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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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帰国 モーレミャインで撮った写真 [2012年12月24日(Mon)]
12月24日(月曜日) 
昨日、ヤンゴンからバンコクに着いた私は、いつものようにバンコクで一泊。
早朝発の便で、24日の夕方、クリスマスイブの日本に帰国した。
こうして、今年最後、20回目の出張が終わった。
以下は、今回の出張で初めて訪れた、ミャンマー最東南端で少数民族州であるモン州のモーレミャインで撮った写真である。
1200bridge.jpg
<サルウィン川の河口を跨ぐ全長3キロの橋を望む>

1200fishingboats.jpg
<美しい朝靄の中、漁に出るのか小舟が浮かんでいた>

1222bridge.jpg
<朝の海岸通りを散歩する人々>

1200mosque.jpg
<意外なことにイスラム教のモスクがいくつもあった>

1200market.jpg
<朝の市場では店開きの準備が進む>

1200cutie.jpg
<モン族の民族衣装でおめかし>

06時 ホテル出発
08時15分 バンコク発
16時05分  成田着
バンコクへ移動 [2012年12月23日(Sun)]
12月23日(日曜日) 
1223FrontPage.jpg
<モン州での式典を写真つきで一面に報じた政府系日刊紙>

モン州での緊急支援物資引き渡し式典も無事終わり、今日はヤンゴンを出る日。笹川会長らはタイのチェンマイに行き、少数民族武装勢力との会議に参加。私は、バンコク経由で帰国するのだ。
朝目を覚まし、ホテルの外を見ていると、日本対ミャンマーの親善フットボール開催を告げる看板が目に入った。Jリーグは、今年8月にミャンマーのプロリーグであるミャンマーナショナルリーグとのパートナーシップ協定を締結している。
ミャンマーには、英国植民地時代に英国人からフットボールを学んでおり、今でも、フットボールが盛んである。ミャンマーと日本の間のフットボールを通じた交流が進んでいくのは楽しい話である。
1223football.jpg
<日本対ミャンマーの親善フットボールを告げる看板>

朝9時、新任の沼田大使と丸山公使がお見えになり、笹川会長との面談の場に私も同席。話題は、昨日のモン州での緊急支援物資引き渡し式典の件。
その後、私は、日本財団のミャンマー事業のアドバイザーのエルウィンさんとホテルのロビーで待ち合わせて、国境省と進めているシンガポールでの地方公務員研修事業などに付いて打ち合わせ。
その後、日本財団が支援しているミャンマーの障害者グループであるMILI( Myanmar Independent Living Initiative)の共同代表のネイリンソウさんとアウンコミンさんの二人がやって来て、1月に開催する障害者インクルーシブビジネスに関するワークショップについて打ち合わせ。
1223MILI.jpg
<笹川会長と談笑するミャンマーの障害者グループの代表たち>

その後、私用でヤンゴン滞在中の国境問題省のテインテー部長とエルウィンさん、私の3人でシンガポールでの地方公務員研修事業の調印書類の件や、1月にも行う予定のシンガポール国立大学の教授たちとの現地打ち合わせについて協議。
それらを終えて、会長たちと一緒に飛行場へ向かう車に乗り込んだ。途中、昨日私が確認した、養護学校建設予定地に寄り、会長にも土地を見てもらった。
その後、日本財団のヤンゴンオフィスとしての借り上げを予定しているマンションの一室を下見。その下にあるショッピングモールのレストランで簡単な昼食を取ってから空港に向かった。
1223Xmastree.jpg
<ヤンゴンの空港に飾られた大きなクリスマスツリー>

09時 沼田大使、丸山公使
09時半 エルウィンさんと打合せ
10時 MILI幹部と打合せ
10時半 国境問題省テインテー部長と打合せ
11時半 ホテル出発
12時 土地視察
14時45分 ヤンゴン発
16時40分 バンコク着
18時半 日経新聞高橋支局長
少数民族支援緊急物資引き渡し式 [2012年12月22日(Sat)]
12月22日(土曜日) 
真っ暗な中、イスラムの祈りへの呼びかけ、アザーンの声に一旦目を覚ましたあと、再び、ベッドに入る。ところが、暫くすると、今度は、ホテルの外から大声で繰り返し叫んでいるスピーカーの声が聞こえる。時間を見るとまだ6時前。夜は白みかけてはいるものの、熱帯の夜明けは遅いので外はまだ暗い。
暫くすれば終わるのかと思って辛抱していたのだが、一向に終わらない。そのうち、ラジオ体操のような掛け声に変わった。そこで、部屋から廊下に出て外を覗いてみると、暗いのでよくは見えないのだが、どうやらホテルの正面の下、海岸との間の大通りに大勢の人が集まっているようだ。大音響のスピーカーからの音はそこからのものであった。
1222excercise.jpg
<朝の体操に集まった人々>

何事か、興味をそそられたので、着替えて外に出て見ると、何と5-600人もの人が集まって体操をしているではないか。そのうちの半数以上は、Teacher Training Collegeというロゴの付いたお揃いのジャージーを着た集団だ。どうやら、師範学校の生徒たちらしい。しかし、家族単位や友達を誘いあってといった風情の一般の住民と思しき人々も少なくない。
どうやら、これも、昨年末にラカイン州州都のシトウェで目撃したのと同様の、ミャンマー政府お声掛りの国民早朝体操運動に基づくもののようだ。
1222mendicants.jpg
<朝の托鉢僧の列に遭遇>

それは、兎も角、ホテルの真向かいの通りで、しかも大型スピーカーをホテルの方に向けてこんな時間から、騒がしく体操をするというのは如何なものだろうか。
まあ、そのお陰で朝早く起きることが出来たので、ホテルの周りを一周する散歩に出掛けた。ホテルの両サイドには、イスラム教の立派なモスクがあるのを発見。道理で、アザーンが大きく聞こえた訳である。しかし、裏通りには、仏教寺院もあり、一列に並んで朝の托鉢に出かけるお坊さんたちと鉢合わせ。
1222costume.jpg
<モン族の美しい民族衣装を纏った女性たち>

朝の散歩ですっかり目を覚まし、意気を養って朝食を取り、8時半にホテルを出発、少数民族支援緊急物資引き渡し式の会場に向かった。会場となる大きなホールの前にはモン州の民族衣装と思われるきれいなコスチュームに身を包んだ女性たち、子供たちが集まっていた。
9時過ぎに、式典が始まった。中央政府からは、少数民族との和平交渉を担当するアウン・ミン大統領府大臣、モン州政府を代表してオウン・ミン首相、少数民族武装勢力からはナイ・トゥ モン新モン州党議長が出席。ヤンゴンの日本大使館からも、臨時代理大使として丸山公使に来て頂いた。しかも、丸山公使は、日本語とビルマ語の通訳までお引き受け頂いた。臨時代理大使が通訳までされるというのは、前代未聞のことであろう。
出席者は全部で800人近くになったのではなかろうか。大変盛大な式典であった。
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<式典には800人近い人々が集まった>

式典の後は、皆で荷物を積んだトラックの出発を見送った。お米50トン、ミャンマーの伝統薬を入れた置き薬500箱、病院用医薬品などを積んだ大型トラックが5台集まった様は、壮観であった。モン州というミャンマーの僻地でこんな大きなトラックが5台もよく集められたものだという声が、参加者の間から聞こえてきた。しかし、それ以上に、短期間に、50トンもの米などの支援物資を用意し、会場内外の日本財団のロゴなど、準備万端を整えることが出来たのは奇跡と言って良い快挙。井本さんたちと、お手伝いした梅村君ら日本財団のスタッフの努力に脱帽。
今回の支援物資は総額6.5万ドルに過ぎないが、日本財団は今後早急に、10月の東京での会議で少数民族武装勢力に約束した、300万ドルの物資の配布を完了させる方針である。
1222truck.jpg
<荷物を積んだトラックの出発を見送る>

式典の後、ホテルに戻り昼食会を済ませたあと、我々は昨日のルートを逆に西に向かい、ヤンゴンに戻ることにした。ヤンゴンに近づくうちに、夕日が沈む時間になり、美しい夕日を見ながらのドライブとなった。
このように素晴らしい自然と、誠実で忍耐強い人々の住むミャンマーの平和と民主化のために貢献できることの幸せを感じていた。
1222sunset.jpg
<夕日に向かって進む>

8時半 ホテル出発
9時 少数民族支援緊急物資引き渡し式
11時半 昼食会
13時 モーレミャイン出発
19時半 ヤンゴン到着
20時 井本勝幸氏らと夕食
モン州モーレミャインへ [2012年12月21日(Fri)]
12月21日(金曜日) 
1221road.jpg
<真夏の日差しが暑い>

早朝7時半、タイ人ジャーナリストのカビさんと、朝日新聞バンコク支局長の藤谷さんの会長インタビューを終えた後、我々は3台のバンに分乗、モン州のモーレミャインに向かって出発した。少数民族反政府武装勢力に対する緊急支援物資の配布式典を行うためである。
この歴史的なイベントを取材するために、ミャンマーの地元のメディア関係者が17社、記者やカメラマンら若い人ばかり20人ほどが同行を希望したので、彼らのためにチャーターした大型バスも我々に従った。
日が昇るにつれ気温は上昇、真夏の日差しが我々の車を照りつけた。
1221bridge.jpg
<全長3キロの長い橋がサルウィン川を跨ぐ>

モン州はカレン州の南に位置するミャンマー最南東の少数民族州であるが、ヤンゴンからの道路は比較的整備されている。7時間余りの順調なドライブの後、我々はミャンマー3大河川のひとつ、サルウィン川にかかる大きな橋を渡り、モーレミャインの町に入った。
サルウィン川は、中国雲南省に始まり、シャン州を貫き、カレン州を経て、モン州に至る大河である。河口に近いこの辺りの川幅は2キロくらいはありそうだ。5年前にこの大橋が完成するまでは、モーレミャインの町へは、渡し船で渡るしかなかったという。
1221buss.jpg
<現地の記者団を乗せたバスも追いてきた>

夕方5時前に、海辺に立つ大きなホテルに到着、チェックインを済ませてすぐに、ハンセン病の病院に向かった。これは、今回の出張の主たる目的ではないが、WHOのハンセン病制圧特別大使を仰せつかっている笹川会長が、訪問する世界の各地でハンセン病関連施設がある限り、その訪問と入所者への激励は欠かさないという慣行に基づくものであった。
20人ほどのミャンマーの地元メディア関係者を乗せたバスも我々の後について来た。
1221meeting.jpg
<ハンセン病の病院でレクチャー>

そして、病院関係者によるレクチャーが始まると、予想に反して、ミャンマー人ジャーナリスト達は熱心に質問し始めた。ヤンゴンに住む若いジャーナリストにとって、これまで、ハンセン病の実態を知るチャンスはなく、驚いたようであった。
その後、病院に付属されたコロニーを見学したが、地元の記者さんたちの熱心な取材もあって、終わって外に出るころには、あたりはもう真っ暗になっていた。
ホテルに戻り、野外のレストランで皆で夕食、明日の式典に備えた。
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<終わって出るころには真っ暗になっていた>

07時半 カビさん会長インタビュー
08時半 朝日新聞藤谷支局長会長インタビュー
09時半 ホテル出発
12時半 昼食
17時 ハンセン病病院・コロニー視察
19時 夕食
ヤンゴンで会長一行と合流 [2012年12月20日(Thu)]
12月20日(木曜日)
午後一番の便で、ヤンゴンへ移動する日。今夜到着する日本財団の笹川会長一行と合流して、明日から、モン州の州都モーレミャインに向かう。22日に現地で行われる少数民族武装勢力に対する緊急支援物資の引き渡し式に参列するのだ。
帰りは、バンコク経由になるのでスーツケースはバンコクのホテルに残し、キャリーケースと小型のスーツバッグのみの軽装で出発。空港までのルートはスカイトレインとエアポートリンクの電車を乗り継いで70バーツ(200円)。道路渋滞の心配も無用、きっちり1時間で到着するので安心だ。
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<仏教国タイではお坊さんも電車の優先席の対象者>

ヤンゴンの空港で両替をする。前回までは断られていた、折り目の入ったドル札を敢えて出してみたところ、すんなり、受け取ってくれた。前回、エルウィンさんが言っていたミャンマー政府が出したというお触れがようやく浸透しつつあるようだ。
ただ、相変わらず、対象となるのは、ドルとユーロとシンガポールドルの3種のみ。空港内外の銀行窓口では、日本円の両替は出来ない。
ドル札も、100ドル札、1ドル札、その他のドル札で、レートが微妙に違うのが面白いところ。
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<両替はドルとユーロとシンガポールドルの3種のみ>

その後、パラミ小児科病院へ行き、テインアウン院長、ティンニュントさんらとニューワールド養護学校の建設事業について協議。
その後、3人で予定地の一つを視察。市内中心部と空港のほぼ中間、という比較的好立地。
ヤンゴン市内の土地の値段は、上がる一方なので早めに決めないといけないのだ。
8時前、笹川会長一行が到着。夜9時からは、日本財団の森国際グループ長と一緒に、明日、笹川会長にインタビューする予定の、タイの有名ジャーナリスト、カビさんに対し事前のブリーフィング。
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<建設予定地を視察>

13時00分 バンコク発
13時45分 ヤンゴン到着
15時 ニューワールド訪問
17時 候補地視察
20時 会長一行到着
21時 フリージャーナリスト・カビさんビリーフィング
バンコク市内もクリスマス [2012年12月19日(Wed)]
12月19日(水曜日)
朝9時半、丸紅を辞めて個人でビジネスコンサルタントを始めた内藤さんと会う。ミャンマーでの建設関連の事業について相談するためだ。
彼には、ヤンゴンでの義肢装具士学校の開設を準備中のNGO、カンボジアトラストの方からのご指名で、プノンペンの義肢装具士学校に続いて、ヤンゴンでも校舎の建設の監督をお願いすることになったのだ。
序でに、土地取得が難航しているニューワールド養護学校の建設問題でもアドバイスをもらう。
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<バンコク市内のスーパーもクリスマスの飾り付け>

その後、一旦ホテルの部屋に戻った後、道路を隔てた別のホテルに向かい、ASEAN事務局長補佐官のラジャさんと会う。前回のシンガポールでの打合せのフォローアップ。昼食をはさんで、あれこれと2時間余り話をする。
ホテルへの帰途、道端に何とサンタクロースの帽子だけを売る屋台を発見。バンコクも、クリスマスモード入り。
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<道端にはサンタクロースの帽子を売る屋台も出現>

午後4時半からは、タイ保健省伝統医療局のルチャニーさんとプラポートさんと盲人用医療マッサージ教育事業について打ち合わせ。プラポートさんは、つい最近、保健省を退職したとかである財団の名刺をくれる。保健省の外郭団体のようで、今後も、今までと同様に、我々の医療マッサージ教育事業に携わってくれる由。
夜は、毎日新聞バンコク支局の春日支局長と食事。スーチさんとのインタビューについて興味深い話を聞く。
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<道路際の花壇にもクリスマスの飾りつけ?>

09時半 内藤さん
12時 ASEAN事務局長補佐官ラジャさん
16時半 保健省プラポートさん
18時半 毎日新聞春日支局長
真夏のバンコクに到着 [2012年12月18日(Tue)]
12月18日(火曜日)
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<雨の中、オートバイで出社する人たち>

激しい雨の音に目を覚ました。窓の外を見ると、全くの土砂降り状態。今日は、バンコクへ移動する日。10時半の飛行機に乗らねばならない。
昨晩の経験もあったので、余裕を見て早めに空港に向かうことにし、朝7時半に出発した。昨日までの穏やかな気候から一転して、今日は肌寒い。これから、ハノイも本格的な冬の季節に入るのだろうか。
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<空港に向かう道路も雨に霞む>

正午過ぎに、バンコクに到着。流石にここは常夏の国。夏の青空を思わせる空が広がっていた。
夕方、ホテルでAPCDに出向している間遠さんと会い、ミャンマー事業などについて打合せ。
その後、6時半からは、ニューヨークタイムズのフラー記者と三人で会食。
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<バンコクに到着 そこは、真夏の世界だった>

08時 ホテル出発
10時30分 ハノイ発
12時20分 バンコク着
17時 間遠さん
18時半 ニューヨークタイムズフラー記者
労働社会問題省で副大臣に会う [2012年12月17日(Mon)]
12月17日(月曜日) 
昨夜の打ち合わせの通り、朝9時半にホテルへカバントランさんが迎えに来てくれた。これから向かう労働社会問題省はハノイ市内中心部にある。本来なら、車で30分もあれば十分な距離なのだが、最近はハノイでも自動車が急増して道路の混雑がひどくなり、所要時間が読めないので早めに出発したのだ。しかし、案外、道路は空いている。
カバントランさんがつぶやいた。2、3ヶ月前に政府が、不法に輸入されていた車の取り締まりを行ったので、そのためかも。それにしても、そんなに沢山の違法車が走っていたというのだろうか。
1217traffic.jpg
<朝のラッシュ時にも拘わらず、道路はスイスイ>

車がスイスイ進んだので、あっという間に労働社会問題省に着いてしまったので、朝のコーヒーを飲みながら時間をつぶすことに。彼が連れて行ってくれたのは、オペラハウスの横のおしゃれなカフェ。
近くのビルには欧米系の有名なメーカーのブランドのロゴが並ぶ。ベトナムも豊かになったものだと、感心しながらコーヒーを美味しい飲んだ。
1217cafe.jpg
<オペラハウスの横のおしゃれなカフェ>

10時半になったので労働社会問題省へ、旧知のダム副大臣と再会。笹川会長のハノイ訪問計画に付いて打合せ。
その後、近くのベトナム料理のレストランに場所を移し昼食。ベトナム料理は私の大好物。きれいな盛り付けに心を奪われる。
そこには、ダム副大臣と教育訓練省のヒエン副大臣も顔を出してくれた。彼とも、数年前に会って以来の再会。
日本の総選挙で安倍総裁率いる自民党が大勝利を挙げたことが話題に。中国に対して厳しいスタンスを取っているということで、ベトナム側の期待が大きく盛り上がっていたのが印象的だった。
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<美しく盛り付けられたベトナム料理>

その後、一旦、ホテルに戻り、メールチェックなどで少し時間を潰して後、再びタクシーで外出。ホテルからほど近い場所にある日本大使館へ。日本財団がVNAHや、日本のNGOであるAEFA(アジア教育友好協会)と組んで行っているベトナム僻地の学校の一つに、日本政府の「草の根無償支援」による資金で寄宿舎が建設されることになり、その資金の授与式に、私も参列することにしたのだ。
1217Embassy.jpg
<草の根無償資金の授与式>

夜は、アジア教育友好協会の谷川理事長も誘って、共同通信ハノイ支局三宅支局長と3人で食事。朝のラッシュ時の道路が空いていたので、安心してタクシーに乗ったのだが、途中で車がほとんど動かなくなった。慌ててレストランと三宅さんに電話で連絡する。ただ、渋滞の原因は事故か何かだったようで、暫く牛歩状態が続いた後は、一転して車はスムーズに動き出したので、あまり遅れることなく約束の場所に到着。
冬は結構冷えることも多いハノイだが、今日は、意外と暖かな一日であった。

09時半 ホテル出発
10時半 労働社会問題省 副大臣
12時半 労働社会副大臣主催の昼食会
15時 日本大使館での草の根無償の授与式に参列
18時半 共同通信ハノイ支局三宅支局長
今年最後の出張 ハノイ、バンコク経由でミャンマーへ [2012年12月16日(Sun)]
12月16日(日曜日) 
今年最後の出張。遂に、今年12回目のミャンマー行き。ただ、その前に、ハノイとバンコクに立ち寄る。帰りはいつものように、バンコク経由だ。
いつもは、早朝に家を出て午前の飛行機に乗るのだが、ハノイ便は夕方の出発。今日は日曜日なので、午後2時過ぎに家を出る。
飛行機は日本時間の深夜12時過ぎに、ハノイのノイバイ空港に到着。現地の時間でも10時半だ。以前、同じ便でハノイに夜、到着した際、空港内の銀行の窓口がすべて閉まっていて両替出来なかったので心配していたのだが、今回は、幸い空港の両替窓口は開いていたので、日本円をベトナム・ドンに両替することが出来た。
驚いたことに、深夜の空港には、義足配布事業などでの現地パートナーである米国のNGO、VNAHのカバントラン代表、自らが出迎えに来てくれていた。ホテルへ向かう車の中で、明日の社会福祉副大臣とのミーティングにつき、段取りなどの打ち合わせを行う。

18時00分 成田発
22時25分 ハノイ着
帰国 私の旅の工夫(24) [2012年12月04日(Tue)]
12月4日(火曜日)
朝6時半にホテルを出て、空港へ。いつものように、午前8時30分のシンガポール発、成田行きの便で帰国。
私の旅の工夫(24)は、まさかの事態に備えての予備現金の用意について。私のやり方は、何年も前から日本で実践している方法の海外版だ。日本でのやり方とは、名刺入れや定期入れに、5千円札と一万円札を一枚ずつ、さらに、財布の中にもお札を入れる場所とは別のところに、小さく折り畳んだ5千円と一万円を隠している。即ち、4万5千円をいつも、万一の場合の用心として持っているのだ。
海外では、さらに、定期入れを持つ訳ではないので、隠し場所は国内が3カ所であるのに対し、2カ所に過ぎないが、1万5千円とは別に、100ドル札と50ドル札を一枚ずつ、これを2カ所にしまってあるので、300ドル分の現金が加わる。即ち、日本円で3万円、ドルを合わすと約5万5千円を隠している勘定になる。
海外では、財布を紛失したり、盗難に合ったりしないまでも、時に、クレジットカードが使えなかったりして、現金が足らなくなったりする事態が起こりうるが、最低限、これくらいの現金を予備に持っていれば安心ということ。
ところが、この方式でも安心出来ない場所がミャンマーだ。お札を小さく折り畳んで隠し持つことになるので、今回の空港での経験のように例え折り皺一本で入っていればピン札のドルでも両替出来ないとか、ネピドーの国立銀行でも日本円札の両替は不可ということになると、お手上げだ。
やはり、海外では、完全な方法はない、慢心は禁物、ということか。
以下に、ネピドーへ行く途中のレストランで移したミャンマーでの食事の写真を紹介しよう。
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<我々が食べた昼食 これが典型的な定食メニュー>

1129myanmarFood.jpg
<このように様々な料理の入ったトレーから欲しいものを選ぶのがミャンマー式>

1129sushi.jpg
<何故か寿司のコーナーもある 但し、一切れ80円と高額>

06時半 ホテル出発
08時30分 シンガポール発
16時20分  成田着
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