CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2012年08月 | Main | 2012年10月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2012年09月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
帰国へ  [2012年09月24日(Mon)]
9月24日(月曜日)
いつもの便で、帰国。
さて、今回はミャンマー出張中に食べた料理の写真を紹介することにしよう。
最初の一枚は、ネピドーの町外れに昔からあったピンマナ村のミャンマー料理店で食べた典型的なミャンマースタイルの昼食から。寒村ピンマナは大きな町に大発展。町のあちこちに新しい店舗や事務所がオープン。
以前は、小奇麗な食堂は中国系の人が経営する中華レストランに限られていたが、ミャンマー料理のレストランも出現。お客さんは、ネピドーに勤める政府職員のようだ。
921lunch.jpg
<ピンマナの街で食べた昼食>

ミャンマーの伝統的な食事のスタイルは、ショーケースの中の料理を何品か選ぶと、ご飯と一緒に席にウェイトレスが運んで来てくれるというもの。南国のミャンマーでは、料理は必ずしも出来たての熱々のものでないといけないという考えはないようだ。スープ、ご飯と一緒に食べる。
写真は、ネピドーとヤンゴンを結ぶハイウェイの中間地点にある唯一のサービスエリア内の食堂で撮ったもの。ロンジーを穿いた一人の男性客が、青いシャツと赤いエプロンに身を包んだ給仕の女性達が見守る中でおかずを選んでいる。
921driveingirls.jpg
<ドライブインのランチガールズ>

このドライブインには何故か寿司コーナーがある。ガラスケースを覗いてみると、巻きずしが数種類と、生のサーモンの切れ身とカニカマを乗せた握りが並んでいた。日本酒も置いてあったが、一体誰が食べるのだろうか。食べたり買ったりしている客はこれまで見たことがないのだが、、、。
921sushi.jpg
<ドライブインには何故か寿司コーナーが>

夕食はシャン料理店で餃子を食べた。私は、日本人の口に一番合うのは油っこいミャンマー料理ではなく、タイ族に近い少数民族であるシャンの料理の方だと思うのだが、、、。この店の「売り」は焼餃子。中国で一般的な水餃子はない。いわゆる「はね」が付いた形でこんがり焼かれた餃子は、味も形も日本のものにそっくりだった。
921dinner.jpg
<夕食に食べたシャン料理店の餃子は日本のものにそっくり>

 
06時 ホテル出発
08時10分 バンコク発
16時25分 成田着
バンコク行きに危うく乗り遅れる [2012年09月23日(Sun)]
9月23日(日曜日) 
今日は、ヤンゴンでの最終日。午後の便でバンコクに移動する。
ネピドーから戻って来て以来、ミャンマー外務省の高官OBで、日本財団の仕事を手伝ってくれているエルウィンさんと打合せをする予定で、互いに連絡を取ろうとしていたのだが、通信事情が悪いためにすれ違い。漸く、今朝になって連絡がつき、昼食を一緒にとることにして、ホテルで11時半に会うことに。
一方、私は3時の飛行機にあわせて、1時にタクシーを予約。ただ、ヤンゴンでも、最近、交通ラッシュが急速に始まり、以前なら30分で済んだホテルから空港までの行程が、1時間半かかることもある。本来なら、12時に出発すべきところだが、今日は日曜日なので、1時でもギリギリ何とかなりそうというくらいの時間。躊躇する運転手に日曜日だから大丈夫と押し切った。
IMG_1350.jpg
<市内中心部に立つスーレパゴダ>

ところが、その後がいけなかった。私はエルウィンさんと話しているうちに、私の頭は混乱し、何と1時の出発を1時半と勘違いしてしまった。しかも、エルウィンさんとの話が長引き、ホテルをチェックアウトした時には1時半を過ぎてしまっていた。
そして、待っていたタクシーに乗り込んだ。車内で運転手に言われる。30分も私を待っていたんだという。そして、私の飛行機の出発時間を聞かれて、私は、ようやく自分の勘違いに気が付いた。いけない。このままでは、空港まで順調に30分で行って、チェックインがギリギリ間に合うかどうかという時間だ。
車内では二人とも黙りこくってひたすら空港を目指す。幸い、道路の混雑はほとんど無し、ミンガラドン空港には30分丁度で到着。スーツケースを引きながらチェックインカウンターへ走ると、係員が笑顔で待っていてくれた。Don't worry. You have time.と言われたので、受付終了時間を聞いてみると。あと5分でカウンターを閉めるところだという。まさに、ぎりぎりセーフ。
いつもは時間に余裕を持って空港に行くことにしているので、こんなことは初めて。慣れから来る気の緩みに注意しようと自らを戒めた一幕。

11時半 エルウィンさん
14時55分 ヤンゴン発
16時50分 バンコク着
18時半 共同通信八谷バンコク支局長
ヤンゴン・インド人街にある薬草マーケットを視察 [2012年09月22日(Sat)]
9月22日(土曜日) 
922spices.jpg
<インド人街にある薬草マーケット>

朝9時、シャン州の南部とマンダレーの国立伝統医療大学などで主に、薬草栽培について調査して昨晩遅くヤンゴン入りした日本財団の農業専門家の間遠さんとホテルのロビーで待ち合わせ。調査の成果につき聴取するとともに、今後の事業の進め方について検討。
その後、シャン州での学校建設事業を担当するNGO「セイダナー」のヤンゴン事務所責任者の和田さんも加わり、暫し、学校建設事業や薬草事業について打合せ。
その後、間遠さんの現地調査に同行して、ホテルから徒歩10分ほどのインド人街にあるヤンゴン市内最大という薬草マーケットを視察。仕事熱心な間遠さんは、盛んに薬草取扱い業者に質問を浴びせかける。比較的暇だったためか、業者の一人が嫌な顔一つせずに、細かい質問に答えてくれた。
922interview.jpg
<熱心に薬草取扱い業者に質問する>

そのあと、ホテルに戻り、経営コンサルタントでヤンゴン在住の西垣さんと昼食を取りながら、最近のミャンマービジネス事情などを話し合う。
西垣さんとの話を終えた後は、国家人権委員会のメンバーであるティンニョーさんと打合せ。オンラインによる障害者公共政策大学院(IDPP)のネットワークパートナーにミャンマー国内の大学を加える件について、教育大臣の支持を得られるよう、ミャンマー教育省の初等教育局長OBで障害者教育に詳しいティンニョーさんのアドバイスを得るのが目的。
帰国後、IDPPを説明する資料とともに、私の名前で教育大臣宛にレターを送付しておき、来月、ネピドーで教育省と協議することにする。
922fromIndia.jpg
<インドからの輸入という原料も>

夜は、国際機関や、NGOなどで働くミャンマー人の若者たちと英国植民地時代の邸宅を改造したレストランで夕食をとりながら懇談。彼らは、日本財団グループ事業の若手現地関係者を対象にしたワークショップ「BABA」と、日本財団の支援によってマニラに開設された国連平和大学のミャンマー人OBたちである。
その中に、休暇でヤンゴン訪問に立ち寄っていたというモンゴル人のエリカさんもいたのでびっくり。彼女は国連平和大学の卒業生で、卒業後は日本財団が遊牧民を対象に実施していた置き薬事業を実施するNGOである「ワンセンブルウ」に加わり、「BABA」にも参加した女性である。今も、当時のメンバーと連絡を欠かさず、今回は休暇中で、フィリピンやベトナムで当時の友人たちを訪ねた後、ここヤンゴンにやって来たばかりなのだと言う。このように、日本財団がアジアの各地で実施している若者を対象にした事業の参加者たちがこうして互いにヒューマンネットワークを活用して交遊の輪を持ち続けてくれているというのはうれしい限りである。

09時 間遠さん打合せ
10時 セダナー和田さん
11時半 薬草マーケット視察
12時 ゲンキー西垣さん面談
15時 国家人権委員会ティンニョー委員
18時半 BABA・UPeace同窓生との懇親会
義肢装具士養成学校プロジェクトを調印 [2012年09月21日(Fri)]
9月21日(金曜日) 
921sunny.jpg
<ネピドーはかんかん照りで暑かった>

今日はネピドーに行く日。保健省局長OBのティンニュント博士と日本財団のスタッフの梅村君も一緒だ。いつものように、ネピドーへは車で日帰りのため、朝4時45分にホテルを出発。途中、ヤンゴン市内のハイウェイ入口付近で警察の検問を受ける。ハイウェイの路肩にも警察車両が見える。何だろう。こんなことは初めて。
実はヤンゴン帰着後、知った話なのだが、今日は国際平和デー。19の市民団体がデモをネピドーとヤンゴンで申請したとだという。しかし、政府は双方とも却下、ネピドーへバスを仕立てて行こうとした動きを事実上、阻止したという訳だ。しかし反面、ヤンゴンでのデモは黙認する形を取った由。デモ隊は平和裡に市内を行進。警察官にまで白い花を配ったという。
ミャンマー唯一のハイウェイを時速100キロ以上のスピードでネピドーを目指す。ホテルを出発したころは真っ暗だったが、ハイウェイを走る車の中でうつらうつらしながら朝日を拝む。次第に空は青味を増し、美しい夏空が広がり始める。快晴だ。ヤンゴンと比べると中央部は降雨量が少ない、という話を思い出す。
921mtg.jpg
<国境辺境省で地方公務員研修につき協議>

ハイウェイを離れ、ネピドーへ向かう一般道に入ったのは9時過ぎ。保健省での、義肢装具士プロジェクトの調印式は午前10時。十分間に合うはずなのに、車は一般道に入ってむしろスピードアップ。ティンニュントさんによると、保健省から電話が入り、9時半までに来てほしいと連絡があったのだそうな。
無事、9時半丁度に保健省に到着。医療科学局長ら幹部が待っていてくれた。早速、基本構想に付いて合意文書を調印する。調印と言っても、今回の合意文書には具体的な計数予算は含まれておらず、極めて概念的なものだ。
にも拘らず、ここで調印する理由は、保健省内外にこのような構想が進んでいることをアピールし、既成事実化すること。カーソンさんとティンニュント博士のアイデアだ。来年1月に開校することについては保健大臣の意向は確認しているし、口頭では保健省の局長ら幹部の了解は得ているが、官僚機構は旧来の規則や慣行に縛られているので、ちょっとでも油断していると準備が停滞しかねないのが現実。
テインセイン政権が進めようとする急ピッチの改革に対して、明確な意志をもった「抵抗勢力」がブレーキをかけているというより、旧体制時に作られた規則や制度が立ちはだかり、新体制の意向とは異なり何事にも時間が掛るというのがミャンマーの現実だ。
921cloudy.jpg
<帰途、ヤンゴンに近づくにつれ空には雲が>

昼食の後は、国境辺境省に向かい、前回7月の笹川会長とテインテー大臣との面談時に当方から提案した少数民族州の地方公務員研修につき協議。今回の内閣改造で大臣は留任したのだが、国境辺境省では局長級を含む大幅な人事異動が行われ、担当者が入れ替わってしまった。一応、最小限の引き継ぎは行われているのだろうが、基本的に、総てもう一度初めからやり直しという雰囲気。やれやれ。
国境辺境省の後、情報省で副大臣に会う予定が入っていたのだが、国会の委員会に急遽、呼び出されたとかで今回は断念することに。再び、ハイウェイを飛ばし、ヤンゴンへ向かう。
行きの車の中では、まだ外気が十分熱せられていなかったため、夏空を楽しむことが出来たのだが、午後の太陽が照りつける下では気温がぐんぐん上がる。おまけに、車のクーラーの効きが悪く、車内は暑くてたまらない。
雨のヤンゴンの涼しさが懐かしいと思っていると、何と、ヤンゴンに近づくに連れて雨雲が出てきたではないか。そして、激しいスコールが始まった。
激しい雨の中を走り続け、夕方6時ころにヤンゴンに戻って来たころには雨はやんでいた。夕食は、梅村君と二人でシャン料理店で日本と同じ焼餃子を食す。
921rainy.jpg
<ついに土砂降り>

04時45分 ホテル出発
09時半 保健省医学局での調印式
10時半 保健省保健局訪問
13時 国境辺境省訪問
18時 ヤンゴン帰着
ミャンマー障害者自立運動(MILI)のワークショップに参加 [2012年09月20日(Thu)]
9月20日(木曜日) 
朝8時半、ホテルの前からタクシーを拾って、飛行場の近く、国立障害児童養護学校に向かう。ここで、今月9日から3週間の予定で開かれている、障害者の次世代リーダー養成講習会で話をするよう頼まれているからだ。
主催者は、障害者の若者が障害の枠を超えて昨年5月に結成した「ミャンマー自立生活運動(MILI)」。日本財団の全面支援で今年から始まったこのワークショップは、今後5年かけて、150人が参加する予定である。今年2回目の今回も前回同様、最北部のカチン州を含む、3つの州から5人づつ、合計15名が参加している。
920training.jpg
<MILIワークショップが行われていた>

タクシーを降りて、いくつかある教室の入り口のうち、草履が沢山脱ぎ捨ててあるドアをみつけ開けて入る。お揃いのピンクのTシャツを着た15人の研修生に向かってホワイトボードの前で、若い女性が何やら話をしている。日本語のうまいMILI幹部のうちでも一番うまいユヤトウさんだ。最後尾にいたMILIの二人の若いリーダー、視覚障害者のアウンコミンさんと肢体障害者のネイリンソーさんと暫く、話をしているうちにユヤトウさんの講義が終わったらしく、私を手招きする。
920MILIleaders.jpg
<MILI代表の二人、視覚障害者のアウンコミンさんと肢体障害者のネイリンソーさん>

自己紹介の後、私は、日本財団のミャンマーに置ける活動と、障害者支援の状況について話をした。その後、質疑応答に移る。リーダー研修に選ばれただけあって、意欲的で活発な質問が続く。15人のメンバーの多くが肢体障害者だ、聴覚障害者は二人。二人とも手話は出来ないという。ミャンマーでは聴覚障害者教育に問題があり、手話の普及が遅れていると聞いていたが本当のようだ。
私が話しをしているうちに、突然の停電。クーラーが止まったので窓を開ける。後でMILIの幹部に聞いたところによると、ヤンゴンでは、最近でも一週間に一回くらいは停電が当たり前。それでも、毎日のように停電していた数年前とくらべると、電気事情は格段に良くなったのだそうだ。
920byebye.jpg
<アウンコミンさんとユヤトウさんが見送ってくれた>

MILIワークショップの会場にティンニュントさんが、日本財団の担当者、梅村君と一緒に現れた。彼の車で、小児科で有名な私立のパラミ病院に連れていってもらい、知覚障害者などを対象にした養護学校を運営する地場民間財団であるニューワールドの幹部と土地問題について打合せ。その後、YMCA幹部が合流、昼食の後、養護学校の為の土地供与問題につき協議。
一旦、ホテルに戻り、着替えてから、道路を隔てて向かいにあるJICAへ。田中所長らと意見交換、ミャンマー情勢につき、最新の話、興味深い話を、色々聞かせて頂く。
その後、再びティンニュントさんと合流。彼の紹介で、国軍病院に軍医総監のミョーミンテイン軍医少将を訪ねる。義足配布事業での連携について色々話し合った。
夜は、日本大使館丸山公使らと食事を取りながら最新のミャンマー情勢についてお話を伺う。
920MHospital.jpg
<国軍病院に軍医総監を訪ねる>

08時半 ホテル出発
09時 MILIワークショップ
11時 ニューワールド打合せ
12時 YMCAとの協議
15時 JICA田中所長
16時半 国軍病院ミョーミンテイン軍医総監
19時 日本大使館丸山公使
駆け足の出張 今年9回目のミャンマーへ [2012年09月19日(Wed)]
9月19日(水曜日) 
今回はミャンマーだけが目的の短い出張。ミャンマーへ行くのは、今年9回目だ。
主たる行事は、義肢装具士学校プロジェクトの調印式。義肢装具士学校プロジェクトというのは、昨年終わりの笹川会長とテインセイン大統領の会談の際、日本財団が提案、大統領の賛同を得て進めることになった事業。
これまで日本財団は、同様の学校の開設事業をアジアの各地でカンボジアトラストと一緒にやって来た。今回も、カンボジアトラストのカーソンさんと一緒に、ミャンマー保健省、国立リハビリ病院などの関係者と毎月のように面談、実現に向けて準備を進めて来た。そして何とか、当初は不可能と言われた、来年1月の開校という野心的な目標の実現の目処がついた。
今回はカーソンさんは御母堂の病気でミャンマーには来れないものの、ミャンマー側の手続きを本格化させるため、保健省と我々の三者間でプロジェクトの基本構想について合意文書を交わすこととし、ネピドーでその調印式を行うことになったのだ。
また、保健省と並ぶ義足装着サービスのプロバイダーでもある国防省とも、今後の推進協力を進めるため軍医総監と面談する約束を取り付けることが出来たのも、このタイミングで出張を決めた理由の一つだ。
いつものように、バンコクで乗り換えてヤンゴンへ向かう。

10時50分 成田発
15時25分 バンコク着
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
20時 エルウィンさん
帰国へ [2012年09月08日(Sat)]
9月8日(土曜日) 
朝6時にホテルをチェックアウトして、8時の成田便に乗る。
成田に着くと、いつものNEXにぎりぎり間に合う時間。焦りながら、荷物受け取りのターンテーブルに到着。
間もなく次々と乗客のスーツケースが出て来るが、私の荷物が今日に限って現れない。「シンガポール空港で積み残し?まさか」と不審に思ううちに、時間切れ。「これでは、30分後のNEXに乗るしかないではないか」と憤ってようやく気が付いた。同じ時間に到着したバンコクからの便の荷物用のターンテーブルのところにいたのだ。
これでは、私のスーツケースが出てくるわけがない。最近、バンコクからの帰国が多いとは言え、お粗末な自分のミスに誰を責めるにも行かず、荷物を持ってすごすごと退散。
今回は、最初から、最後までケチの付きとおしの出張。それにしてもボケて来たもんだ。

06時 ホテル出発
08時10分 シンガポール発
16時25分 成田着 
シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院訪問 [2012年09月07日(Fri)]
9月7日(金曜日) 
907NNUSLKY.jpg
<シンガポール国立大学公共政策学部の入るビル>

市内、ブキティマ地区にあるシンガポール国立大学のリークアンユー公共政策学院へ。副学院長のストロースマン教授、研修教育担当副部長のビーハグさんらとミャンマーの少数民族州の地方公務員に対する研修事業について打合せ。
先月、当方から提案した企画に基づき先方が作成した研修素案に基づき、意見交換を行った。その結果、当方の指摘事項を反映した改定案を作成してもらい、今月中旬の私のミャンマー訪問時に、それをもとに、ミャンマー政府と協議し、その結果をフィードバックすることで合意。
907NUSinstitutes.jpg
<南アジア研究センターの入るビル>

その後、同じ敷地内に隣接するビルの中にある南アジア研究センターに旧知のジョンソン副所長を訪問。ミャンマー情勢、スリン事務局長退任後のASEANの見通しなどについて、ジョンソンさんの意見を聴取。
ジョンソンさんとの面談を終えて、シンガポール国立大学からの帰り道、ついに、雨が降り出す。今日は朝から雲行きが怪しいので傘を持って出かけたのだが、これまで何とか持ちこたえていたのだ。本格的に降り出した雨の中を、ホテルに戻る。何とか濡れずに済んだ。
夜は、前回に引き続き、NHKの吉岡支局長と夕食。リークアンユー公共政策学院留学中の、須田記者も加わって大変有益な話を聞かせて頂くことが出来た。
907Singapore.jpg
<夕方になって雨が降り出した>

13時半 シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院訪問
15時半 シンガポール国立大学南アジア研究センター訪問
18時半 NHKシンガポール支局吉岡支局長
ジャカルタ義肢装具師養成校(JSPO)の卒業式に参列 [2012年09月06日(Thu)]
9月6日(木曜日) 
今日は、日本財団が3年前に始めたジャカルタ義肢装具師養成校(JSPO)の初めての卒業式、ということで久しぶりにジャカルタを訪れたのだが、今日の式典は、JSPOが所属するジャカルタ第一医療ポリテクニック(三年制の医療高等専門学校)全体の卒業式なのであった。
ジャカルタ義肢装具師養成校(JSPO)は、この医療高等専門学校の第4番目の学部として設置されている。今回は、看護学部、助産学部、歯科技工学部と一緒、高専全体で174人の卒業式となった。このうち、義肢装具学科(JSPO)の卒業生は27人。
906ceremony.jpg
<174人の卒業生のための式典が始まった>

実は、JSPO一学年の定員は15名なのだが、第1期生の入学が、手続きの遅れから半年以上遅れてしまい、数か月遅れで2期生が入学する、という事態になった。そこで、今回は、数か月前に3年間の課程を終えたばかりの1期生と、丁度いま、卒業する2期生をまとめて、二学年分の学生が同時に卒業式をすることになったもの。
式典は何と3時間にも及ぶものであったが、温かい雰囲気で心のこもった素敵な卒業式であった。ひとつ、印象に残ったのは、神に感謝の祈りを捧げるという宗教的な部分が含まれていたのだが、大多数を占めるイスラム教だけではなく、カトリック、プロテスタント、とヒンズー教の聖職者も招き、順番に生徒達のお祈りを主宰してもらったこと。このうち、カトリックとヒンズー教は生徒が一人ずつに過ぎなかったのだが、ちゃんと個別にお祈りをあげる時間を与えられていたのには感心。
906ritual.jpg
<4つの宗教毎に別々にお祈りを捧げる>

卒業式を終えて集合写真を撮った後、我々はJSPOへ。事務室で、教務主任を務めるデンマーク人女性のリサさんらのスタッフと取り寄せてもらったお弁当を食べながら打ち合わせ。その後、2時からは、インドネシア政府保健省幹部や、医療高専の役員らを交えて、JSPO国際諮問委員会が開かれた。主なテーマは、27人の卒業生の今後の進路のこと。
大半は、政府系の病院などへの就職が決まっている。国立の教育機関なので卒業生には数年間は国内での就職が義務付けられている由。ただ、今後、卒業生はミャンマーでの義肢装具配布事業での応援など、研修を兼ねた海外での就職の可能性も大きい。そこで、一定期間の後の帰国を条件に、海外での就業を例外的に認めてもらうことになった。
906IAB.jpg
<JSPO国際諮問委員会で議論>

アジア全体でWHOの認める国際水準の義肢装具士学校は8つ。このうち、日本財団の支援によって作られた義肢装具士学校は5つ。現在、6つ目の学校をミャンマーで設立準備中だ。
アジア全体の義肢装具士のニーズは3000人以上。これに対し、現在は有資格者は200人以下しかいないという。JSPOの今回の卒業生たちは、これからインドネシアのみならず、アジアでの義肢装具の質と量の向上に大きな貢献をしてくれるに違いない。
国際諮問会議を終えて、私は空港へ。今回の出張の最後の訪問地、シンガポールへ移動せねばならない。深夜11時、シンガポール・スキポール空港に到着。タクシーでホテルに向かった。

08時00分 ホテル出発
09時 ジャカルタ第1医療高専卒業式
13時 ジャカルタ義肢装具士学校(JSPO)幹部との打合せ
14時 JSPO国際諮問会議
16時半 ホテル出発
20時25分 ジャカルタ発
23時00分 シンガポール着
タイ生薬博覧会を視察 [2012年09月05日(Wed)]
9月5日(水曜日)
905IMPACT.jpg
<HerbExpoが開かれたのは広大な見本市会場IMPACT>

今朝は、珍しく晴れ上がり、青空が広がった。
ホテルの前からタクシーでバンコクの北方ノンタブリ県にある総合展示場IMPACTへ。昨日のタクシー同様、後部座席ではシートベルトが使えない状況で、一時間も高速道路を100キロ以上のスピードで飛ばすので落ち着かない。
見本市会場のIMPACTには到着しても、会場が余りにも広く、平行して他の行事も行われているので、Herbal Expoの場所がなかなか分からない。
やっとのことで、中嶋君たちと合流。カンボジアの伝統医療師学校で頑張ってくれている針灸師の高田さんを始め、私も知っている人たちの懐かしい顔が見える。今日から行われるメコン諸国伝統医療ワークショップに参加するため来訪したカンボジア保健省の伝統医療関係者たちだ。
このHerbal Expoは今年で9回目。3日間の会期に30万人の来場を予想しているという。一般の人が来るには少々不便な会場ではないかと思うのだが、一旦入場してしまえば、無料でサンプルも貰えるし、専門家からのアドバイスも貰えるからと、庶民に人気なのだとか。
905HerbExpo.jpg
<HerbExpoの見物客は一般庶民>

今年の特別テーマは医療マッサージ。仕掛けたのは、保健省の伝統医療局の伝統医療研究所副所長のアンチャリーさん。日本財団の伝統医療関連の事業でいつもお世話になっている、とても信頼のできる専門家だ。
タイは、東南アジアの中ではシンガポールに次いで近代医学の進んだ国で、特に、豪華な専門設備を備えた私立病院は中近東などからのお金持ちに人気だ。タイ政府は、近年は近代医学だけでなく、伝統医学の復活にも力を入れており、生薬の生産が盛んだが、それ以上にユニークなのは伝統医学理論に基づく医療マッサージ。整備された国家資格のある東南アジア唯一の国である。
ただ、その国家資格も医学教育のカリキュラムは無理として視覚障害者には取得の道が事実上閉ざされていた。そこで、日本財団がタイ保健省にもちかけ、日本から専門家を派遣することで視覚障害者にも医療マッサージ資格取得の道を開くことを提案、一昨年前から、タイ保健省と提携して、盲人用医療マッサージ資格研修の講師に対する研修を始めている。
そんなことで、アンチャリーさんから今年のHerbal Expoを是非見るように言われていたのだ。905massage.jpg
<今年の特別テーマは伝統医療マッサージ>

見本市会場内のレストランで昼食の後、私は一人彼らと別れホテルに。チェックアウトして空港へ急ぐ。本日のうちにジャカルタに移動しておかねばならないからだ。
空港のビルに入ったとたんスコールが始まった。
晴れ男の私も、南方の雨期シーズンばかりはどうしようもないが、相変わらず、移動中に雨が降っていても目的地に着くとやんだり、車に乗ったり、ビルに入ったとたん雨が降ったり、というラッキーなパターン。この数か月の雨季のアジアへの出張中も、持参した傘を殆ど使わない毎日が続いている。
905Rain.jpg
<空港に着いたとたんスコール>

スワンナプーム空港に飾られた皇太子の肖像写真に送られてジャカルタへ。スカルノ・ハッタ空港には、前回同様、入国ビザの長い行列が出来ていた。今回は夜の到着なので大丈夫かも、考えていたのだが、自分の判断の甘さに大反省するも後の祭り。何と1時間も足止めを食う。
空港にはカンボジアトラスト代表のカーソンさんが迎えに来てくれていた。車の中で明日の卒業式と国際諮問委員会に向けて、ブリーフィングを受ける。
905Prince.jpg
<バンコクの空港に飾られた皇太子の肖像写真>

09時 ホテル出発
10時半 Herbal Expo博覧会
13時半 ホテル出発
17時10分 バンコク発
20時35分 ジャカルタ着
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI