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大野修一(日本財団)
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カンボジア障害者学生たちと「インキュベーションセンター」を議論 [2013年11月30日(Sat)]
11月30日(土曜日)
朝8時半、マレーシア人のビジネスマンでGenashtim社のトマス社長、立石君の三人で、ソルヤ君の車でホテルを出発、カンボジア義肢装具士養成校(CSPO)へ向かった。カンボジア人の障害者学生たちと会うためだ。
日本財団がCSPOを運営するNGO「カンボジアトラスト」の提案を受けて、肢体障害を持つ大学生に対する奨学金事業を始めて4年。今では、プノンペン首都圏を中心に全土で約40人の大学生が日本財団からの支援を受けて大学に通っている。
彼らに会うのは、今年8月に2回会って以来、3回目になる。初めて会った際に、彼らのうち間もなく卒業を控えている10人ほどから、就職口探しをする過程で直面する偏見や拒絶などの大きな障壁を聞かされた。そして、それをどうやって乗り越えるようサポートしたら良いのか、考える中で私なりに出した答えが、会員制のネットカフェというアイデアだ。
11-30 DYG.jpg
<カンボジア障害者学生たちと>

ネットカフェのように、インターネットに繋がった数台のコンピューターを配置し、低料金で会員の障害者学生や卒業生が使えるようにしよう、というもの。就職口が見つからないので、ネットワーク型ビジネスを自宅で起業したいという彼らにとって、コンピューターやインターネットを導入するコストは大きな負担である。そこで、仲間たちと一緒に助け合いながら起業出来るような場所があれば良かろうと考えた次第。ここが、彼らの溜まり場としても機能する事を想定している。
8月に提案をし賛同がえられたので、メールでやり取りをしながら、具体化に向けた準備を進めて来たのだ。ただ、検討を進める中で、ネットカフェという言葉では、プノンペン市内でもあちこちにあるゲームセンターのようなものと混同される恐れが強いことが明らかになり、「障害者若者用インキュベーションセンター」というネーミングに変更することにした。
今回、なぜビジネスマンのトマス社長が同行したのかというと、その訳はこうだ。
11-30 CSPO.jpg
<会議の後、シサリー校長にCSPO構内を案内してもらうトマスさん>

彼の会社Genashtim社はとてもユニークな会社である。東南アジア各国の障害者をインターネットでつなぎ、在宅勤務の形でネットワーク型ビジネスを展開している。約50名のフルタイムスタッフのうち、40名が障害者。さらに、10人のパートタイムスタッフも障害者だという。
彼にこの「障害者若者用インキュベーションセンター」のアイデアを話したところ、大変興味を示した。彼は、事業の拡大に伴い従業員を増やしたいと考えていたが、サービス提供の安定化という観点から、出来るだけ色んな国に従業員を分散する方が望ましいと考えている。
ただ、これまではカンボジアのような特に貧しい国では、障害者のなかで、自宅にコンピューターを備え、しかも、インターネットを引いたり出来る者は限られている、と半ば諦めていたのだ。今回の仕組みによってインターネットにアクセスすることが出来る若者がいるなら、是非とも、彼らと会って採用を考えたい、とわざわざスケジュールを調整してプノンペンまで駆けつけてくれたのだ。
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<イオンモールの建設が進む>

CSPOに着くと、校長のシサリーさんが10人ほどの学生たちと我々を待っていてくれた。トマスさんも交えて、色々検討した結果、来年始めの開設に向けて具体的な準備を進めて行くことになった。
CSPOでの会議を終えて、ホテルに戻る途中でカンボジア料理のレストランで3人で昼食。その後、私と立石君は、クメール陶器復活事業の件で現地のコンポンチュナン村に住み着いて事業を手伝ってくれている明(あけ)さんと打合せ。その後、立石君はトマスさんと一緒に学生たちと再び合流し、インキュベーションセンターの設置候補地を下見に出かけた。
私の方は、ESCの理事会へ。今年度の事業報告を受けるとともに、昨日の教育大臣との会見を踏まえて、来年度以降の事業の進め方に着いて討議した。
夜は、理事会メンバーと夕食。この席にはジャカルタでの義肢装具師養成校JSPOの事業取材を終えた鳥海アドバイザーも合流した。夜、ホテルに戻って鳥海さんからジャカルタでの取材の様子を聞くなど、少し話し合う時間を持った。

08時半 ホテル出発
09時 カンボジア障害者学生
12時 トマス社長昼食
13時半  明さん陶器事業打合せ
15時半 ESC理事会
18時 夕食
20時半 鳥海アドバイザー
プノンペン到着早々、教育大臣と面談する [2013年11月29日(Fri)]
11月29日(金曜日)
朝5時、真っ暗な中をチェックアウト。プノンペンへ日本財団の職員の立石君と一緒の旅。ジャカルタへの直行便の出発時間が殆ど同じだと言うのでカンボジアトラスト代表のカーソンさんも一緒だ。三人でホテルを出発、一緒にホテルタクシーに乗リ込む。
空港の出国検査のデスクには今もCHOGMの掲示が残ったままだった。CHOGMというのは先月行われたcommonwealth heads of government meeting の略、英連邦元首会議のことだ。日本だったら、終わったら勿論、即座に撤去するところだろうが、ここは南国。暫くはこのままだろう。
カーソンさんとは、三人で出発ギリギリの時間まで空港のカフェで雑談して別れた。
我々二人はその後、バンコクへ。元々、乗り継ぎ時間が短かったのだが、到着時間が少し遅れたところ、到着ゲートには係員が待ち構えていた。「急いで」と小走りで、遠く離れた空港の反対側にある乗り継ぎカウンターに誘導された。お陰で何とか乗り継ぎ便に間に合い、無事プノンペンに到着する事が出来た。
11-29 CHOGM.jpg
<出国検査のデスクには今も英連邦会議の掲示が残ったままだった>

我々は、ホテルにチェックインすると部屋には入らず、荷物を置いただけで教育省へ急行。新任のナロン教育大臣に面談した。
ラジオ番組を使った英語教育サポートプログラムを担当するNGOの北野事務局長や松島さんなどのメンバーに、我々より少し遅い便でジャカルタから着いたばかりの松岡職員も空港から直行し、この席に加わった。一方、驚いたことに、大臣はメモを取るアシスタントを一人伴っただけで登場。これまでの大臣面談のような担当局長などの幹部同席は無し。
新大臣の経歴は少々変わっている。前歴は、フンセン首相の経済顧問で経済副大臣。世界銀行に務めた事もあるバリバリのエコノミスト。フンセン首相が教育行政に力点を置こうとしていることが伺われる。大臣に就任して間もなく、超多忙の筈だが、官房副長官のブンサンボさんが口添えしてくれたお陰で我々になってくれる事になった模様。
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<韓国の国際協力機関KOICAの支援現場を示す看板>

彼自身が語ってくれた所によると、彼は元々はロシア語専攻の経済学者。ソ連時代のキエフで学んだ時に、フランス語と英語を独習でマスターしたという。その後、フランスのリヨン大学と国立プノンペン大学のダブル学位を取得している。
私は大臣に会うと、これまでの経緯をまとめて以下のように説明した。
これまでの3年間の実験で、対象学生の成績は対象外の者を75-80%上回るようになることが明らかになった。ラジオ番組を使った我々の英語教育サポートプログラムの有効性は実証されたと考えている。前任のイムセティ大臣との約束で、カンボジア政府が財政的支援をしてくれる機関を見つけるまでとして、今後2年間に限り日本財団は支援を続ける事にしたが、それ以降の支援は出来ないので対応をよろしくお願いしたい、と。
すると、ナロン大臣は、予めこの事業の概要を聞いて理解してくれていたようで、経済学者らしく、特にコストパフォーマンスの観点からラジオ教育放送の仕組みは大変有益であると語った。
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<就任したばかりのナロン教育大臣と面談>

自分自身も、フランス語はリンガフォンで学んで話せるようになった。ラジオプログラムは、是非全国対象のカリキュラムに取り入れる形で、Take-overしたい。そのためには教員教育が特に重要なので、教員養成学校で対応できるように、然るべく指示を出す、と断言した。
大臣からはさらに、この教科書の著作権契約はどうなっているのか、教育省がTake overして使用する上で問題ないかとの質問があった。その後、ESCが確認してくれた結果、ラジオプログラムの知的所有権と著作権はBBCに帰属するが、日本財団とESCは、非営利・非放送目的であれば無償の使用権を有していることが判明。ただ、 教科書やCDのみの使用なら問題はないが、ラジオ放送実施の場合は、別途、BBCとの調整が必要になるかも知れない。
いずれにせよ、新大臣の本気度に勇気づけられた面談であった。

05時 ホテル出発
07時20分 コロンボ発
12時20分 バンコク着
13時40分 バンコク発
14時50分 プノンペン着
16時半 ナロン教育大臣面談
19時 トマス社長との夕食
スリランカ義肢装具士学校の理事会 [2013年11月28日(Thu)]
11月28日(木曜日)
朝起きて外を見ると濡れていた。夜半に雨が降ったみたいだ。
体調はようやく回復。これまで何日間も、体調が悪かったお陰で、夕方早くからベッドに入っていた。睡眠時間だけはこれまでになくたっぷり取っていたせいだろうか。とても、すっきりとした目覚め。
時計を見ると7時半。日本時間では昼前の11時だ。スリランカと日本の時差は3時間半あるためだが、2時間半のミャンマーから移動して来た身には、時差は実質1時間なので殆ど気にならない。
バスルームで体重を測ってみて驚いた。33.5キロも体重が落ちているではないか。前回、絶不調時に測ったときは減っていなかったのに、その後の数日でここまで痩せるとは、身体のメカニズムは本当に不思議だ。
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<仏教国のスリランカでも商店街はクリスマスの飾付け>

朝食のレストランには、カンボジアトラストのカーソン代表とスリランカ義肢装具士学校のメアリー校長が、一足先にスリランカ入りしていた日本財団の立石職員とテーブルで待っていた。今日の理事会に向けて、事前のブリーフィングを受けるとともに、スリランカ政府保健省の要請にどう応えれば良いのか、色々アドバイスをもらう。話し合いながら、恐る恐る食事をする。まだ心配なので今朝はホッパーと呼ばれるスリランカ式パンケーキだけにする。
食事の後、徒歩でホテルの前の道を横切り、ササカワホールへ。ホーチミンほどではないが、交通量の多い道路でありながら交通信号が無いので若干勇気を要する。理事会場は郊外のラガマの町にある学校ではなくて、普段は、いつもここササカワホールで開かれる。
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<理事会はいつものササカワホールで始まった>

ホール2階の会議室で理事会が始まった。20人近いいつものメンバーが集まった。議長は保健省の担当局長であるマヒパラ博士。
カンボジアトラストからは、カーソンさん、メアリーさんの他、わざわざ英国から来てくれた監事のマックブラーヤーさん。日本人は我々日本財団からの二人の他、専門家として参加してもらっている田沢先生が出席。
あとは、スリランカ人のメンバーだ。ササカワホールを管理するササカワトラストの前会長のダヤシリさんと、引退後もいつも参加してくれている元軍医総監のペレイラ将軍や、障害者連盟のシリル議長の他は、保健省関係者。久し振りに、保健省OBでタミル系のジャガネイサン博士も顔を出した。人格者でシンハリ人の保健省役人の間にも人望がある。
IMG_4884meeting2.JPG
<理事会議長はいつも保健省の担当局長>

理事会が終わり、別室でスリランカ式の昼食。漸く、この一週間ほどで初めての普通の食事を取る。
午後2時からは、ササカワトラストの前会長のダヤシリさんと打合せ。カンボジアの陶器プロジェクトへの技術指導を打診したところ快諾を得る。
その後は、再び、カンボジアトラストのカーソン代表、SLSPOのメアリー校長と今回の理事会での討議結果を踏まえて、今後の取り組み方針などを協議。
夜は、セワランカ財団のハルシャ会長とラジャパクサ大統領の義弟で大統領顧問のラリットさんと、日本料理店で夕食を取りながら諸々の相談。
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<ササカワホール玄関には笹川良一初代会長の肖像画>

08時半 朝食打合せ
09時半 ホテル出発
10時 SLSPO理事会
14時 ダヤシリさん
15時半 カンボジアトラストCEOカーソンさん
18時45分 ホテル出発
19時 ラリット大統領顧問、ハルシャさん
中国の影響力強まる一方のコロンボ [2013年11月27日(Wed)]
11月27日(水曜日) 
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<今朝も朝は曇りだったが、、、、>

朝9時、ホテルでGenkyiオーナーでコンサルタント会社J-Sat社長の西垣さんと食事。気を付けて消化に良さそうな地元の麺料理、モヒンガを少々だけに止めておいたが、久し振りの朝食だったせいかとても美味しかった。これまで頑にストップしていた消化機能が漸く回復して来たことを実感する。
西垣さんに、この日曜日以来の視覚障害者用医療マッサージ事業についての協議の内容など、進捗状況を報告。早くからヤンゴンに住み、視覚障害者のための生業としての指圧マッサージクリニックの可能性に目をつけて実践して来たのが西垣さん。経験を踏んだ経営者としての観点から、色々貴重な助言をもらうことが出来た。
昼前にホテルをチェックアウトし、空港へ向かう。半年ほど前にいち早く開通したレダインの立体交差を渡る。良い天気だ。
今朝も早朝は曇りだったが、その後晴れて来た。結局、5日間の滞在中一度も雨には遭わずに住んだ。ティンニュントさんによると、私が到着した前日までは雨が降ったりしていたそうなのだが、、、。いよいよ、雨季明けの本番が近づいているようだ。
11-27 bridge.jpg
<一番最初に開通したレダインの立体交差を行く>

バンコクから乗り継いだスリランカ航空機は、今回も、北京始発。中国人スチュワーデスも乗っていると見えて、機内のアナウンスにも中国語が含まれていた。コロンボに到着すると、空港ビルがきれいになっていた。これも、確か中国政府の資金ではなかったか。
中国の影響が薄まりつつあるミャンマーとは対照的に、スリランカでは、着実に中国の影響が強くなっているようだ。その理由の一つは、4年前に政府軍の一方的勝利で終わりを告げた内戦の最終局面において、一般人が多数犠牲になり、その責任を現政権の強圧的な軍事作戦にあるとする西側諸国の批判にスリランカ現政権が反発。それらの国々との外交関係が緊張したものになっていることが指摘される。
民間人の死者はタミール軍が所謂「人民の盾」にしたためであると、LTTE側の責任を指摘する向きもあり、政府軍が一方的に悪い訳ではないと思うのだが、それらの批判にラジャパクサ政権は強く反発し、一部の政府とは、経済協力の資金流入が止まってしまうほどのとげとげしい関係になっている。
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<コロンボ空港がきれいになっていた>

先月、コロンボで開かれた英連邦会議(CHOGM=commonwealth heads of government meeting )でも、このような現政権の姿勢に反発するカナダとインドを始めとする国々がスリランカでの首脳会議をボイコットするという事態になっている。ラジャパクサ大統領はそれでも強気の発言を繰り返しているが、その後ろ盾に、気前よく援助資金をばらまく中国政府の存在があることは間違いない。
中国政府の援助によって建てられた空港からの高速道路も開通していた。運転手は「市内まで20分余りで行けるようになった」と満足そう。先月の英連邦会議に間に合わせたのだそうだ。「大変だったみたいだね」と水を向けると、「いやなに、40カ国のうち、カナダとインドはボイコットしたが無事開催に漕ぎ着けたさ」
「この高速道路は中国の支援だってね」と言うと、「そうさ、今は何でも中国さ」と運転手は苦笑い。「何しろ,これまでは一時間以上掛かっていた空港から市内まで25分で行けるようになったんだから」と自分自身に言い聞かせるように呟いた。
ホテルに着き、チェックインを済ませ、自分の部屋に向かうとしてエレベーターを待っていると、エレベータから出て来た白人客がいきなり「ニーハオ」。彼が、私に向かって投げた言葉と理解するまでに暫しの時間がかかった。
IMG_4881highway.JPG
<中国政府の援助で作られた高速道路を飛ばす>

09時 J-Sat社長西垣さんと朝食
11時45分 ホテル出発
14時45分 ヤンゴン発
16時40分 バンコク着
20時05分 バンコク発
22時00分 コロンボ着
体調、最悪期をようやく脱出 [2013年11月26日(Tue)]
11月26日(火曜日) 
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<落書きが増えたのは民主化のせい?>

朝8時半ころに目を覚ますと、昨夜までのような酷い胃の張りは治まっていた。消化活動が、漸く再開し始めたようだ。 ただ、朝食は全く取る気になれない。
朝10時の約束があるので、間遠所長と一緒に、ミャンマーApex銀行の本店へ。 銀行6階の役員室で幹部の皆さんと会い、障害者大学生用の奨学金事業の構想について話し合う。
銀行での会議を終えて、間遠所長とホテルに戻る。昼食の時間だが、まだ、本格的な食事を取る気にはなれない。ただ、ようやく、胃の中が少し軽くなったように感じるので、スープの中にご飯を混ぜたものを少しだけ食べる。
昨晩までのような状態が続くなら、今日のうちに、ティンニュントさんの病院へ行き診察してもらうつもりになっていたのだが、最悪期を脱した今となっては、わざわざ彼に頼むのも面倒だ。パスすることに。このまま行けば、明日には復調がはっきりするのではと考えたからだ。
かと言って、食事を苦痛無く食べれるようになるのは、まだ少し先のように思えたので、迷った末、大事をとって今夜のマイクさんとの夕食の約束はキャンセルすることにし、断りのメールを出す。
食事の後、間遠所長とMILI本部へ向かった。1時から3時半頃まで、諸々の打合せ。
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<ここにも落書き>

今回のテーマは、先ずは、来年に行うASEAN障害者芸術祭の予算規模と内容、参加者の選定基準と参加を呼びかけるための周辺国訪問プラン。次いで、MILI本部事務所の引っ越し先をどうするか、賃貸か購入か、また、そこに併設する予定の「インターネットカフェ」構想について。更に、来年3月の障害者ビジネス会議での発表者、議事進行など会議の大枠について。それから、タクシービジネスの件と、最後に、障害者学生を対象にした奨学金事業について、今朝の銀行での話し合いを基に概要を報告し、当事者としての彼らの意見を求めた。
3時間余りの打合せを終えると疲労感が襲って来た。このところ、殆ど食事らしい食事もせず、体力が低下しているところに、朝から喋りっぱなしだったせいだろう。この先まだ、出張日程が10日分ほども残っているので、体調管理には注意しないと行けない。
ここは、ホテルで身体を休めるに限ると、一人ホテルに戻る。今日の夕食もキャンセルしてしまったので、これで連続して4日間、ちゃんとした夕食を食べないことになった。ただ、一昨日買っておいたバナナと、間遠所長が差し入れしてくれた栄養ドリンクが手つかずのまま冷蔵庫に入っていたので、夕方5時過ぎにバナナとドリンクで夕食。そして、6時過ぎにはベッドに入り眠ってしまった。その前に、さぞかし体重は減っただろうと、内心楽しみに、携帯体重計で測ってみたら、体重は殆ど減っていなかった。あれっ壊れたのか?
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<「おしん」に由来する洗剤ブランドO-Shin>

09時40分 ホテル出発
10時 MAB銀行
13時 MILI打合せ
国立盲学校に設置されたマッサージ学校を視察 [2013年11月25日(Mon)]
11月25日(月曜日)
朝7時半、目覚ましに起こされた。12時間近く寝た計算だが、なぜか今も疲労感が強くすっきりしない。夜中に何度も目を覚ましたせいなのだろうか。疲れが取れていない。昨日買った小さいバナナを一本食べて朝食の代わりにする。
9時前に、ホテルを出る。今日も、間遠所長が滞在しているホテルで合流すべくタクシーに乗らなければならない。ただ、昨日のタクシー料金はやはり納得がいかない。ホテルの前から拾うと外国人料金を吹っかけられるということかも。
そこで、今回は試しにと、今日はホテルの前からではなく、反対側の道路に出てタクシーを拾ってみる。すると、すんなり昨日の半値の300円でOKしてくれた。
この運転手も英語は上手。ただ、間遠所長のホテルの場所を知らない。「えっ、滞在型のホテルとして以前からある有名なところじゃないの」と尋ねると、「マレーシアで働き15年振りに帰国して運転手になったばかり」と申し訳なさそう。そんな彼も、「日本財団か、良く知っているよ」と言う。
無事辿り着いたホテルで間遠所長と合流し、メームさんの車でパラミ病院へ向かう。
ティンニュント博士をピックアップし、チーミンダイン盲学校に行く。私にとって、ここの訪問は今年5月以来で、2回目。当時ここが、先月のミャンマー障害者芸術祭の予選会場だったためだ。
ここは、政府の社会福祉省が運営する国立の盲学校。国立は、ここの他はミャンマー第2の都市、マンダレーの近く、ザガインにしかないそうだ。
11-25 schoolmaster.jpg
<国立の盲学校、チーミンダインで校長先生を囲んで打合せ>

ここでは、医療分野でミャンマーを中心に活躍している日本のNGOであるジャパンハートの協力で、4年前から、視覚障害者に日本の按摩技術を教える指導者を養成する事業が行われてきている。日本政府の資金援助2700万円を得て、本年3月に盲学校の敷地の一角に竣工したばかりの研修棟を見学した。
指導員の卵たちは、ここでの9か月の研修の後、各出身地の盲学校で1年間の教育実習を行う。これまでに31名が卒業。今は生徒8人に対し、教員は日本人の若き指導者、杉浦さんら3人とのこと。校長先生はモーモーミンさん。社会福祉省の職員だ。
ここでの研修プログラムに着いて詳しく教えてもらった後、我々が目指しているマッサージ師養成校との間の具体的な協力のあり方、連携の可能性について色々なアイデアを話し合った。双方にとってメリットのあるような協力関係が何とか実現出来そうだ。話し合いの後、マッサージ実習の様子も見せてもらった。
帰る途中、ティンニュントさんの電話に国境省からの連絡が入る。国境省の都合で会議の場所を当初の約束の中央訓練センターではなく、私が泊まっているホテルのロビーにしてくれないかという。担当の局長も同席することになり、彼の都合で市内の方が良いということになったのだそうだ。遠方にある中央訓練センターに行くよりはこちらにとっても好都合だ。
ただ、この突然の変更を、同行してもらう予定のエルウィンさんに連絡しないといけない。ところが、携帯電話がなんとしても繋がらない。SEAゲームズを来月に控えて、ミャンマーの電話事情は良くなる筈だったのだが、、、。
11-25 trainingschool.jpg
<日本政府の資金で建設されたマッサージ学校の校舎>

エルウィンさんへの電話は諦め、メームさんに直接彼の自宅にいってもらことにし、ホテルの近くのシャン料理の店で間遠所長と二人で昼食を食べる。油濃いものが多いビルマ料理と違って少数民族シャンの料理はさっぱりしている。これなら食べれるだろうと思ったのだ。この店の名物の餃子とシャンラーメンを注文。暫くまともなものをお中に入れていなかったので、一際おいしかった。
ホテルに戻り、国境省との打ち合わせの時間より30分早くロビーに降りた。それまでに、間遠所長にこれまでの経緯を話しておこうと考えたからだが、ロビーに行くとエルウィンさんもテインテー部長ら国境省の職員も既にテーブルを囲んでいた。ところが、肝心の担当局長はいない。彼も交えて話し合うと言うことで、わざわざホテルのロビーにした筈だが、急遽、大臣に呼び戻されてネピドーに戻ったとか。???
国境省の事業についての打合せをしているうちに、具合が再び悪くなる。熱が出て来たのか、身体がだるいだけでなく、のどの辺りが痛い。どうも風邪をひいたのかも知れない。
国境省研修打合せのあと、部屋に戻りベッドに横になる。異常に胃が張って寝ていても苦しい。そのうち、強い吐き気に襲われる。夕方にまでには、今日で帰国する笹川会長ら一行ともう一度会っておこうと思っていたのだが、やめることに。
11-25 massagetraining.jpg
<盲学校での実習風景>

先ほど食べた昼食は、さっぱり味のシャン地方のラーメンだし、油の多い一般のミャンマー料理と較べるとはるかに消化に良い筈なのだが、胃の中にそっくりそのまま居座って、消化されずにいるようなのだ。吐き気がするので何度もトイレに行くが、うまく行かない。不思議なことに、嘔吐物に胃酸を感じない。どうも消化機能がストップしているかの様だ。
手持ちの薬の中から、胃薬、整腸薬、風邪薬などありったけのものを全部飲んで、夕方6時半に眠りに着く。8時半に電話で起こされる。笹川会長からの電話だった。何事かと思うと、親切にも私の体を心配してくれての電話だった。会長からは、このまま出張を続けずに、切り上げて帰国してはどうか、と言われたが、大丈夫ですと言って電話を切った。
身体は熱っぽく喉は痛いが、腹を壊した訳ではない。問題は風邪による自律神経の不調から消化不良を引き起こしたものに過ぎないと思うのだが。胃の膨満感とでも言うのだろうか、お腹が張って苦しくて何遍も目を覚ます。夜中を過ぎて明け方になっても治まらない。こんな経験は初めて。

08時45分 ホテル出発
09時15分 Mikasaにて間遠所長と合流
09時半 パラミ病院でティンニュント博士をピックアップ
10時 チーミンダイン盲学校訪問
12時 昼食
13時半 国境省研修打合せ
視覚障害者用医療マッサージ事業の件で打合せ [2013年11月24日(Sun)]
11月24日(日曜日) 
腹痛で目を覚ます。時間を見ると7時前だった。昨晩は8時過ぎには眠りに着いたので十分すぎるほど寝たつもりだが、どうもすっきりしない。
朝食はスキップして、8時過ぎに、ホテルからタクシーに乗る。私のこれまでの経験からは3000チャットほどの距離だと思うのだが、値段は、6000チャット(約600円)と言って聞かない。高いとは思ったが、最近はヤンゴンの物価も上がっているし、と仕方ないので、言い値を飲むことにした。
運転手はミャンマー人にしては肌の色がかなり黒かったので、尋ねてみた。「インド系イスラム教だ」徒との答えが返って来た。心配だろうと尋ねると。「うん」と答える。父親はカルカッタから移住して来たが、母親はミャンマー東部出身のミャンマー人で、自分はミャンマー国籍だ、と憮然として言う。しかし、彼のミャンマー語には強い訛があるように感じた。
11-24 morning.jpg
<今日は曇天だが、、、>

間遠所長の滞在している滞在型ホテルで合流し、MILIの本部へ向かった。渋滞も無く、わずか10分ほどで到着。約束の9時にはまだ20分以上ある。案の定、事務所のドアは閉まったまま。そこで、一旦、表通りまで戻り、喫茶店でお茶を飲んで時間をつぶすことに。そうしていると、ティンニュントさんから電話。事務所でミャンマー盲人協会(MNAB)会長のアウンコミンと一緒だというので、急いで戻った。暫く遅れて、MNAB事務局長のアウンナイントゥンさんも加わり、皆で障害者マッサージについて話し合った。
まず、最初に私の方から先月のジュネーブでのWHO本部における伝統医療部門の責任者である張博士との会見について報告した後、皆で3時間近く話し合った。お陰で、全体像がかなりはっきりして来た。合意点をまとめると、以下のようになる。
11-24 discussion.jpg
<障害者マッサージで打合せ>

開校は来年9月を目指す。一期生の定員は10名。対象者は原則、18歳から35歳までで、中学卒業以上の学力を持つものとし、入学試験を行い選抜する。
授業時間は合計1500時間以上。一日5時間、週5日の授業。3ヶ月分約300時間を一学期とし、その間に休暇を挟む。そのため、授業の期間は約1年半となる。
学習は一時に全課程を履修することを必要とせず、一学期毎の履修を認める。一学期分の学習課程修了の都度、試験を行い、それにパスしたものだけが、その単位に対する認定証を与えられる。また、経験者には全課程ではなく、圧縮課程を履修後、期末試験に合格すれば同じ認定証を与えることもある。
全5学期分の課程を修了し、総ての認定試験に合格したものには、卒業証書を授与する。これは、当初は民間の認定資格としてスタートするが出来るだけ早い段階で国家資格に持って行くよう務める。
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<大規模な二重の立体交差も今日完成>

また、5学期分の基本コースに加えて、更に専門性の高い分野についての選択科目を用意する。日本の指圧・あんま、タイの伝統医療マッサージであるヌアタイ、中国のトゥイナ、また、フィジオセラピーなど。さらに、独立しクリニックを開業しようと考えている研修生のために起業家用のビジネス概論なども履修できるようにする。
そして、運営主体となる組織については、専門家、視覚障害当事者、医師、保健省や社会福祉省関係者など10人程度のメンバーからなる運営委員会を設け、その下に、日々の実務を担う管理組織を設けることにした。
このように、全体の構想が略々まとまったので、来年の1月にも、社会福祉大臣に面会し、本事業の構想を説明し、協力を仰ぐことにした。
10-18 NFoffice.jpg
<これが日本財団ヤンゴンオフィスの入るビル>

MILIで打合せをしていると、間遠所長の電話に梅村所員から電話。急遽、記者会見をすることになったので、日本財団のミャンマー事業資料が必要になったので30部ほど、コピーを持って来て欲しい、とのこと。
ところが、いくつか要訂正箇所があることが判明。急いで、日本財団ヤンゴンオフィスの入るカモンプエ・ショッピング・センターへ。修正して、印刷をしているとギリギリの時間。
インヤレークホテルへ急行。記者会見に間に合った。記者会見には、地元を中心に60人程の大勢の記者たちが集まっていた。30部では足らないことは明らか。間遠所長らは大急ぎで増刷の手配に追われる。
秘密だった筈が、昨日の空港での到着の様子は既に今朝の新聞で写真入りで報道され、大騒ぎになったのだが、それは、これまで政府側に拘束されるのを恐れてミャンマー本土に足を踏み入れるのを拒み続けてきたネイハンサー、デビッドタカポー、エーベルトゥイートの3人の少数民族武装勢力の三人のリーダーが、笹川会長の同行を評価して、今回初めてミャンマーの土を踏んだため。
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<記者会見に集まった大勢の記者たち>

途中で気分が悪くなって来たので退出。ホテルに戻ることにし、メームさんの車で送ってもらう。ホテルの近くのスーパーで停まってもらい、消化に良く栄養価の高いものと思いバナナを買い求める。大きな房を半分にしたものが50円ほどと信じられないほど安い。
車中から、エルウィンさんに電話。明日の国境省との打合せの場所である中央訓練センター(CTC)への足の相談をする。ただ、CTCなのか、国境省の持つもう一つの研修設備である民族大学なのか、今ひとつはっきりしなかったので、彼に頼んで、国境省側に確認してもらうことにする。
ホテルの部屋にいるとエルウィンさんから電話。国境省側に確認したところ、テインテー部長自身はつかまらなかったが、彼のスタッフによると、CTCは間違いないが、何と時間は10時になっているとのこと。びっくり仰天。東京に問い合わせを入れる。その後、午後2時で確認が取れたとの連絡が入り、一安心。
明日は、午後1時過ぎにエルウィンさんの自宅で彼をピックアップし、一緒に、中央訓練センターに行くことで決着する。
それやこれやで疲労感が増すなかで、殆ど食欲を感じないので、買って来たバナナを齧った。今日も、ちゃんとした夕食は取らないまま、6時過ぎに床に就く。
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<記者会見が始まったが私は途中で退席>

08時10分 ホテル出発
08時半 ミカサレジデンスで間遠所長と合流
09時 MILI本部にて、障害者マッサージ打合せ
12時15分 日本財団ヤンゴンオフィス訪問
13時半 インヤレークホテル
ヤンゴンは暑かった [2013年11月23日(Sat)]
11月23日(土曜日)
朝のフライトでバンコクからヤンゴンに向かった。今回のヤンゴンでの目的は、大きく分けて4つ。即ち、視覚障害者を対象にしたミャンマー伝統医療に基づいたマッサージ学校開設に向けた打合せ、若手の障害者グループ(MILI)の幹部と会って来年にかけてのいくつかの事業について協議と来年度予算策定のための基本方針の剃り合わせ、国境省との公務員研修事業の打合せ、某銀行との障害者大学生用奨学金構想の詰め。
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<ヤンゴンは暑かった>

今回も前回同様、メームさんの車を断って、空港からホテルへはタクシーを利用。今回も2000チャット以上安いのでクーラー無しを注文。ところが、結果的にクーラー付きの快適な車となった前回とは異なり、今回は掛け値無しのクーラー無しタイプ。
ちょっと甘く考えていたのだが、ヤンゴンはまだまだ暑かった。間もなく雨季が終わり寒季(?)に 入るはずなのだが、天気予報によると今日の最高気温は34度。車が動いている限りは、開け放したままの窓から風が入って来るので耐えられるが、交差点で停車すると叶わない。
土曜日とあって、空港を出てから暫くは快調に進んでいた車だったが、突然ストップ、のろのろ運転になってしまった。
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<シュウェゴンダインの交差点の工事現場で渋滞中>

外を見ると、シュウェゴンダインの交差点の工事現場で渋滞中。しかし、昨年暮れに始まった立体交差の工事そのものはほぼ完了し、路面の仕上げという段階になっていた。運転手に尋ねると、完工式は来月始めとか。どうやら、来月11日から始まるSEAGames(ASEAN競技大会)には間に合わせようと急いでいる模様。
運転手は、「日本とミャンマーの企業の共同事業だよ」と教えてくれる。それにしても、英語がうまいので尋ねると、いわゆる88世代だった。軍政の被害者だ。当時はミャンマーの最高学府、ヤンゴン大学で歴史を学んでいたのだそうだ。
ミャンマーで何の仕事をしているのかと聞かれたので、日本財団だと言うと、「ああ日本財団か。良く知っている。ミャンマーを助けに来てくれてありがとう」という。嬉しくなった。
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<立体交差点の工事はほぼ完了していた>

午後2時、ホテルのロビーに日本財団ヤンゴン事務所の間遠所長に来てもらって打合せ。
折しも、今夕、タイのチェンマイから陸路で国境を越え、ミャンマー側のシャン州の国境の町、タチレクに入っていた日本財団の笹川会長が、ヤンゴン入りすることになっていた。
会長一行に私も合流し、夕食を一緒にするつもりで待機していたのだが、飛行機の到着予定時間が、6時半が7時半になり、しかも、秘密の到着だった筈が20人以上のマスコミ関係者が待ち構える中での到着となったりで、夕食開始の時間が大幅に遅れることになった。そうこうしているうちに、私は、疲労のせいか食欲も全くなく、体調もどうも思わしくなくかったので、夕食を付き合うのはあきらめることにした。そして、そのままひとりホテルで早めに寝てしまうことにした。
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<ヤンゴンでは男性の日傘も当たり前>

05時半 ホテル出発
08時00分 バンコク発
08時45分 ヤンゴン着
14時 日本財団ヤンゴン事務所間遠所長
和僑大会でプレゼンテーション [2013年11月22日(Fri)]
11月22日(金曜日)
朝10時、ホテルにマヒドン大学のスラキット副学長がやって来てくれた。彼からの申し出があり、オンラインによる障害者公共政策大学院大学(IDPP)の件で相談したいことがあるから、というのだ。二人だけで、色々な問題をじっくり話し合うことが出来た。既に、発足してしまっているIDPPであるが、当初の目標であったASEAN化に向けて、今も色々な問題があり頭が痛い。
スラキットさんとの話の後、和僑大会でのプレゼンテーションのために出かけようとしていると、ホテルのフロントから電話。ちぐはぐなやり取りの後、驚くべきことが判明した。私が直接行ったこのホテルの予約の際、当初は「満室」だと言われたのだが、その後、部屋が取れたとの連絡があった。そして、すぐに確認書も送られてきていたので安心していたのだが、フロントが言うには「今日チェックアウトし、一日置いて、明日またチェックイン」となっていると言う。そんな筈はないと確認書を改めて見てみると、確かにそのように記載されていた。
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<BTSにはいつのまにか、自動開閉の保護柵が設置されていた>

当時のメールを取り出して確認したところ、こちら側の依頼内容には誤りがなかった。どうやら、予約時の処理をホテル側が間違えたのだが、送られてきた確認書を鵜呑みにしてしまったこちらに手落ちがある。「今日チェックアウトではなく、明日まで2泊したいというと、今日は満室だ」と言う。
結局、元々はホテル側の手落ちであることははっきりしたので、ホテル側の責任でもう一泊分の部屋を確保してもらうことになった。ただ、部屋を変わることになるので、荷物をまとめておかねばならない。それやこれやで、昼食は抜き。ホテルを出たのはぎりぎりの時間だった。
タクシーでは渋滞の危険があるので、移動にはいつものように高架鉄道スカイトレイン(BTS)を利用。プラットフォームの端には、いつのまにか、日本の地下鉄にもあるような転落防止の保護柵が設置されていた。ただ、自動開閉の筈だが、なぜか動く様子は無い。試運転中と言うことか、、、。
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<会場となったホテルの裏の公園は平和そのものだったが>

会場となったホテルの2階のバンケットホールには、日系企業によるブースや、タイの物産展のブースなどが設けられていた。ただ、午前中は大前研一氏の講演が行われていた筈だが、余り人影は見られない。600人以上の人がエントリーしているとのことだったが、昼食中ということか。
主催者によると、参加者の多くはタイなど海外に進出した中小企業関係者が多いらしい。参加の目的の一つは、人的ネットワーク作りのようで、昼食時間も皆さん忙しいらしい。
ただ、午後から始まった私のプレゼンテーションは、タイの大手企業のオーナーによるものと同時並行の分科会の扱いで、小ぶりの会場。ただ、時間になっても余り埋まらず、閑散としていた。
どうやら、企業人にとって非営利団体の活動はあまり興味をそそるテーマではなかっと見え、私の観客は30人もいただろうか。寂しい限りであった。
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<バンコクは再び政治の季節に突入>

プレゼンテーションの後、会場で共同通信八谷支局長、NNA八木編集長と会った。
夜は、フジテレビ加藤記者と約束があったのだが、そこに、八谷支局長、八木編集長も加わることになった。バンコクでは、インラック政権が提出したいわくつきの恩赦法案がきっかけになって、再び、過激な街頭行動が始まった。雨季が漸く終ったタイだが、今度は再び政治の季節に突入してしまったようだ。3人のジャーナリストからタイの政治情勢などを学ぶ貴重な時間。

10時 マヒドン大学スラキット副学長IDPP
12時45分 ホテル出発
14時 和僑大会でプレゼンテーション
18時半 フジテレビ加藤記者、共同通信八谷支局長
2週間という長い出張 [2013年11月21日(Thu)]
11月21日(木曜日)
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<バンコクで開かれる「和僑大会」のパンフレット>

バンコクへ。これは2週間という長い出張の始まりに過ぎない。実は、元々は、スリランカでの義肢装具士学校の理事会と、カンボジアの中学校の先生の卵を対象にした奨学金事業の理事会、国連ESCAPでの障害者インクルージブ・ビジネス賞の授与式、などが相次いで開かれるので企画した1週間ほどの出張だった。ところが、明日22日にバンコクで開かれる「和僑大会」という催しの場で、日本財団についてのプレゼンテーションをやってほしいという依頼が笹川会長に届いた。別のスケジュールが入っていた会長に代わって私がそれを行うことになったことから、その後にミャンマー行きを挟んだところ、全部で2週間という出張になったもの。
経験的には、1週間が適当な長さ。10日くらいが気力の限界。2週間では少々長過ぎて、途中で緊張が続かなくなり、その後は体力勝負となるが仕方がない。
仕事が溜まっていたので、今回はいつもの朝便ではなく、バンコクに深夜到着の夕方の便を使うことにした。午前中に財団に出て、少し仕事をして、午後3時に財団を出て成田空港に向かった。

17時50分 成田発
23時10分 バンコク着
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