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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ベトナムは漢字文化圏 [2011年07月20日(Wed)]
7月20日(水曜日)
いつものように早朝、暗いうちにホテルを出て空港へ。帰国の途に着いた。
以下に、今回の出張の際、ハノイの街で写した写真のうち、漢字が写っているものを紹介する。ベトナムでは、チャイナタウンや、華僑系の商店などは勿論、仏教寺院など町のあちこちで漢字を目にすることが少なくない。

                <ベトナムは漢字文化圏@>

ベトナムでは、フランス人宣教師によって作られたアルファベット表記法が正字法として採用されるまでは、中国由来の漢字と、ベトナムで独自に作った漢字もどきの文字「チュノム」を使う表記法が使われていた。
ベトナムは、日本や韓国・朝鮮と同じように、漢字文化圏に、所属していた国ということが出来る。何しろ、中国古典に関する知識を競う「科挙」の制度が、20世紀の初め、本家の中国で廃止された後も続いていたというお国柄。

                <ベトナムは漢字文化圏A>

今では、専門家など一部の例外を除いて国民の大半は漢字を読み書き出来ないが、ベトナム語の語彙の中には沢山の「漢語」が潜んでいる。ベトナム語の語彙の約60%は中国語由来の言葉だと言われるほど。これらは、漢越(Han Viet)語と呼ばれる。
一例を挙げると、会議はホイギー(hoi nghi) 社会はサホイ(xa hoi) 社会学はサホイホック(xa hoi hoc) 大学はダイホック(dai hoc) 社会主義はサホイチュギア(xa hoi chu nghia)といった具合。
残念ながら、今では聞いてみても自分の名前を漢字で書ける人は殆どいないが、ベトナムの人名も、漢字に基づいている。例えば、ホーチミンは胡志明だ。
東南アジアの国々の中でも、一番ベトナムに親しみを感じてしまうのは、私だけではあるまい。

                <ベトナムは漢字文化圏B>

     
5時半 ホテル出発
8時10分 バンコク発
16時25分 成田着
バンコク郊外の私大、ランシット大学へ [2011年07月19日(Tue)]
7月19日(火曜日)
今日は、バンコク都心から1時間半の郊外にあるマヒドン大学サラヤ・キャンパスに行き、今朝から始まる授業を見学する予定でいたが、英語力の試験を行うことになったと聞き、サラヤ行きは中止。それに代えて、いくつかのスケジュールを急遽入れる。
先ず、午前10時にホテルで、リークアンユー公共政策大学院トゥミネス学部長補佐の求めに応じてミーティング。女性問題など、日本財団とリークアンユー公共政策大学院との間での共同事業の提案を受ける。私の意見やアドバイスを反映させる形で、具体的な提案を文書にまとめてもらい、再度、協議することに。
その後、昨日の入学式を取材してもらったNHKの山口さんと会い、昼食を取りながら、IDPP設立に至る背景などを詳しく追加説明。
                   <雨の中ランシット大学へ向かう>

山口さんと分かれて直ぐ、ホテルの前からタクシーに乗り、ランシット大学へ急ぐ。車に乗ったとたん、激しいスコールが始まる。タクシーは強い雨脚を切り分けるように高速道路を北上。一時間ほど走ったところで、ランシットという標識で高速道路を降りる。スワンナプーム新空港が開港するまではバンコクの表玄関として機能していたドンムアン飛行場の近くだ。
ランシット大学に到着するころには雨は止んでいた。大学の本部管理棟前にから電話すると、副学長のスパチャイ博士が迎えに来てくれた。彼は、保健省OBで、かつての医務サービス局長。一緒にモンゴルの置き薬事業の現場を廻った後、私にタイ伝統医薬品による置き薬事業を提案したのは彼だ。
          <ランシット大学本部前でスパチャイ副学長>

ランシット大学の学生数は4万人。タイで最も大きな私大の一つだ。医学系の学部に力を入れており、東洋医学部など全部で9つの医療関連の学部がある。保健省とも密接に連携しているという。
副学長室に入ると、やはり保健省OBで、当時局次長だったルエチャ博士がいたのでびっくり。彼も、保健省を退職し、今はランシット大学の東洋医学部長なのだという。日本財団と共同で実施中のタイにおける伝統医薬品を使った置き薬事業について色々意見交換。
 
                  <明るく華やかなランシット大学構内>

ふと気がつくと、時間はすでに午後3時半。5時からのCIAT間遠さんとの約束に間に合わせるには、夕方のラッシュアワーが始まる前に、バンコクに戻らねばならない。挨拶もそこそこにスパチャイ博士と分かれ、急いでタクシーに飛び乗った。        

10時 リークアンユー公共政策大学院トゥミネス学部長補佐
12時 NHK山口カメラマン
14時半 ランシット大学スパチャイ副学長
17時 CIAT間遠さん
障害者公共政策大学院(IDPP)が開校 [2011年07月18日(Mon)]
7月18日(月曜日)

                  <2週間のレジデンシー始まる>

4月4日に調印式に漕ぎ付けた障害者公共政策大学院(IDPP)が漸く開校し、バンコクのAPCD(アジア太平洋障害者センター)で開校式が行われた。
この大学院は、一年間の修士号コースの授業の大半をインターネットを使って行うというものだが、学生同士に互いに良く知り合い連帯感を持ってもらえるよう、最初の2週間はバンコク郊外にある名門校マヒドン大学で行われるオリエンテーションを兼ねた「レジデンシー(実際に顔を合わせる授業形態)」による授業期間とした。このため、全員が集まる機会を捉えて入学式と、関係者による第一回目の理事会を開催することにしたもの。
          
                 <8校の代表が顔を揃えたIDPP理事会>

今回、入学が認められた学生は総勢10名。その内訳は、フィリピン人が6名、ベトナム人2名、カンボジア人1名、シンガポール人1名。全員が、肢体障害者か、視覚や聴覚に障害をもつ。日本財団が奨学金支給を予定していた枠は15名であったので、それより若干少ない。この他に、障害を持たないが障害に関する公共政策に関心を持つ健常者で入学を志願している人が数名いるので最終的な入学生はもう少し増えるかもしれないが、それでも定員を割り込むことは確実である。
今回は、修士号を授与することになるアメリカン大学の学位審査委員会の承認が下りたのが5月の中旬。それから、入学要綱の告知、入学願書の受け付けなどの一連の手続きを進めた訳だが、入学希望者にとっても、準備の時間的余裕が十分になかったことは間違いない。アメリカン大学国際関係学部のグッドマン学部長は、大学当局に寄せられた問い合わせなどの反響の大きさから判断すれば、来年は志願者が大幅に増え定員枠を拡大する必要があるかもしれない、と発言。
                  <IDPPのネット上のプラットフォーム>

入学式の挨拶は、APCDを代表してAPCD財団理事長のテート元外務大臣、ドナーの立場から日本財団を代表して私が行った。入学式の後、関係者が一同に会しての理事会となった。これには、創立メンバーである、タイのマヒドン大学、シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院、米国のアメリカン大学や国立聾理工学院、アジア太平洋障害者センター、日本財団の代表者の他、新たに加わることを決めたばかりの、国立インドネシア大学、国立マラヤ大学、フィリピンのアテネオデマニラ大学、デラサール大学の代表者が顔を揃えた。そして、理事会の途中、4校の代表との間で、調印文書の交換が行われた。
特筆すべきは、国連の障害者人権憲章の起草委員長として活躍した前駐米エクアドル大使のルイス・ガレゴス博士がアメリカン大学の代表団に加わり、はるばる入学式に来てくれたことだ。彼は、この事業を世界の障害者の歴史に大きな一歩を印すものとして、高い評価を与えてくれた。
                 <追加4校分の署名文書の交換>


10時 ホテル出発
10時45分 APCD訪問
11時 IDPP記者会見
12時 IDPP開校式
14時 IDPP理事会
18時 IDPP夕食会
バンコクへ [2011年07月17日(Sun)]
7月17日(日曜日)
土曜の一日をのんびり過ごし、英気を養って、今日は日曜日。バンコクへ移動する日だ。朝8時にホテルをチェックアウト。ノイバイ国際空港へ向かう。
お洒落な外観のカフェーの前を通る。

                  <おしゃれなカフェが増えた@>


                  <おしゃれなカフェが増えたA>

ベトナム人は、かつての宗主国、フランスの影響だろうかカフェー好きだ。小さなアルミの甑でドリップした、濃い目のコーヒーにコンデンスミルクをたっぷり入れたベトナム式コーヒーを出す店は以前からあったが、最近、きれいでモダンなカフェーが急に増えたように思う。内部には、インターネットが使えるよう無線ランが設置されている店が多く、外国人やベトナムの若者がコーヒーを飲みながら、何やら熱心に、パソコンをいじっている姿を良く見かける。
                  <空港へ向かうモダンな大通り>

空港への道は、暫く、昔ながらの街並みを走るが、間もなく、郊外の新街区に差し掛かる。片側3車線の中央には広々とした緑の分離帯。ハノイの近代化の象徴のような道だ。近代的で大きなビルの間に、工事中の柵で覆われた区画が散在する。遠からず、アジアの他の大都市と同じように、ハノイの街も無国籍的な近代的な大都市に変貌してしまうのだろうか。
日曜日なので道路は比較的空いている。車は順調に走り、ホン河にかかる大きな橋を渡り、日本企業も進出する工場団地を抜けて、9時前にはノイバイ国際空港に到着してしまった。

                  <新街区にはモダンな建物が多い>

正午過ぎのバンコクは、雲は多いものの晴天。気温は30度余りか。荷物を持って空港タクシーに乗り込む。道路渋滞の深刻さで悪名高いバンコクだが、さすがに日曜日の今日は、渋滞に遭遇することなく、2時前に市内のホテルに到着。
チェックインすると直ぐ、私は、近くのセブンイレブンに。ホテルの冷蔵庫のビールは高いので、いつも、近所のスーパーかコンビニで買っておくのが私流。しかし、急いで出掛けたのには訳がある。タイには、アルコールを購入できる時間に制限があり、いつでも買える訳ではない。お昼の販売時間は11時から14時、夜は17時〜24時となっている。そこで、2時までにビールを買っておこうと考えたのだ。

                       <バンコクは晴天>

が、セブンイレブンに行ってみると、非情にも冷蔵庫のガラス扉にロープが掛けてあった。今日は仏教のお休みで酒類の販売は禁止とのタイ語と英語の掲示。確かに、今年、7月15日の金曜日は、3大仏教行事の1つ、アーサーラハブチャー (三宝節)の日。そこで、学校もオフィスも仏教の祭日として、金曜日から月曜日までお休み、とは聞いていた。
何と、2009年、アピシット首相のもとで民主党政権は、3大仏教祝日と三宝節の翌日(カオパンサー)の酒類の販売を禁じる法令を施行。仏教祝日には時間制限にお構いなしに終日、お酒が買えなくなっていたのだったのだが、しかし、今日はカオパンサーの翌日、ならば販売禁止日はもう終わっているはずなのだが、、、。月曜までの連休の間中、酒類販売禁止となったのだろうか。
間もなく、マニラから着いたばかりの、フィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学のクルス学部長と会うことになっている。無事バンコク到着を確認する電話を入れ、彼に道順を説明しないといけない。そこで、酒類販売禁止の真相を究明することもなくコンビニを出て、ホテルの部屋に戻ることに。


8時 ホテル出発
10時35分 ハノイ発
12時25分 バンコク着
19時 アテネオデマニラ大学クルス学部長と夕食
何も無い土曜日 [2011年07月16日(Sat)]
7月16日(土曜日)
                     <路上のスイカ売り>

バンコクへの移動を明日にしたため、今日はもう一日、ハノイ。しかし、土曜日なので、希望していた他の面談などがうまく入らず、今日は全くスケジュールなし。週末とは言え、私にとっては、珍しいこと。
そこで、久し振りに市内散策でもしようと考え、朝早く起きてみるが、外は激しい雨。とたんに、やる気が失せて、再び、ベッドに潜り込んでしまう。
再び、目覚めた時には、昼前になっていた。雨は上がっている。昼ごはんを食べに、外へ出ることに。
久し振りに地元の市場でも覗いて見るかと、ホテルの従業員に聞くと、前の道を隔てて直ぐの路地を入ったところに小さな市場があるというので、オートバイと車を掻き分けつつ車道を渡り、路地に入ってみる。なるほど、狭い路地の両側に衣料品や果物を売る店が続く一角が現れた。路上に野菜を並べて売っている行商人もいる。フォー屋さんもある。肉や魚を売る店も現れた。

                  <フォー屋台もピーク時間は過ぎたか>

そのうちの、一軒には、路上にせり出したテーブルの上になにやら小ぶりの動物の丸焼きが並んでいた。てっきり、豚か何かかと思って近づいてみると、何と、犬の丸焼きだった。
ハノイの伝統的名物が犬肉料理とは聞いていたが、見たのは初めて。さすがに、表通りではタブーになり、今では、こうして路地裏でひっそり売られているということなのかも。じっと見つめたためか、試食を進められたが、流石にちょっと、手が出ない。
市場を出たところで、私の好物のブンチャーの屋台を見つけたが、一人で食べる気にもならず、逡巡していると、テイクアウトを勧められたので従うことに。ブンと言われる米の麺、グリーンパパイヤのスライスが入った甘酸っぱいスープ、ミントなどたっぷりの生野菜、炭火でこんがり焼いた豚肉とミンチボール、そして、オプションでつけた揚げ春巻き、それぞれ別のビニールの小袋に入れてくれる。

              <これがブンチャーのテイクアウトセット>

ホテルに戻り、従業員に頼んでどんぶりとお箸を借りて、テイクアウトのブンチャーの各パーツを袋から取り出し、どんぶりに並べ、スープをかける。日本人にはハノイというと、フォーを思い浮かべる人が多いようだが、フォーは主に朝食用で、おなかが減っているときには少し、物足りない。ブンチャーならボリュームたっぷりな上、スープは冷たくはないものの、熱くなく甘酸っぱいので、いわば、ベトナム版冷やし中華のようなもの。これで3万ドン、従業員に払ったチップを併せても、日本円で200円ほどのリッチな昼食に大満足。
                   <出来上がったブンチャー>
WHOベトナム事務所で会議 [2011年07月15日(Fri)]
7月15日(金曜日)
午前10時にアポを入れていた国際金融公社(IFC)インドシナ事務所長との面談がキャンセルになったので、午前中の予定はなし。朝寝をして遅い朝昼兼用の食事をホテルのレストランで取る。
午後、タクシーに乗って、世界保健機関(WHO)のベトナム事務所へ。約束の2時より少し前に事務所に入ってみると、既に、ベトナム保健省の伝統医療局長のカイン博士が、担当者のマイさんと一緒に待ちかまえていた。早速、WHOの会議室へ。責任者のエスカランテ博士らにハリソン所長も加わって会議。

                      <WHOベトナム事務所>

ベトナム保健省は、日本財団の資金助成により、来年早々にも、ベトナム国内での伝統医薬品を用いた置き薬配布事業をスタートさせる予定だが、薬の選定や事業評価などでWHOの西太平洋事務局、ベトナム事務所が、全面的に指導、協力することになっている。その準備のために、一足早くWHOに対する、日本財団の資金助成が始まっている。
今回は、WHO側の進行状況の確認と、保健省サイドの事業実施までの準備段階における問題点の洗い出しを行った。WHOからは当初のスケジュール通り進行中、との報告があり、ベトナム保健省からは、細々とした質問や相談事はあったが、さしたる問題ではなく、結局、置き薬配布事業の実施に向けて、順調に準備が進みつつあることが確認できた。
WHOベトナム事務所での会議を終えて、タクシーを拾い、そのまま、ハノイ独立生活センター(ILC)へ。所長のホンハさんが待っていてくれた。

               <WHOでの会議にはハリソン所長も加わる>

IL(Independent Living=独立生活)というコンセプトは、アメリカで始まった重度障害者が相互に支援しあうことで自分たちの社会参加を促そうと言う運動に基づくものである。
それまで、交通事故や脳性まひなどで重度の障害を受けた人は、日常的な介護が必要と言う理由から、外に出ることのみか、社会活動に参加することは出来ない、と周りも見做し自分たち自身もそのように考えて来た。しかし、ILでは、重度の障害者であっても、適切な補助具や、必要最小限の介護者の支援を受けるだけで、社会において自分たちでしか出来ないユニークな貢献が可能である、と考える。
特に、ILの基幹要素を占めるピアカウンセリング(Peer Counseling)と呼ばれる活動は、相手の境遇をより深く理解しうる障害者自身が同じ障害者に対して行うカウンセリングである。それまで家に閉じこもり、健常者には心を閉ざしていた重度障害者には、ピアカウンセラーの働きかけに応じて、それまでの思い込みを捨てて活動に参加するよう呼びかけるのだ。
2年前に始まったハノイでのILだが、現時点での会員数は60名。これは、ハノイ市における肢体障害者総数およそ200人の約3分の1。さらに、会員を拡大すべく、参加を呼びかけているのだが、障害者本人はもとより、その家族の抵抗や反対を乗り越えるのが大変だ、という。
ホンハさんによると、現在7名と交渉中だという。その大半が、比較的裕福な家庭の出身だというから、その方が、家族の抵抗は少ないのかと思うとさにあらず、金持ちほど、自分の金で、家政婦や看護師を雇い、障害を持った子供を家に閉じ込めてしまう傾向にある。外に出て好奇の目にさらされたり、子供がからかわれたりするのが不憫で、学校にも行かせず、ハナから子供の可能性を否定してしまいがちなのだそうだ。その結果、これら7名のうち3人が文盲に近い状態だという。

                 <ハノイ独立生活センター事務所にて>

日本財団は、現在のところ、ハノイとホーチミン市で、現地の障害者グループが運営するILセンターを支援しているが、ホンハさんたちは、地方都市への拡大を目指している。
ハイフォン、ダナン、カントーなど、ベトナムの地方都市における、ILセンターの開設に向けた活動の状況について報告を受けた。ベトナムという社会主義国において、障害者組織のイニシアティブを重視したIL運動の展開に当たっては、地方政府の担当責任者から正しい理解と協力を得ることが重要なのだが、その難しさも並大抵ではない。その点では、日本財団の支援により実現した、ベトナム政府による日本のILセンター訪問団で団長を務めてくれた、労働福祉省のダム副大臣が、今もIL運動の強力な理解者としてILセンターの拡大を支援してくれているのは、有り難い限りだ。
ホンハさんにはIDPP(障害者公共政策大学院)の評議員に就任してもらうことになっている。来週、バンコクで行われる開校式と、ASEAN各国の有力大学に対するネットワーク校としての参加の呼びかけなどについても、彼女に相談して事務所を後にした。

                  <所長のホンハさんは英語教師>

急いで、ホテルに戻り、ベトナム僻地での学校建設事業や、義足の配布事業で長年の付き合いがある国際NGOである、VNAHのハノイ事務所長のハイさんと夕食。彼とは、主に、IB(Inclusive Business)について話し合う。IBとは、バンコクのAPCDの呼びかけに応じて準備中の、障害者をターゲットにした事業。第一回目のブレーンストーミング会議には彼にも参加してもらった。


14時 WHOベトナム事務所訪問
16時 ハノイ独立生活センター ホンハ所長
19時 VNAHハノイ事務所ハイ所長と夕食
10過ぎに閉まっていたハノイ空港の外貨両替所 [2011年07月14日(Thu)]
7月14日(木曜日)
5月、6月と月内に2回出張をする月が続いたが、7月の出張は今回だけ。目的地はハノイとバンコク。
バンコクでは、4月に調印式に漕ぎ付けた障害者公共政策大学院(IDPP)の開校式に出席する。途中、ハノイに立ち寄り、予てから懸案のIFCインドシナ事務所長との面談の予定だったのだが、出発当日になって先方から連絡があり、急に出張が入ったというのでキャンセルになった。しかし、既に、ハノイでは、WHOベトナム事務所訪問などの予定を入れてしまっていたので、そのまま出掛けることに。
ハノイ便は夕方のフライトなので、午前中は財団に出勤。2時東京駅発のNEXに乗る。出発時の東京は35度の酷暑。

                   <外貨両替所が閉まっていた>

ハノイ到着は定刻より少し早い、夜の9時半ころ。入国管理も空いていたので、10時過ぎには荷物をピックアップ、税関検査も通過することが出来た。
前回出張時のベトナム通貨・ドンの残りが少しはあったが、もう少し替えて置こうと思い両替所に行くと、驚いたことに閉まっている。そんな筈は無いと、インフォーメーションの窓口で尋ねると、さも当然のように、総て閉まってしまった、との答え。取り付く島もない。
そうここは、今でも、社会主義国の看板は下ろしていない国だ。久し振りに、社会主義国の「親方日の丸」体質を見る思いだった。
諦めて外に出てみると、雨。そうハノイは今は雨季。気温は26度。気持ちが良い。

                <雨のハノイ空港 ハノイは今は雨季>

17時55分 成田発
21時40分 ハノイ着
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