

いよいよ、国連ESCAPササカワ賞(障害者インクルーシブビジネス賞)授与式の当日となった。
式の開始は正午。私は、午前9時半からリハーサルがあるというのでBTSで会場のホテルへ行った。肝心のリハーサルそのものはあっという間に終わってしまったが、私はこの時間を使って英語のスピーチの原稿の手直し。幸い、二ノ宮さんのカナダ人の奥様であるマーシーさんが来ておられたので、厚かましく、添削をお願いした。
そうこうするうちに、障害者インクルーシブビジネス賞授与式が始まった。主賓は元首相のアナンさん。実は、ESCAP責任者のナンダさんのお父さんである。そして、国連副事務総長でESCAP総裁のへーゼル女史。審査委員長のミーチャイさんを始め、フィリピンのデヘスス元教育大臣ら3人の審査員も顔を見せた。
マスコミ関係者は殆どがデモの取材で忙しく余り来ないとのことであったが、今日予定されていた対政府主催の別のイベントが中止になり、そのお陰で、タイの地元メディアがこちらに大挙してやって来ることになりそうという。
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<昼食会を兼ねた式典には120人ほどが集まった>

果して、実際に、タイで大変著名な司会者で自身も車椅子ユーザーのクリサナさんが来てくれた。彼は、自身が車椅子利用者ということもあって、当然ながら障害者問題には大変深い関心を持っている由。
タイ盲人協会の元会長で、全盲の上院議員のモンティアンさんも来てくれた。私の席は、モンティアンさんと、APCD理事長で元外務大臣のテートさんに挟まれた席。お陰で、久し振りにお二人とゆっくり話をすることが出来た。
特に、モンティアンさんにはカンボジアでの「インキュベーションセンター」構想について話したところ、大変興味を持ってくれてタイの盲人協会メンバーの中にもきっと参加させてほしがる人がいるだろうという。更には、カンボジアやタイ、ミャンマーやベトナムなどのインキュベーションセンターが出来れば、それらをつないで、インターネット上に職業紹介のサイトを立ち上げようという話で盛り上がった。
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<受賞したホリデイインにトロフィーを渡すテート元外務大臣>

今回の受賞者が発表された、多国籍企業部門はインドを中心に57カ国で活躍する大手ソフトウエア企業のWIPRO社。同社は、障害者の雇用に力を入れているのだが、単なる「お情け」ではなく、障害者の潜在的な能力を評価する立場から、障害を持ったソフト専門家を育てて来た。その数は今や400人を超えるというから凄い。
各国企業部門での入賞は、ホリデイイン・シンガポール社。総人員の13%が障害者。3年以内に20%まで高めるのが目標だという。同社の力の入れようも大したもので、近くの特殊教育校の中に、わざわざホテルの客室を再現し、そこで在学中にホテルマン教育をして卒業生を積極的に雇用しているという。
最後の零細企業部門はトラッシュトゥーキャッシュというインドの企業。こちらは、従業員の65%が障害者。その仕事は、お祭りに使われた生花を始め、所謂、廃棄物を再利用して商品にするという廃品加工業。製品の販売先にバイエルやバンクオブアメリカなどの大企業を抱え安定的な収益を上げているというもの。
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<サイアム駅近くの道路を占拠するデモ隊>

授賞式が終わった後、APCDの二ノ宮所長、佐野さんと暫し打合せ。それを終えて、ホテルに戻るためBTSのサイアム駅に行こうとして、駅に向かう道路がデモ隊に占拠されていることに気が付いた。と言っても、刺々しい雰囲気はない。
繁華街の道路なので、デモ隊がシュプレヒコールを上げる脇を、一般の買い物客や外国人の観光客、果ては、下校中の学生たちまで歩いている。すぐ横には、クリスマスセールの看板やクリスマスツリーが飾られているので、誠に、ちぐはぐな感じなのだ。
車の通行は警察官によって禁止され、迂回するよう指導しているので、道路は歩行者天国状態。そこに、昨日見かけたのと同じ、デモ隊用の様々なグッズを売る露天商が何軒も我が物顔に並んで店開きをするという日本では考えられない光景が現出していた。
グッズ販売の様子を見ていると、一番人気は、タイ国旗と同じ紺白赤の三色のリボンがついた笛。明らかにデモに参加しているとは思えない女学生たちまで買っている。記念品とでも思っているようだ。
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<繁華街の道路は封鎖された>

デモ隊員たちは、殆どがこの笛を首から下げており、アジ演説の合間毎に、拍手する代わりにこの笛をピーピー吹き鳴らしていた。数千人のデモ隊が一斉に吹き鳴らすので大変なボリューム。
それにしても、デモ隊員を相手に飲み物や食べ物を売るだけならまだしも、鉢巻きやリストバンド、笛などこんなにたくさんの種類のものを用意し、露天商に売らせている黒幕は一体どんな人物なのだろうか。タイムリーな商品開発のセンスと、どんなものでも商売のネタにしてしまうと言う商魂に脱帽。
夜は一人でホテル内のラウンジで簡単に夕食を済ませていると、遅くなってから共同通信八谷支局長から連絡。一緒に、夕食を取ることに。今日一日デモの取材に走り回っていたという八谷支局長によれば、国王誕生日を明後日に控え、デモ隊と政府側双方が休戦で合意したのだそうだ。
その内容というのが、我々の理解を超えるものであった。それまで一歩たりとも入れさせないと鉄条網を張ってブロックしていた警察本部敷地内に、シンボリックな行為としてデモ隊を一旦入れさせ、デモ隊のメンツが立ったところで、すぐに退去してもらったとか。何ともヘンテコな話である。
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<路上にはデモ隊員用のグッズを売る露店が並ぶ>

09時 ホテル出発
09時半 ESCAPササカワ賞準備打合せ
12時 ESCAP障害者インクルーシブビジネス賞授与式
15時半 APCD二ノ宮さん打合せ
20時半 共同通信八谷支局長と夕食
デモ隊員を相手に商売をする商魂逞しい露天商たち [2013年12月02日(Mon)]
12月2日(月曜日)
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<テレビではデモを実況中継>

今日の午前中は本当は間遠所長とFAOアジア太平洋本部主催の薬用植物に関する会議に参加することになっていたのだが、間遠所長にはわがままを言ってドタキャン。
それは、長い出張で疲れていたのと、今日の午後に予定していた障害者の農業事情調査報告書に関するFAOアジア太平洋本部スタッフとの会議が気になっていたためだ。最終段階になって報告書の印刷を中止してもらうことになり、今後の取り扱いについて、どのように議論を進めたら良いのか、今回の出張の最初から、一番頭を痛めていた問題であった。
そこで今日は、落ち着いたところで、今一度報告書ドラフトを読み返しておきたいと考えたためだ。
出発前に、ホテルの部屋に届けられた現地の英字紙の一面は、大きなカラー写真付きで反政府デモの記事が載っていた。テレビを付けると、ニュース番組ではデモの実況中継。官庁街では騒然とした状態が続いているようだ。何と、死者は既に4人に上った由。
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<しかし、繁華街は美しくクリスマスの飾付け>

当初、国連ESCAP本部で行う事になっていた障害者インクルーシブビジネス賞の事務局会議は、デモ隊の攻撃目標になっている官庁街に近いので危険ということで、急遽、授賞式の行われる市内中心部のホテルに変更された。そこならバンコク一番の繁華街、BTSに乗ってサイアムで乗り換えてすぐ、私のホテルの最寄り駅からは僅か3つ目の駅だ。
ただ、その辺りも近くに国家警察本部があり、数日前にはデモ隊が押し寄せたという報道があったような気がする。少し心配しながら、約束のホテルに向かった。すると、繁華街は美しく飾付けをされクリスマスムード。官庁街では今もデモ隊が荒れていると思うと、何ともちぐはぐな気持ちになる。
実は、12月5日は、タイ国民の敬愛を集めるプミボン国王の誕生日。これまでだと、政治対立の都度、国王が調停者として機能して来た。誕生日の訓話というのも、国民が総て耳を傾けたものだが、85歳と高齢の国王は最近は沈黙を保ったままだ。
ホテルのまえには大きな肖像画が飾られていたが、誕生日の直前になっても殺し合いが起きる政治対立の現状を、国王はどう思っておられるのだろうか。
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<誕生日を目前に控えて街の至る所に国王の肖像画>

障害者インクルーシブビジネス賞の事務局会議が始まった。障害者分野の専門家ということで加わってもらった、APCDの二ノ宮さんらも一緒だ。
新しく出来たユニークな賞の第一回目ということで、この授与式については、マスコミの参加枠を原案よりも大きくしてもらったのだが、残念ながらマスコミ関係者からのレスポンスは思わしくないとの報告。日本のメディアを含め、このところの政治騒乱のため殆どがデモの取材に忙殺されており、この賞のニュースに割く人材の余裕が無いのだとか。残念だが止むを得ない。
次いで5時からは、別のホテルでFAOアジア太平洋本部担当者と障害者の農業事情調査報告書に関する懇談会。ここでもAPCDの二ノ宮さんらも一緒だ。障害者問題の専門機関として調査事業に加わってもらっているのだ。
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<ESCAP障害者インクルーシブビジネス事務局会議>

予定の時間になったので会議を始めようとするが、メンバーがなかなか集まらない。デモ隊がこの近くにも押し寄せており、あちこちで道路が封鎖されており、FAOアジア太平洋本部の小沼代表は来れなくなったとの連絡を受ける。
APCDのスタッフのトムさんが、二ノ宮さんの指示を受けて警察とデモ隊の動きを緊密にチェックするなかで、出来るだけ早く切り上げることにして、残りのメンバーで会議を開始。
午前中色々考えた末、印刷中止の背景を日本財団の当初の狙いから遡って丁寧に説明することに仕様と考えていた私は、「手短に」と言われて戸惑ったが、構わず少し詳しく説明したところ、幸いFAOスタッフからは「理解する」との言葉を引き出すことに成功。今後も協力し合うということで合意して会議は終了した。
終わった後、私のホテルの中の日本料理店で、二ノ宮さん、佐野さんたちと夕食を取った。彼らが合流するまでにかなり時間が経ったので心配したのだが、デモのお陰で、道路が一部封鎖されていたのだとか。明日の表彰式が無事済むことを祈らざるを得ない。
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<デモ現場近くでは露天商が反政府運動員を相手に鉢巻きなど様々なアイテムを販売中>

13時15分 ホテル出発
14時 ESCAP障害者インクルーシブビジネス事務局
17時 FAOアジア太平洋本部担当者との懇談会 
19時 夕食会
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