CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2013年09月 | Main | 2013年11月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2013年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
帰国 [2013年10月30日(Wed)]
10月30日(水曜日)
朝6時半、ホテルを出て空港へ。無事、帰国。成田エクスプレスの車窓から夕日を受けてシルエットを見せるスカイタワーが見えた。
今年20回目の出張が無事終わった。しかし、3日空けて、今度の日曜日からはアフリカに行かねばならない。
10-30 sunset.jpg
<夕日を受けてシルエットを見せるスカイタワー>

06時半 ホテル出発
09時45分 マニラ発
14時55分 成田着
感激の国連平和大学APS卒業式 [2013年10月29日(Tue)]
10月29日(火曜日) 
早朝7時半、平和大学APS国際諮問委員で、スリランカ最大のNGO、セワランカ財団のハルシャ会長とホテルのレストランで一緒に朝食を取りながら、スリランカ事業について打合せ。
その後、やはり、平和大学APS国際諮問委員でAPS構想の生みの親で、当時の平和大学学長で、前ローマクラブ事務局長のマーチンリーズさんと面談。
10-29IAB.jpg
<国連平和大学APS国際諮問委員会議始まる>

午前10時、ホテル内の会議室で、国連平和大学APS国際諮問委員会議が始まった。フィリピンの元大統領のラモスさん、ASEAN前事務局長のスリンさんらは欠席し、7人の委員のうち今回集まったのは、ハルシャさん、マーチンリーズさんと広中和歌子さんの3人のみ。
昨日の夜、フィリピン南部ダバオの日系人組織訪問から戻った日本財団の尾形理事長も、担当の田中職員と合流して、会議が始まった。
今日は、特別ゲストとして、フィリピン軍司令官のバウチスタ将軍がスライドを使いながらフィリピン国軍改革の基本理念についてレクチャー。
10-29 General.jpg
<バウチスタ国軍最高司令官が講演>

APS国際諮問委員会議を終えて、昼食の後、車に分乗してアテネオデマニラ大学へ。式場となるいつもの大教室の前には受付の机が添えられ、既に、卒業生やその友人や家族などが集まっていた。我々は、別室で角帽とガウンを着せてもらったあと、式場へ案内された。階段状になった部屋の最前列に着席して間もなく、国連平和大学APS第6期生が入場して来た。そして、卒業式が始まった。
10-29 ceremony.jpg
<卒業式場に国連平和大学APS第6期生が入場>

アテネオの学長の挨拶に続いて、ロハス新学長が挨拶。日本財団の尾形理事長の祝辞と挨拶が続く。
それらを受けて、卒業生代表の男女学生2名が答辞。「平和って何だろう」というテーマで世界中の子供たちのコメントを集めたビデオが披露された。卒業生の一人が中心になって、自分たちで作ったオリジナルという。中々の力作であった。
最後に、卒業生一人一人に対して、卒業証書と、記念品の授与が行われ卒業式は終了。
10-29 rector.jpg
<卒業式でスピーチするロハス新学長>

式典が終了した後、記念撮影。学生たちの晴れ晴れとした顔。
きっと、彼らの胸中には1年半のマニラとコスタリカでの日々が去来していたことであろう。苦しいこともあった筈だがそれを乗り越え、晴れて卒業に漕ぎ着けたという充実感、高揚感に満面の笑みがこぼれていた。
この事業は、私が中心になって8年前に企画し、平和大学とアテネでマニラ大学に提案して始まった事業である。勿論、その後の運営上の困難を乗り越え、ここまでに発展させて来たのは、両大学の関係者を中心とした人々なのだが、きっかけを作った人間として、とても誇らしい思いであった。
10-29 graduates.jpg
<記念撮影する卒業生たち>

卒業式の後、会場をホテルに移して、記念の夕食会を行った。共同通信マニラ支局三井支局長も来てくれた。
学生たちの家族や、大学の教員、諮問委員会のメンバーも一緒であった。卒業生たちは、ここでもスライドを上映した。二つのキャンパスで過ごした日々の写真を、友人たちからのメッセージと併せて編集したものであった。
大変賑やかで大盛り上がりの楽しい夕食会であった。いつもながら、若い人たちの輝く顔を見ているこちらも、感動を覚え、胸に迫るものを感じた。
10-29 party.jpg
<大いに盛り上がる夕食会>

07時半 セワランカ財団ハルシャ会長
09時 国連平和大学名誉学長マーチンリーズさん
10時 国連平和大学APS国際諮問委員会
11時半 APS関係者昼食会
15時半 ホテル出発
16時半 国連平和大学APS第6期生卒業式
19時 記念夕食会
マニラで打合せ [2013年10月28日(Mon)]
10月28日(月曜日)
国連平和大学の卒業式は明日なのだが、昨日のうちにマニラ入りしたのは、色んな人たちに今日のうちに会っておきたかったからである。
そんな訳で、朝8時から順番に5組の人たちと面談した。順を追って名前を挙げると、最初は、NGOカンボジアトラストのカーソン代表。アジア全域での義肢装具士養成校事業での日本財団の大切なパートナーである。ここマニラにあるフィリピン義肢装具士養成校の海外諮問委員会(IAB)が明後日開かれるので本拠のある北アイルランドのベルファストから来てくれたものだが、私は明後日には日本に帰国するのでIABには出ることが出来ない。そのために、今日、ホテルで朝食を取りながらの打合せとなったもの。先月、ニューヨークの国連総会でのサイドイベントで一緒になったばかりだが、その後の諸案件の進捗状況の報告を受ける。
その後は、アテネオデマニラ大学のクルス副学長と会った。彼は、平和大学とのデュアルキャンパス事業のマニラ大学側の責任者であるが、今回は、むしろ、障害者公共政策大学院(IDPP)プログラムのアテネオデマニラ大学側責任者として、先週、バンコクでのデリック教授との打合せの報告と今後のASEAN化の進め方の相談をする。
その後、先日バンコクの障害者インクルーシブビジネス賞の選考会議であったばかりのデヘススAIM前学長も交えて3人で昼食。
午後は3時から、国連平和大学本校の学長に就任したばかりのロハス博士と面談。日本財団としての、この事業を始めたきっかけやその背景、現状の評価、今後に対する期待などについて説明した。
夜は、共同通信のマニラ支局長の三井さんと会って食事。

08時 カンボジアトラスト・カーソン事務局長
11時半 アテネオデマニラ大学クルス副学長
12時15分 デヘススAIM前学長
15時 国連平和大学ロハス新学長面談
18時 共同通信マニラ支局三井支局長
バンコクからマニラへ [2013年10月27日(Sun)]
10月27日(日曜日) 
今日は日曜日。明後日のマニラでの国連平和大学APS第6期生の卒業式に出席するべく、マニラに移動する。ただ、フライトが午後なので、ゆっくり朝寝をして、12時にホテルをチェックアウト。
午後3時のマニラ行きの飛行機にに乗り込んだ。
飛行機の中でタイの英字紙を開くとトップニュースは24日に100歳で死去した高僧ソムデット師への一般人による弔問が昨日から始まったとの記事。バンコク都庁は今日まで半旗を掲げ、職員は来月の23日までの一ヶ月間は喪に服し黒服や黒いネクタイをすることになる、という。仏教国タイならではの紙面作りであるが、前回出張時のミャンマーの国営新聞の新聞紙面にも通じるものがある。
10-27 topnews.jpg
<タイの英字新聞のトップニュースは、、、>

アジアでの平和構築支援事業に携わる専門家の養成を目指して8年前の2006年にスタートしたのが、この中米の非武装中立国コスタリカに本校を持つ国連平和大学とフィリピンの名門、アテネオデマニラ大学のデュアルキャンパス方式の修士コースAPS (Asian Peace-builders Scholarship)である。これまでに、5期にわたり135人の卒業生を送り出して来た。
今回、そこに新たに第6期生29人が加わる。既にコスタリカでの授業を開始した第7期生30人を加えると、総勢194人の大部隊だ。うち、日本人は79名。卒業生は、国連関係機関や各国政府、NGOなどで活躍中。その内の、何人かとはコンタクト。日本財団や関連団体の職員になった者もいる。
今回、新たに卒業する6期生に会うのが誠に楽しみだ。

12時 ホテル出発
15時05分 バンコク発
19時15分 マニラ着
バンコクでの土曜日 [2013年10月26日(Sat)]
10月26日(土曜日)
今日は土曜日だが、NHKヤンゴン支局長の小林さんと、バンコク支局の姫野カメラマンと会って一緒に昼食。日本財団が支援するUNESCAP障害者インクルーシブビジネス賞を始めとする障害者関連の事業や、ミャンマーでの取り組みに着いて説明した。
夕方は、ヤンゴンの義肢装具士養成校の校舎改修を請け負ってもらっているアマーティ内藤さんに来てもらって、先月の保健大臣との会合の結果報告と今後の取り組み方針に着いて打合せ。
夜は、共同通信の八谷支局長にも加わってもらって、三人で夕食。

12時 NHKヤンゴン支局小林支局長
18時半 アマーティ内藤さん
19時 共同通信八谷支局長
障害者インクルーシブビジネス賞の選考会 [2013年10月25日(Fri)]
10月25日(金曜日)
10-25 ESCAPentrance.jpg
<ESCAPの立派な玄関>

朝8時15分、ホテルから間遠所長と一緒にタクシーに乗り込みESCAPの入る国連ビルへ向かった。入り口のセキュリティーのチェックポイントでAPCDの二ノ宮所長ら一行とばったり。一緒に、障害者インクルーシブビジネス賞選考委員会会場へ。そこで、選考委員の三人の皆さんと顔合わせ。
委員長のミーチャイさんは、タイでは非常に有名な社会活動家、特にエイズ撲滅活動で知られ、当時は「ミスター・コンドーム」と呼ばれていたほど。保健大臣を務めたこともある。有名人だが、私はミーチャイさんと会うのはこれが初めて。
10-25 ESCAPmeeting.jpg
<障害者インクルーシブビジネス賞運営委員会のメンバーと顔合わせ>

デヘスス博士にはこれまで3回ほどお会いしている、フィリピンの元教育大臣で、つい最近までマニラにあるAsian Institute of Management (AIM)の学長をしていた人。もう一人のカルタエバさんは、カザフスタン人の女性で肢体障害者で車椅子のユーザー。
先だっての、ハノイでの会合で会ったばかり。
暫く、全員で自己紹介をし合ったり、賞に向けての考え方などを説明した後、我々障害者インクルーシブビジネス賞運営委員会のメンバーは一旦、退出。選考は第三者を入れずに選考委員だけで厳正に行ってもらおうという趣旨からだ。
10-25 jury.jpg
<障害者インクルーシブビジネス賞選考委員はこの三人>

この時間を利用して、私と二ノ宮さんはIDPP(障害者公共政策大学院大学)の責任者のデリック教授とミーティング。彼は、IDPPのASEAN移行のために、先々週以来、アメリカからこちらに出張して来ている。これまでに、シンガポール国立大学、マラヤ大学、マヒドン大学などIDPPのパートナー大学を訪問し、打合せを行って来た。今回は、その報告を受け、今後の方向に着いて打合せをするためにESCAPまで来てもらったもの。
10-25 ESCAPhall.jpg
<一階のレストランで打ち合わせ>

15時半、選考委員会が予想外に早く終わったので、呼ばれて選考結果の報告を受ける。
3つのカテゴリー毎に受賞者と、併せて6つの佳作(Honorary Mention)が選ばれていた。選考の理由と経緯について簡単に説明を受ける。こちらからも、いくつかの質問をして最終的に決定。
授与式は12月3日、国際障害者デーの日にバンコクで発表する予定。
その後、近くのホテルに徒歩で移動し、運営委員会のメンバーと食事をしながら反省会。

08時15分 ホテル出発
09時 UNESCAP障害者インクルーシブビジネス賞選考委員会
10時半 IDPP会議 デリック教授 
15時半 障害者インクルーシブビジネス賞選考委員会
18時半 障害者インクルーシブビジネス賞運営委員会
またまた、バンコクへ [2013年10月24日(Thu)]
10月24日(木曜日)
slide-logo-en.png
<ESCAPササカワ障害者インクルーシブビジネス賞のホームページ>

今日からは、バンコクとマニラへの出張。これが今年20回目の出張。主な目的は二つ。
バンコクでは、UNESCAPとAPCDをパートナーに始めたSasakawa Disability Inclusive Business Award(ESCAPササカワ障害者インクルーシブビジネス賞http://www.di-business-award.com)の選考会と、併せて開かれる運営委員会に出席、
次いで、マニラに移動して国連平和大学のAPS(Asia Peace-builders Scholarship Program http://www.upeace.org/academic/spec_masters/alp.cfm)6期生の卒業式に出席する予定。
logotop.gif
<これが国連平和大学のロゴ>

暑かった夏も終わり、このところすっかり涼しくなった東京だが、例年にもまして多くの台風に見舞われている。今回は、26号と27号という二つの台風の隙間を縫うようにしての出発。
途中、かなり揺れるところもあったが、ほぼ定刻にバンコクに到着。バンコクは曇り。ホテルの近くの路面は濡れていた。暫く前に雨が降った模様。車を降りてみると、意外と涼しかった。
夕方、選考会のためにヤンゴンから出張して来た日本財団ヤンゴン事務所間遠所長と会い打合せ。その後は、FAOアジア太平洋本部小沼代表と三人で食事。

10時50分 成田発
15時25分 バンコク着
18時半 日本財団ヤンゴン事務所間遠所長
19時 FAOアジア太平洋本部小沼代表 
バンコク乗り継ぎで帰国 [2013年10月20日(Sun)]
10月20日(日曜日)
10-20 anotherrainyday.jpg
<朝起きて見ると今朝も雨が降っていた>

朝7時45分頃、ホテルのレストランに行くと笹川会長が森グループ長らと朝食のテーブルを囲んでいた。会長一行は私よりは一本遅い今日のバンコク便でバンコク経由でインドへ移動することになっている。ハンセン病関係の視察が予定されているのだ。
私の方は今日が今回の出張の最終日。8時15分に車を呼んであって、それに乗って私は森グループ長と二人で帰国することになっていたのだが、彼から、急遽、帰りの便を午後の便に遅らせたことを聞かされる。そこで、一人で車に乗り空港へ向かう。
空港のラウンジで、政府系英字紙New Light of Myanmarを開く。てっきりトップ記事は、例の爆弾事件の続報かと思いきや、昨日の満月のお祭りについてのカラー写真入りのもの。一面には5つの記事と3枚のカラー写真が掲載されていたが、全て仏教に関するものであったのにはびっくり。
10-20 buddhafestival.jpg
<政府系英字紙New Light of Myanmarのトップ記事は、昨日の満月のお祭り>

羽田行きの飛行機に乗り継ぐため、バンコク空港に到着。滑走路には懐かしいラオス航空機が停まっているのに気が付いた。ブルーにラオスの国花プルメリアの花があしらわれた尾翼が特徴。ターボプロップ式のの小型機、フランス製のATR機だ。
以前、不発弾処理や、キャッサバ事業をしていた関係で何度も利用した思い出がある。しかし、この飛行機は、つい先日の16日に、ラオス南部のパクセー郊外でメコン川に墜落したものと同型機だ。台風による悪天候が原因だそうだが、乗客乗員合わせて、49人全員が死亡したばかり。今日この飛行機に乗る人の気持ちには複雑なものがあるに違いない。
夜、10時半無事羽田着。10日間の長かったミャンマーだけの出張が終わった。
10-20 LaoAir.jpg
<バンコク空港には落ちたばかりのラオス航空機と同じATR機が>

08時 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
14時20分 バンコク発
22時30分 羽田着
障害者芸術祭終わる [2013年10月19日(Sat)]
10月19日(土曜日)
10-19 temple.jpg
<今日は仏教のお祭り 寺院の前は人だかり>

今日は雨も上がり朝から晴天。芸術祭は最終日。
会場に向かう道すがら仏教寺院の前を通ると大変な人だかりがしている。今日19日は仏教の重要な行事である「雨安居(うあんご)」明けの満月の日。ミャンマーでは僧侶に貢ぎ物をし、同時に目上の人に贈り物をする習慣があるそうだ。そのため、今日は休日なのだそうだ。
それなら、芸術祭の会場の入りは少ないのかと思いきや、そうではなかった。むしろ、昨日を上回る人出でごった返していた。それもその筈、ここはれっきとしたお祭りの場でもあったのだ。
敷地内に仮設店舗やテントなど臨時の営業スペースを設け、有償で一般の物販店や食堂を入れて営業させたほか、ホールの中では障害者支援をしている地元や国際的なNGO12団体がブースを出して、物品の販売をしている。しかも、協賛メーカーが提供してくれた商品は無料で提供されている。
むしろ、日を追ってこの芸術祭のことが近隣の人の知るところとなり、祝日ともあって大勢の人が物珍しさから集まって来たのではなかろうか。椅子席の1,200席がすべて埋まり、後の方には立ち見の人もいる。
10-19 1standing.jpg
<立ち見が出るほどの盛況>

彼ら野次馬のお目当ては恐らく二つ。
一つは、有名芸能人だ。有名歌手である「親善大使」のお二人の他、トップクラスの芸能人が10人以上もノーギャラで参加し、舞台で障害者と歌ったり、踊ったりしているのだ。
もう一つの、お目当ては、コカコーラを始め、地元の紅茶やヌードル、ミネラルウォーターなどの会社計6社の協賛メーカーが提供している飲み物や食品が無料で味わえるということのようだ。特に、人気はインスタントラーメン。
ボランティアたちが、わざわざ、封を破りお湯を注ぎ箸と一緒に渡してくれるコーナーの前には長い行列が出来ていた。中には、受け取ったカップをすすりながら、家路を急ぐ様子の子供たちもいた。足は裸足、粗末な身なりだ。無料ラーメンを聞きつけてやってきた近所の貧しい家庭の子供たちか。
元々、今日は最終日ではあるが、閉会式は行わないということになっていた。それは、今回の障害者芸術祭は来年のASEANフェスティバルに向けた「始まり」を告げる行事に過ぎないという主催者MILIのメンバーの考えからのものであった。
10-19 celebrity.jpg
<モーミンさんはミャンマーでは超有名な伝統舞踊の振付師で舞踏家>

ところが、急遽、夕方にちょっとした式典をやりたいという連絡が入った。開会式に欠席した米国のミッチェル大使や、笹川会長が来ることを知った組織委員会が、慌てて決めたのだ。社会福祉省から日本財団に対して記念品の贈呈をしたいという。そして、米国大使と日本財団会長、APCDの二ノ宮所長らにもスピーチをしてほしい、という。
しかし笹川会長からは、既に初日の開会式でスピーチは済ませたので、今度は私が話すようにとの指示。そこで、MILIの幹部と相談の結果、私のスピーチは全部ミャンマー語ですることになった。
私が作った英語の原文を、今回のフェスティバルのMILIの担当責任者で、ヤンゴン外大の女学生で英語の堪能なゼマピューさんにミャンマー語に訳してもらった。そして、2−3時間かけて発音の特訓。お陰で何とかメッセージは通じたようで、会場は大いに盛り上がった。その後、米国大使が英語でのスピーチ。特にボディーガードが付いている様子もなく、リラックスしてかれこれ1時間ほども楽しんでから帰って行った。
ところが、閉会式の後も芸術祭は続いたのだ。次々と障害者の歌や踊りが披露され、ポップソングの時には観衆の手拍子が鳴り響き、大歓声が轟くなど、会場の熱気は高まる一方。最終日ということで、夜に入ると親善大使のお二人が揃って顔を出した。それだけでなく、他にも有名歌手や俳優などの芸能人が次々に現れ、夜に向けて益々賑やかさが増して行った。
10-19 amabassador.jpg
<親善大使の有名歌手もユニフォームを着て来場>

全ての演目が終了するのは、初日のように11時過ぎになるかもしれないというので、私は一足先に失礼して会場を後にした。後日、聞いたところによると会期中の3日間での来場者は延べ9000人にもなったとか。
ホテルに戻る道筋も、夜遅くだというのに賑やかだった。お祭りということで、今日は遅くまで寺院にお参りしたり、露店を冷やかして歩く人出があるようだ。
ホテルに戻ると、前に広がる湖に沿った公園の方からは、そぞろ歩きする人々のざわめきが聞こえて来た。タイのロイカトンそっくりのランタンが空に上がるのも見えた。それだけでなく、爆竹の音さえ聞こえる。おもちゃの打ち上げ花火をする音も夜遅くまで続いていた。
雨安居明けに向けては、例年は爆竹や花火等を上げるのだが、爆弾騒ぎが続いたので今年は禁止になったと聞かされていたのだが、、、。結局は、禁令と言えども厳重なものではなかったのか。それとも、犯人の見当がついてしまったので、警戒が緩んだというのだろうか。何だか良く分からない爆弾騒ぎであった。

09時 障害者芸術祭
17時 閉会式
障害者芸術祭第2日目も大賑わい [2013年10月18日(Fri)]
10月18日(金曜日)
10-18 rain.jpg
<今日は朝から雨>

今日は朝目が覚めると、雨が降っていた。今日は、笹川会長一行は、昨日芸術祭への出席を取りやめた副大統領との面談のためネピドーへ向かった。私はヤンゴンに残り、午前中は、盲人マッサージの件でマッサージクリニックGenkyの経営者の西垣さんと会って相談。その後、芸術祭の会場へ向かった。
会場は、今日も、大勢の人で賑わっていた。私は、最初、MILIのメンバーたちが芸術祭の会場を1000人以上もの人が入るミャンマーコンベンションセンターに決めたと聞いて、そんなに観客が集まる筈がないと心配したものだ。しかし、それは杞憂だったようだ。今日も、悠に1,000人を超える人たちが集まっている。昨夜は、11時過ぎまで大盛り上がりだったとか。
10-17 hall.jpg
<立派なホールがほぼ満員>

私はMILIの実行力を過小評価していたようだ。当初、我々は、ミャンマーがASEAN議長国となる来年に、ASEAN10ヶ国から障害芸術家を招いて芸術祭を行うこと、そして、その準備としてミャンマー代表の選考会を兼ねたミャンマー国内の芸術祭を今年に行うことををMILIに提案した。その趣旨に賛同したMILIは、早速、ミャンマー全土の障害者団体や国際NGOなど20団体を網羅する組織委員会を立ち上げ、その委員会が中心になって芸術祭の進め方や内容を企画し、社会福祉省等政府機関の協力も得て、開催に漕ぎ着けた。
10-19 karen.jpg
<少数民族カレン族の民族舞踊>

具体的には、有名な男性歌手のゾーウィントゥさんと人気女優兼歌手で、何とお医者さんの資格も持っているというチットゥウェイさんの二人を無給の親善大使に任命。
今回のイベントの説明チラシを1万枚作成。それを、110人のボランティアの青年男女に各交差点で配ってもらう。
イベントのタイトルや、ロゴ、テーマソングは公募コンテストで応募作品から選定。各分野の著名芸術家に呼びかけた結果、50名からなる審査団が結成され、無償で審査のみか、指導にも当たってくれた。
10-19 danse.jpg
<聾唖の少女たちによる伝統舞踊>

こんな努力が実って、参加に応募した障害者は450名。一次審査を行い260人が今回の3日間の会期の本フェスティバルに招待されたという訳だ。
舞台芸術のみならず、小説や詩作、絵画や彫刻、写真から漫才まで何と10部門もあるという広範囲な芸術祭になった。
夕方再び、障害者フェスティバルの会場へ。チーチーさん姉妹に会うことになっていたのだ。ホールでは音響が凄まじく話が出来ないので、我々が泊まっているホテルに移動することに。地下のレストランで食事を取りながら相談。ふと気が付くと、ネピドーから戻って来た会長一行が、奥のテーブルに陣取っていた。
10-18 hall.jpg
<夜の部も大入り>

12時 Genky 西垣さん
17時半 ホテル出発
18時 障害者芸術祭打合せ
20時 シナジーグループ社長チーチーニェインさん
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI