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大野修一(日本財団)
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台風15号を避けて中国内陸上空を経て帰国 [2012年08月25日(Sat)]
8月25日(土曜日) 
朝6時にホテルをチェックアウトし、空港に向かう。週末の早朝なので、道路はスイスイ、あっという間に空港についてしまう。
空港のアクセス道路に面した壁一面に、これでもかとばかりにプミボン国王の巨大な写真が続く。タイ特有の光景だ。この国の人たちの国王に対する敬愛の念には大変なものがある。
ところが、今年84歳の国王は、このところ、病気がち。つい先月も脳内出血が報じられたばかり。今も、マヒドン大学のシルラート医学付属病院に入院されたまま。
0825king.jpg
<空港正面の巨大な国王肖像写真>

タイの国民統合の象徴というより、一般庶民には特別の存在として崇拝されている国王に、万一のことがあった後のタイがどうなるのか心配だ。
空港の中に入ってみると、皇太子の巨大肖像写真を発見。これまでは国王の写真が飾られていた筈の場所だ。皇太子の肖像写真がこのような形で飾られているのを見たのは初めての経験。色々と物議を醸したことのある皇太子も既に60歳とか。すっかり、貫禄もついてこられたようで、今年に入って、皇太子の肖像が描かれた記念紙幣も発行されたそうだ。
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<裏側に皇太子の肖像が描かれた100バーツ紙幣>

バンコク空港を飛び立った飛行機は、いつもの洋上のルートに代えて、中国本土上空へ大きく迂回し始めた。超大型の台風がフィリピン近海に居座っているため、それを避ける形で桂林、武漢、上海上空を経由する西寄りのルートにしたと、機長によるアナウンス。そのために若干余計な時間がかかるが、到着時間の遅れは大きくない見込みとか。
確か、国交回復前は中国上空は飛べなかった筈。このような迂回ルートを自由に飛べるようになったのは国交回復のお陰。しかし、尖閣列島問題での中国政府の刺々しい対応を見ていると、将来は、日本の飛行機だけが領空通過を拒否されるようになるのかも、との妄想が頭をよぎる。くれぐれも、感情的な愛国心の応酬が、レアアースの禁輸のように、具体的な政策面での報復行為のエスカレーションに繋がるのだけは避けたいものだ。
0825map.jpg
<超大型の台風15号を避けて大回り>

飛行機の窓の外は普段だと、雲の上なので青空が広がっているのだが、今日は、いつまで経っても白くもやが濃く掛かった状態。飛行機の高度を確認すると確かに1万メートル以上で巡航中。こんな高空にまで雲がかかるとは流石に大型のようだ。
上海上空を超えて、東シナ海上空に出たところで、漸くもやが切れて、青空が見えた。まもなく、降下が始まる。2週間の長い出張も、漸く終わりだ。
0825sky.jpg
<高度一万メートルの高空にまで達した雲>

06時 ホテル出発
08時10分 バンコク発
16時25分 成田着 
バンコクに舞い戻る 今日もエアポートレールリンク [2012年08月24日(Fri)]
8月24日(金曜日) 
ヤンゴンからバンコクに舞い戻る。夕方の交通ラッシュに巻き込まれないよう、今日もエアポートレールリンクを利用。国際旅客にとっては問題の多い欠陥電車なのだが、問題を把握した上で、軽装で乗る分には安くて速いのが魅力。
ただ、今回試しに、パヤタイ急行を使ってみようかとも考えてはみたものの断念。その理由は以下の通り。
先ず、運転間隔の長さの問題と時刻表が整備されていないという問題がある。各駅停車のシティラインが10分間隔であるのに対し、途中のマカサン駅までしか行かない「マカサン急行」は40分に一本。一方、終点のパヤタイ駅までノンストップの「パヤタイ急行」は30分に一本。
しかも、乗車口にも、切符売り場にも、出発時刻を示す時刻表がない。(後日、パヤタイ急行は毎時00分と30分の運行なのだと聞いたが、空港駅にはそのような案内板は出てなかったように思う)ただ、改札口付近の電動掲示板に「マカサン急行は20分後」とあるのみ。
これでは、パヤタイまで行こうとする私のような乗客は、次のパヤタイ急行を待った方が良いのか、それともパヤタイ終点のシティーラインに乗った方が良いのか、さっぱりわからない。今回も、欧米人の若者グループがガイドブックを片手に思案顔。助けてあげようかとも考えたがこちらもよくわかっていないので断念。
それにしても、国際空港地下の出発駅だというのに、説明掲示も殆どない上、駅員も周りには見当たらない。何とも不親切きわまりない。これなら、10分に一本の各停「シティーライン」を待った方が確実だ。第一、急行料金は2倍の90バーツもする。馬鹿馬鹿しくなって急行に乗るのは辞め、各停乗り場に。
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<特に説明もなく2種類の急行の切符の自動販売機が並ぶ>

08時 中嶋君打合せ
12時半 ホテル出発
14時55分 ヤンゴン発
16時50分 バンコク着
19時 フジテレビ江藤支局長
障害者公共政策大学院のコグバーン教授と一緒に、再び、MILI本部へ [2012年08月23日(Thu)]
8月23日(木曜日)
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<ミャンマーILIの本部事務所の入り口>

午前9時半、部屋に電話がかかって来た。出てみると、アメリカン大学のデリック教授がロビーからかけているのだった。今朝、バンコクからヤンゴンにやって来て、ミャンマー教育省の元初等教育局長らと一緒に10時半にこのホテルで会うことにしていたのだが、もう、到着したのだと言う。
早速、ロビーに降りて行き二人で待っていると、約束の時間にティンニュント博士が一人で現れた。少し遅れて、元初等教育局長のティンニョーさんが現れた。ミャンマー人にしては珍しく、サングラスをしている。不思議に思って聞いてみると、おしゃれではなく、白内障の手術直後で医師に勧められたのだという。
先月、ニューワールド養護学校の建設資金寄付式典で紹介された際、彼にIDPP(障害者公共政策大学院)の話をしたところ、大変興味を思ってくれ、ミャンマーでのパートナー大学捜しでの協力を約束してくれたのだ。
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<ミャンマーILIでIDPPについて説明するデリック教授>

午後2時半、デリック教授と一緒に、ミャンマーILI本部を訪問。障害者公共政策大学院の制度や入学手続きに着いて詳しく説明。障害当事者の間にIDPPに関する情報を広めてもらうよう依頼。
そのまま、空港に向かうというデッリクさんと分かれ、ホテルに戻って来ると、建物の南と北の端にいつもライフル銃を構えて対峙している警備の兵士の姿が目に留まった。最近でこそ、あまり無くなったが、暫く前までは反政府勢力が仕掛けたと見られる爆弾の爆発騒ぎが頻発していたことを思い出す。そう言えば、爆発でけが人が出た現場はこの直ぐ近く。また、5年前の2007年9月、カメラマンの長井さんがデモを取材中に銃撃を受けて死亡した現場も、目と鼻の先なのだ。
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<ホテルの建物の南と北の端には、ライフル銃を構えた兵士が警備>

夕方、カンボジアトラストCOカーソンさんと会い、食事を一緒に取りながら、義肢装具士学校プロジェクトについて打合せ。官僚機構の手続きの壁に遮られて、思ったより手間取っているようだが、来年の1月の開校という超野心的な目標に向かって何とか進んでいるようだ。
今日は、朝から晴天続き。珍しく雨の無い一日だった。

10時半 教育省元初等教育局長ティンニョー氏面談
12時半 アメリカン大学デリック教授
14時半 ミャンマーILI訪問
18時半 カンボジアトラストCOカーソンさん
今日もスコールがヤンゴンの街を襲う [2012年08月22日(Wed)]
8月22日(水曜日)
0822suika.jpg
<何故か「すいか」と名付けられた衣料品店があった>

今日は、午前中特に予定がなく時間があったので、久しぶりに街歩きをすることにしてヤンゴン中央駅の辺りまで散歩。ヤンゴン中央駅は、ネピドーのあるピンマナを経由して、中央部の古都マンダレーまで伸びるミャンマー国鉄の大動脈の起点であるだけでなく、ヤンゴン環状線の中心駅でもある。
ミャンマーの鉄道も老朽化が深刻で、最近になってようやく、マンダレー・ヤンゴン間の幹線の高速化や、ヤンゴン環状線の近代化の話が浮上。日本企業が中心になって支援の取り組みが始まったところである。
ヤンゴン環状線は45キロ、東京の山手線の35キロより少し長い区間だが、スピードが遅いので何と一周を3時間近い時間をかけてのんびり走るのだという。それでも、乗ってさえいれば始発駅に戻ってくれるので安心だ。
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<プラットホームに人だかりしていると思ったら、列車が入って来た>

一度乗ってみようと思うのだが、問題は2時間に一本という運転間隔(途中までの列車ならもっと頻繁にあるようだが)。今回もそこまでの時間的余裕はないので乗るのは諦め、線路をまたぐ陸橋から駅の写真を撮る。
大変オープンな駅の構造である。駅の敷地内であるにも拘らず、線路脇には物売りの露天が店開き。プラットホームに意外に大勢の人だかりしていると思ったら、列車が入って来た。
中央駅の前にはサッカースタジアムがあり、それを囲むように商店が並んでいる。
ミャンマーはサッカーが盛んでプロのチームからなるナショナルリーグまであるのだそうだ。
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<プロのフットボールチームの看板がかかるサッカースタジアム入り口>

そう言えば、以前読んだTrouser Peopleという本によると、ミャンマーが英国の植民地であった当時、ミャンマー人が英国人に対する鬱憤を堂々と晴らせる唯一の機会としてサッカーの英緬対抗戦は大変な人気だったのだとか。
商店街のそこかしこに大きな金属製の箱が置かれていた。停電に備えたディーゼル発電機であった。ヤンゴン市内の中心部でも、停電が頻繁に起きる。商店はこうして自衛しているのだ。
新政権にとって電力事情の改善は、最優先課題の一つであり、数ヶ月前にも日本政府が緊急対策としてディーゼル発電機の供与を発表したばかりである。
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<商店の前には大きな非常用発電機が>

その後、スタジアム傍のスーパーを覗いたりしていたが、雲行きが怪しくなって来た。急いで、ホテルに帰って一息ついていると、雷鳴が轟いたと思ったら、ついに土砂降りのスコールが始まった。
これほどの雨になると、傘をさしても役に立たない。犬さえも雨宿り。人通りの耐えた通りを車が水しぶきを散らして通り抜ける。
昼休み、マッサージクリニック「ゲンキー」を経営するビジネスコンサルタント、西垣さんの紹介で、初めてジャパンハート代表の吉岡医師に会うことが出来た。視覚障害者のための、マッサージ指導事業や、ミャンマー最北部の少数民族州、カチンでの取り組みなどについて意見交換。
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<野良犬(?)も軒先で雨宿り>

午後2時、ホテルの前からタクシーを捕まえて、一人、ミャンマー独立生活運動(MILI)のオフィスへ。久しぶりにMILIの4人の幹部全員が揃って待っていてくれた。来年と再来年に開催予定の障害者芸術祭の準備状況や、明日、責任者のデリック教授がやって来るIDPPなどについて打合せ。 アウンコミンさんとネイロンソーさんの二人は、明日はネピドーで国会議員と会って、国会で現在審議中の「障害者基本法」に関するヒアリングに臨む由。新政権は、法律の制定に当たっては、障害者に限らず当事者の意見の聴取を積極的に行っているようだ。尤も、そのために法案の成立に予想以上の時間がかかっているようだが。これも、民主化では不可避のコストである。

12時 ジャパンハート吉岡代表、ゲンキー西垣さん
14時半 ミャンマー独立生活運動(MILI)にて打合せ
18時半 日本大使館丸山公使、JICA田中所長
ヤンゴン第一日 [2012年08月21日(Tue)]
8月21日(火曜日)
ヤンゴン第一日目。
朝起きた時には雨は降っていなかったが、ホテルの部屋から外を見ると雨雲が立ちこめていた。そして、間もなく雨が降り出した。激しいスコールは困りものだが、雨の時期は厳しい暑さが避けられるのはありがたい。
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<朝のヤンゴン市内 早くも雨の気配>

約束は9時だった筈なのだが、何故か9時半になって、ティンニュント博士がホテルにやって来た。打合せの後、ミャンマー医師会へ。カレン族の住むカイン州やモン州で間もなく開始されるモバイルクリニック事業についての最終的な打合せ。林医師と彼の助手のフレディーさんも一緒。
その後、別のホテルで、ミャンマー出張を終えてバンコクに戻るところ、という共同通信の八谷バンコク支局長と会い、食事をとりながら情報交換。
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<ニューワールドの下校時間 父兄が集まっていた>

一旦ホテルに戻って、再び、ティンニュント博士と一緒に、今度は「ニューワールド」へ。自閉症児やダウン症児などを対象にした私立の養護学校である。日本財団に寄託された遺贈金1億5千万を使っての新校舎建設に関する土地取得問題、建設工事の施工管理体制について協議。
また、新校舎の設計図を決定する前に、日本の養護学校を訪問し、施設を視察出来るよう学校幹部を日本に招待することを約束。
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<ニューワールドには日本のメーカーが寄付>

ニューワールドの事務局の壁には日本の乳児用粉ミルクメーカーの和光堂のカレンダーが掛かっていた。不思議に思って訪ねると、乳児用食品など物的な支援をしてくれているのだという。
夜は、モバイルクリニックを手伝ってもらっている林医師と彼の助手のフレディーさん、中嶋君とで食事。

09時半 テインニュント博士打合せ
10時 ミャンマー医師会訪問
12時 共同通信八谷バンコク支局長
14時半 私立の養護学校「ニューワールド」訪問
18時半 林医師
ビエンチャンからバンコク経由でヤンゴンへ [2012年08月20日(Mon)]
8月20日(月曜日) 
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<エクスパッタナ・マイクロファイナンス社を訪問>

プノンペンのマルハンジャパンバンクの大西頭取のご紹介で、同社ビエンチャン駐在員事務所の中村所長がホテルに尋ねて来てくれ、一緒に朝食を取りながらマイクロファイナンスなどについて意見交換。
その後、ホテルでタクシーを呼んでもらって、ラオスのマイクロファイナンスの最大手、エクスパッタナ・マイクロファイナンス社を訪問。ラオスのマイクロファイナンス事情について事情聴取するため。バンコクのAPCD主催のインクルーシブファイナンスの会議で知り合ったチャンタさんに会う。
彼の上司で同社副会長のソンポーンさんを紹介してもらい、3人で話す。同社は、ラオスという社会主義国であるにもかかわらず、何と純粋の民間企業。国際機関の現地スタッフであった彼らが誘いあって、8年前にマイクロファイナンス専門機関として設立。苦労の末、今では、8つの支店・出張所、75人のスタッフを抱え、9000の預金口座を持つというラオスのマイクロファイナンス最大手に成長したもの。
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<エクスパッタナ・マイクロファイナンス社の創業者のお二人>

エクスパッタナ社での話を終え、ホテルに送ってもらい、チェックアウト。久しぶりのビエンチャン行きを十分楽しむ間もなく、空港へ急ぐ。今回、初めて泊まったこのホテルは、市内中心からは少し離れたところにあるものの、小奇麗で感じの良いホテルだった。
ビエンチャン空港での待ち時間を利用して、出国手続きのカウンターの前にある食堂で昼食を取ることに。
何と日本語の小さな幟がいくつも壁に掛かっているではないか。「ありがとうございました」、「うどん」、「そば」、「日本酒」、そして「牛丼」の文字も。確かに、メニューを開いてみると「牛丼セット」があったので、興味を惹かれて注文。見かけは少し異なるが、確かに牛肉を甘辛く煮たどんぶりではあった。
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<ビエンチャン空港の食堂で牛丼もどきを食べた>

バンコクで2時間弱の待ち合わせで、ヤンゴン行きに乗り込む。
飛行機は300人乗りのエアバス。以前は、ビエンチャン線と同様の小型機であった筈だが、最近のミャンマー訪問客の急増にあわせて大型機を投入したということか。
ヤンゴンに到着。着陸して見ると、雨こそ降っていなかったが、滑走路は濡れていた。ここも、今は雨期だ。
ホテルのロビーで元外務省の局長のエルウィンさんと打合せをしていると、日本財団の薬草事業担当の中嶋君たちとばったり。カレン族のいるカイン州にとっくに行っている筈が、大雨のために延期を余儀なくされたのだという。急遽、明日は私に同行してくれることになった。
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<ビエンチャンのホテルは小さいが素敵なホテルだった>

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<ホテルの中庭には大きな池が>

8時 マルハンジャパンバンク中村ビエンチャン駐在員事務所長
10時 エクスパッタナ・マイクロファイナンス訪問
12時 ホテル出発
13時50分 ビエンチャン発
14時55分 バンコク着
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
20時 エルウィンさん
不思議な乗り物、エアポートリンク [2012年08月19日(Sun)]
8月19日(日曜日)
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<パヤタイ駅から空港直行の急行が出るようにはなったが、、、>

今日は日曜日なのだが、APCDに出向している日本財団職員の間遠さんにホテルまで来てもらって、打合せ。その後、丸紅タイランドの内藤副社長と会って、ミャンマーの建設事業について協議。私は、これからラオス経由でミャンマーに入り、現地で関係者と打合せを行うことになっている。そのため、彼から話を聞いておく必要があったのだ。
関連の資料をもらうため、丸紅の事務所に行く。久しぶりの丸紅タイランドの事務所は、日曜日であるため無人。静まり返っていた。内藤さんにホテルまで車で送ってもらい、直ちにチェックアウト。空港へ。
ビエンチャン経由でヤンゴンに行くのだが、今回も、バンコクに戻って来るのでスーツケースはバンコクに置いたままなので軽装。従って、いつものようにBTSとエアポートリンクの電車を乗り継ぐルート。
0819plan.jpg
<車内の路線図には運行開始から1年以上たった今も、パヤタイ急行の表示は無い>

それにしても、エアポートリンクの急行は不思議な乗り物である。何故か、開業当初は急行列車は終点のパヤタイまでは行かず、二つ手前のマカサン駅までのノンストップ運行。それも、マカサンでパヤタイ行きに乗り継ごうとしても一旦、プラットホームを出る必要があるというもの。ようやく、最近になって、パヤタイ駅からも空港直行の急行が出るようになった(あきれたことに、電車内の路線図は以前のままで、未だ表示無し)のだが、こちらは、マカサン駅には止まらない。
逆に言うと、空港駅からは、従来からのマカサン止まりの急行と、新設のパヤタイまでノンストップの急行の2種類の急行が運行されるようになった。なぜ、単純にマカサン行きの急行をパヤタイまで延伸しなかったのか不思議でならない。
2本立てにした結果、マカサンまでの人はパヤタイ急行は利用出来ないことになった。しかも、運転間隔は長くなり、パヤタイ急行の運転間隔は30分。マカサン急行に至っては40分おき(だそうだ)、と不便になった。
0819ticketoffice.jpg
<急行と各停に分けられたパヤタイ駅の切符窓口にも発車時間の表示はない>

問題は、始発駅には電車の発車時刻表がないため、次の急行がどこ行きでいつ発車するのか、各駅停車とどちらが先の発車、到着になるのかも分からないという不便きわまりないシステムになっていること。
また、空港利用客のための電車なら、当然、大きな荷物を持った人のためにエレベーターの設置が常識だと思うが、パヤタイ駅の場合は小さなものがプラットフォームのマカサン側の端に一機だけ。エスカレーターは上りのみ。一体何を考えているのやら、と憤りを感じる利用客は私だけではあるまい。
運賃は各駅停車で45バーツに対し、急行だと2倍の90バーツ。所要時間は急行が約20分、各駅停車は約30分だが、各停の強みは運転間隔が10分と頻繁なこと。だから、私は専ら各停を利用することにしている。ただ、各駅停車の難点は込み合うこと。特に、朝夕のラッシュは乗り降りも大変。

09時 間遠氏 
12時 丸紅タイランド内藤副社長
15時15分 ホテル出発
19時50分 バンコク発
21時00分 ビエンチャン着
カンボジア教育省とBBCとの共同事業につき相談 [2012年08月18日(Sat)]
8月18日(土曜日)
プノンペン滞在の最終日。ホテルでの朝食は、昨年のチャリティーコンサートでお世話になった英国人のチップさんと。彼は、今仕事で韓国のソウルとプノンペンとの間を週一回往復する毎日とか。
久しぶりに会った彼との会話は、音楽のみならず、彼が手伝っているという、特殊なミミズが作り出す有機肥料を活用した農業から、ミャンマー事情まで様々な話題で弾んだ。特に今は、ミャンマーに興味があるとかで、日本財団が取り組んでいるミャンマーでの事業について熱心に耳を傾けてくれた。 
0818View.jpg
<早朝のプノンペン市内も美しい>

チップさんと入れ違いに、教育省のバンナ次長がやって来た。ラジオを使った英語教育放送事業に関連して意見交換。今年4月にイムセティ教育大臣と合意した国際会議の開催時期について協議。先ずは、国内会議を優先することで合意。また、ミャンマーの教育省関係者を現場視察に招待することについても賛同を得ることが出来た。
昼食は日本人商工会事務局の木村さんと一緒。その後、急いでホテルをチェックアウト。今日のうちにバンコクに戻らねばならない。明日、日曜日の便でバンコクからラオスに入るのだ。3時半の飛行機に乗るため空港へ急ぐ。
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<プノンペンのホテルではドリアンだけでなくマンゴスチンの持ち込みも禁止>

空港へ向かう車の窓の外に、建設中の新しい高層建築物が見えた。読売新聞アジア版に掲載されていた記事によると、カンボジアでの日系企業の登録数は、10年の11社から、昨年は86社に急増したという。外国企業から見て、カンボジアの魅力はASEAN10カ国の中でも抜きん出て安定した政治と、高度成長が続く経済であろう。ここ数年、カンボジアへの直接投資が急増している。
しかし、ここに来て、ミャンマーが門戸開放したことで、今後はその優位性も揺らぐのではなかろうか。人口比で4倍。勤勉で優秀、しかも、人件費はカンボジアの水準さえ下回るのだから。
0818Buildings.jpg
<またまた、新しい高層建築物が、、、>

定刻の、午後4時前にバンコクに到着。月曜ににバンコクに着いた時と同様の時刻だ。
荷物が少ないので、今回も早くて安いエアポートレールリンクの電車を利用。軽装ならやはり便利。
空港駅は地下なので最初はわからなかったが、空港駅を発車して間もなく、電車が地上を走るようになってみると、月曜ににバンコクに着いた時と同様、外は大変なスコールだった。土砂降りの中を電車が走る。強い日差しを遮断するため、窓の外には無数の穴が開いた金属板が張られているのだが、そこに水滴が張り付き、電車の中からは外は全く見えない。
夜は、毎日新聞春日アジア総局長と。ミャンマーが話題の中心。

09時 チップさん
10時半 カンボジア教育省 バンナ次長
12時 日本人商工会事務局 木村さん
13時半 ホテル出発
15時40分 プノンペン発
16時50分 バンコク着
19時 毎日新聞春日アジア総局長
マルハンジャパンバンクに大西頭取を訪ねる [2012年08月17日(Fri)]
8月17日(金曜日)
朝8時。ホテルに、BBCワールドサービストラストのフィンさんがやって来る。ESCを通じて日本財団がカンボジアの僻地の3つの州の中学校で実施している、ラジオ放送を使った英語教育プログラムのBBC側の担当者だ。ESCの北野事務局長も加わり、ホテルのレストランで朝食。ミャンマーでの同種事業の実施に向けた意見交換。
その後、私は彼らと別れ、一人で、マルハンジャパンバンクへ。マルハンは日本ではパチンコで有名だが、カンボジアへは銀行として進出、マイクロファイナンスに積極的に取り組むなどユニークな事業を行っている。同社の顧問を務める篠原大使にに紹介をしていただき、私は今回、初めて大西頭取に面会。マイクロファイナンスを中心に、大変興味深いお話を伺うことが出来た。
0817maruhan.jpg
<清潔感漂うマルハンジャパンバンクの窓口>

午後からは、再び、北野さんと合流。カンボジア義肢装具士学校(CSPO)へ。初めてのお子さんを出産したばかりのシサリー校長が我々を出迎えてくれた。彼女は、18年ほど前に始まったCSPOの第一期の卒業生。大変優秀で、卒業後も義肢装具士の講師として学校に残り、その後、イギリスの大学院などを卒業し、このほどついに、母校の校長に就任したのだ。
彼女は、第二期生のご主人とおしどり教員として活躍してくれているのだが、このほど第一子が誕生、つい最近まで出産休暇を取っていたので、今回も会うのは無理と諦めていた。ところが、今日は何と赤ちゃんを連れてわざわざ出て来てくれたのだった。
0817CSPO.jpg
<カンボジア義肢装具士学校(CSPO)訪問>

CSPOの建設を請け負ってくれた丸紅泰国会社の内藤副社長と一緒に、学校内を巡回。暫く前に患者の運搬用に日本財団が寄贈した四輪駆動車が2台到着していた。無税通関の手続きに手間取り、ようやく引き取ることが出来たとシサリーさんもうれしそう。
日本財団のロゴが大きく横腹に描かれた車両には黒いパイプが煙突のように縦についている。日本では見ることのないものだ。これは、カンボジアの僻地の水はけの悪い悪路でも、エンジンの排気口から水が入ることを防ぐためのものだ。
0817Vehicle.jpg
<CSPOに寄贈された四輪駆動車が届いていた>

CSPO訪問の後は、北野さんを案内して、聴覚障害者支援事業を行っているデフ・デベロップメント・プログラムの事務所へ。カトリックの神父のチャーリーさんが長年にわたって指導者として活躍してくれている。
この度、聾の若者の職業訓練事業として理髪のコースを始めることになったそうで、事務所の直ぐ脇にバーバーショップが出来ていた。訓練のために通行人に無料で散髪サービスをすることになっているのだそうだ。
0817DDP.jpg
<デフ・デベロップメント・プログラムが運営する無料のバーバーショップ>

08時 BBCワールドサービストラスト・フィン氏
10時 マルハンジャパンバンク大西頭取
12時 マルハンジャパンバンク昼食会
15時半 カンボジア義肢装具士学校(CSPO)訪問
17時 デフ・デベロップメント・プログラム(DDP)訪問
19時 日本人幹部との夕食会
カンボジア盲人協会(ABC)へブンマオ事務局長を訪ねる [2012年08月16日(Thu)]
8月16日(木曜日)
今日は、カンボジアへ行く日。またバンコクに戻って来るので、スーツケースはホテルに残し、機内持ち込み用のキャリーバッグだけの軽装。
BTS(スカイトレイン)の最寄り駅まではホテルからわずか3分。パヤタイ駅でエアポートレールリンクの電車に乗り換える。
空港まで直行の急行電車の運行が始まっているのだが、普通電車の45バーツに対し、90バーツと割高な上、運転間隔が長いなど使いにくいことこの上ない。急行は無視して、各駅停車で空港へ。
プノンペンについてみると、何と、ESCの北野事務局長が出迎えに来てくれていた。いつもの運転手のソルヤ君の運転する車に乗り込み、二人一緒に、ホテルへ向かう。
0816bridge.jpg
<プノンペンに最近完成したばかりの陸橋 お陰で、市内への交通はスムーズ>

途中から、雨が降り出した。何と、プノンペンでは、雨期にも拘らず昨日まで晴天が続いており、久しぶりの慈雨なのだそうな。雨は瞬く間に土砂降り状態。バンコクでおなじみのスコールだ。つい、数ヶ月まえに就任してもらったばかりの北野事務局長は初めてのスコールに、びっくり。
今回のプノンペン行きは、彼に日本財団の在カンボジア事業の関係者を紹介するのが目的の一つなので、ホテルに荷物を置いてすぐ、雨の中を早速出かけることに。
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<激しい雨が視界を遮る>

先ずは、カンボジア盲人協会(ABC)へ。事務局長のブンマオさんを紹介。ついでに、バンコクのAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)やFAO(国連食料農業機関)アジア太平洋事務局と共同で始まった障害者の農業実態調査に説明し、彼の理解と支援を求め、快諾を得る。
夜は、北野事務局長に、丸紅プノンペン事務所の岩竹所長、内藤泰国会社副社長を加えたメンバーで夕食。
0816crossing.jpg
<激しい雨に道路もあっという間に冠水>

12時00分 ホテル出発
13時40分 バンコク発
14時50分 プノンペン着
17時 カンボジア盲人協会(ABC)ブンマオ事務局長
19時 丸紅プノンペン事務所岩竹所長
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