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大野修一(日本財団)
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会長一行が到着 [2012年11月30日(Fri)]
11月30日(金曜日)
一昨日に続いて、今日も再び、アウンコミンさんらMILIの幹部と会う。昨日のネピドーでの社会福祉大臣との面談に付いて報告、今後の障害者芸術祭の進め方について打合せ。また、来年1月にトーマス・ヌンさんを招いて行うことになった雇用問題についてのワークショップに付いて打合せ。
11時には、フランスの国際通信社AFOのヤンゴン支局長ララテさんがやって来たので、MILIのメンバーを紹介するとともに、彼らの活動や芸術祭の構想についても説明。
MILIのメンバーが帰った後は、ララテ支局長と二人だけで話し合った。日本財団の活動全体に対する説明と、20日に満州のイェーで行われることになった少数民族反政府武装勢力支配地域住民に対する300万ドルの緊急支援物資の第一次引き渡し式に関するブリーフィング。
ララテさんは、MILIの事業を含む日本財団のミャンマーでの活動全般に対する関心を示し、今後も連絡を取り合うこと、イェーでの引き渡し式は取材することを約束してくれた。
ララテさんと別れた後は、ヤンゴンに常駐することになった日本財団の担当者の梅村君と、ホテルの近くのミャンマー料理の食堂で昼食を取った。その後はメームさんの車で、一緒に、日本財団の仮事務所が置かれることになった、シャン州での学校建設のために我々が作ったNGOセイダナーの事務所に向かった。
1130internet.jpg
<ホテルのインターネットがつながらない>

その後、一旦、ホテルに戻ってメールをチェックしようとすると、インターネットとの接続が出来ない状態になっていた。ネピドーだけではなく、ヤンゴンでもインターネットが繋がらないとは、お粗末極まりない。これでは仕事にならない。早く、通信インフラの整備が進み、このような状態が改善されることを望むしか無い。
夕方、エルウィンさん、梅村君、とモバイルクリニック事業のドクターミョーの4人で空港へ。バンコクから到着する笹川会長ら、明日のパアンでの式典に参加する一行を出迎えるためだ。
空港には、新任の沼田大使、丸山公使(代理大使)も多忙な中、わざわざ駆けつけてくださった。

10時半 MILI幹部と打合せ
11時 AFPヤンゴン支局長
12時半 日本財団梅村担当打合せ
14時半 セィダナー事務所訪問
17時 ホテル出発
18時50分 会長一行到着
国立銀行でも日本円の現地通貨チャットへの両替は出来ず [2012年11月29日(Thu)]
11月29日(木曜日)
エルウィンさんが前もって取り付けてくれていた今日のアポは3つ。先ず、9時に情報省の副大臣、11時が社会福祉大臣、午後が教育大臣の予定であった。ところが、2日前に教育大臣から、朝の9時にしてほしい、というリクエストが入り、エルウィンさんは急遽、情報副大臣に頼みこんで、午後1時からに変更してもらっていた。
ところが、昨日になって、通例午後から行われる閣議が突然、今日の午前に繰り上げられることになったという連絡が入った。従い、教育大臣の代わりに教育副大臣が会ってくれることになった。問題は、一番の目的の社会福祉大臣との面談である。11時からの予定は当然キャンセルだ。大臣官房の担当官の話では、午後も面談希望者が何人も入っているので、副大臣が代わりに会うことになるかもしれないが、最悪は、キャンセルになるかも知れないとのこと。
情報省からは、副大臣が変更後の予定通り、午後1時から会ってくれるというので、社会福祉大臣には3時以降の出来るだけ早い段階での面談の希望を伝える。余り遅くなると、ヤンゴンへの帰りが夜中になってしまう。
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<教育省で副大臣に面会>

ホテルで朝食を取った後、教育省へ向かった。昨年末に初めてお会いした教育大臣は、日本語が流暢で、確か、北海道大学で博士号を取ったと仰っていた。IDPP(障害者公共政策大学院)事業の紹介と、ミャンマーでのパートナーとなりうる大学の斡旋を依頼しようと、数ヶ月前からレターを出して準備していたのだ。しかし、今回初めてお会いしたバシュエ副大臣も、我々に極めて好意的で、IDPPの意義を高く評価し、協力を約してくれた。また、カンボジアで行っているラジオ放送を利用した英語教育プログラムについても紹介、来年6月のプノンペンでの会議に招待することが出来た。
教育省での会議の後、午後の情報省でのアポまで時間があったので、日本円を現地通貨のチャットに替えようと国立銀行に連れて行ってもらった。
というのも、ヤンゴン空港到着時に空港内の2つの銀行いずれもで、日本円を両替しようとしたところ、日本円は取り扱っていないと断られたので、已むなく、手持ちのドル札を出したところ、新札であるにも拘らず、中央縦に一本の折り皺があるというだけで、両替を断られていたからである。
首都のネピドーの国立銀行なら、日本円の両替を拒否されることもあるまいと踏んでのことであった。
1200Dollar.jpg1200NewNotes.jpg
<折り目が入った100ドル札は両替拒否 右は、数ヶ月に発行が始まったばかりの一万チャット札>

ところが、驚いたことに、ここでも取り扱いは、ドルの他は、ユーロとシンガポールドルのみ、と言うではないか。これでは、現地通貨のチャット不足が心配だ。恐る恐る、しわの入ったドル札を出してみると、両替に応じるという。そこで、何とか、チャット札を入手することに成功。
エルウィンさんによると、皺一本でドル札の両替を拒否するというミャンマー独特の慣行は、偽ドル対策の行き過ぎから始まったものだが、不条理なものと外国人の顰蹙を買ったため、最近になって、中央政府が是正の指導に乗り出すことになったのだそうだ。
私が、数日前も空港の銀行で拒否されたばかりというと、エルウィンさんは、この国営銀行ですら通達後も両替を断っていたので、自分が、中央銀行の担当官を連れて来て抗議したので、ようやく、改まったのだと胸を張った。どうやら、政府の意向にも拘らず、まだ暫くはミャンマーへのドル札の持ち込みはピン札にしておいた方が安心かも。
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<ネピドー市内ではコンクリート鋪装の修理が進行中だった>

そうこうする内に、社会福祉省から連絡が入り、ミャッミャッオンキン大臣との面談が午後3時半からでOKになったという。そこで、ホテルに戻って昼食を取り、午後一番に情報省に向かった。
情報副大臣とは、以前、書面で受け取っていた放送設備支援の要請に対し、当方の事情と考え方、今後の取り扱いに付き協議。副大臣の了解を得ることが出来た。ここでも、カンボジアでのラジオ放送を利用した英語教育事業につき説明するとともに、日本のある私立音楽大学から預かって来た資料を手渡した。
そして、3時半からは社会福祉大臣と面談。現政権で唯一の女性閣僚であるミャッミャッオンキンさんとは、私は7、8年前にモンゴルの置き薬事業でお会いして以来、何度もお目にかかっている。元々、彼女はお医者さん。保健省では、伝統医療局次長や副大臣を務めたので、日本財団の伝統医療事業の良き理解者だ。障害者芸術祭について説明、社会福祉省の認知と支援を要請したところ、素晴らしいアイデアであり、省として全面的に支援すると約束してくれ、同席していた局長らにその場で指示を出してくれた。
社会福祉省を出ると、もう4時半。急いでヤンゴンに戻らねばならない。市内のロータリーには、国賓として間もなくネピドーを訪問するというベトナム大統領を歓迎する巨大な看板が立てられていた。そして、その横では、コンクリート鋪装をアフファルト鋪装に変える工事が進行中。これなら、市内走行中のガタツキは今後は減りそうだが、ヤンゴンへのハイウェイの鋪装もアスファルトにしてもらえるのはいつのことだろうか。

09時 教育副大臣 
13時 情報副大臣
15時半 社会福祉大臣
16時45分 ネピドー発
21時45分 ヤンゴン着
二人だけでネピドーへ [2012年11月28日(Wed)]
11月28日(水曜日) 
朝9時、ネピドーから帰って来たばかりのミャンマー障害者自立運動(MILI)の幹部のアウンコミンさんやユヤトゥさんたちと会って、スーチーさんとの会見の首尾を聞く。
元々は、今度の内閣改造の結果、社会福祉大臣が交代し、唯一の女性閣僚として新大臣に就任した、ミャミャオンキン夫人との面談のアポが取れたことから、MILIのメンバーを彼女に紹介するとともに、障害者芸術祭に対する、社会福祉省としての公認を再確認するために、一緒に、ネピドーに行く計画を立てていたのだ。
ところが急遽、MILIは障害当事者代表として、政府から障害者基本法の原案に対する公聴会に招かれ、社会福祉大臣に挨拶。更には、野党代表としてスーチーさんにも面談することになり、一足先にネピドーに行ってしまった。そこで、今回のミャミャオンキン大臣との面談には日本財団アドバーザーのエルウィンさんと私の二人だけで行くことにし、その前に、帰って来たばかりの彼らに会って、会見の様子を詳しく聞いておいて、ネピドーで我々がフォローすることになったのだ。
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<アウンコミンさん、ユヤトゥさんらMILIの幹部たちと会う>

アウンコミンさんたちによれば、先だってのオバマ大統領のミャンマー訪問時には、障害者グループを代表してMILIのネイリンソーさんが面会を許されたのだそうな。設立後高々一年余りの若いグループであるMILIが,、スーチーさんと言い、オバマ大統領と言い、極めて名誉ある場に障害者の代表として指名されているというのは、驚くべきことで、彼らの活躍ぶりに改めて驚かされた。
午前10時半、彼らから、詳しい報告を受けたあと、私とエルウィンさんは、二人だけでネピドーへ出発した。元々、MILIの代表メンバーと一緒に行くつもりだったので、借りてあった車は、トヨタのハイエース、7人乗りである。それぞれに、広い空間を贅沢に使える一方で一抹の寂しさもあることは否めない。
ネピドーへ行くときは、いつもは、早朝、まだ暗いうちにヤンゴンを出発するのだが、今日の出発が遅くなったのには、MILIの話を聞くためではなく、もっと別の理由があった。それは、今日が仏教の休日であるため。ネピドーに急いで行ったところで、官庁はお休みなのだ。
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<お祭りの飾りを乗せたトラック>

ヤンゴン郊外のとあるお寺に差し掛かると、大勢の人だかり。食べ物や、おもちゃ、衣服など様々なものを売る屋台が道の両側に並んでいる。お寺の参道の前には、大勢の人が乗った小型トラック。その真ん中には、まるで御神輿のように、何やら木の枠に飾り物やお金などを取り付けたものが鎮座している。パデタピンと呼ばれるものだ。
エルウィンさんによると、このお祭りの名前はタザウンダイン。今日は、ビルマ暦の8月、タザウンモン月の満月の日に当たる。善男善女は、お寺にお参りに行き、お坊さんに新しい衣服を捧げるなどお布施をするのだという。えっ、だったら今日はネピドー行きどころではなかったのでは、と私が恐縮して尋ねると、「私は余り真面目な仏教徒ではないので、行ったり行かなかったりだよ」澄まし顔。
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<順調にミャンマー唯一の4車線のハイウェイを飛ばしていたのだが>

折しもこの日は、お隣のタイでは、精霊流しや熱気球で有名なロイカトンの日に当たる。ミャンマーでも同じような風習があるのではと尋ねると、シャン州のタウンジーでは、大きな熱気球を空に放つ行事が行われ、大勢の見物客で賑わうのだそうな。
そんな話をしながら、車に揺られていると、突然、車の下で大きな音がしたと思ったら、車体が大きく揺れてストップ。パンクだった。てっきり古いタイヤかと思ってみるとそうでもない。運転手によると、コンクリートの舗装が良くないので、パンクしやすいのだと言う。
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<悪路のせいでパンク>

パンクという予想外の事態で時間を食ったのだが、それでも、午後4時半頃にはネピドー到着。ホテルにチェックインし、インターネットの接続にトライ。半時間ほど、色々試みるがうまく行かない。結局、ホテルないのWi-Fiではなく、通信会社のサーバーのトラブルと判明。
一国の首都の、通信事情がこれでは問題だ。エルウィンさんによると、ミャンマー政府外務省が呼びかけているにも拘らず、未だ、ヤンゴンからネピドーに大使館を移した国はないのだそうな。宜なるかなである。
夕方、ホテルのロビーで国境省の人事研修担当のテインテー部長と会う。1時間半ほどかけて、少数民族州の地方公務員に対するシンガポール研修について最後の打合せ。
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<ホテルの窓から見た美しい夕暮れ>

その後、ショッピングセンターの近くの中華料理屋で3人で夕食のテーブルを囲んだ。レストランの片側の壁の上にはSONY製の大型の液晶テレビが掛かり、従業員たちが熱心に見つめていた。
その画面に映っていたのは、巨大な気球。シャン州、タウンジーでの満月祭りの熱気球コンテストが全国に生中継されているのであった。
私は、その巨大きさにびっくり仰天。これら熱気球は、タイのロイカトンのものと同じように紙で作られたものだそうだが、違いはそのサイズにある。大きなものは、高さ約10メートル、周囲は7メートル以上にもなるという。
1つの熱気球を完成するのにかかる費用は数万円。何しろ150人もの人々が一ヶ月もかけて作るそうだが、それが200個も集まって巨大な気球の打ち上げコンテストが行われるのだからすごい。
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<巨大なバルーンでコンテスト>

09時 MILI幹部と打合せ
10時半 ホテル出発
16時半 ネピドー到着
18時半 テインテー国境省部長
20時 夕食
モバイルクリニック事業についてヤンゴン事務所で打合せ [2012年11月27日(Tue)]
11月27日(火曜日) 
9時半にエルウィンさんとホテルを出発、ミャンマー医師会モバイルクリニック事業ヤンゴン事務所へ。ヤンゴン中央駅にほど近い15階建てマンションの14階。眺めは抜群だ。
モバイルクリニック事業の責任者に就任したティンウィンチョー博士らと、12月1日にカレン州のパアンで予定されているモバイルクリニック事業の開始式典の打合せ。30日には日本財団の笹川会長一行もタイからヤンゴンに到着し、翌日早朝にパアンに向けて出発する予定。
パアンへは、6月に州政府にゾーミン首相を表敬した際、道路事情は確認済み。舗装道が続くのでヤンゴンからは5−6時間の行程だ。ところが、1日の式典に参列する予定の中央政府のペテッキン保健大臣の都合で、早朝9時からに決まった由。そうなると、ヤンゴンは夜中の3時には出発しないといけない。
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<モバイルクリニック事業ヤンゴン事務所>

駐ミャンマー日本大使館からは、30日の夜に公邸での夕食のお誘いを頂いたが、翌1日の夜中の出発に備えて、会長一行には早めに就寝してもらえるよう、已むなくお断りすることに。
打合せに引き続き、10時からは、モバイルクリニック事業の月例報告会。カレン州とシャン州の4カ所に現地拠点の設置が完了し、事務スタッフや医療スタッフもほぼ全員採用、と予定通りの進行。
思えば、この事業についての具体化に向けた議論を始めたのは、今年の4月のこと、それから。たかだか6ヶ月で本格稼働に漕ぎ着けたことに改めて、医師会メンバーの熱意と責任感、高い実務能力に脱帽。
会議終了後、近所のレストランからミャンマー料理の昼食を出前に取ってもらい、皆で食事。中華料理風の味付けのミャンマー料理だった。
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<モバイルクリニック事業の月例報告会>

午後は、国境省のテインテー部長がネピドーから出張して来てくれて、地方公務員のシンガポール研修事業の打合せすることになっていたのだが、急なマンダレー出張が入ったとかで中止。29日に、ネピドーで会うことに。
ミャンマーの場合、前もってかっちりと、面談の約束を確定させておくことが非情に難しく、すべては、直前まで分からないことが多い。それには、もう慣れっこになっている。
ただ今回は、ネピドーでは他に教育大臣や社会福祉大臣との面談のアポを申し入れており、今はその確認待ちの段階。重ならないよう、時間調整が必要になるが大丈夫だろうか。
そこへ、1日の式典の開催のタイミングの変更の連絡。9時ではなく、13時からに変更、但し、保健大臣ではなく、副大臣になる由。ヤンゴンからの出発はその分、3時間遅らせて、早朝6時にすることに。そのため、午後はホテルの部屋からあちこちに連絡に忙殺される。財団の担当メンバーは殆ど全員海外出張中なので、日本、タイ、マレーシア、ミャンマー4カ国の間でメールが飛び交う。

09時半 ホテル出発
10時 ミャンマー医師会モバイルクリニック事業ヤンゴン事務所打合せ
18時半 内藤さん、福村さん
成田ヤンゴン直行便を利用してミャンマーへ [2012年11月26日(Mon)]
11月26日(月曜日) 
今回は初めて、10月中旬に開通したばかりの全日空成田ヤンゴン直行便を利用してみた。
オールビジネスクラスで38席と小型の飛行機だったが、驚いたことに中はガラガラ。10人ほどの乗客しかいない。前回の二の舞かと心配になって来る。
飛び立っていつまで経っても窓の外には青空が見えない。白い雲の中を飛んでいる。時折、機体は大きく揺れる。航路情報を示す機内スクリーンによると、中国上空に大きく航路上の気圧の配置が悪いので、普段より高度を高く取っているのだが、それでもながらは 定刻に出発した飛行機だったが、到着は30分遅れ。
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<ヤンゴン市内を走るバスは日本製中古車が多い 車道側に出口>

外は薄曇りだったが、気温は30度近いのではないか。とても蒸し暑い。予め予約しておいた個人タクシー運転手のMさんが迎えてくれた。
彼は、88年の学生紛争によって人生を狂わせられた多くのミャンマー人の一人だ。当時、ヤンゴン大学の学生であった彼は、その後、通信教育で大学卒業資格はとったものの、職業を点々とし、つい最近、港湾用クレーンのオペレーターとして働いていたシンガポールから帰国し、中古の日本車を購入して個人タクシーを始めたという訳だ。英語が堪能で、意思疎通に便利なので、このところ彼の車を使うことが多い。

11時10分 成田発
17時05分 ヤンゴン着
19時 大山さん、内藤さん
私の旅の工夫(23) ビクトリア湖の夜明けの写真 [2012年11月17日(Sat)]
11月17日(土曜日)
いつものように朝5時起きして、真っ暗な中を空港へ。相変わらず鼻風邪気味だが、幸い軽傷。この分なら飛行機に乗るのにさほど不都合はなさそうだ。
それにしても、今回は、ハノイのホテルで蚊に襲われた際にスーツケースの中から蚊対策グッズを取り出すのを億劫がり、クーラーを入れたのが敗因。
そこで、今回の旅では使わずじまいだったのだが、私の旅の工夫(23)として、スーツケースの中に常時忍ばせている最小限の蚊対策グッズを紹介することにしよう。
先ずは、小型の蚊取り線香とライター。いずれも、近所の百円ショップで手に入れたもの。最近は、航空機へのライターの持ち込みに制限がある上、その扱いがまちまちなので気をつけないといけない。つまり、チェックイン荷物に入れるのはだめ、という航空会社がある一方、逆に、機内持ち込みがだめ、というところもあるのだ。
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<百円ショップで買った小型の蚊取り線香とライター>

もう一つは、肌に塗る蚊よけローション。これも、可燃性ガス入りのものは飛行機に持ち込めないので、ガスの入らないタイプを選ぶ必要がある。
一方、ローションの中に含まれる有効成分を粘着テープに染み込ませて、直接肌や衣服の上に貼ると言う方法もある。パッチ型のものがいくつか出ており、取扱いが簡単なので重宝である。私が愛用しているのはタイガーバーム社の製品だ。
密封された小袋を開けるとツンと鼻につく臭いがするパンドエイドのようなものが入っている。粘着面を皮膚に直接貼付けてかぶれてもいけないので、私は、これをズボンの裾の裏側など目立たないところに貼って使っている。
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<可燃ガスを使わないタイプの蚊よけローションとタイガーバーム社の虫除けパッチ>

最後のおまけは、アフリカのウガンダ・エンテベのホテルの朝、ビクトリア湖の朝焼けを写した連続写真を以下に紹介する。
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<ビクトリア湖の朝焼け@>

1110dawn22.jpg
<ビクトリア湖の朝焼けA>

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<ビクトリア湖の朝焼けB>

1110dawn3.jpg
<ビクトリア湖の朝焼けC>

06時 ホテル出発
08時25分 バンコク発
16時20分  成田着
引き続き ICEVI/WBU総会 [2012年11月16日(Fri)]
11月16日(金曜日)
今日も朝からICEVI/WBU総会。先ず、9時から大ホールで行われた全体会合3「雇用問題」を傍聴。1000人近い聴衆を前に、ILOの在バンコク代表ら4人のパネリストが報告。パネリストの一人は、私の友人で障害者を雇用してユニークなビジネスを展開するゲナシュティン社社長のトーマス・ヌン。
スカイプを使った英語の個人授業サービスなどを提供する彼の会社の総勢70人ほどの社員のうち、40人は障害者だ。社長秘書も車椅子の障害者。驚くことに、彼はファイリピン南部の島の自宅からインターネットを使ってサポートする秘書嬢とは今まで一度も会ったことが無いという。採用面接さえスカイプで済ませた由。
大変ユニークな彼の経験と、将来のビジョンは、視覚障害者の雇用問題に革命的な一石を投じるほどのものだった筈だが、彼に与えられたプレゼンの時間は15分ほどと短く、従来型の繰り言を長々と喋るパネリストもいたりして、残念ながら期待したほどのインパクトは与えられなかったように感じた。
また、このような大人数の会議には有り勝ちだが、私語に忙しく耳を傾けていない人も少なからずいた。中には、どういう訳か、毛糸玉を出して編み物をしながら隣に座る人とお喋りに忙しい、明らかに視覚障害者ではない外国人参加者もいたりして、私は呆れてしまった。
年に一度おこなわれる国際会議の中には、参加者が膨大になって、議論の場が形式的なものになったり、本来の目的を外れて、参加者同士の旧交を温める社交の場と堕しているものもあるのではないかという批判も、残念ながら必ずしも的外れではないように感じた。
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<日本財団の支援事業をテーマにしたパネル>

11時からは小ホールで開かれた、日本財団がICEVI(国際視覚障害者教育協議会)と連携し、2006年から、インドネシア、ベトナム、フィリピン、カンボジアなどアジア各国で展開している高等教育支援プロジェクトを紹介するパネルを傍聴。
昼食は、視覚障害者用のコンピューターソフトとして最近注目を集めているNVDAを開発した、オーストラリアの2人の若者、ミックとジェイミーの二人を囲んで、IDPPのディレクターのデリック教授らと昼食。
視覚障害者がコンピューターを利用するためには、画面上のデータを読み上げてくれる特殊なソフトウェアが必要となるが、これまで最も一般的に使われているJAWSというソフトは数万円と高価で、途上国の視覚障害者にとって、入手するためのコストがパソコンと並んで深刻な問題となっていた。これに対して、NVDAは無料のオープンソフト。最初にNVDAの開発を始めたミックも、途中からそれを手伝うようになったジェイミーも、自らが視覚障害者である。日本財団は、IDPPのシステムへの導入を検討するとともに、NVDAのアジアの各言語化を支援しようと考えているところである。
1116NVDA.jpg
<NVDA開発者の二人と昼食>

09時 ICEVI/WBU総会
12時半 NVDA開発者と昼食
19時 トーマス・ヌン社長
ICEVI/WBU総会に出席 [2012年11月15日(Thu)]
11月15日(木曜日)
昨日のIDPPコアグループミーティングを済ませて、今日はこのまま帰国することも一旦考えたのだが、メンバーの一人であるアメリカン大学のデリック教授がICEVI/WBU総会でIDPPについてプレゼンテーションをする、というので総会を覗くため帰国を伸ばすことにした。
今回の世界大会では、海外からの150人の参加者以外にもタイ国内から大勢の参加者があり、総勢1000人を超える大規模なものになったと聞いた。確かに、会場周辺は、白い杖をついた視覚障害者やその付き添いと思しき人々の他、政府関係者や支援団体関係者らしき様々な人々でにぎわっていた。
1115WBUICEVI.jpg
<ICEVI/WBU総会の会場>

会場となったホテルの2階には、大きな会議場と分科会を開ける小型の会議室が並んでいる。総会のメインイベントが開かれる大ホールの前には、いくつかの団体や企業がブースを出していた。このテの国際会議では良く見かける風景である。
その中に、IDPPのブースも見つけた。大きなポスターの前にはIDPPのパンフレットや日本財団のパンフレットも並んでいたが、時間がまだ早かったためか人影はまばら。ふと気になった。視覚障害者の人にこれで通じるのだろうか。
1115IDPP.jpg
<IDPPの宣伝ブースも>

お昼は会場のホテルではなく、近所のタイレストランで、日本財団の招待で今回海外での盲人連合総会に初めて参加したという若い視覚障害者のお二人と、推薦者の堀内佳美さんとで食事。日本財団の担当責任者である高橋さんやスタッフの中安君も一緒。
1114lunch.jpg
<視覚障害者学生たちと 右端は堀内さん>

午後からは、大ホールで開かれたデリックさんの出るパネルディスカッションを傍聴。1000人近く入れると思われる広い会場は、空席もあちこちにあるにはあったが、傍聴者でほぼ埋まっていた。会場正面の両側には大きなスクリーン。
これも、普通の国際会議では見慣れた風景だが、視覚障害者の会議でも使われるとは知らなかった。確かに、聴衆は視覚障害者ばかりではなく、私たちのような晴眼者も多数混じっているので当然なのかもしれないが、、、。面白いことに、視覚障害者のプレゼンテーターの多くがスクリーンをうまく使っていたのに対し、その後に続いたデリックさんはスクリーンを使わずじまい。
コンピューター専門家のデリックさんがスクリーンを使わずプレゼンをするのを見るのは初めてのことだったので、会議の後、彼にそのことを尋ねると「視覚障害者の会議なのでスクリーンを使ったプレゼンは無意味と思い用意しなかった、と残念がることしきり」
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<1000人近い参加者だった、>


08時半 ホテル出発
09時 ICEVI/WBU総会
12時半 視覚障害者学生との懇親会
18時半 内藤さん
IDPPコアメンバー会議 [2012年11月14日(Wed)]
11月14日(水曜日)  
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<IDPPコアメンバー会議 デカロさんを除くメンバーが顔を揃えた>

今日は一日、IDPP(障害者公共政策大学院)のコアグループ会議。
コアグループとは5人の創立メンバーを指す。即ち、NTID(米国国立聾理工科学院)のデカロ前学院長、アメリカン大学国際関係学院の准教授でコンピューターによる遠隔教育の専門家デリック・コグバーン博士、ICEVI(国際視覚障害者教育評議会)の前会長のラリーキャンベル博士、アジア全域の障害者問題の権威であるAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)の二ノ宮所長と私だ。
前回マドリードで開いた7月の会議に続く2回目の会議だが、元々は、マドリードでの会議の終了の際に、今後、定期的にこのメンバーで集まることで合意、次回は12月にデリックさんの出張スケジュールに合わせてローマで開くことで暫定的に合意していたのだが、その後、私の都合で11月の世界盲人連合の総会に合わせてバンコクでの開催に変更したもの。
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<タイの銀行なのに日本語の看板>

今回の世界盲人連合(WBU)総会を共催するICEVIの前会長であるラリーさんに加えて、デリック教授もプレゼンテーターとしてWBU-ICEVI総会に参加することになり、APCDはバンコクにあるので二ノ宮さんにとっても好都合だ、ということでこのタイミングでWBU-ICEVI総会の開かれる同じホテルでコアグループ会議を開くことになったのだ。急病のため欠席となったNTID(米国国立聾理工科学院)のデカロ前学院長を除く全員が顔を揃え、夕方6時頃まで終日議論、大変、密度の高い会議となった。
会場となったホテルのある場所はスクンビット地区。私は、余りこの辺りに足を伸ばすことは無いが、ここは、バンコクの中でも一番、日本人ビジネスマンとその家族が住むと言われる地区。
BTS(スカイトレイン)の駅を降りて直ぐ、大きな銀行の看板に驚く。何と、日系銀行ではなく、純粋にタイの銀行であるにも拘らず、日本語で大きく宣伝文句が書かれていたのだ。日本人専用の窓口もあります、とある。
また、駅の改札のすぐ前に古本屋。よく見ると、並べられている本は日本語の本ばかり。日本の本専門の古本屋さんだった。
1114Books.jpg
<BTS駅の前には日本の本専門の古本屋さんも>

08時 ホテル出発
09時 IDPPコアメンバー会議
18時 関係者レセプション
バンコクへ移動 [2012年11月13日(Tue)]
11月13日(火曜日) 
ハノイ出発の朝。起きてみると、のどが痛く、鼻の奥が熱く、乾いた感じ。まずい、クーラーのせいで風邪気味になったようだ。折角、ここまでは体調管理に留意し、長旅を順調に乗り切って来たというのに、すべては昨晩の蚊のせいだ。
カーテンを開いてみると、外はまっ白で何も見えない。とても濃い霧に包まれているのだ。おまけに雨もぱらついている。今日は平日。これでは、朝のラッシュは混乱しそう。空港までの所要時間がいつも以上にかかることが予想されたので、当初の予定を早めて出かけることにして、ホテルのまえからタクシーに乗り込む。
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<バンコクは真夏の世界だった>

お陰で、飛行機に乗り遅れることもなく。バンコク行きに無事搭乗。予定通り、12時過ぎにバンコクに到着。
ホテルにチェックインしてまもなく、スカイトレイン(BTS)に乗ってAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)へ。バンコクは暑い。気温は34度くらいか。涼しいハノイとは一転して、ここは真夏の世界だった。BTSを降りてAPCDまで歩くと汗だくになった。
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<クーラーなしのバスの運賃は約20円>

APCD所長の二ノ宮さんと会って、明日のIDPP(障害者公共政策大学院)事業のコアグループのミーティングに向けて、綿密な打合せ。折角、二ノ宮さんが佐野さんと一緒に作ってくれたスライドでのプレゼンテーション資料だったが、急遽、一部改訂してもらうことで合意。
帰りは、雨が降りそうだったのでBTSの駅まで歩くことは断念し、乗り合いバスに乗り込む。バス代はたったの8バーツ、20円ほどだ。バスの乗客は、殆どが下校中の中学生。制服姿は日本と同じだ。
夜は、共同通信バンコク支局の八谷支局長と一緒。
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<下校時間のバスの乗客は専ら学生たち>


07時 ホテル出発
10時30分 ハノイ発
12時20分 バンコク着
15時 ホテル出発
16時 APCD打合せ
18時半 共同通信 バンコク支局八谷支局長
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