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大野修一(日本財団)
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羽田便で帰国  [2011年12月23日(Fri)]
12月23日(金曜日)
<コロンボのホテル玄関のクリスマスの飾りつけ>

スリランカに発着する飛行機は深夜に集中している。今夜のバンコク便も真夜中の1時20分の出発だ。コロンボ市内から空港までの所要時間は普段1時間くらいなので、10時にホテルを出発するつもりでいた。
ところが、クリスマス直前の金曜日の夜なので、交通渋滞で市内を抜け出すのに思わぬ時間がかかることもあるから早めに出発した方が良い、とウデニさんが言う。仏教国のスリランカなのに? 確かに、空港も、市内も、ホテルもあちこち、クリスマスのデコレーションだらけ。そこで彼のアドバイスを受け入れ、一時間前倒し、9時に出発。
しかし、幸か不幸か、渋滞も無くあっという間に空港に着いてしまう。出発まで3時間以上もある。バンコクへの到着は早朝の6時。しかし、スリランカとタイの間には1時間半の時差があるので、実質的な飛行時間は3時間ちょっとに過ぎない。本当は、今のうち、ひと寝入りしたいところだが、一人旅の身。万一、眠り込んでしまったら、そのまま乗りそびれる危険がある。ここは、ぐっとこらえて、我慢する。
おかげで、飛行機に乗るころには、眠気はピーク。機内に入るとすぐに、飲み物、食事総てを断って、ひたすら睡眠時間確保に注力。バンコクに着陸寸前までひたすら熟睡。
<仏教国スリランカだが、コロンボ空港にもクリスマスのデコレーション>

バンコクからは朝の成田行きに乗り継いでそのまま帰国してしまうことも出来たのだが、CIATに出向中の日本財団の間遠職員とバンコクで打合せをしたかったので、午後の羽田便を予約。
それまでの時間を睡眠時間の補充に当てるべく、市内のホテルに部屋を取っていたので、エアポートレイルリンク、スカイトレインの電車を乗り継いで、一目散に市内のホテルへ。シャワーを浴びてベッドに潜り込む。
当初は、間遠さんとここで会うつもりでいたのだが、出発ぎりぎりまで安心して話が出来るよう、空港内で待ち合わせることに。そこで、3時間余り眠ったあと、再び、エアポートレイルリンクを使って空港に戻り、彼と空港内の寿司スタンドで昼食を取りながら、打合せ。

<エアポートレイルリンクの急行路線の延伸を案内する看板>

空港とバンコク市内の移動用に新設された電車、エアポートレイルリンクだが、海外から飛行機で到着する旅行客にとって、必ずしも便利であるとは言い切れない。その最大の理由は、大きなスーツケースを持った人間の便を一切考えていないとしか考えようのない、アクセス面での配慮の無さにある。不思議としか言いようがない。
今回さらに、もう一つ、不思議なことに出くわした。これまでエアポートレイルリンクの急行は終点二つ手前のマカッサン駅止まりだったのだが、終点行きのパヤタイエクスプレスが遂に運行開始。
しかし、不思議な路線設定。常識的には、パヤタイエクスプレスもマッカサン駅には従来通り、停車すれば良いと思うのだが、パヤタイまで完全にノンストップ。そのため、急行としては、マッカサンまでの従来からのエクスプレスと、新設のパヤタイエクスプレスの2本立ての運行となった。そして、それぞれの急行の運転間隔はこれまでより倍増えて、およそ30分に一本と逆に不便になってしまった。
しかも、空港駅には、前掲写真のような看板が立てかけてあったが、電車内の案内板は、未修整でこれまでのまま。新設の急行についての記載は全くなし。何てちぐはぐなことをするんだろう。
<確かに、パヤタイ駅まで急行がやってきたが運転間隔は2倍に延びてしまった>

ぎりぎりまで、農業専門家の間遠さんと色々打ち合わせをして、タイ航空専用カウンターでチェックイン。セキュリティーゲートも別にあるのでスムースだ。羽田に夜遅く到着する便で無事帰国。体調も完全に復調したようだ。
今年最後の出張も終了。年初から数えると、19回目。今年は、累計152日の年間海外出張日数となった。


01時20分 コロンボ発
06時15分 バンコク着
12時 CIAT出向中 間遠さん     
14時50分 バンコク発
22時30分 羽田着
中国の存在感ばかりが突出 [2011年12月22日(Thu)]
12月22日(木曜日)
早朝、目覚まし時計が鳴る前に、鳥たちの鳴き声に起こされた。まるで競い合っているようで、誠にけたたましい。宿舎の前の大きな木からだけではない。後ろに広がる自然保護区のジャングルがむしろ震源だ。
私が今回宿泊させてもらったセワランカの研修宿泊施設「アイランダーセンター」は、野生の象が多数生息している自然保護区に接して建てられている。幹線道路から外れて30分ほど、保護区のジャングルに沿って走るのだが、夜間なら保護区から越境してきた象に出くわすこともあるという。また、敷地内にある池には野生のワニも棲息している。
ジャングルの夜は、静かだと思ったら大間違い、昨日の夜も、うるさいほど、色んな動物や昆虫の鳴き声がした。そして、朝日が差すころになると、様々な鳥の大合唱だ。
<野生のワニが棲むアイランダーセンターの池 後方には自然公園のジャングルが広がる>

「ジャングルの騒音」に起こされ、敷地内を散歩していると、美味しそうなにおいがしてきた。昨日は、昼食を食べたほかは殆ど何も食べていなかったことを思い出した。お陰で体調は完全に回復したようだ。昨夜遅くコロンボから着いたという、セワランカ財団会長のハルシャさんと一緒に朝食。美味しい空気の中で、美味しい食事。気持ちの良い朝だ。
朝食の後、コロンボに向けて出発。ハルシャ会長の専用車、ランドクルーザーの後部座席に並んで座る。
走り出して間もなく、いきなり、孔雀が車の前を横切る。吉兆だ、と興奮する私の声に、ハルシャさんは軽く頷いただけで話を続ける。そう、ここでは野生の孔雀など全く珍しいものではないのだ。
彼の車でコロンボまでたっぷり4時間半を久し振りに二人だけで話し込む。邪魔の入らない貴重な時間だ。
<バブーニヤ周辺の道路際には頻々と歩哨の小屋が立つ>

途中、長距離を行くいくつもの定期バスと行き交う。コロンボ発ジャフナ行きのバスもある。ジャフナはスリランカ最北、半島部にある最大の町、タミル人地区の中心都市である。コロンボへは、キリノッチ、バブーニヤを通るのだが、いずれも戦争中は双方が奪い合った拠点であり、内戦が終わるまでは、このルートを陸路で行くなど考えられなかったところだ。今では、シンハラ族の中心地コロンボとタミルの中心地ジャフナを定期便のバスが結ぶようになった、ということこそ、和平が揺ぎ無いものになっていることを示すものであろう。

<コロンボ発ジャフナ行きの路線バスが走っていた> 

しかし、既に2年以上前、2009年の5月に26年ぶりの内戦終結にこぎつけたあと、これほど大きな変化が生じているというのに、国際的にはスリランカに対する関心は低い。国民和解へ動き出したばかりのミャンマーが、早くも、国際的な関心を集めているのとは大違い。新たな時代への希望に満ちたミャンマーに行ってきたばかりの身には、スリランカが異常いに暗くさえ思える。
こうした中で、中国のプレゼンスのみが突出しているようだ。大統領の出身地、スリランカの南部にあるハンバントータでは、中国が空港や国際港を建設中。コロンボからハンバントータに向かう高速道路は既に部分開通。一人当たりの国民所得水準では、インドも上回り、南アジア最高水準を誇るにも拘わらず、軍備優先策のため、社会インフラ建設がないがしろにされてきたスリランカで、初めての自動車専用道路だ。
<道路の改善や拡幅が進み、整備された区間も増えた>

12時半、コロンボ到着。ホテルにはササカワトラストのダヤシリ会長が、来てくれていた。ホテルの近くのショッピングモールのカフェテリアでパイをつまんで、駐スリランカ日本大使館へ。粗大使に面談、来年迎える日本スリランカ国交樹立60周年記念事業などにつきお話を伺う。
帰り道、つい最近杮落としが終わったばかりの、ネルムポクナ・マヒンダ・ラジャパクサ劇場と名付けられた建物。「ネルムポクナ」とは、シンハラ語で「蓮の池」と言う意味だそうで、確かに建物の周囲を囲む枠が蓮の花を思わせる。いかにも、仏教徒が多数を占めるシンハラ人が好みそうなデザインだ。
2ヘクタールの敷地に建つ7階建ての建物の総面積は1.4万平米。3つの舞台があり、最大のものは客席数1288と、東南アジア最大の規模を誇る。
<中国政府の援助で建てられた劇場ビル>

今日の深夜出発の便で、バンコク経由帰国だが、空港に向かうのは夜9時。それまでの時間を利用して、サンケンランカの田原さんと久し振りに食事。日本企業の進出状況について色々興味深いお話を聞く。
食事を終えて、ホテルに戻り、9時、ホテルをチェックアウト。セワランカ財団のウデニさんと別れを告げ、ひとり空港へ。


7時半 朝食
8時 アイランダーセンター出発
12時半 コロンボ到着
13時 ササカワトラスト会長ダヤシリさんと昼食
14時 粗大使面談
19時 サンケンランカ田原さんと夕食
21時 ホテル出発
LTTEの旧本拠地キリノッチで学校建設プロジェクト完工式 [2011年12月21日(Wed)]
12月21日(水曜日)
コロンボ郊外の漁村、ネゴンボのホテルで4時半に目覚ましの音に起こされ、朝5時、真っ暗な中を車に乗り込み出発。結局、睡眠時間は2時間ほど。
ネゴンボを出て、間もなくすると道路が見違えるようにきれいになっているのに驚いた。政府による道路の補修工事が進み、これまで3時間かかったアヌラダプーラまでの行程が3分の1短くなり、2時間で済むようになったという。施工は、地元企業と、中国企業が請負っているという。
しかし、バブーニャに近づくあたりから、それまでスムースに進んでいた車のスピードが急に落ちる。あちこちでまだ道路工事の真っ最中。道を外れて、未舗装の泥濘を進む。工事中の区間と完了済みの区間が混在しているのだ。中国の区画らしきところでは、中国人の技術者らしき姿も見える。
途中、レストランで朝食。胃の負担をかけないよう、食事は少しつまんだだけで、私は専ら紅茶を飲む。体力回復を考えて、たっぷりのミルクに砂糖を入れて飲む。本場だけあって紅茶は本当にうまい。少し元気が戻りつつあるのを感じる。
<泥濘が作る悪路が車の行く手を阻むく>

ようやくバブーニャ県に入る。バブーニャは内戦当時は政府軍とLTTE軍が対峙、軍事境界線があったところだ。停戦協定下の2005年だったか、セワランカ財団会長のハルシャさんが運転する車で二人で境界線を越えたことがあったが、その時は、政府側とLTTE側双方のチェックポイントで厳しい検問を受けたことを思い出す。
スリランカでは、一昨年の政府軍による反乱軍制圧以来、一件もタミル側と政府軍の間の戦闘は生じていないという。しかし、バブーニャに入るころから、兵士の姿が急に増え出した。道路際には、かなりの頻度で、兵士が歩哨に立つ見張り小屋やトーチカが置かれている。
それにしても、歩哨の数が異常に多い。軍事衝突が全くなくとも、政府軍としては今なお油断せず、警戒を怠らないという意思表示なのだろうか。ウデニさんが私の疑問に答えて曰く、「それだけではありません。政府としては、おいそれと軍事設備や軍人の数を減らせないんです。元兵士の失業問題に直結しますから」
<バブーニヤ地区の検問ポイント>

突然、車が、大きな軍事基地らしき門の前で停車した。何事かといぶかっていると、これからバブーニャ方面軍司令官に会うのだと告げられる。何でも、彼に会って挨拶をしておくと軍の検問がずっと楽に済むようになるのだそうな。
会ってみると、昨年5月、会長一行とバブーニヤの国内難民キャンプに行ったときに挨拶した司令官と判明。「ああ、あの時の日本財団か」と、とても愛想が良い。私の今回の訪問目的などを書いた書類や、パスポートのコピーを渡すが、ろくに読みもせず、OKのサイン。そこで調子に乗って、司令官に、一緒に記念の写真を撮っても良いかと尋ねると、あっさり了解。
車に戻ったとたん、同行していたウデニさんが、声を潜めて、まさか写真のOKが出るとは、セキュリティーの関係で軍トップが写真撮影を許すなど、これまででは考えられなかったことだと言う。
その後、さらに北上し、キリノッチへ向かう途中、幾つかの場所で検問があったが、我々の車は停められることも無くフリーパス。司令官に挨拶したことが効を奏しているようだ。
<洪水の爪痕が残る道路を進む>

キリノッチに近づくにつれ、頻繁にのろのろ運転するようになる。道路があちこちで冠水している。昨日までの雨による洪水の跡だ。これでは、いつになったら目的地に到着するのやらと気を揉む。
水没した道路を慎重に走ること暫し、ようやく、キリノッチの町に入る。スリランカ本島部の北端にある町、休戦協定が有効だった当時は、LTTE(「タミルイーラム解放の虎」=反政府タミル人組織)の首都が置かれていたところだ。私にとってはキリノッチ行きは今年の1月以来だが、新しい建物があちこちに出来ている。このまま、平和がつづくことを祈るばかりだ。
午後12時半、セワランカ財団のキリノッチ支部に到着。結局、出発してからここまで7時間半もかかったことになる。予定より、一時間以上遅い。支部内の食堂で、急いで昼食を取る。
バナナの葉に乗せられたカレーだ。うまい。丸一日以上殆ど何も食べていないので、少し、食欲が出てきたようだ。どうやら車の中で眠ったりしたお陰で元気を取り戻したようだ。風邪っぽさも随分抜けたし、これなら大丈夫だ。
<バナナの葉に乗せられたカレーは手で食べると美味い>

昼食のあと、キリノッチ市内にあるウルティラプラム学校に案内される。ここは、1年生から13年生まで530人の生徒を抱える小中高一貫校だ。
学校正門に向かう一本道の途中で、女子生徒のブラスバンドに迎えられる。そのまま、誘導されて校門を抜けると、先生と全校生徒が整列して待ち構えていた。
完成した校舎の壁には大きく日本財団のロゴ。その前で、除幕式を行った後、新校舎の入り口でテープカット。教室に入ると、子供たちの民族舞踊、そして地元選出の国会議員のスピーチと盛りだくさんの式典が用意されていた。
その後、もう一つ、パランタム学校に案内される。もともとは、キリノッチと並ぶ内戦終盤の激戦地、ムライティブの学校を訪問するはずだったのだが、時間の関係で中止、ここにしたのだとか。
この学校も小中高一貫校だが、規模が大きい。生徒総数1300人、ここは、私が今年の1月にこちらに来て学校建設事業の調印式を行ったところ。当時は、屋根も壁も失い、土台だけが辛うじて残った校舎跡に椅子を並べただけの「教室」で子供たちが勉強していたものだったが、今は、新築と見まがうばかりの立派な校舎が並んでいた。
<ウルティラプラム学校先生や生徒たち 国旗掲揚台の前で記念撮影>

時間がなくなってきた。先を急がねばならない。これから、先ず、バブーニヤまで戻り、NISVAのシニアボランティアの皆さんと、お会いしないといけない。新年をこの僻地で過ごすボランティアのお二人のために、日本から持参したお餅を差し入れするのだ。バブーニヤに向けて、再び悪路交じりの道を南下する。
途中、道路際のカフェで休憩。他の人たちが夕食を取る間、昼食のカレーが胃もたれしていた私は、食事をパス、とても美味しいミルクティーを飲んでいると、誰かに肩をたたかれた。振り向くと、昨日会ったばかりの司令官。軍服ではなく、半ズボンにTシャツ姿。ジョギング中なのだとか。しかし、後ろには、軍用ジープに完全武装の護衛が控えている。
「どうだい、この店は」と聞かれたので、「紅茶がとてもおいしい」と答えると、「そうかそうか」と上機嫌。何と、このカフェは兵士の失業対策として軍が設営したものだとか。ボーイさんたちは全員元兵士なのであった。
真っ暗になった道をさらに走り、漸くバブーニヤのセワランカ財団支部に着いたときには、既に7時半。ボランテイアのお二人の宿舎にお邪魔し、少しお話を聞いただけで、お土産を渡して慌しくおいとま。先を急ぐ。我々は、アヌラダプーラ近くのアイランダーセンターにあるセワランカ財団のトレーニングセンターに泊まる予定なのだ。漸く夜も更けた9時半に到着。


00時15分 コロンボ着
01時半 ネゴンボのホテルにチェックイン
05時 ホテル出発
08時 朝食
09時45分 セワランカ財団バブーニャ支部訪問
10時半 バブーニヤ方面軍司令官表敬 
12時半 キリノチ到着 昼食
13時 学校建設プロジェクト完工式
14時半 学校視察
19時半 NISVAボランティア面談
21時半 アイランダーセンター到着

急遽、バンコク経由に変更してスリランカへ [2011年12月20日(Tue)]
12月20日(火曜日)
<朝日の中、金色に輝くシェダゴンパゴダ>

昨日、笹川会長一行が帰国し、ミャンマーでの行事が無事終わったので、今日はゆっくり朝寝。目が覚めたのは8時過ぎ。昨夜は、10時頃に床についたので10時間ほども寝ていたことになる。外は快晴、真っ青な空を背景に、本物のシェダゴンパゴダが文字通り金色に輝いている。
爽やかな気分と言いたいところだが、鼻が詰まり、肩も凝っている。身体の芯が冷え切っているのを感じる。風邪なのか、気が緩んだためなのか、深い疲労感が残る。そこで、疲労時の私の特効薬ガラナ粉末を取り出して、多めに服用。今回の出張ではガラナを飲むのは初めてだ。
私は今日の午後ヤンゴンを出て、シンガポール経由で今夜中にスリランカに行かねばならない。そして、明日は朝5時に出発して、陸路で、スリランカの奥地、旧タミル人支配地域に行く長旅が待っている。目的地はキリッノチ、スリランカの北部、以前は、タミル族の反政府組織「LTTE」 の本拠地があったところだ。
日本に帰国するまであと3泊を残すのみだが、そのうち、2泊は行程上、十分な睡眠時間が取れないことがわかっているので、今は体調を維持しておかねばならない。
<中心都市コロンボからLTTEの本拠地があったキリノッチを目指す予定 ブルーの線がそのルート>

10時にミャンマー外務省OBで我々の仕事を手伝ってくれているエルウィンさんにホテルに来てもらって、今回のミャンマーミッションで決まった新事業や、浮上した新しいアイデアなどについて報告。今後の仕事の進め方などについて相談する。
その後、部屋に戻り、メールを打ったりしていると冷え切った身体の節々が痛み出す。少しでも温まろうと備え付けの電気ポットでコーヒーを淹れたりしているうちに12時半。ティンニュント前保健省伝統医療局長が来る時間だ。
ロビーに降りていくと、ニュント博士が久し振りに会ったという知人と話しこんでいたので、彼をそのままにして、私はホテルの外へ。少しでも、外の陽に身体を当てて温まろうと考えたのだ。太陽に当たった側から身体が少しづつ温まっていくのを感じながら、ミーアキャットの気持ちが少し分る気がした。体温が下がると運動能力が低下するのでそれを防止すべく、二本足で日向ぼっこをするというアフリカの小動物である。
慌しくニュント博士との打合せを終えて、ホテルをチェックアウト。飛行場へ向かう。車の中では、いつもとは逆に、陽の当たる窓側に身体を置いて、少しでも温まろうと努力。

<ヤンゴン市内を走る日本製中古バス オーバーヒート防止? 後部エンジンのドアは開けたまま>

空港に着くと、シンガポール便の出発が一時間以上遅れる見込みであると知らされる。それは困る。スリランカ行きへの乗り換えに間に合わなくなってしまう。
今夜のうちに必ずスリランカに到着出来るよう、わざわざバンコク経由ではなく、遅延の少ないシンガポール乗り換えにしたのに、それが徒になったようだ。
暫くやりとりをした挙句、結局、バンコク・ルートで座席が手に入ることが分り、バンコク経由に変更。これなら、コロンボ到着時間は10分ほどの遅れで済むという。スリランカでの事業パートナーであるセワランカ財団に携帯で連絡。こういうとき、携帯電話は便利だ。
バンコク行きの振り替え便はミャンマー航空機。機内で配られたミャンマー政府の英字機関紙New Light of Myanmarには昨日開港式を迎えた首都ネピドーの新国際空港についての記事があった。
それによると、新空港ターミナルの広さは、66万平方フィートで、旧首都であるヤンゴンの空港や第2位の都市マンダレー国際空港を5割方上回り同国最大の大きさ。この空港の建設資金のかなりの部分は中国政府からの借款で賄われたといわれており、式典には、ミャンマーのサイマウカム副大統領の他、中国の戴秉国・国務委員が参加したと報じられている。
しかし、大変興味深いのは、この記事には、中国が果たした役割も、中国政府への感謝の言葉も一切書かれていなかったこと。
戴国務委員は、大メコン河流域圏(GMS)サミットに出席のため、ミャンマーに来ていたのだそうだ。GMSサミットというのは、タイとベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアに中国を加えたメコン川流域の6カ国が、3年に一回開催している首脳会議。メンバー諸国が回り持ちで開催、今回はミャンマーが主催して12月19日と20日の両日、ネピドーで開催していたものである。この会議には、各国が首相や大統領を代表として送ったのに対し、中国だけが副首相の次のランクである国務委員を出した、というのも興味深い。
最近の、ミャンマー政府と中国政府との微妙な関係が窺われるようで、大変面白く感じた次第。
<新空港の竣工式を報じるミャンマーの政府系英字紙>

日向ぼっこで、寒さこそ収まったものの、ヤンゴンからの機内で、体調は絶不調に。今度は腹具合まで悪くなった。常備薬の小箱の中から生薬製剤によるとっておきの下痢止めを取り出して飲む。悪い物を食べたりして下痢になったときは、毒素を体外に出す必要があり、それを薬で無理に止めるのは禁物だが、疲れや、風邪などによる下痢の場合は、その限りではないと聞く。
その後も、バンコクの待合室や、コロンボへの機内でも、飲み物や食事を一切断り、絶食作戦。ひたすら体調の回復に注力する。
夜10時20分にバンコクを飛び立ったコロンボ行きの飛行機が、スリランカに到着したのは丁度、真夜中の0時10分過ぎ。深夜にも拘らず、コロンボ空港には、学校建設事業の現地パートナー、セワランカ財団の渉外部長ウデニさんが来てくれていた。そのまま、コロンボのホテルに向かうのかと思ったら、明日の北部行きの便を考え、予定を変更してコロンボ郊外の漁村ネゴンボに向かうという。
ネゴンボはこの間までNISVA(技能ボランティア海外派遣協会)のシニア・ボランティアの皆さんが干物作りを指導する事業が行われていたところである。小さなホテルにチェックインしたのは1時半。荷物を整理して、疲労困憊した身体をベッドに横たえた時には2時を過ぎていた。
<漁村の小さなホテルにチェックイン>

10時 エルウィン元外務省ASEAN局長
12時半 ティンニュント前保健省伝統医療局長
14時 ホテル出発
17時30分 ヤンゴン発
19時15分 バンコク着
22時20分 バンコク発
24時15分 コロンボ着
01時半 ネゴンボのホテル到着
アウンサンスーチーさんと握手 [2011年12月19日(Mon)]
12月19日(月曜日)
今日は、笹川会長がアウンサンスーチーさんに面会する日。面会時間は12時、場所は自宅ではなく市内にあるNLD本部ということになっている。たまたま、我々が今回滞在していたのがインヤー湖に面したホテルだったので、スーチーさんの自宅まで散歩してみようと思い立った。場所の記憶があやふやだったので、ホテルのコンシエルジュに確認。歩いても15分程の距離だと言う。
インヤー湖岸に沿って遊歩道を歩く。朝早いので空気も爽やか、非常に快適なプロムナードだ。穏やかな水面に真っ青な空と緑の木々が映る。美しい遊歩道のあちこちに置かれたベンチは何組ものカップルに占拠されていた。デートには少々早い時間だと思うのだが、、、。
<ホテルから早朝のインレ湖を臨む スーチーさんの自宅は左に見える白い家の辺り>

スーチーさんの自宅の前の道はこれまで一般の通行が禁止されており、立ち入ることが出来なかったのだが、検問所は跡形も無く撤去されて、普通に自動車が行き交っている。
誰に咎められることもなく、スーチーさん自宅の前のゲートに着いてしまった。門柱の両側に赤地に白い星を見上げる黄金の孔雀というデザインのNLDの旗。中央にはアウンサン将軍の写真、という門構えはまるで党本部のよう。個人の自宅とは思えない。
白く塗られた高い塀に取り囲まれているので中の様子は伺うことは出来ないが、兵士はおろか、警察官も、ガードマンもいない。噂によると私服の公安官が目を光らせているという話しだったが、人の姿は、ただひとり、芝生にホースで水をまく庭師のみ。まさか、私服の変装姿という訳でもあるまい。
<高い塀に囲まれたスーチーさんの家 まるで党本部の趣き>

ホテルに戻り朝食の後、暫くして、北朝鮮の金正日総書記の死去のニュースが飛び込んできた。しかし、我々にとっては、昨日のハベル・チェコ元大統領死去のニュースのインパクトの方がずっと大きかったかも知れない。
と言うのも、今回の笹川会長のスーチーさんとの面会の目的の一つが、ハベルさんからの親書を手渡すことにあったからだ。笹川会長はハベルさんとは、16年に亘って続いてきたフォーラム2000などの事業を通じて大変親しく、笹川会長がスーチーさんに会うと知り、親書を託したのだった。
午前11時15分、皆でバスに乗り込んでホテルを出発、NDL事務所を目指す。途中、交差点で一時停止する車を狙って、色々なものを売りつける商人たちの中に、何と、スーチーさんのカレンダーを売る男性を発見。NLDが活動資金稼ぎにスーチーさんの写真の付いたカレンダーを売り出したとは聞いていたが、路上の商人で取り扱う人間が現れたとは、何と、機を見るに敏。それにしても、これまでの軍事政権時代では考えられなかった変化だ。
20分ほどで、NLDの本部に到着。今朝見たスーチーさんの自宅と較べると、みすぼらしく見えるほどの古くて小さな二階建ての建物。中は、支援者なのか、陳情者なのか、大勢の人々でごった返していた。あまりも狭いところに大勢の人で、全く足の踏み場も無いほど。
<NLD本部は大勢の人でごった返していた>

予定の12時を15分ほど廻った頃、二階に上がるよう指示を受ける。笹川会長に続いて上に上がり、小さな応接室に入ると、目の前にスーチーさんが立っていた。お待たせして申し訳ありませんと、にこやかに握手。ふと気が付くと、私はスーチーさんの真横。笹川会長と二人でスーチさんを挟むような位置に座ってしまった。
笹川会長が、ハベル大統領の話に続いて、日本財団のミャンマーにおける活動を紹介したところ、次第にスーチーさんは身を乗り出して来た。特に、少数民族と障害者に対する取組みに強い関心を示した。日本財団がミャンマーの医療過疎村で伝統医薬品の置き薬事業を展開していると、机の前に薬箱を置くとその中身を手にとった。
予定時間になったので、笹川会長が再会の希望を告げると、スーチーさんからは、是非、今後協力していきたい、との発言。笹川会長が、今後、具体的な事業については大野が責任者なので、よろしくと私を紹介したので名刺を差し上げた。
帰り際、スーチーさんは私と握手しながら、日本財団のことをもっと知りたいので是非またお会いしましょうと言ってくれたが、社交辞令ばかりではなかったように思えた。
<スーチーさんと面談する笹川会長に同席>

スーチーさんとの面談を終えて、我々は、ヤンゴン市庁舎に向かった。市長のフラミンさんは前駐日大使の時から我々とは旧知の間柄。昨年末の離任時には送別会を開く約束をしながら、双方のスケジュールが合わず断念。それ以来の再会である。市庁舎は旧植民地時代に建てられた美しいコロニアルスタイルの建物。我々一行は、天井の高い、立派な、来客接遇の間に招じ入れられたが、市長以下幹部はみんな災害対応時に着るようなユニホーム姿。これが、市職員の制服だとか。
市長との面談を終えて、我々はホテルに戻り、遅めの昼食。その後、会長はミャンマータイムズのインタビュー。そして、夕方6時半、空港に向けてバスで出発。夕方の便でバンコクに飛び、深夜バンコク発の夜行便で帰国の途に。
この後、スリランカに向かう私だけは、一人ヤンゴンに残り、明日の飛行機でシンガポール経由でコロンボ入りの予定。ホテルでバスを見送った後、ホテルの車で市内中心部にあるもう一つのホテルに向かう。
夜は、盲人マッサージクリニック「Genky」のオーナーであると同時に、経営コンサルタントとしても活躍している西垣さんとホテル内のレストランで夕食。色々興味深い話を聞かせていただく。ただ、途中で、クーラーのせいか、悪寒がし気分が悪くなったので、部屋に戻り、長袖のシャツに着替えでレストランに戻り、再び話を続けた。
このホテルの部屋もクーラーが効きすぎだ。東南アジア各国は、冷房と砂糖をたっぷり使うのが贅沢と心得てか、どこも使いすぎるのが難点だ。
<市庁舎は旧植民地時代に建てられた美しいコロニアルスタイルの建物>



7時半 スーチーさんの家の前まで散歩  
11時15分 ホテル出発
11時45分 NLD本部到着
12時15分 スーチーさん面談
13時15分 フラミン・ヤンゴン市長訪問
14時 関係者と昼食
18時半 会長一行ホテル出発
19時半 西垣さん面談
ティラワ港に接する経済特別区を視察 [2011年12月18日(Sun)]
12月18日(日曜日)
シトウェから戻り、今日は日曜日。今回のミャンマーミッションでの主な予定はほぼ終了したことになる。残された主な行事は、明日のアウンサンスーチーさんとの会談のみ。随分気が楽になったが、これまで、ネピドーやシトウェでは通信事情が悪く、メールのチェック、返事書きが滞っているのが気懸かりだ。それが気になって、深夜3時半に目が覚めてしまった。海外の関係先に向けてのメールを書いていると夜が明けてしまった。気が付くと、寝る前にクーラーを切ったはずなのに部屋が寒い。長時間メールをしているうちに身体が冷え切ってしまったようだ。
朝食の後、部屋に戻りメール処理の続きに取り掛かろうとするが、余りに寒い。クーラーの調整が効かなくなっているようだ。窓を開けようとしても開かない構造になっている。向かい側に見える部屋には、朝日が当たって暖かそうだが、こちら側は日陰。このままでは、風邪を引くこと必至と考え、部屋を替わることを決意。
<ティラワ港への道に並行して走る鉄道 オートバイにも追い抜かれるほどスピードはゆっくり>

フロントと電話で交渉し、日の当たる部屋に替えてもらうよう要求すると、あっさりとOKが出る。ただ、何時になったら新しい部屋に替われるのかと聞くと、11時頃にはという返事。それならと、仕事をしながら待つことにする。しかし、現実はそうは甘くなかった。
11時半頃に痺れを切らして、電話すると、今度は現滞在客のチェックアウトが遅れているので12時まで待って欲しいという。12時半になると、掃除中という。1時になってもまもなく連絡するから、といってその後は音沙汰なし。1時半になって、余りに腹が立って、声を荒げると漸く、部屋を替われることになった。部屋を替わってみると、一番日の当たっていた時間は過ぎかけていた。それでも、クーラーを切ってしまうと、少しは室温が上がり、比較的過ごしやすい。
部屋の移動騒ぎで時間を取られているうちに、午後3時。ヤンゴン南郊のティラワ国際港コンテナターミナルの隣接地に設けられた工業団地・経済特区を視察に行く時間になってしまった。
<ティラワ港付近で 鉄道線路はぐにゃぐにゃ これではスピードは出せない>
  
ホテルのロゴの付いたマイクロバスに乗り込み、ホテルを出発して小一時間ほどでティラワ国際港コンテナターミナルに到着。車を降りてターミナルやその周辺の様子を写真に取る。車に戻り、工業団地の方に行くため車に再び乗ろうとすると、運転手がクラッチが壊れたので動かせない、という。こんな郊外ではタクシーを見つけるのも容易ではあるまい、と焦るが、運転手は、代替の車を送るようホテルに頼んだので心配ないという。
ならばと、ターミナルの正面玄関前の「ロイヤルレストラン」と麗々しく書かれた店で飲み物でも飲みながら待つことにする。
<ターミナルの正面玄関前の「ロイヤルレストラン」>

ホテルが既に手配した車がこちらに向かっているとのことだったが、一向にそれらしき車は来ない。私は、今朝の部屋換えの苦い経験の直後だけに、ホテル側の「もうすぐ」という言葉を俄かに信じる気にはなれなかった。気が付くと、ターミナルの正門前やその周辺には、トラックを改造した「乗り合いタクシー」としてミャンマーで使われる車が幾つか止まっている。通訳のティンさんに、それらの車をチャーター出来ないか、交渉してもらう。しかし、総てターミナル周辺の職場で働く労働者の送迎用に使われている車で、間もなく始まる退社時間に合わせて待機していると、断られる。
そうこうする内に、時間は一時間を過ぎた。20分ほどで代替車両が到着する、というホテルの説明が本当なら、今頃は、とっくに、代替車両に乗って、ホテルに帰り着いている時間だ。我々の忍耐も限界に近づき出したころ、一台の小型トラックが我々の傍を通り抜けてヤンゴン方面に向かって走っていった。
日本財団広報部員の富永さんが、突然、大声を上げて身振りたっぷりにストップするよう呼びかけるが、車は通り過ぎる。「そんなことしても無駄だよ」と言ったとたん、車が先方でユーターンしてこちらに向かって来るではないか。
<遥々日本から運ばれてきたブルトレ(寝台列車)の車両が何故か放置されていた>

何と、ヤンゴン市内に向かっているところだから、ホテルまで送ってくれると言うではないか。一同歓声を挙げて荷台に乗り込む。笹川会長も一緒だ。余り舗装状態の良くない道を飛ばすので、車がバウンドする度に、体が跳ね上がる。10分ほど走ったところで、ホテルのロゴを付けたマイクロバスとすれ違う。すぐ来るはずの代替車が、何と、一時半もかかって故障車の救援に駆けつけることになる。
我々はそのまま、トラックで進み、夕方7時前にホテルに到着。親切にも、トラックの運転手は、ホテルのロビーまで乗り付けてくれた。国際級のホテルに、小型トラックの荷台に人が乗ったまま乗り付けたのは初めてだったのではなかろうか。
我々はせめてものガソリン代にとお金を渡そうとしたのだが、結局、運転手は決してお金を受け取ろうとしなかった。通訳のティンさんが言うように、ミャンマー人は親切な人々だということを再認識させられた貴重な経験であった。
<ホテル玄関まで送ってくれた親切なトラック>


15時 経済特別区視察に出発
16時半 車が故障
17時半 親切なトラックで出発
18時半 ホテル帰着
19時 関係者と夕食
「置き薬」方式による伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典 [2011年12月17日(Sat)]
12月17日(土曜日)
<朝7時朝日が昇る>

早朝、外から聞こえてくる男性の歌声で目が覚めた。時間を見ると、まだ6時ではないか。ホテルの直ぐ外から、インドの歌謡曲のような音楽が聞こえている。まさか、早朝からカラオケでもあるまいし、と外をのぞいてみた。どうやら、海岸の砂浜の辺りにスピーカーが置かれているようだ。もし、直ぐそばにいたなら、きっと大音響に耳を塞がんばかりだろう。
外が明るくなったので、カメラを持って、散歩に出てみると、大勢の人が砂浜の向こうから続々と戻ってくるところに遭遇。尋ねてみると、今日は国民にスポーツを奨励する日だという。12月の土曜日は、4時とか5時に市内中心部に集まり、そこから皆で、海辺まで移動してラジオ体操のように音楽に合わせて身体を動かすと言うものだそうだ。
<早朝の国民体操集会に参加した人々>  

8時15分にバスに乗り込み、ホテルを出発。朝9時からシトウェ市内の公民館で、伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典が始まるのだ。8時半過ぎには会場に着席、ラカイン州政府首相の到着を待つ。
日本財団は3年前から、ミャンマー全土14州で順番に、医療過疎の村、500箇村に対するミャンマー伝統医薬品の「置き薬」方式による配布事業を開始してきた。バングラデッシュとの国境に位置する少数民族州であるラカインがその最後の州。これで、全土7000の村に対する配布が完了することになる。
好評に付き、来年からは、規模を3倍に拡大し、各州で更に1500箇村を追加、2014年末までに、全国6万5000の村の約半数に相当する2万8000箇村での配布が終了する見込みである。
ようやく、9時ぴったりに首相が到着。我々には目もくれず、急ぎ足で中央の席に着席、式典が始まった。時間に厳格な段取りは軍事政権当時のやり方そのまま、という印象を受ける。
フラマウンティン首相は軍人OBだが、前回お会いしたときは、物静かで穏やか、殆ど学者のような物腰だったのだが、今回は、厳しい規律の軍人そのまま、別人のように見える。
式典が終わったあと私は、連邦政府の保健省を代表して来賓として来ていた女性の保健副大臣と雑談した。どこかで見た顔だと思ったら、5年前に日本財団がWHO(世界保健機関)と共同でモンゴルで開催した伝統医療会議に来ていた人だった。
確か、ミャウンミャウンさんとか言って当時は副局長クラスの人だったが、大出世して副大臣になっていたという訳だ。私のことを覚えていてくれて雑談となったのだが、彼女は、大統領からの伝言として、「日本財団には、是非この薬箱を、全土6万5千の村々総てに届けるまで支援を継続して欲しい」と言う。私は、「先ずは、来年から始まる2万8千箇村への配布事業を成功させるよう努力するので、引き続き御支援いただきたい」と、答えておいた。
<私もミャンマーの民族服ロンジー姿で式典の開始を待つ>

式典を終えて、我々は市内のあるお寺に向かった。ここには、そこには、旧日本軍の戦死者の霊を慰めるための碑が祀られていることを前回の訪問時に確認済みである。今日は、ここでお坊さんを呼んで法要を執り行おうと言うのだ。
太平洋戦争中、最も悲惨な戦いと言われたインパール作戦から生還した戦友たちがこの地を再訪して建立したのではなかろうか。碑の背面には「祖国の名誉の為、この地に散った英霊よ安らかに」との文字。
集まってくれた5人の僧のうちで最も格が高いとみられる僧侶が、死者の霊を弔ってお経を唱えてくれた。ふと見ると、お坊さんの前にはマイクロフォン、我々の後ろには大型のスピーカーが用意してある。
やがて、お経が始まるとスピーカーからボリュームアップした音が流れ出したのだが、何と、エコー付き。うーん。有難いような、有難くないような、、、。ちょっぴりカラオケの風情を感じたお経だった。
<法要のお経はエコーがかかったマイク付き>

法要を終えると今度は、州政府庁舎に向かった。先程の厳しい表情とは異なり、相変わらず物静かだが、ずっと穏やかな顔つきのフラマウンティン・ラカイン州政府首相が待っていた。渡辺さんも交えて、笹川会長とラカイン州の現況、同州における日本財団としての今後の活動につき、暫し懇談。
日本財団としては、この薬箱を州内の学校にも配置し、サイクロンで破壊された校舎の修繕と併せ、学校現場での保健教育という切り口で、ラカイン州での支援事業を検討することになった。
ただ、会談の間中、フラマウンティン首相は控えめで、我々に対して、はっきり支援を求める発言をしなかった。他の途上国では、このような場では直接的な表現で、支援を要請してくる政府高官が少なくないが、ミャンマーの場合は、謙虚なのかプライドが高いからなのか、一般に、物欲しげな発言をされることはめったにない。痺れを切らした渡辺さんが、首相に対して、もっと具体的に支援を要請するよう促したほど。
<伝統医療病院の看護婦さん(赤いスカート)と看護助手たち>

その後は、一旦、ホテルに戻ってからシトウェ港の視察。そして、最後に空港近くにある国立シトウェ伝統医療病院を視察。ここは、20床ほどの入院設備まである本格的な病院。ミャンマー保健省自慢の全土14州総てに一箇所ずつ設けられた伝統医療専門の国立病院である。全部で7人の伝統医療師と、6人の看護師、看護助手が、年間約4500人の外来患者と、360人の入院患者を診ている。
伝統医療病院訪問を終えると、そのまま、シトウェ空港へ。帰りの飛行機も、我々だけのチャーター機。行きと同じATR製ターボプロップ機だが今度のは40人乗りのATR42。夕闇迫る中、5時過ぎにヤンゴン帰着。
街角にも、ホテルでも、クリスマスの飾り付けやイルミネーションが目立つ。シトウェから戻ったばかりの我々の目には、ヤンゴンが大都会に見えた。



8時15分 ホテル出発                
9時 伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典
10時半 日本軍兵士顕彰碑視察
11時半 フラマウンティン・ラカイン州政府首相  
13時 シトウェ港視察
14時 国立伝統医療専門病院訪問
15時30分 シトウェ発
17時 ヤンゴン着
19時 関係者と夕食


水路、ラカイン州の古都ミャウーへ [2011年12月16日(Fri)]
12月16日(金曜日)
昨日、ヤンゴンに戻ってきたばかりだが、今朝は7時半にホテルのロビーに集合、全員でバスに乗り込み、ヤンゴン飛行場に向かう。今回の出張のハイライト、ミャンマー西端の少数民族州であるラカイン行きだ。8時過ぎに着いてみると、飛行場の国内線ターミナルはがらがら。通訳のティンさんによると、国内線の各便は6時から7時に掛けて早朝の出発で、午後になってヤンゴンに戻ってくるパターン。そのため、早朝の地方行きの便が出払った今は、空いているのだと言う。
我々が週3便しか飛んでいない定期便に代えて用意したのは、チャーター便。ただ、40人乗りをリクエストしたのだが、我々を待っていたのは、70人乗りのATR72。フランス製の双発ターボプロップだ。二人のスチュワーデスが我々を出迎えてくれた。窓際にクリスマスの飾りが付いた機内は、予想外に清潔で美しい。
20人余りの我々には広すぎるあ機内。一行は思い思いの席に散開。ふと、何故か見知らぬ男性客が二人紛れ込んでいるのを発見。保健省がこっそり便乗させたのか、それとも、乗務員の知人か誰かが余禄で乗り込んだのか、、、。しかし、便数の少ない僻地への珍客、我々は敢えて事情を尋ねることなく、そっとしておくことにした。
<チャーター機の機内にて>

一時間余りのフライトで、予定通り午前11時にシトウェ空港に到着。州政府保健省関係者の出迎えを受ける。国内移動なのだが、パスポートチェックを受ける。今でも、外国人の僻地への移動は事前の通知が必要。これでも、許可が必要だった以前と較べると随分簡略化されたのだとか。早速、シトウェ港に向かう。
ただ、そこに我々を待っていたのは、予定していたホバークラフトのチャーター船ではなく、何故か普通の大型ボート。何でも、ホバークラフトの定員が小さすぎたとか、故障中なのだとか。どうも、ホバークラフトではなくなった理由が良く分らない。ただ、スピードは十分出るからとニュント博士。
しかし、ホバークラフトだと、巻き上がる水しぶきで外が良く見えない可能性が大きい。ボートにしたお陰で、我々は航行中の船のへさきの甲板に出ることができ、カラタン川周辺の長閑で美しい景色を堪能することになった。
丁度、満潮期とかで、鏡のように静かな川面。両岸には水辺ぎりぎりまで、水田が広がる。時折、魚を取る小型漁船や、収穫されたばかりの米を袋に積んだ小船が行き交う。水牛の群れが水を飲む姿も見える。看板など調和を破る醜悪な人工物が一切なく、ため息が出るほど素朴で美しい風景であった。
午後2時、古都ミャウーの船着場に到着。ホバークラフトで3時間の行程と聞いていたが、実際は2時間ちょっとの船旅であった。
<収穫した米を精米所に運ぶ小船と行き交う>

ミャウーに上陸早々、遅めの昼食。8月に下見に来たときに泊まったホテルのレストランだ。ティンニュント博士の知人である経営者の奥さんが、一緒の船で同行、食事の陣頭指揮を揮ってくれたお陰で、食事は、なかなか美味しかった。
食事を急いで済ませ、駆け足でミャウーを見物。と言っても、なにしろ、時間が無いので、王宮跡地の横をバスですり抜けた後、地下に並ぶ8万4千の仏像で有名な1535年創建のシッタウン寺院のみをバスを降りて見学してお仕舞い。
私としては、バガンと並ぶミャンマーの仏教遺跡でありながら、交通の便が極めて悪いために、観光地としては処女地に近いミャウーの魅力を、この一行にじっくり見てもらいたいところだったが(と言っても、自分自身2回目の来訪に過ぎず、まだ殆ど、ミャウーを知らないのだが)、観光が目的の旅ではないので、これが限界。
<ミャウーでちょっと遅めの昼食>

午後3時半、ミャウーの伝統医療診療所に到着。診療所の責任者や州政府出先機関の保健担当のお役人らから、診療所の活動について説明を受けた後、同行記者の皆さんのために質疑応答の時間を設ける。
このクリニックは、1996年設立。全国237箇所に設けられた国立伝統医療専門診療所のひとつ。これらの診療所には必ず、国家資格を持つ伝統医療の専門家が駐在して、周辺住民の伝統医療による治療を行っている。とは言え、一日の外来患者数は、と聞いてみると、「16人」という答え。
ミャウーの総人口は約20万人。西洋医学に基づく治療を行う50床の入院設備を持つ国立病院が別途、設けられているとは言え、地方の人々に根強い人気のある伝統医学による治療の分野でも、ここだけで十分な機能を果たしているとは言いがたい。
実際のところは、これら国立クリニックは政府による伝統医療の指導や監督といった立場で、実際の伝統医療による治療を担っているのは、全国に6万人以上いるという伝統医療師である。ミャウー地域でも、近代医学を履修した医師が7人しかいないのに対し、伝統医療師の数は約150人という。
明日、州都シトウェで行われる、ラカイン州での第1次三カ年計画で配布される500個の伝統医薬品の入った薬箱のうち、45個がこのミャウー地区に配られることになっている。この国立伝統医療クリニックの担当医療師は、45個の薬箱の補充と代金回収の責任を負うことになる。
<伝統医療クリニックでQ&A>

マスコミの皆さんの熱心な質問が続いているが、真っ暗になる前に、カラタン川を再び下り、シトウェに戻らねばならない。一時間ほどでクリニック訪問を切り上げ、一行は再び同じスピードボートに乗り込んだ。間もなく、日が傾き、空は素晴らしい夕焼け色に変わりだした。
山陰が紫色に変わり始めると、川岸の民家が美しい黒のシルエットに染まる。息を呑むほど美しい夕焼け。こんなにきれいな夕焼けを見たのは一体何年ぶりのことだろう。
シトウェに帰り着いたのは7時、すっかり日が暮れていた。
窓のない吹き抜けのレストランで蚊を心配しながら夕食。ラカインはマラリア汚染地域なのである。
<夕日を見ながら川を下る>

7時半 ホテル出発
9時30分 ヤンゴン発
10時55分 シトウェ着
14時 ミャウー到着
14時半 市内視察
15時半 伝統医療クリニック訪問
16時45分 ミャウー出発
19時 シトウェ到着
20時 夕食
幸運の白い小象に出会う [2011年12月15日(Thu)]
12月15日(木曜日)
今日は、ネピドーを出て、ヤンゴンに戻る日。最後の要人面談の相手はワナマウンルウィン外務大臣。その前に、会長は旧知の前保健大臣で今はUSDPの党中央委員に出世したチョウミン博士と、お会いすることになっている。
そもそも、日本財団がモンゴルで7年前に始めた置き薬方式を利用した伝統医薬品の配布事業をミャンマーでも始めることになったのは当時保健大臣を務めていたチョウミンさん直々のリーダーシップによるもの。
笹川会長の指示で、ジュネーブのWHO(世界保健機関)の年次総会の際に、チョウミンさんらミャンマー代表団に、私が、モンゴルのプログラムで使用していた置き薬箱を使って説明したところ、その場で、チョウミンさんは部下に現地視察を命じ、真剣に検討するよう指示を与えたのだ。
その時彼の指示を受け、早速、モンゴルの現地視察に参加したのが当時、伝統医療局長に就任したばかりのティンニュント博士。退職した今は、日本財団の現地アドバイザーとして、今回も、我々の出張スケジュールのコーディネーションを引き受け、全行程に同行してくれている。
<新しく発行された最高額の5000チャット紙幣の白象の図案>

そんな訳で、一昨日のテウーUSDP総書記との面談の場にも立会ったにも拘わらず、更に、今日もこうして個別に会うことになったのだ。話題はやはり、置き薬事業のこと。来年から第2次三カ年計画が始まり、それが終わる2014年末には全国2万8千の医療過疎村に置き薬が配布されること、また、このあと、ラカイン州に行き、シトウェで第1時三カ年計画の最後の州での配布開始式に臨むことを報告すると、わが事のように喜んでくれた。
チョウミンさんと別れた後、外務大臣との面会まで少し時間があったので、ティンニュント博士の案内で幸運のシンボルと言われる白い象を見せてもらうことになった。場所は、イミテーションのシュウェダゴンパゴダの直ぐ前。
行ってみると、そこには、余り白いとはいえない、少々色が薄目と言った感じの象が繋がれていた。ところが、実は、その奥に、17日前に生まれたばかりの白い赤ちゃん象が母親の白象と一緒にいると言うではないか。関係者以外非公開で、外国人にはこれまで見せていないという秘蔵の白象を博士のコネで見せてもらうことになった。  
見てみると、確かに赤ちゃん象は真っ白。お母さんの象も色白だが、遥かに白く、まるで白い子豚のようだ。人に囲まれてうれしいのか、はしゃぐ様に母親の周りを跳ね回る様が愛らしい。
何でも、一年半前、新体制を巡る国民投票の直前に、ラカイン州のジャングルで白いメス象が発見されたのだという。白い象とは、先天性の色素欠乏症によるものだろうが、大変珍しい存在であるだけでなく、東南アジアの多くの国では、吉兆として有難がれている。
ミャンマー政府は白い象の出現を喜び、早速、白象の図柄の最高額5000チャットの銀行券の発行を決定したのだとか。
ところが、このメスの象は妊娠しており、その後、一年半以上の懐妊期を経て、17日前にこの白い赤ちゃん象が生まれたのだとか。白い象そのものも大変珍しい存在だが、白い小象が生まれるのは極めてまれだという。ミャンマー全土でこの赤ちゃん象を加えて、たったの4頭だとか。
<17日前に生まれたばかりの真っ白な小象と母親の象>

象を見た後、外務省に行き、ワナマウンルイン外務大臣にお会いした。ワナマウンルイン外務大臣は前職の駐ジュネーブ大使の頃、笹川会長は何度もハンセン病制圧特別大使としての仕事などでWHO(世界保健機関)に赴いており、そこで、保健大臣当時のチョウミン博士と一緒にワナマウンルインさんとも会っている、という間柄。10月の日本公式訪問時にも、大臣の方から、笹川会長に会いたいと希望され、わざわざ日本財団にまで見えており、その際、私もお目にかかり、今回の出張の件を説明した経緯がある。
そんな訳で、和気藹々のなかで会談。日本財団のミャンマーでの活動の拡大に向けていくつかの具体的なアイデアを報告した。
外務大臣との面談を終えて、会談に参加しなかった同行記者団ら他のメンバーと合流。そのまま大型バスで、来た道を再び辿り、ヤンゴンへ戻る。がらがらの人工都市ネピドーから戻ってきた身には、ヤンゴンの雑踏に懐かしささえ感じてしまう。
<ヤンゴンへ戻ってきた 雑踏が懐かしい>

夜、6時半。ホテルからは道路を隔てた高層ビル20階の宴会場に、日本財団グループのミャンマー事業の関係者に集まってもらい懇親会を開催した。
日本財団は傘下の笹川平和財団、海洋政策研究財団、笹川記念保健協力財団などの特定分野に特化した関係財団も含め、ミャンマーでは70年代から40年近くに亘り様々な分野で活動して来た。日本財団本体が、伝統医療事業や、学校建設、障害者支援などを助成している他、笹川平和財団は公務員研修など、海洋政策研究財団は世界海事大学への留学のための奨学金、笹川記念保健協力財団はハンセン病制圧関連事業などを支援してきており、その関係者、協力者、受益者は極めて多数に上る。
今回、初の試みとして、最近の事業の関係者を中心に、連絡がつく人たちに呼びかけたところ、ネピドーで働く政府関係者の中には出席出来なかった人が多数いたにも拘らず、全部で100人以上が集まってくれた。
各界で活躍する優秀な人々が大勢いるので、今後は、彼ら同士の間でも横の繋がりを強めて行って欲しいものだ。
<100人以上の関係者が集まってくれた>

8時半 ホテル出発
9時 チョウミンUSDP中央委員
9時半 国会議事堂見学
10時30分 ワナマウンルイン外務大臣
11時半 ネピドー出発
13時半 昼食
17時半 ヤンゴン到着
18時半 日本財団グループ事業関係者との懇談会
テインセイン大統領表敬に立ち会う [2011年12月14日(Wed)]
12月14日(水曜日)
今日の主要行事は午後4時からの笹川会長、渡辺さんとのテインセイン大統領表敬に立ち会うことくらいなので、午前中の自由な時間を使って、少人数の留守番グループでネピドーの市内見物へ。案内役は、旧知のティンチョウ伝統医療副局長。
ティンチョウさんによると、連邦政府の首都であるネピドーには、全14州から一つずつ、その州のシンボルを選び、それそっくりのコピーを設置しているのだという。それらの内で最も有名なのは、ヤンゴン州から選ばれた、ヤンゴンのシンボルとも言えるシュウェダゴンパゴダのイミテーション。イミテーションと言っても、安っぽいものでは全くなく、本物と殆ど遜色ないほどの精巧かつ大規模なもの。ただ、本物に敬意を表して約30センチ(1フィート)だけ高さを小さく作られている、という。
<シュウェダゴンパゴダのイミテーションは大迫力>

ただ、今回、彼が、先ず最初に連れて行ってくれたのは、マンダレー州のシンボルとして選ばれたマンダレーのマハムニ寺院にある仏像のコピーだった。ビルマ族の仏教信仰の中心とも言われるありがたい仏像で、伝承では、世界最古の仏像だが、もともとは、ラカイン族が大事にしていたものをビルマ族の王が戦利品として持ち帰ったもの。
我々が今週金曜日に向かう少数民族州ラカインにも、今もこれとそっくりのマハムニ仏があり、ラカイン族はこちらの方が本物、ビルマ族が持ち帰ったものは偽物と主張している曰くつきのものだ。ということで、これはミャンマーで2つめのコピー。全土では、3つのそっくりさんが存在することになる。(私は8月18日のブログでこの経緯をやや詳しく書いている。http://blog.canpan.info/ohno/daily/201108/18)では、ラカイン州から選ばれたラカインを代表するものは何だったのか?ついつい聞きそびれてしまった。
<ミャンマー全土で3つ目のマハムニ仏>

次に、国立薬草園へ。総面積192エーカー、全土から400種類以上の薬草を集めて移植したという保健省自慢の薬草園だ。アジア各国の首脳が訪問した際に植樹したと言う木々が集められているところに案内された。ネピドー訪問する国家元首にはここにも来てもらい、その国にちなんで薬にもなる木を選び、植樹してもらっているようだ。
ふと、巨大な樹の皮のようなものが干してあるのに気付き尋ねると、何と象の皮。道理で異様な臭いがする。これも伝統医薬品の原料として使われるのだとか。
<象の皮が干してあった これも伝統薬品の原料とか>

ホテルに戻って、昼食を取り終わったところへ、会長一行がマンダレーから帰還。マスコミ関係者も勢ぞろいして、大統領官邸へ向かう。大統領官邸へ向かう道は、片側9車線、合計18車線の巨大な道路だ。
大統領官邸まで来たところで、警備の担当者からマスコミの入室はおろか、大統領との面談そのものまで報道を控えるように、指示される。テインセイン大統領の公式日程に含まれていない面談なので、対外的に報道されるのはまずいというのだ。
交渉の結果、やむなく、メディアは代表のひとりが冒頭に写真撮影のみ認めるということになり、限られた人数だけで官邸へ。
<大統領官邸前の片側9車線、合計18車線の巨大な道路>

結局、大統領との面談は一時間以上に及び、様々なことが話し合われた。この間、大統領と渡辺さんや笹川会長のやり取りを聞いて私が感じたのが、今回会うことの出来た他の大臣たちが、一様に愛想よく、ミャンマーの民主化について楽観的でさえあったのに対して、テインセイン大統領は、あくまで厳しい表情を崩さず、慎重な言葉遣いに終始したことであった。
これまで会った要人たちが予想以上に、愛想良く振舞っていたので、総帥である大統領もそれ以上に愛想良く振舞うのかと思っていたのだが、それは見事に外れたようだ。
しかし、それは、テインセイン氏が将来に悲観的であったわけでも、臆病であったわけでもあるまい。恐らくは、中国と米国、国内の守旧派と進歩派の間で、極めてデリケートな手綱捌きを迫られるなど、まさに真剣勝負の毎日。改革に命を掛けた政治家の気魄ゆえの厳しさだったのではなかろうか。
<テインセイン大統領に挨拶する笹川会長>

9時 ネピドー市内視察
12時半 昼食
16時半 テインセイン大統領
18時20分 マスコミ関係者ブリーフィング
19時半 関係者夕食会
21時15分 マスコミ関係者との懇談会
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