CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2012年12月 | Main | 2013年02月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2013年01月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
アジア手話言語学聾教育国際会議を傍聴して帰国 [2013年01月30日(Wed)]
1月30日(水曜日) 
昨晩、香港に着いた我々が案内されたのは香港の市内ではなく、郊外の沙田。ここは、元々は、香港の市街地に通う人たちのために開発されたベッドタウンだったが、今では、香港地下鉄と直結するニュータウンとして、駅前にはデパートやホテルまで備える賑やかな町になったもの。
朝、ホテルの窓から外を覗くと、小さな公園で太極拳をする人たちの姿が見えた。
0130excercise.jpg
<早朝の公園で太極拳をする人々>

朝8時、ホテルをチェックアウトし、香港中文大学がアレンジしてくれたバスに乗り込む。バスは沙田の市街地を抜けて、郊外の山の斜面に広がる中文大学キャンパス内を暫く走り、リーショーキビルと書かれた建物に到着した。中に入ってみると、ローマののコロッセウムのようなすり鉢状の半円形の階段教室であった。
ここが、日本財団の財政支援で行われるアジア手話言語学聾教育国際会議の会場である。責任者の唐教授が我々を迎えてくれた。日本財団がベトナムのハノイとドンナイで支援している聾高等教育事業の責任者のウッドワード教授も来てくれていた。
0130attendants.jpg
<アジア手話言語学聾教育国際会議のために集まった人々>

国際会議が始まった。学長の挨拶に続き、スポンサーを代表して、笹川会長がスピーチ。
今回の会議は、3回目ということだが、参加者は回を追うごとに増加。今回は、日本財団が支援している事業の関係者を含め、アジアを中心に、欧米の手話専門研究機関などから参加者もあり、全28カ国から、220人もの人々が集まった。
会期は4日間、その前半は主に手話言語学がテーマ。後半のテーマは、アジア各国の手話を使った聾教育、となっている。
0130kaidan.jpg
<会議には220人もの人々が集まった>

開会式の後、我々は、言語学研究科の一画に設けられた手話聾者研究センターに案内された。
日本財団は香港中文大学と提携し、2002年よりアジア各国の手話を手話言語学の観点から専門的に分析し、文法書と辞書を作成する事業を支援して来た。これまでに、ベトナム、カンボジア、フィリピンの手話の解析を行い、文法書と辞書が作られた。
現在は、インドネシア、スリランカ、フィジーでの手話文法書と辞書作りを目指して、これら3カ国と日本から、聾者と健聴者の若者が来訪、唐教授とウッドワード教授から手話言語学を学びながら手話研究に従事している。
今回は、笹川会長の香港中文大学訪問の機会を捕えて、これら4か国の聾の研修生との懇談会が要されていたもの。
0130students.jpg
<4か国からの聾研修生と懇談>

懇談会を終えて、再び、会議場に戻り、暫く、国際会議を傍聴した。聾者が参加する国際会議では、音声言語としては英語が使われることが一般的だが、それを、一種類の手話に通訳するのではなく、各国の手話に通訳されることが多い。主催者によると、今回は、21種類の手話通訳が手配された、という。
手話の場合は、聾者から通訳者の姿が見えることが必須になる。擂鉢状の会場では、メインステージだけではなく、階段のあちこちにも、観衆に向かう形で何人もの手話通訳者が配置され、様々な手振りが飛び交っていた
0130signers.jpg
<擂り鉢型の会場では様々な種類の手話が飛び交っていた>

暫し、会議を傍聴しているうちに、飛行場へ出発する時間になった。日本財団の本事業の担当者である、吉田君ら、会議の最終日まで残るメンバーを除く我々は、後ろ髪をひかれる思いで、会議場を後に、手配された車に乗り込んだ。

08時20分 ホテル出発
08時45分 アジア手話言語学聾教育国際会議開会式
10時半 香港中文大学学長表敬
11時 聾研究生との懇談会
12時 アジア手話言語学聾教育国際会議傍聴
12時45分 出発
16時20分 香港発
21時05分 羽田着
労働社会問題省訪問の後、香港へ [2013年01月29日(Tue)]
1月29日(火曜日)
笹川会長の大臣表敬訪問に同行して、労働社会問題省へ。生憎、当初予定していた労働社会大臣が、国内視察からの帰りが遅れたとのことで、代わりに、ダム副大臣と面談。ダム副大臣は、日本財団が支援した、障害者基本法制定前の日本視察研修団の団長として、日本財団を訪問し、笹川会長とも会ってもらった間柄。
その後、副大臣は障害者基本法の起草に大変熱心に取り組み、特に自立生活運動の大変な支援者として、基本法に関連の条文を盛り込むのに尽力。障害者団体からはとても信頼されている人である。
そういう背景もあって、日本財団の障害者関係事業には予てから高い評価をして下さっており、今回の笹川会長の友好勲章の受勲を大変喜んでくれた。
0129MOLISA.jpg
<労働社会問題省でダム副大臣と面談>

後から聞いた話では、この勲章は外国人に対する最高勲章なので、選考課程は大変厳格で、大勢の関係大臣の承認と支持を得る必要があるという。恐らくは、彼が授与に向けて、積極的に動いてくれたのだと思われる。
労働社会問題省からホテルに戻り、日本財団グループの各事業で、これまで、奨学金等を受給した人たちとの懇談会を行った。参加者は、世界海事大学OBら30人ほど。
世界海事大学(WMU)とは、スエーデンにある世界各国から学生を集める国際的な海事専門の大学である。日本財団は姉妹財団の海洋政策研究財団と共同で、1987年よりWMUに学ぶアジア太平洋地域出身学生を主な対象者として奨学金を提供しており、その受給者の総数は50数ヵ国、約500名となっている。
0129reception.jpg
<日本財団グループ事業奨学金関係者との懇談会>

奨学金関係者との懇談会を終えると、我々は、香港に向かうためにハノイ空港へ向かった。
香港行きの飛行機に乗り込んで香港を代表する英字紙South China Morning Postを開くと、その一面を、旧正月を迎える準備をする市民の様子を写した写真が飾っていた。
そう言えば、あと、10日ほどで旧正月。中国で春節と言われる旧正月は、ベトナムではテトと呼ばれる。テトという語は、春節の「節」のベトナム化した発音に基づくものだそうだ。正に、一年の始まりであり、一番重要な節目として扱われている。
そう言えば、今回のハノイ滞在中も、町中でテト用品を売る屋台が出たりしていたのだが、余りにも慌ただしい日程で、ゆっくりベトナムの「年末気分」を味わえなかったことは残念であった。
0129NewYear.jpg
<旧正月を迎える準備をする市民を報じる香港の新聞>

9時 ホテル出発
9時半 労働社会問題省ダム副大臣面談
12時 WHOベトナム事務所葛西所長面談
15時 日本財団グループ事業奨学金事業関係者との懇談会
17時半 ホテル出発
20時50分 ハノイ発
23時40分 香港着
ベトナム副大統領から笹川会長に友好勲章が授与 [2013年01月28日(Mon)]
1月28日(月曜日)
 
パトカーの先導で正午過ぎにホテルを出発。日本大使公邸へ。笹川会長に陪席して、谷崎大使主催の昼食会に臨む。見た目も美しいベトナム料理によるフルコースであった。改めて、ベトナム料理の奥の深さを認識。
素晴らしい食事の後、再び、パトカーの先導で大統領官邸へ。
0128police.jpg
<パトカーの先導で大統領官邸の門をくぐる>

都合のつかなくなった大統領に代わり、グエン・ティ・ゾアン副大統領と面談。ベトナム商科大学の学長であったという、小柄な女性経済学者であった。
何と、副大統領は且つて、日本財団の招きで訪日、日本財団本部を訪問したこともある、というではないか。お陰で、大変和やかな面談となった。
0128police.jpg
<コロニアルスタイルの官邸の建物>

その後、大変立派な謁見の間、といった雰囲気の広間に場所を移し、そこで、笹川会長に対し、副大統領からベトナム政府から外国人に与えられる勲章としては最高位の「友好勲章」が授与された。
式の冒頭で、同席した労働社会問題副大臣が日本財団のベトナムでの業績を紹介した、総額、28百万ドル、即ち、小学校建設100校、義足5万本、聴覚障害者のための中高等学校を南部と北部とで支援、ベトナム全土の盲人の大学生に対する学習支援、など詳細に亘る丁寧な説明がなされたのには驚いた。
0128decoration.jpg
<副大統領から勲章を授与される笹川会長>

勲章授与の後、ベトナム国家大学に向かった。この大学は、ハノイとホーチミン市にキャンパスを持つベトナムで最も由緒のある大学である。日本財団はここに、100万ドルの基金を設置し、長年にわたり奨学金を供与して来ている。
今回のベトナム訪問に当たり、会長はここで、慈善事業に関する講演を依頼されていたのである。
0128students.jpg
<ベトナム国家大学での講演会>

12時 ホテル出発 
12時半 谷崎大使主催昼食会
15時 副大統領表敬
15時半 友好勲章授与式
17時半 ベトナム国家大学ハノイ校訪問
18時 会長講演会
19時半 共同通信三宅支局長インタビュー
会長一行と成田で合流、ハノイへ [2013年01月27日(Sun)]
1月27日(日曜日) 
前回の出張から3日置いただけで、再び出張。目的地は、ベトナムのハノイと香港。3泊4日の駆け足の出張である。
直接の理由は、笹川会長がベトナム政府から、外国人に対する国家としての最高勲章である「友好勲章」を授与されることになり、私も、ベトナム事業の担当責任者として、授与式に同席することになったもの。
予てから授与の話があり、笹川会長のベトナム来訪可能なスケジュールを提示するよう依頼があり、会長のロンドン出張と、香港出張のちょうど中間にあたる、このタイミングを候補の一つとして提示していたところ、先週末になって、ベトナム政府から28日の需要が決まったとの連絡があり、急遽、出張を決めたもの。
笹川会長は、何と、本日の午後4時にロンドンから成田に帰国。成田空港で2時間の待ち合わせで、そのまま、6時のハノイ行きに乗り継ぐ、という大変な強行軍。
私と、財団の担当者の吉田君や蓮池さんは成田空港で4時半に会長と合流。

18時00分 成田発
22時25分 ハノイ着
帰国 ミャンマーで見つけた不思議なもの3つ [2013年01月23日(Wed)]
1月23日(水曜日) 
いつものように、バンコクからの朝の便で帰国。
以下に、今回の出張中にミャンマーで見つけた面白いものの写真3葉を紹介する。
先ず、最初の二枚は日本語に関するもの。日本びいきで、日本のイメージが高品質、高級品と結びついているミャンマーでは、街中で日本語の看板や商品名に出くわすことが少なくない。
しかし、今回、「びっくり」という名前の商店を見つけたのには、びっくり。
0117bikkuri.jpg
<BIKKURIという店の名前にはびっくり!>

あるミャンマー人の家庭でみつけた手洗いソープの容器には、日本語の商品名が大書。しかも、日本で一番売れている商品と英語で書かれた紙が貼り付けられたままで使用中。
ここまで、日本の商品に対する信頼の強さは親日国、ミャンマーならではのもの。日本人としては、少々、面映ゆさを感じるが、今後、消費マーケットとしてミャンマーを考える上では、これは大変大きな資産だ。
0117kirei.jpg
<手洗いソープの容器には、日本語の商品名>

最後は、尾籠な話で恐縮だが。あるホテルの小便器の写真を。左端の容器の位置をご覧いただきたい。奥の狭いスペースに入り込んでいるので、右隣で誰かが用足ししていると、終わるまで待たないと、自分が終わっても、外に出るのは不可能。
一体、どうしてこのような配置にしたのか。
0120tiolet.jpg
<入り込んだら出られない 小便器の罠?>

06時 ホテル出発
08時25分 バンコク発
16時20分  成田着
打合せの後、バンコクへ [2013年01月22日(Tue)]
1月22日(火曜日)
8時半から9時の間に来ると言っていた筈の国境省テインテー部長が現れるより先に、シンガポール国立大学のお二人と、日本財団の事業のアドバイザーを務めてくれているエルウィンさんが到着。仕方なく、4人でシンガポール研修を打合せを始めていると、9時30分近くになって、テインテー部長が現れる。交通渋滞に巻き込まれたのでと、ばつの悪そうな表情。
地方公務員研修は、ヤンゴンとシンガポールで行われる。ヤンゴンでは7州から選抜の70名を対象に、6週間の英語ブラッシュアップ研修のあと、参加者を半分の35人に絞って、先ずはヤンゴンで国境省による地方行政研修を1週間。その後、シンガポール大学の教授がヤンゴンに出張して1週間研修したあと、シンガポールへ行き、現場視察と融合した形でさらに1週間の研修。帰国後の1週間のフォローアップ研修を含むと、合計10週間の研修だ。
これまでは、私が、シンガポールとミャンマーでそれぞれ、個別にシンガポール国立大学とミャンマー政府と交渉してきたので、今回が初めての三者顔合わせ。エルウィンさんは日本財団のアドバイザーとしての同席だが、海外のドナーとの交渉の経験のないテインテー部長に色々とアドバイスしてくれる。
10時半からは、シンガポールのお二人には席を外してもらって、テインテー部長と、調印文書の協議。11時半に終了。少し、残った問題を詰めて、ヤンゴン市郊外にある国立中央公務員トレーニングセンターに行く3人を見送った後、私はホテルをチェックアウト。空港へ。 
夕方、5時前に、バンコクに到着。旧知のスクンバン都知事の顔写真入りのポスターがあちこちに貼ってあるのが目につく。間もなくバンコク知事選挙なのだ。
午後6時、ホテルでAPCDに出向している間遠さんと会い、打合せ。その後、6時半からは、APCDニノミヤ所長、佐野さんらも交えて4人で夕食。3月に迫った、FAO(食糧農業機関)と共同の障害者農業問題のワークショップに関して打ち合わせを行う。
0122election.jpg
<間もなくバンコク知事選挙 現職のスクンバン都知事の顔写真入りのポスター>

9時 シンガポール研修打合せ
10時半 国境省との調印文書打ち合わせ 
12時 ホテル出発
14時50分 ヤンゴン発
16時40分 バンコク着
18時 間遠さん
18時半 APCDニノミヤ所長
やっと実現したヤンゴン市長との面談 [2013年01月21日(Mon)]
1月21日(月曜日)
朝10時、ヤンゴン市長との面談に同行してくれるミャンマー医師会の副会長で養護学校ニューワールドの創設者であるテインアウン博士とティンニュント医師がホテルにやって来た。10時半に3人でホテルを出発、市庁舎へ。
市長舎に到着すると、立派な応接間に通され、暫く、待つように指示される。前回、笹川会長と一緒に表敬訪問した際にも通されたコロニアルスタイルの広間である。
間もなく、フラミン市長が現れた。市長とは駐日大使の時に、何度も日本財団のミャンマー・プロジェクトの件でお会いしているし、離任に当たっては送別会を設定させて頂いた間柄だ。
0121mayor.jpg
<コロニアルスタイルのヤンゴン市長舎内部>

市長は私の顔を見るなり、当時の思いで話を始めた。今回は、彼が大使時代以来の懸案であった日本財団の福祉車両の中古車をミャンマーに寄付する件がテーマだと告げると、彼の方から、ミャンマー語でテインアウンさんらに、過去の経緯を事細かく説明してくれた。今後、医師会と連携し、ヤンゴン市長府にも寄贈したいと伝えると、大変喜び、ヤンゴン市長としても、また、彼が大臣を兼務するヤンゴン州政府開発省としても、最大限の協力をすると約束してくれた。
さらに、テインアウン博士は日本財団の支援によって建てられる予定の養護学校ニューワールドの建設計画を市長に説明し、許認可面での協力を求めるとともに、完成の暁には式典に招待したいと話し、了承された。
0120boom.jpg
<ヤンゴン市内で建設ブームが始まった>

市庁舎を辞した後、ホテルに戻り、午後からは、セイダナーの和田さん、スーさん、日本財団の梅村君らと、れんげ国際ボランティア会平野さんを囲んで、イラワジ州での学校建設事業についての打ち合わせ。
夕方からは、シンガポール国立大学のリークアンユー公共政策大学院のルイーズさん、アイカさんと3人で、明日、国境省のテインテー部長と行うことにしている地方公務員研修に関する協議の事前打合せ。日本財団に対し、事業を請け負ってくれるのはリークアンユー公共政策大学院なので、日本財団に提出してもらう書類の最終調整を行った。

10時半 ホテル出発
11時 ヤンゴン市長面談
13時 れんげ国際ボランティア会平野さん
15時 日本ミャンマー協会テッセインさん
18時半 シンガポール研修打合せ
丸山公使と打合せ [2013年01月20日(Sun)]
1月20日(日曜日)
今日は、ウィリーさん、トマスさんが帰国する日。ただ、二人の乗る飛行機は別々。マレーシアへ帰国するウィリーさんは早朝の便で。家族の住むシドニーへ帰るトマスさんは午後のバンコク便での帰国。
朝6時に、ウィリーさんを見送って一寝入り、9時半からの遅めの昼食をトマスさんと一緒に取り、今回のワークショップの総括と今後の進め方について協議。
0119wedding.jpg
<今日は大安?ホテルで遭遇した民族衣装の結婚式>

午後1時からは、モバイルクリニック事業の責任者を辞したばかりのティンウィンチョーさんと面談。夫人が深刻な病気になり、インドで緊急手術をしなくならなくなったなどの個人的理由からの辞任だ。
彼は大変有能な医療問題全般の専門家で、これまでにカレン州とモン州の反政府勢力地域を中心に、事業開始以来、たった2ヶ月ほどで6,000人以上もの人々の出張診療を行うという大きな成果を挙げてくれた。彼を失うのは大変残念だが、奥さんの病状が一段落した時点で日本財団の事業を再び手伝ってもらうことになった。
0120wedding2.jpg
<ホテルで結婚記念写真を撮影してもらう別のカップル こちらは洋装>

今、ミャンマーは年中で気温が一番低い季節。しかも、週末とあってか、あちこちで、卒業式や結婚式に出くわした。ヤンゴン大学のキャンパスでは卒業式が行われていた。着飾った男女学生が家族と一緒にキャンパス内で記念撮影をしていた。
ここでは、先般、オバマ大統領が記念演説をした場所だが、1988年の学生蜂起の中心地でもあった。その後、軍政当局はキャンパスを閉鎖し、その後、郊外に学部ごとに新キャンパスを設置し、学生をコントロールしやすいように分散した。その結果、このキャンパスは、つい最近までは、一部の研究機関と大学院生を除いては、閑散とした場所になってしまっていた。
0120convocation.jpg
<ヤンゴン大学本部キャンパスでの卒業式>

88年当時、ヤンゴン大学の学生であったために、卒業式をすることもなく、波乱の人生を余儀なくされてきた人は少なくない筈だ。私のいつもの運転手のメームさんもその一人。口数の少ない彼に水を向けても、苦笑いするだけで余り多くは語ってくれなかった。しかし、自分が学生時代を過ごしたキャンパスで、屈託なく記念写真に興じる後輩たちを見て、彼は何を思っていたのか。淡々とした表情の裏にはどんな感慨が隠れていたのだろうか。
ホテルの部屋から見える大きな看板がコカコーラの宣伝に変わっているのに気が付いた。米国政府の対ミャンマー経済制裁の緩和措置を受けて、数か月前に、60年ぶりにコカコーラの販売が再開されたのを受けての動きである。ミャンマーは今大きく変わりつつあるのだ。
0120CocaCola.jpg
<昨年60年ぶりに販売が再開されたコカコーラの看板も>

夜は、大変お世話になっている日本大使館の丸山公使と、日本財団のミャンマー事業担当の梅村君を交えて、
夕食。それを終えてホテルに戻ると、市長オフィスから伝言が入っていた。思ったとおり再度の変更。結局、明日の午後ではなく、午前11時からでヤンゴン市長との面談が確定した、とのこと。やれやれ。
これ以上の変更はないというので、同行してくれるミャンマー医師会のテインアウン副会長とティンニュント医師とホテルで落ち合う時間と出発時間を確認。明日のアポが入っている平野さんたちにも連絡を入れて就寝。

9時半 トーマスヌン社長
13時 ティンウィンチョーさん
18時半 丸山公使と打合せ
障害者インクルーシブビジネスの会議 [2013年01月19日(Sat)]
1月19日(土曜日) 
朝8時過ぎ、トーマスさん、ウィリーさんと私の3人で、メームさん運転の車でホテルを出発。障害者ワークショップの会場へ。着いてみると、そこには既に、障害者を中心に80人ほどの参加者が集まっていた。いつもながら、ネイリンソウさんらMILI幹部の運営能力には感心させられる。
今回のワークショップのテーマは、障害者インクルーシブビジネス、即ち、障害者を対象にしたビジネス、障害者によるビジネス、障害者を雇用するビジネスの総称である。これは、バンコクにあるAPCD(アジア太平洋障害者開発センター)の定義に基づくものである。
0119conference.jpg
<障害者インクルーシブビジネスのワークショップが始まった>

トーマス社長による彼の障害者ビジネスの発表が始まった。彼は、用意してきたスライドやビデオを見せながら、スカイプを使った英語レッスン、インターネットを通したコンピューターの遠隔サポートサービス、ネットテレビを使った留守宅警備など、彼のユニークなビジネスを淡々と語り始めた。
何故、このようなビジネスを思いついたのか。既に、60人の社員を雇用する会社になっているが、うち40人が障害者。殆どの社員が在宅勤務だが、インターネットを駆使して相互に結びついており業務には一切問題がない。数年後に、1000人を雇用する企業にするのが目標。
出来るだけ大勢の障害者を雇用したい。それは、障害者の方がずっと仕事熱心で、転職の可能性も低いなどいくつものメリットがあるからだ。障害者か非障害者かで給与に差別は一切ない、云々。会場の空気がじわじわと熱くなっていった。
0119Thomas.jpg
<トーマス社長が彼の障害者ビジネスを説明する>

彼が自分の秘書のマリセルのことを話すと、会場はどよめいた。彼女も在宅勤務、全盲の女性である。何と住んでいるのはマニラから飛行機で1時間以上離れた場所。さらに別の場所に住んでいる聴覚障害者の女性がマリセルを補佐しており、目が見えないとか耳が聞こえないことは、秘書業務に全く差し支えることはない。
トマスさんは、技術担当重役のライアンさんのことにも触れた。車椅子のライアンさんはコンピューターの高い技術を持ちながらも、ちゃんとした仕事に就けないでいた。それが、トマスさんと出会ってからめきめきと才能を発揮し、技術担当重役に昇格した。給料も増えたので、最近、障害者用の乗用車を買ったそうだ。
彼の話が会場に来ていた若者を中心にした障害者に大きなインパクトを与えたのは間違いない。彼の話が終わると、大勢の障害者が彼を取り囲んだ。
0119audience.jpg
<熱心に耳を傾ける参加者たち>

彼以外にも、参加者をびっくりさせた講師がもう一人いる。飛び入り参加した南アフリカ国籍のアイトゥンさんだ。先天性の障害で車椅子の彼は、1988年の騒乱時に医師の父親に連れられてアフリカに渡り、現地の高校を卒業。父の後を継いで自分も医師になりたかったが、アフリカの大学からは入学を拒否され、やむなく、コンピューターを学んだという。その彼が、挫折しそうになったのは卒業後の就職活動時、書類審査で進んでも障害者だと分かったとたんに、その先に進めなくなった。70社以上もの企業に断られたのち、障害の事実を隠して入った会社で、能力を認められ活躍。その後、ヘッドハンティングの後、今は、政府関係機関の要職につき大変高い給与を得るまでになった。ただ、生まれ故郷のミャンマーのことを忘れたことはなかった。ミャンマーのために何かしたいという思いで、今回、一時帰国したのだという。
トマスさんが午前の講演で紹介した、車椅子のコンピューター専門家のライアンさんの話の記憶が生々しいところに、まるでライアンさんにそっくりの生い立ちのミャンマー人である車椅子の若者が現れ、彼の劇的な半生を語ったのだ。会場が沸いたことは言うまでもない。
0119hero.jpg
<飛び入り参加した南アフリカ国籍のアイトゥンさん>

午前の講演を終えて午後からは、ウィリーさんの司会で、具体的な障害者ビジネスのアイデアについて参加者に討議してもらった。
昨日、MILI本部で幹部メンバーと話し合った在留外国人を相手にしたスカイプを使ったミャンマー語講座は、参加者の活発なインプットによって、住居の斡旋やメンテナンスの取り次ぎなど、より広範な内容を持つ総合オンライン・サポートサービスに進化を遂げた。また、もうひとつテーマになった障害者によるマッサージ・スパの経営というアイデアは、盲人マッサージ師と聾者のエステシシャンの組み合わせによる高級エステ・スパという方向に進んだ。
一日のワークショップが終わった後は、参加者の障害者たちが、トーマスやウィリーさんたちの前に行列を作って、追加質問したり、記念撮影をせがんだりしていた。
0119Genky.jpg
<Genkyマッサージを訪問>

私とトーマス、ウィリーの三人は昨日の合意通り、サクラタワーの盲人マッサージGenkを訪れた。それぞれが45分のマッサージを体験した後、経営者の西垣さんとお茶を飲みながらマッサージクリニック経営のあれこれを話し合った。
三人だけでの夕食を終えて、ホテルに戻ってみると。市長オフィスから伝言が入っていた。月曜日の午後2時からでヤンゴン市長との面談が確定した、とのこと。今朝の現地英字紙New light of Myanmarによると、テインセイン大統領がヤンゴンの会合で演説したとのこと。きっと市長も、テインセイン大統領のヤンゴン入りに振り回されていたのだろうと、一人で納得。
急いで、その他の打合せスケジュールの関係者と連絡を取ろうと、電話機を一旦手にして思い直す。もう時間が遅い。明日になると、また変更があるかもしれない。連絡の都度、一々反応して、変更のたびに混乱させるよりは、ぎりぎり明日まで待ってから連絡をしても遅すぎることはない。
0119masseurs.jpg
<Genkyでは20人近い盲人マッサージ師が活躍中>

8時15分 ホテル出発
9時  障害者ビジネスワークショップ
17時半 Genky訪問
18時 西垣社長と面談
19時 トーマスヌン社長らとの夕食 
ヤンゴン市長との面談は更に延期 [2013年01月18日(Fri)]
1月18日(金曜日) 
朝、市長のオフィスから待ちに待った連絡が入る。しかし、その内容はと言えば、18日の時間がどうしても取れなくなったので、週明けの21日の午後にして欲しい。必ず、市長とは会えるようにするが、面会時間はまだ未定、追って連絡するので午後の時間を空けておいて欲しい、と。
18日が自由に扱えるようになったのはありがたいが、18日の午後は平野さんやセイダナーの和田さんらと、イラワジ州での学校建設事業について相談することを決めたばかり。
もうこうなると、ジタバタせずに、時間が確定するまで、スケジュールの変更はせず、様子を見ることにする。
午後1時に、昨晩ヤンゴン入りしたばかりのトーマス・ヌン社長と落ち合う。彼と、彼の友人でHSBC銀行のCEOを辞めたばかりのタムさんには明日の障害者インクルーシブビジネスの会議の講師として来てもらったのだ。
0118newMILI.jpg
<MILIの新しい本部オフィス入り口にかけられた看板>

今回のワークショップは元々、マレーシア人のユニークな実業家であるトーマス・ヌン社長のITを駆使した独創的な障害者雇用ビジネスを、ミャンマーにも持ち込めないかという私の思いから始まっている。彼とは、3年前に日本財団の呼びかけで行ったIDPP(障害者公共政策大学院大学)の準備会合で知り合って以来の付き合いである。
数ヶ月前に彼と久し振りに会った際、ミャンマーの障害者グループとしてMILIのことを話したところ、彼が是非、彼らに会ってみたいというので、私はMILIのメンバーに、彼を講師にした講演会の開催を持ちかけた。
すると、MILI主催の障害者自立生活支援事業の一環としてのワークショップの開催というアイデアが浮上。私はトマスさんに連絡し、彼の好意に甘えて、講師の謝礼はゼロ、飛行機代も自腹という条件を提示した。すると、彼は快諾してくれたのみならず、自分の親友で、社会活動に身を投じようと、大手銀行のCEOを最近辞任したばかりのウィリーさんも誘って、二人で駆け付けてくれることになったのだ。
0118MILImeeting.jpg
<MILI本部オフィスで明日の会議進行を打ち合わせ>

二人と昼食を取りながら、私は、MILIというユニークな障害者団体の概要と日本財団の関係、現在進行中の事業などに付いてブリーフィング。また、明日のワークショップの狙いに付いて改めて説明した。その上で、三人でMILIの新しい本部オフィスを訪問、共同代表のアウンコミンさんと、ネイリンソウさんを加えた5人で話し合った。
先ずは、明日の会議の進め方について打合せ。その後、具体的な障害者ビジネスの可能性について意見交換。私が以前、MILI幹部と少し話した際に提案した、ミャンマー語を在留外国人に教える事業と障害者女性のマッサージ師らによる高級エステ店の二つのアイデアを中心に話し合った。
そして、明日のワークショップで参加者らにもこれらの事業プランを提示し、話し合ってもらうことになった。また、明日のワークショップ終了後、ホテルの向かいにあるサクラタワー内の盲人マッサージクリニックを見学することにした。
夕方からは、場所をMILIお勧めのミャンマーレストランに移して、MILIスタッフらと夕食。ミャンマーは初めてというトーマスはミャンマー料理に興味津々。私も、MILIの幹部数人とは何度か食事しているが、事務局スタッフの女性らとの食事会は初めて。和気藹藹で楽しい一夜となった。
0118newMILI.jpg
<ミャンマーレストランでMILIスタッフと夕食>

13時 トーマス社長
15時 MILI訪問
18時 MILI常勤スタッフとの夕食会
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI