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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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障害者に優しい企業を格付けする [2012年01月31日(Tue)]
1月31日(火曜日)
朝8時にホテルを出て、スカイトレインを乗り継いでAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)へ。昨年から始まった、Inclusive Businessに関するブレーンストーミング会議に出席するためだ。
Inclusive Business(IB)というのは、APCDの二ノ宮所長たちが考え出したコンセプトで、障害者のビジネスへの参画を、消費者として、従業員として、経営者としての3つの側面からバックアップしようとするもの。
これまで、どちらかと言うと手薄であった、企業と障害者団体/個人との連携を重視するものだ。
<APCDで始まった格付けに関する会議>

昨年6月、バンコクで第一回の会議を開いたあと、9月にマニラで情報通信ビジネスに特化した討議を行った。その次は、10月末にバンコクで、農業や食品加工などに関する会議を予定していたが、これは洪水騒ぎと重なり、延期を余儀なくされている。
今回は、メンバーの一人で障害者の弁護士のジョンさんから提案のあった、スターレーティングシステム(SRS)を討議しようというもの。SRSとは、ミッシェランのレストランやホテルの格付けのように、企業の障害者対応を格付けしようというもの。
<フィリピンからは全盲の建築家、シルバさんも参加>

タイの他、フィリピン、マレーシア、インドネシア、カンボジア、ベトナム、スリランカなどから20人以上の障害者、障害者支援団体関係者、企業家、国連機関担当官などが集まり、朝から、夕方まで熱の入った討議を続けた。
夜は、APCD主催のレセプション。


<熱心な議論が続いた>

<APCDの入り口で見つけた日本財団寄贈の車椅子運搬用車両>

8時 ホテル出発
9時 Inclusive business会議
18時 APCD主催夕食会
また、また、バンコク [2012年01月30日(Mon)]
1月30日(月曜日)
一日日本にいただだけで、再び、バンコクへ。お金の無駄遣いと言われても反論のしようがないが、こうなってしまったのだ。
夜は、FAOアジア太平洋地域代表の小沼さんと、CIAT間遠さん、APCDの二ノ宮所長、佐野さんに集まってもらって、障害者の農業支援事業について相談。CIAT間遠さんは、この事業のため、明日からAPCDに出向だ。


10時50分 成田発
16時00分 バンコク着
18時 CIAT間遠さん
19時 FAOアジア小沼代表
一旦帰国するのが良いのかどうか、、、 [2012年01月28日(Sat)]
1月28日(土曜日)

月曜日にはバンコクのAPCDで障害者関連の会議に参加するため再び来るのだが、ここで一旦帰国。
以下に、今回の出張中にバンコクで見つけた春節の飾りつけの写真を披露しよう。
タイは、国民の対中感情に微妙な要素が含まれる国が多い、東南アジア諸国の中では(勿論、シンガポールは例外だが)、大変、対中感情の良い国として知られている。
今回も、現地紙の紙面トップに、中国式の赤いドレスに身を包んで、中国正月のお祝いに中国大使館を表敬する、王妃と王女の写真が掲載されていた。
真偽のほどは知らないが、現王家には華人の血が流れているという噂を聞いたこともある。国民に人気の高い、シリントーン王女は一時、北京大学に留学していたというし、タクシン元首相も中国がルーツだ。
以前、中国人に聞いたことを思い出した。近年、中国人の海外旅行がブームになっているが一番人気はヨーロッパなのだそうだ。ただ、高額でなかなか手が出ない。そこで、オーストラリアや東南アジアのような近場にも需要がある。
その、東南アジアの中では、シンガポールとタイが人気なのだとか。反中意識の心配が最も少ないからだ。確かに、今回の出張中は中国人と見られる観光客を多数、目にした。23日からの春節の休みを利用した観光旅行なのだろう。
バンコク市内の春節の飾りつけも、このような中国人観光客をも多分に意識したものだったかも知れない。

<タイでの春節の飾りつけ(その1)空港>

<タイでの春節の飾りつけ(その2)市内ショッピングビル>

<タイでの春節の飾りつけ(その3)市内ショッピングビル>

<タイでの春節の飾りつけ(その4)市内ショッピングビル>

5時半 ホテル出発
8時25分 バンコク発
16時20分 成田着
ヤンゴン国際空港は大混雑 [2012年01月27日(Fri)]
1月27日(金曜日)
ヤンゴンでの用事は済んだ。今日はバンコクに戻り、当初の目的であったプリンス・マヒドン賞会議に戻らねばならない。
朝8時にホテルを出て、空港へ急ぐ。途中、道路のアスファルトを補修しているところに遭遇。これも、テインセイン政権の民生重視で道路予算が増えたからかも知れない。

<朝の空港へ向かう道>

ヤンゴンに来るたび思うのだが、ヤンゴンは美しい街である。車は古く、家々の建物も錆とカビとで古ぼけてみすぼらしいものが多いのだが、みどりが多く、ごみもなく手入れが行き届いている。空港に向かう、路上の至る所で、黄色いベストを着けた掃除夫の姿を見る。
<空港へ向かう朝の道に掃除夫の姿>

空港についてみると、今まで見たことがないほどの大勢の人々で溢れていた。航空会社のチェックインカウンターにも長蛇の列。こんなことはミャンマーでは本当に初めての経験。
特に何かが起きたわけではなかった。ただ、近年新たな航路が開設されたこともあり、この時間に出発便が集中することになった為のようだった。これからは、こんな状況が日常化するのかも知れない。
外国人のエゴではあるが、安いホテルと、いつも空いている道路、がらがらの空港というミャンマーの「贅沢」が今後はなくなるのだとしたら、ちょっぴり寂しい気も。

<ヤンゴン国際空港は大混雑>

バンコクに着くと、すぐに、プリンス・マヒドン賞会議の会場に直行した。今日も昨日に続いて、本会議と、分科会が行われ、会場は活気にあふれていた。
会議は明日までなのだが、私は、明日の朝の便で帰国しなければならない。そして、月曜日には、再び、バンコクに舞い戻り、APCDでの会議に臨む。
先週のミャンマー行きが無ければ、今回のと次回の出張はくっつけ、週末はバンコクに残ることにすべきだったのだが、それではあまりにも長い出張期間になるので分割したもの。しかし、この判断が正しかったかどうか、自分でも分からなくなりそうだ。
夜は、CIAT間遠さんとの打合せの後、APCD二ノ宮さんたちと来週の会議の打ち合わせを兼ねた食事。

<マヒドン賞の過去の受賞者を示すパネル それによると日本人は2人>

8時 ホテル出発
9時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
13時半 マヒドン賞コンファレンス
18時 CIAT間遠さん打ち合わせ
19時 APCD二ノ宮さん
障害者芸術祭に向けて協議 [2012年01月26日(Thu)]
1月26日(木曜日)
朝9時半、約束の時間にホテルの一階ロビーに降りてゆくと、ラカイン州政府のアウンチョウミン保健教育大臣、ネピドーの連邦政府保健省のアウンミント局長が、ティンニュント博士の三人が揃って待っていてくれた。
本当は、先週、ヤンゴンに来た際に、このミーティングを持とうと企画したのだが、アウンチョウミン保健教育大臣のヤンゴン出張スケジュールとうまく合わず、断念。今週の彼の出張のタイミングに合わせて、こうして別途、持つことにしたもの。アウンミント局長に至っては、わざわざ、この会議のために、ネピドーから出張、今日の午後、とんぼ返りとか。感謝、感謝。
早速、全土でで展開中の伝統医薬品配布事業第2フェーズの予算額の詰めを行い合意。さらに、ラカインでの学校建設と、学校での保健衛生教育に関する新規事業の予算規模と枠組みについても、基本的に合意。今後は、ラカイン州政府にて、具体的な建設校の選定と、予算の見積もりを取りまとめてもらうことにした。

<障害者芸術祭に向けて皆で集まって協議>

ロビーでの打ち合わせが終わると、入れ替わりに、エルウィンさんがやって来た。ざっと、打ち合わせをして早速、市内の盲学校へ。ミャンマー自立生活運動(MILI)の呼びかけに応じて、集まった各障害者団体の代表と障害者芸術祭の構想についてディスカッション。
冒頭に、2008年のカンボジアでの障害者芸術祭のDVDを披露。ミャンマー語の字幕付きだ。その後、全員で、進め方について協議した。熱心なディスカッションが続いたが、我々は、この後、ヤンゴン総合病院のリハビリテーション科へ行かねばならないので、彼らを残し、中座。

<ヤンゴン総合病院>

ヤンゴン総合病院に着くと、リハビリテーション科長のキンミョーフラー博士が待っていてくれた。先週のMILIの事業の開始式典で知り合った女医さんである。義肢装具士養成学校事業の進め方について相談する。
<リハビリテーション科へ>

ヤンゴン総合病院を出て、ホテルへの帰り道、お揃いの赤いロンジーを身に纏った若い女性の集団に遭遇。赤いロンジーはミャンマーでは看護婦さんのシンボルだ。彼女たちは、近くにある看護学校の生徒さんたちであった。
夜は、再び、ティンニュント博士と落ちあい、ミャンマーヌードルレストランへ。博士の友人と言うAさんも合流。彼も開業医だ。数年前に軍を退役したという。

<ミャンマーの看護婦さんの制服は赤いロンジー>

9時半 ラカイン州新規事業等打ち合わせ
13時 エルウィンさん打ち合わせ
13時半 ホテル出発
14時 障害者芸術祭打ち合わせ
16時 ヤンゴン総合病院リハビリ科訪問
18時 ティンニュント博士
洪水の被害状況視察に出掛ける [2012年01月25日(Wed)]
1月25日(水曜日)
日本財団が20年以上前にトレーニングセンターの建設などを支援した、バンコク郊外のドンムアン空港近くに本部を持つ「女性の地位発展協会」へ洪水の被害状況視察に出掛ける。朝8時半、ホテルにExecutive Directerのメイティネーさんが運転手つきのベンツで迎えに来てくれた。
バンコクの国際空港の機能の大半がバンコク東部にある現在の新空港に移るまでは、北部のドンムアン空港がその機能をになっていた。昨年の10月末にピークを迎えた、未曾有の洪水騒ぎで最も大きな被害を受けた地区の一つがこの旧空港周辺地区だ。

<路上に放置された車に残る洪水の跡>

「女性の地位発展協会」のあるドンムアンに近づき、高速道路を降りたとたん、目に飛び込んできたのは道路の端に放置されたままの車の列だった。
いずれの車も、車体に今も残る泥の跡で長い間水に浸かってしまい動かなくなってしまっていることが明らかだ。中には、屋根ぎりぎりまで、即ちほとんど完全に、水没していた車もある。
<ほとんど完全に、水没していた車も>

「女性の地位発展協会」の敷地に入ると、建物の中にあったはずのロッカーや机などが外に出されたままになっていた。建物の内部に入ってみると、長期間水に浸かっていたために壁は腐り、床の木のフローリングもボロボロになるなど、予想以上にダメージが大きいことがわかった。
<ササカワトレーニングセンターの前で>

<メイティネーさんが水位の跡を指差す>

メイティネーさんが一本の柱に残った水位の跡を指差す。そこが最も水位が高かったところだと言う。ゆうに、1メートルを越える高さだ。
体育館に行って見た。外見はなんともないが、中に入ってみると、床板が腐ってぼろぼろになっていた。やはり、長期間水に漬かった為だ。
洪水の被害が予想以上に大きく深いものであることに驚かされた。水が引いたからといって、問題が解決したわけではないのだ。

<体育館の木の床も腐り使えなくなってしまった>

一旦、ホテルに戻り、チェックアウト。空港に向かう。夕方6時前のヤンゴン行きに乗り込んだ。今日も満席だ。

8時半 ホテル出発
9時半 女性の地位向上協会(APSW)被害状況視察
15時 ホテル出発
17時55分 バンコク発
18時40分 ヤンゴン着
プリンス・マヒドン賞会議に参加登録を済ます [2012年01月24日(Tue)]
1月24日(火曜日)
<バンコク国際会議場の入るセンタラグランドビル>

プリンス・マヒドン賞会議に参加するため、会場のセンタラグランド(バンコク国際会議場)へ。
プリンス・マヒドン賞とは、現国王の父君で、米国で近代医学を学びながら若くして急逝した、マヒドン王子を記念して1992年につくられた医学・公衆衛生分野で業績を上げた個人や組織を表彰する賞である。2007年からは賞の授与式に合わせて医学と公衆衛生分野に関する国際会議(PMAC)が毎年開かれている。主催者は王立プリンス・マヒンドン賞財団。
今年の会議はWHOや世界銀行、日本のJICAなどもパートナーとして加わっている。
<プリンス・マヒドン賞会議の会場内部 既に満員御礼で入れないワークショップも>

本会議は、明後日から始まるのだが、今日からは様々なテーマでワークショップやサイドイベントが始まり、明日は、目的別のエクスカーション(現場視察)が予定されている。
センタラグランドの受付で参加登録を済ませ、国際会議場内のサイドイベントを覗いてみた。中には、既に満員御礼で入れないワークショップも。
参加登録の窓口で働く若い人たちは、マヒドン大学の学生さんたち。彼らによると、今回の参加予定者は500人超とか。

<本会議と併行して行われるサイドイベントの案内板>

参加登録をしてみて驚いた。ずっしりと重いリュックサックごと渡されたのだが、その中に入っていたのは10数冊の書籍と、2枚のCD。これでは読了するのは勿論のこと、持って帰るだけでも大変だ。
<参加者に配られたリュックに入っていたのは10数冊の書籍と、2枚のCD>

サイドイベントをいくつか覗いたところで、会議場に近接するセントラルワールドを通り抜けようとして、大変な人ごみに遭遇。若い女性が圧倒的に多いが、その人ごみの中心から時折、「キャーッ」という歓声と大きなどよめきが聞こえてくる。好奇心に駆られて、近寄って見ると、韓国の若手歌手グループだった。タイでも、今、若い人の間で、K-Popが大人気と聞いていたが、それを目撃した瞬間であった。
夜は、先月、ミャンマーにご一緒した日系マスコミの方々に集まってもらい、3月に予定しているスリランカ・ミッションの説明会。

<タイでもK-Popは大人気>

10時 マヒドン賞記念シンポジウムサイドイベント
18時半 在バンコク日系マスコミ関係者と夕食

バンコクへそして再びヤンゴン [2012年01月23日(Mon)]
1月23日(月曜日)
木曜日の夜中に帰国し、金曜日一日財団で仕事をしただけで、また、バンコクへ舞い戻る。金曜日にどうしても出席しないといけない会議があったためだ。
明日からregistrationが始まるプリンス・マヒドン賞会議(PMAC2012)に参加するため、もともと予定していた今週のバンコク行きだったが、先方の都合がつかず、先週のミャンマー行きで片付けられなかった仕事のために、明後日の夕方には、再び、ヤンゴン入りの予定。
そんな訳で、今夜はバンコク泊まり、丸紅バンコク支店の内藤副支店長らと夕食。丸紅はいち早くミャンマーの首都ネピドーに支店を開設、ミャンマービジネスを活発化させる体制を整えている。スリランカのことも含めて意見交換。


10時50分 成田発
16時05分 バンコク着
18時 丸紅バンコク支店内藤副支店長
バンコク経由で一旦、帰国 [2012年01月19日(Thu)]
1月19日(木曜日)
今日は、バンコクに移動する日。朝、7時半チェックアウトして、まだ少し、薄暗い中を空港へ急ぐ。信号待ちをする沢山の車の列に出会う。このところ、急速に車が増えた。
その結果、これまで東南アジアの都市では例外的に渋滞がなかったヤンゴンの市内でも、まだ部分的であるとはいえ、ついに交通渋滞が生じるようになった。
今後、政治が安定し、経済の開放化が続けば個人の所得が増えるにつれて、ミャンマーの人たちの間にもマイカーブームが到来するのは確実だ。既に、それを見越して、各国の自動車メーカーが先を争うようにして新車のショールームを開設していると聞く。
<朝のラッシュアワーには渋滞が始まった>

朝の托鉢に向かうお坊さんたちの姿を見ながら考えた。ヤンゴンの街の魅力の最大要素の一つである、この落ち着きが、今後、この国の経済発展とともに損なわれていくのではないかと思うと寂しいが、ミャンマーだけが変わらないことを願うのは外国人のエゴかも知れない、と。
<朝の托鉢に向かうお坊さんたちの姿 これもあといつまで、、、>

経済成長とともに、人々の健康問題が関心を集めつつある。保健省OBで今は開業医のティンニュント博士によれば、ミャンマー料理は油の摂取量が多すぎる傾向にあり、メタボ症状が問題になってきているというのだ。
尤も、軍政に批判的な人の中には、むしろ、油の質が悪化していることが問題で、以前は、良質の油だったので問題はなかったが、最近は経済の荒廃により油の質が落ちたからだ、と指摘する向きもあるそうで、真偽のほどは分からない。
<上流階級を中心に非常に太った人も少なくない>

ただ、ミャンマー料理が異常ともいえるほど油を大量に使うことは事実。また、ミャンマー人には一般に細身の人が多く、太った人の数はそれほどではないが、時に、異常に太った体形の人に出会うことも決して少なくない、というのは実感するところ。今後、ミャンマー出張の機会が増えることが予想される私も、ますます気をつけねば、、、。
<油を使ったミャンマーの食事が原因?>

ヤンゴンからバンコクへ向かう機内でもらったタイの英字紙The Nationを開く。またまた、大きなミャンマー関連記事。アウンサンスーチーさんが18日、ヤンゴン管区タンリンの選挙管理委員会事務所を訪れ、4月1日実施の国会下院補欠選挙への立候補を届け出た、とあった。
バンコクで羽田行きタイ航空機に乗り継ぐ。予定時間より大幅に遅れて、深夜の羽田に到着。やれやれ。

<スーチーさんの補欠選挙出馬を報じるタイの新聞>

7時半 ホテル出発
9時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
14時50分 バンコク発
22時30分 羽田着
ミャンマー自立生活運動始まる [2012年01月18日(Wed)]
1月18日(水曜日)
朝8時半、一人ホテルを出発。ヤンゴン市内インヤー湖にある国際ビジネスセンターへ。ここでこれから、日本財団がミャンマーで初めて手掛ける障害者支援事業である「ミャンマー自立生活運動(MILI)による若手の障害者自立運動指導者の育成と運動組織設立支援事業の開始式典が行われるのだ。
行ってみると、予想外に大勢の人たちが集まっていた。障害当事者のみならず、日本を初めとする国際NGOの関係者もいる。
冒頭に、社会福祉省のヤンゴン事務所の副所長が政府来賓を代表して挨拶をした。私の隣に座ったのは、ヤンゴン総合病院のリハビリ部長の女医さん。義肢装具師養成学校の設立の話をしたところ、それこそ自分が長年抱いてきた夢だと興奮気味に話す。私が次回、ヤンゴンを訪問する際は必ず、総合病院を訪問することを約束する。
<ミャンマー自立生活運動開始式典に集まった人々>

式典の中で、MILI代表のアウンミンコーさんらがミャンマーにおける障害者を取り巻く環境について、レクチャーしてくれた。それによると、ミャンマーの総人口の2.32%(約130万人)が障害者。その原因は、先天性のものが36%。大半が後天的なもの、うち、疾病によるもの44%、事故によるものが20%となっている。
ミャンマーでは、障害を持った児童のうち、の初等教育を受けているものは47%と半数以下に留まり、障害者のうち、大卒は1%。障害者85%が仕事を持っていない。
しかし、ミャンマー政府は、近年、障害者支援に力を入れ始めており、2008年に初めて、全国的な障害者状況調査を実施したあと、2010年には、障害者のための全国行動計画を採択、さらに、2011年には、障害者の権利基本法作りが開始されている。また、昨年、12月には国連障害者権利憲章を批准している。(一方、日本政府は国内法の整備に手間取り、まだ、批准していない)
<自立生活運動(MILI)代表のアウンミンコーさんが挨拶>

式典を終えて、一旦、ホテルに戻り、エルウィンさんと落合い、全盲のギタリスト、ゾーウィンミントさんの事務所へ。2014年に企画しているASEAN障害者芸術祭のための情報収集の一環として、ASEAN障害芸術家ネットワークの名簿に含まれていたミャンマー人ギタリストの彼に会ってみようとMILIのメンバーに紹介をお願いしていたのだ。
着いてみると、既に、MILIのメンバーが集まっていた。私から、障害者芸術祭の狙いと背景と、これまで日本財団がカンボジアなどで行ってきた障害者音楽祭の経緯と、ASEANネットワークについて説明。エルウィンさんがそれをミャンマー語で補足しながら説明。途中で、エルウィンさんとゾーウィンミントさんが叫び声を挙げたので何事かと驚く私に、実は、親戚同士であったことが判明したんだ、とエルウィンさん。
<盲目のミュージシャンを訪ねて打合せ>

ゾーウィンミントさんとの話し合いを終えて、MILIのメンバーとミャンマー料理店で昼食を取りながら今後の進め方について相談。その結果、来週、私がヤンゴンを再訪するのにあわせて、障害者団体の代表などもっと大勢の関係者に集まってもらい、改めて、準備会合のようなものを開くことになった。
<自立生活運動のメンバーと昼食>

こってりしたミャンマー式昼食を満喫したため、夜は、ホテルの売店で買って来たサンドイッチとビールを、部屋でひとり食べる。たまには、こんな気楽な夕食も悪くない。

8時半 ホテル出発
9時 ミャンマー自立生活運動開始式典
13時 盲目のミュージシャン訪問
14時 MILIメンバーとの打合せ
17時 エルウィンさん打合せ 
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