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大野修一(日本財団)
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帰国 成田から財団に直行 [2013年02月25日(Mon)]
2月25日(月曜日)  
カンボジアから始まった9日間の出張が終わった。朝8時55分発の飛行機で帰国するため、7時にホテルの車で出発した。外はまだ真っ暗だ。
北京空港に着くころになって、漸く、外は明るくなった。今日も空はどんよりとした曇り空だ。相変わらずいやな臭いが混じり、喉はすぐにいがらっぽくなる。
日本が70年代に直面したと同様の、高度成長優先政策によるツケとしての公害問題の深刻化を、中国は今後どのように乗り越えていくのだろうか。
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<漸く明るくなった朝の北京空港 今日も空は霞んでいた>

空港内に入り、春節の真っ赤な大飾りがそのままになっているのに気が付いた。
元宵節が終わるのと同時に正月飾りは取り外されるのかと思っていたら、どうもそれほど厳密なものではないようだ。日本なら少なくとも公的な場所では、松の内が終わったとたん正月飾りは一斉に取り外されるように思うのだが、、、。
こうしたところにも、日本人の気性と中国人の気性との違いが現れているのかと思うとおかしかった。
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<春節は終わった筈だが空港内の飾りは残されていた>

どちらが良いと言うものでもないが、隣り合う日中という二つの民族には、漢字文化など共通するものも多いのだが、様々なところで、やり方や考え方の違いがある。
ましてや、政治制度が大きく異なる二つの国が、理解しあい尊敬しあうためにはまだまだ越えねばならない障害は少なくないと言うことであろうか。
空を飛ぶこと3時間、窓の外、雲海の向こうに富士山が見えた。ようやく日本に帰って来た、と思う瞬間だ。
成田からは空港バスで日本財団に直行。4時からの理事会に出て、6時過ぎタクシーで自宅に。ただいま。
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<富士山が見えた>

07時 ホテル出発
08時55分 北京発
13時25分 成田着
16時 日本財団理事会
北京大学国際関係学院の新年会 [2013年02月24日(Sun)]
2月24日(日曜日)
朝9時、今日は午前中の予定がなかったので久し振りに朝寝が出来ると、ベッドの中でうつらうつらしていると、電話のベルが鳴り出した。北京大学国際関係学院の日本留学OGで今は国際問題研究所の研究員をしているTさんからだった。家の用で今夜の新年会は已む無く欠席するが、その前に私に会っておきたいと言う。
午前11時、ホテルのロビーで会う。高級な焼酎を手土産にわざわざ訪ねて来てくれたのだった。焼酎は気持ちだけ受け取っておくからと、丁重にお断りする。
その後、12時からは国際交流基金北京日本文化センター杉田所長とホテルの近所の火鍋屋さんで昼食の後、3時に日本財団から到着したばかりの尾形理事長、佐藤常務、笹川平和財団の羽生会長らとマイクロバスに乗り込み、北京大学に向けて出発。
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<北京大学国際関係学院の日本留学OBが開いた討論会>

週末で閑散とした北京大学のキャンパスで、国際関係学院の王院長ら幹部と面談。そのうち、5時になったので、私は尾形理事長、羽生会長らと別れて、学院内の別の会議室へ。
そこには、国際関係学院の日本留学組OBが20人ほど集まってくれていた。皆、日本財団の奨学金を受けて早稲田や東大に留学した秀才たちである。早速始まった日中経済関係をテーマにしたOBたちによる討論会を傍聴した。
昨年の今頃には、精華大学に客員教授として見えていた朝日新聞の西村さんと一緒に、やはりここでOBによるシンポジウムを傍聴したことを思い出した。西村さんは議論のレベルの高さに驚いたと仰っていたが、今回の議論も冷静で質の高いものであった。
最近の日中関係の緊張を受けて、少しは感情的になったり、政治的配慮から厳しい意見が出るかと思っていたがそれは全くの杞憂であったようだ。この北京大学国際関係学院での日本財団奨学金事業のOBたち、これまでに卒業した総勢160人のメンバーこそは、誠に日中関係の将来を担う宝であると再認識した次第。
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<日本留学OBたちと中国正月を祝う新年会>

討論会の後、大学の近所の中華料理店に移動し、元宵節の宴会となった。日本留学時に何度も一緒に酒を飲んでとても親しくなったFさん夫妻は3歳になるお嬢さんを連れて現れた。
宴会料理のコースの最後に出されたのが擂り潰した黒ゴマを餡にした白玉団子。
中国の旧正月が春節というのは知っていたが、それが続くのは15日目までで、今日がその日に当たる。この日を元宵(ユアンシャオ)節というのは今回初めて知った。
この日は、春節の終わりの日ということで、一家団らんで湯園という白玉団子を食べる風習があるという。元宵というのは、元々、この団子のことだそうな。「新年快楽」など、日本の「明けましておめでとう」に当たる新年を祝う言葉を言ってもおかしくないのはこの日までとか。
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<この白玉状の餅が元宵(ユアンシャオ)>

11時 国際問題研究所T研究員
12時 国際交流基金杉田所長
15時 ホテル出発
16時 北京大学国際関係学院王院長
17時 国際関係学院の日本留学OBによる討論会
18時 日本留学同学会新年会
暖かいバンコクから厳寒の北京へ [2013年02月23日(Sat)]
2月23日(土曜日)
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<曇天の北京空港に到着 意外に暖かい>

今日は北京に移動する日。朝7時半にホテルを出発し、10時過ぎの飛行機に乗り込んだ。15時に曇天の北京に到着。
数日前にチェックした天気予報では最低気温マイナス5度とかだったので心配していたのだが、着いてみると意外に暖かい。機内アナウンスによれば、到着地北京の今の気温は10度とか。
もう一つの問題は最近報じられている大気汚染。確かに、空港のの窓から見る景色は、うっすらと靄がかかったようになっているし、外に出ると、空気が変な臭いを発っしているのに気づく。
しかし、いずれも以前、モンゴルで経験した首都ウランバートルの大気汚染の方がずっと強烈だったように思う。
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<春節の赤い飾りが街のあちこちに>

大気汚染より、北京空港に着いて驚いたのは、空港が大混雑していたこと。中国人専用の入管カウンターも、外人用カウンターも長蛇の列。荷物を受け取りコンベアベルトの周りも人、人。私の経験では、新空港になってからこれまでで一番の混みようだ。
中国は2月10日に始まった旧正月、すなわち春節が間もなく終わろうとしている。恐らく、正月休みを使った海外旅行からの帰国の最終組と、春節明けのタイミングで訪中する外国人客が重なったのではなかろうか。いずれにせよ、ここ数年の中国の経済の活況が、人の往来の活発化をもたらしたのであろう。
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<北京の車はカーナビを装備>

市内に向かう車の中にカーナビを発見。ついに、中国もカーナビ時代に突入かと感心。
余り寒くはなく、大気汚染もそれほどではなかったとは言え、車の中から見る外の風景は、寒々しいものであった。北京市内の高速道路の下の川は凍っていた。
夜は、旧知の産經新聞中国総局の山本総局長と一年ぶりに面談。日中関係で強硬路線を取らざるを得ない中国の新執行部の背景などについて、長年にわたる彼の対中経験に基づいた貴重な説明を拝聴。
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<これが噂の北京のスモッグ>

07時半 ホテル出発
10時10分 バンコク発
15時15分 北京着
19時 産經新聞中国総局山本総局長
今日も一日、国連本部で会議 [2013年02月22日(Fri)]
2月22日(金曜日)
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<今日も一日、国連本部で会議>

朝起きて、メールをチェックすると、ヤンゴンに出張中のデリック教授から、至急相談したいことがあるので、スカイプで話せないかとのメッセージ。
これまで、何度もスカイプの活用を勧められてはいたが、これまで一度も使ったことはない。あわててダウンロードしようとしているうちにホテルを出発する時間になってしまった。そのままにして、間遠さんと落ち合い、国連本部へ。今日は、昨日から始まった障害者のインクルーシブ農業会議の第2日目。一日中、ここで会議なのだ。
休憩時間になったので、再び、スカイプにチャレンジ。何とかダウンロードに成功したころには、休憩時間の終了時刻。そこで、ロビーに一人抜け出てヤンゴンのデリック教授とコネクト。初めてのスカイプに成功。結局、IDPPの進め方について、色々意見を交わしていると、1時間近い時間が経ってしまっていた。国際電話の高い、ミャンマーと通常の電話で話していたとしたらとんでもない金額になっていた筈だ。スカイプで良かった。
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<休憩時間にスカイプにチャレンジ>

午後4時、何とか共同宣言がまとまり、私も含む数名が雛段から総括の挨拶をして、会議は無事終了。私は、会議場から取材に来てくれていた共同通信の八谷支局長の車に同乗させてもらって、別のホテルへ。スリランカのセワランカ財団のハルシャ会長と会って、ラジャパクサ大統領の訪日に関する打ち合わせ。
打合せを兼ねた夕食を終えて、私の泊っているホテルに向かって歩いていると、目の前の歩道の脇に、何とピザの屋台が出現しているのに気が付いた。屋台といっても、ビルの壁にくっつくように小さな焼き釜まで据え付けた本格的なもの。燃料にするのだろう、壁脇には、丁寧に薪が積み上げられている。
冷凍のレトルトピザを温めるのではなく、釜の脇で平たく伸ばした生地を職人が釜に入れているのである。お客さんはと見ると、タイ人以上の数の欧米人で賑わっていた。
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<何とピザの屋台が出現!>

08時 ホテル出発
09時 FAOインクルーシブアグリビジネス会議 
19時 セワランカ財団ハルシャ会長打合せ
インクルーシブアグリビジネス会議が始まる [2013年02月21日(Thu)]
2月21日(木曜日)
朝8時、間遠さんにホテルに来てもらって一緒に、国連アジア本部へ。 
ここの会議場で今日と明日の2日間にわたって、障害者インクルーシブ・アグリビジネスに関する調査報告のための国際会議が開かれるのだ。
この調査は、東南アジア7カ国を対象に、FAO(国連食糧農業機関)とAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)の専門家が組んで、障害者の農業ビジネスの現場を訪ね、具体的な事例を調べるというもの。昨年から始まったもので、約一年かけて調査の結果、約60件の事例が集まった。
この事業の発案者は私。それは、これまで、ベトナムやカンボジアなどの障害者支援の現場を訪ねるうちに、この地域の障害者の大多数が、農家地帯に住んでいるにも拘わらず、これまでの職業訓練などが殆どの場合、農業を対象にしていない、ということに気づいたことが切っ掛けになっている。
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<会場となったのは国連アジア本部>

それは、恐らくひとつには、途上国における障害者の職業訓練というものが先進国で始まり、今も、欧米などの主導する国際機関やNGOが中心になって行われている、ことから来ているのではなかろうか。先進国の就業者数に占める農業人口の割合は、殆どの場合、2-3%程度にとどまっている。障害者の地域分布も同じパターンを示すと考えると、先進国では、農家に住む障害者も数%に過ぎず、大半が都市に居住している、ということになる。
一方、アジアの途上国では、多くの場合、労働人口の大半が今も農業に従事している。国によっては、70-80%に達することも珍しくない。即ち、こうした国々では、障害者も農家の子弟として生まれ、あるいは、農業地域に居住しているのである。だとすれば、障害者の職業訓練、就業支援も本来は、農業支援でなくてはいけない筈だ。ところが、先進国にそのようなケースが僅少であるということは、先進国にはそのノウハウがなく、むしろ、活用すべき知恵は、アジアの途上国の現場にあるということになる。
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<インクルーシブアグリビジネス会議が始まる>

東南アジア7ヶ国の障害を持った農業経営者、農業や障害者担当の政府関係者、NGO関係者、さらには少数ながら民間企業関係者ら、全部で120人もの参加者が集まった。通常の国際会議とは異なり、英語を解さない農家のため各国語の同時通訳の他、聴覚障害者のための手話通訳が手配されるなどユニークな集まりであった。
冒頭の来賓挨拶は、APCD財団の評議会議長であるテート元外相、FAOアジア太平洋事務局からは小沼代表、UNESCAPはNo.2の村田俊一副総裁、などそれぞれの機関がトップを派遣し、これまでになかった珍しい調査事業の意義を高く評価してくれた。
会議を終えて、夕食にASEANのスリン事務局長の退任と同時に事務局長特別顧問を辞したラジャさんと会う。彼が何気なく、「スクンバン王子が来るかも」といったので私はびっくり仰天。
「さっきまで彼と一緒だったんだ。これから大野と会うと言うと、自分も加わりたいと言うから、選挙の方はどうなんだ。無理しないで、と言っておいたんだけど」とラジャさん。結局、スクンバンさんは現れなかった。当たり前だ。そんな、余裕はないでしょう。
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<バンコクの2月の夜は爽やかで気持ちが良い>

08時 ホテル出発
09時 FAOインクルーシブアグリビジネス会議 
19時 ADSラジャさん打合せ
IDPPコアチームミーティングに出席 [2013年02月20日(Wed)]
2月20日(水曜日) 
朝8時過ぎに、ホテルを出て、スカイトレインに乗る。別のホテルで行われる、IDPPコアチームミーティングに出席するためだ。
街のあちこちに、男性の顔写真と、9とか16といった番号の付いた大きな看板が目立つ。都知事選のポスターだ。先月、ミャンマーからの帰りに立ち寄った時に始まった都知事選は、来月3月3日の開票日を前に、終盤の追い込み局面に入っている。
25人が立候補した知事選だが、実質的には、再選を狙う現職のスクムパン知事と、タクシン派の前警察庁副長官との一騎打ち。タイ77都県の知事は基本的に官選、内務省が任命する。但し、特別行政区のバンコクだけは選挙で選ぶ。その為、今回の知事選は、2015年までに実施される次期総選挙の前哨戦と位置づけられている。
ところが、最新の世論調査によると、当初は有利と見られていたスクムパン知事がタクシン派タイ貢献党の候補に大きくリードを許す展開とか。我らが友人、スクムパン王子危うしである。
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<バンコク市内は都知事選のポスターで溢れていた>

会場のホテルに到着。ビジネスセンターの会議室で、IDPP(障害者公共政策大学院)のコアチームのメンバー5人の内、急用のため已むなく欠席の米国立聾理工学院デカロ前学院長を除くメンバーが顔を揃えている。APCD(アジア太平洋障害者発展センター)の二ノ宮所長、プロジェクトディレクターのデリック・アメリカン大学准教授、盲人教育の専門家のラリー博士というメンバーだ。
昨日のマヒドン大学で急遽、提案されたASEAN University Network(AUN)のサブテーマとしてIDPPを位置づけるというマヒドン大学の提案を中心に、長期戦略を検討。
会議室は恐ろしく寒い。ビジネスセンターの受付の女性に空調を切るように頼んでみるが、部屋毎の調整は出来ないようだ。タイではよくあることなので、私は今回も長袖の上着を用意して来たのだが、アメリカ人の二人は半袖なので「寒い」を連発。
それにしてもここまでガンガンに冷やさないと気が済まないというタイ人の神経は理解出来ない。何より、国産エネルギー源の少ないタイにとって、貴重な電気の無駄使いではないか。
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<節電対策を報じる現地の英字紙>

そう思っていたところ、今朝の現地紙に「エネルギー危機」という言葉を発見。読んでみると、4月5日から一週間ほどの予定で、タイの主要な天然ガスの供給源であるミャンマーのヤダナ油田の修理のためタイへのガスの供給が大幅に削減さる。しかも、タイ国内の火力発電所のトラブルが重なり、タイの電力の供給余力は2%と、国際的な水準の10%と比べて、危機的な水準にまで低下する見通しという。タイは政府は大慌て、マレーシアからの緊急買電、セメント工場の休業を検討するなど、産業界挙げてそのための対策作りに大わらわだというのだ。
なのに、相変わらずのクーラーの濫用なのである。
思うに、タイではクーラーが今も豊かさの象徴であり、ガンガン冷やすことがサービスと考えられているのだろう。会議室だけではなく、レストランでも、タクシーなど車の中でも寒さに震えた思い出は数知れず。私のジョークは「タイは屋外は南国でも、室内は北国、日本の冬よりずっと寒い」
タイのエアコンの世帯保有状況を調べてみると、2010年でもわずか15.6%。これに対し、扇風機は97%となっていた。(テレビは96%)クーラーはまだまだ、贅沢品なのである。
夜は、フリージャーナリストのカビさんと一緒。彼によると、スクンバン都知事の再選は確実なのだそうだ。彼によると、タイの世論調査はいい加減。時には相手陣営を油断させるために使われるのだとか。

08時 ホテル出発
09時 IDPPコアチームミーティング
12時半 昼食
17時半 IOM伊藤さん 
18時 間遠さん
19時 フリージャーナリスト カビさん
IDPPの件で、マヒドン大学スラキット副学長と面談 [2013年02月19日(Tue)]
2月19日(火曜日)
朝7時半、APCD(アジア太平洋障害者発展センター)の二ノ宮所長と一緒に、ホテルを出発、郊外にあるマヒドン大学に向かった。いつもは、一旦、着いた後も迷うことが多い広大なキャンパスだが、今回は、幸い迷わず済んだので8時半に到着。カフェテリアでコーヒーを飲んで時間調整。
そして、9時からは、スラキット副学長も加わってIDPP(障害者公共政策大学院)についてのミーティングが始まった。先方は、副学長の他、国際学部のバンチョン学部長、ラチャスダ障害者学部のウィラマン教授ら。ウィラマンさんは盲人である。
こちらは二ノ宮所長の他、プロジェクトディレクターのデリック・アメリカン大学准教授、盲人教育の専門家のラリー博士ら。聾教育の大家で米国立聾理工学院のデカロ前学院長は、急用のため欠席。
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<IDPPミーティング>

今回の会議のテーマは、2年前にここマヒドン大学での入学式をもって発足したIDPPを、設立当初の目的であるASEAN国民のための大学院にするための戦略。
私が、プノンペンからのフライトの中で読んだタイの英字新聞の記事にあった、AUN (ASEAN University Network) との連携の可能性を提起したところ、スラキット副学長は待ってましたとばかり、AUNについての説明を始めた。
AUNは1995年にASEANの有力大学が集まって、大学間の交流、共同研究などを目的に発足した組織で、現在のメンバー校は26校。事務局は、現在はバンコクのチュラロンコン大学。
サブネットワークとして、工学やビジネス、人権、など7つのテーマについてのネットワークが設けられ、共同研究や、単位の相互認定などの事業が行われている。
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<美しい緑に囲まれた大学内のレストラン>

AUNのメンバー26校はいずれも、各国を代表する有名大学で、IDPPのメンバー11校のうち、7校が重なっている。IDPPを、AUNの新たなサブテーマにすることが出来れば一挙に、ASEAN有力校の間にネットワークを広げることが出来る。
明日、事務局のチュラロンコン大学で定例会議が開かれ、スラキット副学長はそれに出席する予定だというので、早速、IDPPについて提案してもらうことになった。
このアイデアに参加者一同は大満足。晴れ晴れとしたムードのうちに会議は終了。美しい学内レストランでスラキット副学長も交えて、タイ料理の昼食を取った。
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<スラキット副学長との昼食会>

レストラン脇の美しい植栽を背景に、結婚記念の写真を撮るカップルを見つけた。果たして、彼らがこの大学の卒業生なのかどうかは分からない。が、たとえ部外者であっても、記念写真を撮りたくなるほどにまで美しいマヒドン大学のキャンパスなのであった。
昼食の後は、二ノ宮さんとAPCDへ。日本財団から出向中の間遠さんと、明後日から国連ビルで発表のための国際会議が始まる予定の障害者の農業事業などについて打ち合わせを行った。
夜は、毎日新聞の春日支局長とミャンマー事業などについて意見交換しながら夕食。
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<美しいキャンパスで結婚記念の写真を撮るカップル>

7時半 ホテル出発
9時 IDPPミーティング
12時 マヒドン大学副学長との昼食会
14時 APCD訪問間遠さん打ち合わせ
19時 毎日新聞春日支局長
伝統医療支援で保健省の副大臣と面談 [2013年02月18日(Mon)]
2月18日(月曜日) 
朝7時半、朝食を取りながら中嶋君、高田さんらと伝統医療事業について打合せ。
カンボジアは日本時間とは2時間の時差があり、日本時間では9時半。現地在住で伝統医療事業のアドバイザーをやってもらっている高田さんには7時半スタートというのは申し訳なかったが、我々には早朝という感じはない。
打ち合わせを終えて、一旦、高田さんたちとは別れ、ESCからの迎えの車に乗り込む。ESC理事会が開かれるESCの本部へむかった。
9時半、北野事務局長の司会で、理事会が始まる。前駐カンボジア日本大使の篠原さん、フンセン首相の外遊時に通訳を兼ねた補佐官としていつも同行する、現役の官房長官のブンサンボさんらお二人の理事は出席だが、もう一人の理事である教育省のレンセンハック局長と、監事の山崎さんのお二人は欠席。
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<ESC理事会でのプレゼンテーション>

冒頭は、今回の理事会を最後に出産休暇に入るヘアンさんによる事業報告。特に、本事業の2番目の柱であるラジオ放送による中学校向け英語教育支援は、目覚ましい成果をあげている。
最新の試験によって、本事業の対象校の学生たち約2,500人の成績が非対象校の生徒と比べ著しく向上していることが明らかになったとの報告に、篠原理事もブンサンボ理事も大満足。
その後、今年から始まる第2フェーズの取り組み方針について協議。カンボジア教育省の要請を受けて、対象校を州内の全校に広げることを検討した。その結果、学校の数と生徒数は大幅に拡大するものの、費用との兼ね合いを考えて、全校を対象校とせず、やる気のある学校だけに絞る方針を確認。
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<プレゼンーションに耳を傾ける理事たち>

理事会を終えて、ESCスタッフや理事と昼食を取った後、私はESCメンバーと別れて、カンボジア保健省の本部の一角に建てられた国立伝統医療センター(NTMC)ビルへ向かった。ここに、日本財団の支援で2009年に始まった国立伝統医療学校が入っているのだ。
ビルの入り口にはカンボジア伝統医療機構(CaTMO)の看板が掛かっている。CaTMOの看板の脇に、先日行われた卒業試験50人分の成績が張り出されていた。
CaTMOは日本財団がカンボジア保健省と共同で管理する国立伝統医療学校を運営するための組織である。これまでに300人が卒業。これら卒業生は、高田さんの指導の下、カンボジア伝統医療師協会(CaTHA)を結成。カンボジアの伝統医療師の3分の1をカバーする一大勢力に成長、カンボジア伝統医学の振興のために、活発な活動を始めている。
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<CaTMOの入口には試験結果の張り紙>

それまでの所長のプンレー博士に代わり、新しく国立伝統医療センターの所長に就任したバナロム博士が我々を迎えてくれた。2階の所長室に案内され、バナロム新所長と暫し面談。
その後、同じ敷地内にある保健省ビルに移動。保健政策担当の保健副大臣と面会した。実力者といわれる副大臣とお会いするのは初めて。
副大臣は、カンボジア伝統医療の復興に対する日本財団のこれまでの支援に対する感謝を述べた後、伝統医療活用の持つ潜在的な重要性について力説。今後も、伝統医療学校の支援を含めて、日本財団の支援の継続が不可欠である、と述べた。
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<CaTHAのオフィス>

副大臣との面会を終えて、伝統医療センタービルに戻り、副大臣との面談を踏まえて、今後の支援戦略に付いて、所長と暫し話し合った。その後、隣の部屋でカンボジア伝統医療従事者協会(CaTHA)のキーブーハン会長らと面会した。
一連の会議を終えて、外に出て見ると、国立伝統医療センタービルの前の庭には、真新しい仏像が置かれていた。直ぐ脇には、蛇がとぐろを巻いた台座もある。高田さんの説明によると、CaTHAメンバーが自分たちでお金を出し合って購入、センターに寄贈した薬師如来であるという。
今回、初めて副大臣、新所長、CaTHAの会長と会ったのだが、三人とも大変熱心で、これまで、カンボジアの伝統医療事業を推進する上で一番の不安要素であった、当事者意識、責任感の欠如という問題が漸く解消されつつあることを感じた。
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<CaTHAメンバー寄贈の薬師如来が建立中>

その後、ホテルに戻りチェックアウト。CaTMOの高田さん、日本に帰国する財団の担当者、中嶋君と3人で飛行場へ向かった。いつもは閑散としている飛行場が、今日は何故か大混雑。韓国への出稼ぎ者と見送る家族だということであった。
日本同様に労働人口の高齢化に直面している韓国は、積極的に、東南アジア各国などから外国人労働力を積極的に受け入れているようだ。日本とは対照的なアプローチだが、果たして、成功するのだろうか。
空港の脇に最近出来たベトナム式フォーの専門店で、少し腹ごしらえをして、中嶋君と一緒にバンコク行きの飛行機に乗り込んだ。バンコクで、帰国する中嶋君と別れ、私は一人、市内のホテルに向かった。
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<飛行場は韓国への出稼ぎ者と見送る家族で大混雑>

7時半 朝食打合せ
8時45分 ホテル出発
9時半 ESC理事会
11時半 昼食会
14時 CaTMO訪問
14時半 保健省副大臣面談
15時半 新NTMC所長との打合せ
16時 CaTHA事務局員との面談
18時 ホテル出発
20時40分 プノンペン発
21時45分 バンコク着
久し振りにカンボジア [2013年02月17日(Sun)]
2月17日(日曜日) 
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<清潔な街になったプノンペン@(18日撮影)>

今年4回目の出張の最初の目的地は半年振りのプノンペン。バンコクでタイ国際航空機に乗り継ぎ、日本財団の担当者の立石君と一緒に、プノンペン空港に降り立った。
数年前までは、殆ど、一カ月おきくらいにカンボジアへ出かけていたものだが、日本財団の支援の重点がミャンマーなどに移ったことと、カンボジアでの事業が既存事業の継続案件ばかりになってしまったことから、私の出番が余りなくなってしまったのだ。
今回は、昨年12月に予定されながら、私のミャンマー出張が急に決まったため、延期してもらっていた教育事業ESCの理事会出席が主目的。
空港で迎えを頼んだ運転手のソルヤ君に会うのも久し振り。お詫びの意味を込めて、お嬢さんに日本のお菓子のセットを託ける。
宿泊先のホテルに着くと、一足先にミャンマーから先回りしていた日本財団の伝統医療事業の担当者の中嶋君が、ESCの責任者の北野さん、松島君、CaTMOの高田さんらと待っていてくれた。8時半ころから、ホテル内の中華レストランで、遅い夕食をとりながら明日の会議の打ち合わせ。
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<清潔な街になったプノンペンA(18日撮影)>

10時50分 成田発
16時05分 バンコク着
18時25分 バンコク発
19時40分 プノンペン着
20時半 夕食会
帰国 飛行機を乗り継いで羽田へ [2013年02月13日(Wed)]
2月13日(水曜日)
今日は、帰国する日。今回は、いつものようにバンコクには寄らず、バンコクで飛行機を乗り継いで、今夜のうちに羽田に戻る。
いつもの運転手のメームさんは、間遠さんらとカレン州の方に行っていて、ヤンゴンにはいないので、ミャンマー医師会の運転手が空港まで送ってくれるというので、好意に甘えることにした。早朝7時、ホテルを出発。今日のバンコク行きフライトは、朝10時の出発なのに3時間前の出発にしたのは、平日朝の交通ラッシュに備えたもの。
以前なら考えられなかったことなのだが、このところ、ヤンゴンでは交通渋滞が深刻である。その理由は、ここ1,2年で車が急に増えたことに加えて、昨年暮れに市内3箇所の交差点で立体交差の工事が一斉に始まったためだ。計画発表当時、担当の大臣は新工法により、4ヶ月で完成させると大見えを切ったが、今では、少なくとも1年、ひょっとするとそれ以上かかると言うのが、専らの見方。計画では全部で4つの交差点が立体化の予定とかで、完成の暁には渋滞解消には役立つのかも知れないが、それまでは、交差点を通り抜けるだけで30分以上かかるという異常事態はおさまりそうにない。
早めに出たお陰で、遅れることもなく、無事に飛行機に乗りバンコクへ。さらにバンコクからは、以前、羽田に夜到着の便が遅れ、羽田のタクシー乗り場が長蛇の列で苦労したことがあったので、戦々恐々としていたのだが、今回は遅れることなく羽田に到着したのであった。
さて、以下に、今回のブログで紹介しきれなかった、シャン州で撮った写真のいくつかを掲示する。
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<南シャンにあるインレ湖は水上生活者インダー族で有名な観光地>

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<湖上中央に建つ建物はインダー族の家屋、それとも集会所だろうか>

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<水上の民の生業は漁業と農業、浮草を集めて畑地にしトマトなどを栽培>

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<ピンダヤの郊外には巨木が多い この樹は菩提樹だとか>

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<ピンダヤからタウンジーへの道すがら 長閑な水汲みの牛車>

07時 ホテル出発
09時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
14時50分 バンコク発
22時30分 羽田着
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