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大野修一(日本財団)
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台風を何とかかわしてハノイに到着してはみたものの、、、 [2011年09月30日(Fri)]
9月30日(金曜日)
                   <雨雲の下に香港が見えた>

マニラから香港行きの飛行機は、出発時間こそ若干遅れたが無事出発。香港には20分ほどの遅れで到着。香港空港は雨が降っていたが、左程、強いものではない。乗り継ぎ時間は時刻表では1時間15分となっていたが、20分ほどの遅れなら十分間に合うはず、とハノイ便の出発ゲートに急ぐ。
結局、ハノイからの飛行機の到着が30分ほど遅れはしたが、飛行機はなんとか香港を飛び立った。出発前に香港空港から、ハノイの関係者にメールで確かめたところによると、台風はハノイの北方に外れたようだという。

                         <香港空港は雨>

ところで、今回のマニラ発、香港経由ハノイ行きのフライトには、ファーストクラスに、アメリカの人気男性俳優が一緒だったようだ。マニラでも、いち早くその情報をキャッチした空港の女性職員が彼らが移動するたびに、カメラを抱えて大騒ぎ。
ハノイでも、やはり、青いアオザイすがたの空港女子職員が飛行機を出たところから入国管理のゲートまで追いかけ、写真を撮り、握手を迫るで、大騒ぎ。ただ、私にはそのスターが誰なのかはついに分らず仕舞い。いずれにせよ、職員が乗客をそっちのけで騒ぐとは、日本では考えられない珍しい光景であった。そこで、思わずカメラを取り出しパチリ。

                    <映画俳優に大騒ぎ>

それは、ともかく、無事にハノイ空港に到着し、台風の間を縫うようにして、実害をこうむることなく、予定通りハノイに着けるとは、何という強運とおもったのだが、運がついていたのはここまでだった。
香港でiPhoneを開いて受け取ったメッセージには月曜日の3時に予定してもらっていたIFC東南アジア代表とのアポイントが代表の急な出張によりキャンセル。次の月曜日に一週間ずらしてもらえないかとの連絡だった。出発してしまった今、変更は不可能である旨、返事する。それにしても、2回連続のドタキャンである。
さらに、もっと大きな問題が生じた。ハノイの空港で受け取るはずの、スーツケースが出てこないのである。マニラ空港でチェックインした時にハノイまでスルーでと依頼したのは間違いないのだが、香港で積み替えが間に合わなかったのか、それとも、フィリピン空港でのストに巻き込まれて現地での積み込みに不具合でもあったのだろうか。
ターンテーブル横のカウンターで、ボーディングカード、番号札を見せて、交渉する。出された書類に記入していると、もう一人、米国人らしき中年の夫人が疲れきった様子で手続き中。聞こえてきたところによると、台風に翻弄されて飛行機が大幅に遅れここ4日間も風呂に入っていないのだとか。やっとの思いで着いたハノイで荷物がなくなるとは、もう怒るに怒れないという。
この人と比べると、予定通りに到着しただけ、自分はまだましかと慰める。
幸い、パソコンや、目覚まし時計、髭剃りなどは、預けたスーツケースには入れず、手荷物の中。また、小型のガーメントケースも機内に持ち込んでいたので、着替えなど当座の生活に不可欠なものは総て手元にある。月曜のIFCとのミーティング用の資料は総てスーツケースの中だが、こちらは無くなった訳だし、、、。と慰めつつ、疲れ切った気分でホテルへ。
夜は、旧知の共同通信の三宅支局長と食事。

                        <ハノイ市内も雨>

8時 ジム・アヤラ氏面談
9時 ホテル出発
11時00分 マニラ発
13時15分 香港着
14時30分 香港発
15時30分 ハノイ着
19時 共同通信三宅支局長
情報通信技術の利用によるInclusive Businessの可能性を議論 [2011年09月29日(Thu)]

9月29日(木曜日)
朝、朝食を済ませて、一旦、ロビーに集合し、参加者全員で徒歩で向かい側になる巨大なショッピングセンターへ。そして、モールに隣接された大きな国際会議場ビルの2階にあのる会議室へ。
この巨大な施設全体が、障害者のアクセスに問題がないように設計されている。その、監修者の一人が昨日あった盲人の建築家のジェイミー氏である。
建築家として専門家の立場に加えて、自らが全盲の視覚障害者である、と言う立場をフルに生かして、ショッピング施設の完全バリアフリーを実現させているのだ。

                   <完全バリアフリーを実現したSMモール>

9時になって、会議が始まった。参加者は、情報通信技術の分野で、あるいは、それをツールとして障害者を雇用しながら、あるいは障害者自身が事業家となって、そのような企業を運営している人たちが10人ほど。自らの、経験と、更なる振興に向けて何がなされるべきか、という議論が続いた。
健常者のトマス・ヌン氏が経営するICTを活用した教育事業であるGenashtim社のEpicOnlineでは、障害者の従業員の方に優位があり、雇用を増やしたいと言う状況が生まれていた。一方、障害者自身が設立したIT企業も経営はまずまずのようで、プライドと自信を持って、事業を進めているようだ。
助成団体として、何が出来るのかと考えながら参加者のプレゼンテーションに耳を傾けた。
                         <Inclusive Businessの会議>

一日だけの会議が終わり、レセプションをはしごした後、部屋に戻ってテレビを付ける。すると、今回の台風がフィリピン全土で死者行方不明併せて70名もの被害を出し、マニラを襲って数十年ぶりという大規模な水害をもたらしたことを知る。さらに、この大型台風は、今日は香港を襲い現地の市民生活を麻痺させている、という報道。私の行程が一日ずれていたら、完全に台風に掻き回されていたであろう。
今日の香港では、何と香港株式市場が閉鎖。空の便もキャンセル、遅延、行き先変更など何らかの影響を受けたフライトが、350本以上にのぼる、と言う。今回の台風の規模は香港では2年ぶりの大型台風だったのだとか。

                     <香港が機能麻痺>

しかし、私がテレビを見た夜の時間までには、既に、台風は香港を去り、今は海南島に上陸中。ところが、その後、移動の速度を落として足踏みをしており、あすの午後に、ハノイに上陸する見通し、と言うではないか。そうなると、明日、香港へは行けたとしても、その先、ハノイに着陸できるのかか心配だ。6月に引き続き、台風に振り回されるようでは今後は、マニラ行きのスケジュールはもっと慎重に、時期を選ぶべきかもしれない。
                   <ベトナムに向かう台風>

8時半 ロビー集合
9時 IB-ICT会議
18時 IB-ICTレセプション
19時半 Genashtim夕食会
福村芳一さんのコンサートに、五島龍さんも参加へ [2011年09月28日(Wed)]
9月28日(水曜日)
今年に入ってから、出張の回数は少し減り、一ヶ月に一回のペースが続いていた。例外は6月と8月の二回のみ。ところが、ここへ来て、どうやらこのペースも怪しくなってきた。今回の分も入れると10月にかかる出張は4回。しかも、長距離の南米行きとアフリカ行きが控えている。体力維持に心せねばならない。
今日からの出張は、東南アジア4カ国へ約2週間。先ず、マニラで障害者関係の会議に出て、そのあと、ハノイ、香港、バンコク、プノンペン、バンコクと回る。メインイベントは10月7日にプノンペンで予定している、日本財団主催のチャリティーコンサートだ。今回は、昨年末ハノイでASEANシンフォニーオーケストラで大好評を博した福村芳一さんが再度、タクトを揮い、そこに、若手人気バイオリニストの五島龍さんも参加するという豪華版。

                   <台風一過のマニラ市内>

今年は何故かマニラと縁づいている。目的はその都度、異なるのだが、既に4回、今月は何と2回。そんな訳で、勝手知ったるニノイアキノ空港に到着すると、迷うことなく空港のタクシー乗り場へ。しかし、行き先は初めてのホテル。乗り込んだタクシーに住所を告げる。
30分ほどでタクシーがあっけなく止まったのは、工業団地のように殺風景な広大な敷地の一画に建つ海際のホテル。道路を隔ててだだっ広いショッピングモールが望まれる。
しかし、チェックインしようとして、何故か手違いで、部屋が取れていないと聞かされる。明日の会議の主催者であるAPCDのエンさんらが掛け合ってくれるが、暫く待たされる。
その間、APCDの佐野さんから、昨日ま、でマニラは大型の台風で大変だったと聞かされる。全く知らなかった。「えっ。こんな大騒ぎになっていたのに、知らなかったんですか」と呆れられる。空の便も大幅に乱れ、会議への参加を諦めた人もいたとか。そして、マニラ市内は数十年ぶりと言う大洪水。
そう言えば、6月に来たときもマニラから香港経由でハノイに行く際、台風にひやひやさせられたっけ。あの時は、台風のために香港からの航空機のマニラ到着が大幅に遅れることになり、乗り換えが不可能になるところだったが、辛うじてフィリピン航空の香港行きの便に振り替えてもらい難を逃れたのだが。今回は、何と、フィリピン航空では職員の大規模ストが始まっていて、暫くこの状態が続く見通しとか。今回は、6月のような手は使えないわけだ。
30分ほどで部屋の準備が出来、入って早速、テレビをつける。地元のチャンネルでは、日本滞在中のアキノ大統領がストに参加したフィリピン航空の組合員に対し、国家の経済活動を妨害したかどで刑事告発するとの発言を伝えるニュースに続き、フィリピンに甚大な被害をもたらした台風は今後、香港からハノイに向かうとの報道。しかも、もう一つの大型台風が、フィリピンに近づいている。日本周辺を取り囲むように発達した高気圧のせいで、この台風も、前の台風とほぼ同じく、真西に進み、香港、ハノイに向かう可能性だというではないか。大変だ。

              <台風の被害状況を報じるテレビニュース>

暫くして、トマス・ヌン社長から電話。彼は、マニラを拠点に障害者を多数雇用して情報ビジネス会社Genashtim社を経営しているマレーシア人ビジネスマンだ。ホテル向かいのモールでお茶を飲みながら意見交換。彼も、あすの会議の参加者だ。その後ホテルに戻り、APCDの二ノ宮所長と打合せ。
夜は、今回の会議の場所を提供してくれたフィリピン最大の小売業SMスーパーモールの女社長ガルシアさんの主催の夕食会。SMスーパーモールは障害者に対するユニークな取組みで知られる。障害者を雇用するだけでなく、障害者とその家族を重要な顧客として位置づけているのが特長だ。
夕食の場所は、モール内のバイキング形式の人気レストランでその名も何とViking。自分で好きな物を好きなだけ自由に取って食べる方式のレストラン
は、海外では一般に、ビュッフェ・スタイルと呼ばれている。これを、バイキングとか、バイキング方式と呼ぶのは日本独特のネーミングで、海外では、バイキングと言っても通じない。にも拘らず、偶然なのか、この人気チェーン店の名前がバイキングなのだ。子供お連れた家族連れで大盛況。
今夜の夕食会には、彼女の弟で全盲の建築家として有名なジミーさんらも加わり、楽しい夕食となった。

                  <SMスーパーモール主催の夕食会>



9時30分 成田発
13時05分 マニラ着
15時 Genashtim社トマス・ヌン社長
18時 ニノミヤAPCD所長
19時半 SM主催夕食会
帰国時のいらいらを反省 私の旅の工夫 (11) [2011年09月18日(Sun)]
9月18日(日曜日)
                  <マニラでみた美しい夕焼け(14日撮影)>

バンコクから、日本への帰国便が一番混雑するのは、週日に仕事を終えたビジネスマンの利用が集中する土曜日ではないだろうか。その点、今日は日曜日。しかも、明日は休日の月曜日と来れば、連休利用のゴルフ客ももう一泊するはずなので、機内はがらがら、と読んでいたのだが、その読みは見事大外れで満席。
機内のみか、成田空港の到着ロビーも混んでいた。それなのに、飛行機は第2ターミナルのサテライト側への到着。私の嫌いな、無人シャトルに乗らねばならない。そもそも、こんな短い距離をどうして動く歩道にしなかったのだろう。きっと、開港当時は無人シャトルというものが珍しく、無人運転技術のテストケースとして敢えてこのような短距離をシャトルにしたのではなかろうか。
しかも、ようやくやって来たシャトルに乗り込もうとすると、回送列車なので乗れませんとの表示。そして、待ち構える大勢の乗客を尻目に、無人でUターン。一体これは何なのだ。それにしても、こんな不便で非効率なものを撤去せず、コストもかかるだろうに、未だに使い続けている空港管理会社の気が知れない、と心の中で悪態をつく私。
入国審査場についてみると、こちらも大混雑。私は出入国のスタンプでパスポートの空きページが減ってしまうのを嫌って、いつも自動化ゲートを通るようにしている。事前登録が必要なので、利用する人は左程多くないのだが、今日は何と20人以上が並んでいた。このままでは、いつもの時間の成田エクスプレスの発車時間に間に合わないと、やきもきするが、こんなときに限って、手続きに不慣れな人が多い。中には、未登録なのに機械にパスポートを読み取らせようとして、何度もチャレンジした挙句、注意されて初めて使えないことに気が付く人も。
漸く、自分の順番が来て入国手続きを終え、引き取り荷物はないので、税関審査カウンターに直行。ところが、ここでは、申告表を未記入の人の後に並んでしまい、その人が、係官の指導を受けながら記入している間、待たされ、更に、時間を食ってしまう。
やっとの思いで、JRの乗り場に辿り着き、時間を見ると、発車5分前。幸い、自動販売機の前が空いていた上、案内係の女性のテキパキしたサポートがあったお陰で、なんとか切符を購入。電車にギリギリ間に合った。
座って一息ついてから、思えば成田到着以来ずっといらいらし通しだったことに思い至り、醜い己の姿を深く反省。

                <今は絶版 SONYの電子辞書は優れもの>

ところで、今回は「私の旅の工夫(11)」としていつも出張に肌身離さず持ち歩いている小型の電子辞書をご披露しよう。今は絶版となったSONYの製品だ。最近の電子辞書は音声機能やカラー液晶など私にとっては不要な機能が付く一方で、サイズも大きくなり、かさばるので旅には不便。また、色々な内容がこれでもかと詰め込まれているようだが、私が使いたいような言語の辞書が複数入っているものは無い。
臙脂色のこの電子辞書は、ご覧の通り、アイフォンより一回り小さいサイズだが、中身はリッチ。銀色の一代目が壊れてしまい、ネットオークションで4万円近く払って、やっとの思いで落札した二代目だ。人気機種なので、購入時の価格2万9千円では、手に入れることは出来なかったのだ。これ程の人気なのに、ソニーは電子辞書から全面撤退。今では、壊れたものの修理すらやってくれないので、壊れた継ぎ手のところには自分でテープを張って労わりながら大事に大切に使っている。
この電子辞書の特色は、小型ながら、内容が豊富なこと。各国語辞書としては、英語は勿論のこと、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語から韓国語、更に、中国語までカバー。私のように、各国を渡り歩く言語マニアには極めて有り難い。欲を言えば、ブラジルの言語であるポルトガル語があれば良いのだが。もっと言えば、トルコ語、ベトナム語、マレー語など西洋以外の言語もカバーしてくれると最高なのだが、、、。
いつも、海外出張時には、わが辞書は大活躍。英語のスピーチ原稿に手を入れるときや、機内の英字紙で見慣れない単語が出てきた時に、これでチェック。小型の百科辞書も入っているので、ちょっとした観光ガイドにもなる。今回、プノンペンでカーソンさんら3人の英国人と、パプアニューギニアの歴史が議論になったときに、私は、愛用のこの辞書を使って、論争に終止符を打ったのであった。
こんなに大活躍のわが電子辞書なのだが、この機種は最近ではもう、ネットオークションにも出されることがなくなったようなので、大ピンチ。万一のことがあったらどうしよう。アイフォンにネット辞書をダウンロードすれば良いのかも知れないが、完全な代替は無理なのでは、と心配している次第。
               


5時15分 ホテル出発
8時10分 バンコク発
16時25分 成田着
バンコクの土曜日 [2011年09月17日(Sat)]
9月17日(土曜日)
今日は土曜日だが、在バンコクの日系のマスコミ関係者にとっては必ずしも休みではない。殆どの人が、何らかの形で仕事をしているようだ。それを良いことに、私は、土曜日であるにも関わらず、貴重な機会を利用しようと、予め2社の方々に食事を口実に面談を申し込み、了解の返事を取り付けてあった。
二つの面談の間に、外へ出掛け、デカロさんから頼まれたタイ・スタイルの長袖シャツを購入。残りの時間は、ホテルの部屋で溜まったメールのチェックと、このブログの作成準備に費やす。
さすがに、昨日のカンボジアでのゼロ泊を含む忙しい今回の行程が体に応えたのか、疲労感が強い。こんな時は、取って置きのガラナの粉末が効果的。いつも持ち歩いてはいるのだが、ブラジル特産の強壮薬、ガラナを飲むのは久し振り。


12時 NHKバンコク支局 小林記者 山口カメラマン
18時半 日経新聞 高橋バンコク支局長
カンボジア義肢装具士学校(CSPO)の卒業式に参列 [2011年09月16日(Fri)]
9月16日(金曜日)
プノンペン空港に着いた私を、個人タクシーの運転手、ソルヤ君が出迎えてくれた。彼の顔には、いつもの笑みはない。私が彼に、先ず掛けた言葉は、お悔やみだった。3週間前に次女のソニタちゃんをデング熱で亡くしたばかりなのだ。
彼は、ソニタちゃんが元気だった時の写真のアルバムを持ってきていた。そして、助手席に座った私に、それを渡して見せてくれた。そこには、3歳のあどけない童女が無邪気に笑う可愛い写真が何枚も何枚も並んでいた。
アルバムをめくる私の横で運転しながら、彼は今回の顛末を憤りと悲しみを込めて語った。
それによると、熱を出してぐったりとなったソニタちゃんを担ぎこんだ先の病院の医師は、簡単な診察をしただけで、大した処置をすることもなく、心配ないと彼女を丸一日放置したのだそうだ。視力を失い、意識も朦朧としてきた愛娘を前に「これはダダの風邪ではない、緊急の手当てが必要だ、と何度も医者に訴えたのに、医者は心配ないというだけで何もしてくれなかった。デング熱という診断がつかなかったのだ。愚かなやぶ医者め。有力者や金持ちにはへいこらするくせに」
数日たって、完全に意識を失ったソニタちゃんを前に彼は、実力行使に出た。医師の制止を押し切り、彼女を連れ出し、私費の救急車で隣国ベトナムのホーチミンにある病院に運んだのだ。そして、高価な費用負担も省みず、輸血を含むあらゆる措置を試みたが手遅れだった。意識を回復することもなく、2週間後にソニタちゃんは病院で亡くなった。「カンボジアの医療はだめだ。ソニタはカンボジアに生まれてさえいなければ、死なずに済んだのに」言葉を搾り出すように静かな怒りを込めて語る彼を前に私は、慰める言葉が見つからなかった。

              <プノンペンの名の由来となった「ペン婦人の丘」の仏塔>

10時半、コンサートのファンドレイジング担当マネジャーのチップさんと落合い、一緒に、日本大使館に。黒木大使にお目にかかり、コンサートの準備状況を報告。その後、大使からは、政府高官、外交団等、VIPの招待の仕方などにつき、色々、貴重なアドバイスを頂く。
その後、チップさん、ケオさん、高田さん、松島さんなどコンサートの準備を手伝ってくれている皆さんに集まってもらい、昼食を取りながら打合せ。予想外の問題が次々に生じて、色々、大変な負担がかかっているにも拘らず、皆、愚痴も言わず、前向きに取り組んでくれている。当方は、ひたすら、感謝するのみ。
食事を終えて、私は一人、社会福祉省へ。日本財団が19年前の創立以来、長年に亘って支援してきたカンボジア義肢装具士学校(CSPO)の卒業式に参列するためだ。

                 <式典は義足装着者達の民族舞踊で始まった>

大部分の政府機関同様に、社会福祉省も最近になって新庁舎に建て替えられており、その大変立派な講堂が卒業式場だった。そこには、旧知の顔ぶれが揃っていた。この学校の運営を総合的に指導する専門家集団である国際NGO「カンボジアトラスト」のカーソン常務理事、カーソン夫人のオードリー、カンボジアトラストの在カンボジア代表のマイクなど。殆どのメンバーとは、昨年11月の新校舎落成式以来の再会。しかし、私が、この学校の卒業式に参列するのは本当に何年ぶりのことだろう。
シサリー校長が、卒業生たちを紹介してくれた。16回目となる今回の卒業生は10人。そのうち、5名がカンボジア人。パプアニューギニア人が2名、イラク人2名、ネパール人1名。皆、うれしそうだ。
社会福祉大臣が着席すると間もなく、卒業式が始まった。カンボジア国歌の斉唱に続いて、民族舞踊。7名の踊り手は皆、義足を装着した女性たちだ。

                   <社会福祉大臣が熱気の篭ったスピーチ>

次いで、カンボジアトラストの母国イギリスを代表して、英国大使が挨拶。日本財団を代表して私もお祝いのスピーチとスピーチが続く。最後が、社会福祉大臣。イトサムヘン大臣の祝辞は、このような式典にありがちな御座なりのものではなく、大変熱の篭ったもので、しばしば用意してきた文面から離れて、アドリブを連発。中でも、一番座が沸いたのは、この学校を来年から大学の学士課程相当と認定し、卒業生には学士号を認定することにしたい、という発言であった。
大臣の言葉からは、社会福祉省がこの学校を非常に高く評価し、誇りに思っていることが伺われた。確かに、20年足らずの間に、この学校が排出した卒業生の数は162名。しかも、そのうち多数がカンボジア以外の国からの留学生で占められている。留学生を送り込んできた国の数は18カ国。アジア全域に及び、北朝鮮や東チモールといった国まで含まれている。
教育の質が国際的に見て低いと問題視されることが多いカンボジアでは、留学生の方がカンボジア人より多いという学校は、この学校をおいて、他にはあるまい。

                   <終わって大臣と記念撮影をする卒業生たち>

私たち助成団体の立場からみてこの学校にはもう一つ特記すべきことがある。それは、創立20年を待たずして、この学校が実質的に、外国人の助けを借りずにカンボジア人自身の手で運営されるようになったということ。理論教育、実技指導、経営管理、総ての面でのローカリゼーションを達成しつつある。
まだ40歳そこそこ(?)の女性のシサリー校長も勿論、カンボジア人。もともと、彼女自身がこの学校の卒業生。他の教員も総てこの学校の卒業生たちなのだ。
卒業式の後、カーソン、マイクと弁護士のジョンの三人を誘って近くのホテルのバーでスナックをつまみながらカンボジアにおける障害者支援事業の今後の進め方について、小一時間ほど意見交換。あっという間に、6時になったので、彼らを置いたまま、私のみ中座して、空港へ向かう。今夜のうちに、バンコクへ移動する予定なのだ。

                   <シサリー校長もとっても嬉しそう>

再び、二人だけになった車の中で、ソルヤ君と私の会話はソニタちゃんのこと。私は、彼を慰めようと朝からずっと考えて思いついた言葉を話してみた。「仏教の輪廻の考え方からすれば、ソニタちゃんはきっとどこかに転生する。君の三番目の子供として生まれてくることだってありうるよ」
すると、彼は、「お葬式のときに、お坊さんからも、彼女は生まれ変わって再び我が家にやって来るかもしれない、と言われたんだ。自分には、それはまだ信じられないけど、来週から始まるプチュンバン(カンボジアのお盆)には、夫婦でお寺に行ってお祈りをするつもりだ。もし、もう一人女の子が授かったら、もう一度ソニタと名付けるつもりだ」とつぶやいた。

                   

6時半 ホテル出発
8時15分 シンガポール発
9時15分 プノンペン着
11時 日本大使館 黒木大使
12時 チャリティー・コンサート打合せ
15時 CSPO卒業式
17時 Cambodia Trust関係者との夕食会
20時25分 プノンペン発
21時30分 バンコク着
P-Cen開始式典でお祝いのスピーチ [2011年09月15日(Thu)]
9月15日(木曜日)
朝8時、P-Cen開始式典の前に、IDPP(障害者公共政策大学院)のフィリピン人学生たちとの懇談会。この7月から始まったIDPPの学生の最大勢力はフィリピン。今日は6人の内、4人が集まってくれた。そのうちの2人は、昨日会ったばかりのラフィーとマッキー。その他、車椅子のドンと全盲の女性ルーイさん。
デカロさんも加わり、小一時間ほど、彼らから7月にバンコクで行われたオリエンテーションを兼ねたIDPPのスクリーニングや、現在進行中のインターネット授業について、学習当事者としての彼らの意見、感想を聞き、改善点について話し合った。

                  <IDPPの参加学生たちが集まってくれた>

懇談会の会場へ、P-CENの開始式典の用意が出来たとの連絡が入り、懇談会を切り上げ、我々は別のフロアに設けられた開始式典の会場へ移動。そこには、大勢の参加者が集まっていた。
P-CENとはPre-College Education Networkの略。アジア地域の聴覚障害者教育の質の向上に向けて、デラサール大学聖ベニルデ校(CSB)の聾教育学部が中心になって、中高等聾学校のネットワークを構築し、米国国立聾理工学院(NTID)のノウハウを吸収、相互に助け合うことを目的としている。
                   <P-Cen開始式典でお祝いのスピーチ>

今回のP-CENの開始式典には、日本の晴明学園、ベトナム南部ビエンホアのドンナイ師範学校付属高校、タイのバンコク郊外の聾学校など、フィリピン以外の学校も3校参加し、開始式典の後、Pre-College Education Network参加校による調印式。日本財団もwitnessとして私がサイン。今後、この事業が始まれば、参加校はASEAN地域を中心にアジア全土に広がることになろう。
                   <P-Cen参加校による調印式>

調印式が終わり、皆で記念写真をとった。その後、昼食会のまでの時間、余興として、聾学生たちによる民族舞踊や創作ダンスが始まったのだが、私は、空港へ急がなければならない。辞退しようとしたのだが、どうしてもマッキーさんが送ってくれると言うので二人で空港へ。
シンガポール航空機は定刻の出発。機内でシンガポールの地元新聞を開くとトップ記事は何と花泥棒のはなし。市内の目抜き通り「オーチャード・ストリート」に置かれた豪華なランの花飾りから、花を失敬していく人が後を絶たないために、当局がランの花を撤去することを決めた、と言うもの。何と、のどかな。
シンガポールに到着。今夜は、久し振りに朝日新聞シンガポール支局長の塚本さんと夕食。準備段階で色々お話してきたIDPP(障害者公共政策大学院)の報告など。

          <シンガポール空港にはオール2階建てのエアバスA380の姿が、、、>


8時 IDPP学生との懇談会
9時 P-CEN調印式
11時 ホテル出発
14時10分 マニラ発
17時40分 シンガポール着
19時 朝日新聞塚本支局長
デラサール大学の中にあるユニークなホテル「CSBホテル」 [2011年09月14日(Wed)]
9月14日(水曜日)
今年、3回目のマニラ行き。その目的は、デラサール大学が中心になって行われる中等教育における聾教育支援事業(P-CEN)の開始式典に参列、お祝いのスピーチをすること。P-CENとはPre-College Education Networの略。文字通り、聴覚障害者のための中高等学校ネットワークだ。
マニラのニノイ・アキノ空港には、この夏、始まったばかりの修士コース、IDPP(障害者公共政策大学院)のフィリピン人学生、ラフィーとマッキーが迎えてくれることになっていた。しかし、空港の外に出て約束の待ち合わせ場所に着いたのだが、二人の姿はどこにもない。通常なら携帯電話にかけるところだが、彼らは二人とも聴覚障害者、そう言うわけにも行かない。
痺れを切らせて、タクシーで行くことを覚悟するが、予約してもらっている筈の「CSBホテル」と言っても、皆、首を傾げるばかり。手元に住所があるのでその近くに行けば、何とかなると思うが、有名なホテルでないことだけは確かだ。
こんなことなら、何もわざわざ私のために空港まで出迎えに来てくれなくても、いつも私がやっているようにホテルの車を手配してくれれば十分。仮令、ホテルの車がなくても、タクシーでの行き方さえ聞いていれば自分一人でも行けたのに、、、。
痺れを切らせて、最後の手段、と彼らの携帯にメール(SMS)をしたところ程なく返事があり、ラフィーが息を切らせて駆けつけた。直ぐに、マッキーも私の名前を大書した紙を胸元に広げたままやって来た。どうやら、飛行機が定刻より早く着いた上、手荷物だけで軽装の私が出てくるのも早かったので、マッキーと行き違ってしまったらしい。

            <デラサール大学が運営する「CSBホテル」の堂々たる建物>

二人に案内されて、出迎えの車に乗り込みマニラ市内へ。30分余りで、車が止まったところは、小奇麗な白い建物の前。確かに、CSB Hotelという看板が付いている。
説明を聞いて、漸く分かったことは、実は、このホテルは、デラサール大学の聖ベニルデ校(College of Saint Benilde =CSB)のAKICキャンパスの一部だということ。大学の「ホテルレストラン経営学部」によって運営されているホテルだったのだ。ホテルの名前に付いた「CSB」というのは、聖ベニルデ校(College of Saint Benilde =CSB)の略称。
12階建ての建物の中には学生たちが学ぶ教室と、客室数46の4星ホテルが同居している。一般の人も泊まれるのだが、知る人ぞ知る存在。タクシー乗り場で通じなかった訳だ。

                  <ホテルと同じビルの別フロアには大学が同居>

デラサール大学は日本でも進学校で有名なラサール鹿児島などの経営母体と同じカトリックの一派が設立した大学。この大学は、フィリピンでは、アテネオ・デ・マニラ大学と並ぶ有名私立大学。アテネオが慶応だとすれば、デラサールは早稲田と聞いたことがあるが、事実、デラサール大学は早稲田大学の協定校なのだそうだ。
聖ベニルデ校(CSB)だけでもこのホテルレストラン経営学部の他、聾教育学部、デザイン芸術学部、経営学部、外交学部などが設けられている。
日本財団はデラサール大学の聖ベニルデ校とは、聴覚障害のある大学生を支援するための国際的な大学間ネットワーク、PEN-Internationalを通じて長い付き合いがあるのだが、実は、私にとって、今回が初めての訪問

                   <大学フロアでは授業が進行中だった>

ホテルにチェックインして、間もなく、私は、米国のニューヨーク州にあるNTID(国立聾理工学院)からP-CENの開始式典のために来てくれたデカロ教授と面談。NTID(国立聾理工学院)はP-CENの元になった事業で、聴覚障害を持つ大学生を対象にした教育支援のための大学間ネットワーク事業、PEN-Internationalの中心機関。デカロ教授はその責任者である。
私が、PEN-Internationalの後継事業としてアジアでの中等教育を対象にした聾教育支援のアイデアを打ち明けた相手が、デカロ博士。その後、彼が日本財団国際グループの石井グループ長らと、フィリピンのデラサール大学を中心とする、P-CEN事業の構想をまとめてくれたのだ。
彼とは、IDPP(障害者公共政策大学院)事業の責任者、デリック教授と私が来月、ワシントンで会うのに備えて、今日は専ら、IDPPについて意見交換。
夜は、CSBホテルの最上階にある本格的なフランス料理のレストランで歓迎夕食会が開かれた。ここは、デラサール大学の聖ベニルデ校(College of Saint Benilde =CSB)のホテルレストラン経営学部が学生のトレーニングの場を兼ねて運営しているもの。
ウエーターもウエイトレスも初々しい学生たち。ちょっと、不慣れで手順にトラブルこともあるが一生懸命な様子が好ましい。しかし、フランスの提携校から招いたというフランス人シェフの作る料理の味は一級品であった。

                   <歓迎夕食会は学生たちが実習するレストランで>


9時30分 成田発
13時05分 マニラ着
16時 NTIDデカロ前学院長
18時 歓迎夕食会
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