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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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NLD(国民民主連盟)のスティッカーを貼った車が走る [2012年03月23日(Fri)]
3月23日(金曜日)
いつものように、早朝の成田便でバンコクから帰国の途に。
今回のミャンマー出張で驚いたのは、スーチーさんの政党NLD(国民民主連盟)のスティッカーを張ったタクシーなどの車が大変多かったこと。先月の出張では、気が付かなかったので恐らくは補欠選挙を4月1日に控え、急に広まった動きだろう。
それにしても、つい最近までは、NLD支持を堂々表明するのは刑務所入りを覚悟せねば出来なかったこと。ミャンマーの「民主化」の急速な浸透ぶりに改めて驚かされたのだった。
街角で撮ったそんな車の写真を以下にまとめて示すことにしよう。
赤地に白い星を見上げる黄色い孔雀を配したものがNLDの旗である。車の窓ガラスやボディなどあちこちに大小様々なスティッカーがみえる。中には、スー・チーさんの写真を飾る車も。
B-Eはタクシー。D、E、Fは小さく見える赤いのがNLDの旗のステッカーである。


320NLD1.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車@>
320NLD2.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車A>
320NLD3.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車B>
320NLD4.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車C>
320NLD5.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車D>
320NLD6.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車E>
320NLD7.jpg
<堂々とNLD支持を打出した車F>

06時半 ホテル出発
08時25分 バンコク発
16時20分 成田着
酷暑のバンコク [2012年03月22日(Thu)]
3月22日(木曜日)
ヤンゴンからの帰途、バンコクで途中下車。暑い。タイは、これから一年中で一番暑い時期に入る。
322BKK.jpg
<バンコクはもう真夏>

NHKバンコク支局の山口さんと会い、食事をした後、APCD(アジア太平洋障害者センター)へ。佐野さんらとESCAPの件などを打ち合わせ。その後は、FAO(国際連合食料農業機関)アジア太平洋地域本部の小沼代表らと、障害者農業支援事業にかかわる現状調査の件で打ち合わせ。
307Kids.jpg
<バンコクのバス停で並んで座って待つなかよし4人組>

12時 NHK山口記者
14時 APCD訪問
15時 ESCAP打合せ
16時半 FAO小沼代表
障害者自立研修の会場へ [2012年03月21日(Wed)]
3月21日(水曜日)
今日は、ミャンマー最終日。午後には、空港に向かわねばならない。
朝、朝食時にティンニュント博士が来訪。今回は、ネピドー行きにも翌日の国立医療技術大学や国立リハビリテーション病院の訪問にも付き合ってくれたのだが、その間、二人だけでは話をする時間がなかったので、来てもらったもの。来年度以降の日本財団のミャンマーにおける保健医療分野での活動の見通しと、その中で、博士に期待する役割について話す。
その後、ミャンマー出張中の朝日新聞藤谷アジア総局長と会って話し合う。彼とは、たまたまバンコクの空港でばったり出会い、お互いのヤンゴン滞在中に会う約束をしていたのだが、都合がつかず、私の最終日である今日の昼になったもの。
藤谷さんには、食事の後、日本財団が支援している「ミャンマー自立生活運動(MILI)」の研修会を取材してもらうことになっていたのだが、急用が出来たとのことで中止。私一人で、研修会場となっている国立盲学校へ向かう。
321MILI.jpg
<障害者自立研修に集まった障害者たち>

今回は、日本財団支援でMILIが行うことになっている障害者自立研修の第1回目。ミャンマー北端のカチン州など3つの州から、さまざまなカテゴリーの障害を持った若者たち、15人が集まっていた。3週間の研修だが、すでに2週間目。お互いに十分打ち解けているようで、なかなか、いい雰囲気のグループであった。
今後、5年間にわたり、このような研修を毎年2回ずつ行うことになっており、5年後には、総勢150人の卒業生と、全土二30か所の支部が生まれることになっている。
私は、スポンサーとしての日本財団を代表して、簡単に挨拶した後、彼らと意見交換の時間を持った。気が付くと、1時間が過ぎていた。名残惜しかったが、飛行機にのりおくれてはいけないので、荷物を取りにホテルに戻り、大急ぎでチェックアウトして空港へ急いだ。
321Oki.jpg
<ミャンマー人は日本贔屓 日本語の入った看板>

08時半 ティンニュント博士
12時 朝日新聞藤谷アジア総局長
14時45分 MILI研修会場視察
17時 ホテル出発
19時40分 ヤンゴン発
21時35分 バンコク着 
国立医療技術大学と国立リハビリテーション病院でプレゼン [2012年03月20日(Tue)]
3月20日(火曜日)
320UMT.jpg
<国立医療技術大学の正門>

今日は、カーソンさんらと、義肢装具士養成学校のパートナーになることが予定されている国立医療技術大学と国立リハビリテーション病院を訪問。
午前中は先ず、国立医療技術大学へ。ここは、医師そのものではなく、医師の補助役として働く放射線技師や検査技師、理学療法士などを育成するための国立教育機関であるが、義肢装具士の養成教育はまだ行われていない。そこで、この大学の新たなコースとして、義肢装具士コースを新設してもらおうという訳だ。
320campus.jpg
<国立医療技術大学のモダンな建物>

カーソンさんのプレゼンのあと、ナインウィン学長ら幹部職員と会議。学長によると、義肢装具士養成の必要性は感じていたが、これまで人的にも、財政的にも余裕がなく、出来なかった。もし、それが実現するならこんなに有難いことはない、と大喜び。
会議の後、学校のキャンパスを案内してもらった。授業風景を覗いてみると、圧倒的に女生徒が多かった。
320students.jpg
<授業風景を覗いてみると女生徒ばかり>

国立医療技術大学訪問のあと、近くのレストランで昼食を取ったが、そこには保健省伝統医療局長のアウンミント博士が顔を出してくれた。ティンニュント博士の後を継いで、2年前に、伝統医療局長に就任。置き薬事業の責任者で、日本財団のよき理解者だ。今回は、タイで行われていたASEAN伝統医療担当者ワークショップに参加した帰り、ネピドーの保健省に戻る途中、私に会うため時間を割いて昼食に合流してくれたという訳である。ミャンマー全土14州で展開中の置き薬事業や、ラカイン州で開始予定の学校用置き薬に関して打ち合わせを行うことが出来た。
昼食後、再び、4人で国立リハビリテーション病院へ。ここは、義肢装具士養成学校が出来れば、学生たちの実習の場となる予定。病院長のウインゾー博士らと打ち合わせ。
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<国立リハビリテーション病院での会議>

国立医療技術大学で行ったのと同様のプレゼンテーションの後、国立リハビリテーション病院の内部の施設を見せてもらう。この病院には、JICAから派遣された日本人専門家が常駐して、理学療法や作業療法などリハビリテーションの指導にあたっている。
ティンニュント博士によれば、設備の面でも日本政府の国際協力により数年で急速に充実したのだそうだ。
国立リハビリテーション病院での会議を終えて、ホテルに戻り。夜は、MILI(ミャンマー自立生活運動)のネイリンソー代表らと、食事を取りながら打ち合わせ。
320UMTreharoom.jpg
<JICAの協力でリハビリなどの設備がここ数年で急速に充実した>

9時半 ホテル出発
10時半 国立医療技術大学訪問
12時半 保健省アウンミント伝統医療局長
14時 国立リハビリテーション病院訪問
18時半 MILIネイリンソー代表ら
またまたネピドーへ日帰りの強行軍 [2012年03月19日(Mon)]
3月19日(月曜日)
今日はこれから、陸路で首都のネピドーを目指す。出来れば飛行機で新空港を利用してみたかったのだが、今のところ、ヤンゴン・ネピドー間の空路は早朝にヤンゴンを出て昼過ぎにネピドーを出発する便一便のみ。今回のように日帰りで仕事をしようとすると、どうしても陸路に頼らざるを得ない。
現地でのアポに間に合うよう早朝4時半にエルウィンさんと二人でホテルを出発。途中、カーソンさんのホテルで彼をピックアップ、さらに、保健省前局長のティンニュント博士の自宅によって博士を乗せるころには5時になっていた。総勢4人が揃ったところで出発。
車は、100キロ以上のスピードで薄暗いハイウエイを飛ばす。相変わらず、広い道路にも拘わらず、交通量が殆どないので危険は少ないのかも知れないが、コンクリートの路面はお世辞にもスムースとは言えない代物なので、モーレツに揺れる。
319Sunrise.jpg 
<ようやく朝日が昇る>

しかし、スピードを出したおかげで、9時ころにはネピドーについてしまった。ものの4時間しかかからなかったことになる。私にとってはこれまでの最高記録。初めて陸路で行ったときはこのハイウエイも開通しておらず、一般道路を12時間かけて走ったことを思い出す。
エルウィンさん知り合いのホテルでお茶を飲みながら小休止。ティンニュント博士が、保健省とのアポイントを確認しようとするがうまくいかない。何と、保健省での会議の責任者になる筈だったタンゾーミン医学局長は、急用が出来て我々と入れ違いにヤンゴンに出張してしまったというではないが。それでは、何のために来たのか分からないとがっくりするカーソンさんに、「Don’t worry何とかするから」と博士。彼のいつもの口癖だ。
結局、局次長が代わりに面談してくれるというので、保健省に向かう。最初に、国際課でココナイン課長に面談し、カーソンさんに対するビザ発給問題について打ち合わせ。
319MoH.jpg
<保健省のオフィス なぜか女性が多い>

その後、我々4人は医学局の会議室に案内され女性のティンティンレイ医学局次長以下保健省で医学教育を担当する部署の幹部に会い、我々がミャンマー政府に提案しょうとしている義肢装具士養成学校プロジェクトについて説明。今回の出張に先立ち、私の名前で保健大臣に提出していた趣意書は、既に大臣も目を通し、了解してくれているとかで、好意的な反応。
ただ、保健省のみならず、養成校設立時には、専門教育や実習面でパートナーになる見込みの、国立リハビリテーション病院や、国立医療技術大学の責任者も交えた関係者が一堂に揃う会議を開催したいので、そこで改めて事業の構想について詳しく説明してほしい、という要請があった。

319mtg.jpg
<保健省医学局の幹部と打合せ>

医学局での打ち合わせを終えて11時半。昼食はヤンゴンへ戻る途中で取ることにし、再び、ミニバンに乗り込み、全員でネピドーを出発。途中、車は行きのスピードの出し過ぎが祟ったのかオーバーヒート。冷房を切らざるを得なくなった。外の空気を入れるが暑い。気温は35度くらいだろうか。
このハイウェイのほぼ真ん中に位置する場所にある唯一のサービスエリアに到着、昼食にありついたのは2時前。ゆっくり食事をしていると、携帯電話でなにやら連絡をしていたティンニュント博士が、「Good news! 医学局長とヤンゴンで会えることになった」と得意そうに言う。ヤンゴン出張中の局長をつかまり、今日の夜、特別に我々と会ってくれるというのだ。会合の場所は、ティンニュント博士の自宅、時間は夜9時。何と、タンゾーミン医学局長の自宅はニュント博士の自宅のすぐ近くなのだそうだ。
ヤンゴンに戻って来たのは夕方の5時。ホテルに戻り、シャワーを浴びて着替えをして夕食。そのあと、ニュント博士の自宅に行く。ほどなくして、タンゾーミン局長がやって来た。ネピドーでやったのと同じ話を繰り返す。
医学局長は、大臣も賛成しており、原則的には提案の線で進めたい。ただ、関係者とすり合わせをしておく必要があるので、来月中旬のミャンマー正月明けに改めて関係者が一堂に揃う会議を開催するので、そこで、カンボジアトラストと日本財団のプレゼンをやってほしい、と言われる。

4時半 ホテル出発
9時 ネピドー到着
9時半 保健省国際部長打合せ
10時半 保健省医学局次長打合せ
17時 ヤンゴン帰着
21時 保健省医学局長打合せ
今年4回目のミャンマー行き [2012年03月18日(Sun)]
3月18日(日曜日)
またまた。ミャンマー行き。何と、今年4回目。今回の目的は、義肢装具士養成学校の話を具体的に進めるためのミャンマー政府関係者らとのミーティング。日本財団にとっての、この分野での長年のパートナー、カンボジアトラストのカーソン代表とともに、保健省、国立リハビリテーション病院、国立医療技術大学などを訪問することになっていた。
ただ、肝心のカーソンさんのビザの取得に手間取り、外務省OBのエルウィンさんと、保健省OBのティンニュントさんのお二人にサポートを依頼し奮闘してもらったが、出発する直前までビザが取得できず、最後の最後まで果たして実現するかどうか、気を揉まされることになった。
ミャンマーは「民主化」以後、大きく変わったとは思うのだが、現場の末端では今なお厳格な手続きがそのまま残されていることを、思い知らされた今回の経験だった。
いつものタイ航空便で18時40分ヤンゴン到着。ホテルにチェックインして間もなく、一足早くヤンゴン入りしていたカーソンさん、エルウィンさんがやって来た。明日からのスケジュールなどを打合せ。
321Pagoda.jpg
<ヤンゴンの象徴シュエダゴンパゴダ 何回見ても美しい>

10時50分 成田発
16時05分 バンコク着
17時55分 バンコク発
18時40分 ヤンゴン着
19時半 エルウィンさんらと打合せ
帰国 私の旅の工夫(17) [2012年03月08日(Thu)]
3月8日(木曜日)

寒さの北京から常夏のシンガポールへ南北に移動する短い出張が終わった。元々は北京からウランバートルへ寒さを覚悟して計画した、冬の出張だったのだが、バンコクとシンガポールにまで足を伸ばす結果になった。そのくせ、シンガポールでは予定していた面談が出来なくなるというハプニングもあった。しかし、結果的には、バンコク、シンガポールとも非常に収穫の多い旅であった。
さて、今回は私の旅の工夫(17)として、私がいつもスーツケースの中に忍ばせているガムテープの変わった活用法について。ガムテープはいろんな時に重宝するのだが、ここで、紹介するのは、浴槽の縁を超えてシャワーの水が外に漏れるのを、ガムテープを使って防止する方法。
私自身の経験では、途上国のホテルでは、ホテルのバスタブの据え付けに問題があるせいか、シャワーの水がどうやっても浴槽の縁を超えて外に漏れ出し、床をびしょびしょに濡らしてしまうことが少なくない。そんな時にはガムテープが効果を発揮する。使用法はガムテープを粘着剤の付いた面を下に、逆Tの字の形に折りたたみ、水の流れをブロックするように貼り付けるというもの。逆Tの字の形にうまく折るのにはコツがいるが、やりにくければ単純にL字型でも十分だ。
しかし、機内持ち込みの手荷物にしていると、危険アイテムとして取り上げられることもあるのでご用心。ハイジャッカーたちが、人質に取った乗客を縛る時に使うのを心配しているとでも言うのだろうか。理由は定かではないが、確か以前、インドで取り上げられたことがある。チェックイン荷物の中に忍ばせておけば良い。
308gumtape.jpg
<テープを逆Tの字の形に折って浴槽の縁につける>

06時半 ホテル出発
08時30分 シンガポール発
16時20分 成田着 
予定キャンセルで事実上の休息日 [2012年03月07日(Wed)]
3月7日(水曜日)
今日は曇り、29度。
シンガポールに着いてみると、今日の午前中と、昼に予定していた2つのアポイントメントがいずれも、先方の予定の急変でキャンセルになったとの連絡が入っていた。
こんなこともあると、ジタバタせず、夕方までホテルでメールのチェックをしたり本を読んだりして久しぶりにのんびり過ごす。
夕方、ワシントンにあるアメリカン大学の前国際関係学院長で今は、シンガポール国立大学のリークアンユー公共政策大学院で客員教授をしているグッドマン教授と会い、夕食を一緒に取る。グッドマン教授のアメリカン大学の国際関係学院とは、現在、障害者のための公共政策大学院(IDPP)の事業で提携中だが、この事業のアイデア段階では彼に色々相談し、アドバイスをもらったことを思い出す。
グッドマン博士と、二人だけでゆっくり話すのは何年ぶりだろう。今回の話題は、博士の新しい研究テーマと、彼が最近行って帰って来たばかりというミャンマーのことなど。3時間近く話し合ったが、相変わらず、非常に示唆に富む話ばかりで私にとっても大変有意義だった。

18時半 シンガポール国立大学グッドマン教授
大きな収穫 [2012年03月06日(Tue)]
3月6日(火曜日)
朝。9時半。APCD(アジア大平洋障害者センター)の佐野さんたちがホテルに迎えに来てくれて、一緒に、タイ・スタンダードチャータード銀行の本店へ。
タイ・スタンダードチャータードは英国の老舗銀行であるスタンダードチャータードのタイ法人である。かねてより、障害者雇用などに熱心で、APCD が始めたDIB(Disability Inclusive Business)のワークショップの参加メンバーでもある。
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<視覚障害者がコールセンターで働いていた>

今回は、幹部メンバーとDIB推進の諸方策を話し合うために訪問したもの。具体的な内容は、ビジネスなのでここでは明らかにできないが、金融機関としての障害者支援の具体策につき話しあった。日本財団がベトナムの社会政策銀行と組んで始めようとしている障害者ビジネス向けのファイナンススキームについても説明すると、興味を示し同行としても検討してみることを約束してくれた。
昼食の後、国連バンコク本部へ。ESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)の社会開発局のナンダ局長にお会いし、来年から始まる第3次「アジア太平洋障害者の10年」に関連させて、日本財団の支援でESCAP に、DIB賞を設置する事業について協議。
スタンダードチャータード銀行といい、ESCAPといい、今回はいずれも懸案のテーマについて、かなり突っ込んだ議論をする事が出来た。特に、ESCAPでは、責任者のナンダ局長とDIB賞について大枠のイメージで合意することが出来た。実り多い一日であった。
ESCAPでの協議を終えて、APCDの車でそのまま空港へ送ってもらった。シンガポールへ向かう。
307UN.jpg
<ESCAPなどが入る国連バンコク本部ビル>

9時半 ホテル出発
10時 スタンダードチャータード銀行
14時半 UNESCAP
19時25分 バンコク発
22時45分 シンガポール着 
厳寒の北京から常夏のバンコクへ [2012年03月05日(Mon)]
3月5日(月曜日)
元々今回の北京行きは、モンゴル行きと併せて計画した北京行きだったが、モンゴルでの置き薬事業の政府肩代わりが順調に進んだために、私のモンゴル出張は中止。代わって入って来たのが、バンコクにある国連アジア太平洋経済社会理事会(UNESCAP)での会議とシンガポール行き。
バンコクでの時間を有効に使うために、北京からの飛行機を早朝の出発便にしたので、今朝は4時前に起きて、真っ暗な中、朝の4時半にホテルを出発。北京発6時30分のバンコク行きに乗り込む。
定刻の11時を30分ほど遅れて、バンコクに到着。ダウンのジャケットなどの防寒具は畳んで手荷物の中へ。空港の外に出てみると暑い。さすがに、常夏の国。気温は35度くらいだろうか。 
空港から、タイ保健省へ直行。盲人用医療マッサージ事業の調印式に臨むためだ。飛行機が遅れた上、運転手が道に迷ったため、会場到着は開始予定時刻の2時ちょっと前。当初は1時からの予定を、念のためにと2時からに遅らせてもらっていて良かった、と胸をなでおろす。
日本財団を代表して私、タイ保健省の方は、新しい伝統医療局長のスパンスリタンマ博士が調印。式典が終わって、私はスパン局長としばし懇談、この事業の狙いを詳しく説明することが出来た。
夜は、昨年暮れにミャンマーへご一緒した西日本新聞進藤支局長らと夕食。
306Ceremony.jpg
<タイ保健省での盲人用医療マッサージ事業調印式>

4時半 ホテル出発
06時30分 北京発
11時30分 バンコク着 
14時 タイ保健省調印式
19時 西日本新聞進藤支局長
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