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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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北海道上空を縦断して帰国 [2013年09月27日(Fri)]
9月27日(金曜日)
一寝入りして目が覚めると、飛行機はカムチャッカ半島を縦断し、千島列島の西、オホーツク海上空を航行中。いつもより、かなり西。偏西風が強かったので避けたのか、それとも台風を避けたのか。そうこうする内に、飛行機は北海道を縦断。いつもは、北海道の東の沖を通っていたのではなかったか。こんな飛行ルートは初めてのような気がする。雲の切れ間から北海道の山並みがはっきり見える。
09-27 Hokkaido.jpg<>
<北海道を縦断する航路>

再びうとうとして、次に目覚めた時に窓の外(下?)を覗いてみると、三陸沖と見られる海岸線に沿って、南下中だった。
その内、今は福島上空ではないかと気付き、下界に目を凝らすと、眼下には何やら発電所のようなものが見える。思わずカメラを取り出し写真を撮る。福島原発かもと思ったのだ。しかし、家に帰ってから調べてみると、東京電力広野火力発電であることが判明。
しかし、ここも、原発からはたかだか20キロほどの距離。地震の直後は、一時は避難地域のなかだったという。
福島上空を越えて、午後5時25分、成田空港に到着。こうして、ニューヨーク出張も無事終わったのだった。
09-27 coastline.jpg

17時25分 成田着

早くも秋の気配漂うニューヨークを出発 [2013年09月26日(Thu)]
9月26日(木曜日)
今日は、帰国の日。昨晩、早めに床に入り、眠りについたのだが、やはり身体が米国時間に十分順応出来ていないようで、数時間で目を覚ました。日本時間を確認すると、午後2時過ぎ。
帰国後の時差調整のことを考えると、今から出来る限り、日本時間を意識して寝起きしていた方が良い。そこで、少し眠かったが、ベッドから起きだしてメールチェックをして返事を書いたり、日本から持参した小説を読んりしているうちに明け方になった。早速、シャワーを浴びて、荷物の整理。
インターネットで今の気温を確認すると、摂氏8度。日本の最低気温は18度、というから10度も差があるので、半袖のシャツの上にジャケットを羽織り、東京に着いたらジャケットを取れるようにすることに。
「日本は台風が来ている」と家内からメールが届く。ホテルの部屋の窓から外の道路を見下ろして見ると、今日も数台のパトカーを取り巻くように制服や私服警官の姿。確か、今日の午後は安倍首相が国連総会で演説する由。やはり、今週一杯は国連総会に伴う交通規制が実施されるということのようだ。
09-25 PCars.jpg
<今日もホテルの前の通りでは警察官の姿が、、、>

荷物の準備も出来てしまったので、本来の時間からはまだ大分早いとは思ったのだが、安全を見て9時半にチェックアウトする。
昨日、一昨日の経験から、ホテルの前で、長時間のタクシー待ちを覚悟していたのだが、間もなく一台捉まえることが出来た。その後も、渋滞に阻まれることもなく、ジョンFケネディー国際空港に到着してしまった。出発までまだ3時間近くもある。
早々にラウンジに入り、新聞を読んでいるうちにうとうとしてしまうが、日本の航空会社の専用ラウンジだ。置き去りにされる心配は無い。幸い、ボーディングスタートのアナウンスで目を覚まし、無事、飛行機に乗り込んだ。。
午後1時半、ニューヨークを出発。しかし、日本時間では深夜2時半だ。機内食をさっと済ますと寝てしまう。時差の調整には、機内から到着地の時間で過ごす。これが一番。
09-26 NYC.jpg
<ニューヨークの朝は早くも侘しい秋の気配>

09時半 ホテル出発
13時15分 ニューヨーク発
デカロさんらと打合せ [2013年09月25日(Wed)]
9月25日(水曜日)
一足先に帰国する石井グループ長らと別れ、今日からはひとり。
朝8時過ぎ、ホテルのロビーでカンボジアトラスト代表のカーソンさんを待っていると、約束の時間に少し遅れて奥さんのオードリーさんを伴って現れる。
今朝もやはり交通事情は変わりなく、彼らもタクシーを拾うのに苦労したようだ。マニラでの事業や、彼が今後、進めようとしている新規の義肢装具関連事業構想について、三人で朝食を取りながら打合せをした。
彼らと別れた後、午後のデカロさんとの打合せまで、暫く時間があったので、一旦部屋に戻った。その後は、少し街中に出てみるつもりでいたのだが、急に疲労感を覚えて、ベッドに入ると寝入ってしまった。どうも時差がある場所は苦手だ。
しかし、暫く眠って起きてみると、随分すっきりしたので、一人でホテルの周りを散歩。確かに、今日も、どこに行っても警官だらけ。でも、お陰でここしばらくは犯罪発生率は大きく下がっているのではなかろうか。
09-24 policemen.jpg
<警官、警官、警官>

夕方5時半の約束の時間を15分ほど遅れて、デカロさんがトマスティンさんを伴って現れた。やはり、アメリカ人の彼らにとっても、今の交通渋滞は予想以上だったようだ。
ミャンマー出張の報告と今後のミャンマー事業の進め方、現在進行中のP-Cen事業の報告と今後の進め方、などを話し合う。
その後、私の方からは、昨日のIDPPエクゼクティブコミティーの背景と日本財団としての考え方などについて説明、今後の進め方とNTIDに対する期待などについて意見交換。その後、ホテルの真向かいのレストランで3人で夕食。
驚いたことに、彼らは二人とも少食だった。何とオードブルだけでメインディッシュは取らないのだ。その上、デザートも要らないというのでびっくり。確かに、二人ともアメリカ人としてはマシな方だが、れっきとした肥満体。おまけに、デカロさんは糖尿病だ。
今回のニューヨーク行きで感じたのは、日本料理店が増えたこと。少なくとも、今回泊まったホテルの周辺は、日本料理店だらけ。日本料理は、日本人の平均寿命が世界的にトップクラスということもあって、健康に良いと言うイメージが米国人の間で広まっているという。これも、アメリカ人の肥満問題と無縁ではないだろう。
09-26 deli.jpg
<健康志向で八百屋、果物屋さんは大繁盛?>

08時 カーソンさん打合せ
14時半 NTIDデカロ名誉教授打合せ
17時45分 デカロさん、トミーさんと夕食
災害対応における障害者をテーマにした会合 [2013年09月24日(Tue)]
9月24日(火曜日) 
7時40分に石井グループ長と徒歩でグランドステーションの近くのホテルへ。障害者公共政策大学院(IDPP)のオンラインによる月例の執行委員会(エクゼキュティブコミティー)に参加するためだ。自分の部屋から、自分のパソコンでバーチャルに参加しても良いのだが、自分ですべてセットするのが億劫なこともあり、その後、デリックさんと打合せをしようということもあり、彼がホテルに取ってくれた会議室に集まることにしたもの。
会議室に集まっていたのは、デリックさんとアメリカン大学のサポートスタッフの一人であるケリーさんの他、同じ国連総会でタイ政府と一緒にサイドイベントを開催するためにニューヨークに来ていたバンコクのAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)の二ノ宮所長。パソコンやスマートホンをセットして、スタンバイしているところへ、国連憲章の起草委員長だったガレゴスさんが遅れて到着。彼もIDPPの特別教授陣の一人であるとともに、執行委員会のメンバーなのだ。
09-23 poli2.jpg
<ホテルの前の道もパトカーと警察官が目を光らす>

ガレゴス大使によると、滞在中のホテルからは、時間に十分余裕を見て早めに出発したのだが、国連総会に伴う厳重な警戒で、あちこちの通りが臨時に通行禁止になっていたりで、タクシーが進むことが出来ず、到着がこんな時間になってしまったのだという。
彼がぼやいて曰く。国連総会に出席する各国首脳の数が余りにも多いので、VIPの警護のための警官の数がニューヨーク市警だけではとても足らず、そのために米国全土から応援のための警察官が動員されている。その中には、ニューヨーク市内の地理に不案内の者も多く、そのためVIPの車を先導する筈のパトカーの方が道がわからず迷子になってしまうこともあるのだとか。
国連総会もニューヨーク市民にとっては、とんだお荷物になっているようだ。
IDPPの会議が終わった後、APCD二ノ宮所長、デリック教授の3人で今後の方針などについて打合せ。その後、二ノ宮さんと二人だけで暫し、別件なども含め相談して別れ、ホテルに戻る。
09-24 police.jpg
<至る所にパトカーと警官の姿>

夕方になって、日本障害者フォーラムと日本財団主催の災害と障害に関する特別会合に参加しょうと、市内のニューヨーク大学キャンパスまで出かけるが、タクシーが全くつかまららない。ガレゴス大使が言っていた通り。暫く粘ってみるが、タクシーを求める人ばかりで空車のタクシーはどこにも見当たらない。
まごまごしていると、遅刻してしまう。今なら歩いても、まだ、ぎりぎり間に合う時間だ。そこで思い切って歩くことに。早足で歩き、何とか滑り込みセーフ。
主催者等のスピーチの後、先の大震災時の障害者の問題をテーマにしたドキュメンタリー映画「生命のことづけ」の上映会。自身も聾者である早瀬憲太郎君の監督作品だ。非常に良い作品で、会場からは感動した、との声。
イベントを終えて、タクシーでホテルに戻ったが、夜9時まで、食事取らなかったので少し腹ごしらえをしようと、石井G長と近所のパブへ。前菜を3品とっただけなのだが、どれもアメリカ式の大変なボリューム。取り過ぎで沢山残すことになってしまった。
安倍総理は今夜、カナダ経由でニューヨーク入り。26日の国連総会でスピーチとか。

08時 IDPP Executive Committee
09時半 デリック教授打合せ
11時45分 APCD二ノ宮さん打合せ
17時 ホテル出発
18時 災害と障害に関する特別会合
国連総会障害と開発に関する閣僚会議 [2013年09月23日(Mon)]
9月23日(月曜日) 
時差があるので、夜中に目覚めてしまう。昨晩に続いて、3本のスピーチ原稿の手直しやメールチェックをして過ごす。
朝になったので、ホテルを出て、徒歩で国連事務局ビルへ。国連の前にはニューヨーク市警のマークを付けた多数の車両が並び、一般の交通は規制されている。世界の国連加盟国から首脳や閣僚が大勢集まると言うので、さすがに物々しい警備体制だ。
入り口で、昨日もらったパスを提出。ところが、不思議な事が起きた。本来は、私と石井グループ長の二人だけが閣僚会議の行われる本会議場に入ることが出来るパスを入手。一方で、中安、本山の両職員は、別室に通され、同時中継のテレビ画面を通じて傍聴出来るようにすると聞いていたのだが、4人ともすんなり本会議場に入ることが出来てしまった。物々しい警備にも拘わらず、運用のミス、というお粗末さ。
それは兎も角、案内されたのは、本来の本会議場は改装工事中と言うことでプレハブ作りの仮設の建物の中に設けられた会議場だった。
09-23 policecar.jpg
<国連本部の前の通りはパトカーなど警察車両ばかり>

会議場に並べられた椅子には各国の代表団が座るので、我々4人は、壁を背にした傍聴のための席に座る。今朝、石井グループ長からラウンドテーブルでの発言は各国の閣僚が発言を求めたため、日本財団の発言の機会はなくなったようだと知らされていたので、折角の機会なので、米国側代表団の席に座っていた著名な障害問題専門家のジュディーヒューマンさんに挨拶。発言出来た場合には、このような考えを発表するつもりだったと打ち明けたところ、彼女からはそれは同感だというコメントをもらう。
そうこうするうち、国連総会「障害と開発に関するハイレベル会合」が始まった。障害当事者代表として、盲目の歌手、スティービーワンダーが登壇。歌を交えて、スピーチ。
09-23 StevieW.jpg
<盲目の歌手、スティービーワンダーが登壇>

長年専門家として国際障害者支援事業に携わってきたAPCD所長の二ノ宮さんによれば、国連総会「障害と開発に関するハイレベル会合」が開かれると言うのは、「障害者の10年」として80年代初頭に始まった国際的な障害者支援活動の頂点に立つべき大イベントなのだそうだ。
2011年に、WHOと世界銀行が共同で作成した「障害に関する世界報告書(World Report on Disability)」によれば世界人口のおよそ15パーセントに相当する10億人余りの人々が何らかの障害をもち、その80パーセントが開発途上国に暮らしていると推定されている。
ところが、障害者は、「国際的に合意された開発目標の中に全面的に含まれているとは言えない」状況にあり、障害をもつ人々が開発のすべての側面にアクセスすることができ、かつ包摂される必要がある。そして2015年以降の国連の開発アジェンダについても、すべての障害をもつ人々への十分な配慮がなされるべきだというのが国連加盟国の問題意識なのだという。
傍聴している我々の前の通路を、ダークなスーツ姿の一団が足早に通り過ぎ、先ほど私が挨拶したヒューマンさんを囲むようにして着席した。米国のケリー国務長官だった。
kerry.jpg
<米国のケリー国務長官も姿を現した>

そうこうするうち、1時過ぎになったので、私は石井君らと別れ、別室で公式サイドイベントとして行われるアシスティブテクノロジーについてのパネルに急いだ。
すると、カーソンさんが急ぐように手招きする。慌てて私の名前が付された席に着く。左隣りはWHO西太平洋事務局長のシン博士、右側は、フィリピン人のライッサさん。爆弾テロで両足を失いながら、日本財団が支援するマニラの義肢装具士養成学校の教員が作った義足で立ち直った若き女学生だ。
旧知のライッサさんと雑談を交わす間もなく、パネルが始まった。聞いてみると、13時半開始と聞かされていたパネルの開始時間はいつの間にか、13時15分に繰り上げられていたのだった。
ホスト国であるフィリピン政府を代表してアルマメント法務副大臣がスピーチ、次いでWHOのシンシン博士、ライッサさんと続いた。彼女は、自分が両足を失った経緯を述べるとともに、義足を装着することで今では、ランニングもボクシングまで楽しめるようになったと語った。そして、日本財団やカンボジアトラストに感謝すると言ってくれた。
彼女のスピーチの後、私も昨日カーソンさんに手伝ってもらったスピーチ原稿を読み上げた。
09-23 AT.jpg
<アシスティブテクノロジーのパネル>

アシスティブテクノロジーのパネルが終わると、他の参加者に対する挨拶もそこそこに、私は、慌てて会場を抜け出し、外に出た。障害者公共政策大学院事業の件で、ワシントン大学のデッリック教授との約束の時間が迫っていたためであった。
国連本部の前では何やらデモが行われていたが、急いでいたのでスローガンを見る間もなく通り過ぎる。
ところが、息せき切って約束のホテルについては見たものの、デッリック教授との打ち合わせの場所が分からない。ホテルのフロントに尋ねてみるのだが、それらしき会議室の予約が入っていない。おかしいと思い、彼の携帯に電話するも、その番号は使われていませんと言うメッセージが流れるのみ。
彼のメールアドレスにメールするなど、色々試してみるが万事休す。途方に暮れているところへ、彼のアシスタントのマヤさんが登場。そうして、暫くしてデリックさん本人も現れた。
09-23 demo.jpg
<国連本部の前では何やらデモが行われていた>

聞いてみると、彼は昨日のうちに、今日の会合の時間を遅らせてほしいと私にメールしてくれていたことが判明。そのメールには、新しい電話番号も付されていた由。
どうやら、国連総会がらみで多くのユーザーが一斉に色んなメッセージを送信したために、メールシステムにものすごい遅れが生じたもののよう。それは兎も角、無事会うことが出来たので、ホテルのロビー脇のカフェで彼と二人で打合せを行った。
夜は、日本財団のメンバーに日本障害者フォーラムの藤井議長や事務局長の原田さんを加えた6人で、ホテル近くの日本料理店で食事。

07時45分 ホテル出発
09時 国連総会障害と開発に関する閣僚会議
10時 障害と開発に関するラウンドテーブル1
13時15分 障害者補助技術に関するパネル会合
15時30分 デッリック教授打合せ
19時 日本障害者フォーラム藤井議長
ニューヨークへ [2013年09月22日(Sun)]
9月22日(日曜日)
今日はニューヨーク行き。今回の目的は、ニューヨークで開かれる国連総会への出席と、総会に並行して開かれる2つのサイドイベントへの参加。いつもは、複数の目的を兼ねるため、いくつかの国を転々とする事が多い私にしては珍しい単純往復の出張だ。
飛行機は順調に飛行、長時間のフライトだったが、定刻より30分も早い現地時間の朝10時半ころ、ニューヨークのケネディ飛行場に到着。天気は晴れ。気温は18度とまずまず。
09-23 NYC.jpg
<ニューヨークに着いた>

空港からホテルまではタクシー。ニューヨークはなんでも高いのだが、久しぶりのニューヨークで、タクシー代が高いのに改めてびっくり。何と、57ドル。
更に驚いたことは、タクシー代金の支払いにクレジットカードを使おうとすると、前部座席背もたれに着いたTV画面に、料金が示されるのだが、そこには予めチップの項目が入っており、その選択岐が3つ表示される。ところが、それが15%、20%、25%の三種類のみ。つい真ん中を選んでしまう。つまりは、20%。
昔は確か、チップの相場は、10%、もし、サービスに満足したら15%と聞いた記憶があるのだが、、、。
ホテルにチェックインすると、一足先にニューヨーク入りしていた日本財団の中安職員から私宛に、メモが残されていた。明日の閣僚会議に入るための国連入館証を受け取るため、本人が手続きをする必要があり、皆で午後2時45分に落ち合って、国連本部に行こうというのだ。
09-22 UNHQ.jpg
<入館証を受け取るために国連本部に出向く>

部屋に入って、シャワーを浴びで着替えを済ませ、徒歩で国連本部に向かう。幸い、事前に届けてあったので、あっさり入館証を入手することが出来た。私と石井グループ長の二人だけが閣僚会議の行われる本会議場に入ることが出来るパス、あとの二人は、同時中継のテレビ顔面を通じて傍聴出来るようにした別室に通されるためのパスを入手。
ただ、そのための手続きは至っていい加減なものでびっくり。鉄扉の前に立っていた係員から、ぽいと渡されただけ。本人確認のためパスポート持参のことと言われていたのに、パスポートチェックは無し。
09-22 pass.jpg
<これが明日のための入館証>

今回の国連総会の討論のテーマは、「ポスト2015開発アジェンダ」。総会に先立って、明日23日には「障害と開発に関するハイレベル会合」が開催される。
世界の指導者が集うこのハイレベル会合では、 disability inclusive development(障害者を包摂する開発)に関する文書を採択、その後同文書は国連総会に提出される予定だ。
国連事務局としては、これを、障害者自身が直接読むことのできるよう、障害者インクルーシブなマルチメディア・フォーマットに基づく文書を作成することになった。そして、予てから障害者支援に取り組んでいる日本財団に、国連事務局から支援要請があり、それにこたえる形で日本財団が全面的に資金協力することになった。
そして更に、ハイレベル会合の中で開かれるラウンドテーブルで、ドナーの代表として発言しないか、とお誘いを受けて今回出向くことになったというのが今回の国連総会出席の背景だ。
09-23 UNKit.jpg
<日本財団が支援した文書ファイルのパッケージ>

明日の配布のための文書パッケージの作業があるという石井、中安両君と別れ、ホテルの部屋に帰ると、アイルランド人の義肢装具専門家で、日本財団が義肢装具士養成事業のパートナーであるカンボジアトラストの代表、カーソンさんからメッセージが入っていた。
明日のフィリピン政府主催で私も出席するよう頼まれていたAssistive Technologyに関するサイドイベントの打合せがしたいという。
夕食後、彼と打ち合わせ。その結果、Assistive Technologyに関するサイドイベントでも、スピーチを求められていることが判明。明日のハイレベル会合と、明後日の障害と防災に関するサイドイベントも合わせると、結局、3本のスピーチを用意することになってしまった。そこで、彼に助けを求め、Assistive Technologyについては彼に原稿の下書きを作ってもらうことになった。
09-23 UNcontents.jpg
<その中身、文書そのものは虹色のカードに入ったフラッシュメモリーの中>

11時10分 成田発
11時05分 ニューヨーク着
14時45分 国連本部入館証
18時 日本財団石井グループ長らと打合せ
19時半 カンボジアトラスト代表カーソンさん
台風の余波で帰国便は一時間の遅れ [2013年09月16日(Mon)]
9月16日(月曜日)
帰国の日。いつものように、早朝6時前にホテルをチェックアウト。
昨夜のニュースによれば、日本に大型台風が来ているとか。しかし幸いなことに、関東地方での影響は午前から昼間にかけてで、飛行機が成田に着く夕方頃までには台風は太平洋に抜けている筈。何とかなると楽観して空港へ。
しかし、チェックインの窓口で台風との接近を避けるため、8時15分出発の予定を一時間遅らせ、9時15分の出発となったと知らされる。何だ、こんなことならもっと朝寝坊出来たのに、、、。 
916taoists.jpg
<キョンシーのような出で立ちの道士たち>

バンコク空港の出国窓口で、なにやら異様な風態のグループを発見。着物のような白い装束に、髪の毛を長く伸ばし、それをまるで昔の浪人のように束ねている。中には、平安時代のような古風な帽子をかぶった男性も。
まるで、一昔前に流行ったキョンシー映画に出て来る道士のよう。なるほど、上着に縫い付けた文字には、「中国道教団」と書かれてあった。道理で、道士そっくりの出で立ちであった筈、と納得。
彼らが土産物屋で真剣に品定めをしている場面に遭遇。彼らもまた、買い物好きな中国人だったのだ。
916typhoon.jpg
<台風の雲が高空にまで達していた>

定刻を一時間遅れでバンコクを飛び立ち、南シナ海の上空に差し掛かると、白い雲に囲まれて外が見えなくなってしまった。機体も大きく揺れる。1万メートル近い高空を飛んでいるので普段なら、真っ青な空の下に雲海が下に見えるところだが、台風の影響で雲がこんな上にまで達しているのだった。
しかし、日本が近づいてくるころには空は青空に。台風が過ぎ去ったことは明らかだった。定刻より、丁度一時間遅れて4時半ころに成田着。
やれやれ、一時間の遅れくらいですんだと胸を撫で下ろしたのも束の間、問題はそこからだった。成田エクスプレスの切符が買えない。これまでに見たことのない長蛇の列。
結局、切符を手に入れるだけで、30分近くもかかってしまった。そのため、本来なら乗れたはずの電車を逃し、帰宅は7時半。やれやれ。
916longqueue.jpg
<N'EX券売機に長蛇の列>

05時45分 ホテル出発
09時15分 バンコク発
17時25分 成田着
ヤンゴンとバンコクのホテルの空調設定温度 [2013年09月15日(Sun)]
9月15日(日曜日) 
朝ホテルの部屋で寒くて目が覚めた。いつもは切るようにしているクーラーをつけぱなっしで寝てしまったのだ。設定温度が23度になっていたので、上げようとして初めて気が付いた。何と、25度以上の設定が出来ないのだ。
午前中、日本財団の事業のアドバイザー役であるエルウィンさんの自宅を訪ね、マイクロファイナンスについて協議を済ませ、一旦ホテルに戻りチェックアウト。その後、バンコクに向けて出発すべく空港に向かった。
915aircon.jpg
<ミャンマーのホテルの空調の設定最高温度は25度だった!>
 
バンコクについて、気になったのでこちらのホテルのエアコンの設定温度を調べてみると、こちらは設定可能温度の最高は28度。ヤンゴンの25度よりはましと思ったが、実際は室内クリーニングの都度、一方的に23度に設定し直されていた。
これは決して、これら2つのホテルに限った話ではない。これが多かれ少なかれ、東南アジア各国での冷房の常識と言って良い。ちなみに日本財団のオフィスのエアコンは35度まで設定可能。私は普段は28度に設定している。
バンコクでは、日本財団のヤンゴン事務所の間遠所長と打合せの後、APCDの二ノ宮所長と来週のニューヨークで開かれる国連総会のハイレベル会合に向けての段取りなどについて相談した。
915aircon (2).jpg
<バンコクのホテルのエアコン、こちらは設定温度の最高は28度だった>

09時45分 ホテル出発
10時 エルウィンさん打合せ
12時45分 ホテル出発
14時55分 ヤンゴン発
16時50分 バンコク着
18時 間遠ヤンゴン事務所所長
19時 APCD二ノ宮所長
土曜日のヤンゴン [2013年09月14日(Sat)]
9月14日(土曜日)
今日は土曜日。朝寝をして朝食はパス。お昼は、朝日新聞の五十嵐記者に会う。大学でミャンマー語を専攻し、ミャンマーに留学もしていたという凄い人。ミャンマーの政治経済や文化などに付いて色々含蓄のある話を聞く。
日本のマスコミは、ミャンマー政府から正式に支局の開設を認められたのは、これまでのところは、まだ、NHKと共同通信だけだが、各社とも既に支局の開設に向けて様々な手を打ちつつあるようだ。
午後からは、れんげボランティア会の平野さんに会って、イラワジ州での学校建設事業の早期スタートに向けての調印式の段取りに付いて打合せ。
夕方になると、やはり雨が降って来た。雨の中をホテルの近くにあるミャンマー料理のレストランへ。シナジーグループ社長のニェインニェインさんと妹のチーチーさんと会って、障害者福祉タクシー事業や、地方公務員の研修事業などについて相談。
914rain.jpg
<やはり、雨が降って来た>

12時 朝日新聞五十嵐記者
15時 れんげボランティア会平野所長 
19時 シナジーグループ社長ニェインニェインさん
障害者のための金融スキームを打合せ [2013年09月13日(Fri)]
9月13日(金曜日)
朝10時前にホテルを出てApex銀行の本店へ向かう。先月のミーティングを踏まえて、今回は銀行頭取のリムさんを中心に障害者のための金融スキームを中心に具体的な話をすることになっていたのだが、昨日突然ジンさんから連絡があって、会長のウチカインさんもまた同席することになったとのこと。確かに、本店6階の役員会議室に通されると、会長が若い女性を伴って現れた。名刺には役員の肩書き。会長のお嬢さんだと言う。
一時間ほどの協議のあと、先約があるというので会長は退席したが、他のメンバーと引き続き協議した。障害者の問題に並々ならない関心を持っていることが分かり、心強く感じた。
913bank.jpg
<Apex銀行の本店内部>

12時過ぎ、漸く銀行での会議を終えて会議室の外に出ると、目の前にコロニアルスタイルの大きな赤煉瓦の建物が目についた。ここが、かの有名なアウンサン将軍が暗殺された当時の政府の建物だという。一旦、民間企業に払い下げられて建物は取り壊し、新しくホテルが建てられる予定だったが、歴史的な記念物を取り壊すことに対して反対が起こり、結局、建物は補修して博物館に改装されることになったとか。それにしては、特に工事が行われている様子もなかったのだが。
913aungsan2.jpg
<アウンサン将軍が暗殺された建物が博物館に改装中>

ホテルに戻る途中、イラワジ川の川べりに沿って進んで行くと何やら大きな木造船が横付けられていた。白壁にイェローグリーンの屋根の平屋の建物がのっていて倉庫の様な、船のような何だろうと、訝りながら眺めていると、メームさんが、マーケット船だと教えてくれた。
ヤンゴンで荷物を積んで川をさかのぼり、川に沿って地方の都市を廻り、地元の人にヤンゴンで積んだ品物を売り、今度は、現地で果物や特産物を積み込んでヤンゴンに戻って来るという。定期的にイラワジ川を移動販売する大規模な船上マーケットなのであった。いずれ、地方への道路網や鉄道網が整備され全国の物流事情が改善すれば無くなってしまうことであろう。
913marketship.jpg
<イラワジ川を移動するマーケット船>

午後からは、パラミ病院にティンニュント博士を訪ねた後、障害者団体MILIの本部を訪問した。来月に控えた障害者芸術祭、来年に予定している障害者ビジネス会議、福祉タクシー事業、盲人用医療マッサージ学校などについて打合せを行った。
ホテルに戻り、盲人マッサージクリニックGenkyiのオーナー西垣さん、ジャパンハートのAさんらと会って、計画中の盲人用医療マッサージ学校について意見交換。
913worshop.jpg
<障害指導者養成講座が進行中>

09時45分 ホテル出発
10時 Myanma Apex Bank訪問
13時半 ティンニュント博士
14時 MILI訪問
16時 障害指導者養成講座視察
18時 粟野職員との打合せ
18時半 ゲンキマッサージオーナー西垣さん
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