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大野修一(日本財団)
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丸一日会議漬けの土曜日 [2012年06月30日(Sat)]
6月30日(土曜日)
ナイロビのホテルにチェックインした後、眠ろうとするがいつまで経っても眠れない。成田・パリでも、パリ・ナイロビ間でも、飛行機の中ではずっと寝ていたので、現地時間では夜になっていても眠くならないのだ。日本時間との時差は6時間。
結局、3時頃になってやっと少しばかり眠ったと思って時計を見ると、まだ4時だった。日本時間の午前10時だ。結局、その後は、睡眠出来ないまま朝を迎えた。
外が明るくなったので、窓を開けると目の前にゴルフ場が広がっていた。緑の芝生が眩しい。数人の宿泊客とおぼしき人影が、こんな時間からゴルフをやっていたのにはびっくり。確かに、このホテルの名前は、ウインザー・ホテル・ゴルフリゾート。今日は土曜日なのであった。
0630Golf.jpg
<早朝からゴルフをやっていた>

8時に指定された会議場に着くと、ケニア人のチェアウーマンであるルースさんやプロジェクトの現場の総責任者でタンザニア出身のジュリアナさん、チャド人で日本人を奥さんに持つデオラさんや、笹川アフリカ協会の宮本常務理事らが集まっていた。間もなく、スイス人のジャンさんやアメリカ人のジョンさんが姿を現し、理事会がスタート。
冒頭に、昨年の理事会の直後に亡くなったクリスさんを悼み黙祷。そうだ、前回の理事会には賑やかなクリスさんがいたのだ、としんみり。
その後は、いつものように現状報告、予算の確認、人事の承認など次々と、議題が挙げられ審議が進む。クリスさんがいた時には彼の該博な知識と、それを踏まえた、時に、饒舌すぎる彼の発言には舌を巻いたり、時には、うんざりさせられたりしたものだ。彼のいない笹川アフリカ協会などあり得ないと誰もが思っていた筈だが、今は、彼がいないことが当然のように審議が進む。それを見ていると寂しくなった。彼がいなくなった今は、多少は議事進行が早くなるかもと期待したが、ジャンさんが空白を埋めるかのように饒舌になっていたので、かかった時間はあまり変わらなかった。終了は5時半。
0630Mtg.jpg
<9時間半に及んだSAA理事会>

理事会の後、デオラさんや宮本さん、ジャンさんとプールサイドのカフェで一休み。しかし、私には夕食を取るまでの時間はなく、ホテルをチェックアウト。7時には、SAA東京事務局の仲本さんが手配してくれたタクシーにジャンさん、ジョンさんと三人で乗り込み空港へ。仲本さんは、宮本さん、ルースさん、ジュリアナさんらと夜遅い便でナイジェリアに向かうのだという。
一方、7時出発組は、ジャンさんはチューリヒ、ジョンさんはロッテルダム、私はパリと飛行機も航空会社もばらばらなので、飛行場に着いたところで、お別れ。
私は10時45分出発の夜行便でパリに向かった。
0630garden.jpg
<美しい庭園 治安問題を抱える国とは思えない静けさ>

8時-17時半 笹川アフリカ協会執行理事会
19時 ホテル出発
22時45分 ナイロビ発
1泊4日のアフリカ行き [2012年06月29日(Fri)]
6月29日(金曜日)
0629ParisDawn.jpg
<夜明けのパリに着いた>
前回の出張から中4日空けただけで、再び出張。6月3回目の出張だ。今度は、深夜の羽田空港から、パリ経由ケニヤのナイロビへ。笹川アフリカ協会の執行理事会に出席するため。そう、私もここの理事を兼ねているのだ。
自宅から近いので自宅からタクシーで羽田空港へ向かう。金曜日の出発ではあるが、実質的には木曜日の夜、仕事を終えて財団から戻り、夕食をとって間もなく、空港へ。前回の出張時にもらった風邪が治りきっておらず、鼻をぐずぐず言わせながら飛行機に乗る。
到着時のパリは19度、雨が降ったりやんだりの曇り空。風邪は洟から咳に移ったようだ。
久しぶりのパリだが、空港の中だけ。5時間ほどの乗り継ぎ時間は、メールをチェックしたり本を読んだりして過ごす。
0629ParisCloudy.jpg
<雨が降ったりやんだりの曇り空>

ケニヤ航空機でナイロビへ。
ケニヤはこのところ政治的に不安定な状況が続いており、ナイロビ市内でも頻繁に誘拐事件や爆弾騒ぎが起きるなど、アフリカの中でも特に危険な場所と言われるようになっている。
ソマリアのイスラム過激派組織「アル・シャバーブ」による報復テロ攻撃宣言を受けて、ケニアの治安当局が、首都ナイロビ市等の主要都市を中心に、警備体制を強化している中、ナイロビ市のダウンタウン地区内において、深夜バー及びバス乗り場において、手榴弾が投げ込まれ、多数の死傷者を出す爆弾事件が発生。
出発の一週間前にはアメリカ政府がケニヤに滞在中の旅行者などに対し、テロや誘拐などの危険について緊急警告を発した。そのため、直前になって、ナイロビ市内のホテルに予定されていた会議場所が、郊外のゴルフリゾートに変更。
0629fasade.jpg
<ゴルフリゾートの正面入り口 これは翌朝の写真>

00時40分 羽田発
06時20分 パリ着
11時00分 パリ発
20時30分 ナイロビ着
一週間ぶりの帰国 [2012年06月25日(Mon)]
6月25日(月曜日)
いつものように、早朝のバンコク便で成田へ。
飛行機の中が寒い。私にしては珍しく、毛布をかぶる。成田に到着してみると、天気は曇り空、何と気温は19度、肌寒くさえ感じる。
喉が痛い。ヤンゴンでMILIのメンバーがひいていた風邪をもらったのかも知れない。
さて、今回初めて訪問した、ミャンマー東南部の少数民族地域であるモン州と、カイン州で撮った写真をご披露しよう。
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<カイン州の子供たち 小学校の前で>

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<カイン州の路傍の商店>

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<タトゥンの仏塔 タトゥンはモン族が9世紀に建国した王国のあった場所だ>

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<果物が名物 これは柑橘類のポメロ>

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<民族衣装姿の土産物屋の女性店員>

5時30分 ホテル出発
8時10分 バンコク発
16時25分 成田着 
プノンペンへ日帰り そしてバンコクへ [2012年06月24日(Sun)]
6月24日(日曜日)
今日は、ヤンゴンを去る日。先ず、プノンペンへ移動し用件を済ませ、翌朝早い飛行機に乗るため、その日のうちにバンコクへ舞い戻らねばならない。
置き薬事業の現場視察でタイに向かうという日本財団職員の中嶋君も一緒。9時50分のバンコク行きに乗るため、幸い、今日は日曜日なので朝の渋滞の心配はない。朝8時にホテルを出発。
ところが、ヤンゴン空港についてみると、チェックインカウンターは長蛇の列。これも最近始まった現象だ。以前は、ヤンゴン空港はいつも閑散としていたものだが、このままでは、チェックインカウンターを増やさないと、増加する乗客をさばききれなくなるのは時間の問題だ。
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<最近は空港のチェックインカウンターでも長い行列>

私が、これからプノンペンへ行く目的は、中学教員の卵に対する奨学金事業と、地方の中学校でのラジオによる英語教育事業を行っているNGOであるESC-Kizunaの理事会に出席するため。
今日は日曜日なのだが、カンボジア側の理事であるブンサンボ官房副長官やレンセンハック教育省教員養成局長らの都合から、平日ではなく、週末に開かれることが多い。今回は、私のミャンマー行きに併せて、今日にしてもらったもの。従って、4時から始まる理事会には決して遅れてはならない。
幸い、バンコクから乗り継いだプノンペン行きは遅れることなく、定刻にカンボジアに到着。
カンボジアは近年、ASEAN各国の中でも最も経済成長の著しい国で、プノンペンの町もどんどん奇麗になってきている。
今回は、ヤンゴンから移動してそのままプノンペンに入ったので、その違いが際立つ。ますます奇麗になるプノンペンと較べると、ついさっきまで、随分、奇麗になったと思えたヤンゴンが、まだまだ貧しいことに気付く。特に、今年は、カンボジアはASEANの議長国。来月にASEAN外相会議を控えて、首相府前にはASEANの紋章をかたどった飾りが、誇らしげにかけられていた。
0624ASEAN.jpg
<ASEAN外相会議を控えてASEANのロゴ>

理事会の会場となるESC-Kizunaのオフィスに私が着いたのは、4時10分前。しかし、既に、ブンサンボ官房副長官と篠原前駐カンボジア大使は到着済み。間もなく、教育省のレンセンハク局長も到着。理事会が始まった。
現行事業のレビューや来年度予算の審議などの定例の事項に加えて、今回は、商社マンOBの北野顧問を事務局長に据えるなど、事務局の改編と、それに伴う内規の変更などを審議。すべての審議は終了した時には、時計の針は6時を回っていた。夕食会のため、ブンサンボさんお気に入りの日本料理店に移動。
私と、日本財団職員で本事業の担当になったばかりの梅村君は間もなく、バンコク行きの飛行機に乗らねばならない。ビールでの乾杯を付き合っただけで、皆さんとはお別れ。ソルヤ君の車で再び、プノンペン空港へ。
空港のラウンジで、奇妙なカップヌードルを見つけた。その名も、キムチ・ヌードル。何故か、ブランド名がNippon。これって、どこ製?それは兎も角、夕食にありつけなかった我々は、ニッポン・ヌードルに飛びついたことは言うまでもない。
バンコク到着は夜の9時半だった。
0624NipponNoodle.jpg
<日本キムチヌードル!>

8時 ホテル出発
9時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
13時40分 バンコク発
14時50分 プノンペン着
16時 ESC理事会
18時15分 夕食会
18時半 出発
20時25分 プノンペン発
21時30分 バンコク着
多忙な土曜日 [2012年06月23日(Sat)]
6月23日(土曜日)
今日は土曜日だが、ホテルのロビーで、大勢の人と次々と面談するという多忙な一日であった。
先ず、朝10時に、タイのチェンマイの会議に向かう途中、わざわざ打ち合わせの時間を作ってくれたミャンマー保健省のアウンミン伝統医療局長らと、置き薬事業と薬草栽培指導事業について打ち合わせ。
ついで、11時からは、土曜日にも拘わらず、わざわざお出で頂いた在ヤンゴン日本大使館の丸山公使と7月下旬に予定している、笹川会長の少数民族福祉向上大使としてのネピドー行きについて相談。12時からは、ホテル2階の中華レストランで、アウンミン伝統医療局長ら保健省関係者と昼食。
食事を急いで終えて、今度は13時から、元国境なき医師団のメンバーとしてカレン族支援に従事し、今もモン州などで活躍している日本人の医師、林さんと会って、モバイルクリニック事業について相談。14時からはクラシエ漢方研究所土田主任研究員らと挨拶。
その後、私は一人で外出し、インターナショナルホテルにある日本ミャンマー協会の事務所を訪問し、副会長の小野寺さんらと打ち合わせ。
帰ってきて、18時からは、カンボジアトラストのカーソンさんを交えて、ホテルの中の韓国料理店で夕食会。
本当に忙しい土曜日であった。

10時 保健省アウンミン伝統医療局長
11時 日本大使館丸山公使
12時 昼食会
13時 元国境なき医師団林医師
14時 クラシエ漢方研究所土田主任研究員
15時 日本ミャンマー協会事務所訪問
18時 夕食会
今日も夜明け前に出発して、カイン州へ日帰り [2012年06月22日(Fri)]
6月22日(金曜日)
0622Salween.jpg
<カイン州へ サルウィン川を渡る>

昨日に続いて、早朝4時の出発。同じように、エルウィンさん、カーソンさん、テインニュントさんを拾って、4人で出発。
行き先は、カレン族の住むカイン州の州都パアン。州政府の首相に挨拶してから、リハビリテーション病院を視察、その後、伝統医療病院や薬草園などを廻って、夜にはヤンゴンに戻って来る予定。
パアンでは、薬草学の専門家の佐竹先生を中心とする、間遠、中嶋ら日本財団の面々と合流する計画。彼らは、私より先にミャンマー入りし、ネピドーの保健省伝統医療局での打合せを済ませた後、カイン州に隣接するモン州に入り、薬草栽培事業の関係先などを視察して、昨夜はモーレミャインに泊まったのだ。
ヤンゴンを出て国道8号線を東へ進む。2時間ほどで、夜明けの雨の中を托鉢する大勢のお坊さんの行列に遭遇。50人ほどもいるだろうか。間もなく、バゴー(ペグー)の町に入る。13世紀から16世紀にかけて、モン族のバゴー(ペグー)王朝の首都として栄えたところだ。
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<大蛇の皮の乾したものが土産物屋の壁にかかる>

パゴーからさらに一時間ほど走ったところで、シッタン川を渡り、モン州に入る。モン族を中心に、カレン族などの住む少数民族地域である。道路の両側には、それまでの水田に代わり、ゴム園や果樹園が増えてくる。程なくすると、車は大きなドライブインの前で停まった。焼きそばで朝食。
お土産物売り場には、パイナップルやランブータンなどの果物が並んでいる。ふと、売店の壁を見ると大きな蛇の皮。この近くのジャングルには大蛇がいっぱいいるのだそうだ。
ドライブインを出て、さらに南東に向かって走る。左手には山が迫って来る。山の向こうはタイだ。テインニュント博士によると、この辺りは、昨年まで政府軍とカレン族などの武装反政府勢力との間で戦闘が続き、以前は至る所に検問所があり、我々ミャンマー人でも自由に通行出来なかった。検問がなくなったのは、ほんの数ヶ月前のことだという。確かに、あちこちに検問所がそのまま残されているが中はからっぽ、誰もいない。
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<今も残る検問所跡 中は空っぽ>

さらに一時間ほど走った9時頃、大きな川にかかった鉄鋼製の橋を渡る。これが、イラワジ川と並ぶミャンマーを代表する大河のサルウィン川であった。この川を越えるとカイン州都のパアンだ。暫く、走ったところで我々のバンが停まった。パアンは目前だというのに。
テインニュントさんが書類を出して何やら説明すると、通行を許された。検問が無くなったとは言っても、さすがに、州都パアンに入る前には検問所を通ることになっているようだ。
ところが、検問所を過ぎてまもなく、車は再びストップ。今度は、オートバイに乗った警察官と銃を構えた武装警官が乗ったトラックが現れたので、何事かと身構えてしまったが、彼らは、州首相を表敬する我々を州庁舎へ案内してくれる護衛警官たちと判明。警察車両に先導されて、州都パアンにあるカイン州政庁へ。
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<州都パアンにあるカイン州政庁を訪ねる>

州庁舎についたところで、佐竹先生ら先発部隊と合流。一緒に、大きな応接室に案内されると、そこには、州政府首相が州政府幹部と我々を待っていてくれた。当方より、日本財団のミャンマーでの活動の概要を説明するとともに、笹川会長が日本政府より、ミャンマー少数民族福祉向上大使を拝命したこと、それを受けて、今後、カイン州など少数民族地域を中心に活動を拡大していく考えであること、また、現在、カイン州で準備中の置き薬配布事業、薬草栽培指導事業、モバイルクリニック事業、などについて説明した。
すると、州首相からは、日本財団のミャンマーでの活動についてはよく承知している。カイン州での事業計画に感謝する。事業実施に当たってはカイン州は全面的に支援する、との発言があった。
昨夜遅く、ネピドーから帰ったばかりにも拘わらず、我々のために、たっぷり一時間を割いてくれ、非常に友好的な雰囲気での表敬訪問となった。
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<地雷に吹き飛ばされた義足 パアンリハビリテーションセンターで>

州庁舎を出て、一行は二手に分かれることにし、私はカーソンさんらと、パアン・リハビリテーション・センター(HORC)へ。検討中の義足配布事業を、カイン州で行うことの是非と、その場合の拠点をどこに置くのが良いのかを検討するためであった。予め、保健省経由で訪問を伝えてあったので、女性の所長らHORC幹部がセンター内部をくまなく案内してくれた。ここの義足サービス部門を支える二人の義肢装具士はいずれも、日本財団がカンボジア・トラストを通じて支援してきたカンボジア義肢装具士養成校(CSPO)の卒業生で、カーソンさんの昔の教え子であったのには感激。
とある部屋には、かれらが処置する前に患者が使っていた粗末な義足が記念に吊り下げてあったが、そのうちの一つが、下半分がめちゃめちゃに壊れていたので、その理由を尋ねると、この患者は義足をはいていて、再び、地雷を踏んでしまい、義足を吹き飛ばされたのだ、という答えが返ってきた。この地域では、約7割もの患者が地雷や戦乱の犠牲者だという。
リハビリテーションセンター訪問を終えて、国立パアン伝統医療病院で佐竹先生のグループと再度合流。昼食をご馳走になって、2台の車でヤンゴンに戻った。ヤンゴン帰着は8時前。それから、皆で、ホテルのレストランで夕食を取った。
長い一日だった。モン州、カイン州では一日中、雨が降ったりやんだりだったが、結局、傘は使わずじまい。

4時 ホテル出発
10時 カイン州首相表敬
11時半 パアンリハビリテーションセンター訪問
13時 国立パアン伝統医療病院訪問
14時 パアン出発
20時 ヤンゴン帰着
20時半 夕食
深夜起きでネピドーへ日帰り [2012年06月21日(Thu)]
6月21日(木曜日)
前の晩にセットしておいた目覚ましが鳴ったのは3時半。外は、まだ真っ暗だった。だが、日本時間では朝の7時。昨晩は早めに寝たのでそれほど眠くはない。
30分後、4時丁度に、ホテルの前から迎えのバンに乗り込んだのは私一人。先ずは、ホテルの裏手にあるエルウィンさんの自宅に向かう。お手伝いさんに手伝ってもらって、水や食料を積み込んで出発。今度は、別のホテルに泊まっているカンボジアトラストのカーソンさんをピックアップ。最後に、テインニュントさんの自宅へ。こうして、総勢4人でネピドーに向けて出発したのは、4時45分。
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<ミャンマーでは運転席のお守りは仏像かその写真が一般的>

車はネピドー行きのハイウェイを時速100キロで快調に飛ばす。ただ、路面の仕上げがお粗末なために、スピードが出るにつれ、縦揺れがひどくなる。大揺れする車内で、エルウィンさんが朝食にと用意してくれた焼き飯をなんとかお腹に入れる。
中間地点のいつものドライブインではトイレ休憩だけで、レストランには入らず、先を急ぐ。お陰で、ネピドー到着は9時15分。ヤンゴンからの所要時間は4時間半ほど。これまでで最短の時間で着いてしまった。早く着いたので、直接、保健省に向かわず、ネピドー市内の幹線道路沿いのホテル地区にあるホテルの一つに入り、ロビーで暫し時間調節してから保健省へ。
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<ハイウェイにあるドライブインには水道がないので飲料水はタンクで運んで来る>

国立医科技術大学に、義肢装具師養成学部を設置する事業に付いて相談するための関係者全体会議が始まった。集まったのは、保健局や国際局、国立医学技術大学、国立リハビリテーションセンターなどから関係者総勢10人ほど。司会の保健省保健教育局長は、冒頭、ミャンマーにとっては初めての国際基準に則ったカリキュラムでの学部の新設は、大変な大事業であり、皆で力を合わせて早期実現に向けて頑張ろう、と挨拶。ただ、議論が進むに連れて、ミャンマー政府側の参加者からは、来年1月の開校に対する悲観論がちらほら。それを、カンボジアトラストのカーソン代表、日本財団の顧問として活躍してくれている、エルウインさん、テインニュントさんの二人の外務省と保健省前局長と私の4人が、叱咤激励しながら押さえ込むという展開。
テインセイン大統領は様々な新施策を早急に実現しようと必死だが、それらを実現する立場の官僚機構の方は、旧来の規則や規制に縛られているので、おいそれとは行かないようだ。今日の会議にしても、本来は2ヶ月前までにやっている筈のもの。それが、カーソンさんの入国ビザ一つとってもやれ申請書だ、証明書類だと言っているうちに、今頃になってしまった。
0621Mtg.jpg
<保健省で関係者が集まって全体会議>

会議の終盤になって、マンダレーにあるリハビリテーション施設をカーソンさんが視察する話になったが、出席していた担当部署のある責任者は、そのためには事前許可が不可欠で、先ずは日本財団の正式な便箋での書面申請が必要だという。今週中に急遽作成し提出するから、視察の許可はいつ出るかと尋ねると、最低2週間ほどかかるとの答え。
しかし、カーソンさんは来週一杯で帰国する予定。次回の訪問まで待たざるを得ないとなると、ひと月以上の時間をロスしてしまう。私は、思わずかっと来て、「大統領が急いでほしいと言っている重要案件に対し、何と言う仕事の仕方だ。ここに揃っている関係者が、全員、その緊急性を認識しているのだから、何としても、来週中に視察を認めるべきだ」と強く主張した。カーソンさんを見ると、私の剣幕に大変驚いた表情。
すると、政府関係者らは暫くミャンマー語でなにやら協議。結局、テインニュント前局長が「何とかするから」と取りなして会議はお開きに。ところが、部屋の外に出たとたん、慎重な発言をしていた担当者の上司に当たる局長とばったり。テインニュント前局長の元の同僚だ。すかさず、事情を説明したところ、その場で、善処を約束してくれたので、本件は一件落着。
ぐったり疲れて、外に出てみると、たっぷり3時間経っていた。保健省の職員が普段の昼食に利用しているというレストランで昼食。そのまま、情報省へ。国営テレビ・ラジオ局を監督する部署の局長と面談を終えて、再び、ハイウェイへ。
ヤンゴン到着は7時半。皆を順番に降ろして、私がホテルに着いた頃には8時になっていた。ホテルの前のスーパーでサンドイッチとビールを買って、ホテルの部屋で一人、簡単に夕食をすます。明日も早い。
0621lunch.jpg
<公務員が普段の昼食に利用しているレストランで昼食>

4時 ホテル出発
9時15分 ネピドー到着
9時半 関係者全体会議
12時半 昼食
13時15分 情報省MRTV局長面談
14時 ネピドー出発
19時半 ヤンゴン帰着
ヤンゴンよおまえもか 交通渋滞で大幅遅れ [2012年06月20日(Wed)]
6月20日(水曜日)

朝5時半、ホテルを出て、スワンナプーム空港へ。今日一番のヤンゴン行きの飛行機に乗り込む。私にとって、今年6回目のミャンマー行き。
バンコクからヤンゴンまでは500キロ余り、一時間ほどのフライトだ。時差はへんてこな30分というもの。
9時ころにヤンゴン空港に到着。5年ほど前に新装なった近代的な空港だが、規模は小さく、ブリッジは4つしかない。当時はこれで十分だったろうが、最近の往来客の急増ぶりからすれば、早晩、これでは足らなくなるのは必至。
0620Airport.jpg
<小さなヤンゴン国際空港>

空港から市内まで15キロ程の距離。これまでは30分もあれば十分だったが、車の数が急増した結果、最近では交通渋滞が発生。ホテルまで1時間半もかかってしまった。
車の中から、日本ミャンマー協会テッセインさんに電話。待ち合わせの時間を30分遅らせてもらう。彼によると、交通ラッシュは学校の登下校時間に起きる。それは、車を持つ親たちが子供たちを送り迎えするからだという。
テッセインさんと打ち合わせの後、チェッテインナン上院議員と11時半に会う約束をしていたのだが、彼が現れたのは12時。彼も、やはり、交通ラッシュを読み切れなかったようだ。昼食を取りながら、彼の出身地であるカチン州を中心にした、少数民族問題の現状について色々話を伺うことが出来た。
1時過ぎ、保健省OBでミャンマー医師会幹部のテインニュント博士が迎えに来てくれ、一緒に、ミャンマー医師会(MMA)へ。カイン州など少数民族地域でスタートさせるべく準備中の移動診療事業について協議。その後、YMCA本部に行き、依頼を受けた養護学校事業のスポンサー探しの件を報告する。
ヤンゴンも既に雨季入り。曇り空に、雨がちらつき、少々、肌寒い。
夜は、ミャンマー障害者自立生活運動(MILI)のメンバーと夕食。来年に計画している障害者芸術祭国内大会に向けて、準備状況についての報告を受ける。メンバーの一人が、大袈裟と思うほど着込んでいたので尋ねると、風邪をひいているという。確かに、咳が出るようだ。「お大事に。無理しないでね」、というと、事務局長のユーさんが、すかさず、いえ彼女だけではなく、メンバー全員が風邪をひいているんです。
暑い国の人は、少しでも涼しくなると風邪をひく傾向にあるというが、ミャンマーの若者も例外ではないようだ。私も、風邪をもらわないよう気をつけねば。
0620Cloudy.jpg
<ヤンゴンも雨季 曇り空が街を覆う>

5時半 ホテル出発
7時55分 バンコク発
8時50分 ヤンゴン着
10時半 日本ミャンマー協会テッセインさん
12時 チェッテインナン上院議員
13時15分 テインニュント博士
13時半 ミャンマー医師会
15時半 ミャンマーYMCAタニャンソニー事務局長
18時半 ミャンマー自立生活運動(MILI)
APCDでDisability Inclusive Business (DIB)会議 [2012年06月19日(Tue)]
6月19日(火曜日)
今日は、終日、APCD(アジア太平洋障害者発展センター)でDisability Inclusive Business (DIB)についての検討会。DIBとは、障害者が経営したり、障害者を雇用したり、障害者のための製品やサービスを提供している企業のこと。障害者問題を企業活動との関連で考えようと始まったこの企画も今回で5回目。
毎回、アジア各国から、障害当事者に加えて、国際機関や民間企業の関係者など、総勢15人ほどが集まり、自由にブレンストーミングして、具体的な行動計画を考えるのが目的だ。
今回のテーマは、Inclusive Finance。障害者に対する金融サービスの現状と問題点について話し合うことになっている。そのため、今回は、障害者でありながら、自ら経営者として活躍しているタイやマレーシア、ベトナムの障害者に加えて、タイ、ベトナム、ラオスの4つの銀行から金融のプロも参加。特に、タイでは2番目に大きい商業銀行であるクルンタイ銀行の副頭取が出席し、丸一日、議論に参加してくれた。
0619DIBIF.jpg
<4つの銀行の担当者を始め、総勢15人ほどが集まった>

障害者は自分たちは金融サービスから締め出されていると感じている。それは、先ず、障害者個人が、金融機関が提供するATMやクレジットカードなどといった基本的顧客サービスを受けにくいという問題に表れている。
例えば、ATMは、車椅子利用者に対する配慮を欠いているし、盲人の場合は介助者の助けを借りなくては、自分自身では操作することが出来ない。ある盲人の参加者はクレジットカードを発行してもらおうとして、盲人はサインが出来ないからという理由で銀行の窓口で断られた経験を話してくれた。
それだけではない。ある意味でこれらの問題以上に深刻なのは、例えば、障害者が事業家として融資を受けようとしても、乗り越えねばならない高い壁の存在である。
前回、ここでお会いしたスタンダードチャータード銀行の関係者も話していたことだが、銀行家は、自分たちの金融サービスは障害者も差別していない、と考えがちである。例えば、融資の審査に当たっては申請者が障害者かどうかは、全く問題視しておらず、融資の決定は、純粋に、申請内容が融資の対象として相応しいかどうかだけを判断基準に決められるので、銀行としては障害者に対する差別はしていない、というのである。
しかし、現実には、障害者が融資を申請し、認められるまでには、物理的、心理的、制度的に様々なハードルがあり、容易ではない。どうやったら、このような問題を解決することが出来るのかを、丸一日かけて話し合った。
0619ATM.jpg
<盲人用に作られたATM  画面情報をコンピューター音声で読み上げてくれるというもの>

8時 ホテル出発
9時(終日) Disability Inclusive Business (DIB)会議
10時 クルンタイ銀行ニサナード副頭取面談
18時 APCD主催夕食会
今年6回目のミャンマー行き [2012年06月18日(Mon)]
6月18日(月曜日) 
6月に入って2回目の出張。今回の目的地は、バンコクとミャンマー、そしてプノンペン。先ず、バンコクで、APCD(アジア太平洋障害者発展センター)でのDIB(Disability Inclusive Business)の会議に参加して、その後、ミャンマーに移動、ネピドーで義肢装具士養成校プロジェクトの詰めの会議に参加してから、タイ国境近くのカイン州に日帰りし、ヤンゴンで打ち合わせの後、プノンペンに行き、学校事業の理事会に出席するも、そのまま、バンコクに移動して翌朝早朝の便で帰国、という8日間の忙しないスケジュール。
東京が随分暑くなって来ていたので、ぼんやりと、半そで物を中心の荷造りをしていたところが、バンコクに着いてみると、タイは雨期のまっ只中。空はどんよりと曇り、気温も低く、肌寒く感じるほど。
ホテルにチェックインして、長袖シャツを明日に備えて取り出そうとして気が付いた。しまった、持って来る筈だったもう一枚の長袖シャツを、うっかり家に置いて来た。タイにはこれまで百数十回も来ていると言うのに、未だに、気温の想定で失敗している自分に苦笑。
夜は、久しぶりに、読売新聞バンコク支局深沢支局長に会い、ミャンマー少数民族の動きなど貴重な話を聞かせてもらう。
0618road.jpg
<相変わらずバンコクの道路は渋滞が深刻だ>

11時00分 成田発
15時40分 バンコク着
19時 読売新聞アジア総局深沢総局長
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