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大野修一(日本財団)
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カンボジア伝統陶器復興支援事業の作品の新しい販売店 [2013年04月30日(Tue)]
4月30日(火曜日)
朝8時にホテルの食堂で朝食を取りながら財団職員の中嶋君と打ち合わせ。
その後、9時過ぎにソルヤ君の車で、ESC(Education Support Center)本部へ。ESCは日本財団がカンボジアで中学校教育支援のために設立したNGOである。現在は、中央師範学校での先生の卵たち、約500人に対する奨学金供与の他、カンボジア政府教育省や、英国のBBCと組んで僻地の中学校向けのラジオを使った英語教育放送事業を行っている。
ESC事務局長の北野さんや松嶋さんらと打合せを済ませるとすぐに、皆で一緒に英国BBCの作ったNGOであるBBCトラストのカンボジア本部へ向かった。長期休暇中のチャールズさんの留守を預かるコリンさんらと会い、来月30日に予定されている教育省主催の本事業のレビュー会議の件を打合せ。
さらには、今後の事業の進め方についても意見交換。
0429BBC.jpg
<BBCトラストのカンボジア本部>

BBC訪問の後、日本財団で伝統医療事業を担当する中嶋君、カンボジアで伝統医療学校の講師を務める高田さんらとホテル近くのカンボジア料理店で昼食を取った。
昼食の後、1時半に保健省の伝統医療センターに赴き、バナロム所長と面談。来月に予定されている国立伝統医療学校の運営組織であるカンボジア伝統医療機構(CaTMO)の理事会に向けた打ち合わせ。
その後、世界保健機関(WHO)のカンボジア事務所を訪問し、シニアオフィサーの竹内博士にお会いして、カンボジアでの伝統医療事業の進め方について色々アドバイスを頂いた。
0429WHO.jpg
<WHOカンボジア事務所>

WHOカンボジア事務所の訪問を終えると、全員で、インターコンチネンタルホテルに向かった。ホテル内に最近設けられた、日本財団が支援するカンボジア伝統陶器支援事業で作られた製品を販売する売店を訪ねた。この売店は、我々の事業に興味を持ってくれたインターコンチネンタルホテルの総支配人のご厚意で最近開設されたもので、私にとっては今回が初めての訪問。
エレガントなホテル内の売店だけあって、予想以上にセンスの良い店構えに先ずはびっくり。コンポンチュナンの現場で6人の陶工たちが苦労して作った力作が美しく飾られていた。
0429shop1.jpg
<インターコンチネンタルホテル内の陶器販売店>

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<店内のレイアウトもとてもエレガント>

0429shop2.jpg
<大小の作品が品よく並べられていた>

最近、ホテルに納入されたばかりという陶器製の大きな吸い殻入れ兼ゴミ入れもホテルの正面玄関の車寄せの脇や、内部のホールの隅に置かれていた。
私は、今回も新製品の中から小物ばかり数点を購入。東京の財団内の執務室のテーブルに飾るためだ。
夜は、フンセン首相の通訳官を長年務め、最近は官房副長官的なポストに就いたブンサンボさんご夫妻と夕食を囲んだ。
0429ashtray.jpg
<ホテル内の大きな吸い殻入れ兼ゴミ入れの陶器>

08時 朝食打合せ
09時15分 ホテル出発
09時半 ESC本部訪問
10時 BBC訪問
12時 昼食
13時半 保健省伝統医療センター・バナロム所長
15時半 WHOカンボジア事務所訪問
17時 インターコンチネンタルホテル内陶器販売店訪問
18時半 ブンサンボ首相補佐官 
クメール伝統陶器復興事業打合せの後、コンポンチュナンへ [2013年04月29日(Mon)]
4月29日(月曜日)
0429workshop.jpg 
<オンドンルッセイ村にあるクメール伝統陶器復興事業の作業所>

朝8時半にホテルを出発、教育大臣と面談するため教育省へ。現地で教育関係事業を担当するために日本財団が設立したNGOであるESCの北野事務局長らと合流。イムセティ大臣と、6月末に予定しているラジオによる英語教育支援放送事業に関する事業報告会議について意見交換。日本財団の提案によって始まったこの事業も今年で4年目を迎えた。途中から教育大臣に就任したイムセティさんも我々の事業を高く評価してくれている。
この事業を通じて、特に地方の中学校における英語教育の質の改善に、ラジオ放送の活用が大変大きな効果を発揮するということが明らかになってきた。今年2月に、教育省と共同で行われた英語の能力試験によると、ラジオ放送を利用した授業を受講している生徒と受けていない生徒との成績には、100対175という顕著な差が現れた。
昨年の試験でも、同様に80%近い差が出ているので驚きは無いが、カンボジアの英語教育の質の向上にこのラジオ放送を使う方法が有効であることはもう誰にも否定出来ない事実となった。
そこで、この度、全国の英語教育関係者にプノンペンに集まってもらい、教育省のお役人、中央師範学校の関係者、この事業のパートナーであるBBCなどとこの事業についての意見交換会を開催することになったのだ。
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<カンボジア教育省の建物>

カンボジアでは都市部を除き電化が遅れており、家庭における電気の普及率は20%以下である。日本財団は10年以上前にカンボジアの僻地で学校建設を支援した際、ソーラーパネルとデスクトップコンピューターを1校に1セット配り、利用方法の指導者も派遣するという事業を試みたが、故障やら盗難やらでうまく行かなかった経験がある。
電池で動き、引き出しにしまうことも用意なラジオ受信機なら、田舎の家庭でも珍しいものではない。ラジオ番組なら制作費もコンピューターなどと較べて格安であり、放送など維持費もテレビに較べると格段に安い、というメリットを持っている。教育におけるラジオ放送の活用は、財政余力も限られたカンボジアの現実に適したツールと言えるのではなかろうか。
教育省からホテルに戻り、ロビーで現地コミュニティー紙NyoNyumの発行責任者である山崎さんら、クメール伝統陶器復興事業の関係者と合流。今年からの最大のテーマである陶器作品の販売促進策を中心にした打合せに臨んだ。
財団職員で伝統医療の担当である中嶋君らも加わり、山崎さんらと皆一緒に昼食を取った後、私と北野さんは、クメール伝統陶器復興事業の作業所のあるコンポンチュナンへ向かった。昨年から、クメール伝統陶器復興事業に加わってもらった明さんも一緒である。
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<陶工たちは熱心にロクロに取り組んでいた>

このところ、私のカンボジア出張は、主にラジオによる英語教育やクメール伝統医療関連の事柄で時間を取られることが多く、クメール焼き復興事業の現場、オンドンルッセイ村の作業所に足を運ぶのは1年ぶりくらいのことだろうか。
あまり時間が無いというと、いつもは安全運転のソルヤ君が珍しく飛ばしたので、1時間半ほどのドライブで素焼き陶器の町として知られるコンポンチュナンに到着。そこからは、日本財団の全面的財政支援で進められているクメール伝統陶器復興事業の作業所のあるオンドンルッセイ村は目と鼻の先だ。
作業所の中には陶器作りの6人の女性メンバーが全員顔を揃えていた。全員と一度に顔を会わせるのは、3年ほど前に昔の作業所で会ったとき以来だろうか。でもその間、日本の益子などへの研修の際に東京で会ったメンバーもおり、皆にこやかに挨拶を交わしてくれる。
女性メンバーたちが熱心にロクロに取り組んでいる周りには彼らの子供たちが駆け回っていた。ロクロのある部屋とは別の作業場では男性メンバーたちが、釉薬にするための長石などを粉砕する作業に汗を流していた。
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<子供たちが駆け回る>

作業所の外には、大きな壷のような焼き物がいくつも並んでいた。明さんによれば、プノンペンのインターコンチネンタルホテルからの大量注文で作ったホテル内に設置されるゴミ箱のために作った陶器の失敗作なのだとか。そう言われて良く見ると、ひびが入ったり焼きムラがあったりするのだが、大きな壷がいくつも佇立している様はまるで意図的におかれた芸術作品のオブジェのよう。
作業所の中央部にある倉庫を覗いてみた。そこには素焼き工程を終えて、釉薬を施すための登り窯による窯入れを待つ作品がずらりと並んでいた。岩見さんら益子焼の専門家の熱心な指導のお陰で陶工たちの技術も向上し、作品の質も安定してきたのは明らかだ。後は販路の拡大です、と明さん。確かに、これからは販路開拓に注力し、陶工たちがこの焼き物作りだけで安定した生活を送れるよう収入増につなげて行くことが、我々に残された最大の課題である。
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<窯入れを待つ作品たち>

オンドンルッセイ村に住んで頑張ってくれている明さんと別れ、私と北野さんは二人でプノンペンに戻ることに。途中、コンポンチュナンとプノンペンを結ぶ国道5号線上には、素焼き産業で有名なコンポンチュナンの町からプノンペンへ送られる素焼きの壷を運ぶ牛車を何台も追い越して行く。
コンポンチュナンの語源は焼き物の港という意味のクメール語だそうだ。近郊で採れる上質の粘土が土鍋などの焼き物作りを支えているのだろう。しかし、アンコールワットなどの遺跡から出土するクメール陶器の制作に使われていた筈のロクロや登り窯など上質の陶器を生み出すために不可欠な技術は現代のカンボジアには伝承されていない。
そのため、コンポンチュナンの人々は、素朴な素焼きの焼き物を本当にわずかな手間賃で作る他なく、貧しい生活を強いられている。近い将来、この事業が成功し、優れた陶器作りの技術がオンドンルッセイ村だけではなく、コンポンチュナン全域に広がって行くことが出来れば、この国道5号線は釉薬のかかった立派な陶器を運び出すルートとしてカンボジア国内外に知られていくことになろう。
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<プノンペンへ牛車で送られる素焼きの壷>

07時半 朝食打合せ
08時半 ホテル出発
09時 教育大臣表敬
10時半 クメール伝統陶器復興事業打合せ
12時 昼食打合せ
13時半 ホテル出発
15時 オンドンルッセイ村事業現場視察
18時半 マルハン銀行大西頭取
プノンペンへ移動 [2013年04月28日(Sun)]
4月28日(日曜日)
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<地面に直接新聞や雑誌を並べただけの「本屋さん」>

今日は、朝の便でヤンゴンを出て、プノンペンへ向かう日。朝8時にホテルを出発、まだ猛暑が始まる前の街を空港へ走る。日曜日の朝なので、道路は空いていた。
空港へ向かう道の途中、交差点のところでは、いつものように歩道いっぱいに新聞や雑誌を広げて売る人々と、それを取り囲んで覗きこむ人々の姿が見えた。心なしか、いつもよりお客さんが増えているようだ。売りものの筈の雑誌や新聞を、なにやら大変熱心に読みふける売り子さん達の姿も微笑ましい。
ミャンマーではこれまで日刊紙の刊行は政府系紙に限られていたのだが、民主化を進めるテインセイン政権は、昨年までに事前検閲制度を廃止、民間の週刊誌がいくつも生まれた。そして、今月からは、民間の日刊紙の刊行も解禁となったのだ。
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<販売の合間、熱心に雑誌を読みふける売り子さん>

バンコクでプノンペン行きに乗り継ぐべく、ヤンゴン空港ではバンコク行きの飛行機に乗り込む。最近のヤンゴンブームを反映してヤンゴン・バンコク間のフライトの便数は一日10本以上と、とても多くなったが、機内は満席。
ヤンゴン・バンコク間、バンコク・プノンペン間とも、飛行機の中では幸い耳は大丈夫だった。また、昨日の熱も下がったようだ。ただ、昨日から激しくなった咳が今日も止まらない。機内で読んだ英字紙の記事には、中国で広がりつつある鳥インフルエンザのことが大きく出ていた。乗客が私の咳を不気味に思うのではないかと、咳が出る度に気を揉んだ。
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<やはりバンコクとの間の便が一番多い ヤンゴン空港にて>

プノンペン空港には長い付き合いの地元タクシー運転手、ソルヤ君が迎えに来てくれていた。2年前に下の娘さんを3歳というかわいい盛りに、デング熱で亡くして以来。しばらくは沈み込んでいたが、昨年もう一人の女の子が生まれて、すっかり元気を取り戻したようだ。いつものように、日本から持ってきたお菓子を娘さんたちにと手渡す。
走り出したとたん、雨粒が。あっという間に激しい雨に。もう雨期だったっけ、と尋ねると、「いや、まだだけど、最近は雨期と乾期の区別がはっきりしないから」とソルヤ君。
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<プノンペンに到着していきなりスコールの歓迎を受ける>

10年以上昔、初めてプノンペンに来た時も、スコールの洗礼を受けたことを思い出す。当時は、交差点の大きな水たまりの中で、大人たちは洗車、子供達は泳いだり、水遊びをしていたっけ。ところが、今回は何と、子供たちが建物の隅で雨宿りしているのを発見。プノンペンも普通の町に近づいたということだろうか。
市内中心部に近づくと、場所によっては道路の脇に水たまりが生じ、車が大きな水の飛沫を上げて走る。今では日本政府のODAによる下水道整備事業のお陰だろう、プノンペン市内の路上での水捌けは随分良くなったと思うのだが、それでも、南国の激しいスコールでは処理能力が一時的に追いつかなくなるもののようだ。
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<激しい雨に、流石の子供たちも雨宿り>

08時 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
13時20分 バンコク発
14時30分 プノンペン着
19時 北野ESC事務局長ら関係者と夕食
完全グロッキーの一日 [2013年04月27日(Sat)]
4月27日(土曜日)
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<ヤンゴンは35度を超す猛暑だった>

朝9時半、ホテルのロビーで、障害者団体MILI(ミャンマー自立生活運動)の幹部メンバー4人と面談。今年の10月に行うミャンマー障害芸術祭と来年末に予定しているASEAN障害芸術祭などについて意見交換。また、今年後半にスタートする方向で準備中の福祉タクシー事業についても諸々の相談をする。
MILIメンバーと会っている間に、何故か咳が出始めた。昨日、一昨日のパアン行きの車の中での冷房の風が辛く、何度か弱くしてもらうように運転手に頼んだのだが、どうやら、スリランカ以来の風邪が、ここミャンマーでぶり返してしまったようだ。幸い、今日は土曜日、夕方まで約束が入っていなかったので、打合せを終えると部屋に帰りベッドに横になる。少し休めば楽になるかと思ったが、どうやら熱も出て来たようだ。
昼食にサンドイッチを買いに外に出るつもりだったが、明日からはカンボジアでの仕事が待っている。大事をとって、ベッドに横になっていたら眠ってしまっていた。気が付くと夕方。久し振りに疲労困憊した時の私の特効薬、ブラジル伝来のガラナ粉末をのむ。
6時前にパアンから一日遅れてヤンゴンに戻って来た間遠ヤンゴン事務所長がホテルに訪ねて来る。暫し、薬草事業や新事務所の運営方針などについて打合せ。7時には盲人マッサージクリニック「Genky」オーナーなどを努める西垣さんも交えて3人で夕食。

以下、昨日のページに紹介しきれなかった、カイン州パアンのホテルの前で撮った乗り物に関する写真2枚を紹介しよう
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<パアンの朝@ オートバイを改造した三輪タクシーが走る>
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<パアンの朝A 豚皮の揚げスナックらしき袋を満載した自転車>

09時半 MILI幹部と面談
17時45分 間遠ヤンゴン事務所長
19時 Genkyオーナー西垣さん
バナナに種があった!!! [2013年04月26日(Fri)]
4月26日(金曜日)
早朝7時過ぎにホテルを出発、州庁舎に向かう。薬草事業の調印式は何と8時から開かれるのだ。州政府を代表して調印するのは、州政府で林業や鉱山部門を統括するソーサーローラ大臣。庁舎にて双方が祝辞を述べてそれぞれにサイン、最後に調印文書を交換して式典は30分ほどでおしまい。
式典自体はあっけないほど簡単だったが、間遠所長によれば、ミャンマーの州政府が海外の非政府機関とMOUを調印するのは我々の事業が初めてなのだとか。前例のないケースであったため、州政府内部での法的な検討や、中央政府との調整や何やらで準備は大変だったそうだが、州政府首相の強い意向もあって、比較的早期に調印にまで漕ぎ着けることが出来たのだそうだ。
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<薬草事業の調印文書を交換して式典は終了>

その後、州政府の応接室にゾーミン首相を訪ねて、調印式が無事終了したことを報告。その後、一時間ほど、今後の事業の進め方、その他の分野での協力の可能性などに付いて話し合った。
ゾーミン首相のこの薬草事業に対する力の入れ方は大変なもので、州政府の保有地を薬草の試験農園として提供してくれただけでなく、毎週一二回、自ら農園に脚を運び準備状況を視察してくれているのだとか。
首相との懇談の席には、先ほど調印を交わしたばかりのソーサーローラ大臣の他、州政府の各大臣が同席してくれていたので、先行して始まっているモバイルクリニックや置き薬事業との連携や、日本財団が今後進めようと考えている学校での保健教育事業などについても相談した。
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<ゾーミン首相を訪ねて、今後の事業などに付いて話し合った>

州首相との話し合いを終えて、ヤンゴンに向かって再び、ティンニュント博士、チーミン博士と三人で車に乗り込む。途中、モン族の作った王国の中心地だったという古都タトンで昼食。大きな金色のパゴダが美しい。
ミャンマー人によれば、スリランカに伝わる仏典に書かれているアジアに初めて仏教が伝来したとされるスヴァルナブーミ(黄金の土地)とはこのタトンのことであるという。実は、スヴァルナブーミがタイ式になまったものが、バンコクの新空港の名前に使われているスワンナプーム。新空港をスワンナプームと名付けたのはプミボン国王である。
ミャンマー人に言わせればバンコクの飛行場に自分たちの国の古都の名前を使うなどとんでもないこと。だから、タイ人は信用出来ないということになるらしい。
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<昼食に立ち寄った古都タトン 黄金のパゴダが美しい>

タトンでミャンマー式の食事で昼食を取った後、再び、車に乗り込んだ。暫くして、車が停まったのは小高い丘の上に立てられた私立の病院。何でも、さる高僧が浄財を注ぎ込んで立てたものだとか。ここを、我々のモバイルクリニック事業の4支部の一つ、チャイトー支部の提携先病院として、特に白内障手術の拠点病院にする話が進んでいるとのことで、案内してくれたもの。来月には竣工式をするので是非、出席して欲しいと要請を受ける。
ここでの話し合いの席に、地元で取れたというバナナとパパイヤが出された。バナナを食べていると、なにやら大きな粒のようなものが入っているので驚いて吐き出したところ、スイカの種を3−4枚貼付けたようなサイズの真っ黒な種が出て来た。ミャンマーの人たちに見せると、こともなげに「それはバナナの種です」という。
0426banana.jpg
<バナナに種があった>

「確かに、バナナには本来、種があったのが品種改良によって種が無くなったという話は聞いたことがあるが、まさか、種ありバナナがあるとは知らなかった」と、私が言うと、「それは地元で採れたもので、野生のバナナなのです」との言葉が返って来た。
「ふーん」と驚きながらも、そのまま暫し食べ続けて、「そうだ記念に写真を」と慌ててぱちり。
ここでは、お土産にとどっさりパパイヤを頂いた。こちらも、日本では見たこともないような巨大なサイズ。その中の一つは、なぜか、普通のパパイヤのようなラグビーボール型ではなくて、ハンドボールのような球形のもの。まるで、スイカである。
ついでに、こちらも珍しかったので写真に撮っていたら、地元の人たちに不思議な顔をされてしまった。
0426papaya.jpg
<スイカのようなパパイヤ>

丘の上の病院を出て、チャイトーの町に向かって坂道を下った。そして、モバイルクリニック事業のチャイトー支部に案内された。モン州チャイトー郡の総人口は16万人。郡に属する98の村のうち、18カ村は雨季にはオートバイでもアクセスは不能という僻地だ。支部の責任者であるテイチィウェ医師から移動診療の推移を聞く。特に医療環境の悪い僻地の20の村に対し、49回の訪問診察を実施。
ここでも、コンピューターを使ったスライドでのプレゼンだったが、説明が終わると、それまで事務所の裏手から聞こえていたゴーゴーという音が止み、急に静かになった。プレゼンのため、自家用の発電機をまわしていたのであった。
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<モバイルクリニック事業チャイトー支部のメンバー>

プレゼンの中で、移動診療で命を救った例として、両足に点々と青い痣のような斑点がついた少女の写真が紹介された。不審に思って病名を訪ねると、単なる、虫さされだと言う。なぜ、それが命に関わるのかと再度尋ねると、栄養状態が悪く抵抗力がないと、単なる虫さされが原因であっても重篤な感染症になり、命を落とすことがある。この子の場合は、明らかにそのケースなのだとか。
女子職員宿舎を見せてくれた。食事は自炊。食堂兼居間に、夜はマラリア避けの蚊帳を吊って布団を敷いて皆で寝るんだという。厳しい環境だと思うのだが、主任看護婦以下女子職員は全員頗る意気軒昂であった。
3時半過ぎ、チャイトーを後にヤンゴンへ。ヤンゴン到着は6時。

07時15分 ホテル出発
08時 州庁舎にて薬草事業調印式
08時半 州政府首相表敬
10時半 パアン出発
12時半 タトンにて昼食
13時半 チャイトー私立新病院視察
14時半 モバイルクリニック事業チャイトー支部訪問
15時半 チャイトー支部職員宿舎視察
18時 ヤンゴン到着
19時半 夕食
カレン州でモバイルクリニックの村を訪問 [2013年04月25日(Thu)]
4月25日(木曜日)
朝6時半、ホテルに迎えに来てくれたミャンマー医師会と組んで実施中のモバイルクリニッック本部のマイクロバスに乗り込む。早朝のヤンゴン市内を北に走り、ティンニュント博士の自宅へ。彼が乗り込んで来る。次いで、プログラムの担当責任者に就任したチーミント博士を拾う。
これから3人で向かうのはミャンマーの南東部、タイトの国境に近いカイン州の州都パアン。カイン州とはカレン州のこと。ミャンマーの中央政府と対立して長年にわたって武装闘争を行って来た少数民族カレン族の住む場所だ。
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<パアンへ向かう途中の街で見かけた老人はまるで仙人の出で立ち>

我々がカイン州政府に提案して始まることになった薬草栽培事業の調印式が明日パアンで行われるので、それに日本財団を代表して私が出席することになったのだが、この機会を利用して、日本財団がミャンマー医師会と組んで昨年10月から始めたモバイルクリニック事業の現場も見せてもらうことにしたもの。
車に乗り込んで来たチーミントさんから、写真入りの最新版事業報告ファイルを渡される。モバイルクリニック事業の最新の報告書だ。昨年11月に開始以来先月末までの5ヶ月間で実施した訪問診療は217回、1万4,000人近い人が診察を受けた等々、彼が早口に説明を始めたところ、先輩格のティンニュント博士がやんわりと制止、現地についてからゆっくり説明してもらうことに。初代事業責任者のティンウィンチョウさんの辞任を受けて、先月、急遽事業責任者に就任したばかりのチーミント博士の張り切り振りが伝わって来た。
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<モバイルクリニック事業ラインブエ支部で説明を受ける>

ヤンゴンを出発して約5時間。12時前に、モバイルクリニック事業ラインブエ支部に到着。支部長のキンマウンラ医師らが迎えてくれた。早速、現地での事業実施状況に付いて、スライドを使っての説明を受ける。
それによると、ラインブエ支部のチームの構成員は全部で12名。キンマウンラ支部長を中心に、この地区でも特にこれまで政府の医療サービスの及んでいなかった地域に52回の訪問診療を実施し、4700人の患者を診察したという。州都パアンに近いこの辺りでは比較的交通の便は良いのだが、ラインブエ郡381の村のうち、1割以上に当たる41カ村は一年中車でのアクセスは無理、とのことでオートバイでの移動に切り替えたのだという。
支部で全体状況の説明を受けたあと、近くの食堂で昼食を取る。そして、現在、医療チームが出張診療を実施中であるというペイネード村へ向かうことに。
0425truck.jpg
<ペイネード村へ向かう道 雨期では通行は困難>

舗装された道を20分余り走ったところで、いきなり未舗装のでこぼこ道になる。あちこちに、轍に深くえぐれた場所が顔を除かせる。これでは、雨期では通行は困難だろうが、幸い今はまだ雨期まで少し時間がある。砂埃を巻き上げて進むクリニックのトラックを追って走ること30分、ペイネード村に到着。村の真ん中の広場のような場所で車を降りる。右手には大きな僧院らしき建物。
ペイネード村の村長と校長先生 民族衣装で迎えてくれた。実は、今日は仏教のお祭りで、そのための民族衣装だとか。近隣の村からも人が集まって来る日なのだそうで、それに合わせてモバイルクリニックによる移動診療が行われるのだ。
0425village chief.jpg
<ペイネード村の村長と校長先生 民族衣装でお出迎え>

ペイネード村は220世帯、人口は1380人。この辺りでは、大きな村になる。全員がカレン族、その約半数は文盲だという。診察の場所は僧院に併設された集会所。早速、覗いてみた。
すると、そこには60人ほどの男女が集まっていた。その約半数は文盲で、ビルマ語は話せないという。ところが、移動診療担当の医師はヤンゴン出身のビルマ族の若者。カレン語は全く分からないので、モバイルチームの一員で、カレン出身の看護婦さんが通訳をする。
村人たちに聞いてみた。このモバイルチームが来てくれるまで移動診療は受けたことが無かった。このように医師の診察が受けられるのは本当にありがたい、という。
0425clinicalservice.jpg
<ペイネード村のお寺でモバイルクリニックの診察を待つ人々>

集まった村人に対する診察が行われている集会所の外の広場では、モバイルチームの別の看護婦さんが大勢の子供たちを集めて手洗いについての講習会を開いていた。
手洗いがなぜ重要か、どのように洗えば良いのか、紙芝居を使っての説明の後、実際に水の入った洗面器を使って子供たちをモデルに実習。最後に、小さな石鹸とタオルを入れたセットを子供たち一人一人に配って終了。
診察をしていた医師によると、この地域では栄養不足の者が多く、貧血症の患者も少なくない。そのために、感染症に対する抵抗力がなく、ちょっとしたことで大事に至る危険が高いのだとか。特に、抵抗力の弱い子供たちにとっての危険は大きい、という。
手洗いの励行はそのような状態の改善への第一歩だ。しかし、安全な飲み水の確保さえままならないのがこの地域の現実だ。まだまだ、前途は遼遠である。
0425handwashing.jpg
<村の子供たちを相手に看護婦さんが手洗いの励行に付いて力説する>

ペイネード村モバイルクリニック事業の視察を終えて、でこぼこ道を戻り、舗装道路を通って今夜の宿泊先であるホテルへ。切り立った岩山の麓に立つロッジ式の、なかなか立派なホテルである。
パアン周辺には、何故か垂直に突き出た形の岩山が多い。中国の山水画に描かれているような光景が広がる。パアンには昔は使われていたという小さな空港の跡地も残っているが、今は全く使われていない。しかし今後は、外国企業がヤンゴンとの間の空路の再開を検討しているという話もあり、そうなれば観光地としての開発が有望である。
ホテルに着いて、一足先に薬草事業の調印式の準備などでパアン入りしていた間遠ヤンゴン所長と会って明日の式典の段取りなどについて打合せ。
0425mountain.jpg
<パアンの周辺に広がる岩山は将来有望な観光資源>

06時半 ホテル出発
07時 ティンニュント博士ピックアップ
09時半 休憩
11時45分 モバイルクリニック事業ラインブエ支部訪問
13時 昼食
14時半 ペイネード村モバイルクリニック事業視察
16時半 パアンのホテル到着
17時 間遠ヤンゴン所長打合せ
18時半 夕食 
学生運動の元指導者はミャンマーのガンジー? [2013年04月24日(Wed)]
4月24日(水曜日)
朝9時半。いつものように、保健省高官OBで今は日本財団の事業のアドバイザーを務めてくれているティンニュント博士とホテルのロビーで落ち合い、今回の出張スケジュールの確認など打ち合わせを行う。明日からのカレン州行きには、彼が往復とも付き合ってくれることになっている。
もう一人の日本財団のアドバイザーのエルウィンさんとは、土曜日に会うことにしていたのだが、体調不良で外出もままならないので、出来れば今日のうちに、自宅で打ち合わせをしたいというので、ティンニュント博士と一緒に会いに行くことに。
彼は外務省高官OBで、英語もうまく、コンピューターオタク。今回は、教育省案件での打ち合わせなどをする事になっていたのだ。ところが、数日前から片方の脚がむくみ出し、外出がままならない状態ということで、自宅のソファーに苦しそうに持たれかかかっていた。早速、医学博士のティンニュントが診察。
感染症の検査と、糖尿の数値チェックをするようにアドバイス。私も、前回の出張時には耳の治療で彼の世話になったのだが、医師の知り合いというものは本当に有難い。
エルウィンさん宅訪問が急に入ったために、当初予定していたMILIの本部でアメリカから出張中のIDPP(障害者公共政策大学院)のデリック教授と落ち合う計画を断念するはめに。
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<入獄は通算18年と語るコーコージーさん>

私は、エルウィンさんの家から、一旦ホテルに戻り、1988年の学生運動の指導者で、昨年、釈放されたばかりのコーコージーさんとの面談に臨んだ。
日本財団がミャンマーで展開中の諸事業を説明するとともに、今後の支援についてアドバイスを求めた。コーコージーさんは、政治犯として通算18年もの間、監獄生活。それでも軍事政権を恨んではいないと語る、笹川会長は彼を評して、ミャンマーのガンジーと呼ぶ。 
彼とのミーティングの後、私は、国立リハビリテーション病院へ向かった。先月から始まったばかりの義足装着サービス事業の関係者に会うためである。彼らとは、スコットランド人でこの事業の責任者マイクスコットさん、国立リハビリテーション病院の義肢装着サービス部長のアルフレードさん、彼を手伝うために、助っ人として駆け付けてくれた、カンボジアとインドネシアの義肢義足装具士学校の卒業生たち4人のメンバーである。
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<勢揃いした義足装着サービス事業のメンバーたち>

これまでは、日本財団の支援でカンボジアで学んだ後、国立リハビリテーション病院の義肢装着サービスの責任者に就任したミャンマー人のアルフレードさんが、アシスタントを使いながら孤軍奮闘して頑張って来た。それでも、一年間で対応できる人数は精々400人程度だったそうである。ミャンマー全土には、ヤンゴン以外にも、マンダレーやパアンなどにも義足製作の拠点があるが、全土で年間対応可能な人数は約1200人分、国軍病院の分を加えても、せいぜい2000人程度。ミャンマー全土で義足を必要としている人の総数は少なくとも30万人とみられているので、膨大な未充足需要が推定される。
今後はこのメンバーによって、国立リハビリテーションセンターでの年間対応力を現在までの5倍以上に当たる年間の2200人分に引き上げる予定である。また、日本財団の全面支援で今年の1月に国立医療技術大学に新設された義肢装具士学科の卒業生が生まれる2017年以降は、供給能力はさらにその4倍以上に引き上げられる計算である。
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<一人一人に合わせて型を取り、それに基づき樹脂で義足を作る>

09時半 ティンニュント博士
11時 エルウィンさん 
14時 コーコージーさん
16時半 ホテル出発
17時 国立リハビリテーション病院訪問
18時 義肢装具士学校卒業生との夕食会
バンコクで乗り換え、ミャンマーへ [2013年04月23日(Tue)]
4月23日(火曜日) 
3月の終りにスリランカ、ミャンマーへ行って帰って来てから、久しぶりに三週間余りとゆっくり日本に滞在したあと、4月は一回だけの出張。目的地は、今年4回目のミャンマーと2回目のカンボジア。
今回の出張では、ミャンマーとタイ国境に位置するカレン州で、間もなく始まる予定の薬草栽培事業の調印式に出席することと、モバイルクリニック事業の現場視察などが主目的。カンボジアでは、教育大臣との面談と、コンポンチュナムでのカンボジア伝統陶器復興プロジェクトなどの打ち合わせが主目的。
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<経済開発に期待の高まるヤンゴン このところ車の数がめっきり増えた>

前回の、出張時に痛めた耳が治りきっていないので、不安を抱えたまま飛行機に乗ったのだが、耳の調子はまずまず。少し違和感はあったものの、ヤンゴンで飛行機から降りたあとも、前回までのような痛みもなく一安心。
今月4月は、ミャンマーなど東南アジアの仏教国ではお正月に当たる。特に、タイやミャンマーでは大人もはしゃいで互いに水を掛け合う水かけ祭りで有名だが、それも20日に終わったばかり。
ミャンマー医師会が出してくれた迎えの車に乗った私は、何年も前にここヤンゴンで、水かけ祭り最終日に遭遇してしまい、窓の閉まらない中古車に乗っていたが故に半身水浸しにされたことを思い出した。ミャンマーの車事情はここ数年で一変し、オンボロタクシーを見かけることも無くなった。イスラム教徒と仏教徒の騒動の直後だったが、果たして、今年の水かけ祭りは無事に終わったのだろうか。
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<何故かDoCoMoという看板を掲げた商店>

12時00分 成田発
16時30分 バンコク着
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
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