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大野修一(日本財団)
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TBSの番組「世界不思議発見」で紹介 [2013年05月31日(Fri)]
5月31日(金曜日)
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<雨期が始まった? 雨に濡れた路面>

朝8時、ホテルのレストランでカンボジア伝統医学機構(CaTMO)の高田さん、日本財団の伝統医療事業担当者の中嶋君らと食事をしながら、本日の理事会に向けての打合せ。
その後、クメール陶器復興事業の岩見さん、明(あけ)さんらに来てもらって協議。岩見さんは益子焼きの専門家、この事業の技術面での指導者だ。明さんはクメール語を操るカメラマン。現場を監督するコーディネーター兼販売部門の責任者として昨年から、この事業に加わってくれた。
この事業は、5月25日のTBSの番組「世界不思議発見」で紹介されたばかり、早速、日本の商社などから引き合いがあるなど反響があったそうだ。
今後の販売拡大策などに付いて打合せをしていると、突然の激しい雨。久し振りに見るカンボジアのスコールだった。「いよいよ、雨期が始まったのかな」と言うと、「このようなスコールが3日も続くようになると、田植えが始まります」と岩見さん。コンポンチュナムの陶工たちはみんな農家でもある。田植えの時期には陶器作りのペースは落とさざるを得ない。販売量が増えるなら、それまでに増産しておかねばなるまい。
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<カンボジア伝統医療機構(CaTMO)が入る保健省ビル別館>

岩見さんたちと昼食を取った後、CaTMOがある保健省ビル別館へ。CaTMOは、国立カンボジア伝統医学学校を運営するための組織として、日本財団がカンボジア保健省に提案して設立したNGO。これから開かれる運営理事会のメンバーはオークモナ保健副大臣、イムヤン次官、ブンサンボ官房副長官、篠原元駐カンボジア日本大使と私の5人だが、今日は篠原元駐カンボジア日本大使は欠席。
CaTMOは2009年の設立以来、カンボジア伝統医療師を対象とする研修を、長いもので10ヶ月、その他は5ヶ月または6ヶ月のコースで7回実施して来た。その卒業生は345人。カンボジア全土で伝統医療の知識と経験を基に、近代医療を補完す医療サービスに従事している。彼らを組織化するための団体CaTHA(カンボジア伝統医療師協会)も設立され活発に活動を始めている。
今回の理事会では我々の方から、CaTMOを解散し、今後はCaTHAを活用して地方での研修に重点を移すことを提案したが、保健省からはCaTMOを解散することに対しては抵抗があり、結論を持ち越すことになった。
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<伝統医療機構理事会で討議>

08時 CaTMO高田さん
10時 伝統陶器復興事業打合せ
14時45分 ホテル出発
15時  カンボジア伝統医療機構CaTMO理事会
18時 ホテル出発
18時半 ミャンマー政府代表団と夕食 
ラジオ事業成果報告会議 [2013年05月30日(Thu)]
5月30日(木曜日)
昼間、暑くなるまでに用事を済ませようという考え方からなのだろうか。一般に、東南アジアの朝は早い。政府の行事なども日本と較べかなり早い時間に始まることが多い。
ご多分に漏れず、今日の会議も朝8時からのスタート。ただ、幸い会場は我々が泊まっているホテルなのでらくちんだ。私は、今朝は朝食を割愛したので、自分の部屋から2階の宴会フロアに設けられた会議場に直行した。
今回の会議を教育省と一緒に仕切ってくれた本事業の実施団体であるESC-Kizunaの松嶋さんによれば、ラジオ放送を活用したこの方式の効果は著しく、教育省が実施したテストによると、事業開始半年で、参加している生徒の成績の平均値は参加していない生徒を40%上回るようになった。その後、さらに1年後、2年後に行われた試験では、コンスタントに75−80%も上回る状況が続いている。
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<事業の成果を報告するESCの松嶋さん>

今日の会議の出席者は74人。世界銀行やアジア開発銀行、UNESCOなどの国際機関からも担当者が出席。
カンボジア政府教育省からは、元々、イムセティ大臣自身の出席を前提に今日の日程を設定していたのだが、生憎、総選挙を7月に控えてフンセン首相と急に地方への遊説に出ることになったため、教育省からは大臣の名代として副大臣を派遣してくれることになった。
予定の8時を少しまわったところで、ピットチャムナン副大臣が到着、会議が始まった。
ミャンマーから派遣された5人の英語教育の専門家たちは最前列に陣取り、これらのスピーチに対し、メモを取りながら熱心に耳を傾ける。
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<最前列左にミャンマーからの専門家が並ぶ>

カンボジア教育省の担当部長の司会で始まった会議は、冒頭にこの事業のために日本財団が設立したNGOであるESC-Kizunaのブンサンボ理事長が挨拶。彼は、永年、フンセン首相の英語通訳を務め、数年前に官房副長官に就任した人である。私とは長い付き合いがあり、ESC-Kizunaの前身になった別のNGOの設立の時から手伝ってもらっている。彼は、この事業の恩恵を受けた生徒たちの英語の成績が、対象外の生徒に較べて大幅に上回っており、当事業の実施団体のトップとして、誇りに思うと胸を張った。
次いで、私が本事業を企画したばかりか、資金面でも全面的に協力している日本財団を代表して挨拶。これまでの経緯と、ラジオという一見、アナログなツールを選んだ背景などに付いて説明した。
その後、登壇した副大臣は、カンボジア政府にとって、英語教育の重要性がこれまでにも増して高まっており、英語授業の開始時期を繰り上げるなど改善策を準備中である。3年前に日本財団の提案で始まったこのラジオによる英語教育事業が大変な成果を挙げていることを政府としては注目しており、事業の対象地域の拡大を望んでいることなどを表明。
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<副大臣が教育大臣のスピーチを代読>

次いで、この事業の技術面でのパートナーであるイギリスのBBC放送傘下のNGOであるBBC Media Actionのカンボジア代表代行のコリンさんが登壇、BBCが作ってくれたばかりのこの事業を紹介するビデオを放映。そのあと、事業における技術的な説明を中心に、教育補助ツールとしてのラジオ放送の役割と可能性について語った。今回の会議のために、ロンドンの本部から駆けつけてくれたアジア事業の責任者のキャサリンさんも頷きながら耳を傾けた。
午後からは、BBCと一緒に放送番組のテキストを作り、指導教員の訓練を担ってくれている国立教員養成校(師範学校)の担当官による詳しい説明と、質疑応答のセッションが行われた。ミャンマーからの英語教育専門家が熱心に質問をしていたのが印象的であった。
最後にトゥンサルム教育事務次官が挨拶し、カンボジア政府としてはこの事業の効果を高く評価する立場から事業の対象地域の拡大を望んでいるが、財政上の制約から、事業を資金的にサポートしてくれる国際機関が現れることを望んでいる、と締めくくった。
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<BBCが作った本事業を紹介するビデオが流れる>

成果報告会議が終わった後、私は最近着任されたばかりという、隈丸駐カンボジア日本大使とお目にかかった。大使は、このラジオ事業に大変興味を持って下さり、報告会にも出席を希望されていたが別件で果たせず、その代わり会議終了後に、わざわざこのホテルに来て下さったのだ。
ラジオ事業以外にも、コンポンチュナムで実施中のクメール陶器復興プロジェクトのことなどについてもご説明し、興味を持って頂く事が出来た。
夜は、ミャンマー政府代表団とカンボジア料理店で夕食。

08時-15時半 ラジオ事業成果報告会議
15時半 ミャンマー政府代表団
16時 隈丸大使 
15時45分 ホテル出発 
18時 ミャンマー政府代表団と夕食 
3人で、一緒にプノンペンへ [2013年05月29日(Wed)]
5月29日(水曜日) 
今日はプノンペンへ出発。主たる目的は、カンボジア政府教育省と実施中の、ラジオによる英語教育支援事業に関する成果報告会への参加。日本財団の若手職員、立石君と松岡さんも一緒だ。本事業の担当が立石君から松岡さんに交代することになり、今回は二人一緒に来てもらうことにしたのだ。
いつも、成田からは一人で出発することが多い私にとっては、珍しく同行者を伴っての出発。3人一緒にプノンペンへ。
今回は、プノンペンからの帰り道に、久し振りにバンコクに立ち寄ることにしている。このところ、ミャンマーからの帰国の際に、深夜到着の羽田便にすることが多くなったので、バンコク立ち寄りの機会が減ってしまっていたからだ。
ところが、バンコクから乗り継いだプノンペン行きのタイ国際航空機内で読んだ新聞によれば、一昨日の日曜日にバンコクのランカムへン地区で爆弾騒ぎがあった由。7人が負傷したのだとか。ところが、犯人はまだ名乗り出ていないので背後関係は分からないままなのだとか。
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<バンコクでの爆弾騒ぎを報じる現地紙>

プノンペンのホテルに着いてみると、ロビーの片隅で、ラジオ教育事業の実施NGOであるESCの北野事務局長から明日の会議についてブリーフィングを受けているグループを発見。彼らは、ミャンマーから派遣された5人の英語教育の専門家たちであった。
私が、昨年11月にネピドーでミャンマーの教育副大臣バシュェ博士にこの事業のことをお話したところ、大変興味を持って頂いたので、会議へのオブザーバーとして教育省の責任者の派遣を要請。それに応えて、教育省や大学の英語教育学の教授らから成る5人の派遣が決まったのだった。
実は、ミャンマー側からは10人の派遣を求められたのだが、予算上の制約から日本財団としては5人に絞らせてほしいということで、当方で、5人のメンバーを選抜させてもらったのだが、彼らとは初対面の私は、このとき初めて、5人のうち4人が女性であったのに気が付いた次第。
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<プノンペン市内の寺院 クメール模様が美しい>

11時00分 成田発
15時30分 バンコク着
18時15分 バンコク発
19時25分 プノンペン着
帰国へ [2013年05月24日(Fri)]
5月24日(金曜日)
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<早朝にも拘らず、シュエダゴンパゴダの前には参拝する信徒の姿が>

朝7時半、メームさんの車でホテルを出発、空港へ。曇ってはいるが、幸い、今朝は雨の姿は無い。
ヤンゴン空港には、ミャンマー国旗と並んで日の丸が翻っていた。
今日は、日本から安倍首相が日本の首相としては36年ぶりというミャンマー訪問に到着する日なのだ。
日本財団の笹川会長も、ミャンマー国民和解日本政府代表として、安倍総理のテインセイン大統領訪問に同行することを求められたので、WHO(世界保健機関)の総会出席の為に出向いたジュネーブから今夕、ヤンゴン入りし安倍総理と合流することになっている。
しかし、私は会長とは入れ違いに当初の予定を変更せず、バンコクで乗り継いで帰国。
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<安倍首相一行の到着を間近に控えてヤンゴン空港には日の丸が翻る>

07時半 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
14時20分 バンコク発
22時30分 羽田着
おまけの一日 [2013年05月23日(Thu)]
5月23日(木曜日)
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<雨に濡れた歩道の真ん中を傘をさして尼さんたちが歩く>

朝薄暗い中で目を覚ます。カーテンの外を見ると雨が降っていた。雨に濡れた歩道の真ん中を、托鉢に行くのだろうか、ピンクの僧衣に身を包んだ尼さんたちが傘をさして一列に歩く姿が見えた。昨日、アウンコミンさんが言っていた通り、ついに、雨期が始まったようだ。
当初の予定のように、今日の朝便でネピドーに行く場合は、4時半には起きて5時にホテルを出発しないといけなかったのだが、それが無くなったので、もう一度ベッドに潜り込む。
今日の午前の予定は、ティンニュントさんが勤務するパラミ病院に寄って彼をピックアップ、そして日本財団ヤンゴン事務所で彼と盲人用の医療マッサージ研修プロジェクトについて打合せをすること。
昨日ネピドー行きがキャンセルになった後、ティンニュントさんと話し合った結果、元々は、ネピドーでの国境省と調印式の後、保健省や社会福祉省関係者と協議をすることにしていた、盲人用の医療マッサージ研修プロジェクトについて、二人で明日詰めることにしたもの。
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<雨があがった>

朝食を済ませて、ホテルの玄関口に立つと雨は止んでいた。メームさんにホテルに迎えに来てくれるよう頼んでいたのだが、約束の時間の9時20分になっても彼の姿が無い。時間に正確な彼にしては珍しいことなので、彼の携帯に電話を入れると、渋滞に捕まってしまったのでもう少し待って欲しいと言う。
確かに雨が上がっていたにも拘らず道路は混んでいる。昨日は30分で行けた距離を、今日は45分かけてパラミ病院へ。車に乗り込んで来るなり、博士が言うことには、今朝7時半に国境省より電話があり、中止と伝えられていた閣議が何と開かれることになった。従って、予定通り午後から調印式を開きたいのでネピドーまで来て欲しいとのこと。「全く、分かっていない。今更、チケットはキャンセルしたし、第一、今頃空港に行っても飛行機に間に合う訳も無い。一体何を考えているのだ」と、憤懣やる方ない様子。
ティンニュント博士を乗せて、日本財団のオフィスへ。会議室を借りて12時頃まで盲人マッサージ事業の進め方に着いて二人であれこれと検討。
その後、ショッピングセンター内のミャンマーヌードル店で昼食を済ませて、二人で国立盲学校へ。
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<盲学校では障害者芸術祭に向けて演劇の予選会が進行中>

午前中にティンニュントさんと二人で考えた盲人マッサージ事業案を説明、事業の進め方に着いて彼の同意を得るためだが、今日は、国立盲学校では演劇についての予選会が進行中。司会役のアウンコミンさんの手がすくまで暫し、演劇鑑賞に付き合うことに。
筋書きは教えてもらったものの、ミャンマー語が分からないので私は演技に集中することも出来ずキョロキョロ。日本なら演劇は、部屋を暗くし、照明が当てられるところだが、何故か、部屋の窓は開け放たれたまま。外の雑音も遠慮容赦なく入って来る。
それに対抗するかのように、役者はマイクを握り、それに向かって話し、大きなスピーカーから台詞が吐き出される。一人づつ黒いコードの付いたマイクを握って大声で熱演するので、会場は可成りの音量で耳を塞ぎたくなるほど。
難聴の人のための措置かとも思ったが、そうでもないらしい。東南アジアは一般に大音響に寛容である。ミャンマーだけではなく、あちこちのお寺で誦経がスピーカーを通して最大音量で流されていたことを思い出す。
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<一人づつ黒いコードの付いたマイクを握って熱演>

司会役のアウンコミンさんと落ち合い、午前中にティンニュントさんと二人で考えた盲人マッサージ事業案を説明、事業の進め方に着いて彼の同意を得る。
夜、ティンニュントさんの紹介で大変興味深い人に会った。国連機関を退職したばかりというユージンアンジーさん。彼のお父さんはミャンマーでは誰もが知っているほどの有名な歌手だったとか。36年前、福田首相がミャンマーを訪問した際に、選ばれて日本の唱歌を歌ったという。
今もお元気という父君は、大変な日本びいきなのだそうだ。それは、子供の頃チフスに罹って死にかけた時に、日本軍の軍医に当時は大変な貴重品だった抗生物質をもらって九死に一生を得たからだ。
お父さんは、彼が子供の頃からいつも、「お前がこの世に生を得ることが出来たのも日本人のお陰だ、日本人に会ったから必ずこの話をしてお礼を言うように」と言い続けてきたのだそうだ。
日本軍の兵士たちが敗戦後のミャンマーで、ミャンマーの人々に助けられた話は多いが、このような話もあり、今でもミャンマーの人々は日本人に好意を持ってくれている。誠に有り難い話である。
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<アウンコミンさんに二人で考えた盲人マッサージ事業案を説明>

09時半  ホテル出発
10時15分 パラミ病院ティンニュント博士ピックアップ 
10時半 日本財団ヤンゴン事務所で打ち合わせ
12時 昼食
13時 国立盲学校でアウンコミンさんと打ち合わせ
17時 エルウィンさん自宅訪問
18時半 ティンニュント博士らと夕食 
突然のキャンセル騒ぎに振り回される [2013年05月22日(Wed)]
5月22日(水曜日) 
朝、起きると、何故か部屋の中が暗い。部屋の外を覗いてみると、昨日までのギラギラした太陽は無く、空はどんよりした曇り空だった。
メームさんの車で、9時過ぎにホテルを出てミャンマー障害者自立生活運動(MILI)本部へ。アウンコミン代表と会い、一緒に、国立障害児学校へ。ここが、来年のASEAN障害者芸術祭(AFDA)の為に今年10月に開かれる国内予選のための選考会場の一つである。2015年にミャンマーがASEANサミット主催国になるのを機会に、ASEAN障害者芸術祭の開催をミャンマー政府に提案したのは、元々は、我々だが、その実施主体になることを承知してくれたのがMILI(ミャンマー障害者自立生活運動)だった。
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<日本財団のロゴが付いたメームさんの車>

彼らの提案で、ミャンマー国内の各障害者団体やそれを支援する国際NGOら20以上の団体が運営委員会を設立、国内予選の公募をしたところ、何と、450ものエントリーが殺到。このままでは、予選会場に収容出来ないので、国内予選出場者を選抜するための、国内選考会を開くことになったのだ。
審査するのは各分野の専門家からなる総勢50人の審査員たち。何とその多くが、ミャンマーでは有名な芸術家たちだ。皆、このコンテストの趣旨に賛同し、手弁当で引き受けてくれたのだという。
最初に立ち寄った国立の障害児学校では、絵画コンクールが始まっていた。ミャンマー画家協会の幹部や、有名な画家が駆けつけて、絵の指導に当たってくれていた。その内の、二人は長い髪を後ろに束ねた髪型。男性の長髪姿はミャンマーでは余り見かけない。そう言えば、指揮者の福村さんとミャンマーオーケストラの稽古場を訪ねたとき以来かも。芸術のジャンルを問わず、芸術家は長髪を好むものらしい。
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<この会場では絵画コンクールが進行中>

その次に立ち寄ったのは、私立の聾学校。ここでは、モダンダンスのコンテストが進行中。ビートの効いた音楽に合わせて、若い女の子がステージでステップを踏んでいた。やはり、ミャンマーでも若い世代はモダンダンスをするんだ、と私は一人で得心。
審査員兼指導者という男性を紹介される。彼は、ミャンマーでは超人気のダンサーだという。この人も長髪。スリムで長身の身体をTシャツとジーパンで包み、髪をポニーテイルに結んだ姿は、ロンジー姿が未だ一般的なミャンマーではとっても新鮮。
その後、三番目の会場、国立盲学校に立ち寄った。ここでの種目は何と、漫才。ここ、ミャンマーでは漫才は元々、王様を伝統舞踊でもてなす際の座興として発達したので、今では、伝統芸術の一分野として認識されているのだとか。
演者の言葉に会場は何度も爆笑の渦。盲人のアウンコミンさんも楽しそうに笑っている。所々で話の筋は説明してくれるのだが、笑いのポイントを伝えてもらうことは出来ない。私はここでは、ミャンマー人の中で一人沈黙、まるで聴覚障害者だ。「聾桟敷」という言葉を思い出した。
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<ミャンマーでは漫才も伝統芸術分野の一つ>

この会場を後に、日本財団のヤンゴン事務所に向かおうとしたとたん、大変なスコールが始まった。「ついに、雨期が始まったのかもしれませんね」と空気の臭いを嗅ぐようなそぶりを見せながらアウンコミンさんがつぶやいた。
このまま会場に残るという彼と別れて、メームさんの車でヤンゴン事務所に向かっていると、ティンニュント博士から電話。何と、国境省のテインテー部長から明日のネピドーでの調印式が中止になったと連絡が入ったとのこと。
その理由は、テインセイン大統領が、訪米から戻ったばかりで疲労のためか、明日朝に予定されていた閣議が中止になったため。「そんな綱渡りのスケジュールにするからこんなことになる」とティンニュントさんはカンカン。温厚な彼にしては珍しい。
0522rain.jpg
<ついに、雨期が始まったのかも>

ともかく、明日朝のネピドー行きのフライトはキャンセルすることに。リファンドを受けるため、急いでエルウィンさんの分を含む3人のチケットを回収し、旅行代理店に返却しないといけないのだというので、日本財団のヤンゴン事務所の後、彼の病院に立ち寄り彼の分を回収。
また、ホテルへの帰り道の途中にあるエルウィンさんの自宅にも寄るが、彼は不在。そうこうしているうちに、代理店の営業時間が終わる時刻が近づいて来たので、取り敢えず二人分を運転手のメームさんに託して、代理店に届けてもらう。
夜は、メームさんも交えて、社会事業家のチーチーさんのお姉さんのニェンニェインさんと4人で、ミャンマーヌードル店で食事をしながら、MILIのメンバーに対するビジネス研修のことなどについて相談。

09時20分 ホテル出発
10時 MILIアウンコミン代表 
10時半 AFDA国内予選選考会場訪問
14時半 日本財団ヤンゴン駐在員事務所
16時半 ティンニュント博士
18時半 チーチー姉妹
国境省付属トレーニングセンターでの地方公務員研修を視察 [2013年05月21日(Tue)]
5月21日(火曜日)
ホテルの部屋で朝食に行く準備をしていると電話。国境省のテインテー部長だった。ホテルのロビーにいるという。枕元の時計を見ると8時半。はて、約束は10時の筈だったのに、と尋ねると、交通渋滞を心配して早めに出たら着いてしまったのだという。
朝食は諦めてロビーへ。明日のネピドーでの調印式の責任者として、段取りが気になってしょうがない様子。私の英語のスピーチをミャンマー語に通訳するのも彼の役目。わざわざ、大きな文字に印刷して持参してくれた原稿を受け取る。
そうこうしているうちに、明日、ネピドーに同行してくれる予定のエルウィンさん、ティンニュント博士が現れる。4人で、明日のネピドー日帰り往復のためのフライト、ネピドーでの国境省での調印式後の他の省での面談予定など、段取りの確認を行う。
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<国境省付属中央トレーニングセンター>

4人での打合せの後、私はテインテー部長と一緒に、国境省付属地方公務員中央トレーニングセンターへ。日本財団が国境大臣へ提案して始まった、ミャンマーの7つの少数民族州での中堅地方公務員に対する行政研修の現場である。
ヤンゴン郊外の田園地帯にある公務員トレーニングセンターでは、70人の男女がレベル別の4つのクラスに別れて、英語の授業の真っ最中だった。この研修の目玉は、7月に行われるシンガポールへの研修旅行だが、そのためには、英語力のアップが必須ということから、5月、6月と2ヶ月を使って英語の特訓が行われ、その成績によってシンガポール行きは半数の35人に絞られるのである。
半分に振り分けられるということで、もう少し、ギスギスした雰囲気かと想像していたが、予想外に和やかな雰囲気で様々な民族の男女が英語の授業に取り組んでいた。
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<和やかな雰囲気で英語の授業に取り組む少数民族州の公務員たち>

ミャンマー式の昼食をごちそうになって、中央トレーニングセンターを出る。センターに用があるので残るというテインテーさんと別れ、一人ホテルに戻ろうとメームさんの車に乗り込もうとした時、テインテーさんがさも秘密のようにこっそり私に耳打ちした。
たった今、ネピドーの国境省から入った連絡によると、明後日の調印式は大臣の都合で午後2時半からになった、という。帰りは午後6時のフライトの筈だから、それ位なら、問題ないと私が言うと安心したように頷いた。
彼の頭は、明日の調印式のことで一杯のようだ。
ホテルに戻って直ぐ、イラワジ州での学校建設事業を責任者として担当してくれる予定の、れんげボランティア会の平野さんと会う。彼は、日本財団が現地に作ったNGOを通して、これまで、10年以上に亘ってシャン州で取り組んで来た学校建設事業の、初代の責任者だったひと。今度は、ヤンゴン州の川向こうイラワジ州での学校建設事業に志願してくれたのだ。事業の進め方、段取りや手続きに着いてについて協議。

08時半 国境省テインテー部長
09時半 エルウィンさん、ティンニュント博士
11時 国境省付属地方公務員トレーニングセンター
16時 れんげボランティア会平野さん
18時半 ティンニュント博士
ササカワ賞の運営員会に出席してからヤンゴンへ移動 [2013年05月20日(Mon)]
5月20日(月曜日)
午前9時前に、ホテルの部屋に電話が入る。APCDに出向している日本財団 職員の間遠さんからロビーで待っているとの連絡だ。
午前9時、一緒に、タクシーでESCAP(国連アジア大洋州経済社会委員会)へ。今日は、ササカワ障害者インクルーシブビジネス賞の運営委員会が開かれるのだ。前回は、渋滞で結構時間がかかったのだが、今回はすんなりと40分ほどで到着。準備中の会議室に入れてもらい、予定時間の10時まで雑談。
時間ぴったりに、責任者のナンダさんが到着。いつものように、てきぱきと会議を進行。賞のカテゴリーの確認、審査委員候補者などを議論して、予定通り12時に終了。
終了後、間遠さんとホテルに戻り、国際移民機関(IOM)職員で今度、ヤンゴン駐在が決まったという伊藤さんと三人で食事。ミャンマー情勢などに付いて意見交換。
その後、私は一人でヤンゴンに向かうべく、空港へ向かった。
バンコクのスワンナプーム空港でヤンゴン行きの飛行機に乗り込んで見ると、そこには、キンマウンティン駐日ミャンマー大使ご夫妻の姿があった。いつも、1年間有効の無償ビザの発行など大変お世話になっているので機内でご挨拶。大使は、今週末の安倍首相のミャンマー訪問に備えての一時帰国なのであった。
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<ヤンゴン空港からホテルへ向かう道 ヤシの樹の緑が美しい>

我々を乗せた飛行機は、夕方6時前にヤンゴン空港に到着。間もなく雨期を迎えるというヤンゴンは曇り空だった。
空港には、久し振りにモン族の運転手、メームさんが迎えに来てくれていた。彼は、来月にも日本財団が初の海外駐在員事務所として開設したばかりのヤンゴン事務所に就職する予定である。
何と、横にいたのは一足先にヤンゴン駐在を始めたばかりの財団職員の梅村君が、奥さん、赤ちゃんを連れて来てくれていたのには、びっくり。
梅村君夫妻とは挨拶を交わしただけで別れ、メームさんの車でホテルに向かう。曇り空が気になったので、天気予報について聞いてみた。彼によると、先週は、大きなサイクロンの到来が心配されていたが、バングラデッシュに上陸。この辺りは対したことはなかった由。まだ、雨期は始まっていないのではないかとのこと。
つい最近出来たばかりの陸橋を通る。政府による輸入規制緩和の結果、ここわずか2、3年でモータリゼーションが急速に進み、交通渋滞が頻繁に生じるようになったヤンゴンだが、この辺りは、立体交差になったお陰で、交通渋滞は緩和、ホテルまでの道の交通は随分スムースになった。
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<上を走るのが最近出来たばかりの陸橋>

09時 ホテル出発
10時 国連アジア大洋州経済社会委員会
13時 国際移民機関(IOM)伊藤さん
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
再びバンコクへ [2013年05月19日(Sun)]
5月19日(日曜日)
先週の月曜日に、急遽入ったバンコク出張から戻ったばかりだったが、再びバンコクへ。いつもの、正午のバンコク行きに乗り込む。
今回は、ヤンゴンへ行く前のバンコク。今日一泊して、明日午前にUNESCAPで開かれるササカワ障害者インクルーシブビジネス賞の第2回運営委委員会に出席して、午後のフライトでヤンゴン入りする予定。
ミャンマーでは23日に首都のネピドーで開かれる国境省所管の地方公務員の行政研修事業の調印式に臨むことになっている。いつもながら、それに合わせてヤンゴンでは障害者団体のMILI(ミャンマー自立生活運動)などと協議する予定である。
バンコクに到着すると、いつも定宿にしているホテルに投宿。ホテルの近くの日本料理店で日経新聞バンコク支局長の高橋さんらと夕食をとりながらミャンマーについて情報交換。
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<一週間ぶりにバンコクに着いた>

12時00分 成田発
16時30分 バンコク着
19時 日経新聞高橋支局長
スラキアート元副首相に会って帰国 [2013年05月13日(Mon)]
5月13日(月曜日)
ホテルでの朝食の後、荷物をまとめホテルをチェックアウトの準備をして、出発。朝10時半からのタイの元副首相のスラキアートさん邸での笹川会長との面談に同席するためマイクロバスに乗って出発。
この話を持ち込んで来たのは、タイの元外務大臣のテートさん。彼からは以前から、笹川会長がバンコクに立ち寄る機会があれば是非、元副首相のスラキアートさんに紹介したい、と言われていた。
先月にも一回チャンスがあり、こちらが日程を伝えたのだが、先方の海外出張と重なったため実現しなかったのだ。しかし、今回は双方の都合が調整出来たのだ。
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<空港ホテルの朝 雨季が近付いているためか曇り空だった>

テートさんは駐米大使や駐中国大使などを務めた後、外相まで上り詰めた練達の外交官であるが、今はタイ赤十字の副総裁を引き受ける傍ら、日本財団の障害者事業でのパートナーであるAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)の理事長を務めている人。
一方、元副首相のスラキアートさんは、2006年にバンキムウン現国連事務総長が立候補した際に、タイのタクシン政権が担いだ人。決定直前にタクシン追放を狙った軍事クーデターが生じたなどから、苦杯をなめることになったが、もともとは、タイ国初のハーバード大学法学博士、タイ最年少の財務大臣など若くして才能を認められた秀才だ。
今回は、東南アジア各国の元首相や大統領などの大物が結成した和平交渉を支援するスキームでスラキアートさんが会長を務めるAPRC、と日本財団のとの連携の可能性を話し合った。
一時間余りミャンマー情勢などを中心に意見交換をしたところで、また近いうちに会うことにして会見は終了。私邸の外にスタンバイしていたマイクロバスに乗り込み、午後2時半の羽田便に乗るため空港に戻った。
5時間余りのフライトを経て、定刻の日本時間午後10時に羽田に着陸。一泊二日の今までで一番短い海外出張が終了。

09時15分 ホテル出発
10時半 スラキアート元副首相邸訪問
14時20分 バンコク発
22時30分 羽田着
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