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大野修一(日本財団)
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一人、シンガポールへ 真夜中の両替所は開いていた [2012年07月31日(Tue)]
7月31日(火曜日)
いよいよ、今回の会長出張の最終日になった。今日は、朝一番に在タイ日本大使館から岡田公使にお出いただき会長と面談いただいた他は、すべて、在バンコクマスコミ各社との個別会長インタビューに宛て、最後は、日系メディア関係者との夕食懇談会という段取り。
会長一行は明日朝の便で帰国する。ただ、ここまでずっと笹川会長に付き添い、素晴らしい英語の通訳を務めてくれていた平野さんのみは、ミャンマーに舞い戻り、笹川平和財団が助成している英語通訳助成事業でレクチャーするために別行動。
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<真夜中のシンガポール到着>

また、私もシンガポールに一日だけ立ち寄り、シンガポール国立大学でミャンマーで予定しているエクゼクティブセミナー事業の打合せなどを行うことになっている。そのためには、今夜の最終便に乗らねばならない。日系メディア関係者との夕食懇談会の冒頭に顔を出しただけで、スワンナプーム国際空港へ。
夜9時発の飛行機に乗り、シンガポールへ。シンガポール到着は深夜の午前零時半。タクシー代用の小銭もなかったので、空港の両替所で日本円を滋賀ポールドルに替える。
こんな時間でもシンガポールなら、前回のハノイのようなことはなく、両替所は開いている筈とは思っていたが、確かに、両替所は当たり前のごとく、開いていた。
タクシーで市内のホテルに到着。自分の部屋に入ったのは丁度1時15分。さすが、シンガポール、すべてが迅速、機能的だ。
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<さすが、シンガポール 夜中過ぎでも両替所は開いていた>

08時半 駐タイ日本大使館岡田公使
10時 The NationTV会長インタビュー
11時  International Herald Tribune会長インタビュー
12時 共同通信会長インタビュー 
13時 日経新聞会長インタビュー
15時 朝日新聞会長インタビュー
17時 読売新聞会長インタビュー
18時半 在バンコク日系マスコミ関係者との懇談会
18時45分 ホテル出発
21時00分 バンコク発
00時25分 シンガポール着
バンコクへ移動 ASEANスリン事務局長と夕食 [2012年07月30日(Mon)]
7月30日(月曜日) 
一週間にもわたるミャンマーミッションが漸く最終日を迎えた。今日は、ホテル内のレストランの一室を借りて、ミャンマーのテレビや新聞、雑誌など多様なマスコミを招いての記者会見。
笹川会長の「ミャンマー少数民族福祉向上大使」というユニークなポストへの関心が高かったためか、国営テレビ局であるMRTVのミャンマー語と英語の二つのチャンネルからのクルーを始めとするミャンマーのマスコミ各社は勿論、日系メディアの各主要紙や、ロイーターやAPなどの国際的に著名な通信社など、全部で16ものマスコミ社が参加してくれたので盛況であった。
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<ヤンゴンでマスコミ各社を集めての記者会見>

記者会見の後も、地元紙やテレビなどが個別に会長とのインタビューを求めて順番待ち。そんな訳で、笹川会長はなかなか解放されない。我々一行は、今日の午後の便でバンコクに移動することになっている。漸くの思いで、昼食を取り、午後2時、ホテルをチェックアウトして空港へ。
今回の日本財団ミッションは様々な行事を詰め込んだので、大変忙しかったが、大勢の要人らに会うことが出来、極めて充実した訪問であった。
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<ヤンゴン市内のラッシュアワーを避けて空港へ急ぐ>

今日の夜は、笹川会長は、親しい間柄のASEAN事務局長のスリン博士から、バンコクで夕食会に招待されている。夕食の始まる時間を、8時と少し遅めに設定してもらってはいたのだが、ヤンゴンを出発する便の予定時間は午後4時半過ぎ。バンコク行きの便の到着予定時刻は午後6時半なので、夕食の始まる8時までには余り時間がない。万一、飛行機の到着が遅れたりバンコク市内のラッシュが予想以上だったりすると遅れてしまう危険が小さくない。
何とか、飛行機だけは予定通りに飛んでほしいと、祈るような気持ちで待っていた我々に齎されたのは、非情にも飛行機が遅れる見通しとのこと、早速、スリンさんの補佐官であるラジャさんにメールを送り、遅れるかもしれないと連絡したり、焦ったが、結局飛行機の遅れは30分ほどでヤンゴンを出発。
バンコク空港からは、荷物の回収は中嶋君らにまかせ、私は会長に同行、通訳の平野さんを交えた三人でスリンさんの待つ別のホテルのレストランに急いだ。結局、約束の8時ギリギリに滑り込みセーフ。
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<ASEANスリン事務局長と談笑する笹川会長>

10時 記者会見 
11時 地元マスコミ個別会長インタビュー
12時半 前ミャンマータイムズ社長ロスダンクリー氏
14時 ホテル出発
16時40分 ヤンゴン発
18時35分 バンコク着
20時 ASEANスリン事務局長
特殊教育校ニューワールドへの遺贈寄付式典 [2012年07月29日(Sun)]
7月29日(日曜日) 
ヤンゴンに戻って来ての日曜日。8時半にホテルを出発して、ミャンマー医師会へ。医師会館内にある講堂で開かれる、自閉症やダウン症など障害児のための特殊教育校ニューワールドの新校舎建設のための遺贈寄付金の引き渡し式典に臨むためだ。
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<医師会館には、既に200人くらいの人が集まっていた>

私は、今年の2月、ティンニュント博士に連れられて、ヤンゴン市内にある有名な私立小児科病院であるパラミット病院の敷地内にあるニューワールドを訪問している。ここは、自閉症やダウン症などの子供たちのための養護学校として、病院長のテインアウン博士らミャンマー医師会の有志が中心になって設立した療養訓練センター。ところが、手狭になったことから、移転を計画していた。
ティンニュント博士は、ボランテイアメンバーの一人で、移転のための資金調達につき相談を受けたのだが、その後、YMCAが市内一等地にある700坪の土地の提供を申し出、一挙に夢が現実に向かって動き出すところとなった。そこで、1-2億円と想定される新校舎建設のための資金を得るため、日本の企業などからの寄付金探しを依頼されたのだ。
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<寄付の経緯について説明する笹川会長>

心当たりの企業を数社当たってみたりしたのだが、金額が金額だけにうまく行かず、一旦はあきらめかけた。ところが、ある老婦人が遺言で、日本財団に1億5000万円ものお金を寄付してくれており、その条件が「アジアの恵まれない子供たちのために使ってほしい」というものであることが判明。
既に担当部署がいろんな候補案の比較検討を始めていたのだが、ニューワールドの新校舎建設の話を説明したところ、最も遺言の対象案件として相応しいということになり、一転して、寄付が実現することになったのだ。
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<スピーチに耳を傾ける父兄たち>

笹川会長の挨拶の後、子供たちや先生と一緒に記念撮影。その後、笹川会長はミャンマーの野党の幹部と会う渡辺先生と合流するため退席。私は残って、ミャンマーの民族衣装に身を包んだ子供たちが舞台で披露してくれる可愛い舞踊や歌を鑑賞した。
子供たちは無邪気に踊り歌うだけだったが、子供たちの様子を舞台の前に出てカメラやビデオに収めようとする父兄らしき大人たちの姿が印象に残った。そして、その何人かは式典が終わった後、我々のところに来て、有り難うありがとうと何度も握手を求めた。きっと、間もなく、素晴らしい校舎が出来ることであろう。
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<子供たちや先生たちと記念撮影>

式典の後は、ミャンマー医師会のメンバーとモバイルクリニック事業についての打合せ。その後、野党指導者との面談を終えた笹川会長が合流。そして、ニューワールドやミャンマー医師会の幹部たちとの昼食会。
その後は、ティンニュント博士が紹介してくれたティンリン退役軍医中佐と会い、国防省義肢装具配布事業についてアドバイスを求めた。そして、午後5時からは、現地の雑誌の笹川会長会長インタビューに同席。夕方6時半からは、ホテルの向かいのビルにある展望レストランで、日本財団グループの奨学金事業などの関係者との夕食会に臨んだ。
今日は、日曜日であったにもかかわらず、行事が目白押しで、朝から夜まで時間に追われる結構忙しい一日であった。

08時半 ホテル出発
09時 特殊教育校The New world寄付式典
10時 ミャンマー医師会プロジェクト打合せ
13時 The New world主催昼食会
14時 国防省義肢装具配布事業打合せ
17時 The Voice 会長インタビュー
18時半 日本財団関係者夕食会
スーチー女史面談組と別れ、空路ヤンゴンへ [2012年07月28日(Sat)]
7月28日(土曜日) 
朝方やんでいた雨が再び激しく降り出した。笹川会長ら4名はスーチーさんに会うためネピドーに残ることになったので、急遽、ヤンゴンから呼び寄せた車が着いた。運転手は、今朝未明にヤンゴンを出発して来たのだという。早速、スーチーさんの家を下見し、道順を覚えておいてもらう。
午前11時半、私と中嶋君は渡辺先生らとホテルを出発。空港に向かう。帰りの飛行機は欧州ATR社製のターボプロップ機。少し、予定時間より遅れたものの1時間ほどのフライトで予定通りヤンゴンへ帰着。
夜は、渡辺日本ミャンマー協会会長主催のウインアウン商工会議所会頭との夕食会に、アウンサンシーチーさんとの面談のためにネピドーに残った笹川日本財団会長の代理として出席。
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<ヤンゴン空港の国内線ターミナル>

11時半 ホテル出発
13時30分 ネピドー発
14時30分 ヤンゴン着
19時 ウインアウン商工会議所会頭夕食会
MILIのメンバーと一緒に社会福祉大臣と面談 [2012年07月27日(Fri)]
7月27日(金曜日)
今日はネピドー滞在3日目。今日も朝から雨。しかも時々、雨脚が激しくなる。
突然、明日のフライトの出発時間が大幅に繰り上がり、夕方4時の出発時間が午後1時になったと連絡が入る。幸い明日は土曜日、特に予定も入れていなかったので実害はなかったが、フライトスケジュールがこんなに不安定では、空路でのネピドー行きは考えものだと話し合う。
今日の面談者第一号は、鉄道大臣。彼は工業大臣とともに、大統領から少数民族との和解交渉の大役をおおせつかっている人物だ。しかし、今回は少数民族問題での議論より、老朽化しているミャンマーの鉄道の近代化の話が中心になった。
その次は、社会福祉大臣。主たる話題は、ミャンマーがASEANサミットの議長国 となる2014年に開催を計画している、ミャンマーでASEAN障害芸術家フェスィテバルの件。
これを担当するのが昨年5月に若手障害者が立ち上げたNGOである「ミャンマー自立生活運動(MILI)」。今回の大臣との面談には彼らにも同席してもらい、直接、大臣に対しこのプログラムの狙いや準備状況などを報告してもらうことを企画したのだ。面談の日時が最後まで決まらず心配したが、幸い今日の10時に面談が実現するのに併せてMILI代表の盲人アウンコミンさんら3人の若者がヤンゴンから駆けつけてくれた。そして、彼の説明に真剣に耳を傾けてくれた大臣は、このフェスィテバルに対する社会福祉省としての支持と協力を約束してくれたのだ。
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<社会福祉大臣と面談する笹川会長>

社会福祉大臣との面談を終えて次に向かったのは、国会議事堂。ギネスブックも公認の世界最大規模のものである。
現在は国会が開催中。スーチーさんも初めての欧州訪問から帰国して、国会の論戦に加わっている由。国会議員が国会を欠席する場合は、書面で許可を願い出る必要があるそうだ。日本とは違って、国会は一年のうち8ヶ月も開催されるというから大変だ。
しかし、構内に入って見ても広すぎて殆ど人に会うこともない。漸く、大きなビルの前に車が何台も止まり人が出入りしている様子が見える。これが本会議ビルのようだ。丁度お昼休みの時間なので休憩に入ったというところか。
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<会期中の国会ビルへ>

我々の車はさらに進んで、あるビルの前で止まった。同じデザインで同じような大きさのビルが沢山あるので、よくわからないが、ここが国会保健委員会のビルなのであろう。通された会議室に、笹川会長とは大変長い付き合いの前保健大臣、チョウミン委員長が姿を現した。
大使就任の挨拶。今後の取り組み方針などを説明し、国会としての支援を要請。チョウミン博士からは支援と励ましの言葉をもらう。
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<前保健大臣のチョーミンさんを訪問>

午後からは、保健省。前日の大統領との面談の際にも同席してくれていたペーテッキン保健大臣と会い、改めて、置き薬の全国配布計画など日本財団が保健省と取り組んでいる諸事業に着いて意見交換。
そして、最後が外務大臣。笹川会長にとって、外務大臣と会うのは、ミャンマーで会うのは昨年12月以来だが、その間、東京では何回も会っているので、今回は、特に議論したい問題があった訳ではないが、「大使」として会うのは初めてなので、改めて日本財団としての方針などを説明した。
これで今回、面談した大臣の総数は、昨日の大統領との懇談に同席していた大統領府担当大臣も含めると全部で10人。
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<外務大臣と面談>

夕方、スーチーさんの秘書から連絡が入る。笹川会長から少数民族福祉向上大使としての就任などの件でお目にかかりたいと伝えてあったのことに対する返事だった。明日、土曜日の午後なら30分ほど時間が取れる、とのことであった。しかし、明日は夕方の筈だったフライトの出発時間が大幅に繰り上がり、お昼前にはホテルを出て空港に向かわねばならない。今となってみると、飛行機の出発時間の変更は実害がないどころか、大有りだったのだ。
結局、笹川会長ら数名は昼過ぎの飛行機でヤンゴンに戻るのを中止し、スーチーさんとの面談の後、陸路で戻ることにし、私と中嶋君は渡辺先生らと当初の予定通り飛行機で早めにヤンゴンに戻ることになった。

08時45分 アウンミン鉄道大臣
10時 アウンチー社会福祉大臣
12時 チョウミン国会保健委員長
14時 ペーテッキン保健大臣
17時 ワナマウンルウィン外務大臣
19時 テウーUSDP幹事長主催夕食会
テインセイン大統領表敬に同席 [2012年07月26日(Thu)]
7月26日(木曜日)
ネピドー2日目、木曜日の今日は、今回のネピドー訪問の最大の目的でもあるテインセイン大統領との面談。実は、木曜日というのは、大統領主宰のもと、全大臣が出席して行われる定例閣議の日だそうで、閣議自体は午後一杯を使って行われるのだが、午前中は、そのための準備の各種会議や打合せに当てられる、という。
そのため、一般に、木曜日に大統領や大臣との面談をセットするのは無理、と聞いていた。ところが、今回、早い段階で大統領との面談が木曜日に設定されていた。時間は午前10時から。しかもナピドーに着いてみると、大統領との面談の前に何と、早朝8時から農業大臣との面談がセットされていたのでびっくり。
朝7時半にホテルを出発、農業省に向かう。大臣室に入って間もなく農業大臣が商業大臣を伴って入って来た。日本財団として、笹川会長の「少数民族福祉向上大使」就任に伴い、今後は一層、少数民族対策に注力すること、その力点を、教育、医療、農業の三分野に置くことを説明。
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<農業大臣との面談には商業大臣も同席>

農業省での会議を終えて、一旦ホテルに戻り、車列を整えて大統領官邸に向かう。官邸に入るのは昨年12月以来。今回は少し余裕が出来、廻りを改めて見まわし絢爛豪華さに改めて感心させられる。
大統領謁見室に入ってみると、大統領の横にはNATALA大臣、なにやら分厚い報告書を示す大臣とそれを覗きこむ大統領。最後尾で入室した私にも、大統領の発言を翻訳する通訳官の声が聞こえた。大統領は、笹川会長の方に歩み寄り、「日本財団の学校建設事業はこれでお仕舞にせず、是非続けてほしい」。これに対し、笹川会長「やめません。継続することが決まっています」と応じた。
大変友好的なムードで始まった会議は1時間45分もの長きにわたった。もともとは、大統領府からは、午後に閣議を控えており、大統領の時間がないので、長くても、最大45分にとどめるよう強いお達しが届いていたが、今回のフライングは明らかに大統領によるもの。大変上機嫌で議論がはずんだためだ。
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<大統領と挨拶する笹川会長一行>

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<日本財団の活動計画について説明>

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<1時間45分の面談を終えて記念撮影>

大統領との面談の後、急いで国防省に向かい、フラミン国防大臣と面談。ロヒンジャー族との対立から暴動が発生したラカイン州の治安状況などについて、治安維持の責任者としての立場からの説明を聞く。日本財団はラカイン州でも学校建設事業の開始に向けて準備を進めているのである。
面談を終えてホテルに戻り昼食。
昼食の後、2時からは私と中嶋君は、ホテルに尋ねて来てくれた保健省伝統医療局のアウンミン局長と彼の前任者で今は我々のアドバイザーを務めてくれているティンニュント博士と、置き薬事業について協議。大統領からの指示を受けての、カイン州、モン州での全村配置、ラカインでの学校と連携しての保健教育事業の進め方など、打合せの内容が多かったので、協議を終えた時には、4時近くになっていた。
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<MRTVミャンマー国営放送本部を訪問>

すぐさま、待機してくれていた外務省OBのエルウィンさんと一緒にワゴン車に乗り、情報省傘下のミャンマー国営放送局本部へ。先々週、福村芳一さんの指揮するミャンマー国立オーケストラのクラシック演奏のテレビ収録が行われたコンサートホールを訪ねるためである。
ただ、ネピドー市内にあるとばかり思い込んでいたミャンマー国営放送局本部は、何と、ネピドーから車で一時間もかかる場所にあったのだ。
我々を出迎えてくれた、情報局の部長に真っ先に私が聞いたのは、なぜこんな片田舎にここまで巨大な本部を作ったのかということ。ところが、私の質問に対する部長の回答は「わかりません」というものであった。
テレビ放送のDVDをもらって、ホールを覗いたりしていると、もう5時半。帰らないといけない時間だ。6時半からは渡辺先生主催の夕食会に笹川会長と招待されているのだ。主賓は、与党USDPのテウー幹事長ら政権幹部。遅れる訳には行かない。
大慌てで戻り、会場となるホテル内のレストランに5分遅れで駆け込んだ。
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<MRTV本部の大ホール>

07時半 ホテル出発
08時 ミンライン農業大臣、ウィンミン商業大臣
10時 テインセイン大統領
12時 フラミン国防大臣
14時 アウンミン保健省伝統医療局長
16時 MRTV本部訪問
18時半 テウーUSDP幹事長
初めてのネピドー新空港 [2012年07月25日(Wed)]
7月25日(水曜日)
朝6時に、ホテルを出発。ネピドーへむかうべくヤンゴン空港の国内線ターミナルへ。昨年末、ネピドーに新空港が開港したことは知っていたが、最近ではネピドーに行きは、専らハイウエイ経由。航空路でのネピドー行きは本当に久しぶりで、新空港を利用するのは初めてだ。
ネピドー国際空港とは言うけれど、未だ定期便は無いという。最大都市ヤンゴンとの間のフライトも一日一本のみ。早朝にヤンゴンを出発して、お昼前後にネピドーを発ってヤンゴンに午後早々に戻る一便だけなので、不便極まりない。そこでハイウェイ開通後は、いつも4-5時間掛けて車でネピドーとの間を往復してたのだ。
しかし、今回は、笹川会長が外務大臣より委嘱された「ミャンマー少数民族福祉向上大使」としての「公務」で、日本ミャンマー協会会長の渡辺先生とご一緒であったので、初めて空路を使うことになった。
飛行機はオランダのフォッカー社製のジェット機。通路を挟んで左に3席、右に2席の構成である。フォッカー社は確か、90年代末に倒産して今は存在しない筈。整備は別会社に引き継がれたので問題はないのだろうが、、、。
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<VIP棟から新空港を望む>

今回、ネピドーでも、ヤンゴン同様、貴賓室を使わせてもらったので、残念ながら、一般のフロアーなど空港の全容を見ることは出来なかったが、確かに、ネピドー市内に向かう際に遠望した空港ビルはびっくりするほど大規模なものであった。
ミャンマー政府の英字機関紙New Light of Myanmarの記事(昨年12月20日付)によると、新空港ターミナルの広さは、66万平方フィートで、旧首都であるヤンゴンの空港や第2位の都市マンダレー国際空港を5割方上回り同国最大の大きさだ。この空港の建設資金のかなりの部分は中国政府からの借款で賄われたといわれている。
しかし、国際空港とは言うものの、なぜか国際線は未就航とのこと。また、ヤンゴンからの定期便も一日一便のみと活用されていると言うには程遠いのが現状のようだ。
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<ネピドー新空港ビルを望む しかし、国際空港としての活用はまだ>

空港を後にして、一旦、今回宿泊する予定のホテルに立ち寄ったが、チェックインは後回しにして、工業省に急行、渡辺日本ミャンマー協会会長、笹川会長の工業大臣との面談に陪席。工業大臣は鉄道大臣とともに、テインセイン大統領から少数民族武装グループとの和解交渉の担当を任されている。そこで、少数民族福祉向上大使としての笹川会長との面談を申し入れた訳だ。日本財団としての少数民族地域への支援の取組方針を説明したところ、議論好きな大臣と見えて、活動の具体的な中身にまで及ぶ議論となった。
しかし、その後は、ヤンゴン郊外に建設予定のテイラワ工業団地の話が中心課題。大変力の入ったデイスカッションが続き、会見は二時間半にも及んだ。
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<ソーテイン工業大臣と面談する笹川会長>

工業省の後、急いでホテルに戻りチェックイン。昼食を済ませると今度は情報省に向かった。日本財団が行っている『私たちが薦める100冊プロジェクト』の贈呈式に参列するため。
この事業は、2008年度から始まったもので、日本に関する英文図書を100冊厳選し、海外の研究機関や図書館などに寄贈する事業である。従来の図書寄贈事業が主に日本研究の促進を目的に行われ、その寄贈図書も、日本関連の教科書や学術書に重点を置いている傾向があるのに対し、本事業では、日本研究を特に専門としないオピニオン・リーダーや知識層を対象に、現代日本をよりよく理解する材料として、優れた著作を厳選し、カタログを作成し、個人や公共図書館、文化団体などから希望図書を募り、寄贈するというもの。http://japancenter.jica.go.jp/articles/100.html具体的には、政治・国際関係、経済・ビジネス、社会・文化、文学、歴史の様々な分野で傑出した日本に関する英文書籍を100点選び、図書の概要や書評を入れたカタログを作成しました。これを個人・団体に広く配布した上で、希望者に対して図書を個別に寄贈する。今回、ミャンマー情報省からネピドーにある本省内の資料室とヤンゴンの中央図書館から寄贈の要請が届いたことから引き渡し式を行うことにしたもの。 
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<情報省で英文図書の寄贈式>

情報省の後は、国境地域・産業開発省へ。ミャンマー語の正式なタイトルが余りにも長い名前なので頭文字をとってNATALA省と呼ばれるこの省は、少数民族が居住する7つの州をの問題を包括的に担当する。日本財団は、10年前に始めたシャン州での学校建設事業を通じて、NATALA省とは大変親密な関係にある。日本財団に非常に友好的なこの大臣とは昨年12月に会って以来の再会。笹川会長の今般の少数民族福祉向上大使就任の挨拶の後、日本財団としての今後の取り組みについて意見交換。会議は非常に和やかなムードに終始した。

06時 ホテル出発
07時 ヤンゴン発
08時 ネピドー着
09時 ソーテイン工業大臣
13時 情報省図書寄贈記念式典
16時 テインテー国境地域・産業開発大臣
18時半 夕食
笹川会長らと合流 [2012年07月24日(Tue)]
7月24日(火曜日) 
今日は、三菱商事ヤンゴン支店を訪問。ミャンマーにおけるCSR(Corporate Social Responsibility)事業について意見交換。どこの商社でも、最近は、予想外の民主化の進展を受けて、ミャンマーへの進出の可能性を探り始めた日本企業などからの来客が急増しており、応対にてんやわんやのようである。
お昼は、シャン州での学校建設を担当しているNGOである「セダナー」のヤンゴン事務所の和田さん、スーさんに来てもらい、ホテル内のレストランで一緒に食事。今年になってからと言うもの毎月のようにヤンゴンに来ていながら、お二人に会うのは昨年12月以来、初めて。日本財団のミャンマー事業の取り組みの現状などにつき説明するとともに、ミャンマーの現状につき意見交換。
その後、一旦ホテルの部屋に戻り、メールと格闘。ネピドーと比べるとまだマシとはいえ、ヤンゴンでインターネットを利用するには、苦労が付き纏う。
その内に、窓の外で雨音が激しくなったのに気付く。外の景色が霞むほどの雨脚で、歩道を歩く人影も見えない。熱帯特有のスコールだ。これから、ヤンゴンに到着する予定の笹川会長一行の乗った飛行機の到着が遅れなければ良いのだが、、、。
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<強い雨脚にかすむヤンゴン市内>

しかし、空港へ一行を迎えるためにホテルを出る頃には、雨はすっかり上がっていた。この頃は渋滞が心配なので早めに出発しようと考えていたのだが、テインニュント博士は一向に動じる様子はない。
果たして、空港に着いてみると、タイ訪問から帰国するテインセイン大統領を乗せた特別機が入ったとかで、警官が多数出て交通規制の真っ最中。我々の車も止められてしまい、構内に入ることが出来ない。気が気でないがが仕方ない。
暫く待たされた後、ようやく、規制が解除になる。慌てて、空港内に入ったのは笹川会長一行の到着の直前。ぎりぎりセーフで胸を撫で下ろす。
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<このごろでは道路の渋滞は珍しくなくなった>

空港から私と会長のみは在ヤンゴン日本大使館へ直行。日本ミャンマー協会の渡辺会長と一緒に斉藤大使主催の夕食会に臨む。日本から出張中の外務省、経済産業省の幹部らも一緒だ。
テインセイン大統領と昵懇の渡辺会長とは、明日からはネピドーにご一緒し、大統領などミャンマー政府要人との面談に同席させていただくことになっている。
食事の後、東京から用意して来た資料に基づき、私から、日本財団としての少数民族地域対策事業の取り組み方針などにつき説明。
723gal.jpg
<面白いロゴを見つけた 何故かJALならぬGAL 鶴の頭もちょっと違う>

09時 三菱商事ヤンゴン支店訪問
12時 セダナーヤンゴン事務所和田さん
17時半 ホテル出発
19時半 斉藤大使主催夕食会
ミャンマー医師会で打合せ [2012年07月23日(Mon)]
7月23日(月曜日)
9時半、ホテルのロビーで、ティンニュント医師と落ちあう。彼は、ミャンマー保健省の前伝統医療局長、今は我々の事業をアドバイザーとして献身的に支えてくれている。簡単な打ち合わせの後、カンボジアトラストのカーソン専務理事、日本財団職員の中嶋君も加えた4人でミャンマー医師会へ。
道路が空いていたので、予定時間より大分早く医師会に着いたのだが、いつもの会議室では、会長のチョウミンナイン博士を始めとする幹部が顔を揃えて、我々を待っていてくれた。
早速、現在計画中の少数民族を対象にしたモバイルクリニックプロジェクトについて打ち合わせ。
先方は、カレン州とシャン州を対象にした事業計画を準備してくれていたが、ミャンマー政府の要請を踏まえて、カレン州を最優先することを要請。先方の了解を得た。
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<ミャンマー医師会でモバイルクリニックにつき議論>

協議の後、場所を市内のレストランに移して、医師会幹部全員と昼食。
コロニアルスタイルの建物で、とても雰囲気のあるレストランだが、今回のメニューはミャンマー料理。ここでは、洋食や中華のメニューもあったようだが、ミャンマー料理を出してくれる改まった雰囲気のレストランは稀なので、ここは貴重。なぜか、ミャンマーではこれまで、高級なレストランとなると、フランス料理やイタリア料理、あるいは、中華料理か日本料理、といったように外国料理専門であることが殆ど。ミャンマー料理を所望しても、地元の人ばかりが利用する極めてカジュアルな店しかなく、ミャンマー人自身が困惑していたものだが、これからはこんな店も増えて来ることだろう。
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<コロニアルスタイルのレストランで昼食>

午後からは、カンボジアトラストのカーソンさんに、VNAHのカバントラン代表とハノイ事務所長のハイさんを加えて打合せ。VNAHは、日本財団などの支援により、ベトナムで地雷などの犠牲者に対する義足配布事業を行なっているNGOである。
彼らは、ミャンマー国防省からの要請を受けてミャンマーでの義足配布事業を検討している。今回は、国防省関係の病院における義肢義足装着サービスの現状に関して話を聞くとともに、今後の連携に着いて話し合った。日本財団としても保健省傘下のクリニックだけでなく、国防省関連の施設でも義肢義足装着サービスの拡大に向けた支援を行っていく方針である。
その後、カーソンさんと一緒に、丸紅ヤンゴン支店を訪問し、義肢装具師養成校の開設に伴う改修工事のことなどを相談した。
今日は、一日中、雨が降ったり止んだり。
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<今日は、一日中、雨が降ったり止んだり>

09時半 ティンニュント博士打合せ
10時 ミャンマー医師会訪問
13時半 VNAHカバントラン代表打合せ
16時 丸紅ヤンゴン支店訪問
19時 カンボジアトラスト専務理事 カーソンさん
今年、 7回目のミャンマー行き [2012年07月22日(Sun)]
7月22日(日曜日)
スペインから戻り、一週間空けて、今日からミャンマー。
ミャンマーへは、今年に入ってこれで7回目。今回のミャンマー行きは、玄葉外務大臣より笹川会長が「ミャンマー少数民族福祉向上大使」に任命されたのに伴うもの。テインセイン大統領を始めとする、ミャンマー政府要人らに日本財団としての取り組み方針を説明するとともに、先方の要望を確認することなどを主たる目的として、約一週間の行程をセットした。ただ、私と、日本財団で置き薬事業を始めとする多くのミャンマー案件を担当する中嶋君の二人は、会長一行より二日前にミャンマー入りし、いくつかの仕事を片付けておくこととした。
午後6時。中嶋君と一緒に、ヤンゴン空港に降り立った。ミャンマーは今は雨期のまっただ中。気温は30度ほどで過ごしやすい。ホテル差し向かいの車に乗り込む。雨はやんでいたが、どんよりとした曇り空。ラッシュアワーは過ぎていたのか、車は幸い渋滞に巻き込まれることなく、順調にヤンゴン市内を走り抜け、いつものホテルにチェックイン。
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<このホテルには4階と13階は存在しない>

我々二人が投宿したホテルは、香港系。前から気になっていたのは、ホテルの階数のこと。このホテルには4階は存在しない。日本語と同じように、中国語でも「四」は「死」に通じるので4の字を嫌い、3階の次は5階だ。そこまでは中国などのホテルではよくあることなのだが、ただ、このホテルが面白いのは、キリスト教徒が嫌う「13」階も存在しないこと。
といっても、12階の次が14階になるのではなく、その間に「A」というフロアーがある。この階には、国連機関の事務所が入居している。思うに、もともとは13階があったのだが、西洋人が嫌うので、国際機関の専用オフィスフロアーとして貸し出す際に、「13階」を「Aフロアー」にしてしまったのだろう。最近の、国際機関やNGO関係者のミャンマー詣での盛行ぶりを反映して、やたらとエレベーターで「Aフロアー」のボタンを押す人の多いこと。

10時50分 成田発
15時25分 バンコク着
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
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