3月25日(月曜日)
<コロンボ市内の国内線専用空港は軍用空港>
2時間半ほど寝ただけで、4時半に起床。5時にホテルをチェックアウト。セワランカ財団のマヒンダ顧問とウデニさんとの三人で、暗い中をコロンボ市内の国内線専用空港へ。田舎の鉄道駅のような小さな待合室で7時過ぎまで待たされた後、歩いて滑走路の隅で待つ飛行機に案内される。
確か、この国内線専用空港は内戦当時は軍用空港だった筈。駐機中のスリランカ空軍の輸送機や大型ヘリを横目に向かった先には、小さな飛行機が待っていた。12人乗りのセスナ機だった。
<コロンボからジャフナへ飛んだ小型のセスナ機>
満員の乗客を乗せてジャフナへ1時間半の空の旅。始めのうちこそ雲が覆っていたが、途中からだんだん晴れ間が増え、ジャフナに着くころには青空が覗きだした。しかし、下界にはいたるところに水面が広がっていた。ここ数日は大変な雨だったそうで、道路も畑もあちこちが水浸しになっていたのだ。
しかし私は外を眺める余裕は余りなく、気圧調整機能もないセスナの機内で耳の痛みに苦しんでいた。特に、着陸の直前は声を上げそうになるほどの激痛に襲われた。着陸した後も、耳の具合がおかしく人の話がよく聞こえない。
<ジャフナの飛行場は野っぱらのような佇まい>
ジャフナ飛行場では、セワランカ財団の現地スタッフに加えて、北部州(Northern Province)を統括する仏教寺院からナンバー2という偉いお坊さんが来てくれていた。今日の私たちの行程に同行してくれるのだという。はて、ここはヒンズー教地区の筈だがと思ったのだが、ここにも、仏教の聖地があり大きな仏教寺院もあるのだそうな。特に、この地を今も管理する国軍は仏教徒のシンハリ族が占めているので、お坊さんの権威は大変なものだとか。何と、偉いお僧さまがおられると言うので、我々の車は警官3人を乗せたパトカーのエスコート付きだった。
<再建された学校を見る高僧と護衛の警官>
先ず最初に案内されたのは、空港から30分ほどのところにあるポンパラマンタ小学校。生徒数70人という小さな学校であった。今日は、新学期の初めで、11時から恒例の全校競技会だとかで、生徒達はまだ登校していなかった。
ここでは、2つの校舎が修復され、今年の1月から使っているという。きれいになった校舎のそばには、完全に屋根も窓もなくなった建物の一部の壁だけが悄然と立っていた。校庭の脇に聳え立つ大きなヤシの木の幹には、無数の砲弾の跡が残るなど、この場所が激しい戦闘の舞台になったことが窺われた。
<学校の庭のヤシの木は弾痕だらけだった>
学校に立ち寄った後、北部州の庁舎に向かった。州知事を表敬するためである。ところが、向かっている途中に、州庁から電話が入った。知事が、大統領から急遽コロンボに来るよう指示されたため、我々とは会えなくなったとの連絡。そこで、車は方向転換。もう一つの学校に向かうことになった。
ユニオンカレッジ付属小学校というその学校は、生徒数1200人という大きな学校であった。期初のテストの真っ最中。日本財団の支援で修復された校舎だけでは大勢の生徒を収容しきれないためか、戦闘の傷を残したまま屋根だけを応急修理しただけのボロボロの校舎で、生徒達が一心不乱にテスト用紙に向かっていた。
私達は、声を潜め足音を立てないよう気をつけながら、少し見回っただけで外に出た。
<テスト中の校舎はまだ未修復>
次いでムハマライという小学校に案内された。学校への入り口脇の草原に地雷危険の標識があった。ここは戦闘の悪化に伴い、10年ほど前に住民が立ち退きを求められた後は、両勢力の緩衝地帯として無人の原野になっていたという。多数の地雷が埋められた為、学校の敷地内は地雷除去作業が行われたそうだが、周辺の原野まではまだ除去出来ていないという。
校庭の一歩先には地雷の所在を警告するどくろマークの付いた赤い看板と、英語、タミール語、シンハラ語で警告が書かれた黄色いテープがはられている。子供たちが、サッカーボールを誤って飛ばしてしまったらどうするのだろうかと心配になった。
先生10人生徒1200人が勢揃いして、炎天下の校庭に並んで我々を出迎えてくれた。州教育庁からお役人が来て、ヒンドゥー教に則って新校舎落成のお祓いをするというのだ。不思議なことに、儀式を執り行ったのはヒンドゥー僧ではなく、我々に同行していた例の高僧だった。ウデニさんに尋ねると、地位の高いお坊さんに敬意を表してのことだとか。仏教とヒンドゥー教の対立とは一体何だったのだろうか。
<校庭のすぐ脇には地雷危険の標識があった>
次いで、セワランカ財団がノルウェー政府からの資金で始めようとしている大規模な養魚池事業の現場に案内された。正午を過ぎ、日差しは益々強く、気温がぐんぐん上昇する。その分、車の中は冷房を効かせているので、風邪気味の体には堪える。耳の不調も改善の兆しは見られない。
養魚池視察の後は、バラティマハ小学校というもう一つの学校に連れて行かれる。ここでは、全校生徒の前でスピーチを求められる。午後3時、セワランカ財団のキリノーチ事務所に到着。やっと、昼食にありつく。早朝コロンボを出発し、朝からあちこちを回っていたので、これが今日初めての食事だった。
<スピーチを求められた小学校 手前の木はジャックフルーツの木>
食事の後、今度はセワランカ財団がEUなどの資金協力で始めようとしているGoing Greenという酪農プロジェクトの農場に案内される。広大な敷地に建つ建設途中の牛舎など視察しているうちに、気分が悪くなってくる。途中で勘弁してもらって、バブーニヤに向かう。
ここは、内戦を戦っていた政府軍と反政府軍の境界線があったところだ。3時間足らずの行程で、政府軍の検問所をいくつも通る。さすがにわざわざ止められることは余りなかったが、内戦が終結して3年も経った今も、政府軍が警戒を怠っていないことが印象的だった。夜の7時半、漸くセワランカ財団のバブーニヤ研修所に到着。
私が具合が悪いと言ったので心配したウデニさんの計らいで、研修所の宿泊所の部屋には、バケツ一杯のお湯が置いてあった。水しか出ないシャワーにお湯を混ぜて、埃だらけの髪と体を洗い流すと生き返った。夕食は9時半。本当に長い一日であった。
05時 ホテル出発
07時 コロンボ国内線用空港発
08時30分 ジャフナ・パライ空港着
09時 ポンパラマンタ小学校訪問
09時45分 ユニオンカレッジ付属小学校訪問
11時半 ヴェンポドゥケニ小学校(ムハマライ地区)訪問 式典
13時15分 養魚池視察
14時 バラティマハ小学校訪問 式典
15時 昼食
16時半 Going Greenプロジェクト農場視察
19時半 セワランカ財団バブーニヤ研修所到着
21時半 夕食