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大野修一(日本財団)
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帰国 私の旅の工夫(18) [2012年04月29日(Sun)]
4月29日(日曜日)
いつものフライトでバンコクから帰国。今回は、2週間と比較的長い出張だったが、成果の多い旅であった。
さて、今回は「私の旅の工夫(18)」として、出張時に持ち歩いている筆記用具とメモについて。
その特徴は、基本的に、すべて胸ポケットにしまっており、いつでも即座に取り出せるようにしていること。
従って、メモ帳もミニサイズである。ボールペンも柄のところが伸縮出来るものを使っている。また、摩擦熱で消すことの出来るインクを使うフリクションペンというPilot製の赤と黒のペンを持ち歩いている。重要度などに応じて2色に色分けしてメモを取るだけでなく、いざという時にはきれいに消してしまうことが出来るので重宝している。
また、海外出張の都度、財団国際グループの職員にA4サイズの紙にまとめて作ってもらっているスケジュール表も、旅行代理店がくれるフライトスケジュール同様に、8つ折りにして、胸ポケットに忍ばせているので、随時、取り出してスケジュールを確認することが出来る。
このブログをつけるための行動記録もこれらのメモに書き込んだものをベースにしている。
0429notes.jpg
<出張時には、これらメモ用具一式が、常時、私の胸ポケットに入っている>

06時 ホテル出発
08時10分 バンコク発
16時25分 成田着 
ミャンマー医師会と共同事業につき協議 [2012年04月28日(Sat)]
4月28日(土曜日)
保健省OBのティンニュント博士が彼の愛車の三菱パジェロでホテルまで迎えに来てくれて、カーソンさんと一緒にミャンマー医師会へ。今日は、私にとってはミャンマー最終日だが、カーソンさんは来週まで残り、事業計画策定のためのデータ集めをせねばならない。ところが、彼が今いるホテルは今日までで引揚げないといけないというので、昨日は急遽、私のホテルで部屋を確保したのだが、その値段がベラボーに高いので、エルウィンさんの尽力で別のホテルに部屋が見つかったというので、私のホテルの部屋はキャンセルするのだという。
それやこれやで、またもや出発時間が遅くなり9時からのミャンマー医師会への訪問は30分の遅刻。このところ、遅刻ばかりだ。医師会では十人以上の幹部たちがずらり顔を揃えて、大幅に遅れた私たちを待っていてくれた。僻地の住民たちの医療環境の改善のための共同事業に付いて協議。また、僻地住民のための義足装着サービスについても、医師会が行っているボランティア事業との連携の可能性につき協議。
0428MMA.jpg
<ミャンマー医師会で協議>

その後、カーソンさんと別れて、私は、一旦ホテルに戻り、チェックアウト。荷物を持って今度は、ティンニュント博士の友人の車でミャンマーYMCA本部へ。
YMCAが土地を提供して作られる予定の、自閉症児を対象にした特殊教育校の設置に関するプレゼンテーションと意見交換。私は、午後の飛行機でバンコクに戻るため空港に向かわねばならない。予定より遅れているので、慌ただしく30分ほどでポイントのみを確認。
すると、YMCAのタニャンソニー事務局長が空港へ行く途中のレストランで一緒に昼食をとろう。その後、飛行場へは自分が責任を持って届けるから、というので同意。ところが、食事の後も、レストランでビールを飲んでなかなか腰を上げないので気が気でない。
何とか、ぎりぎりの時間に空港に到着すると、タニャンソニーさんは空港の中まで入るパスを取り出した。空港職員も顔なじみのようで、行列に並ぶことなく、特別の窓口でチェックインさせてくれ、パスポートコントロールまでエスコート。海外から来るお客さんのお世話をいつもしているのでねと、私にウインクして見送ってくれた。

8時45分 ホテル出発
9時半 ミャンマー医師会訪問
12時半 ミャンマーYMCA本部訪問
13時半 YMCA幹部らと昼食
16時40分 ヤンゴン発
18時35分 バンコク着
関係者が集まって全体会議 [2012年04月27日(Fri)]
4月27日(金曜日)
早朝、カーソンさんと今日の全体会合について打合せ。これまでに二人で打合せて合意した改善点に基づき、彼が昨晩一杯かけて手直しをしたプレゼンテーションデータを見ながら、ページ毎にどちらが話すのか、強調するポイントは何か、などを確認しあう。
10時前にエルウィンさんがやって来るが、明日以降もヤンゴンに残るカーソンさんのためにこのホテルの部屋を交渉。そのため、出発したのは10時過ぎになってしまった。
実務レベル全体会合の開かれる国立医療技術大学(UMT)へ急がねばならない。だが、行けども行けどもUMTに着かない。全体会合が始まる筈の10時半はとっくにすぎてしまっている。
11時過ぎに漸く到着。一時間かかったことになる。どうやら、彼がUMTへの所要時間を勘違いしていたようだ。しかし、遅れた我々を、医療技術大学学長や学務部長ら幹部はにこやかに迎えてくれた。国立リハビリテーション病院院長の顔も見える。保健省前局長で本件をコーディネートしてくれているティンニュント博士とエルウィンさんは我々側の席についた。早速、二階の会議室で会議が始まった。
0427UMT1.jpg
<国立医療技術大学のキャンパス>

前回、私とカーソンさんが初めてこの学校事業の構想を説明した時と同じ会議室である。メンバーも殆ど同じ。ただ、今回は流石に、事前に色々内部で議論を済ませていたものと見えて、具体的なポイントを中心に活発に質問が投げかけられる。その大半を、カーソンさんが回答、一部を私が補完するという形でやり取りが続いた。
質疑応答が一通り終わると今度は、ティンニュント博士とエルウィンさんを交えたミャンマー側だけでミャンマー語で打合せをしたい、というので、私とカーソンさんは二人で雑談しながら待った。
その結果、今日の検討結果と合意点をまとめたメモを、ミャンマー側は国立医療技術大学(UMT)と国立リハビリテーション病院(NRH)でまとめて保健省に提出するが、日本財団側も別途、レポートを作成し、保健省への今後の要望点などをまとめて保健大臣宛の提出してほしい、といので同意。カーソンさんが起草したものに、私のカバーレターをつけて大臣宛に送付することになる。
その後、カーソンさんの希望で大学内部の設備を見て回る。
0427UMT2.jpg
<大学の階段教室>

一通り視察が終わったところで、ふと、時計を見ると、既に13時半。次のアポである国立リハビリテーション病院(NRH)までは30分近くかかる。約束の14時に間に合うためには急がねばならない。ところが、車に乗り込もうとすると、故障したので代替車を準備中だから待ってほしい、と運転手に言われる。クーラーの効いた学長室に案内され、待つこと暫し。
結局、国立リハビリテーション病院(NRH)に着いたのは、予定時刻を30分も過ぎた14時半。JICAから派遣されている専門家の大澤さんにも入ってもらって、義肢装具装着サービスの拡充のための段取りなどに着いて打合せ。
夜は、国際赤十字から派遣されてカイン州などで支援活動を行っているニニンジャーさんらと4人で夕食をとりながら情報交換。
0427NRH.jpg
<国立リハビリテーション病院でも再度打ち合わせ>

9時 カーソンさん打合せ
10時 ホテル出発
11時 国立医療技術大学(UMT)での実務レベル全体会合
14時半 国立リハビリテーション病院(NRH)大沢さん
19時 国際赤十字ニニンジャー博士
ネピドー行きは中止 [2012年04月26日(Thu)]
4月26日(木曜日)
朝一番に、保健省前伝統医療局長のティンニュント博士がやって来る。伝統医療事業やラカイン州での学校建設事業などの打合せを済ませた後、今回の出張の最大の目的である、義肢装具士学校プロジェクトに関する会議の段取りについて打合せ。
もともとの計画では、今回のミャンマー出張では首都のネピドーに関係者が全員集まり、義肢装具士学校の来年からの発足に向けて、基本点での合意に向けた全体会合を行うことになっていたのだが、到着してみると、ネピドー行きは中止、ヤンゴンで実務関係者が集まり、テクニカルな観点から問題点を整理することになっていた。
保健省の責任部局が参加しないという点では、後退かと思ったが、政策的にな観点では既に保健大臣の了承も取れているからこそ、先ずは技術的な観点からの検討をするという判断だと、言われて少し安心する。
別件があるというティンニュント博士と別れた後、カーソンさんと一緒に国立リハビリテーション病院(NRH)へ。明日の国立医学技術大学(UMT)での実務会議に向けて、前回の訪問で詰め切れていなかった義足装着サービスの拡充に向けての技術的な問題点を確認する。
0426NRHpatients.jpg
<国立リハビリテーション病院(NRH)は患者さんたちで混雑していいた>

08時45分 ティンニュント博士
10時 ホテル出発
10時半 国立リハビリテーション病院(NRH)訪問
12時 昼食
15時半 エルウィンさん打合せ
18時 カーソンさん打合せ、夕食
今年5回目のヤンゴンへ [2012年04月25日(Wed)]
4月25日(水曜日)
今日からミャンマー。大きなスーツケースはホテルに預けて軽装で往復する予定なので、スカイトレインとエアポートレイルリンクを乗り継いで空港にいくつもりで、ホテルを出たのだが、あまりにも良いタイミングで目の前に小奇麗なタクシーが停まったので思わず乗り込む。
しかし、高速道路に入って、たちまち後悔してしまった。運転手はさも当然という顔で、120キロのスピードで飛ばすのだが、シートベルトをしようにも、取り外してしまったのか見当たらない。ただ、空港までの無事を祈るのみ。
空港のゲート前でカーソンさんと合流、一緒にヤンゴン行きに乗り込む。機内はほぼ満席。ミャンマー便は最近はいつもそうだ。ビジネスマン、政治家やNGO関係者のミャンマー詣でが始まったためだ。
ところが、乗客が一人見当たらない。何故か、機内で何度もアナウンスをし、ヘッドカウントを繰り返す。結局、ヤンゴン到着は大幅遅れの12時前になってしまった。
それでも、ヤンゴン空港には、エルウィンさんの秘書のサンディーさんが辛抱強く待っていてくれた。別々の車に分かれて乗り込む。カーソンさんと私は別々のホテル。混んでいて同じホテルが取れなかったのだ。今のヤンゴンでは、飛行機以上に不足しているのがホテルだ。

10時55分 バンコク発
11時45分 ヤンゴン着
16時 カーソンさん打合せ
終日、障害者インクルーシブビジネス(DIB)について議論 [2012年04月24日(Tue)]
4月24日(火曜日)
朝、6時半にホテルを出てスカイトレインの駅へ。早朝なので、今のところ暑さはそれほどではないが、今日も暑い一日になりそうな予感。
9時過ぎ、APCDで障害者インクルーシブビジネス(DIB)についてのミーティングが始まる。今回のテーマはルーラルビジネス。15名ほどの参加者がタイやカンボジアなど周辺国から集まった。
開会のあいさつの後、わざわざ来てくれたというスタンダードチャータードタイランド副頭取と別室で打合せ。障害者向けのファイナンススキームの創設について話し合う。
0424APCDmtg.jpg
<終日IBミーティング>

参加者の中には、マニラで別れたばかりの義足の専門家、カーソンさんの姿も見えた。彼とは明日から、ミャンマーに一緒に行き、義肢装具士学校プロジェクトの件で保健省等の関係者との協議に臨むのだが、彼にとって、バンコクはミャンマー入国ビザを受け取るための場所でもある。
昨日はミャンマー大使館前の屋外で、炎天下の下、2時間も手続きで並んだのだとか。それでも、受け取りのために今日も再び行かねばならないのだと、ぼやきつつ、午後から出かけて行った。
一年間有効のマルチのビザを無償でもらえている幸運に感謝したのであった。
0423Jpnse.jpg
<かわいい日本娘の看板、何かと思ったら日本語学校の宣伝>

6時30分 ホテル出発
9時半 DIBミーティング開会式
10時 スタンダードチャータードタイランド副頭取打合せ
11時 DIBミーティング
16時 ASEAN TV 取材
18時 夕食会
タイのお正月料理「カオチェー」 [2012年04月23日(Mon)]
4月23日(月曜日)
タイ保健省伝統医療研究所副所長のアンチャリー博士と会う。彼女からは、今年の1月に私がマヒドン賞国際会議に参加した際、是非会いたいと連絡をくれたのに、双方の都合が合わず、果たせずじまい。今回が一年ぶりの再会だろうか。
9月に予定されている保健省主催の薬草博覧会(Herbal Expo)、盲人用医療マッサージ国家資格セミナー、マレーシアで行われる第4回ASEAN伝統医療会議のこと等など、久し振りということもあって話は尽きない。
タイ料理店で一緒に昼食を取った。その時、アンチャリーさんに勧められて、今の時期しか食べられないという「カオチェー」という珍しい料理を食べた。今月4月はタイでは、日本のお正月に当たるソンクラーン。「カオチェー」は日本のお節料理のように、タイでもお正月の時期に食べる特別の料理なのだそうだ。
0423ThaiLunch.jpg
<真夏のタイに相応しい涼しい料理「カオチェー」>

ジャスミンの香りのする氷水にご飯をいれた、冷たいお茶漬けのようなものがたっぷり入った丼を中心に、魚の甘煮、えび味噌など甘辛い佃煮のようなおかずの入った器と、花形にくりぬいたキュウリや、グリーンマンゴーなどの生野菜が入った皿が添えてある。
しかし、これは庶民の食べ物ではなく、元々は王宮で食べられていたものとか。アンチャリーさんの叔母さんが王宮で働いていたとかで、彼女は子供のころから叔母さんの家でご馳走になっていたのだそうな。
実際に食べてみると、豪華な王宮料理という想像とは異なり、まさに冷たいお茶漬け。大変素朴な味わいにびっくり。だが、考えてみれば、真夏のタイで氷の入った冷たい料理は、庶民が口に出来るものではあるまい。そう思うと、ジャスミンの香りも上品で、カービングの施された野菜もエレガントそのもの。大変美味しく頂きました。
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<余りの暑さにバスガイドも休憩中>

昼食の後は、APCD(アジア太平洋障害者センター)へ。日本財団から出向中の間遠さんと打ち合わせ。その帰り、スカイトレインの最寄り駅までいつもは20分ほど歩くのだが、余りの暑さに、冷房の効いたタクシーに乗ることに。
ところが、早くも渋滞が始まっていて、道路はバスやバイクが団子状態。思わず、目の前に停まっていたバスに飛び乗ってしまった。私にとってはタイでの初めてのバス体験。最近はバンコクではエアコン付きのバスが増えていると聞いているが、私の乗ったバスは冷房設備なし。
さて、乗っているはずの車掌さんが見当たらない、といぶかりながら空いていた席に腰を下ろしたところ、私の前の席に、だらけた格好でもたれるように横座りしていた「おねえちゃん」がゆっくりと立ち上がり、ふくれっ面で集金にやって来たのでびっくり。
7.5バーツを払うと、今度は、「おねえちゃん」は運転手の隣の席に行き、またまた、だらけた格好で足を投げ出して横座り。うーん、これは炎天下で舌を出して寝そべっている犬と同じ心境かなー。

12時 保健省アンチャリーさん
14時 APCD間遠さん
18時半 NHK寺沢さん
バンコクでの日曜日 [2012年04月22日(Sun)]
4月22日(日曜日)
今日は日曜日。朝寝をして、昼間は一日中、ホテルの中で過ごす。バンコクも暑い。外の気温は38度、体感気温は46度とか。
夜は、日経新聞バンコク支局高橋支局長と会う。丸紅の内藤副支店長も一緒だ。ミャンマー情勢についての情報交換。

18時半 日経新聞バンコク支局高橋支局長丸紅内藤副支店長
陶器作りの現場を久しぶりに訪問 [2012年04月21日(Sat)]
4月21日(土曜日)
今日はプノンペンでの最終日。夕方の便でバンコクに行くのだが、それまでにコンポンチュナンまで往復だ。例の陶器事業の責任者の山崎さんと一緒に陶器技術指導プロジェクトの現場を久しぶりに視察させてもらうのだ。
朝8時、山崎さんがホテルに来てくれる。何と、昨日お会いしたばかりの町田参事官も現地に行ってみたいと我々のンポンチュナン行きに加わっていただけるというのだ。結局、2台の車でばらばらに行くよりは、と参事官のご厚意で外交官ナンバーの付いた車で一緒に出発。コンポンチュナンはプノンペンの西。車で2時間ほどの行程だ。
10時過ぎに現場に到着。益子焼の専門家で幼いお嬢さんを連れて家族帯同で赴任してくれている猿田さんが待っていてくれた。外は40度近い暑さ。いっぺんに汗が噴き出す。
0421Workshop.jpg
<広くなった新しい作業場>

前回来た時には、ただ柵で囲んであっただけの土地の中に、大ぶりの作業場棟と、登り窯が出現していた。それでも、土地には随分、余裕がある。「将来は、ここにバスで、陶芸に興味を持つ在留外国人のために見学・体験ツアーを連れて来たいの」と山崎さん。確かに、大型バスが数台停まっても全く問題はないほどの広々とした土地だ。「車を木陰に停められるよう、マンゴーの木も植えて、、、」と山崎さんの夢は膨らむ。
0421Kiln.jpg
<これが手製の登り窯>

作業場の中に入ると、風が抜ける構造になっているためか、予想外に涼しい。女性が一人だけ黙々と作業をしていた。専門家による実習は原則的に毎週月曜日と火曜日の二回だけ。それ以外の日は、皆、自宅で農作業や、素朴な素焼きの壷造りに精を出す。一日も早く、この陶器作りで生計が立てられるようになって欲しいものだ。
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<一人ろくろに向かう>

作業場の隣の倉庫には、クメール正月直後に窯出ししたばかりの作品群が所狭しと置かれていた。私が、一昨日、NyoNyumショップで買おうとしていた新製品である。小さな容器や、定番の食器と並んで、これまでに見たことのない巨大な壷も置かれている。「えっ、本当にこんな大きなものまで」と参事官もびっくり。釉薬も一層輝きを増している。確実に、陶工たちの技術は進歩しているようだ。何点か買い求めようとして断られた。ここでの販売はしていないのだ。
0421pottery.jpg
<これが今回の窯で出来たばかりの作品群だ>

コンポンチュナンからホテルに戻り、シャワーを浴びて服を着替え、荷造りをしていると、窓の外で雷鳴が轟く。まずい、スコールが始まると、道路は混雑、渋滞が始まるのだ。急いでホテルをチェックアウト、空港へ行かねばならない。
急いで車に乗り込む。何と、ソルヤさんの隣の助手席には娘さんのカニタちゃんが座っていた。写真では見ていたが会ったのは初めて。10歳というが、とてもしっかりしている。英語学校に通っているので、多少の会話は出来るのだ。カンボジアでは子供まで英語ブーム。英語が出来れば良い職に就けるのだ。
カニカちゃんの英語会話に目を細めていたソルヤさんがふとため息をついた。彼は昨年、とても可愛がっていた下のお嬢さんのソニタちゃんを4歳で亡くしている。デング熱が原因だった。「カンボジアがこんなに遅れた国でなかったらソニタは死なずに済んだのに」と悔やむ。
でも、奥さんはその後、女の子を妊娠、7月に出産予定だ。「ソニタの生まれ変わりだ」とソルヤさんは楽しみにしている。

08時 ホテル出発
10時 コンポンチュナン着
12時 昼食
14時 ホテル到着
18時 ホテル出発
20時25分 プノンペン発
21時30分 バンコク着
久し振りに教育大臣と面談 [2012年04月20日(Fri)]
4月20日(金曜日)
今日は、今回のカンボジア出張の主たる目的である国立伝統医療学校運営理事会の開催日。ただ、ついでにと申し入れていた教育大臣への表敬訪問の時間が今朝の10時からに設定されたため、理事会の開催時間を11時からに遅らせてもらって、ホテルから先ず教育省へ向かう。
イムセティ大臣とは、2010年9月のラジオによる英語の教育放送事業の開始式(http://blog.canpan.info/ohno/archive/755)でご一緒して以来なので、1年半ぶり。その間に、我々が現地に設立したNGOであるESC-Kizunaによる英語放送事業は順調に推移し、授業を受けた生徒達の英語力は参加していない生徒の大きく上回る、という成果を挙げている。
今回は、教育省の支援に対してお礼を申し上げるとともに、大臣に当事業に対する希望を聞いた。すると、大臣からは評判が大変良いので対象校を拡大してほしい、という嬉しいリクエスト。また、ユニークなこの事業の効果を周辺国の教育省関係者にアピールするための専門家会議を教育省の主催で開催することで合意。

0420MoE.jpg
<教育大臣と会談、英語事業対象校の拡大を求められる>

教育省を辞して保健省へ。オークモナ保健副大臣、イムヤン事務次官を交えて、国立伝統医療学校の運営母体であるCaTMO(=Cambodia Traditional Medice Organization)の理事会に出席。CaTMOは日本財団が保健省に働きかけて設立したNGOである。理事会メンバーは保健省のお二人の他は、官房副長官のブンサンボ氏(本日はフンセン首相の日本訪問に同行中につき欠席)と、篠原前駐カンボジア日本大使と私。カンボジア人3名、日本人2名の構成である。
理事会の後は、中央駅近くのコロニアルスタイルの一軒家の中にある由緒ありげなフランス料理店で昼食会。その後は、一旦ホテルに戻り、メールチェックなどをして過ごす。
夜は、旧知のピルン保健副大臣と久しぶりに会って食事。伝統医療局が現在のオークモナ副大臣の担当になるまでは、ピルン副大臣が所管しており、彼とは一緒に伝統医療事業を構想した間柄だ。
来年に迫った総選挙に向けての選挙活動の話などを聞く。
0421GrandTheatre.jpg
<プノンペン新都心に出来た大劇場>

9時30分 ホテル出発
10時 教育大臣訪問
11時 CaTMO理事会
12時45分 CaTMO昼食会
19時 ピルン保健副大臣
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