CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2013年06月 | Main | 2013年08月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2013年07月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
雨と追い駆けっこしながらの帰国 [2013年07月24日(Wed)]
7月24日(水曜日)  
今朝は帰国する日。早朝8時過ぎの便でバンコクを発たねばならない。今回は、荷物が少なかったので、到着したときは、空港からホテルまでエアポートレールリンクと、BTSのスカイトレインを乗り継いで来たので、帰りもそのように考えていたのだが、朝起きて窓の外を見ると、暑い雲が垂れこめている。
果たして、チェックアウトを済ませてホテルの外に出て見ると、もう雨が降り出していた。このまま、キャリーバッグを引きながらBTSの駅に行こうかとも考えたのだが、今にも土砂降りになりそうだったので、急遽、ホテルの前で客待ちをしていたタクシーでパヤタイ駅まで向かうことに。
130724lift.jpg
<目立たないところにあるパヤタイ駅のエレベーター入り口>

タクシーの運転手は、当てにしていた空港までの乗車ではなく、パヤタイ駅までという近距離にがっかりして、盛んに、空港まで行くよう勧めたが私は嫌だと、抵抗。タイのタクシーは後部座席にシートベルが付いていないことが多く、そのくせ、スピードだけはやたら飛ばすので危険極まりない。
すると、タクシー運転手は、あきらめたのか、今度は、マッカサンではなくパヤタイで良いのか、と聞いたが初志貫徹。しかし、後で地図を調べると、確かにパヤタイよりはマッカサン駅の方がほんの少し近かったかも。
パヤタイ駅でタクシーを降り、勝手知ったるエレベーターを乗り継ぎ、エアポートレールリンクの各停、シティーラインのプラットホームへ。スワンナプーム空港駅に到着するころには外は本降り。
130724rain.jpg
<やっぱり、雨が降って来た>

空港で搭乗手続きをしていると、後で私の名前を呼ぶ声がした。振り返ってみると、そこにはラジャさんが立っていた。シンガポール人の彼とは今回シンガポールで会おうとして連絡を取ったところ、そのころはインドに行っているとの返事で断念していたのだが、、、。
聞いてみると、何とインドからシンガポールに帰るところだという。夫人のマーガレットさんも一緒だった。バンコク乗り継ぎなんて、シンガポール直行便が無かったのかと不思議に思って尋ねると、トラブルで已む無くバンコク乗り継ぎになったのだとか。暫し、立ち話しながら諸々の情報交換。そして、10分後にはお互い別々のゲートへと別れた。
午後4時半、成田到着で今回の出張は終了。
130724doraemon.jpg
<タイでは今もドラえもんが大人気 英字紙に載ったドラえもんキャンペーンの記事>

05時45分 ホテル出発
08時15分 バンコク発
16時25分 成田着
二日連続で大トカゲに遭遇 [2013年07月23日(Tue)]
7月23日(火曜日)
130723Khanita.jpg
<理事会室に掲げられたAPSWの創立者カニタさんの写真>

昨日に続いて、再び女性の地位向上協会(APSW)へ。今日は、笹川会長と一緒。洪水被害からの修復事業が終わったのでその視察がてら、メコン諸国女性活動家のための研修も見てもらうことにしたもの。朝9時過ぎにAPSWに着くと、ペンスリさん以下、理事のメンバーが勢ぞろい我々を出迎えてくれた。
笹川会長は理事会メンバーに対する挨拶の中で、APSW創設者のカニタさんとの思い出を中心に述べた。カニタさんは2002年に82歳でなくなったが、女性の大学生が極めて珍しかった1940年代にタマサート大学で法律と会計学を学び、その後、ハーバード大学などで国際関係論を学び、国連で働いた。1970年代には、女性の地位向上に向けた活動家として著名になり、その後出家して尼僧になったというタイ女性である。
130723boardmembers.jpg
<APSW理事会メンバーと記念撮影する笹川会長>

APSWと日本財団の関係は、80年代初めに、当時の会長の笹川良一が、カニタさんと出会い、彼女の人柄と女性問題解決への強い使命感に共感して始まった。笹川陽平現会長も、生前のカニタさんには何度も会い、自身は質素な生活をしながら気の毒な女性たちの救済のために献身的な活動を続けるカニタさんに深い感銘を受けたこと。日本財団が研修棟の資金支援をしたときは、2階建て分の資金をうまく使って3階建ての建物を建てるという商才を発揮したことなどを、熱く語った。
すると、ペンスリ理事長が、「カニタさんの息子さんが今も理事の一人として活躍してくれています」と、物静かに会長の話に耳を傾けていたアートさんを紹介した。彼は、女性中心のAPSW理事会にあって数少ない男性メンバーの一人。タイ商銀大手のカシコン銀行の副社長という著名な銀行家だ。
130723emblem.jpg
<メコン流域5カ国が参加したシェルターマネジメント研修>

笹川会長は、理事達とのミーティングの後、メコン諸国女性活動家の研修会場に足を延ばし挨拶した後、参加メンバーと暫し懇談。その後、APSWの4万平米と言う広い敷地のあちこちを見て回り、洪水被害の状況と、修復工事の様子について説明を受けた。
私は、この間、カニタさんの息子さんのアートさんに、商業銀行と提携しての金融を使った新しい事業支援のスキームについて説明するとともに、彼のアドバイスを求めた。アートさんは、静かに私の話を聞いたあと、面白い考え方だが、自分の直接の担当分野ではないので、カシコン銀行の担当者を紹介しようと約束してくれた。
130723meeting.jpg
<シェルターマネジメント研修を参観>

敷地内を歩きながら、昨日遭遇した大トカゲの話をしていたところ、日本財団の広報スタッフで会長に同行して来ていた富永職員が池のほとりを我が物顔に歩く大トカゲを発見。体長は1メートル以上。昨日のと同じかもっと大きいくらい。しかし、私が写真を撮ろうと近ずくと、池の中に逃げ込んでしまった。
APSW事務局長のメーティネさんによると、大トカゲは必ずしも人畜無害と言うものでもないようで、普段は人が近づくと逃げるのだが、時には歯向かってくることもあるという。以前、女子トイレに出現して大騒ぎになったそうで、役所に頼んで駆除してもらったが「6匹しかつかまえられなかったのて、敷地内にはまだ沢山残っているはず」のだそうだ。
130723lizard.jpg
<再び、大トカゲに遭遇>

ホテルに戻って、昼食の後、森グループ長らと打合せ。夕食の約束の前に、道路を隔てた反対側にある私が滞在中のホテルに戻ろうとして、激しいスコールで足止めを喰らってしまった。ここまで、雨季にも拘らず大きな雨に遭遇しなかったのは幸いだったが、最終日にしてついに足止め。
それでも、1時間半ほど雑談しているうちに、ようやく雨が上がったので、森グループ長とホテルの近くの帯レストランに直行。日本財団の間遠ヤンゴン事務所長、共同通信八谷バンコク支局長、三宅ハノイ支局長らと合流し会食。

08時20分 ホテル出発
09時 APSW到着
09時15分 理事会メンバーと会見
09時45分 シェルターマネジメント研修視察
10時15分 洪水被害修復状況視察
12時 昼食
14時 森グループ長らと打合せ
18時半 共同通信八谷バンコク支局長、三宅ハノイ支局長
APSW(女性の地位向上協会)で女性活動家のセミナー始まる [2013年07月22日(Mon)]
7月22日(月曜日)
朝8時半、ホテルから車に乗り込み、バンコク郊外ドンムアンにあるAPSW(女性の地位向上協会)へ。日本財団の田中職員も一緒。今日は月曜日だがたまたま今日と明日は満月に当たり、仏教上の休日ということで道路は空いていた。本来なら、1時間以上かかっても不思議でない距離だが、30分ほどで着いてしまった。
APSW(女性の地位向上協会)は、6万5千以上あると言われるタイのNGOの中でも老舗の一つ。特に女性問題の分野では、最も有名な組織と言って良いだろう。出発点は、1974年。emergency homeとして設立された後、一貫してタイの女性の地位向上に取り組んで来た。
日本財団との関係は80年代央に、訓練棟の建設を助成して以来で、約30年にも及ぶ。4万平米もの広大な敷地には緑の木立に囲まれた大きな池があり、事務所棟や宿泊棟、保育園、体育館などいくつもの建物が立っているが、会議場のある一番大きな研修棟も日本財団の寄贈によるものだ。
130722sasakawabldg.jpg
<APSW(女性の地位向上協会)>

9時半から、シェルターマネジメントのセミナーが始まった。参加者は大部分が女性の活動家。タイの他、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムのいわゆるメコン5カ国で、ドメスティックバイオレンスの被害者の女性などを対象にした避難所(シェルター)の運営に携わっているNGOの関係者だ、政府の担当者もいる。このユニークなセミナーを聞きつけてブータンからもオブザーバー参加。その他、シンガポールやインドネシア、日本などからの講師や来賓も大部分が女性である。中には赤ちゃん連れの参加者も、聞くともう一人のお子さんもいてその子はここの託児所に預かってもらっているという。都心からは少々離れてはいるが、女性活動家のための会議場としてはここは理想的なロケーションではないだろうか。
130722participants.jpg
<女性活動家のセミナーが始まった>

私がここを初めて訪問したのは、2011年1月。その際に、ペントリ理事長ら幹部と話し合い、今後、タイだけではなく周辺国も含む女性を対象にした事業の構想が生まれた。その年の3月、東日本大地震の直後に再度訪問した際は、職員総出で作ったという千羽鶴を贈られ感激したものだ。
ところがその後、震災対応に追われているうちに、その年の10月にバンコクが水害に襲われた際にここも深刻な被害に遭ったと連絡が入ったので、翌年1月に再訪。修復工事を支援することになった。その修復工事も今年の3月に終了。そして再び美しさを取り戻したこの施設を使って、今日からは、懸案の周辺国の女性活動家を対象にした今回の研修事業がスタートする事になったという訳だ。
130722lizard.jpg
<大トカゲが2匹取っ組み合いの喧嘩をしていた>

午前の研修が終わり、施設内の食堂で昼食をご馳走になっていると庭先で大きな音がするので覗いてみて仰天した。体長は1メートル以上もあろうかという巨大なトカゲが2匹、立ち上がって、文字通り取っ組み合いの大喧嘩をしていたのだ。公園のように美しいここの庭園には大トカゲも住んでいることを今回初めて知った。
午後の研修は失礼して、私は都心に戻った。タイ盲人雇用促進財団の理事長のペチャラットさんと会うことになっている。彼は、全盲でありながら、不動産会社や輸入商社を経営する実業家として知られている。彼は、また盲人の雇用の場として以前から、タイマッサージのクリニックを経営してきている。
ペチャラットさんの事務所を訪ね、ミャンマーで日本財団が進めようとしている盲人用の医療マッサージの研修事業計画を説明し、実技トレーニング面でのタイ人専門家の派遣などの協力を求めたところ、二つ返事で快諾。日本財団がこれまでタイの盲人のマッサージトレーニングに支援してきたことを評価してくれてのことであった。
130722clinic.jpg
<ペチャラットさんのマッサージクリニック>

タイでは、医療行為としてのマッサージには800時間のカリキュラムに基づく国家資格が定められているが、盲人の受験は求められていなかった。ところが、3年前に法改正があり盲人の受験の道は開かれたが、盲人に対する医学知識の教育などのノウハウはないという状態であった。そこで、日本財団は、日本の専門家に呼び掛け、タイ保健省や、タイの盲人組織と協力して、医療マッサージ教育の専門家を養成するための訓練を始めた。
その結果、昨年には31名の盲人マッサージ師が国家資格を習得する事が出来た。しかも、視覚障害者の方が合格率は健常者よりも高いという快挙であった。
ペチャラットさんのところから戻って、ホテルでシャワーを浴びて着替えを済ませると、隣のホテルに向かった。
130722reception1.jpg
<日本財団事業関係者パーティーで挨拶する笹川会長>

明日から開かれるハンセン病のサミット国際会議の出席のために笹川会長がバンコクに滞在しているこの機会を捉えて、バンコクでは初めての日本財団事業関係者パーティーが開かれた。
今日の出席者は約60名。日本財団やその傘下財団が、これまで実施してきたWMUやAPI、SYLFF、国連平和大学など各奨学金事業のタイ人卒業生を中心に、現在実行中の各種事業の関係者が集まってくれた。
先ほどお会いしたばかりのペチャラットさんも奥さんと見えた。ミャンマーでの視覚障害者支援事業などを手伝ってくれている目が不自由な堀内佳美さんもいつも通りの元気な姿を見せてくれた。保健省からは伝統医学研究所のプラモート所長、マヒドン大学からは副学長のスラキットさんも、義肢装具学部長のニサラットさん、APCD所長の二ノ宮さんもみえたので、私はてんてこ舞い。
今日は満月で仏教では、お酒は飲めない日だということだったが、厳格なスリランカとは違って、タイではホテル内は例外ということでビールが飲めたのは幸いであった。
130722reception2.jpg
<パーティーには約60名もの関係者が集まってくれた>

08時30分 ホテル出発
09時 APSW到着
09時半 シェルターマネジメント研修開会式
14時 ペチャラットさんのマッサージクリニック訪問
19時 日本財団事業関係者パーティー
部屋に閉じこもりっ切りの日曜日 [2013年07月21日(Sun)]
7月21日(日曜日) 
今日は日曜日。夕方まで予定は入っていない。
朝寝をして、ゆっくり起き出し、ブランチでお腹を満たし、新聞を読んだり、溜まっていたメールに返事をしたり。たまには、近くの公園にでも散歩に出かけようかとも思ったのだが、曇天で蒸し暑くてはその気にもならず、クーラーの効いた部屋の中で本を読んで過ごすことに。結局、ホテルに籠りっきりで夕方になってしまった。
6時半、タイ料理のレストランで日経新聞高橋支局長らと夕食。日本財団からの出張者の田中職員も一緒。彼女は、明日から始まる女性の地位向上協会(APSW)での研修事業の担当者。今日の午後、バンコクに到着したばかりだ。
130723cloudy.jpg
<一日曇り空を見て過ごす>

18時半 日経新聞高橋支局長
シンガポールからバンコクへ [2013年07月20日(Sat)]
7月20日(土曜日)
朝8時、ホテルをチェックアウト。今日は、シティーバンク幹部のシリカントさんに自宅での朝食を招待されていたので、住所を頼りにタクシーに乗る。日本企業で働いていたことがあるという陽気な運転手で、昔話をしているうちに到着したよ、と降ろされた。
しかし、降りた辺りには目指すべき名前のマンションが無い。よく見ると、番地が少し違う。番地が間違っているだけなら歩けば良いだけ。幸い、今回の荷物は軽装なのに加えて、天気も曇っているのでそれほど暑くはない。
番地が若い方へと、反対方向に歩き始めて10分たったが、なかなか目指す番号に行き着かない。これでは約束の時間に遅れると、シリカントさんの携帯電話にかけてみるが、なぜか繋がらない。焦って、急ぎ足になってずんずん歩いていると曇り空が明るくなり、日差しが強くなって来た。急に汗が噴き出して来た。
130720sunny.jpg
<天気は好転、青空が広がり始めた>

30分も歩いても目指す番地にならない。諦めて、再度、電話をすると今度は繋がった。結局、彼に車で迎えに来てもらうはめになった。車に乗って説明を聞いてみて判明したのは、タクシーを降りたところの裏側に彼のマンションがあったこと。たまたま、私が降ろされた大通りの名前が彼のマンションのある小さな通りと非常によく似ていたために、私が番地だけの違いと思いこんで勝手にずんずん歩き始めてしまったのが原因と判明。
シリカントさんの広大なマンションで、お手伝いさんの作った朝食を奥さんや彼が支援しているIDPPの学生で聴覚障害者のJ君と4人でご馳走になった。日本財団が、最近ベトナムで始めたの障害者ファイナンスや、IDPPのことなど障害者支援事業を中心に話し合って、辞去。タクシーで空港へ向かった。2時間足らずの空の旅、午後1時45分着の飛行機でバンコクに到着。
バンコクは雨季特有の厚い雲に覆われた空模様だったが、幸い雨に降られることなく、エアポートレールリンクとスカイトレインの電車を乗り継いでホテルにチェックイン。ホテルに来てくれた日本財団ヤンゴン事務所長の間遠さんと業務打ち合わせの後、夜は、朝日新聞大野総局長と3人で夕食を囲んだ。

08時 ホテル出発
09時 シリカントさん
12時25分 シンガポール発
13時45分 バンコク着
17時 間遠ヤンゴン事務所長 
19時 朝日新聞大野総局長
ミャンマー地方公務員セミナーの修了式 [2013年07月19日(Fri)]
7月19日(金曜日)
朝8時40分、ホテルのロビーで、ミャンマーの少数民族州地方公務員の行政研修のグループ35人と合流。皆で、シンガポール国立大学のリークアンユー公共政策大学院に向けて一緒に出発。
今日は、月曜日から始まったシンガポールでの研修の最終日。夕方の終了式典で私はスポンサーである日本財団を代表してスピーチをし、修了証を手渡すことになっている。折角なので、午前の研修の始めから傍聴させてもらうことにして、皆と同じバスに乗り込んだのだ。
バスに乗り込むと、最前列の席に案内された。隣には、ミャンマー政府で少数民族州を管轄する国境省教育訓練局でこの事業の担当責任者のテインテー部長。今まで彼と会うときははいつも、ミャンマーの民族衣装で公務員の制服でもあるロンジー姿だったのだが、今日は初めて見る背広姿で見違えた。
130719seminarroom.jpg
<シンガポール研修の会場はリークアンユー公共政策大学院の教室>

彼が私に話しかけて来た。「今回は、本当に飛行機に乗りこむまで心配のし通しでしたが、何とか無事終えることになりました」と本当にほっとした表情。
実際、今回のような大勢での海外研修は、国境省教育訓練局にとっては、初めての経験だったようで、土壇場まで、ミャンマー政府内部での許認可手続きやら、追加予算交渉、団員のパスポートの取得に関わるトラブルやらでどたばたが続いていた。確かに、一度ならず、シンガポールとミャンマーとの間で、悲鳴に近いトーンでのメールが飛び交い、そのコピーを見る度に、やきもきさせられたのは事実である。
ただ、彼によると、出発前々日の金曜日の深夜11時、すべての手続きを何とか終えて首都ネピドーの官舎に戻ったテインテー部長を実はもう一つの試練が待っていたのだった。何と彼が寝室で見たのは床の上にとぐろを巻く一匹の毒蛇。格闘すること3時間の末に、捕獲に成功。疲労困憊の彼が眠りに着いたのは深夜の2時だったという。
130719cafeteria.jpg
<今回の研修生の休憩時間のためにロビーの一画が割り当てられていた>

こうして、苦労の果てにたどり着いたのが今日。この2ヶ月半にわたった研修の最終日だ。午前の研修は、シンガポール政府公務員研修センターから出張して来てくれた専門家によるシンガポールの公務員研修制度に関するレクチャー。ミャンマー政府では、公務員に対する研修制度は殆ど無いに等しいということで、レクチャーの後は、研修生からの質問がいつまでも続いた。
お昼の休憩時間を挟んで、午後からはオラオン准教授による講義。彼女とはヤンゴンでの出張講義の時も会っている。講義の合間のティーブレークを利用して、今回の研修について彼女の感想や提言を聞くことが出来、大変参考になった。
130719lecture.jpg
<シンガポール公務員研修の専門家によるレクチャー>

すべての講義を終えて、一旦ホテルに戻り、夕食会を兼ねた修了式に臨んだ。会場は、ホテルの向かいにある別のホテルの宴会場。皆も、着替えを済ませ女性はお揃いのロンジー姿、男性は背広で盛装。スピーチの後、修了証と記念品を手渡し記念撮影。
記念撮影の後、参加者が次々と私のところにもやって来て挨拶をしてくれた。33人の研修生全員にとって、今回は生まれて初めての海外経験。引率者のテインテー部長さえも、シンガポールは初めてだという。口々に、海外に行くことは人生の夢だった。まさか本当にシンガポールに来れるとは思っていなかった、と。
幸せそうな彼らの顔を見ながら考えた。果たしてコストに見合う便益が本当に生まれたのかどうか、我々としては冷静に評価をし、今後どのように進めるのかを考えて行かねばならない。

08時40分 ホテル出発
09時 リークアンユー公共政策大学院セミナー視察
18時半 セミナー終了記念式
シンガポールへ [2013年07月18日(Thu)]
7月18日(木曜日)
ワシントンから帰国したのもつかの間、二日空けただけで、今日からはシンガポールとバンコク出張。成田から一人シンガポール行きに乗り込む。
赤道直下に位置するシンガポールは、一番雨が多いのは11月から1月の筈だが、最近は天気のパターンが変わって来た由。先月行ったときは大雨に遭遇したし、バンコクは雨期のまっただ中なので、雨具は欠かせない筈と雨傘を確認。
果たして、シンガポール上空は厚い雨雲に覆われていた。着陸してみると、雨こそ止んでいたが、今にも降り出しそうな空模様。このところ毎日雨ばかり、とタクシーの運転手。やっぱり。
130718cloudysky.jpg
<雨雲に覆われたシンガポール>

飛行機のシンガポール到着が20分以上遅れたので、途中でタクシーの行き先を変更。宿泊先のホテルには向かわず、マリーナベイサンズモール内のレストランに直行することに。今日は、共同通信山岡支局長と6時半に会うことになっている。今週の始めから始まったミャンマーの地方公務員のシンガポール行政研修の担当で一足先にシンガポール入りしていた日本財団の粟野職員に電話し、レストランに直行する旨を連絡。キャリーバッグはマリーナベイサンズの高層ビルの中にあるホテルのクロークに預けて、地下道を通って道路の反対側へ。低層ビルの中にあるレストランで合流した。
130718mall.jpg
<マリーナベイサンズのモールは賑わっていた>

11時05分 成田発
17時40分 シンガポール着
18時半 共同通信山岡支局長
日付が変わって成田到着 [2013年07月15日(Mon)]
7月15日(月曜日)
眠っている間に、日付変更線の上を横切った。日付が変わって、成田到着は15日の午後3時半。
2年ぶりのワシントン出張が終わった。前回は、南米出張に行く途中で、アメリカン大学のデリック教授に会って、その日の夕方にアルゼンチン行きに乗り継いだので数時間の滞在。宿泊という意味では2010年の年末以来、2年半ぶりの旅だった。
これだけ頻繁に海外出張している私だが、実は、私は海外出張の朝はいつも憂鬱。アジアはまだしも、遠い上に時差のある欧米のように遠い出張は苦手。そこから更に乗り継がねばならないアフリカと南米はもっと大変だ。
しかし、帰って来るときはいつも、行って良かったと思うことが殆ど。IDPPはオンラインによる大学院コースなので月例の打合せもインターネットを使ったテレビ会議で行っているのだが、やはり,実際に顔を会わせることに勝るコミュニケーションはないことを痛感させられた2泊4日のアメリカ出張であった。
130718boeing787.jpg
<何かと話題のボーイング787>

15時25分 成田着
早くも帰国へ [2013年07月14日(Sun)]
7月14日(日曜日)
朝9時、カバントランさんの車でジョージタウンのホテルを出発。途中、ベトナムのフォーの店に立ち寄る。所謂、ボートピープルが多く、ベトナム料理店が多いワシントンでも人気店なのだそうで、週末の早朝にも拘わらずお客さんが入っていた。ベトナムやミャンマーでの事業展開に着いて意見交換しながら、あっさりしたフォーで朝食。アメリカ式のリッチな朝食よりは遥かに健康的。
その後、空港まで送ってもらった。12時20分発の成田直行便でワシントンを出発。
0713georgetown.jpg
<ジョージタウンはワシントンで私が一番気に入っている場所>

09時 ホテル出発
09時半 朝食
12時20分 ワシントン発
珍しいダブルの勘違い事件 [2013年07月13日(Sat)]
7月13日(土曜日)
来るときの飛行機でも余り寝ていなかったので眠い筈なのだが、深夜になっても、時差のせいか寝付けない。そこで夜遅くメールを見て驚いた。日曜日に空港まで送ってもらうものとばかり思っていたIFC(国際金融公社)の田中さんから土曜日はよろしく、との伝言が入っていたのだ。
大変な間違いをしたことに気が付いた。もともと、彼に連絡した際に、日曜日までいますと伝えたのに対し、彼からは土曜日に空港まで送りましょうと、返事をもらっていた。その時、彼の勘違いに気付き、帰国は日曜日ですと返事するつもりで取り紛れてしまい、彼とのアポイントは土曜日になったままだったのだ。
それに対して、私はベトナムでの障害者分野での長年の事業パートナー VNAHの代表者、カバントランさんと土曜日の朝に会う約束を入れてしまっていた。このままでは、お二人とのアポがバッティングしてしまう。慌てて、田中さんにメールし、お詫びの連絡と約束日時の変更を依頼する。
それやこれやでこの夜は数時間寝ただけで、そのまま朝を迎えてしまった。
0713park.jpg
<気持ちの良い朝の公園を通り抜けて会合場所に向かう>

早朝に、田中さんから返信があり、今朝のアポの取り消しを了承してもらい一安心。ところが、朝8時をとっくに過ぎても、肝心のカバントランさんが来ない。彼に電話するが繋がらない。仕方がないのでメールを送り、そのまま、再び、昨日のデカロさんのホテルへ出向く。
定刻ぴったりの10時に彼の部屋に着いてみると、デリックさんが来ていてデカロ教授と話し込んでいた。IDPPの聴覚学生支援を話そうとしていたのだが、それ以前に大きな問題が生じていることが判明。三人で善後策を協議。
長い打合せを終えてホテルに戻ってメールを確認すると、今朝、現れなかったカバントランさんからメールが届いていた。明日と勘違いしていたとのこと。こんなことなら、予定通り田中さんとの予定を変更する必要はなかったのだ。
そこで、彼に事情を話したところ、明日の朝食を一緒に取りその後、空港まで送ってもらえることになった。不幸中の幸い、ダブルの勘違いだった。

09時 ホテル出発
10時 アメリカン大学デリック准教授 
18時半 夕食会
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI